博愛主義者の孤独
もともと、この峡谷の村には、神様はいなかった。神様はいなくとも、村人たちは、貧しく逞しく、暮らしていた。峡谷は、標高3000メートル近い高地にあり、東西にそびえる山は、実に4000メートル級、富士山よりも高い。底に流れる河は、ヌ江といい、南北に蛇行しながら珈琲色した濁流をグツグツと、先の見えぬ下流へと押しだしていく。土石流のような激しさは、泡沫をはかなむ余裕などなく、ここに住まう村人に刻まれた混沌と強靱さの象徴でもあった。村はヌ江を挟んで東西にへばりつくように形成されており、上空から見ると動脈瘤のように膨らんでいる。目を凝らすと河の東側には、河の流れに沿って白い筋が這っているのがわかる。これが、村と外界とをつなぐ唯一の県道である。とはいえ、南に六時間下り舗装された国道まで出なければ、外界とつながっているとの実感は難しいかもしれない。蛇行する河に並行する県道の、左に視界がひらける度に現れる山嶺と、単調な稜線、目を楽しませることのない濁流。凹凸激しい路面に、踏み外せば、それこそヌ江の藻屑となる県道は、車の運転手にとって、単調な道ゆえの緊張感を強いる。逆に北へと遡行すると、旅行ガイドブックによれば、桃源郷へと行き着く、とある。村人に、上流の町は桃源郷なのかと問うたなら、おそらく、ふんっと鼻を鳴らすだけで、何も言わないだろう。正直、この桃源郷という表現が、源流まで行った先に理想郷があるという、レトリックなのか、単に遠い道のりにたどり着くことの難しさを表したものなのか、よく分からない。ともかく、この村は、動脈瘤のように、ヌ江にしがみつき、流れの中で流されず、桃源郷というほどには孤立もしていない、そのような場所にある。もう少し、実例を挙げるなら、ここには、マクドナルドやスターバックスはないけれど、コカコーラを飲むことはできる。
「みなさん、この村が、余所でなんと呼ばれているか、ご存じでしょうか?」
村の講堂の壇上に立った男は、野太い声で、村人に問いかける。
「半日村です!!」
若者たちは、男の熱気に感染し拳を握りしめ、年寄りは、身体の奥底の、ヌ江にも磨耗されていないザラザラとした心が泡立つのを感じる。
「余所に比べてわれわれの村は、太陽の照る時間が圧倒的に短い、だからーー
と、少し間を置き、
「この村の一日は、一日ではない、半日しかないのだと。確かにそうです。東西にそびえる山が、日の出を遅く、日の入りを早くしているのだから。太陽の光を浴びること、それが人間としての当然の権利、日照権というそうですが、なんだという国もあります。われわれは、生まれながらにして、半分の権利しか持っていないのでしょうか?先祖代々受け継いできたこの土地に、ここに住んでいるというだけで、幸せが半分しかないというのか?いや、そんなことはありません。確かにわれわれは、貧しい。これは認めましょう。みなさん、自分の手のひらを見てください。節くれ立っているでしょう、あかぎれ、霜焼け…。その手は、汚くない、誇るべきものです。でも、もういいでしょう。一緒に豊かになりましょう。人間らしく!
