夢みる過去
三題話
お題
「走る」
「思い出」
「夏」
思い出はいつだって輝いて見えて、対して『今』は色褪せて見える。
不景気だとか就職難だとか、そういう現実的なことではないと思う。まあ大学五年目で就職留年中の身としては実際、その辺りも気掛かりというか今現在の問題そのものであるのだが。
しかしながら、選ばなければ誰でもどこかしらで働ける世の中において卒業を先伸ばししてまで就活をしようという人がいるのだから、贅沢だなと思う。
――なんて、自分のことを棚に上げて言う。世の中を憂いているコメンテーター気取りだ。
私は考える。『今』と『過去』はどこが違うのか、と。この『今』だって、次の瞬間には『過去』になる。
思い出が『過去』であるのならば、今この時も数瞬先では輝いて見えるのだろうか。
◇
「思い出を、再び感じてみませんか……?」
ある日曜日の朝、散歩がてらコンビニへ行こうとして途中で見かけた広告に書かれている文言を、私はそのまま読み上げた。それは電信柱に貼られていたもので、小さいのに胡散臭い謳い文句と装飾華美なレイアウトが妙に目を引くものであった。
それはとある実験のモニター募集のようで、アルバイト料も出るらしい。一回につき三時間で一万円。
地図で示されている場所はここからそう遠くない。
どうせ今日は何も用事がなくて暇だし。
私はその地図をケータイのカメラで撮って、そこに示されている場所を目指して歩き出した。
…
地図で示された場所には、廃ビルと称してもよさそうな建物しかなかった。本来の出入口らしきところは木板で塞がれていたが、裏手にあった鉄の扉の上に看板があったからここで間違い無さそう。
『過去からの光研究室』
そのネーミングからも怪しさしか感じなかったが、私は少し戸惑いながらも扉を開けて中を窺った。
窓の無い廊下。蛍光灯は必要最小限といった感じで薄暗い。
正面と右手の二手に分かれているが、右手の廊下には立ち入り禁止の立て看板。
真っ直ぐ十メートルほど進んだところにある扉に、看板に書かれていた研究室名が書かれていたから、私は一応ノックをしてからその扉を開けた。
「やあやあやあ、よく来たね」
部屋の中央には皮張りの椅子、その周りは何やら機材で囲まれている。
そして、黒のスーツ姿の中年男が、両手を広げて歩み寄ってくる。
「はっはっは」
そのままハグされそうになったから、私は両手を前に突き出し大きく一歩下がった。男は香水を使っているのか甘ったるい匂いがする。
ぱっと見はナイスミドルでかっこいいと思ったのに、この人はだめだ。直感で危険人物だと、そう思った。
「なんですか、あなたは」
「何って、俺はここの責任者だよ。君はモニターとして来たんだろ?」
「……は、はあ」
「それならここへ座って。簡単に説明すると、過去の出来事を夢で見るようなものだから」
本当に簡単な説明だけで、どういうことなのか全く理解出来なかった。私は怪しみながらも言われた通りに椅子へ座ると、手足をベルトで固定されて、頭に金属の帽子のようなものを被せられてしまった。
その帽子からはコードが何本も伸びていて周りの機械へ繋がっている。映画とかで見たことがあるような、そんな不思議な機械。拘束されているため身動きが取れず、少なからず恐怖を感じる私。
「じゃあリラックスして、両目を閉じて……」
男が機械の一つのスイッチをバチンと入れると、ぐおんぐおんと地鳴りのような低音が響き始めた。
目を閉じると、身体がふわふわ浮いているように感じた。
「さて、君が一番”やり直したいこと”を思い浮かべるんだ。何でもいい。勉強恋愛部活でも――」
ちくりと右腕に痛みを感じた。
そして頭が真っ白になってゆく。
重低音が頭の中で大きく反響している。
男の声がだんだん遠くなってゆく。
そこで私が思い浮かべたのは――。
◇
聞き慣れたチャイムの音と共に、周りはざわざわと騒々しくなってゆく。
「はーい、それでは今日はここまで」
先生のその言葉を合図に、一番前の席の子の号令で、起立、礼。
この見覚えのある光景は私が通っていた中学校のもの。
「なにぼーっとしてるの?」
後ろの席の友達が声を掛けてきた。
「あ、うん。なんでもないよ」
私は振り向いて彼女を見る。
記憶通りの懐かしい姿。今では髪を伸ばして綺麗におしゃれしているこの子も、この頃はショートカットの活発な女の子という印象。それでも昔からかわいいのは変わらない。モテそうなのに本人は恋愛に興味がない感じだったけれど。
そういえば、と私は自然にあの人の席へ目を向けていた。頭が良くて運動も出来てかっこいい、彼。
「あれー、どこ見てるのかなあ?」
「別にどこも見てないよ」
そんな私の気持ちを知っている友達は、なにかとからかってくるが、私の恋を応援してくれている。
