薄氷
祖母は詩人だった。
と言っても、1冊の詩集を自費出版したに過ぎなかったが、熱心な支持者がいて、自宅にはそんな人たちが良く訪れていた。
私が小学校から帰ると、居間にコーヒーの香りが漂い、祖母と仲間たちがテーブルを囲んでいる。仲間は3人か4人ぐらいいて、祖母と同年代の女の人が大体だが、たまに男の人や若い人が混じる。
祖母は、そんな日には決まって着物をぴしりと着込み、帯の背に物差しでも差し込んでいるかのように、しゃんと背中を伸ばして、出窓を背に座っていた。祖母は、厳しく、行儀にうるさく「美しい創作は美しい生活から」といつも私に小言を言った。詩どころか作文も満足に書けない私が反抗すると、ポカリとやられたものだ。
当然祖母を囲むその集まりは、一同物静かで品の良いものだった。
本好きの姉は進んでその中に入っていき、気取った声で祖母の詩を読みあげたり、精いっぱいの背伸びで大人の話に割り込んだりしてはちやほやと菓子などをもらっていた。しかし、私には、行儀云々を除いても、たかだか数行の文字の羅列にあれやこれやと感想を述べることが恥ずかしく、面倒でもあったため、どんなに誘われてもそこには近づかなかった。
また、自分たち家族が本来使っている食卓に、どこの誰とも知らぬ老人たちが座っていることも、子供ながら気分が悪かったのだ。これは大分後になって、母も同じ気持であったことがわかった。
だから、幼い私にとって祖母とは、少し邪魔で、気味の悪い存在であったし、
当然ながら、祖母の作った詩の一つも私の知るところではなかった。
そんな祖母だったが、私が高校に上がるころに病気を患い、床につくことが多くなった。
痴呆の症状が出始め口数も少なくなり、調子の悪い時には私と姉の区別がつかないどころか、若い頃の伯母達と間違えることもしばしばだった。
あれは、春先の、少しだけ寒さの和らいだ朝のこと。
部活に行くために、早めに家を出ようとしたところ、玄関先に置いたバケツの水に氷が張っているのが目に留まった。
多分姉が小学生の時に、学校で使うために買ったか何かしたものなのだろう。青いプラスチックの色が褪せ、ふちが大きくかけているバケツで、いつも底に雨水が溜まっている。
何時降った雨のものかもわからない汚らしい水の表面に薄い膜が出来ていた。
氷だ、とは思ったものの、それは極めて薄かった。
まるで水の上にラップでも張ったようであり、すでにそのふちの方から消え始めている。
頼りない、いや、脆い、というのか。こういうのを何というのかなと思いながらしばらく見ていた。汚い水の癖に、その薄い氷は妙にきれいだと思った。
そうしていると、ふと目の端に白いものが動いて目を上げた。
玄関わきの藤棚の陰に、寝間着姿の祖母が立っていてこちらを見ている。寝付いていたはずの祖母である。
私は驚いてすぐに母を呼ぼうとした。その頃は徘徊のような行動も出始めていたから、慌てた。
「里佳。氷を見ていたのですか」
しかし、以外にもしっかりとした声で名前を呼ばれ、私は言葉を飲み込んだ。
返事をできないでいるうちに、
「こんな風に、冬の終わりに張る薄い氷の事を、薄氷(うすらい)と言うのです」
祖母は背筋を伸ばし、厳かな声で、そう教えてくれた。
「冬の最後の名残です。
あれほど厳しかった寒さも、もう蝉の羽ほど薄い氷しか作れません」
確かにその氷は夏の虫の羽にも似ていた。
祖母はゆるりと顔を上げ、朝日に目を細めた。
「もう、すぐに消えてしまうでしょう。こういうのを、儚い、と言うのですよ」
そうか、儚い。
頼りないでも脆いでもなく、これは儚いというのだ。
冬の朝の弱々しい日差し、青白い祖母の顔、その祖母と向き合う私の時間。それらすべてを「儚い」という覚えたての言葉で表したくなった。
みどりちゃんみどりちゃん、と母が飼い猫を呼ぶ声が聞こえたので、私は我に返った。
「お母さん、おばあちゃんが…」
慌てて飛びだしてきた母に祖母を預け、私は家を飛び出した。
学校へ向かいながら、きっとあの儚い氷はもう消えてしまっただろうと思った。
大人になってから祖母の詩集を読んでみたけれど、「薄氷」を使った作品は一つも無かった。
薄氷