春休み
夏休みや冬休みと違って、春休みには宿題が出ない。だから毎日思う存分遊ぶことができる。小学校の三年生から四年生に上がる春休みも、私はそうやって過ごした。
当時の遊び相手は同じクラスで近所に住む、ハルさんという女の子。私達はいつも外、だいたいは我が家の庭で遊んでいたけれど、その内容はいたってインドアだった。
まず、それぞれが掌に収まるぐらいの小石を選ぶ。水道できれいに洗って乾かしてから、目玉シールをボンドで貼る。これで少し生き物っぽくなるが、さらにフェルトを切りぬいて作った手足や尻尾、耳なども貼りつけて、自分の「持ちキャラ」として完成させる。
私の「持ちキャラ」は「たぬき」で、ハルさんのは翼やくちばしを貼った「ハト」だった。
私達はこの小石を自分の身代わりにして、庭のあちこちに潜り込んで遊んだ。木の上の小屋だとか、藪の中の秘密基地だとか、等身大では実現が難しいことでも小石ならそれなりに可能だ。小枝をせっせと集めて組み合わせ、自分たちでは小屋と思っているものを作り、その中に木の葉を敷いて「たぬき」と「ハト」の隠れ家にした。
春休みはちょうど日差しが暖かくなって、色々な花が咲き始める時期でもある。特に記憶に残っているのは沈丁花で、我が家の前庭にはこの木が植えられていた。
私とハルさんは、盛りを過ぎて地面に散らばっている沈丁花の、小さな花の一つ一つを人間に見立てて並べてみたり、笹船に乗せて側溝に流してみたりして遊んだ。
今の私が庭にはいつくばっている自分とハルさんを見たら、この子たちは一体何が面白いんだろうと不思議になるかもしれないが、私たちは十分に、自分たちの想像の世界で楽しんでいた。
短い春休みが終わって新学期が始まると、ハルさんと私は別々のクラスになり、一緒に遊ぶこともなくなった。そして中学校に上がると、私たちは同じ部活で再び行動を共にするようになった。テスト前で練習が休みになると、勉強はせずに誰かの家で集まり、漫画を読んだりして過ごした。
その頃になると私は、小学校の時には気づいていなかった、ハルさんの性格を知るようになった。
私につきあって小石でちまちまと遊ぶぐらいだから、ハルさんも内気な性分だった。だから周囲の人からは「大人しい人」と思われていたが、決してそうではない。むしろ人一倍、自分の考えに対するこだわりは強い方だった。
例えば、あるデザインのノートを買いたくなったとする。たいていの人は文具店を一、二軒回ってみて、なければあきらめてしまうが、ハルさんはそのノートが見つかるまで、とても遠くの店まで探しに行く人だった。
それほど意思の強い人なのに、ハルさんは自分の気持ちを表に出さず、押さえ込むところがあった。もしかしたらそれは、三人姉妹の真ん中という、育った環境に原因があったかもしれない。いずれにせよ、ハルさんは自分の思いを表明することが極端に少なかった。
しかしそれは何も感じていない、という事ではなくてむしろ逆だ。だから、部活の最中に何か取り決めをする事があって、皆が自分勝手なことを口々に言い合い、まあそんな感じでいいんじゃない、と話が落ち着きかけたところで、ハルさんがいきなり泣き出す、などという事が何度かあった。
皆の意見に対して、ハルさんも自分の主張があったのだ。しかしそれを口にすることには抵抗がある。とはいえ、皆が決めてしまった事にも従いたくない。ぎりぎりまで我慢した結果の涙なのだった。
今で言うなら「察してちゃん」とか、「面倒な人」となるのだろうか。でもまあ当時は他の皆もけっこうのんびりしていたので、そこからまたハルさんの気持ちを聞き出して、意見を調整していた。
その後、私達は同じ高校に進学したけれど、私は同じ部活の仲間とばかり過ごしていたし、ハルさんも自分の友達と一緒にいて、別々の世界に住むようになった。それからお互い社会に出て、三十も半ばを過ぎた頃、ハルさんが自殺したと知らされた。
彼女の母親が、道で行き合った私の母親を呼び止めて事の顛末を語ったのだが、軽い興奮状態で、ずっと話し続けたという。
ハルさんは長い間、心を病んでいたらしい。
その話を聞いてしばらく後、こんどは私の姉が、同級生であるハルさんの姉と偶然会った。
「妹さんが亡くなってせいせいしたという感じだったから、本当に驚いたよ」
姉の言葉に、実家住まいだったハルさんの居場所の無さを思い、とてもやるせなかった。
今でも三月になって沈丁花が咲くと、私はハルさんと遊んだ、あの春休みを思い出す。
早春のまだ少しひんやりした空気と、鼻の奥につんとくるような沈丁花の香り。掌に収まった小石の堅い感触。ハルさんの少しかすれた小さな声と、まっすぐに切り下げたおかっぱの髪。
私達は前庭にしゃがみこんで、黙々と遊んでいる。楽しく。
春休み