どんなところでもドア
「すみません、支配人。海外から『責任者を出せ』という電話が入ってます」
フロントクラークの土屋にフロント裏の通路で呼び止められ、夜勤明けで、すでに帰り支度をしていた秋元は、思わず舌打ちをした。
「外人さんか?」
「いえ、日本の方です」
「うちのホテルに忘れ物でもしたんだろう。いいぞ、おれの席に繋いでくれ」
秋元は、フロント裏の一番奥にある自分のデスクに戻ると受話器をとった。
「はい、宿泊支配人の秋元でございます。はあ?」
秋元は送話口を手で押さえ、土屋に「1214号室に宿泊中の客だと名乗ってる。名前を調べてくれ」と告げた。
「はい」カチャカチャとキーボードを打つ音がし、「笹田さまです」との返事。
秋元はうなずいて送話口から手を離した。
「笹田さまでございますね。え、ハワイに、ですか。はあ、それは、ちょっと、わたくしどもでは。あ、いえ、決してトボケているわけではございません。はい、はい、必ず原因を調べます。はい、はい、失礼いたします」
電話を切ったあとも、腕組みをして天井を睨んでいる秋元に、土屋が心配そうに声をかけた。
「支配人、どんなクレームですか?」
ハッとしたように土屋を見た秋元は、軽く首を振った。
「どういうことなのかおれにもわからんが、部屋のドアを通り抜けたら」秋元は一瞬言葉を止め、肩をすくめると「そこは常夏の国だった、ということさ」と続けた。
土屋が記録を調べると、笹田という客は月に一回程度このホテルに宿泊する貿易商だった。今までこれといったクレームもなく、もちろん、支払いが滞ったこともない。まして、バカげたイタズラを仕掛けるような年齢でもなかった。今回は昨日から二泊の予定で1214号室に一人で泊まっており、本来なら明日にはチェックアウトする予定だった。顔見知りだというドアマンに聞くと、明日からハワイに出張の予定だったらしい。
それが、本人の話では、雑誌でも買おうと小銭入れだけ持った状態で部屋を出たら、いきなりハワイにいた、というのだ。携帯電話は部屋で充電中で持って出なかったため、ハワイの知人に電話を借りてかけてきたらしい。その知人は帰りの飛行機代も貸そうと言ってくれているが、形としては不法入国に当たるため、知人に迷惑をかけないよう来た時と同じ方法で帰らせてくれ、というのが電話の趣旨だった。
「本当にそんなマンガみたいなことがあるんでしょうか?」
土屋の質問に秋元は苦笑した。
「おれにもわからんさ。まあ、本人からの依頼でもあるし、とにかく部屋の中を調べてみるしかない。土屋、マスターキーを用意してくれ」
二人はその足で1214号室に行ってみたが、特に異常は見当たらなかった。普段からきちんとする人物らしく、着替えの服なども整理して収納されていた。極薄のノートパソコンと携帯電話が充電中のままであること以外、変わった様子もない。一通り見終わると、土屋は首をひねった。
「別に、何もないですね」
「まったくだな。ここからドアを開けただけで、ハワイに行けるなんてことは」
そう言いながら秋元がドアを開いた瞬間、二人の目の前に光あふれる景色が現れた。抜けるような青空、どこまでも続く砂浜、カラフルな水着の外国人男女。秋元は反射的にドアを閉めたが、微かに潮の香りが漂ってきた。
「み、見たか?」
秋元が尋ねるまでもなく、土屋も目を見開いて固まっていた。
「た、確かに見ました。でもでも、そんなこと」
「ありえない、よな。うん。このドアの外は、うちのホテルの廊下のはずだ」
そう言ってドアを開くと、見慣れたいつもの廊下であった。秋元はもう一度ドアを閉めると、「そうか、もしかして」とつぶやいた。
今度は少し大きめの声で「ああ、ハワイに行きたいなあ」と言いながらドアを開いた。すると、抜けるような青空、どこまでも続く砂浜、カラフルな水着の外国人男女、という先ほどの景色が再び出現した。すぐ近くでサンオイルを塗っている、ビキニの金髪美女と目が合ってしまい、秋元はあわててドアを閉めた。
秋元はニヤリと笑うと、「パリ」「ロンドン」「ニューヨーク」などと言いながら、ドアを開けたり、閉めたりした。そのたびに、パリの凱旋門、ロンドンのビッグベン、ニューヨークの自由の女神などが目の前に出現した。
「間違いない。行きたいところを言いながらドアを開けると、どんなところでも行けるようだ。笹田氏も、日本がまだ寒いから早くハワイに行きたいとかなんとか言いながらドアを開けたんだろうな」
「でも、どうしてこの部屋のドアがそんなことに」
「そうだな。うちのホテルがそんなドアを作るはずがない。うーん、そうか。笹田氏の前に誰が泊まっていたのか調べよう」
