脳内RADIO
ジャンルは音楽です
「脳内RADIO」
1 自分
時が経つのは速い、気が付くともう29歳になっている。
今まで特に頑張った記憶もない、特別人に誇れるものもない。
ごく普通の人生を過ごしている。普通に働いて、遊んで寝て起きて
これの繰り返しだ。これが悪い訳ではないが、どこかが違う気がする。
その何かはわからないが、ただ人生の時間だけが過ぎていて、その違和感を感じている。
まるで靴の右と左を履き間違えたような感覚とシャツのデザインが前か後ろか
わからずに着ているような感覚で、自分は今前を向いているのか後ろ向きになっているのか向かう方向もわからずにただなんとなく道がついているから歩いてきただけだった。
このままで本当に良いのかと、29歳になってから思い始めていた。
名前は 伊藤 亮
顔立ちは童顔で歳より若く見える。色白で背丈は低く、目が特徴的で
瞳が茶色でどこか光が見える。
亮は今、一人で車を運転しながら最近のこの悩み考えている。
だがいくら考えても答えは見つからずにいた。外は今雨が降っている。
雨は意外と嫌いじゃない。車の窓ガラスに当たる独特な雨音と、そのにおいが
なぜか心が落ち着くような感じがして好きだった。
そして車はゆっくりとショッピングモールの駐車場の中に入った。
今日は仕事が休みなので、
一人で買い物に来た。最近は一人で行動する事が増えていた。回りは
結婚していたり、休みが合わなかったりで一人が多くなった。
いつの間にかみんな大人になっている。まるで自分だけ止まっていて、
みんなに追い越され、今ではその背中も見えなくなっているような気さえする。
少し歩いていると、ホールに人だかりが見える。
「アレっなんかイベントでもやってんのかな?」と思い
近づいて行くと「上野 真希が来るらしいよ」いう声が聞こえた。
人気アイドルグループの一人で、今はソロでも活動しているらしい。
大人気でテレビで見ない事はないぐらいだ。
ポスターが張ってあり内容を見ると、3時からラジオの公開収録と
書いてある、宣伝もあまりしていないのか、意外に人はそこまで多くないようだ。
「あと10分ぐらいだな、無料って書いてるから見とくか」
そういえばいままで生きてきて、一度も芸能人を見たことがなかった。
ライブなども行った事もないし、あまり興味もなかった。
そうこうしているうちにラジオのDJが登場して、進行している
まだ上野真希は登場していないが。少しドキドキしながら
遠くの柱の横にもたれ掛かりながらステージを見つめていた。
亮は落ち着かずなんとなくニット帽をかぶり直している。
では上野真希さんの登場ですという声がきこえた。
いっせいに空気がザワついたその瞬間に亮は驚いた。そこに出てきたのは
色白でスラっとしていて顔立ちは鼻が高く見たことがないくらい美人
だった。テレビで見たことはあったが、正直実物はここまでとは
思っていなかったのだ。声がキレイで話し方が柔らかだった。
亮はしばらく息を飲んで見つめていたが、
ふと我に返った。もう行こうと思い逃げるように歩き出した。
なんとなくその場には居ずらくなってしまったのだ。
その日はそのまますぐに家に帰り、ただボーっとしたままだった。
そのなんともいえないイメージはいつまでも亮の頭から消える事はなかった。
2 夢の始まり
亮は夢を見た。内容は覚えていたはずなのだが
起きて思い出そうとした瞬間に吸い込まれるように頭から消え去った。
そういえばここしばらく夢をみていなかったように思う。
気にせずにいつものように仕事に行く為に家を出た。
外は雪が降っている。風は冷たく凍りつくようだったが、空を見ると雲は高く
まるで果てのない空に見える。その中に雪が円を描くように降っていて
雪が止まって見えるようだ。「やっと振ってきたか」と白い息を吐いて
亮は小さく呟いた。もう12月も中なのに初雪は今日だった。
車を動き出すと、ふとゴミの山が視界に入った。今日は粗大ゴミの日らしい
なんとなく気にはなったが仕事に向かった。
その日の夜に仕事を終えて亮は一人で居酒屋に向かった。
今日は仲の良い友達と集まる日だ。最近は月に一度は集まるようにみんなで決めている。みんな仕事場では役職も付き始めていて話も仕事の話が多かった
段々と昔の話もするようになっていて、それがとても懐かしくて話題は尽きず
楽しかった。今も十分に自由はあるが、あの頃はもっと自由だった。
今よりもお金もないが毎日が楽しかった。今ではみんな立派な社会人だ