私がこうして村長となったからには、みなさんを幸福に、村を豊かにしてみせます。山が太陽を隠すというのであれば、削り取ってしまえばいいのです。私がみなさんに太陽を……
三十代前半の若い村長が誕生した。村人は、この若者が、いつ、どのような経緯で村長になったのか知らないし、そのことを疑問に、不思議に思うこともなかった。高地の強い紫外線をしみこませた垢のように黒い肌は村人と変わらない。もし村長が言うところの「余所」の人がここにいたなら、額の、若くして刻まれた皺に、他の村人にはない知性を発見したかもしれない。しかし、発見は不要であった。言葉の意味は、分からずとも、そこに未知の暖気を感じている。それでよかった。だからこそ、山を削り取ってしまえ、などと荒唐無稽なことを語ったところで、小学生の悪ガキが、思わず噴き出したのだが、ただ母親から黙れと頭をはたかれただけであった。子どもが、大人よりも、道理にかなう思考をするのは、この村でも同じである。この演説は村人にとって、年に一度、祭りで催される余所からくる芝居に似ていた。余所からくる芝居であれば、芸人がヘマをするたびに、ヤジを飛ばすのだが、村長の演説は、引き込まれ、圧倒される。波動を飛ばすような、丹田から吹き出してくる言葉は、聴衆たちの脳の中で溶解することはなく、そのまま突き刺さる。意味を咀嚼し理解するのではない。普遍性のない一方通行の情感の伝達である。
講演が終わると、講堂前の広場に、自然と輪が出来上がる。男女がそれぞれ半円に、三層からなる輪。この村では、年に一度のお祭りで、夜通し歌を歌い踊る。円の中心に向き、先導する歌い手に和し、村人たちが続く。腹の底から、法螺のような音を出す。民族英雄譚、男女恋愛浪漫など、ストーリーや意味をもつものではなく、波打つ音であり、うねり、結ばれ、溶け、散る、意志をもった風である。
ウーーアーーーオーーーーー
歌声は、さきほど村長から吹きつけられた熱気をそのまま天空へと舞いあげ、夕闇へ消えていく。それは、村特有の長い夜の始まりを告げる合図のようにも聞こえた。
村長は、石のベンチに腰を下ろし、輪をぼんやり眺めていた。輪から外れた暗がりに、子供達と手をつなぎ歌う一人の金髪の青年(五文字傍点)の姿を、ふと、とらえた。子供達のシルエットから想像するに、どうやら青年は、音程が外れており、男子から笑われ、生真面目な女の子に指導されているようだった。
今日は、五百人を収容できる講堂に、立ち見客も含め、村人の八割集まった。金髪の青年は、後ろのひんやりした土壁にもたれかかり、微笑みを浮かべて聞いていた。一八〇を超える身長は、平均一五〇の村ではそれだけで目立つ。それに加え、小麦のような金色の髪、色素の薄い青い瞳、日焼けし黒くなることのないシミだらけの白い皮膚。異人である。講演のあいだ、決して鋭くはない視線を、感じていた。村の言語を理解しているのだろう。むしろ金髪の青年、ただ一人が、自分の言葉の意味を一字一句わかっているようだった。そんな金髪の異人に、自分がほとんど眼を合わせようとしなかったことに気がつき、かすかな戸惑いを覚えた。
金髪の青年が、子どもたちに手を振り、子どもの手を引く大人にお辞儀する。
ふと、目線を上げると、無数の瞬く星の途切れる境界があり、それが、そのまま山の稜線となり、山影をくっきりと浮きあがらせていた。山は山菜や薬草、薪を提供してくれる生命線でもあり、田畑へ注ぐ日光を阻害する存在でもある。
刹那、誰にも気づかれることなく、村長の瞳がゆらめいた。
村長は膝に両手をついて立ち上がると、どっしりとした足取りで家路についた。
