生首学園

01 生首は落ちる

 ある日、空から生首が降って来た。

 クリスマスの夜、輝樹は十四年間の人生で、四人目になる父親に会った。母のスナックの常連客だというその男性は、出会って二時間経てば顔も思い出せなくなるほど特徴のない男で、何十歳も年下の輝樹に対して、気の毒なぐらい気を使っているのがあからさまに見えた。短い挨拶の後、途端無口になった輝樹に、何とか必死に話題を振ろうとしているのがその男の元来の気の弱さを現しているようで居た堪れなかった。

 そんな輝樹に、母はちらりとも視線を向けようとはせず、最高級のフランス料理に舌鼓を売っていた。イベリコ豚のトリュフ添えをぱくつく母のてらてらと光る唇を横目で眺めて、この男とはいつまで続くんだろうか、と輝樹は考えた。二人目の父親のようにギャンブル狂いでなければいい。三人目の父親のように暴力狂いでなければいい。そして、何よりも一人目の父親のように輝樹を愛する人でなければいい。輝樹に興味を持たず、まるで空気のように扱って欲しい。それが新しい父親に対する子供の願いとしては正当なものではないとしても、輝樹にとっては切実だった。

 気詰まりな食事が終ると、父親と母は新婚らしい甘い雰囲気のままホテル街へと消えてしまった。去り際に帰りのタクシー代だと言われて、しわくちゃの一万円札を拳の中に握らされた。それを使う気にもなれず、凍えるような寒さの中、高いビル街を縫うように歩いて、輝樹は一人で自宅への帰路を辿った。虚しさが胸をつくように溢れたが、それを気に留めないように頑張った。こんな事は人生でよくあることだ。そう思えば、胸の痛みは多少治まるような気がした。

 空から細かな雪が降り始める。ふわふわと空中を漂いながら落ちていく白い塊を視線で追っていると、ふとショーウィンドウに飾られているドレスが目に入った。淡いピンク色をして、襟元や袖にふんだんにフリルが使われている。マネキンの足元に置かれているのは真っ赤な靴だ。可愛いな、と思った瞬間、胸に突き刺さるような痛みが走った。


 その時、肩にぽたりと液体が落ちる感触があった。雪が雨に変わったのかと思って軽く両手を空へと向けて広げた瞬間、不意に、誰かと視線が交錯した。それは奇妙な感覚だった。猛烈なスピードで視界に現れた逆さまの頭と目が合う。たった一瞬のことなのに、輝樹にはそれが数十秒にも数時間のようにも感じられた。相手の目は見開かれていた。黒目の部分がまるで闇のように深く、輝樹はまるでブラックホールの中に呑み込まれるような感覚に陥った。

 そして、次の瞬間、ぼとりという感触と共に、空へと広げていた両手に重みが落ちた。ばたたっと靴に何かの液体が降り掛かるのを感じる。真っ赤になった掌を見つめると、そこには少女の首がちょこんと逆さまに乗っていた。少女の生首はまだ温かかった。首の断面から溢れ出る血は熱いぐらいだ。足下を眺めると、小さな血だまりができていた。首の断面からは、頸椎らしき太い骨と、ぐちゃぐちゃとした赤黒い肉や絡み合った血管らしきものが覗き見えた。生々しく湯気を立てており、細胞がぐにゅぐにゅと蛆虫のように蠢いている。

 少女は、両耳の横で長い髪をツインテールに結っている。ピンク色をした唇は清楚で、見開かれた目や凄惨な首の断面がなければ、素直に可憐と思える容貌だった。歳は輝樹と同じぐらいだろうか。少女の首をぼんやりと眺める。それはぼんやりと言うよりも呆然に近かったのだろう。突然の異常な状況に、思考回路が動きを止めていた。

 突然、誰かの悲鳴が響き渡る。輝樹から数メートル離れた先で、スーツを着た女性がへたり込んでいた。恐怖に歪んだ視線は、輝樹が持つ少女の生首へと注がれている。連鎖的に四方八方から、悲鳴があがっていく。その悲鳴に、徐々にぼやけていた意識が鮮明になっていく。

 少女の生首が唐突に重くなったように感じて、両腕がガクガクと震えた。絶え間なく流れる血のせいで、両肘まで真っ赤に染まっている。膝に力が入らず、そのままコンクリートの上にへたり込むと、ぱしゃんと尻の下で血だまりが跳ねた。この小さな頭の何処からこんな大量な血が出てくるのか解らない。

 力の抜けた両腕から、少女の生首がゴロリと転がり落ちる。数度コンクリートの上を横倒しに転がった頭は、輝樹へと顔面を向けて動きを止めた。その瞬間、輝樹は信じられない光景を見た。少女がにたりと笑った。目を細めて輝樹を見つめ、唇には皮肉げな笑みを滲ませている。まるで輝樹を蔑んでいるかのような表情だった。そうして、少女は軽やかな声でこう言った。


 「可哀想な奴。あんたの中身はこんなもんよ」


 辺りに響きわたる悲鳴が自分のものだと気付くのに、暫く時間がかかった。

02 生首は喚く

 現実味がないくらい綺麗な男性が目の前に座っている。黒のハイネックと黒の細身のパンツを着た姿は、影のようにも思えた。まるで取調室のような狭い部屋の中で、机を挟んで二人向かい合って座っている状況は、何だか居心地が悪くて、輝樹は意味もなく膝をごそごそと動かした。暖房のついていない部屋は、コンクリート貼りの殺風景な見た目もあわせて、酷く肌寒い。

 その男は、にっこりと輝樹に微笑みかけた。


 「皆川輝樹くん、あの少女は君です」


 ぶっ飛んだ男の言葉に、輝樹は目を白黒させた。口をぽかんと開いたまま呆然と男を見つめる。


 「意味が解りません」
 「言い方が悪かったね。この女の子は、君の深層心理を具現化したものです」


 もっと意味が解らなくなった。眉を顰める輝樹を見て、男が困ったように首を傾げた。


 「輝樹くんは、心は形を持たないものだと思う? 幽霊みたいに実体を持たないものだって」
 「それは、そう思います、けど」
 「普通はそうなんだ。人間死ねば、魂の分だけ28g軽くなるっていう話もあるけれども、それも魂が物体である確証にはなり切れていない。心というは曖昧で抽象的で、何処に在るかも定かじゃないもののはず。だけど、時々そうじゃない人間がいる」


