パラレルトリップ
「人生を、ものさしで計ろうと思うの。」
意味がわからなかった。もう二十年以上の友人、恭子が突然言った。最近は疎遠になっていたけれど、「話があるの。」と言われて思い出の喫茶店で会うことになった。
このお店の看板メニューのカフェオレを飲みながら聞いてみた。
「どういう意味?」
なぜか深刻な表情で語る彼女につられて、私まで深刻な声色になってしまう。
「朝実にはわかんないよね。」
当たり前だ。
「わかる人っているの?」
「わからない。」
「じゃあ、どうして私に言ったの?」
「朝実には言っておかないと落ち着かなくて。」
さっきから全然意味がわからない。だけど、すごく悲しいことだってことはすぐにわかった。
恭子は昔から主語がない。でも、雰囲気や声色で何を言いたいのかがすぐにわかる。他の人には無理かもしれないけれど、幼馴染の私にとっては呼吸をすることくらいに簡単だ。
「そっか。でもどうやって計るの?」
「・・・過去に戻る。」
恭子は少し間をおいて言った。一体、何を言っているのだろう?爪先から凍りつくような感覚に陥りながら、聞いた。
「どういう、意味?」
「十年前に戻る。」
全身が嘘みたいに凍って動かない。震えることもできなくて壊れてしまいそうだった。
「意味がわからないって顔してるね。さっきから、ずっと。まぁ、信じるのは相当難しいと思うから、いいの。でも本当のことよ。」
頭がくらくらする。現実味の無いことを言われているのに、恐怖心が強くなってきている。私はきっと怖いのだ。有り得るはずも無いことを、淡々と語る恭子の表情と声色が。
そして、これから目も当てられないような酷いことが起きることを、本能で感じた。
「どうしていきなりそんなこと・・・・。恭子、何かあったの?」
「朝実にもわかるよ。絶対、その時が来る。三日後・・・。」
「三日後?」
「私、行方不明になると思う。」
恭子は穏やかな表情で私を見つめる。その目の奥に感じる強い悲哀に刺されてしまいそうだ。
もう何も言えなかった。
「それで、朝実に渡したいものがあるの。」
恭子は有名なブランドのバックを漁った。確か、今年の結婚記念日に旦那さんが恭子にプレゼントしたものだ。高いバックの為に恭子の旦那さんは自分のお小遣いをこっそり貯金していた。もし、恭子がいなくなってしまったら、旦那さんはどうするのかな?恭子にベタ惚れの旦那さんのことだからきっと人間的な生活すらできなくなるに決まっている。
「旦那さんには、言ったの?」
「ううん。言ってない。」
さっきまであんなに凍りついたのに、急に「恭子を助けなくちゃ」という気持ちになった。手や額に汗が滲み、息が苦しくなる。
「ね、ねぇ、やめたら?旦那さん絶対心配するし、それに・・・。」
「朝実はいつもそうだね。」
恭子は意味深な笑みを浮かべた。
「はい、これ。」
恭子は私に少し大きめの、レトロな鍵を渡した。
「これを、預かっていてほしいの。それ無くすと私が死んじゃうんだ。だから、朝実に・・・。」
「ちょっと。恭子。いい加減にしてよ。なんでそんな怖いこと言うの。ねぇ、本当にやめようよ。ものさしで計って何するの?」
「・・・・朝実にはまだ、わかんないよ。でも絶対わかるときが来るから。その時に使ってね。」
恭子はそう言うと喫茶店を去ってしまった。
私は慌てて恭子を追いかけて喫茶店を出た。カウンターに一万円札をおいて走って追いかける。周りの客や古くから仲良くしている喫茶店のおじさんもびっくりしていたけれど、そんなことえお気にしている暇はない。ジリジリとした太陽の熱が、アスファルトにはね返る。暑くて暑くて仕方ないはずなのに、私の体温は急降下した。
・・・・・ここで私は、重大なミスを犯してしまったんだと思う。
恭子はタクシーに乗る前に、何か、小さい箱をバックから取り出していた。
一瞬気を取られた隙にタクシーも恭子も消えてしまった。恭子がタクシーに乗って去ったのではない。消えたのだ。
「・・・・・・え?」
突然の出来事で、もうろくに頭が働いていなかった。
何?何?何これ!?