この村には教会、と呼ばれる建物がある。古老によれば、今から百年ほど前、背の高い彼と同じような、肌や髪の毛をした一組の夫婦が、来たことがあるらしい。江の西側の、民家の少ない、小高い場所に、ここでは珍しい、石造りの建物を建てた。とても善良な夫婦であったようで、病気やけがをした村人たちの面倒を見た。村人たちは、その見返りに、食料を渡していた。しかし、教会を完成させ、数ヶ月もしないうちに、夫は薬草採取の山中で事故で、妻は流行病で、立て続けになくなってしまった。親しく教会を出入りしていた村人は、この夫婦が奇妙な話をしていて、眼に見えない偉い妖精がいて、自分たちを泥から造った、などということを言っていたが、結局、村に伝わるヌ江へ引きずり込んで人を食べる姿の見えない怪魚の話など、小さい子どもを寝かしつけるときに聞かせる物語との区別がつかなかった。つまり、夫婦は、「神」の存在を伝えることには失敗したのだ。そして、三年前から、この村にやってきたのっぽの若者は、昔夫婦が住んでいた石造りの教会で、寝起きし、同じように、けがや病気をした者たちの治療をしていた。彼は世話好きだが、何かを主張することはせず、いつもニコニコ笑っていた。村長が感じとったとおり、言葉ができないわけではない。むしろ、村の訛りを正確に発音する。村の祭事へも参加する。畑仕事や狩りで鍛えられた村人よりも、ひ弱で、ドジを踏むのだが、そこに愛嬌があった。屈強な男たちからはからかわれながら、女たちの母性をくすぐりながら。気がついたら、「村の異人」という、内でもない、外でもない、目立ちはするがひかえめなポジションを確立していた。
新村長がやってきて、4ヶ月が過ぎた。
白い県道に沿う村の繁華街に、村長の肝いりで、四階建ての多目的施設の建設が進められている。宿泊施設を備えており、外から流れてくる旅行者の足を止め、山の中腹にある露天温泉への道をトレッキングのコースとして、ツアーが組めるようにする戦略であった。
村で最初のコンクリート建築物にも、村人たちは、わきたつことはなく、遠巻きに関心を寄せる程度であった。ただ、子どもたちは、はじめて見るブルドーザーやミキサー車に、眼を輝かせ、竹を編んで組まれた足場に登ろうとして、げんこつを落とされていた。それでも、通学路から外れているところ、遠回りして毎日、現場の前を通うようになっていた。工事現場の日々変貌する様子は、春夏秋冬、農作物の生長とは、違う時の流れを感じさせる、眼を楽しませるに足るものだった。
この異質の建築物がうみだす磁場に引き寄せられるように、この県道沿いに、外部から店が出るようになった。洋服屋、理髪店など小さい個人経営ながらも、村が町へと変貌を遂げる要素が、凝固しつつあった。
そのなかに、たたみ一畳分ほどのスペースでホットドッグを売る店があった。店の名前は「カリフォルニアサンシャイン」とあったが、二、三日に一度は利用する若者たちも、店の名前を知らない。大半の村人は、その存在すら知らないし、売っているものが犬の肉だとうわさで聞いた年寄りは、顔をしかめ、寄りつこうともしなかった。ただ、村の異人は、そこに、微かな郷里の風を感じ、夕刻に通うことが日課となっていた。
どこから流れてきたのか、二胡を弾く乞食もまた、子どもたちや異人と同じく、夕方になると、工事現場に現れるようになった一人である。トラックが村に似合わぬ恐ろしいスピードで出入りする現場入り口の県道脇に、何年前かもわからぬ新聞紙を尻に敷いて座る。プラスチックのお椀に、硬貨を2、3枚入れ、調律することもなく、演奏をはじめる。県道を疾駆する車、工事現場の騒音に、それに負けじと響く作業員の怒声。かき消されるのは音だけでなく、土埃にまみれた演者自身も白く、煙となってしまうかにみえる。二胡のもの悲しい音色は、断片的に、空にのびる。
異人は、ポケットにあった硬貨を取り出すと、腰をかがめてボールへ入れる。乞食は、異人がかがみ込むのを待ちかまえ、さっと、左手にあったホットドッグのソーセージに手を伸ばし、人差し指と親指で器用に摘み、
「ありがとさん」
と陽気にいった。
異人は、困ったように苦笑した。
誰も、乞食が演奏を止めた瞬間に気づいていなかった。
この、最近繰り返される光景に、下校途中の小学生は、
「阿呆が白痴にお恵みだ」
と、からかう。乞食は、異人が毎日ここへ来ることを知っており、自分に同情してくれ、必ず恵んでくれること(ソーセージも)を知っており、それは、小学生にもわかっていた。小学生からすれば、せめてホットドッグを食べ終えておれば、取られることはあるまいに、と思う。だから、異人は優しいけれど、阿呆なのだ。もちろん、こんなウルサく、埃まみれになる場所で待ちかまえる乞食も。全く理にかなっていない。
