人の形をした哀れな青年
硝子玉の瞳は灰色の壁を映す。人の形をした哀れな青年、彼は何を感ずる?
閉ざされた灰色の世界、其れは狭く。縛られた肢体に加えられる暴力。人の形をした哀れな青年、彼は何を感ずる?権力者は彼の心さえも奪うことが出来るとでも云うのかーー
彼は問う、「私は誰?」
権力者達は彼を嘲笑う。その蔑視も嘲笑も完全に的外れであることを権力者達は知る由もない。しかし、青年は従順になっていった。
男の足音が近づいてくる。青年はぴくりと顔を上げた。血の気の失せた頰に黒き髪がかかる。彼はそこで思わず自嘲した。彼は疲れたのだ。いちいち「感じる」ことに疲れたのだ。そしてすぐに肩の力を抜いた。
シャツははだけ、右肩が露わになっている。貧相ではあるが、骨格は立派なようだ。
男は日課をこなした。青年に暴行を加えて食事を与えた。青年は従順に日課をこなした。
やがて、青年は故郷すらも忘れていった。そもそも彼の信ずる「故郷なるもの」はこの世に存在しない虚構の産物である。されど彼にとって、其れは現実を超えた虚構ーー即ち、心の真実であったと云うのに。
硝子玉の瞳は灰色の壁を映す。人の形をした哀れな青年、彼は何を感ずる…
彼はその身を横たえていた。もはや彼のものではなくなった身体を。意識が遠のいてゆく。霧がかかってゆく。嗚呼、心地よい霧だ。嗚呼、やがて森が見えくる。蒼く茂る木々が霞む。蒼と白が連なり、空気はりんと冷たく、極めて清らかだ。早朝の森だ。
ーー此処は、忘れさられたかつての幻想か。心の真実か。
「エリーゼは何処にいらっしゃる?いつも僕を支えてくれたお嬢さん。…エリーゼは何処にいらっしゃる?」
権力者達は嘲笑う。「君を支えたと云うエリーゼなる女性は実在しませんぞ」
ーー相変わらず的外れなことを言っているようだ。
人の形をした哀れな青年