それから唐突に話が出た「そういえば中学のとき卒業文集で将来の夢を
書いたよね、覚えてる」
書いた通りになった奴もいたが、ほとんどが別の道に進んでいた。
亮は考えている。だが思い出そうとしても全く思い出せなかったが
その話はそこで終わった。帰りは少し遅くなってしまった。
酒は呑めないので呑まなかったが、疲れで眠くなってきていた。
家にもう少しで着くという所で亮は車を急に止めた。
車から降りて夜の街頭の下まで静かに歩いた。目の前には朝見たゴミの山がある
亮は急に胸の底から激しい感情が湧き出していた。粗大ゴミの中にさっき話していた亮の夢がそこにあったからだった。古いアコースティックギターが捨てられている。あのときの夢はミュージシャンになることだった。
毎日夜中まで指がボロボロになるまで弾いていた。それが今では普通のサラリーマンだ。まるで夢を捨てた亮に訴えるようにアコースティックギターが佇んでいる
何故だかとても虚しかった。
亮はそれを拾い車に乗り込んですぐに声を上げ泣いた。
亮は感情を抑えきれなくなっている。まるであの時の中学生の自分と話をしたようだった。自分への恥ずかしさや悔しさその全てが一気に吹き出る感覚だった。
何故だろう?いつの間にか歳を重ねると、感情が少しずつ消えていった。
そしてその夢は思い出すことすら無くなった。色んなものを置いてきた空しさ
が今は胸の底で疼いてこみ上げてきた。
車のライトが前を照らしその中を雪がチラついている。雪が少しずつ積もり始めていた。
目を覚ますともう昼になろうとしていた。起き上がり鏡の前に立つと
目が赤くなっている。でもとてもすっきりした気分だ。
静かに座り亮はギターを手に取った。よく見ると古さはあるものの
状態は良く手入れのされた物だった。なぜ捨てられたのかわからないが
売ればお金になるような物だった。軽くチューニングをして
亮は試すようにギターを弾きはじめると耳の中に滑らかで澄んだ音が
響いた。曲が終わるとまた次と真剣な眼差しで弾いた。ふと我に返ると
1時間が過ぎている。指に少しヒリヒリとした感覚がありその感覚が
懐かしくてたまらなかった。心の奥で何かが始まった気がする
同時に密かな漠然とした決意が亮にはあった。
ミュージシャンになろうと決めたのだ。
それを誰かに言えば笑われるような決意だったが、それを思うのには
理由がある。自分は何か見えない力で導かれているような気がして
仕方ないのだ。勘違いと思われるかもしれないが、人間には時に
そうゆうものが沸々と感じとれる瞬間がある。客観的に
みると確かにばかばかしくて少し笑ってしまうが。亮は何か自分の
探していた自分らしさを見つけたのだった。
とはいったものの何から始めたらいいのかわからない。まず
ギターに慣れなければならない何年も弾いてなかったわりには
腕は落ちてはいない。これがスポーツだったら話は変わっているが
音楽というのは感覚がしっかりしていれば関係ないらしい。
亮はそれを確かめるように何時間もギターを弾き続けた。
それから2週間ほど経った日だった。亮はいつものように
車で仕事に向かっている。左手の指紋はすっかりなくなっていたが
大分皮が張って丈夫になっている。亮は何も考えず運転していると
遠くから何か聞こえたような気がした。なんだろうと思いよく聞いてみると
頭の中で音楽が鳴っている。衝撃的だったそれはフレーズが浮かんだとか
そうゆうレベルの事ではなくまるで頭の中でラジオがかかっている
ような感覚でそれは聞いた事もなく、知らない曲でそれを誰かが
歌っている。魂が震えるような歌だった。亮はあっと思い
すぐにその歌を思い出せるかぎり携帯に録音をした。
それから段々とその歌は記憶から消えかかってきて思い出そうとしても
靄がかかったようになって思い出せなくなった。
もしすぐに録音してなかったらもう2度と思い出せなかっただろう
不思議な感覚で今それを再生してもこんな感じだったかと
思ってしまう程だ。だがいい曲になる気がした
自分にハマる歌だった。亮の歌はとても通る声で響くような
歌だった。亮は音楽をやってはいたが、ヴォーカルはもちろん
カラオケも歌う事はなかった。緊張しやすい性格で人前で
歌うのが恥ずかしかった。社会人になってからムリヤリ
歌わされて初めて人前で歌い。うまいと言われたので
それから歌うようにはなっていた。キーも高いところまで出て
よく響くのでマイクもいらないと思うほどだった。
今ギターを弾くようになったのだが、家では歌う事は
出来なかった。アパートに住んでいるのでギターを