「そんなことを言うもんじゃあないよ。これは、お恵みなんかじゃない。音楽に対する対価だよ。こんなに悲しい音楽は滅多にありはしない」
「はいはい、何言ってんのか、わかんないよ。じゃあね、異人さん」
「気をつけて帰るのですよ」
この日、村長は、遅れがちな工期の進捗確認のため、現場に足を運んでいた。決して怒鳴り散らすことはなく、ねばり強く、蒸れるヘルメットから汗を滴らせて、現場責任者と意見交換した。ちょうど、その帰りに、異人と乞食と小学生のやりとりを眼にしたのである。
気がついたら、村長は、異人の目の前に立ち、声をかけていた。
「なあ、今晩空いてるか?」
異人は、村長の突然の声に、一瞬たじろぐも、すぐにいつもの微笑みを浮かべ静かに言った、
「空いてますよ」
「そうか、夜八時に、この裏手にある酒場でどうだ?」
「わかりました。うかがいます」
村長の指定した酒場は、スナックのようなカンターで飲む形式で、これも、今までの村にはない、村長が招き入れた店だった。ただ、ほかに客はなく、おそらく村長が独りで飲む場所をどうしても欲しくて、村長にしては珍しく自分のためだけのお店のように、異人には感じた。
「待たせたな」
「いえ、自分も先ほど来たところです」
村長は、異人の存在を知り、そのうわさを聞くにつけ、あえて接触するつもりはなかった。もし彼が、「神」を説き、積極的に村に干渉するのであれば、何かしらの手段をこうじる必要があった。しかし、この若い異人は、自分が外地であった他の異人たちとは違う何か、異質なものを持っている。謙虚の二文字では、言い表せない意志があるように思えた。異人と乞食と子ども、この組み合わせ。寓話の一つでも、語れそうな組み合わせだが、異人はただ、寓話として、記号化するには、ステレオタイプから逸脱しているようなのだ。そこに、興味を突き動かされた。村に、混じりも溶け込みもせず、確固とした異人の地位にも甘んじない、はかなさがある。
もともと、口数の多い二人ではない。静かに、村長のたわいもない質問、どこから来たのか、この村での居心地はどうか、に、丁寧にできるだけ言葉少なく回答する。たまに、異人からも、村長に質問が飛ぶ。
30分ほど経ったであろうか、また何度目かの沈黙が、場を覆う。
何気なく、村長は、一言放った。
「宗教家ってのは、博愛主義じゃあないのか?」
異人は、博愛主義という言葉に、蝋燭の炎が揺らめくように、反応する。グラスから壁のポスターに目線を移したその眼は、乞食音楽家に対したときの、何かを見るようで何も見ていない、焦点の合わないそれだった。
「この話を他人にすべきじゃないし、おそらくあなたには、理解できないと思う。いや、むしろ理解できないでいてほしい。
もう八年前になるか、まだ医学を専攻する学生だった頃にね、まあ、ありがちなんだが、将来に悩んだのですよ。このまま医者となるのか、あるいは父と同じく神に仕える職につくのか、とね。そして、自分探しの旅に出た、いや、自分探しという言葉は嫌いだな。まあ、モラトリアム期間を延長したかったんだな。一年間。ここには来なかったけど、いくつかの国を周り、その土地の教会を訪ねた。拠点にさせてもらえば、旅費も安くあがるから。お手伝いをしながら、観光の穴場や地元のグルメも巡る。何カ国目だったかな、カンボジアのプノンペンに滞在したんだ。二週間もいなかったと思う。当時、ポル・ポト派の混乱も収束しつつあり、夜たまに銃声が響く程度に、治安は回復してた。とはいえ、この村の清貧とは違い、貧困にあえいでいた。ぼくはアメーバ赤痢にかかって、頭がぼんやりしていた。プノンペンの老師に頼まれて、夕食の食材を買いに市場へ一人で行ったんだ。衛生観念は皆無だったけど、人出も多く活気はあった。朦朧とする頭で、カボチャを探していた。そのときにね、ぼくのTシャツの裾をひっぱる者がいたんだ。で、振り返ると子どもがいたんだ。物乞いだよ。貧しいところだからね。右手で裾をつかんだまま、左手の手のひらを上にして五本の指をピンと揃え、何かをくれ、と差し出してくる。ぼくの腰の高さほどしかない背丈なんだけど、差し出す左手とぼくを見上げる顔の角度、左眼の直線的視線は、これまで何度となく繰り返されたであろう、武術の型のような完成度のある所作だった。彼は無言、何も言わない。わかるでしょう?と。彼は、おそらくハンセン病だった。彼の右側のおでこから、柔らかい鶏の肉髯のように、弛緩した皮膚が右眼を覆っていた。垂れたその先端は細かく震えているんだ。
