地獄めぐりもほどほどに
兄 作
ぴーちくぱーちく 編
魑魅魍魎が闊歩する、そんな光景を見たことがあるだろうか?地面から噴き出す湯気、滲んだシミはきっと誰かの血しぶきだろう。こびり付いた血だまりなら腐るほど見てきたもんだ。そういう世界に身を置いてきた。だが、これは見慣れた光景とは程遠い。
「兄貴、こっちですよ。ついてきてくだせぇ」
妙に場馴れした弟分についていく。福助はむしろいつもよりかろやかに山道を進んでいく。
そこはまさに、地獄だった。
だが、こいつはどういうことだ?俺たちはたしか密輸武器の輸入船を点検していたはずだ。時刻はたしか午前二時。それがどうなってんだ、仕事が終わって船を出てみりゃ空が紅く照ってやがった。
勢いよく踏みつけた土踏まずに棘が刺さる。痛てぇ。もう何度目だ。坂道を超えるために脚に力を入れなきゃならねぇ、それなのに地面はどす黒い色した棘だらけだ。それなのに、もう何度も地べたを踏み抜いてるっていうのに、足の裏の傷は棘から抜いた瞬間元通りになっちまうみてぇだ。
「どうなってやがる、福助。これじゃぁまるで」
「俺たち、地獄に来ちまったんです!」
福助はそう言いながら、よっ、と棘の上を跳んで戻ってきた。なんで手前は飄々としてやがる。
「もうすぐです!あの建物の中っすよ!!」
なんで道を知ってやがるんだよ。
「お前ら、名前は?」
威張り散らした大男が大層な椅子に座って見下ろしてきやがった。こいつがあれか噂に聞いた閻魔大王か?堅物で冗談の一つも知らねぇ馬鹿だ。ちょっと悪さしただけで人様を地獄に落としやがる、簡単に言えば地獄の裁判長ってところか?小僧のへそが好物だとか、気に入らねぇ奴の舌を抜くだとか、あんまり立派な話は聞かねぇな。
「おめぇ、口には気をつけな。ここにおわすは地獄の鬼も泣いて謝る【鬼の庄兵衛】兄貴だぞ!」
福助がすごむと俺たちを囲んだ鬼どもが一斉に笑いやがった。いけ好かねぇ。
「庄兵衛と福助か、お前らどちらも極悪人だな。どう見繕っても怨嗟地獄は確定じゃの」
閻魔の野郎は手元の資料を見ながら
「これは現世で何をしようが償いきれんわい」
「おうよ。こちとら堅気にこそ迷惑かけちゃいねぇが、善人だなんて口が裂けてもいう気がしねぇ」
根っからの大悪党よ、言われなくてもわかってらぁ
「貴様ら最後の極楽風呂じゃ、ふやけるまで入りゃええ」
鬼どもは俺と福助を釜の中に投げ込みやがったんだが、不思議なことにこれがえれぇいい湯加減だった。大層いいもんもってやがるじゃねぇか、奴らこれに毎晩浸かってやがるのか。
「しかしよ、福助。なんでおめぇ地獄のこと知っていやがった」
「そりゃ、あれですよ。途中までなら前にも来たことがあるもんで」
頭にのせた風呂敷で顔を拭きながらいいやがるもんで気が抜けちまうよ。よく見てみりゃ俺たち体の傷まで消えてるじゃねぇか。
「俺ら、これから数々の地獄を渡り歩くんす。死んでも死んでも魂がなくなるまでおわりゃしねぇ、傷なんていちいち残ってたら面倒ってことです」
「そりゃ、最悪だな」
自分の腕を眺める。この感じじゃ、俺の背中の刺青もまっさらに消えちまってんだろうな。【鬼の庄兵衛】は文字通り死んだってことだ。
「悪いことばかりじゃないですよ」
ここだけの話、と福助が近づく。
「地獄めぐりの前に一回だけ地獄の姉ちゃんを抱けるんですよ。こいつがどえれぇ粒ぞろいのべっぴんばかり!今度はどの娘にしようか、いいや、やっぱりあの娘がいい!」
「そりゃぁまた、太っ腹でぇ」
「それだけじゃねぇんす。最後のご馳走だって出るんですよ」
おいおい、それじゃぁ、まるで極楽じゃねぇか。
「俺たちには地獄だって鬼どもにとっちゃ極楽ですよ。聞いた話じゃ【打ち出の小槌】を使って出来ねぇことはないらしい」
いいご身分じゃねえか。まぁ、俺達には関係ないことだ。せいぜい最後の贅沢を楽しもうぜ。
ところがどうだ、風呂から上がれば鬼どもが慌てて駆け回ってやがる。
「やっちまった、やっちまった!」 「どうしたんじゃ」
閻魔が鬼を止める。真っ青になった鬼は震えながら
「大悪党の庄兵衛の野郎が死期を過ぎたってぇのに一向に死にやがらねぇんでわし等船ごと地獄に運んできたんです。それが、福助はまだこっちに来る予定じゃないって話で…」
すいません、と謝る鬼。怒って怒鳴ったのは閻魔、じゃなくて福助だった。
「てめぇら、いい加減にしねぇか!俺は何回殺されなきゃいけねぇんだ!どうせ行き着く先が地獄なんだったら今ここで殺しやがれ!!」
こりゃぁ、おかしなことになってきやがった。そういや福助のやつ、前も途中まで巡ったって言ってやがったな。そういうことか、こいつ手違いで何回か地獄に落とされていやがるな?閻魔の奴も慌てて資料を見直してやがる。
「駄目じゃ駄目じゃ、地獄にも地獄のルールがある。福助は時期が来るまで地獄を巡ることは許さん」
「そ、それじゃぁ、せめて最後の贅沢だけでも…」
「ならん。それに貴様、前回に贅沢は済ませてるようじゃないか。二度はない!贅沢は一度きりじゃ」
「そんなぁ!」
「お前たち、はよぅ福助と持ってきた船を元あった場所に返してこい!お前たちが失敗したら儂が他の者どもに笑われるんじゃぞ!」
慌てふためくこいつらを見て、俺は閃いちまったんだ。こりゃ、俺にもチャンスがあるかもしれねぇ。
「おい、閻魔大王。福助が現世に帰るっていうなら、少しだけ二人で話をさせてくれねぇか」
閻魔はこっちを向いて
「地獄での記憶は現世にはもっていけん。遺言なら無駄だぞ」
「そうじゃねぇんだ。こんなところまで俺を慕って付いてきた野郎だからよ、後生だよ、しっかり挨拶させてくれや」
「いいか福助、しっかり聞け」
「兄貴、俺兄貴のことは忘れません…!」
涙ぐむ福助。
「馬鹿、そうじゃねぇ」
「え?」
鬼どもはいやがらねぇな、本当に間抜けぞろいだぜ。
「福助、お前、船から武器を持ってこい。そいつで地獄を襲うのよ」
そうすりゃお前は現世に戻らなくていいし俺も地獄めぐりなんてしなくて済む。あいつらのお宝もご馳走も俺たちのもんだ。
「兄貴、やっぱりあんた【鬼の庄兵衛】だな…!」
「俺はお前が戻ってくるまで最後の贅沢をたんまり楽しむからよ、あんまり急ぐんじゃねぇぞ。お前が帰ってきたら、地獄の皆様にお仕置きだ…!」
地獄の端の入り口で、庄兵衛と福助の潜み笑いは静かに溶けていった。
地獄めぐりもほどほどに