冷たい呪い

 私は夢を見ていました。感覚で分かるのです。それが現実ではないことが。それが夢であることが。
 私は川辺に居ました。大量の洗濯物が隣にあって、空は曇っています。私は冷たい冬の川に両手を浸し、洗濯板に一枚一枚、洗い物を擦りつけていきます。
「この時期の洗濯はやってられないね」
 隣の奥さんが濁った声で言いました。彼女はワンピースの両腕をまくり、頭に真っ白な頭巾を付けて、良く肥えた体躯をむっくり動かしながら、私と同じように洗濯物を洗っています。
「指の先が崩れていきそうだよ」
「あたしゃもう感覚がなくなったよ」
 私は濁った声で笑いました。隣の奥さんと同じく、袖をまくって、延々と洗い物を続けます。両腕はパンパンに膨れていて、掌はタコまみれ。少女の頃の細く、繊細な指先の面影は、もう微塵もありません。
 やがて洗濯物が終わり、家に帰った私は、汲んできた井戸の水で料理を始めます。煮物が出来上がった辺りで夫が帰ってきて、気づけば外は真っ暗です。ランタンに灯を入れて、私は夫と他愛無い話をしながら味の無い食事を摂り、食事の片づけをして、やがてベッドに横になります。
「私はお姫様なのよ」
 そう言うと、隣の夫は笑いました。
「そうかい、そりゃ大したもんだ。それじゃ一日お疲れさん、お姫様」
 私は枕元のランタンの灯を消しました。



   ●

 私は夢を見ていました。感覚で分かるのです。それが現実ではないことが。それが夢であることが。
 私は川辺に居ました。爆音が遠くから近くから轟き、土砂が砲弾で土煙と共に舞い上がります。私は荒い息をしながら、川辺の背の高い植物に隠れるようにしながら、数メートル程向こうの川岸の敵軍兵士を凝視していました。
 彼らは茶色い革の帽子を被り、冬の大気に抗うように分厚いチョッキを着て、腰には榴弾とナイフのついたベルトを着けて、血走った眼で機関銃を撃ち続けていました。別の方向からも機関銃の音は響いています。それはクロスファイアでした。私たちを足止めしているのです。
「次に銃撃が止んだら、突っ込むぞ」
 隣の上官が耳を抑えながら怒鳴りました。私は嫌だ、嫌だと思いながら、怒鳴り返していました。サー、イエスサー。やがてパタパタという銃撃音が、突然鳴くのを止めた蝉のような沈黙を――でもここは戦場です、爆音と悲鳴と怒号と地響きが支配しています――束の間だけ運んできました。
 私たちは大声を上げました。突撃銃を構え、訳の分からない、言葉にならない言葉を叫びながら立ち上がり、走り、河に足を突っ込みました。冷えた河の水は足首までで、靴の底はぬかるみ、私たちの足は罠にかかった鳥のように勢いを殺されました。
 また、ぱたぱたという銃撃音が響きました。私と、上官と、その他多くの兵士たちは、頭を低くし、全力で河を渡りました。浅い川は幸いでしたが、隣に並んだ戦友の体躯に幾つもの穴が開き、彼は血と共に川に沈みました。私は機関銃の音のする方向に手榴弾を投げつけ、上官と共に川岸を走りました。爆音がしました。同時に、私の腹部に幾つもの穴が開きました。
 銃声が遅れて聞こえました。私は倒れました。水の中で溺れているかのように苦しく、私は喉に詰まった液体を吐きました。それは真っ赤で、背の高い川辺の植物に降り注ぎました。
「おい! 良くやった、機関銃士はバラバラだ!」
 荒い息の上官が隣にやって来て、泥だらけの顔で私を覗き込みました。大丈夫だ、止血をする、眠るな。彼はそう言いました。
「私はお姫様なのよ」
 そう言うと、上官は涙でくしゃくしゃになった顔で怒鳴りました。
「そうかい、なら眠る時はベッドまで行かなきゃいかんだろ! おい、しっかりしろ! おいッ!」
 私は自分の吐いた血だまりに顔をうずめました。



