人食いサクラの怪(作・氷風呂)
お題「桜」で書かれた作品です。
人食いサクラの怪
桜がきれいだな。Aはビールを片手に桜を見つめながらそう思った。隣のBやCは騒ぎ疲れたのか眠ってしまっている。今は真っ只中で、暖かい陽気に包まれている。
花見をやろう。最初はCのその一言で始まった。Aはあまり乗り気じゃなかったが、Cのあまりの強引さにその誘いにうなずくことしか出来なかった。
「二人じゃ物足りないな」
Cはそう笑い、いつも暇人のBをAと同じように強引に誘った。AはBを少しだけ可哀想に思ったが、Bに貸していつまでも帰ってこない5000円を思い出し、その考えは消えた。Aたちは缶ビールと缶チューハイを数缶買い、おつまみを数個買った。そして、知っている中で、一番大きな公園に行き、一番大きな桜の木がある丘の上に陣を取り、レジャーシートを広げた。丘の下では、Aの予想以上にたくさんの人たちが同じように花見をしていた。
「結構、いるもんだな。」
Aは素直な感想を口にした。
「そりゃそうさ、今が花見のピークだからな。混んでる中でこんな良い所を場所取りできるなんて俺に感謝しろよ。」
Cは誇らしげにそう言った。Cが誘ったのだから、Cが場所取りするのなんて当然だろ、と思ったがもしそんな事を口に出したらまたうるさいのでAは言葉を飲み込んだ。
「お前が誘ったんだから、お前が場所取りするのは当然だろ」
BはAのそんな気持ちとは裏腹にぼーっとして何も考えてない顔でそう言った。Bは多分、なにも考えてないんだろう。Aは逆の意味で感心をした。Aの予想通りCは、うるせー、と言いながらBにたくさんの空き缶を豪速球で投げていた。。それらが全てBの背中に鈍い音をしながら当たる。Bは痛い痛い、と笑いながらされるがままにされていた。案外、満更でもないようだった。Aはそんな馴れ合いを無視し、公園を見渡した。Cが取ったこの場所は(Cには悔しいが)花見に絶好の場所だった。Aたちがいる小高い丘の下にはたくさんの人々とたくさん桜の木が立っていて、それを見渡せる事が出来る。Aから見たら無数の桜の木が風で一斉に揺れ、まるでピンク色の海だった。綺麗だ、Aは思った。それと同時にAは一つの疑問が頭に浮かんだ。何故、こんな絶景スポットが空いていたんだろう、と言う事だ。Cがさっき言ったように、今は花見のピークだ。こんな良い所を他の人が見逃すはずがない。もしや、他の人が場所取りした所をCが脅して奪ったのか、とも思ったが、Cはそんな事をする奴でもないし、する度胸もないような奴だった。きっとちょうど帰ろうとしている人達に交渉してる譲って貰ったんだろう、とAは自分で納得した。
「どうした?」
CはBの背中に空き缶を投げるのを一旦辞めて、Aの方を見た。しかし、Aは言う事でもないだろう、と思い、
「いや、なんでもないよ。」と言った。
Cは深く追求せず、そうか、と言って、Bに空き缶を投げるのに飽きたのか、空き缶を投げ捨て、新しい缶ビールを開け、ゴクッと一回喉を鳴らし飲んだ。
Bは突然この世界すら飲み込んでしまうのではないかと言う大あくびをした。
「眠くなってきた。寝るわ」そう言い、Bはごろんと横になった。
Cは少しBにちょっかいを出していたが、少し経つとBと同様、あくびをして、
「なんか眠くなったな、少し寝る。」
とぶっきら棒に言い、横になった。
Cが誘ったのに俺を置いて寝るとは何事だ、と思ったがこの陽気だ、仕方がないな、とも思った。この春の暖かい気温がAを温和にさせていった。Aはレジャーシートの真ん中で自分たちの上にある風で揺れる大きな桜の木を眺めていた。缶ビールまだ有ったかな、と思い立ち、Bたちが適当に買ってきたコンビニ袋を漁っているとふと何かが横をすごい速さで横切っていくのを見た。Aは最初、猫か犬かと思った。ここは広い公園だし、野良猫や野良犬が花見客の食料を狙いに来てもおかしくはない、と思ったからだ。しかし、その物体は自分たちのレジャーシートの周りをすごい速さでぐるぐると回っていることに気づいた。犬や猫でもここまで規則性のおる行動はしないだろうと思った。Aは目を凝らしたが、それでも何がそんな速さで動いているのか検討もつかなかった。
「お、おい」
Aはなにか怖くなり、横で寝ているBの体を揺らした。
「ふ、ふがっ」
