鬼退治マニュアル

らすぼすたおせよ
ぼくにはむりだよ
らすぼすぼくだよ

ぼすさんたべたの
たべたのぼくなの
おいしくなんかなかったの
とりかごでそだてられたの
ぜつぼうさんがわらってる
とってもたのしげにわらってる

むじかくなんかじゃないから
いつだっていたくてたまらん
のうみそきゅってちぢむくらい



とーちゃんがわらってる

きみだけぼくのむすこじゃないよ
きみだけおやつははんぶんです
きみだけてれびはさんじゅっぷん
きみだけねるのはよるのくじ

ずっとてーぶるにあたまぶつけてなさい
(きみだけたのしくさせません)
きみだけいちえんもたすけたくない
(きみだけしあわせになんかしないから)

きみだけうそはいけません
(きみだけぜんぶはなしなさい)
(きみだけくらさはぜったいおしえません)

きみだけよくしっぱいしなければなりません
(きみだけいじめられなければなりません)
(きみのともだちたべちゃうぞ)

きみだけぼくはすべてをひていしつづけます
(きみだけなじられつづけなけばなりません)
(きみだけせかいにひていされるのです)
(きみだけいきるしかくがないのだから)


きみだけせいかくのかいぜんにつとめなさい
(きみだけかいぜんしてもむいみだけれど)
(きみだけすこしでもふかいにさせないで)

きみだけじぶんのことはかんがえません
(きみだけ「ほんとうに」やさしくなるのです)
(きみだけ「ほんとうに」みんなのためにいきなさい)
(きみだけほんとうにしんでいいのだから)
(きみだけいつでもいけるようにいきながらにしになさい)



とーちゃん
たまにとってもくるしそう
とーちゃん
そうちょうにこーひーのむときは
きまってぼーっとそとをみていた



とーちゃんは
支配できる人が欲しかった

ばかにして、こけにして

なじって、おこって

そう言えば何しても
ありがとうもごめんもなかった



ぼくはすこしあたまがおかしい

ぼくはせいめいいじかんかくきかんの
いじょうはったつしゃか
そうだろう

ぼくはひとにぼくをあずけれない
すこしでもそのけがしたら
ぜっきょうするんだささやきくんが
きもいきもい、ぼくはきもい
ぼくにあずけるしかくはないと
ぱにっくぱにっく
ぜんぶめちゃくちゃになるくらい

ぼくはひとのしはいがこわすぎる
ぼくはひとのしはいをはねのける
せいめいいじかんかくきかんが
まっかにてんめつ、あぶないあやうい
ぼくにいきるしかくがないから
それにきづいたしはいしゃは
うるとらまんのにんぎょうが
こてってころがるみたいに
やさしさはいろをかえてぼくをころすの



ぼくにはうまれながらにほとんどちかい
うまらなさがいる
ぼくがぼくらしくなったとたん
ぼくはしぬのだとぼくはしんじている
ぼくはしぬ、というのはいんゆでもなんでもなく、しぬ、なのだ
ぼくはひどくきもちわるいやつ
うまれたときからそうおしえられたから
ぼくはきもちわるいやつなのだ
そうしんじるほかないのだ
ひどくきもちわるいぼくははいじょされなければならないこのせけんにおいてはみでるやつはこてんぱん、なのだ だいじなのは「ひどく」きもちわるいてんだ どうこてんぱんにしてもねっこがかわれないぼくはさいごにはしぬのだ、と、しらなければよかったのにそうしんじているのだそうそだてられたから


はがいじめにしてそだてられた
ちいさなはながいる
ぼくはひどくきもちわるいやつで、そのひどくきもちわるいぼくをせけんにたたせるためのじゅっかいが、ちいさなはなだ
ちいさなはなはまちがっていないのだ「正しい」のだ。かんぺきなのだ
ひとじゃないくらいにかんぺきだから
ぼくはくるしくてたまらないメソッドどおりにいきなければぼくはせけんにはいじょされるけど、「メソッドどおり」はひとらしさがなくて、ほとんどしんでいるもどうぜんなのだぼくはくるしくてたまらない



僕は僕らしく生きなければならない。
何故ならメソッド通りは完璧だから、僕に関わり、僕を知る存在になりえる人(達)は僕を見たとき悲しむかもしれないからだ。
この苦しい十戒が、僕を知ってくれて意識の中に置いてくれる僕にとって大切な人(達)を僕と同じように縛ってしまいかねないからだ。
それはとても悲しい。


自分のままに生きる事

かなりのリハビリが必要?
スイッチみたいに簡単?


僕は神様でも仏様でもない。(ましてアイドルでもなく動物園のパンダでもない。)
その他大勢の中の1人の人間だ。
今までだって僕の生き物の部分は見えているはず。
獣は悲しんでいたから獣なのだきっと。
そして獣だから僕に唯一やさしいだろう。


※※

人はいつでも生き物らしく、生きてるのだろうか。あるいはいつでも生き物らしく生きて良いのだろうか。

戦争はある意味生き物らしい。究極的に生き物らしいからどの生き物よりも戦争をしている人間は醜くうつるのかもしれない。

生き物らしさは醜さにも近い。
生き物らしさは自分の為(自分の安心、快楽の為)に行動することに近いから、「他の生き物」を排除する事に近い。「醜さ」は他の生き物もしくは自分のなかの他の視点が、そう判断するものだ。排除される側からみたら、「自分の為に動いている生き物」が、自分(排除される側)にとって害であり、その害を醜さと脳が表現するだろう。
しかし、少し考えてみると、それを醜さ、と表現する本当の脳の持ち主である排除される側の生き物も、それを醜さ、と叫ぶことは生き物らしい行為だ。叫ぶことは排除されそうな自分を生かす行為だからだ。なにがなんだかわからなくなってきた。


※※


人が仏様になるのは、たまに、でいいのかもしれない。生き物らしく生き、僕を知ってくれる人を十戒で縛らせない、と言う意味で。そういう意味で僕はやさしさが強さにとって中枢の一部品であってほしいのかもしれない。
死ななければ、その人には希望がある。
人は人として他人が(精神的にも)死なないように少し気をつけながら、自分らしく生きて危うくなればたまに仕方ないなあ、と楽しく仏になればいいのかもしれない。

かもしれないばっかりだ。しかし新しい空気だ。新鮮な空気が脳に吹き込んでくるみたいだ。心持ちすっきりだ。ハンターハンターのキルアが脳から洗脳の針をえぐりだした時みたいだ。


※※※


しかし
僕は僕が僕らしく生きた時、「ひどく」とまでは行かなくとも、けっこう、偏った個性がある、という自負がある。それは父の影響とかでなく、他からの経験的な、笑えるタイプの偏った個性だ。多分。明るくもあると信じたい。
僕を自分の意識に置いてくれている人に不快になってもらいたくない。(は建前に近い。僕の好きな人?にずっと僕を意識の中に置いてもらいたい。僕を好きな人?にずっと僕を好きでいてもらいたい)。



ほどほどに

ほどほどに

正々堂々カッコつけて生きたい

相手を不快にさせない
心地よい格好良さを目指して

鬼退治マニュアル

鬼退治マニュアル

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 青年向け
更新日
登録日
2017-04-29

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