いぬかぶり 第5話
こんにちは。染谷です。
佐藤君の話、5話です。
拙い文章ですが、楽しんでくださるとうれしいです。
それでは、お楽しみください。
佐藤が会社を辞めた日…同時に佐藤がこれから毎日のように通うことになる喫茶店にあった日…自宅に帰ったのは、夜の7時だった。
あの後、6時ごろに―この時、高波さんの読みの深さに驚いた―確かに男の人が二人やってきた。
一人は、茶髪の少し垂れた目が特徴の人、もう一人は黒髪の藍沢さんとはまた違ったきれいな顔の人だった。
この二人は、見知らぬ人がいることに興味を示すことなく、二人でしゃべったまま夕食とお酒を飲んでいた。
ふと見ると、高波さんがクチパクと共に、申し訳ないという仕草をしていた。
「悪いな。あの二人はそんな奴らだ。本当は優秀な人なんだが。今度、紹介する機会があったら、ちゃんと紹介する。」
そう高波さんは、佐藤が帰るときに話してくれた。早く再就職先が決まることを願っているとも言ってくれた。
高波さんは本当にいい人なのかもしれない。佐藤はこれまでの自分があまりにも人間に恵まれていなかったことに気づいた。
店を出るときに改めて何時間も居座った喫茶店を眺めた。小さな木のプレートに「Rosa」と書かれていて、ドアにかけてあった。
また、傘立ての近くに小さな花瓶が置いてあって、そこには黄色の花がさしてあった。
店の屋根は黒で、壁は白くドアはアンティーク調である。ここら辺ではあまり見かけないおしゃれな店だった。
店先の花瓶が割れないのはお店近辺の治安の良さだからだろうか。
佐藤が目を覚ますと、時計は10時を指していた。あの日は店を出た後まっすぐ自宅に戻った。明日は仕事がないことを知っていたので、時間制限なしで寝ることにし、目覚ましをかけずに寝てしまった。テレビをつける。これまで見たことのなかった番組をやっている。興味なさげに布団から這い出て、顔を洗いに洗面所に向かう。佐藤はふと鏡に映った自分の顔をみる。そして、考える。1年間働く必要がないのならば、半年ぐらい何もしなくても罪でないのかと。…一瞬、離れた田舎に住む両親の顔を思い出す。何となく、このままではダメな気がして頑張ろうと思った。頑張るならば…まずは、多田さんのことをちゃんと知るところからだ。あの人が信頼できる人になって初めて頼ることにしよう、と。リビングに戻りふと、大きな通りに面している窓の外を見る。忙しそうに走り去る自転車とカバンを片手に駅の方に向かうサラリーマンが目に入った。
「あら、いらっしゃい。今日は早いのね。」
喫茶店のドアを抜けたのは昼の12時。店には、相変わらず端のテーブルを占領している多田がいた。
他に、幼稚園に子供を預けた帰りだろうか、ママ友たちが2つのテーブルを占めていた。佐藤は、まっすぐカウンターに向かう。
「ええ。お昼もここで済まそうと思いまして。ここのメニューは全体的に安いし、栄養バランスもしっかりしていて、いいんです。」
「そうねえ…。一応、計算して作っている甲斐がありますわ。あ、今日は昨日いなかった人がいるのよ。―ちょっと待ってね。今呼んでくるから。」
そういって、お母さんはカーテンの向こうに消えて行った。佐藤は何の事だか、よくわからなかった。
「いらっしゃいませ。…佐藤さんって言うんですね。私は、昨日の巳緒ちゃんと同じバイトの店員の黒崎杏といいます。」
佐藤は固まった。一瞬にしてこの店に来たことを、喜んだ。
長いきれいな黒髪を後ろで結んでいる、黒目がちな女の人。これまであまり…というか、佐藤には初の一目惚れだった。きれいな白い手にも引き付けられた。佐藤が見とれていると、すぐに杏はカーテンの向こうに消えて行った。
「あれあれ…。すぐに戻っちゃった。今度から、もっと接客態度を良くしないとねえ。」
お母さんは静かに笑った。佐藤は少しの間、カーテンの方を見つめていた。
「佐藤さん、どうしたのですか?昨日の疲れが残っているんじゃないんですか?固まっていますわよ。」
「あ…いえ。そんな事ありませんが…。」
大学以来のこの心の感覚。なんだか、店の店員に一目惚れするなんて…と、佐藤は心の中で自分をからかった。そのとき、カーテンの向こうから手が伸びてきて、お母さんの服をちょっと引っ張った。お母さんは気づいて、奥へと姿を消す。すぐにお母さんは戻ってきた。
「佐藤さん、疲れている時は甘いものですよ。今日はブラウニーを、食後にサービスしますよ。今日だけですけど。」
「え、いいんですか?うれしいです。僕、甘いものが好きなんで。」
「それはよかったです。」
ニコニコするお母さん。佐藤は昨日と少しメニューが異なることに気づく。日によって仕入れるものが違うのだろうかとも思う。さらに言えば、佐藤はさっきの女の人がカーテンの向こうにいる理由が知りたかった。しかし、なぜか佐藤は聞くことをあきらめた。
「あの…。お母さん、この店には複数人のバイトの人がいらっしゃるのですか?」
コップをいじっていたお母さんが顔をあげる。
「ええ。昨日の巳緒さんと今日の杏さん。あともう一人、芽衣さんがいるわ。その3人がバイト店員よ。3人で来られる日に来ている感じね。」
店に置いてある、ラジオがFM放送を流している。これは…きっと地元の局だろう。普段聞かない声が聞こえてくる。ママ友たちのテーブル上には、可愛い感じのスイーツが並んでいた。
「社長、やっぱりあんな暴言ばっかり吐くような子なんて、売り出すこと自体無理ですよ!」