へんな声を出し、また寝息を立てた。使えない奴、Aは心の中で毒づいた。Bを起こすのを諦め、高速で動いているものを目で追ったが、高速で移動しているものはもういなかった。代わりに目の前に奇妙なものがいた。これがAたちの周りを回っていた物の正体らしかった。高さは1メートルほどで、小さな桜の木のようだった。何故なら、桜の花が咲きほこっていたからだ。一見すると、苗木のようだったが、しかし桜の花が満開なのはおかしい。Aはまるで小さな桜のようだな、と当たり前の事を思った。そして、もっとも奇妙なことはその小さな桜の木は根っこの部分が、まるで生物のようにうねうねと動いている、と言う事だった。
「なんだ、これ」
いつの間にか起きていたCは、間抜けな声を発しながら、これまた間抜けな顔でこの奇妙な小さな桜の木を見つめていた。
「何だと思う?」
Aは言った。
「さぁ?木の着ぐるみした猫とかかな。」
「こんなリアルな着ぐるみないだろ。どこからどう見たって、桜の木じゃんか。」
「俺に言われてもわかんねぇよ。ちょっと近づいてみるか。」
Cはそういう言うやいなや、その桜の木に近づき、無用心にもその木に手を伸ばした。
「お、おい」
直感的に危ない予感がした。なにか危ないから手を伸ばすのはやめておけ、とCに警告しようとした。それは少し遅かった。突然、Cの伸ばした右腕は消えた。一瞬の事だったが、Aは確かに見ていた。その小さな桜の木は、ガパァという音と共に木の幹が口のように開き、Cの伸ばした右腕に噛み付き、引きちぎった。突然のことだった。
「え……」Aは理解が追いつかず、間抜けな声を出した
「うわぁぁぁぁぁ!!」
突如、Cの絶叫が公園内に響き渡った。
消えたと思ったCの右腕は目の前にいる小さな桜の木の口のようなものの中に収まっていた。そして、桜の木はCの右腕を咀嚼し始めた。目玉はなかったが、まるで人面樹のようだ。Aは思った。バキッバキッという何か硬いものが割れる音が響いた。骨だろうか、とAは恐ろしいほど冷静に思った。
「な、何!何事!?」
BはCの絶叫で飛び起きたらしい。あまり事態が飲み込めてないようだった。
「え、何。何が起きたの?」
少し泣きそうになりながらBは言った。
Aは段々我に戻って来た。スローになっていた時間がまた動き始めていた。それを自覚すると同時に体は勝手に動き始めていた。
「と、とりあえず逃げるぞ!」
Bに叫び、未だ痛みで苦しんでいるCを左肩に手を回した。
「え、おいちょっと。」
Bの声を無視し、丘から降りようとした。目の前にはいつの間にか、あの小さい桜の木が立ちはだかっていた。。回り込んだらしい。
「ウガッ!ガァッ!」と犬の鳴き声のようなものを人面樹は発した。威嚇のようだった。
「こいつが…こいつが、Cの腕を食ったんだ。」
Aは震える声を抑えながらBに状況を説明した。Bはあまり信じられない様子だった。
「はぁ?どう言う事だよ。」
「詳しく説明してる暇はないよ。とりあえず、こいつから逃げるぞ。助けを呼ぶんだ。」
困惑するBの方から視線を外し、前を向いた。まだ人面樹が立っていた。Aは人面樹を睨みつけた。実際は5秒ぐらいだったが、Aの体感としては10分ぐらいだった。人面樹がAたちに襲いかかろうと動き出した。その瞬間、レジャーシートに置いてあった缶ビールを人面樹の方にぶちまけた。人面樹は驚いた様子でもがいている。缶ビールは苦手なようだった。
Cを担ぎながら丘を駆け下りる。花見客が見える。自分たちとは裏腹に花見を目一杯楽しんでいる様子だった。
「たすけてくれ!友達が怪我してるんだ!救急車を呼んでくれ!」
Aたちが救急車を、呼んでいる暇は今は無かった。人面樹がいつまた襲ってくるか分からない。他の人に助けを乞うしか無かった。しかし、その呼びかけに反応するものは誰一人いなかった。まるで、自分たちのことが見えていないかのように自分たちの事を無視していた。
「お、おい!助けを呼んでくれよ!」
近くにいた騒いでいるサラリーマンの肩に手を置いた。しかし、置いた手は振りほどかれてしまった。その瞬間、サラリーマンがAたちの方を向いた。その顔をAは忘れられないだろう。その顔は明らかに怯えていた。その顔だけで、私たちには関わるな。私たちは関係ない、と言っているようだった。その顔も瞬間ですぐにまた騒いで笑っているサラリーマンの顔に戻った。周りの人も自分たちを無視している。
「な、なんで。」
Aは愕然とした。何かとんでもない事が起きているのではないか、とそう思った。
「おい!」Bの怒鳴り声で我に帰った。
「奴が、奴がいる。」