 そう言葉を切ると、男は輝樹をじっと見つめた。まるで、その『そうじゃない人間』に輝樹が当て嵌まると言わんばかりに。輝樹は、半ば憮然とした心地で話を聞いていた。そんな非科学的な話を突然言われても、信じられるわけがない。まだ連続殺人犯が空から少女の頭をばら撒いたんだと言われる方がよっぽど信憑性がある。輝樹の不信を感じ取ったのか、男が頬に薄らと笑みを滲ませた。


 「信じられないって顔してるね」
 「はい、信じられません。だって、そんなのは理屈に合わない。正直馬鹿馬鹿しいです」
 「馬鹿馬鹿しいか。なら君は、人間がたった一つの心を持って生きていると思うかな?」
 「それは、解りませんけど」
 「人間は、身体の中に、いくつもの心を持ってる。それは場所や相手によって使い分けたりもされる。そうして、人間には自分で把握出来ていない心もあって、時には、自分で自分の心を拒絶してしまう時もある。拒絶したとき、捨てられそうになった心が暴れ出し、そうして形を持って身体の前に現れる」
 「生首として?」
 「生首として」


 男は至極当然のように答えた。微笑みを絶やさないその姿は、いっそ不気味だ。輝樹は胡散臭いものでも見るかのような視線で、男を眺めた。


 「余計に馬鹿馬鹿しく思えてきました」
 「でも、あの少女はどうする? 生首が喋るという現実は?」


 輝樹は背を強張らせた。先ほどの少女の背筋が凍るような笑みを思い出す。あんなの見間違いだ。混乱ゆえの幻覚だ、と一概に言い切れないほど、あの時の恐怖は輝樹の身体に染み付いていた。唇を微かに戦慄かせるのと、男が扉に向かって「入れてくれ」と言うのは同時だった。扉が開き、机の上に無造作に置かれたものに輝樹は全身の血の気が落ちていくのを感じた。

 それは、あの少女の生首だった。相変わらずにたにたと気色の悪い笑みを浮かべている。愛らしい顔に似つかわしくない卑しい微笑みだった。首の断面から薄らと滲み出した血が木製の血に染み込んで行くのが見えて、目眩がした。生首へと向かって、男が微笑みかける。


 「初めまして、私は神尾と言います。君の名前は?」
 「あたし、久美子」


 生首が快活な口調で答えた。口角をゆったりと吊り上げた表情は、何処か誇らしげにも見えた。


 「君の“身体”は、この子でいいのかな?」


 神尾と名乗った男は、優雅な仕草で輝樹を指差した。“身体”という台詞に、輝樹は目を剥いた。久美子がしぶしぶといった様子で頷く。その唇は不服そうに尖っていた。


 「そうよ、このカマ野郎があたしの“身体”」
 「待てよ! 何で俺の身体がこんな奴の身体になるんだ!」


 輝樹は咄嗟に叫んだ。混乱と焦燥が胸の底から湧き上がってくる。久美子がハッと鼻で哂った。


 「五月蝿ぇんだよ、カマ野郎。あたしだって、手前なんかが“主体”だだなんて反吐が出る」
 「主、体?」
 「身体を取り仕切る自我のことだよ。解んねぇなら、黙ってハイハイ言うこと聞いときゃいいんだよカマ野郎が。言っておくけど、あたしが“主体”になったら、手前みたいな自我、一番最初に消してやるからな」


 可憐な顔に似つかわしくない暴言が次々と飛び出す。久美子は、まるで“その時”が来るのが楽しみだとでも言わんばかりに、口角をにたりと吊り上げた。輝樹は呆然とした。展開が理解出来ないというのもあったが、それ以上に久美子の苛烈な言葉が痛かった。輝樹をカマ野郎と呼ぶということは、久美子は“あのこと”を知っているんだろうか。どうして、生首があの事を。そう思うと、皮膚がカッと熱くなった。


 「カ…マ野郎って、呼ぶな」
 「何よカマ野郎、オカマ、変態、気色悪いんだよクズゴミカス、人の言葉喋ってんじゃねぇよゴミ虫以下が、あたしは知ってんだからな、手前が何をされたか、手前が何をしてるか、あたしはぜーんぶ知ってる。この薄汚いカマ畜生」


 久美子の言葉は容赦なかった。現実がぐらりと脳味噌の中で蕩けていく。そうして、右手が勝手に動いた。久美子の小さな頬を張り飛ばす。生首相手に対して何をむきになっているのか自分でも理解出来なかった。制御不可能な衝動が勝手に身体を突き動かす。パァンと弾けるような音が響いて、久美子の頭が吹っ飛んだ。額を壁へとぶつけて、顔面から床へとぐちゃりと落ちる。その瞬間、輝樹の顔面に鋭い痛みと衝撃が走った。椅子から転げ落ちて、床の上で苦痛に悶える。左頬が焼けるように熱く、頭が痛かった。頬を赤く腫らした久美子の生首が床を転がりながら、ギャンギャンと五月蝿く喚いていた。


 「手前巫山戯んな、ゴミカス野郎! 糞がッ! 糞がッ!」


 久美子は暫く罵声をあげていたが、自分と同じように床を転がっている輝樹に気付くと、気が狂った鳥のような笑い声を上げた。


 「ギャッギャッ、ざまみろざまぁみろ! あたしと手前は、身体を共有してんだよ! あたしを殺したら手前だって死ぬんだボケがッ! ざまぁみろッ!」


 輝樹は信じられない思いで、左頬へと掌を押し当てた。熱を持った左頬や、痺れるように痛む頭は間違いなく自分のもので。久美子に与えたはずの痛みが自分にも訪れていることに驚愕する。床へと横倒しになったまま、呆然と哂い狂う久美子を見詰める。こんなの悪い夢だ。生首が生きていて、しかもそれが自分自身の心だなんて現実じゃこんな事は有り得ない。