カロームの社内の会議室A。犬飼直里のプロジェクト会議。テーブルには、売り出し担当のスタッフとマネージャー、社長と複数の社員がいる。弱音を吐いたのは、売り出し担当のスタッフ。そのスタッフはさらに、続ける。
「社長、あの人が売れることって何を意味しているか分かります?」
社長は手元で遊んでいた知恵の輪を置く。手を広げてニコニコする。
「真剣に考えてください。」
スタッフは、不機嫌そうにペンでテーブルをたたいた。
「社長があの人を採用すると言ってから2年たちました。確かに、彼女はそこそこ売れてきました。でもですよ、私からすると彼女を売り出すことは、わが事務所のイメージダウンにつながるんですよ。」
「君、犬飼くんがやっていることを理解していないようだね。いつか理解することを期待するよ。」
「…理解するように頑張ります。ところで、社長、犬飼さんが売れると同時に何がおきていると思いますか?」
マネージャーはスタッフの横で溜息をつく。
「ネット上のバッシングだろ。そのぐらい、火を見るよりも明らかだよ。」
再び、知恵の輪に手をかける。
「私たちからすると、彼女が出てバッシングが起こり、事務所のイメージダウンにつながり、他の人に迷惑がかかることが嫌ですね。」
社員は手元の資料を見つめる。そこには、ネット上の犬飼に関する評価が書かれていた。
「僕は…彼女がメディア上でやっていくことに意味があると思う。うん。しかも、そのバッシングって言うのはネット上だろう?そんなもの、気にすることはない。誰にでもあるものだよ。」
真剣な顔をして語る社長を呆れる顔をして見つめる社員。
「じゃあですよ。何か手を打ってください。会社に被害が出ないような。」
「なるほどね。じゃあ、今日はそのことについて考えよう。今日の本来の議題は一旦保留だ。そうしないと、売れたところで意味がなくなってくる。」
会議室の全員が頷いた。
【この店のパンはおいしいですね。小麦粉はしっかりしたものを使用している。】
犬飼は再び佐藤たちの地元のFM局のラジオ番組に出ていた。もちろん、手元のフリップの文字はアナウンサーが読んでいる。
「ここのパン屋で使用している小麦粉は一体どのようなものでしょうか?」
店長はマイクを向けられる。北海道産であることと、製粉の過程にもこだわってることw説明する。犬飼は着ぐるみの頭を頷かせる。
「このお店は店内の雰囲気も非常に良いものになっていますね。」
「ええ。このお店は数年前に改修工事を行っておりまして。きれいな店内環境になるように努めております。」
犬飼がフリップに何かを書き始める。それを覗き込むアナウンサー。犬飼の書いた文字列を見て一瞬顔を引きつらせる。そして、一瞬考えこみ読み上げる。
【この店の店員は愛想が悪くて、仕事も遅いって書いたのは誰なのかな。】
「それはちょっと…。」
店の店長は顔を曇らせる。
「犬飼さん、それはどこで見たのですか?」
【大手の口コミサイト。複数件、同じようなのがあった。】
明らかに店長の機嫌が悪くなっている。
「当店は店員の教育をしっかり行っているので、しっかりとした接客サービスを行っております。」
店長の声は明るい、愛嬌のある声だが明らかに表情は険しいものであった。店長はマイクを外す。アナウンサーにも同じようにするように指示を出す。
「ちょっと、取材はもうお断りです。こんな、店のマイナスイメージにつながるようなレポートになるなんてこっちからは有難迷惑です。もうかえってください。これから、犬飼さんの取材は一切受けません。」
アナウンサーは頭を下げながら、謝罪の言葉を発している。すぐにマイクを取り
「以上、さいたま新都心付近のパン屋、クラッサンからお送りしました。」
と締めの言葉を言う。犬飼は一切頭を下げない。アナウンサーはすぐに様々な説明をする。
そして、何かしらの被害があった場合の手当に関する話もして改めて謝罪をした。犬飼はその間に店長に背を向けて、どこかへ行こうとする。
「おい、そこのふざけた着ぐるみ。」
犬飼は振り返る。店長は大声でいくつかの罵声を浴びせた。さらに、それに続けて
「…おまえ正気か?あんなこと言っておいて、何一つとして謝罪の言葉もねえのかよ。社会人としてお前は失格だな。そもそも、存在すべきでないな。」
という。犬飼は黙って頭を少し下げて、そのまま振り返って元行く方向へと歩き始めた。それを見た店長は完全に理性を失い、もうダッシュで犬飼の方へ向かう。どうやら、この店長は短気な人だったようだ。
「せめて顔ぐらい見せろや!」
そういって店長は犬飼の着ぐるみに手をかける。
「いてててててて!!」
犬飼は店長の手を捻ってた。
【パンを作れなくなるので手は大事にしましょう】
犬飼は片手で書く。店長は必死に手を放すように頼む。犬飼はすぐに応じる。そして、再び歩き出す。
「ほんと、あんた…人としてありえないからな!!何かを言うならせめて顔を出せよな!!」
歩き去ってゆく犬飼の姿を見ながら、マネージャーが顔を青くさせていた。
いぬかぶり 第5話
レポートに追われる生活が一区切りつきました。
まだ、二つ三つほど残っていますが、何とかなりそうです。
なので、アップ作業をしました。
暑いです。
汗がすごいです。
ソフトボールプレイヤーなので、これから先の夏の練習が恐怖ですね。
それでは、またお目にかかれることを楽しみにしています。