ぼくは、反射的にシャツを掴んだ右手をふりほどき、逃げ出した。おそらく、あの子は、ぼくを一歩も追いかけることはなかったと思う。次にシャツの裾を摘む相手を捜したはずだ。その日の晩、ぼくは教会の部屋で、このことについて思い返した。ふりほどいたときに、あの子の右手に当たった肘の感触が残っていた。それよりも、鮮明だったのは、あの子の口元さ。ずっと微笑んでいたんだよ。ぼくが振り返って、彼の顔を視界に入れた瞬間から、彼の身体的特徴を認識し、ふりほどき逃げ出すまで、ぼくの顔の表情の変化は、左眼がずっと見つめていた。それでさ、口元は全く変わらず、微笑んでるんだよ。悲劇など存在しないかのように。で、ぼくは、あの子との関係性について、何か言えることはない。謝罪、同情、憐憫、すべて嘘になる。このことで、ぼくが言いたいことは、あの子のことじゃあないんだ。ぼく自身についてさ。それまでの人生の中で、教義であったり、親からの教えに従って誰に言われるともなくボランティア活動に参加し、道を渡れず困っているおばあさんには、手を差しだして一緒に渡るし、級友の恋愛相談にだってのったことがある。意識したことはないけれど、いつも、誰彼ともなく、ぼくに感謝してくれるんだ。だから、ぼくは少なくとも"いいやつ”なんだと、そう漠然と思っていた。だけどね、あの子の手を振り払ったことで、ぼくは気がついたんだ。反射的に人の手を払いのける人間なんだと。突然のことで驚いたんだ、とか、半面が可愛い子どもだから、その対比で余計に強調されたんだから、仕方ないとか、そんな言い訳は、意味がない。肘の感触が、「何故」と問う意味を無効にする。誤解されるとイヤなんだけど、自己嫌悪に陥ることはなかった。これまでのすべての行動や考えが偽善で、偽物だった、そう絶望することはなかったんですよ。ただただ、「ああ、なるほど、自分とはこういう人間なんだ」と気がついた・・・・・。自分自身のことを知ることは、なかなか難しいじゃないですか。だから、この気づきは、とても大きくてですね、お腹の底に住み着いてるんですよ。ぼくの行動や思考のすべての土台となっている。宗教家らしく、懺悔して赦しを請うのも違う、極端にもう宗教は捨ててしまうこともない。これは罪ではなく、事実の認識でしかないのだから。
あなたの言う、宗教家は博愛主義なのかもしれません、もしそうなら、ぼくは宗教家ではないということですね」
ここまで語ると、異人は、溶けて小さな粒になった氷を奥歯で噛み潰した。
「そうか。難しいな」
「難しいです」
「おまえは孤独だな」
「いや、あなたほどではないですよ、村長」
「そうか」
会話は完全に途絶えた。異人の顔に、少し後悔したような表情がうかぶ。外来のコーリャン酒を一本空けると、村長は静かに店を出ていった。外気が侵入し、涼やかな風を異人は背中に感じた。
一人になった異人は、誰にともなく、独りごちた。
「でも、ぼくもこの村で日光浴がしたいなあ」
それからしばらくしてのこと。村長は、奇妙なうわさ話を耳にした。夜な夜な、東の山に、もっこを持った白い幽霊が現れるようになった。幽霊は、山頂の岩を削り、ヌ江へと流しているという。
博愛主義者の孤独
作中に単語として出てくるとおり、
絵本の「半日村」のオマージュ作品。
この半日村自体が、中国古典『列子』の「愚公移山」という故事を底本としている。
ふたつを比べてみると面白い。
本作、小説としては、失敗しているが、自分の原体験が含まれており、記念作ではある。