 ずっと黙っていた神尾がわざとらしく堰をつく。悩ましげな眼差しで床に転がる輝樹を見つめると、その美しい曲線を描いた眉を憐憫に歪めた。


 「これで解ったかな? この子は君だよ。それとも君がこの子なのかな?」
 「こんなのは…」
 「悪い夢? でも、現実だよ。君の頬は赤く腫れている。明日には紫色になるだろう。紛れもない現実の証明だ」


 椅子から立ち上がって、神尾は輝樹の前へとしゃがみ込んだ。すぐ至近距離から見下ろされて、その威圧感に身体が強張る。


 「明日から久美子ちゃんと一緒に暮らすんだ。新しい学校にも行くんだよ」
 「新しい学校って、何ですか…?」
 「君が今まで通ってた学校じゃ、生首と一緒に登校なんて出来ないでしょう? だから、そういう専用の学校があるんだ。寮も完備してあるから安心してね」


 輝樹は咄嗟に上半身を起こそうとした。それを阻むように、神尾が両肩を床へとキツク押さえつける。肩関節ごと押し潰されるかのような感覚に、輝樹は短く呻いた。


 「こんな生首と暮らすなんて嫌だ!」
 「捨てたら、君も一緒に死んじゃうよ」
 「だ、だっ、だって、い、イヤだ!」
 「だだだだって、いやーよぅ。ぼくちゃん、いやーよぉー」


 揶揄するように久美子が歌う。輝樹は床に仰向けになったまま久美子を睨み付けた。久美子が頬を歪めて哂う。


 「ギャアギャア喚いてんじゃねぇよカマ野郎。嫌ならあたしが手前の“身体”使ってやるよ。早く“身体”からどけよ! どけッ!」
 「嫌だ御前なんか消えちまえ! どっか行け!」


 生首と言い争うだなんて狂気の沙汰だ。両肩を取り押さえられたまま、輝樹は四肢を無茶苦茶に振り乱した。恐慌に咽喉が嗄れる。神尾が暴れ狂う輝樹を見下ろして、困ったように笑う。


 「駄目だよ輝樹君、喧嘩ばっかりしてちゃ。そんなんじゃ、本当に久美子ちゃんに“身体”奪われちゃうよ」


 身体から一気に血の気が落ちる。そういえば“身体”を奪われるってどういう意味だ。


 「“身体”、を奪われる…?」
 「そうだよ。生首が生まれるっていうのは、自分の心と心が争っているって事だからね。生首を消すためには二つ方法があるんだ。一つは、争いをやめて生首と融合すること。もう一つは、争いに負けて、生首に“身体”を乗っ取られること」


 視界の端で、久美子がうっそりと微笑むのが見えた。背筋に悪寒が走る。カラカラに乾いているのに、目が閉じられない。間近に見える神尾の目は、まるで面白くて仕方ないとでも言いたげに、三日月形に歪んでいる。


 「それに本当のことを言うとね。生首が生まれた人間っていうのは危険なんだ」
 「俺が危険?」
 「そう。生首っていうのは、酷く原始的な感情で動いている自我なんだ。人間としてのルールや倫理っていうものが全くない。自分の心とも共存できないんだから、他人と共存するなんて無理な話なんだ。過去に生首が生まれた人間が連続殺人犯になったこともある。強盗や強姦殺人、通り魔に人肉食い、大量虐殺にテロ行為、歴史的な大罪を何度も犯してきた。そんな人間を外に出しておけないだろう? だから、“学校”に入れて、矯正するんだ」


 神尾の口調は、まるで睦言でも囁くかのように艶やかだった。輝樹は唇を戦慄かせた。


 「そんなの、“学校”じゃなくて…」
 「刑務所じゃん」


 輝樹の声に被さるように久美子が言う。まるで面白がっているかのような口調だった。神尾は優しく首を振った。


 「どう呼ぶかは君達の自由だよ。とにかく、君達は融合しない限り“学校”を出られないから、そのつもりで。仲良くやるんだよ」


 両肩を離される。強く押さえられていた両肩は動かすと、付け根がぢんと痺れるように痛んだ。肩を緩く撫でながら、輝樹は問い掛けた。


 「か、母さんは?」
 「大丈夫、君のお母さんにも“四人目”のお父さんにも事情は説明してあるからね。二人とも安心して、君のことを僕らに任せてくれたよ」
 「四人目ぇ!? あのアバズレ、また男替えたのぉ!?」


 久美子が素っ頓狂な声をあげる。輝樹は久美子を睨み付けて、奥歯を強く噛み締めた。


 「母さんを悪く言うな!」
 「うっせぇマザコン! ゲロ野郎! ゲロクソ野郎が、カマ臭ぇんだよゲエ゛ェエ゛ェ!」


 下劣な言葉のオンパレードに、神尾が肩を竦める。


 「仲良くしてって言った途端に喧嘩なんて。これじゃ一生“学校”から出られないよ」


 呆れたように呟いてから、神尾は悪戯でも思いついたかのような表情で、首元のハイネックを指先で下げた。ハイネックの下から現れたのは、真一文字に切り裂かれたかのような傷痕だ。その傷は首を一周している。輝樹は息を呑んだ。


 「君もこうなりたい?」
 「な、に、その傷」 
 「言ったでしょう? 生首に“身体”を奪われるって」


 神尾が微笑む。笑みを刻んだ唇の下には、首を横断する傷痕が。輝樹は震える息を吐き出し、その傷を凝視した。

03 生首は唄う

 くすんだ窓硝子の向こうを霧が覆い隠していた。重苦しい雰囲気で周囲を真っ白く染める霧を、車のウィンドウ越しに見遣る。ガタガタと上下に大きく揺れる車体を感じながら、輝樹はもう何度目になるかもわからない溜息を吐いた。

 神尾と話した後、抗う間もなく黒塗りの車に押し込められて、わけもわからない内に刑務所のような学校に連れて行かれようとしている。母親にも、一度しか会ったことのない父親にも、友達にも、誰一人として別れの挨拶をすることすら出来なかった。こんなのは拉致と同じだ。そう思うと、歯噛みするような悔しさや、それを押し退けるほどの悲しみが込み上げてくる。

