徒爾
馬鹿みたいにのうのうと生きていた日々は残酷なまでに終わりを告げた。
八月、窓を閉めていても聴こえてきそうなほど蝉が鳴いてるのが分かる午前十時。今頃、私の同級生たちは、今晩開かれる夏祭りに心を躍らせているだろう。学生最後の夏は、きっと盛り上がるに違いない。
あの人もきっと、そうなんだと思う。
「あー、何やってんだろ十代の夏に。」
小さく呟き、視線を腕に向ける。腕に刺さる針と繋がった管は私をこの部屋に閉じ込める鎖みたいだ。先ほど様子を見に来た看護師さんが帰ったので、また一人の時間をぼーっとしたフリをしながらいつものように過ごす。一人の時間を何も考えずに過ごせる訳がなく、私いつも同じことを考えてる。私の時間は限られているから尚更、考え事に忙しい。この世界から消えてしまえば思考を持つことも許されないかもしれないから。ベッドに寄りかかりながらも、窓の外に視線を飛ばす。あの入道雲の下の世界であの人は今頃何をしているんだろう。もう逢うこともないあの人のことで私の頭はいっぱいだ。それでいい。死ぬまでこの頭いっぱいにあの人のことをひたすら考えて、この脳に刻みつけて、この胸を傷つけて、死んでも忘れてしまわないように。
「夏だなー…」
日差しが強くなってきたのでカーテンを閉めようと窓を覗いた午後二時。こんなちっぽけな私を笑うかのような青空が悔しいけどやっぱり綺麗だ。今日は夏祭りということもあってか、窓の外にいる人みんな楽しそうに見える。太陽が二組の男女にガンガン照りつけていて「ざまぁみろ」と思っていても、当の本人たちの足取りは何処か弾んでいて面白くない。逆に「ざまぁみろ」と言われた気分だ。そのまま燃えればいい。きっと、二人組は夏祭りに行くのだろう。あの人も今頃、隣に可愛い女の子を連れて太陽がガンガンに照りつけるコンクリートを彼女が奏でる心地好いヒールの音を聴きながら歩いているのだろうか。そのまま、夏祭りの屋台を歩き、一緒に花火を見るのだろうか。自分で考えてヘコんだ。私には落ち込んでる暇はないのに。思い切りカーテンを閉めて、煩わしく腕に刺さる点滴をカラカラ引っ張って再びベッドへ戻り、気を取り直して先ほどの考え事の続きをする。そう、私の頭の中では、あの人は私のものなんだ。
エアコンから出る涼しい空気が滞る、世界から遮断されたこの白い部屋で私は、叶うはずのない夢を見続けている。ドロドロとした感情が入ったそれは考え事なんて綺麗な言葉ではなく妄想だ。考えるだけなら自由だ。だから、今だけはあの人は私のもの。実際には、あの人と私の関係は友達、いや、それ以下の関係かもしれないという無駄な考えはもう捨てよう。こんな状況になってから毎日のように訪れる後悔。どうせ死んでしまうのなら告白の一つでもしておけば良かった、無防備に晒された手にふざけて触れてしまえば良かった、もう少し可愛くなる努力をすれば良かった。後悔しても、遅いことは分かってる。だから、どうしようもない感情のやり場に困っていて、毎日毎日叶うはずのない夢を見ている。夢を見ていられるのは生きてる時だけだからという言い訳をして。最近はあの人の妄想だけじゃなくて、ちゃんと死ぬ時のことだって考えているつもりだ。私が死んで、身体から魂だけが抜けたとしたら、あの人の元へ行って、そして私が世界から居なくなったことを知った時のあの人の顔がみたい。あの人が少しでも顔を歪めてくれたら、それだけで私には生きている価値があったと分かるから。結局、私は死ぬまであの人の妄想が止められないんだと思う。綺麗な感情を知らない私はきっと欠落品だ。どこか壊れているんだと思う。
昼間ガンガンと照りつけていた太陽が、徐々に西に傾いていき、空の色も変わり始めた。午後五時。窓の外の世界では浴衣姿の人が所々見られる。それを憎ましく思いながら、心のどこかに隠したきた想いが、とどめなく出てきてしまった。この腕に刺さる点滴を抜いて、病院から抜け出して、お小遣い持ち出して、可愛い浴衣買って、美容院で髪を整えて、可愛くメイクをして、夏祭りに行ってあの人を探したい。あの人に逢いたい。あの人に逢えて死ねるなら本望だ。だけどあの人の前から消えるなら花火にでもなって、儚く淡く綺麗に散れなきゃ駄目だな。そして、出来ることなら見惚れてほしい。その顔がみたい。最高で最上の思い出にやっぱりあの人に逢いたい。
そう、思った瞬間に私は腕に刺さる点滴を抜いた。
あらざらむ この世のほかの 思ひ出に
いまひとたびの 逢ふこともがな
徒爾
百人一首アンソロジーさくやこのはな参加作品です。 http://sakuyakonohana.nomaki.jp
〇五六 あらざらむ この世のほかの 思ひ出に いまひとたびの 逢ふこともがな (和泉式部)