ファミレス

 俺がまだ高校生だった時分、同級生に蘆野友見というえらく可愛い女子がいて、そいつは茶髪でメイクばっちりの、普通カースト上位にいるような女だった。ああいう種類の女は他の似た女と集団を作って、四六時中連んでいそうなものだが、こと蘆野については一匹狼で、友達と呼べるような人間は一人もいないように見えた。蘆野は本当に、本当にめちゃくちゃ可愛くて、顔のパーツひとつとっても誰にも劣らなくて、指先に至るまで誰より整っていたので、蘆野に友達がいない原因はそのあたりにあるのかと思って、なるほど男子にしてみれば近寄り難いし、女子にしてみてもあんなのをそばに置いたら二割り増しに不細工にみえることだろうなと、勝手に納得していた。
 俺は蘆野が大変に可愛いので、遠目でなんとなくその挙動を追うことが多かった。高校生のころ、仲のいい友達というのがいなくて、誰ともなんとも話さないというわけでないけれど、休み時間に進んで駄弁ることなどはあまりなく、そういうただ過ごすだけの時間に、蘆野を見ていた。蘆野は俺よりも決定的に友達がいないので、どんな時でも一人だ。イヤホンを耳に挿し、手元のスマートフォンをいじくっていることがほとんどで、長い脚を組んで、背もたれに体重を任せて、指先を液晶にすべらせる様子は妙に色気がある。俺はいろんなことを考えて、素知らぬ顔で、蘆野をぼんやり眺めた。蘆野が俺に気づいていたかいなかったかはわからないが、蘆野のことを見ているやつは俺以外にもいくらでもいただろうし、盗み見るような仕草をする必要はなかった。大体俺は地味なので、誰の気にも留められないし、気が済むまで蘆野を見ていられる。俺は蘆野を曖昧に好きでいた。
 蘆野は一見近寄り難いが、話せばそれなりに会話できるし、愛想だって悪くない。なんだ、話してみればなんてことない、普通の女の子だ、というのが俺の感想。なんで誰も話しかけないのだろう、それと、なんで蘆野は誰にも話しかけないのだろうかと不思議で、蘆野は俺が話しかけたことにすごく驚いていた。俺は何も、妙なタイミングで唐突に話し出したわけでもなくて、ある時席が隣同士になって、休み時間に友達がいないので席を立たない蘆野と、同じく机に肘をついたままの俺とがいて、何か少し気まずかったので、これ好機とばかりに話しかけたのだ。気まずいと思っていたのは俺だけで、蘆野はいつだって気まずいようなものだから、突然話しかけられたも同然だったのだろうか。普通に笑ったり、話したりする蘆野もやはり可愛くて、俺は何か楽しくなってしまって、それから時々、少しだけだけれど、話すようになった。話す内容はいつも、とりとめない。蘆野は音楽や漫画や映画なんかには興味がなくて、だから、茶髪を褒めてみたり、次の授業はなにか、なんて言ってみたりするだけだった。
 通っていた高校は、すぐ近くに別の中学校があって、そこから進学してきた人が多く、蘆野もその一人だった。はじめ耳を疑ったが、蘆野は中学生の頃から少し大人びていて、なんでも援助交際をしているらしいという噂が実しやかに囁かれていたそうだ。その中学出身のやつはみんな知っているらしくて、その噂は高校でも広がり、俺のように交友関係に不自由していなければだいたいの人間は知っている、というのだ。だから誰も話しかけやしないし、蘆野も誰かに話しかけたりしないとか。だったら遠くの高校にでも進学すればよかったのに、とも思うがそれぞれの事情があるのだろう。高校決まってからバレた、とか。知らないが。
 噂は噂なのでバカバカしいと一蹴するのも簡単だが、どうにもたくさんの人から証言があるようで、ネオン街でサラリーマン風の男と腕を組んで歩いていただとか、ネット上にアップされているリベンジポルノの中にそれらしいものがあるだとか、というかそんなの聞かなくても持ち物や私服がどうも高価なものばかりだし、噂を否定しようと話を聞いて出てくるのはどれも、真実味を増すようなものだった。それに、誰も特に蘆野に恨みがあるというわけでもないらしくて、これは誰に聞いてもそうで、中一ごろは話したことがあるという何人かの人も、恨みを買うようなことは無かったというのだ。誰かが故意に噂を流したということでもないらしく、もっとも、蘆野自身肯定こそしないが否定もなく、これはもう、調べれば調べるほど黒、真っ黒もいいところだった。俺はそりゃ、多少のショックは受けたけれど、自分自身が蘆野をどう思っているのかとか、蘆野にどうしてほしいのかとか、そもそも蘆野が援交してたらなんなのかとか、色々考えて、考えた挙句に、まあ誰が何をしていても関係ないか、可愛いんだしなんて思って、気にしないことにした。法律が禁止してなきゃ、未成年が金で体を売ることの何が悪いのかなんて、感情論や倫理観の問題に過ぎないし、蘆野はどうもクールだから金を作ることをいやな風に考えることもないのだろうと、よく話すうちに思った。要は、援交してたって俺は蘆野が好きだった。