 それもこれも、全部こいつのせいだ…。

 そう思うと、堪えようもない憎悪が溢れ出た。隣の座席に転がされている首を、横目で睨み付ける。久美子は、輝樹の苛立ちに気付いていないのか、それとも気付いているからこそなのか、やけに楽しげに鼻歌を口ずさんでいる。


 「ふふふーん、ふふふっー、ふふふふー、ふふっふー」


 ツインテールを左右に揺らしながら歌う生首は、酷く不気味だった。その首の断面からは、相変わらず血が滲み出して、座席のシートにじわじわと赤色を染み込ませている。輝樹の眼差しに気付いたのか、久美子がニィーと目を細める。


   「ビートルズのレット・イット・ビーよ。知らないのぉ?」


 馬鹿にするような口調が余計に腹立たしい。鼻梁に皺を寄せた輝樹を見て、久美子がハンッと鼻を鳴らして笑う。


 「しょぼくれた顔しやがってよぉ。すべての不幸はあたしのせいだとでも言いたいわけぇ?」
 「…御前のせいだろうが」


 唸るように吐き捨てると、久美子が嘲るように咽喉を高らかに鳴らした。


 「バァカ。あたしは御前なんだよ。あたしのせいってことは、つまり御前のせい。御前自身の責任で、問題で、とどのつまり、御前が解決しなくちゃいけないことじゃないのぉ?」
 「御前が俺だなんて信じてない」


 久美子から視線を逸らして、頑なに拒絶の言葉を吐き出す。こんな性格の悪い生首が自分の内面の一部だなんて、そんな簡単に信じれるわけがなかった。輝樹にしてみれば、とんだ勘違いに巻き込まれたようにしか思えない。久美子が溜息を吐きながら、見せ付けるように顔を左右に振る。ツインテールが踊るように揺れた。


 「これだから融通の利かない馬鹿は嫌いなのよぉ。ま、どうせ嫌でも解るわよ」
 「一体何が解るって言うんだ」
 「逃げられないってことが。あたしからも自分からも、御前に逃げ道なんかねぇよ」


 久美子がにやりと唇を歪める。輝樹には、それがまるで死刑宣告かのように聞こえた。背筋を寒いものが走る感覚に、皮膚がぶるりと小さく震える。

 その時、霧の向こうから聳え立つ建物が見えてきた。コンクリート打ちっぱなしのその建物は、霧のせいで濃鼠色に濡れている。何処か墓石を思わせる長方形のビルだった。

 そのビルの二階辺りに、白いもやに紛れて人影が見えた。ベランダの手すりに凭れかかって、じっと輝樹達が乗った車を見下ろしている。そうして、人影がゆっくりと片手を動かすのが見えた。おいで、と手招きするような仕草だ。まるで霊界からの誘いのようなその光景に、輝樹は身体を強張らせた。自分は一体何処に連れて行かれるのか。とめどもない不安が再び胸を覆って、息が苦しくなった。

04 生首は箱の中

 その学校に着いた途端、輝樹は小さな箱を手渡された。どうやら生首を入れるらしいそのプラスチック製の箱は、四方が透明で、ある一種虫カゴのようにも思えた。久美子をぞんざいにその中へと放り込めば、久美子がぎゃんぎゃんと文句を声高に叫んだ。


 「レディはもっと丁寧に扱いなさいよ、この童貞野郎!」
 「五月蝿い、御前がレディだとか頭可笑しいだろうが!」


 こうやってお互いに罵り合うのが癖のようになりつつある。生首と言い争いだなんて、心底ぞっとする。首へと紐掛けた箱を、胸元で抱くと更に憂鬱が深まった。まるで骨壷でも抱いているような不気味な感覚だ。何処か薄気味悪くて、おぞましい。箱の中で、久美子が不貞腐れたようにそっぽを向く。輝樹も同じように、久美子と反対方向へと顔を背けた。

 そんな輝樹と久美子を置いて、車は無言のまま去ってしまった。呼び止める間もない。学校の正面玄関の前で、輝樹は途方に暮れた。一体このままどうしろって言うんだ。

 その時、不意に背中を叩かれた。見知らぬ子供がじっと上目遣いに輝樹を見詰めていた。


 「皆川輝樹くんと久美子さん?」


 子供らしかぬ大人びた声音だった。まだ小学生を卒業していないだろうその少年は、大きな瞳をぱちりと瞬かせて、一度会釈をした。


 「はじめまして、ボクは柊みちるです。輝樹くんと久美子さんの案内を頼まれてます」


 事務的な口調で滑らかにそこまで喋り終わると、みちるは箱の中に入った久美子をじっと覗き込んだ。瞳孔がぐっと大きくなる。


 「おとこの人がおんなのひとの生首を持ってるのは、なかなか珍しいですね」
 「だから何だって言うのよクソガキ」


 久美子が悪態をつくのを聞いて、輝樹は慌てた。咄嗟に箱を上下に揺すると、箱のてっぺんに頭をぶつけた久美子がギッと輝樹を睨み付けてくる。


 「乱暴に扱うんじゃねぇよ、クソ野郎! 次やったらテメェの頚動脈噛み千切ってやるからなヴォケが!」


 言葉を選らばない久美子の暴言に、ぐっとコメカミが引き攣れる。地面に叩き付けてやりたい衝動に駆られて、箱を抱える両腕が震えた。みちるが宥めるように、震える輝樹の腕をそっと撫でて言う。


 「まぁまぁ、喧嘩しないで下さい。自分と喧嘩するなんて、滑稽以外の何物でもありませんよ」
 「こんなのは俺じゃない」


 何度も繰り返した言葉を足掻くように言うと、みちるは呆れかえった表情で首を左右に振った。


 「いいえ、久美子さんは輝樹くんです。そんな否定的な思いのままでは駄目ですよ。この学園では、貴方と生首との融合を目指しているわけですから。きちんと事実を受け容れて、自分の心を見詰めて下さい。そうでないと、一生卒業出来ませんよ」
 「一生?」


