ちょうど良い泣きかげん
癌を患い、入院していた父が亡くなったとの連絡が入った。
3年ほどの闘病、入院して2ヶ月。
父は見舞うたびに痩せていった。
入院してひと月ほど経った頃、16歳の次男を連れて見舞いに行ったときのことだ。
次男が病室でトランプマジックを披露した。
父はベッドの上に座り、伏せて並べられたトランプと次男をじろりと見る。
生まれつき気立ての良い次男はずっと嬉しそうに笑っている。
「これ、こうやって。おじいちゃん。できる?」
「こうか?」
言われた通りにカードをわける父。見守るわたしもなんだか嬉しくてしょうがない。
二週間前に来た時は満員だった四人部屋は今日は父ひとりだ。
気兼ねしなくていいのは良いけど、お年寄りたちがどこへ行ったのか気になる。
退院して家に帰ったと思うことにする。
「じゃあ、おじいちゃん。おまじないかけて。」
「おまじない?わしがか。よおし」
父はおもむろに左手をあげた。
次に右手をその左手に添え、人差し指をピッとたてて言った。
「どろん!」
次男とわたしは顔を見合わせて笑った。
「おじいちゃん、忍者!?」
「それ、消えるおまじないやん」
父が、まぶたの垂れ下がった目をギロリとあげて、
「なーんで、そんなに笑う?」
というので、余計に笑った。
駆けつけた時には、父はもう自宅に帰ってきていて、仏間の布団に寝かされていた。
パジャマ姿で、眠っているようにしか見えなかった。
布団をそっとめくって足に触る。靴下をはいている。ほそい、骨ばった足首。
「来てたん?早かったな。」
母が出てきて言った。
「お父さん、死んでしもた。」
瞬間、母とわたしは同時に激流のような涙に襲われた。
ぎゅうっと眉間に力が入り、口がへの字に歪む。
しぼるように、ぼろぼろっとふたつぶばかり大きな涙の粒をこぼすと、二人とも「てへ」と笑って普通の顔にもどる。
次に泣いたのは、出棺のとき。
お棺に花を入れながら、父になにやら話しかけている親戚のおばさんを押しのけるようにして、父の顔の一番近くに行く。ここは今日送られる故人の、可愛い末娘である私の場所だ。
母と並んで父の顔を覗き込み、本当に最期かと思ったら素直に寂しくて嗚咽がもれた。
溢れる感情に突き上げられるように夢中で泣いた。
長生きというほどでもないが、早すぎることもない。
父の死をごくあっさりと受け入れながら、それでも悲しい。
「俺、お母さんが泣いてるからちょっとつられただけやで。」
次男が、何を言ってるのかと思ったら、自分が泣いてしまったことを誰に何を言われたでもないのに勝手に恥ずかしがって言い訳しているらしい。
あほやなあ。
たくさん泣いた私はなんだか爽快になって、笑った。
実家は今から思えば贅沢なくらい、自然が豊かだった。
野の花、赤い木の実、椎の実、蛍やザリガニ、雪の音、海の香り。
田舎の風景は父の思い出とつながる。
畑仕事は嫌いだったけど、自然は好きだった父。
春の日、散歩がてらに連れだってタバコを買いに行く道すがら、作ってくれた花の首飾りは、シロツメクサやレンゲやヒメジオンなど、手当たり次第にいろんな草花が編み込まれていた。
梅雨の頃、母に呼ばれて庭に出る。蛍がとんでいる。
「お父さんが呼んでこいって。」母が笑う。
夏の日、岩場での海水浴。父と叔父がとった貝を焼いて食べる。
秋の木の実。食べられるのはこれ、とおしえてくれた。
冬、雪の山でウラジロ探し。
照れ屋で、決して子どもをベタベタとかわいがったりはしなかったけど、自然を通してよくかまってくれた。
ときおり思い出す子どもの頃の思い出は、年を重ねるごとに浄化され、澄んでゆく。
じいじの忍者のまねを見たのは、次男とわたしだけだ。父はさいごにオマケのような思い出をくれた。
素敵な思い出を持つわたしは、とても幸せだ。
ちょうど良い泣きかげん