去年のバレンタインにチョコをたくさん貰っていたみたいだけど、未だ特定の相手はいないらしい。
告白しようかどうか悩み中。
いろんな女の子と仲良く話してる、というより男女関係なく誰とでも仲良くしている印象。
実は好きな人がいるとかなんとか噂はあるけれど、もしそんな人がいるのなら羨ましい。私だったらいいのに、と思うけれどそれは絶対にない……と思う。
だって私より仲良くしてる女の子なんていっぱいいるし。
「あれ、どこか行っちゃうね」
「トイレとかじゃないの」
「ほら、追いかけておしゃべりしてきなよ」
「なんでよ」
廊下へ出て行った彼を視線で追いながら、私達はそんな会話をしていた。
「……ちょっとトイレ行ってくる」
「くふふ」
「そ、そういうことじゃないから! たまたまだから!」
と言いつつ、トイレとは逆方向へ歩いてゆく彼の後を追いかけた。
階段を昇り、更に昇り、屋上へ続く扉へ。
普段は立ち入り禁止で鍵が掛けられているはずなのに、扉を開けて屋上へ出て行ってしまった。
そう、この屋上は、確か……。
私は扉の横の窓から、慎重に外の様子を窺う。
「あ……」
そこには彼ともう一人、女の子の姿。同じクラスの吉滝さん。いつも教室でも独りでいるが、イジメられているわけではなく、話しかければ普通に返してくれるし、でも他人と一定の距離を開けている感じの人。
仲の良い友達はいないんじゃないかと思っていた人が、自分の想い人と二人でいるというのは衝撃が大きかった。胸がずきずきと痛む。
でもよく見るとなにやら様子がおかしい。
吉滝さんは手に持つ茶封筒を彼に渡して、頭を下げている。遠目だけど、必死に謝っているみたい。
対して彼はこちらに背を向けていているが、そんな吉滝さんのことは全く見ていないようだ。
封筒の中身が気になったけど、その時もっと衝撃的な出来事が起きた。
「ど、どうして……」
どういうわけか彼は吉滝さんを突き飛ばしていた。吉滝さんは尻餅をついて、両手で顔を覆った。
彼がこんなことをするなんて、自分の目で見た光景なのに信じられなかった。
泣いているであろう吉滝さんに、彼は更に蹴りを入れている。強い蹴りではないようだけど、どうしてそんなにひどいことをするのか。
彼の蹴りが収まると、彼女は静かに立ち上がり、ふらふらとフェンスのほうへ歩いていった。
そして、こんなに運動神経がよかったのかと関心してしまうほど一瞬で、彼女はフェンスを乗り越えていた。
彼が急いでフェンスの方へ向かって走ったが、彼女はすでにそこから姿を消していた。
落ちたのだ。
私はそこで思い出した。吉滝さんの自殺を。遺書もなく理由が不明なままだった、彼女の死。
彼から脅迫のようなものを受けていたのではないだろうか。あの封筒の中身は、多分お金。
それも一回ではないだろう。
優しくて人気者の彼がこんなことをしていたなんて。私はその場にへたり込んで動けなくなってしまった。
しばらくして、戻ってきた彼と目が合った。彼はとても驚いていて、私は静かに彼を見上げている。
…
そこで、目を覚ました。
…
「…………」
「さあどうだったかな。人生のもやもやを解決することは出来たかな?」
分からないことだらけ。私はこの事は知らなかったし、そもそも事実なのかどうかも分からない。
今でも彼のことが好きという気持ちは残っているし。
これは夢だったのか、なんだったのか。
「あの――」
「ん、なにかな」
「今見たものは、現実なんですか?」
スーツ姿の男は顎に手を当てて、少し時間を置いて答えた。
「ふむ、ただの夢かもしれないし、現実かもしれない」
「それはどういう……」
「まだ実験段階だから分からない。過去をやり直す、という研究をしてこの機械を組んだけど、君が初めてのモニターだから、残念ながら成功したのかどうかは分からないんだ」
過去をやり直す。その言葉は、私が見たものとは違っている。
やり直すことなんてなかった。
ただ知らなかった事を見せ付けられただけ。
あの日、同じ時間に自分が何をしていたのかは思い出せないが、教室にいたのだと思う。少なくともあの場面は目撃していない。
もしこれが事実だったのなら、彼が吉滝さんの自殺の原因だったことになる。
そういえば夢の中の私はあの後どうなったのか。
彼と目が合って、その後は……。
過去をやり直すことが成功しているのなら、事実が公になっているか、彼に口止めされているのか。
今ここに私がいるということは殺されてはいないということ。
こんな発想は映画の観すぎだろうか?
◇
私はバイト代を受け取って、陽が高くなった外へ出た。
今日は晴れで、夏真っ盛りのとても暑い昼下がり。
じりじりと肌を焼く太陽。だらだらと流れる汗。
私の胸は締め付けられていて、潰れてしまいそうなほど苦しい。
どうしたらいいのか。
気持ちの整理ができないまま、私はふらふらとさまよっていた。
夢みる過去