 オウム返しに繰り返すと、みちるはニィと唇を引き裂くようにして笑った。意味深な、何処か人を小馬鹿にするような笑みだ。


 「ここには、何十年も学校から卒業できない人もいます。輝樹くんはお若いですから、是非とも二十歳になる前にはここから出て行って欲しいですね」
 「二十歳って、五年も掛かるのか!?」
 「五年なら短いぐらいです」
 「俺は今すぐ家に帰りたいんだ!」
 「生首と融合すれば、今すぐにでも家に帰れますよ」


 みちるは素っ気なく言い放つ。咄嗟に、輝樹は久美子を睨み付けた。御前なんかが出てきたから、俺がこんな目に合っているんだと声高に罵ってやりたい。だけど、久美子は、輝樹に構うこともなく、みちるをじっと凝視している。そうして、一息に問い掛けた。


 「アンタ、何者よ」


 久美子の問いに、みちるは首をカクリと傾げた。子供っぽい仕草だが、何故だか不気味さが拭えない。


 「ボクは、貴方がたの先生ですよ。一年一組の担任です」


 その口調が至極当然のことを言っているかのような堂々としたものだったから、一瞬反応が遅れた。数度パチパチと瞬きを繰り返してから、輝樹は呆然と呟いた。


 「先生って、俺より子供じゃないか?」
 「失礼ですね。ボクは、輝樹くんよりもずっと先輩ですよ。ここでは、年齢なんてものは意味がありません。大事なのは、アイデンティティがしっかりと確立されているかどうかです」
 「つまり、アンタは生首がないってわけ?」
 「つまりは、そういうことです」


 みちるは口早にそう言い切ると、そのまますたすたと校舎へと向かって歩き出した。数歩歩いたところで、肩越しに振り返る。


 「一緒に来て下さい。学校と寮を案内します」

05 生首は落ちる

 校舎内に入って、数十歩目で輝樹は激しく後悔した。車から下ろされたところで久美子を投げ捨てて、森の中にでも逃げ込めばよかった。例え遭難して、寒さと空腹で喘ぐとしても、こんな場所に連れて来られるよりかは、ずっとマシだっただろう。

 校舎の中では、何人もの“生徒”が歩いていた。まさしく人間の坩堝と言わんばかりに、小学生ぐらいの子供から明らかにあの世へ一歩踏み出しているだろう老人まで、老若男女が入り混じっている。その人間達に共通しているのは、やや猫背気味な不健康な姿勢と、それから胸に吊り下げた生首箱だ。だが、箱の中身を窺うことは出来ない。皆々が箱に黒い布を被せて、その中身を見えなくさせている。

 それを見て、輝樹は咄嗟に箱を抱き締めていた。久美子を見られるのが恥ずかしかった。こんな女が自分の内面だと思われるのは絶対に嫌だった。視界を覆われたことに苛立ったのか、久美子が箱の中で頭を左右に揺さぶりながら甲高い喚き声を上げる。


 「ちょっと、見えねぇだろうがヴォケ!」
 「五月蝿い、黙ってろよ…!」


 箱へ向かって押し殺した声をあげる。しかし、周りの人間がそんな遣り取りを気にしている様子はなかった。ちらりと視線を向けることもなく、俯いたままとぼとぼとした力ない足取りで歩き続けている。その姿は、何処か死にかけた兵士達の行軍にも見えた。


 「ここが貴方がたの教室です。入って下さい」


 みちるの言うままに、目の前の教室へ足を踏み入れる。ぐちゃぐちゃに並べられた机や椅子がびっしりと並んでいる割には、座っている人間はその四分の一にも満たなかった。俯いていた生徒達が一瞬ちらりと視線をあげて輝樹達を見遣ったが、すぐに眼差しを落としてしまう。その机の上には、真っ黒い生首箱が一様に置かれていて、まるで骨壷のようだと思った。そうして、黒板には大きな文字でこう書かれていた。



 ≪―――我々は選ばれし者 神と話す使者なり―――≫



 何だ、この選民思考の塊みたいな言葉は。性質の悪い宗教臭さに、一瞬背筋がざわつく。みちるはちらりと黒板を見遣ると、鼻先でせせら笑った。丸っきり馬鹿にしたような笑いだった。


 「これを書いたのは誰ですか?」


 みちるが問い掛けると、教室の中に一瞬冷たい空気が走った。生徒達は皆強張った顔で、互い互いを見渡して、結局口を噤む。それは何かを恐れているような仕草に見えた。みちるが短い指で黒板をトントンと軽く叩く。


 「誰だと聞いています。木野くん、誰が書いたか知っていますか?」


 机に突っ伏して寝ていた男が気だるそうに顔をあげる。木野くんと君付けで呼ばれたにも関わらず、その男は既に四十歳を超えていそうな中年だった。目蓋がむくみ、歯茎が色褪せ、顔全体が赤黒く染まっている。輝樹の三人目の父親と同じ、アルコール中毒者独特の顔立ちだった。


 「…高田君たちでぇす」


 酷く投げ遣りな声で吐き捨てる。木野はそう言うと、直ぐに鼾をかいて寝てしまった。ガァガァと呼吸器が詰まったような鼾が耳障りだった。みちるは、そうですか、と興味なさそうな相槌を返してから、溜息混じりに吐き出した。


 「高田くん一派も困ったものです。まだ自分達が特別だと思い込んでいるんですから。輝樹くんも、あまり彼らに関わってはいけませんよ」
 「彼らって?」
 「生首を神として崇めている自称信仰家なグループです。生首と話す自分達は選ばれし人間だと思い込んでいるんです。ですが、生首は決して神ではありません。生首は自分自身だと確りと認識しないと、融合は果たせませんからね」


 最後の台詞は、輝樹だけでなく生徒達全員にも言っているようだった。教室内を睥睨して、みちるはそれから勿体ぶるような咳払いをひとつ零した。輝樹の腕を緩く掴んで、言い放つ。


 「今日から新しいトモダチが増えます。皆川輝樹くんに、久美子さんです。皆さん仲良くしてください」


 みちるがそう言っても、顔をあげて輝樹を見るものは誰もいなかった。無関心という強大な暗闇が空間を覆っている様に、輝樹は微かな怖気を覚えた。こんなところでやっていけるのかという不安が頭を擡げて、じくじくと心臓を甚振る。そのまま黙っていると、みちるに背中をとんと押された。戸惑ったまま歩き出すと、窓際の前から四番目の席に座ってくださいと指示が与えられる。


