なさけないよドック

天気が変わりやすく

 夜空を見上げて瞬きを三度ほどした。と、蠍の心臓の向こうでスフィンクスがクシャミを吐き、散った砂は星屑をチラチラと反転させた。バッタが跳ねて突撃したあの肉のゴム音が肌を伝わって涼しく背筋を振動させた。湿気た酸素と潮気のやる気のない香りが鼻孔をコジアケル。それで気づく。また夏が来たと。
 それが自転車をこいで夜道、そう、夜道である。耳の奥に奏でるメロディを取り入れていた。昔、小さな機械に取り込んで何度も聞いた音楽を何度もリピートして聴いていた。周りは殺風景な公園。芝生には光が射していない所為か海の奥深くに住むクジラの髭の様に踊っていた。そこに時たま吹きかける。風の影響で錆びた声で喋る青いブランコがあった。塩水を喉の奥に湿らせた婆みたいだった。それで僕は自転車から降りてそのブランコに座った。いや、座ろうと思ってそこに近づいた。それは一種の自惚れからの行動であった。誰もいない空間の中で七面鳥の仮面を被って手を叩いて剣の舞を踊りたくなる、と言った感じだ。で、僕はイヤホンからはポップ的な音楽を流し頭のスピーカーからは剣の舞を流した。そこまでは良かったのだが、そこからが良くなかった。僕が座ろうと近づいた青いブランコには先客が居たのだ。しかも。フクロウの仮面を被った奴だった。白い両手が冷たい鎖を掴んでいた。おまけに赤いワンピースときた。どうやら女らしい。革靴を履いて白い靴下が姿を見せ、暗闇にボゥと浮いていた。勿論、息を止めて驚く。あと、気持ち悪いと思ったし、こんな時間にこんな場所に居る奴が僕のほかに居るかと言うのと僕と同じ思考回路の人間が居る事にもある種のドッペルゲンガーの様に思えて、もう何だか可笑しくなった。
「夜行性ですから」
 ガラス瓶に冷気を注いで鳴る様な声だった。そんな透明度の高い女の声が僕に対して言った。
「気味が悪い仮面だと思っていますか? ちなみにエゾフクロウです。はい。この仮面のモデルはエゾフクロウですから」
 今度はピクリとも皮膚の筋肉が動かないその顔を動かしてこっちを見た。どうやら、この仮面のモデル。エゾフクロウと言うらしい。知るか。
「貴方、久しぶりに緊張の多忙から逃れて、キチガイゲージの鬱憤を晴らそうと此処に来たのですね、しかも貴方は今、この状況の中でも剣の舞が脳内で再生されていますね? 私は何でも知っていますよ、なんせ私は森の物知り博士ですから」
 その通りだ。僕の頭の中では指揮者が通常の1.5倍の速度で指揮棒を振っている剣の舞が流れている。こいつ何故、僕の考えている事が分かったと言うのだ?
「さて、ここで問題です。他にも私は森の哲学者と呼ばれる異名を持っていますが。私の正体は一体何でしょうか? もう一つ付け加えるならばフクロウは肉食ですから」
 再び。夜の空を見上げた。何処かで星が今にも落ちてきそう……と言う言葉を聞いた事があるが、まさにその様な言葉を体現していると思った。もしかするとこの夜は、黒いゴミ袋を被されて、大きな巨人の子供が爪楊枝で刺して開いた穴ではないかと思った。その穴から外の光が漏れ出しているのだと。そんな逃避を一瞬した後に、また、目の前で青いブランコに座っているフクロウ女を見た。あぁ。やっぱり、この夜遅くから出歩くのは辞めておくべきだと思った。変な奴しかいない。
「あっ、雨です。野生動物は水が苦手なのです。そう言う事です。つまりです。私は雨宿りをしないといけないのです」と簡潔に述べて「ですから、今晩はこれで」と言いフクロウ女は楽しそうにスキップをしてクジラの髭を駆けて行った。雨の雫は全く見えなかったが感触と体温を吸い取る事でそれを実感出来た。僕は視線を戻した。フクロウ女の居た場所に。だが其処には今まで居なかったと言うように青いブランコは静かに停止していた。
僕は蟻のションベンと混じった匂いのする雨に打たれながら停止した、ブランコに座った。夜空を見上げると星はもう何処にもなく、ただ黒い天井がたまに揺らいでいた。
 それで唇に必要以上な潤いが与えられた時に思い浮かんだ。
「フクロウ女の正体が分かった」
 不自然だった。人が押す様にして一つの風が僕の自転車を倒した。鈍い音がズンと鳴ってついでに僕の心臓もズンと響いた。夏はまだ始まったばかりだ。明日も此処に来てみよう。彼女にまた会えるかもしれないし……。と、物語のページを後ろから捲る感覚でブランコから立ち上がった。

なさけないよドック

なさけないよドック

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-04-24

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