負けるが勝ち

 旅行やガーデニングが楽しいゴールデンウィークには我が家の狭い庭にも陽の光がふりそそぎ、さわやかな風がそよぎ、可憐な花が咲く。しかし、いい事ばかりは続かない。今年も梅雨どきになると雑草や虫が勢いをつけ妻との闘いが始まる。どのような状況になっていくのか見ものである。
 私はかつて新築の家を持った時、公園で可愛らしい花をつけたカタバミを見つけ、一株もって来た。そして雑草も庭のアクセントになるだろうと思って片隅に植えた。これが間違いのもとだった。やがて花がつき、種を飛ばした。はじめはそれを見て喜び、警戒心を持たなかった。翌年になると多年草のカタバミは根と種の両方で所かまわず増え始め、三年目は庭中に広がった。
「だから、雑草など植えないでね、と言ったでしょう」と妻に笑われた。
 この強いカタバミに困って駆除しようとしたが効果的で楽な方法は無かった。ちょっと触れただけで種はパッ、パッとはじけ飛ぶから始末が悪い。結局、まだ種が飛ばないうちに、一本一本深い根を引き抜くことしか解決方法はない。腰が痛くなるから楽ではないこの作業を徹底的に続けて1,2年たち、効果があったと喜んだのもつかの間、オヤッと思った。カタバミがほぼ無くなって安心していたら、今度はオオバコが我が物顔に増えている。我が家の庭で雑草に生態系の交代が起こったようだ。この現象に興味を持ったが、それはさておき、オオバコ退治にまた2,3年かかった。オオバコを押さえ込んだらナズナとドクダミ、その次は・・・、というように新手の雑草が次々に庭を占領した。きっと鳥や風によって、あるいは靴の底に着いて種が運ばれて来たのだろう。妻に聞こえるから大きな声では言えないが私の手でこっそり植えておいたのもまだあったようだ。そんなこんなで私の悪戦苦闘は終わることがなかった。根絶したと思っていたカタバミ、オオバコでさえも毎年庭のどこかに顔を出し、完全に絶やすことは出来なかった。とどのつまり、雑草との戦いは私の完敗である。
 私が病気になってからは妻が庭の管理をしている。妻にとっては心外だったろうが、やむを得ない選手交代だ。心配しながら見ていると、妻のやり方は私とは大分違っている。私がやっていたように隅々まで一本残らず引っこ抜こうとはしないで、花摘みに出た時に伸び過ぎた草だけを何本か抜いているだけである。時間もかからない。カタバミもオオバコもナズナも小さいものは残したままだ。私から見れば妻のやり方はいい加減のようだが、そのほうが合理的かも知れない。雑草と闘って勝てない事を知っている妻のほうが賢いのではないか。
 それで庭はどうなったか。私は小石を並べてきちんと境界線をつくり、夫々の場所に草花を種類分けして規則的に植えていた。このほうが雑草や虫が入らないし、庭全体の模様としても綺麗だと思ったからだ。ところが、妻は境界線にはこだわらず草花をオーバーラップさせたり、同一種類を庭のあちこちに散在させたり、同じ所にいくつかの種類を寄せ植えしたりしていた。私の庭はいかにも人工的だったのに対して、妻の庭は雑草さえも少し混じって自然のグラデーションをかもし出している。いつの間にか生えてきたコケも庭の一員として役に立ってきた。私とは決定的に違うやり方だ。私は猫の額ほどの我が家の庭も、好みや管理の仕方がかわれば、フランス風にもイギリス風にもなって面白いものだと思った。私の後任者として妻は適任である。
 でも一つだけ懸念されるのは、彼女の虫嫌いだ。ある日の夕方、私がまだ元気だった頃、ゴキブリが外から飛んできて妻と廊下で鉢合わせして家中大混乱になったことがある。探して退治してくれなければ夜も眠れないと妻に泣きつかれる始末だった。また、ゴキブリといえばエジプトのアブシンベルのホテルに泊まった時のことを思い出す。この建物は周りがブーゲンビリアにかこまれ、部屋からはナイル川の水を湛えたナセル湖がすぐ目の前に見える。気を良くしていた妻は、出発の朝に洗面所に入っていった。途端に悲鳴が聞こえた。シャワーカーテンの陰に日本では見た事もない特大のゴキブリを見つけるや否や飛び出してきたのだ。私はなんとか落ち着かせたが、震えの止まらない妻によってホテルの評価はさげられてしまった。
 と言うわけで、我が家の庭でも一旦葉の陰に毛虫を見つけると「キャー」と言って家の中に駆け込む。家の中では敵無しの妻も庭ではからっきし駄目である。気を取り直して再び庭に出るのはいつになるやら。3日後か一週間後か分からない。私は妻に、早くミニトマトを収穫しないと折角の実が駄目になってしまうよ、としつこく催促する。そして、恐がってへっぴり腰でトマトをとろうとする妻の様子を見て笑う。幸い、雑草で閉口して笑われたことに対して私がリベンジしているとは思っていないようだ。しかし私の楽しみもすぐに終わる。再び毛虫を見つけたら今度こそトマトも花もほうりっ放しにし、妻は滅多には庭に出なくなる。庭に出るのは裏庭でラベンダーの花摘みをする時ぐらいだ。その花束をアロマテラピー用に寝室に置きたいという。
 こうして妻が育てた(?)雑草が茂れば秋ごろにはキリギリスやコオロギ、カネタタキなどにとっては住みやすい庭になる。夜がふけて、庭から虫の音が聞こえてくるのもなかなかいいものである。そして、秋が終わり冬が近づくと、我が家のレモンが色づき、収穫をするころには虫は姿を消す。まもなく雪が降り雑草との戦いは終わる。平和になった庭では正月にもなると、妻は孫娘の雪だるま作りの相手をする。楽しそうだ。めでたし、めでたし。
 庭作業を見ると私は妻にかなわない。どうしてか。それは彼女が「負けるが勝ち」を自在に実践しているからだと思う。私も見習うことにしている。家庭(家の庭)では妻に負けたほうがよさそうだ。どちらからともなく「ごめんね」と言っていれば我が家に夫婦喧嘩は起こらず、大体において平和が続く。
2017年4月22日

負けるが勝ち