 「何か解らないことがあったら、隣の佐々木くんに聞いてください。輝樹くんと同い年です」


 そう言われて、椅子へと腰を下ろしながら、隣の席へと視線を移す。すると、怯えたような瞳とかち合った。生首箱の影に隠れるようにして、痩せっぽちの少年が輝樹を眺めていた。佐々木と呼ばれた少年は、その小さな顔には似合わない大きな眼鏡を掛けており、恐怖を押し隠すように薄い唇を噛み締めていた。


 「ほら、ちゃんと挨拶をして下さい」


 みちるが僅か笑いを含んだ声音で促す。すると、佐々木の細い身体は目に見えて跳ねた。俯いたまま、輝樹と視線を合わせずもごもごと聞き取りにくい声を発する。


 「佐々木直弥、です…」


 小さな声だったが、その声は掠れて震えていた。佐々木は輝樹と視線を合わせない。黒布に覆われた生首箱をぎゅうと抱き締めたまま、ただ苦痛の時間が過ぎるのを待つように、ひたすら押し黙っている。


 「寮も佐々木くんとの相部屋です。学校や寮も佐々木くんに案内してもらって下さい」
 「えぇー、こんな暗い奴っつうか引き篭もりと同室ぅ? こんなんじゃ、そもそも会話が成り立たないじゃん」


 久美子が口を尖らせて文句を漏らす。だが、みちるは相変わらず笑みを浮かべたまま、久美子の不平を穏やかにいなした。


 「トモダチの悪口を言っちゃダメですよ」
 「友達って、全然こんな奴友達じゃないし!」
 「いいえ、この学園にいる人はみんなトモダチです。同じ目標を持って、同じように努力する仲間なんですよ。ほら、友情の証に、輝樹くんと佐々木くんは握手をしてください」


 過保護な小学校より性質が悪い。握手を促されて、目に見えて佐々木は狼狽していた。首を小刻みに左右に振って拒絶を示す。その顔は既に泣き出しそうに歪んでいる。みちるは、佐々木の拒絶を黙殺した。のんびりとした表情で様子を窺っているままだ。みちるが発言を撤回しないのを感じると、佐々木は救いを求めるような目で輝樹を見てきた。その眼差しに、不意にざわめくように苛立ちが込み上げてきた。


 ――握手ぐらいで何だ。死ぬわけでもあるまいし。助けて欲しいのは、俺の方だ…。


 腹の底でそう漏らす。腹立たしさと面倒臭さが相まって、険のある眼差しで佐々木を睨み付けた。この茶番をとっとと終わらせたい一心で、雑に佐々木へと手を差し出す。


 「握手」


 ぞんざいに言い放った。そのまま、さっさと握れとばかりに、掌を上下に揺らす。

 佐々木の目が水の膜を這ったように潤んでいた。まるで冷凍庫に数時間ぶちこまれたかのように、その身体が小刻みに震えている。尋常でないほどの拒絶反応だ。その唇が酸欠の金魚のように、ぱくぱくと上下していた。


 「…さ…ると、……ちゃう……」


 虫が鳴くような酷く小さな声が届く。聞き取ろうと耳を近付ける。そうして、その声を判別できた瞬間、鼓膜がざわりと震えた。


 「触ると、変わっちゃう」


 意味を聞くことは出来なかった。唇を“あ”の形に半開きにしたまま、佐々木の見開かれた目が輝樹の背後へと向けられていた。肩越しに振り返った瞬間、輝樹の唇も佐々木と同じように“あ”の形に開かれていた。


 窓の外を、生首が落ちていた。それは極平凡な顔立ちの男の生首だった。状況を把握できていないような唖然とした表情で、逆さまに落下していく。それは直ぐに輝樹の視界から消えていった。

 だが、それで終わらなかった。次の瞬間、空気を引き裂くような甲高い絶叫が窓の外、その上方から響いてきた。そうして、生首に引き続くように、今度は生身の人間が猛烈なスピードで落ちていく。生首と同じ顔をした男だった。その顔に浮かんでいるのは、驚愕と恐怖だ。

 男の姿も直ぐに視界から消えて、窓の下からグシャともグチャともつかない湿った音が聞こえてきた。まるでトマトを素手で叩き潰したかのような音だと思った。


 輝樹には、何が起こったのか判らなかった。生首と人間が落ちていった。落ちた。落ちた。落ちた。


 「あーあぁ、潰れちゃったぁ」


 久美子が呆れたように呟く。途端、猛烈な吐き気が込み上げてきた。両手で口元を押さえたまま、迸りそうになる悲鳴を押し殺す。

 縺れそうな足取りで窓へと駆け寄って、下を見下ろすと、男がうつ伏せになって倒れている姿が見えた。手足が見当違いな方向へ折れ曲がっていて、全身から大量の血を溢れさせていた。その男の傍らには、まるで片付け忘れられたサッカーボールのようにぽつんと生首が転がっていた。見開かれ色を失くした眼球がぼんやりと空を見上げている。


 「と、飛び降り…た!」
 「あれほど飛び降りはするなと言っていたのに」


 混乱する輝樹に対して、みちるは落ち着いた様子で溜息なんか吐いている。


 「きゅ、救急車…呼ばないと…!」
 「呼ぶ必要はありません。もう助かりませんから」
 「死んだって、わかんないだろうが!」
 「解りますよ。彼は生首を投げ捨てたんです。自我を拒絶してしまった人間に、未来はありません」


 みちるの言葉ははっきりしていた。だが、輝樹には矢張り理解不能だった。


 「お前…何、言ってんだ…」
 「輝樹くんはあんな事しちゃいけませんよ。生首が死ねば貴方も死にます。生首を屋上から投げ落とせば、貴方も屋上から落ちます。解りますか、この意味が?」


 全身が総毛立った。ヒッと咽喉が鳴る。嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ、そんなのは嘘っぱちだ。それじゃ本当に一心同体、一蓮托生じゃないか。こんな生首で喋るような化物と。


