書庫の蜘蛛
書庫の蜘蛛
薄暗い書庫。天井に電灯なども気の利いたものがないため、不必要に暗い。
書架の横や壁などにいくつかの光源は用意されてはいるものの、
明らかにその数は足りておらず、本を一つ探すのにも難儀をする暗さである。
なぜ電気を付けないのか、その質問は簡単に返答できる。
天井が高いのだ。急ぎで設立されたというこの書庫分館は立地上の問題で背ばかりが高く、
いくつもの階段と梯子を利用して普通の人間は利用しなければならない。
一応は簡単に作られた足場が暗がりにあちこちと見ることはできるが、
端々につけられただけの光源、光虫だけではあまりにも利用するには危険すぎるため、
その足場が利用されることは、まずない。
書庫に足を踏み入れると、まず奇妙な足音が聞こえる。
暗がりの向こうで動くものをおぼろげに捉えることはできるが、その全容はわからない。
次第に目が慣れてくると、七本の足が見えてくる。
大人の男性の太ももぐらいはある毛の生えた脚が、書架の間に器用に足をかけ、
こちらに近寄っているのがわかる。
足場に置かれる巨大な脚。触れ合う体毛がこすれ合い、奇妙な音を出す。
全体は、かなり大きく見える。それが私に向かって降りてくる。
彼女がこうしてこの書庫に足を踏み入れたものを出迎えるのは、いつものことだ。
私も最初のころは、恐怖で足がすくんだものだった。
「あっ、こんにちはー!」
暗がりから顔を出したのは少女の顔と、元気の良い声。
黒い髪は流れるように、目は丸く大きく、全体的にきちんと整えられている。
黒い服は作業をして汚れても気にならないようにするためだという。
あまり装飾は無く、しかし僅かな飾り気がむしろ少女を彩るのに丁度良い。
しかし、下半身は蜘蛛である。七本の脚は少女の体格には不相応に太く、大きい。
全長は二メートルほどなるだろうか。一緒の高さに足を付けると、
彼女を見上げる形になる。
「こんにちは」
挨拶を交わすと、彼女はにこりと笑った。
彼女がこの書庫を管理している。つい二カ月ぐらい前に配属されたばかりだが、
その働きぶりは目を見張るものがあり、何より人柄が良く人気がある。
……だからと言って、書庫に人がやってくるわけではないが。
「なにかお探し物ですか?」
首を傾げた彼女に、メモを渡す。
この書庫に所蔵されている本の番号と記号が書かれた、簡単なメモ。
これがあれば探し物がどこにあるのか知ることはできる。
だが、この書庫は特別だった。背ばかりが高すぎて、人間だと難儀するのだ。
昔は梯子や階段、そしてあの危険な足場を使って探していたのだという。
メモを受け取った彼女はそれを読み、んー、と唸っていた。
「……場所、わかるかな?」
そう尋ねても返事はなく、傾げていた首をさらに傾げ、んー、と唸っている。
明らかに分かってないな、とは思いつつも彼女の返事を待つ。
たまに思い出すのだ。大概は私がその本の所在を教えることになるのだが。
「あの……あたり、ですか?」
と、暗がりの向こうを指さす。
「……うん、わからないから地図で指示するね」
彼女は夜目が利くようだが、残念ながら私はこの暗がりを見ることは難しい。
そのため、電球の備え付けられた机の上に地図を広げ、説明することにした。
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「十二段目の右から三つめの書架。側版には470ーと書かれてるから、そのあたり」
そのように説明しつつ、白い電球に照らされた地図でその場所を指し示す。
薄暗いとはいえそこは書庫、整理はされているし使いやすいように並べられている。
彼女は地図を見て、書庫の上の方を見る。そしてまた地図を見て……んー、と唸った。
私も書庫の上の方を見る。薄暗い。梯子を使ってこれを登れと言われたら、
苦い顔を浮かべてしまうだろう。時間も無駄にかかってしまう。
だから彼女の存在はありがたいが……いかんせん、物覚えが悪いのが欠点だった。
「あのあたりだよ、この指の先」
暗がりの向こう、十二段目の右から三つめ。
側版に470ーと書かれている……はずの書架、を指さす。暗くて見えないが、わかる。
彼女もその指の先を見て、あー、と声を漏らした。
「あの辺りですね! あってた!」
実際はついさっき彼女が指さした書架は少し間違っていたが……黙っていることにした。
いつか覚えてくれるだろう、そう期待している。
「そうだね、それじゃあこの本……書架の見方はわかるよね?」
不安になり、尋ねる。
「はい! わかりますよ! もう二ヶ月ですもの!」
そう言って、意気揚々と脚を上げ、書架につけられた小さな足場を頼りに登り始める。
七本の足が器用に動き、するすると登る姿を見るのは、もう慣れたものだ。
最初はどれほど気味が悪く思ったものか。
「気をつけてね、落ちないように」
とは言うものの、あまり心配はしていない。
彼女は蜘蛛なのだから、そんな不安は無用なものだと思っていた。
書庫の蜘蛛