 蘆野はただ可愛いだけじゃなかった。頭もいいし、話はよく理屈が通っていて、そのうえ面白かった。賢い美人というのは俺は一等好きだったし、どうも趣味がないことだけがもったいなかったけれど、いい女という言葉が似合った。
 ただ、告白しようなんて思いは到底起きなかった。なにせわかりやすく高嶺の花だったし。釣り合わないほど蘆野はかわいいし、その上援助交際をするような精神性を持っている人間に付き合ってくれなんて、それこそバカバカしいと一蹴されかねないと思ったからだ。あんまり近くにいられる自信もなかったし、好きだけれどそれで特に何かを感じることもなかった。そのまま高校を卒業した。意外だったのは、蘆野も大学に進学したことだ。俺の進学した大学と同じ、そこそこの私立大学だ。学部が違ったからそれから学校で会うことなんてまるでなかったけれど。
 俺はそれから、いわゆる大学デビューというのを成功させて、軽音サークルで人生一番のモテ期というのを体験していた。俺はギターがそれなりに上手くて、音楽が好きで、趣味がいいとか落ち着いてるとか、なんかそんな理由でモテた。まあ理由なんてのは後から付いてきたもので、つまりはいろんなことを、うまくやれたのだ。
 高校の頃よりずっと充実していたと思うし、女だけでなくって、同じ趣味の同性の友達も、高校のころよりずっと多かった。しかし何か、毎日気だるくて、脳が呆けたような感じがして、講義に出たって話なんか聞いちゃいないし、やることといえば楽器をさわることと、無気力にバイトに行くこと、家に女を連れて帰ることだけだった。ずっと充実してるはずの時間をクソみたいに過ごしていた。
 俺が大学に入ってから4人目の彼女と別れたころ、食堂で、味もわからないくらいぼけっとカレーを食べていた時、あの、明らかにめちゃくちゃ可愛い、蘆野の姿が目に入った。あんまり久しぶりで、驚いて、いっぺんに目が冴えた。髪は黒くなっていて、服の趣味も前とずっと違うように見えた。なんというか、そんなに高いものを着ている感じはしなかった。俺はその時、ああ、これだと思って、俺がずっと呆けていたのはこれが原因だったのだと、嬉しくなった。陽気な気持ちのまま俺は、当然話しかけに行って、すると向こうも久しぶりだね、なんて笑って、少し話した。
 聞けば蘆野は、彼氏ができたらしかった。黒髪にしたのもそれで、中村明日美子の漫画を読んだとか、平沢進が好きだとか、エルトポとかってのがどうのこうのとか、そんなことを平気で抜かして、俺はへーふーんそうとか言いながら適当に相槌して、人って変わるもんだな、彼氏の影響ってでかいんだな、なるほどな、とか思って、久しぶりに話せて嬉しかった、また今度ね、みたいなことを言って午後の講義を受けた。多分もう援交なんかしてないんだろうな。大体もう二十歳か。割りのいいバイトもできるだろ。
 あーあ、みっともねえ。俺は走馬灯を駆け巡らせて、蘆野のことを思い出して、記憶でも実物でもとんでもなく可愛い蘆野のことを思い出して、国道沿いのファミレスで土下座をしていた。なんか知らんがある時連れて帰った女が先輩の彼女だったとかで、俺は全くもって覚えちゃいないのだけれど、ぶん殴られたりして土下座に至っていた。態度では謝ってはいるが強姦したわけでもなし、なんで俺が一方的に悪いことになっているのか少しも納得していなかった。はめられてるんじゃないだろうか。金銭を要求されるんじゃなかろうか。蘆野は、蘆野は彼氏を作って、援交をやめて、オランダのバンドの曲を聴いて、漫画の読み方もわからないとか言ってたけど、ロックなんか興味なかったじゃんか、映画だってなんでよりによって、あるだろ、もっと、陳腐な恋愛映画とかさあ。彼氏は知ってんのかな、蘆野が援交してたこと知ってんのかな、似合いもしないブランド物のバッグとか使ってたこと知ってんのかな。知らないんだろうな。俺は何がしたかったんだ。付き合いたかったわけでもないのに、俺は。よかったな、趣味が持てて、普通に恋して、よかったね、よかったね蘆野。俺は今、先輩の彼女に手を出したので、国道沿いのファミレスで土下座してます。

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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-04-20

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