 「生首は貴方自身です。この事を決して忘れないように」


 頭の中が真っ白になる。窓の下で血の海に横たわる男を呆然と眺めながら、輝樹はそこに未来の自分を見た気がした。

06 生首は神様

 ホームルームが終わった後も、輝樹は呆然自失のまま椅子に座り込んでいた。何時間経っても、授業と呼べるものは始まらなかった。数人の生徒が俯いたまま、じっと生首箱へとぶつぶつと呟く念仏じみた声が聞こえるだけだ。

 時計の針が九時から十二時の位置に移動した頃、隣から弱々しい声が聞こえてきた。


 「学校、案内しようか…?」


 佐々木が輝樹の顔をおっかなびっくり覗き込んでいた。その怯えた声の底には、輝樹に対する気遣いが微かに感じられた。飛び降り自殺にショックを受けている転校生への思いやりだ。

 ぼんやりと佐々木を見遣って、輝樹は譫言のように呟いた。


 「あんなん…よく起こんの?」
 「よく、ではないよ。時々、二三ヶ月に一回ぐらい」


 それが多い頻度なのか、それとも少ない頻度なのか輝樹にはもう判断出来なかった。そっか、と曖昧な相槌を返して俯く。生首箱の中で、久美子が暢気そうに鼻歌を歌っていた。輝樹の知らない曲だ。


 「大丈夫、すぐ…慣れるから」


 慰めにもならない言葉を佐々木が呟く。それは佐々木の実体験に基づいた言葉なのか、バツが悪そうに佐々木が視線を逸らした。


 「こんなん、慣れたく、ない」


 呻くように零す。自分でも情けないと思ったけれども、それは完全に涙声だった。佐々木が困ったように口を噤む。代わりのように口を開いたのは久美子だ。


 「飛び降り自殺ぐらいで凹んでんじゃねぇよ、金玉小せぇ奴だなぁ」


 思いやりも何もないガサツな口調で吐き散らかす。甲高い少女の声を聞いた瞬間、頭に血が上った。


 「うるせぇよクソ生首! そもそもこんな所に入れられたのはお前のせいじゃねぇか。お前みたいな化物が俺の腕の中に偶然落ちてきたから、俺はこんな最悪な目にあってんだろうが!」
 「はぁ!? はぁはぁ、責任転嫁ですか! いよいよ性根まで腐った奴だな! いい加減あたしが手前だって認めたらどうなんだよ、この甘ったれ!」
 「お前なんか俺じゃねぇって言ってんだろうが!」
 「だったら! あたしをそこから投げ落としてみろよ! そしたら全部解る! 全部な!」


 自棄になったように久美子が顎をしゃくって窓を指す。その仕草に輝樹は息を呑んだ。こんな生首、自分じゃない。そう信じている。だけど、もし万が一久美子が自分だった場合、久美子を投げ落とせば輝樹も同じように窓から飛び降りることになる。あの男と同じように飛び降り死体の一つになってしまう。グラウンドに転がる死体と生首が瞼の裏側にフラッシュバックする。あんなのは嫌だ。絶対に、嫌だ。

 歯の根が噛み合わなくなる。カチカチと歯が擦れ合う不快音が響いて、久美子が鼻で笑う。


 「度胸も決意もねぇくせに粋がってんじゃねぇよクズ」


 憎悪が弾けた。生首箱を乱暴に掴むと、そのまま窓際へと向かって大股で進む。そのまま開いた窓の前に立って、生首箱を振り上げた。久美子の暴言が聞こえる。だが、もうどうでも良かった。こんな化け物とこれ以上一言でも口を聞くのは我慢ならなかった。

 生首箱を一思いに階下へと叩き落とそうとした瞬間、ぐんと肩を引っ張られた。後方へと向かって重力が掛かって、そのまま輝樹は生首箱と一緒に床に転倒した。


 「ギャッ!」


 生首箱から転がり出た久美子が壁へと頭を打ちつけて悲鳴をあげる。輝樹の頭にも鈍痛が走った。久美子は、悲鳴をあげた次の瞬間には呪詛を喚き散らしていた。


 「何しやがる、このモヤシ野郎! あたしの顔に傷付けたら慰謝料払わせるぞグォラァ!」


 久美子が怒鳴っているのは、輝樹の背後に立ち竦んでいた佐々木だ。ぶるぶると身体を震わせて、輝樹を見下ろしている。どうやら佐々木が輝樹を後ろから引っ張ったらしい。


 「し、死んじゃ、だめだ…」


 佐々木の声は掠れて、酷く聞き取りづらかった。久美子が白けたように鼻をならす。


 「そ、その子が本当に君かどうかなんて、今すぐ結論出さなくても、い、いいじゃない。まっ、まずは、仲良くしようよ」


 上擦った声でたどたどしく佐々木が言う。床に尻餅をついたまま、輝樹は佐々木を凝視していた。

 佐々木の左頬に黒い鱗が浮かび上がっていた。それは、まるで産毛のように逆立ち、ぞわりと一瞬震えた後、皮膚の下に埋没していった。人間の皮膚に鱗が生えるはずがない。そう理解しているからこそ輝樹は唖然とした。

 佐々木は一度自分の頬を撫でた後、酷く疲れ切った声をあげた。


 「学校、…案内するよ。一緒に行こ…?」



 視線が勝手に佐々木の左頬へと向かってしまう。おどおどした声で拙く語られる校内の説明を上の空で聞きながら、輝樹はまじまじと佐々木の顔を凝視していた。それが不躾な行動だとは自分でも解っているが、それでもしていないと湧き上がった不安感が押さえられなかった。

 佐々木は生首箱を両腕に抱いたまま、じっと俯いて口元だけを事務的に動かしている。ぽつぽつと語られる言葉は、まるで念仏のようにも聞こえた。

 校舎は四階建てだった。それぞれの階には四つずつ教室があるようだったが、どの教室を覗いても生徒の姿はまばらにしかなかった。


 「ここには何人ぐらいいるの?」


 問い掛けると、佐々木は念仏を止めて、眼鏡の奥の目をパチパチと数度瞬かせた。


 「さぁ…たぶん百人ぐらいだと思う…」
 「みんなどこにいるんだ」
 「大抵の人は、寮に閉じこもったりしてるから、授業に出てくる人なんか稀だよ」
 「みんな逃げようとはしないのか?」