冷静に考えられなくてとりあえず足を進めて喫茶店に戻った。現在というものに触れたかった。喫茶店に戻れば、私がおいた一万円札があるはずだ。
勢いよく扉を開いた。
「いらっしゃいませ。あれ?あさちゃん!久しぶりだねぇ!」
おじさんは驚いた顔をして私の顔をみた。さっきまでいた大勢の客はもういない。
「お、おじさん!一万円は!?」
「一万円?」
おじさんは怪訝な顔をして言った。
「そう!私さっきカウンターにおいたでしょ!?」
「あさちゃん、どこかで一万円落としたのかい?」
「ううん!ここに!ここにおいたの!」
カウンターを見ても何もなかった。
「・・・え?どういうこと?」
「あさちゃん、何かあったの?まだここには僕以外来ていないよ。」
慌てて財布を確認すると、ちゃんと一万円札が座っていた。
おじさんは私の為にカフェオレを作ってくれた。
あさちゃん、疲れているんだね、と。私は悪い夢だと思った。これは悪い夢で、恭子は今家にいて家の掃除でもしているんだ。そうだ。絶対にそうだ。
私はそう信じることにした。全部忘れよう。寝て起きたら、またいつものように仕事をしよう。
「今日はどうしたの?地元に帰ってくるなら連絡くれればよかったのに。」
「そうだね。実は、実家にも連絡してないの。後でお母さんにメールしておかないと。びっくりしちゃうね。」
「そういえば、恭子ちゃんは一緒じゃないんだね。」
「・・・うん。」
おじさんのカフェオレを飲みながらしばらく昔話をした。すると嘘みたいに心が落ち着いた。さっきまであんなに張りつめていたのに心が溶けていった。
「あ、この写真!」
「懐かしいだろう?これは、あさちゃんと恭子ちゃんと・・・。」
修学旅行の写真だ。私と恭子と・・・あと誰だろう?そこには見知らぬ男の子が写っていた。十年前のことだから忘れてしまっているんだ。少し寂しくなって古びているけど、お洒落な写真立てをそっと撫でた。
「私にも誰だかわからないな。」
「もう随分昔のことだもんね。」
何気なく時計に目を向けると既に午後九時を指している。
「おじさん、時計壊れてるよ。」
「え?」
「電池なくなっちゃったのかな?」
これまたお洒落な時計は、私が生まれる前からあったのだ。壊れていても仕方ないか。
「あさちゃん何言ってるんだい?もう夜の九時だろう。」
おじさんは少し困ったように笑った。おじさんこそ何を言っているんだろう?さっき恭子と話していたときはまだ午前十時だった。
私は慌ててカーテンを開けた。すると辺りはもう真っ暗で空には星が浮かんでいた。
「・・・・え?」
私が呆然としているとおじさんは何かを悟ったような顔をした。
この顔、前にも見たことがある。
あれは、私達が小学校一年生ぐらいの時だっただろうか?
おじさんの奥さんが突然行方不明になったのだ。警察も捜査してくれたらしいけれど、情報が何も入らず、あっさり打ち切りになったらしい。もうほとんど覚えていないけれど、おじさんの罪悪感を感じているような、何かを悟ったような顔だけは、覚えている。
おじさんは私にゆっくりと近づいて言った。
「あさちゃん・・・・。」
「・・・・・・な、に?」
おじさんは胸のポケットから何かを取り出した。またあの感覚が戻ってきた。
足が手が凍り付いていく。
おじさんは、私と同じ色、形をした鍵を私の目の前に差し出した。
だって、おかしいじゃないか。あんなことがあって、ゆっくりお茶なんてできるわけがない。
「あさちゃん。明日、絶対にここに来なさい。絶対だぞ。このことは誰にも言ってはいけないよ。今日は、もう帰りな。」
「・・・・・はい。」
もう逃げられない。私の本能と恭子から渡された鍵がそう言っていた。
恭子へ
あなたはいつ帰ってくるのでしょう?
私にはわからないことばかりです。あなたは三日後に行方不明になると言っていましたね。
でも、翌日には大騒ぎになっていました。私はおじさんのところへ行き、たくさんの話を聞きました。これから大変なことになるのは予測できましたが、本当にわからないことだらけです。こうして、あなたに届くはずのない手紙を書いているのですから、私は相当切羽詰まっているのでしょうね。私はこの三年間あなたの為に時間を費やしました。でも、そろそろ限界が来たようなので、もうやめます。
ただ、一つ教えてほしいことがあるのです。
どうして私を選んだのですか?
パラレルトリップ
読んでくれてありがとうございました。
このお話は、まだ続くので暇だったら読んでやってください。
ありがとうございました!!