「それなら、さっき念のため調べておきました。前泊は当ホテルの会員の方で、フリーチェックアウト(予めクレジットカードで支払い、フロントに立ち寄らずにチェックアウトすること)されていました」
「ほう、でかしたぞ。で、誰だ」
「古井戸さまです」
「え、あの?」
「はい、あの古井戸博士です」
「それを、早く、言えよ!」
「関係があると思いませんでした」
「超ノーベル賞級の頭脳だぞ。あるに決まってるだろ!」
「すみませんでした。でも、ノーベル賞は獲ってないんでしょう」
「超えてるんだよ、まあ、その、いろんな意味でな。きっと博士が事情を知ってるはずだ」
「では、とりあえずフロントに戻って、博士の連絡先を調べます」
「いや、いい」
秋元は部屋の電話からホテルの交換手にかけた。
「ああ、宿泊支配人の秋元だ。社用で外線をかけてくれ。相手先の番号だが、会員名簿から古井戸博士の研究所か携帯を調べてくれ。うん、じゃあ、一旦切るよ」
すぐに交換手から折り返しの電話があり、研究所は留守電、携帯は圏外との返事だった。
「どうしますか、支配人。やはり、警察に」
「うーん、いや、待て。そうか!」
秋元はドアノブに手をかけ、「今、古井戸博士がいる場所に!」と叫んで、ドアを開いた。
ドアの外は一面の銀世界。と、いうより、ホワイトアウトの状態であった。猛烈な冷気が室内に吹き込んできた。
「こ、こりゃ、雪国どころじゃないな。極地みたいだ」
すると、吹雪の向こうから、「おお、ちょうど良いタイミングじゃ。まだドアを閉めんでくれよ」という微かな声が秋元の耳に届いた。
「古井戸博士ですかーっ!」
「そうじゃ。もうすぐ着くよ」
歩いて来るものと想像していた二人は、空中に浮かんだスノーボードに乗って飛び込んで来た、白衣で白髪の老人に度肝を抜かれた。
「おお、驚かせてすまんな。ジェットスノーボードの練習をしておったのでな。改めて自己紹介しておこう、わしが古井戸じゃ」
土屋はまだ口をパクパクさせていたが、さすがに秋元は落ち着いてドアを閉め、「このホテルの宿泊支配人、秋元です」と名乗った。
「そうじゃったか。しかし、わしが南極にいるのが良くわかったの」
「やっぱり、南極でしたか。そんな薄着で、よく凍死されませんでしたね」
「ふふ。自慢ではないが、この白衣は防寒・防熱・防弾・防諜の優れものでの、フルフェイスのヘルメットさえ被れば、このまま宇宙服としても使えるんじゃ」
「なるほど。ところで、さっそく本題に入りますが、このドアを改造されましたね?」
「ふむ。改造というほどでもないがの。実は、部屋のテレビでたまたまアニメ番組を視ておったら、このようなドアが出てきたんじゃ。仕組みはFAXのように、物質の情報を電波に変えて送り、向こう側で再構成する、とか言っておった。じゃが、その方法では向こう側にも同型機が必要だし、情報を読み取ったオリジナルを消さなければならないという大問題がある。それよりも、空間の位相を少しズラして繋いでやる方が簡単じゃし、何より安全じゃ。そう思って、ちょびっとこのドアをいじってみただけじゃよ」
秋元はあきれたように「ちょびっとじゃないよ」とつぶやき、「ホテルの設備を勝手に改造しないでください。少なくとも、元に戻さずにチェックアウトされては困ります」とやや強い口調で言った。
やはり、少しは古井戸博士も反省しているようで、素直に頭を下げた。
「すまんかった。すぐに部屋に帰って元に戻すつもりが、強風でドアが閉まり、出入り口自体がなくなってしまったんじゃ。ジェットスノーボードで戻るには一週間ぐらいかかってしまう。研究所の自動管理システムに救援機を飛ばすよう指令を出そうと思ったら、携帯が圏外じゃった。仕方なく、ジェットスノーボードで携帯圏内まで移動しようと思ったが、その時、大変なことに気付いたのじゃ」
「え、何ですか?」
「始めたばかりで、まだジェットスノーボードにうまく乗れないことを思い出したのじゃよ。だから、とりあえず、練習しておったんじゃ」
秋元は疲れたように「はあ、そうですか」と言ったが、今まで横でやり取りを聞いていた土屋が、秋元の袖を引っ張りながら「支配人、笹田さまをお助けしないと」と耳打ちした。
「そうか、そうだな」
秋元は掻いつまんで事情を古井戸に説明した。
「そりゃあ、申し訳ないことをしたのう。じゃが、支配人はすでに答えを見つけておるよ」
言われて、秋元も苦笑した。
「そうでした。では、笹田さまが今現在いらっしゃる場所に!」
そう言いながら、秋元がドアを開けると、そこは海水浴場に付設されたシャワー室のようだったが、何の間違いか、女性用の方だった。
「オー、ノー!」
あの金髪美女から、三人は盛大にシャワーの水を浴びせられてしまった。
「すまんの、座標にちょびっと誤差があったようじゃ」
(おわり)
どんなところでもドア