 率直な質問に、佐々木が口を噤む。暫くの沈黙の後、佐々木は掠れた声をぽつりと漏らした。


 「お願いだから、逃げようなんて考えないで」


 酷い目にあうから、と続けられた。輝樹には、佐々木の言う酷い目というのが具体的に想像出来なかった。想像出来ないからこそ不気味だった。

 久美子が「酷い目ってさ」と鼻で笑っている。

 体育館の近くまで来た時、ジャージ姿の男たちと擦れ違った。輝樹が視線を止めたのは、その男たちが生首箱を持っていなかったからだ。その内の一人は、小脇にサッカーボールを抱えている。

 サッカーボールを抱えた男が輝樹に目を止める。健康的な肌をした少年だった。年は輝樹よりも年上そうだが、一緒にいる三人の男達よりかはずっと若く見えた。高校生ぐらいだろうか。


 「こんにちは」


 極自然に少年は挨拶をした。強ばりも陰鬱さもない、屈託のない声音だった。


 「こんにち、は」


 この学校に来て、初めて普通に挨拶をされた気がする。どもりながらも輝樹も返事を返した。少年が嬉しそうに目を細める。


 「もしかして転校生?」
 「はぁ、まぁ」
 「サッカーできる?」


 唐突な問いかけに、輝樹は目を白黒させた。小学生の時、地元のサッカークラブに所属したことがある。母親が二度目の再婚した際に引っ越して、結局半年間しか出来なかったけれども。


 「できますけど」
 「本当? 今からフットサルするんだけど参加しない? フォワードがひとり足りないんだ」


 少年が目を輝かせる。手の中でサッカーボールを転がしながら、少年は気安い口調で輝樹を誘った。その周りにいる男達も、にこにこと朗らかな笑みを浮かべている。

 まるでクラスの人気者ばかりが集まったグループだ。成績も運動神経もよくて、イジメなんかしなくて、当たり前のようにリーダーシップが取れるような奴ら。だが、この学園には似つかわしくない。


 「ちょっとあたしのこと忘れてんじゃなーい?」


 相手にされないことに拗ねたのか、久美子がふてくされた声をあげる。少年は軽く腰を屈めると、生首箱に収まる久美子と視線をあわせた。


 「こんにちは。貴女のことは何て呼んだらいいかな?」
 「久美子よ、くーみーこー」
 「素敵な名前だね」


 文章だけ見ればお世辞とも取れる言葉を、少年は何のてらいもなく口に出した。久美子は満更でもなさそうに、ククと小さく笑い声をあげた。


 「解ってんじゃん、あんた。なかなか良い奴ね」
 「ありがとう。これからも仲良くしてくれると嬉しいな」


 久美子がツインテールを揺らしながら、どうしようかなー、などと漏らす。不意に服の裾を引っ張られて、輝樹は佐々木の存在を思い出した。佐々木は輝樹の影に隠れるようにして、少年達を恐る恐る眺めている。


 「もう行こう…」


 怯えた声だった。どうして、こんな友好的な連中を怖がっているのか理由が解らず、輝樹は顔をしかめた。

 佐々木の姿に気づいたのか、少年があぁと小さく声をあげる。


 「あぁ、佐々木くんもいたんだ。校内を案内してる途中なの?」


 佐々木は俯くだけで答えようとはしない。代わりのように輝樹が「そうです」と答えると、少年は肩を軽く竦めた。


 「じゃあ、邪魔出来ないね。また今度誘うから、その時はよろしく」
 「あのっ」


 去ろうとする少年を、思わず呼び止めていた。少年が首を傾げる。


 「あの、何で、あなた達は、その、アレをもってないんです?」
 「アレ?」
 「だから、これ」


 久美子が入った生首箱を軽く顎で指す。すると、少年は合点がいったように小さく頷いた。


 「僕らは彼らと一緒に行動しない事にしているんだ」
 「そんな事が出来るんですか?」
 「彼らから了承を貰えればね」
 「あたしは許さないからね!」


 輝樹が露骨に顔を緩めた瞬間、久美子からの怒声が飛んできた。折角久美子と離れることが出来ると思ったのに。少年が笑い声を零す。


 「それに、恐れ多いだろ?」
 「恐れ多い?」
 「神様と並んで歩くなんでおこがましい」


 ポストは赤い、と世の中の常識を言うかのように少年は口に出した。その瞬間、輝樹の身体は強張った。ミチルの言葉を思い出した。


 『生首を神として崇めている自称信仰家のグループ』


 少年は輝樹の戸惑いを気にとめることもなく、ゆっくりと右手を差し出した。


 「高田マコトです。よろしく、皆川くん」


 高田が迷いなく輝樹の名前を口に出したことに驚いた。唖然としていると、高田は慌てたように弁解した。


 「蒲野先生がさっき、あっ、蒲野先生って知ってるかな。生徒指導の先生なんだけど、今日転校生が入るって言ってたから名前知ってたんだよ」


 別に僕怪しい奴じゃないから。そう一生懸命弁明されれば、これ以上疑うのも悪い気持ちになってくる。差し出されたままの手をゆっくりと握りしめると、高田は頬を緩ませた。


 「今度は一緒にフットサルしよう。約束な」


 そう言って、高田達が体育館へと消えていく。高田達の姿が見えなくなった頃、ようやく佐々木が輝樹の影から出てきた。


 「悪い奴じゃなさそうだな」


 独り言を漏らすと、佐々木は信じられないものでも見るかのように輝樹を凝視してきた。生首箱を両腕にきつく抱き締めたまま、物言いたげに唇を数度震わせたが結局何も言わずに俯いた。

生首学園

生首学園

ある日、空から少女の生首が降ってきた。 「可哀想な奴。あんたの中身はこんなもんよ」と生首は嗤う。 生首だらけの学園でのダークファンタジー。 ※所々にグロテスク表現がありますので、苦手な方は閲覧はご遠慮して下さい。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-02-05

Copyrighted
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Copyrighted
  1. 01 生首は落ちる
  2. 02 生首は喚く
  3. 03 生首は唄う
  4. 04 生首は箱の中
  5. 05 生首は落ちる
  6. 06 生首は神様