   ●

 私は夢を見ていました。感覚で分かるのです。それが現実ではないことが。それが夢であることが。
 私は城内を歩いていました。赤いカーペットの敷かれた長い廊下。真夜中で、廊下に灯るランタンが頼りなく歩く私の影を幾重にも廊下に映し出します。外は雷鳴の轟く大雨。私はしっかりと熊の縫いぐるみを抱きながら、真っ直ぐに廊下を行きます。
 やがて目的の部屋が見えると、扉の前から騎士が走ってやってきました。甲冑に身を包み、腰には一振りの長く、しかし煌びやかな剣を着けています。
「如何されました、王女様。こんな真夜中に」
「怖い夢を見たの」
 私はぎゅっと熊の縫いぐるみを抱きしめ、端正な顔立ちの騎士を見上げました。彼は優しく私の頭を撫でました。それから私は彼と手を繋ぎ、扉の前に向かいました。
 騎士はやがて扉を叩きました。そして、低く、厳正な声で告げます。
「王、失礼いたします。王女様がお越しです」
「何? 入りなさい」
 騎士は厳粛に返事をして、それから打って変わって優しい声で「さぁ」と私の背に手を当てました。私は彼に「ありがとう」とお礼を言って、騎士が開けてくれた扉の隙間から中に入りました。
「どうしたんだい、一体」
 王はまだ起きていて、どうやら執務をしていたようでした。部屋の奥には天蓋カーテン付きの大きなベッドが鎮座していて、王はその手前、特注の木彫りのがっしりとした机に向かっていたようです。彼はペンを置いて、部屋の中に入ってきた私を抱き上げました。それから、優しく尋ねます。
「怖い夢でも見たのかい?」
「うん、怖い夢を見たの」
「それは可笑しな話だな」
「どうして?」
「キミは夢を見たんじゃない。見ているんだ」
 王の顔はどろどろに崩れました。



   ●

 私は夢を見ていました。感覚で分かるのです。これが夢であることが。これが現実ではないことが。
 私はベッドの上で上体を起こしました。正確には、起こしたような感触を抱きました。両隣を見ました。正確には、両隣を見たような感触を抱きました。
 それは鉄の棺のようにも、大きな卵のようにも見えました。それが無数に並んでいます。その中には、今の私と同じように、両手を組み、均一な姿勢でカプセルに収まっている、私の仲間たちが居ることでしょう。
「眠りましょう。眠りましょう」
 脳内に、直接声が響きました。優しく、しかし無機質な声。どうやら、私が浅い覚醒状態に入ったことを知ったようです。それは告げます。眠りましょう。眠りましょう。カプセルは遠い故郷の電車の揺れに似た揺らぎを私の体に与えます。私はまた眠気に支配されていきます。
「まだ眠らなければならないの? あとどれくらい?」
「貴女は眠っています。けれど、もっと深く眠りましょう。何故なら、次の星までは五十年と百八十日必要です。コールドスリープは貴女の肉体を若く保つ素晴らしい方法です。眠りましょう。童話の眠り姫のように」
 私は意識が遠のいていくのを感じました。そう、私は眠らなければならないのです。それは星間移動には欠かすことの出来ない行為なのです。そうしなければ、星と星の間を繋ぐ、人間にとってはあまりにも遠い航路の最中で、私は老いによる死を迎えることになるのですから。
 けれども。私は予定通りの航行を行う船のメイン・コンピュータに尋ねます。
「私はいつになったら眠れるの?」
「貴女は眠っています。貴女は眠っています」
 そう、メイン・コンピュータは私に告げます。言葉に偽りは無いのでしょう。それは私に睡眠を与え、私の肉体は確かに眠っている。正確に言えば、眠っている、という状態を創り出している。維持している。科学が、人が定義する『眠り』を私に提供している。
 けれども。どれだけそれに近くとも。いえ、近いからこそ。
 私は尋ねます。
「ねえ、私はいつになったら眠れるの?」
 科学が創り出す睡眠は、まるで呪いのように私を蝕むから。
「ねえ、いつになったら――」



 あと五十年。この呪いは続きます。

冷たい呪い

冷たい呪い

【第132回フリーワンライ】 使用お題:眠り姫の夢 ジャンル:オリジナル 備考:Twitterで開催しているフリーワンライに参加した際の作品です。ちょっと怖いかもしれないお話。十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない――有名な言葉ですね。 超備考:新作書いたらTwitterで告知してます。宜しければ。http://twitter.com/drawingwriting

  • 小説
  • 掌編
  • ホラー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-03-26

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