親友
小学校の遠足で動物園を訪れたときだった。
「絶対に餌を与えないでください」
猿山の柵の前に立て掛けられた看板と先生の言葉に僕らは元気よくはーい、という返事をした。
そして先生がいなくなり自由行動が始まった途端に数人の生徒が猿山に向かって道端の石やもってきたお菓子を投げ出した。
それをおもしろそうに観察する生徒が数名。注意すべきかどうか悩む学級委員が一人。猿山に何の関心も抱かずその隣のペンギンに興味を示す生徒が大半だった。
それを遠くから一人じっと眺める生徒が僕だ。
猿山にいるボスと、誰にも馴染めずにその集団の和から外れた1匹の猿がまるで自分のようだと思った。
そして今そのはぐれ猿目掛けて石を投げている集団に僕はいじめられていた。
僕らは檻の中にいる猿たちと同じだ。
この世界では組織に属してなきゃ負け犬というレッテルを貼られる。
だけど誰も助けちゃくれない。
大人たちはルールに従って猿たちに餌を与えて後は放置するだけ。
ナワバリ争いがある分猿の方が人間以上にシビアなのかもしれない。
強きものが正義で弱いものが悪なのだ。だから弱いものに何をしても構わない。そんな異常なルールが当たり前のようにこの世界に蔓延っている。
学校へ行くと必ず上履きの片方がなくなっている。
ランドセルはいつの間にかカッターでぼろぼろに傷つけられていた。
放課後はいつも家から盗んできたお金をいじめっこたちに渡す。
それはどう考えても小学生が払えるような金額ではなかった。
クラスメイトたちは当然明日は我が身なので誰も止める人間はいなかった。
教師に相談しても無駄だった。
彼らも保身のため組織ぐるみでいじめを隠蔽することしか考えていなかった。
寧ろいじめなんてなかったことにしたいのだ。
僕はいつも想像した。
僕が死んだらボス猿たちはどんな顔をするんだろう。
いじめを見て見ぬふりした教師たちは一体どんな顔でテレビのインタビューを受けるのだろう。
おかしくて涙が出そうだった。
しかしそんな僕にも親友がいた。
そいつは誰とも群れない、一匹狼みたいなやつだった。
僕も一人だったから彼と気が合い、いつからか行動を共にするようになった。
僕らは大抵暇な時は図書館で過ごした。
その時間が色んなしがらみから唯一解放される瞬間だった。
彼の親は公務員で、彼自身もとても真面目な性格をしていた。
頭もいいし、誰とでも分け隔てなく仲良く出来る。
だけどそんな僕らも度々口論になることがあり、翌日手紙を書いて謝るのが通例だった。
そして僕が凄惨ないじめに遭っているのを見兼ねて担任に報告したのも彼だった。
そんな温厚篤実な彼がどうして僕のようななんの取り柄もない人間とつるむようになったのか不思議でしょうがなかった。
でもあるときその謎が解けた。
中学三年になり受験が始まると塾や勉強で忙しくなりいじめは自然消滅した。
しかし相変わらず僕は落ちこぼれだったので何とか猛勉強して第二志望の学校に受かることができた。
そして僕の親友は第一志望の学校に推薦で合格した。
お祝いの言葉をかけようと職員室を覗いたらちょうど彼と担任が話をしている最中だった。
「お前が三年間あいつの面倒見てくれたお陰だ。お疲れ様。これで晴れて自由の身だな!」
「はい」
そのとき僕は全てを理解した。
僕は利用されていたのだ。
この三年間彼の内申を良くするためだけに僕と友達のふりをし続けた。
いじめを受けた時よりもショックを受けている自分がいた。
そのまま僕は職員室には入らずに下駄箱へ向かった。
彼は一匹狼ではなくただの蝙蝠だったのだ。
「おはよー」
学校へ行くと元猿山のボスたちは当然のように僕に挨拶をした。
いじめなどまるでなかったかのように。
今ではただのクラスメイトの一人としか認識していないのだろう。
でも今の僕はそんな彼らの単純さがただ微笑ましかった。
この檻の中は窮屈で鬱蒼としていて、彼らがいじめに走ってしまうのも無理はないのかもしれない。
完全に恨みはないとは言い切れないが、この頃には少しだけ彼らの横暴を許せるようになっていた。
「おはよう。今日卒業式だな。何だかさみしくなるな」
そして彼もある意味被害者なのかもしれなかった。
周りに優等生を求められ、ルールに縛られて生きるしか出来なかった。
その手枷となっていた僕とやっと離れることができて彼はさぞ喜んでいることだろう。
だからこのときの彼の言葉が本心かどうかはわからない。
だが僕は彼のお陰で死ななくて済んだし彼は希望の進路に進むことができた。
それで十分だと思った。
「そうだね。これからも元気で」
全ての感情に蓋をして僕らは最後まで「親友」で居続けることを選択した。
その日を最後に彼とはもう会っていない。
彼が今何処で何をしているかはわからない。
しかし僕はあの時間が無駄だったとは思っていない。
自分の感情をぶつけ合った人間は彼が最初で最後だった。
僕は今でも一方的にだが彼を親友だったと思っている。
彼が誰よりも冷酷で狡猾な人間だと一番に理解しているのは僕だからだ。
そして全てを許せる日が来たらまた君に会いたい。
親友