連想ゲーム(作・ゆゆゆ)
連想ゲーム
それは三年間という短い高校生活の中ですぐに忘れ去られてしまうはずの瞬間だった。少なくても、僕を除く皆の中にあの瞬間を覚えている者はいないだろう。僕の脳裏に深く刻まれることとなった原因である彼女を含めて、誰も。
「ねえ」
発端は川西の明るい問いかけだった。妙に通るその声に、雑談に興じていた僕と村瀬も口を閉ざして川西の方へと顔を向けた。
窓の外で降り続いている雨のせいで髪がまとまらないらしく、毛先を指先に遊ばせながら、川西は言う。
「桜って聞いて、何を連想する?」
激突過ぎる質問に村瀬が首をかしげる。「何だよ、いきなり」
「いきなりじゃないよ。私たち、一応文芸部でしょ。だから、文芸っぽいことしようと思って」
「何だよ、文芸部っぽいことって」
「文句を言う前に答えてよ、ほら!」
立ち上がった川西に圧倒されてか、村瀬はおとなしく考え始めた。それから三十秒も経たないうちに呟いた。
「春」
「発想が貧相ね。もう少し凝った答えはないの?」
「凝った答えって……」
「何だよ、って言うんでしょ。私だって知らないわよ。だから聞いたの。私が思いついたのは、やっぱり村瀬と一緒で春ってこと。あと、卒業式と入学式。それとお花見……」
「じゃあお前も貧相な発想力じゃないか」
なによ、と声を大きくした川西と村瀬の間が騒がしくなり、雨音をかき消す。先ほど僕と村瀬が交わしていた雑談が戻ってきたようだった。一人取り残された形になった僕は、鞄の中から文庫本を取り出して表紙をめくった。
その時、僕が何を読んでいたかは記憶ない。さあ、読もうと文字に視線を這わせた瞬間、彼女の声が僕の鼓膜を震わせた。彼女の声はあっという間に僕の頭の中を乱して、いや、満たしてしまったのだ。
「死体」
そこまで大きな声じゃなかったはずだ。表現としては、ぼそりと呟くよう、が一番適切だろうと思う。しかし、川西と村瀬の喧騒の中であったというのに、その音は僕にはっきりと届いてしまった。
聞いてはいけないものを聞いてしまった。僕の頭を占めたのはそれだ。そしてその思いはいまでも残っている。
「何で?」
それでも僕は身体を駆け抜ける好奇心を押さえることができなかった。聞こえなければいいのに、そう思いながら僕は囁くように言った。
「……綺麗な桜の下には死体が埋まっているの」
僕と彼女、二人の間だけすべての音が遠ざかったかのように静かだった。彼女は窓の外を眺めるのをやめて、僕の瞳へ視線を向ける。黒水晶を思い起こさせる大きな彼女の瞳が心を揺さぶる。僕の脳内を乱したのは彼女の声の内容ではなく、彼女自身だったのかもしれなかった。
「それで?」
「私は、桜の下に埋まりたい」
「……どうして?」
「あれだけ美しいものの栄養になれるから。人間が桜の美しさに勝てるはずない。けれど、その美しさの元になることはできる」
彼女にとって僕との会話はそこで終わったらしかった。彼女は荷物をまとめて、教室から出て行く。僕は追わなかった。
「ねえ、あんたはどう思うの? 桜って言って連想するもの!」
「僕は……」
ぼんやりと浮かぶ情景。桜の大木がそこにある。春の暖かい風に乗って、淡く柔らかな桜の花弁が舞っていた。誰が見てもその美しさに言葉を失うだろう。その桜の下に、彼女が埋まっているのだ。
彼女はその時から文芸部に顔を出さなくなった。特にこれという活動があるわけでもない僕らから彼女を連れだそうだとか咎めようとかいった声はでなかった。事実、彼女のほかにも所謂幽霊部員という生徒は存在した。
ただ、あの日の彼女の声は僕の記憶に残った。深く根付いて、離れないほどに。
今、川西が現れて、あの日と同じように問いかけたなら、きっと僕は答えることができる。桜と聞いて連想するもの――黒水晶のような瞳の彼女だ。
連想ゲーム(作・ゆゆゆ)