Aは今まで自分たちがいた丘の方を向いた。奴はいた。根っこをうねうねと動かしながら猛スピードで丘を駆け下り、こちらに向かっていた。
「うわぁぁぁ!」
Aは叫び、走った。しかし、追いつかれた。いつの間にかCの左脚に噛みつき、驚くほどの力で右腕と同様、引きちぎった。Cの絶叫がまた耳のそばで聞こえた。そして人面樹はまた右脚に噛み付いた。ものすごい力でCの体すら持ってかれた。
「お、おいっ!」
Aは人面樹の口の中に飲み込まれるCに手を伸ばした。Cも残った左腕を伸ばしたが虚空を仰ぎ、口の中に飲み込まれてしまった。
Bの顔が蒼白を通り越して真っ白になっている。Bが駆け出したのを見て、Aも同様に駆け出した。目の前には公衆トイレが見えた。サービスエリアにあるような少し大きい公衆トイレだった。
「このまま走っても追いつかれる。トイレに逃げよう。」
Aが言うとBは黙って頷き、トイレの方に向きを変えた。幸か不幸か人面樹はCを食うのに忙しいらしく、追ってこない。Aは泣きそうになったが堪え、トイレへと走った。
トイレはお世辞にも綺麗とは言えなかったが、特別汚くはなかった。男二人で真ん中の個室へと入る。外聞などを考える暇はなかった。
「あいつは…あいつはなんなんだ。」息を整えながら、Bは言った。
「分からない。」Aは正直に言った。
「奴は!奴はCを喰った!」
「そんな事知ってるよ!」
「それに、他の花見客は俺たちは無視した。なんでだ。」
それも奇妙だった。花見客は明らかに人面樹に追いかけられる俺たちに気づいていた。知っていて無視した様子だった。まるで、あの人面樹を知っているかのように。
「それも……分からない」Aはこれも正直に言った。
突然、トイレが震えた。地震のようだった。しかし、Aだけは何かの咆哮の様だと思った。その咆哮が終わったと同時に個室のドアの隙間からするすると木の枝が入ってきた。ヤバい、と思ったがこの狭い個室の中ではどうしようもなかった。
「うわぁぁぁ!」
Bの脚が木の枝に掴まれ、外に引きずられる。
「助けてくれ、A!」
Bの腕を掴んだ。と同時にAも外に引きずられる。外にいたのは同じ人面樹だったが、一回りもふた回りも大きくなっていた。10メートルほども巨大になっていた。
「こ、こいつ!Cを喰ったからか!この化け物め!」
Bの怒鳴り声とも叫び声とも言える絶叫が聞こえた。
Bはどんどん人面樹の方に引きずられている。AはBの腕を掴んでいるだけだった。このまま、Bと一緒にいたら俺も人面樹の方に引きずられてしまう。とAは思った。
「こ、この手は離さないでくれよ!絶対にな!」
Aの考えが読めたのか、Bがそんな事を言う。Aは涙を流した。涙を流したながら、Bに静かに言った。
「ごめん。」
Aは手を離した。絶望的な顔をしながらBは引きずられ、Aからは離れていった。ごめん、ごめん、とAは心の中で思い、涙を流した。Bの叫び声と同時に骨が砕かれる音。租借される音が聞こえる。Bを食うのに夢中なのか、Aを襲ったりはしなかった。ごめん、ごめんよ、と言いながらAは走った。走って走って走って走って走った。
いつの間にか、公園の外だった。公園の中を見ても人面樹の姿はなく、街の方を見ても何事も無いかの様だった。しかし、BやCの姿はなかった。
テレビやニュースやネットを見ても人面樹が人を襲った、などという事は言ってなかった。警察にも言ったが、もちろん信じてもらえなかった。そして、最も奇妙な事はBやCがまるで存在していなかった者の様になった事だ。他の友達に聞いてもBやCの事を知っている者はいなかった。BやCの親でさえも。そして、AすらもBやCの記憶は段々と薄れていき、やがて名前さえも思い出せなくなった。しかし、あの花見の日。あの公園で起こった事はいつまでも忘れなかった。
桜が綺麗だな、Aはビールを片手にそう思った。Aはあの丘が見える少し離れたベンチに座っていた。去年と同じように桜は綺麗に咲いていた。満開だった。今なら何故、あの丘の上だけが空いていたのか、が分かった。
突然、声が聞こえた。
「あっ!あの丘の上とか花見良さげじゃね?」
「良いねぇ、早く言って酒飲もうぜ」
若者数人があの丘の上に向かうのが見えた。Aは彼らを呼び止めようとしてやめた。何故なのかは分からない。しかし、それはしてはいけない事のように思えた。Aは桜に視線を戻し、また缶ビールに口をつけた。
完
人食いサクラの怪(作・氷風呂)