紫煙
去年の寒中、私は自室にて、毛布に包まりぼんやり読書していた。何気なしに巻煙草の一本くわえて、マッチがさがさ取り出して、火を着けた。
ふと、煙草のけむりのしばしば紫煙と言い表されるのを思い出し、けむりの色を視ようと考え付いた。試みに、口を開けてゆっくり吐き出すと、けむりは、湯中に放たれた男汁の如く、もわもわと広がってゆく。その色は予想のままに、濃い白練である。
「何が紫煙だ」
私はほくそ笑んだ。”紫煙とは、粋がりオヤジの戯言なり”と合点した私は、彼らの筆頭としてテリー伊藤を想像し、彼に向かって悪態をつき始めた。罵詈雑言、ひとしきり悪口を吐いて、締めに彼の新作映画をこき下ろし、我に返って、目を見張った。眼前に、青紫のけむりの一筋が漂っている。ゆらゆらと、煙草の先より細く出づるけむりは、確かに紫を帯びていた。
かつて、紫煙という言葉が了解され広まったのだから、先人は、煙草の先より細々と立ち上る此のけむりを認めるほどに、ゆっくりじっくり煙草を喫したのだろう。苛立ちを煙に込めて、吐き出すように喫煙していた自分を、少し虚しく感じた。それより私は、紫煙を味わうよう心がけている。
紫煙