小さい音で弾くぐらいが精一杯なので、歌の練習は車の中でしている
今の曲も車の中で完成させる事にした。ただ自然と
フレーズを何も考えずつなぎ合わせると少しずつ
出来上がっていった。そんな生活を誰にも知られずに
3ヶ月続いた。その間頭の中でラジオが鳴る事が
度々あった。それは時間や場所選ばず仕事中やトイレ
いつ鳴るか予測不可能で、それを歌う声は自分だったり
好きな歌手や男女問わず英語の時もあった。
録音はしたが、また少し時間が経つと記憶から薄れていく
感覚だった。すでに6曲ほどは形が出来ている
だがどうしようかと考えていた。悩みは曲のアレンジである
やはり亮はまだ知識が乏しいのだ とりあえずコードを付ける程度だった。
コピーや弾く事はできるのだが楽譜も読めないほどの無知で、しっかりとしたアレンジが出来ないのだ。
昔から何事も感性でその感覚の赴くまま行動するタイプなので
知識をほとんどもっていなかった。本を買って読んでも基礎的な事でつまずいていた。オーディションなどに送ろうと思っていたがそのまま
歌とギター一本で録音してもイメージを理解してもらえるか自信がない
ただ歌とメロディーラインには自信があった誰かに聞いてもらった訳では
ないが脳内に流れていたイメージは出来てはいた。顔をしかめて
しばらく考えているとある考えが浮かんだ。ある意味賭けだがこれだと思った
そのまま歌だけ録音するというものだった聞く相手に曲がまるで
そこにあるかのように歌うのだ元々は頭の中から聞こえた時には
曲がついていたはずなのだから 相手にそれが伝わる気がした
さらにはそれで合格出来なければこれから先やってはいけないと思う。
すぐさま亮は家出て車を走らせた。そこは海だった。
あまり人気のないところに車を止め海の方を見て
この先だと思った。この海の向こう側に自分の道がある事を感じた。
これを乗り越えたらこの海を渡れるのだ。後はここを渡る為の道はまず
自分で作らなければならない。亮は沈黙を作り一呼吸してから歌を歌った
その声は優しいようでどこか物悲しく時に力強い。サビに来ると
何処までも響き渡り海の向こうまで届くような声だった。
亮の作る曲は悲しい曲や切ない歌が多かった。明るい曲よりも
しっくりくるのだ。歌い終わると亮は外に出た。海へ向かって歩き
裸足になり膝まで水に浸かった。春の海はとても冷たく足の指先から伝わり
脳天を突き抜けるように全身を冷やした。あの瞬間から運命は動き出した
29歳にもなってとバカにされるかもしれないが、後10年だったらきっと
39歳になっている自分は今を振り返った時にたとえ失敗しても
それを誇らしく思うだろう。
意味はないその意味を知るすべもないだけど知りたい。
だから今やらなければ後悔する。失敗はしても後悔はしないとあの日決めた。
風がとても心地よかった。春の匂いのする海風が身体をそっと撫でた。
3 心の弱さ
飛行機がもうすぐ飛び立つところだ。機内の窓から澄んだ瞳が
外を見つめ離れて行く陸と流れる景色を見つめていた。考え事をしている女性だった
名前は上野真希 亮が3ヶ月程前見たアイドルの上野真希である。
真希はその時の事を考えていた。あの日は最初は人が少なかったが
すぐに人が溢れていた。自分が登場した時に見た人を思い出していた。
柱の下でポツンと立っていたニット帽をかぶった特徴的な目をした青年だった 。
青年は少し目が合った瞬間すぐ立ち去った 。顔はあまり覚えてないが不思議な
吸い込まれそうな目が何故か忘れられなかった。
世の中には色々な人がいると思い笑みを浮かべゆっくりと目を閉じて眠りについた。
たくさんの人の中で亮はイスに座っている。頭の中は真っ白で落ち着きはなかった
次の人入ってくださいと声がして亮はガタッと立ち上がった
鼓動が速く手は震えが止まらなかった。
テープ審査が通り今オーディション会場にいるのだ。
これからまさに実技審査が始まるところだった。
はい歌をお願いしますと聞こえた。だが緊張が抑えきれず
手の震えが止まらないままアカペラで歌を歌い始めた
声は上擦りすぐに声が裏返った。審査員がこれはダメだなと
溜め息をついた瞬間だった。とてつもない衝撃を受けた
徐々に声が鳴り響いた。その歌声はギリギリというか
一生懸命というかまさに魂をすり減らすような歌いかただった。
それからの事は亮は何も覚えていなかった。いつのまにか家に帰っていた。
あのあと何を話したかもサッパリわからないのだ。だが一人の男に名刺をもらっていた。
デビューさせてやるから連絡しろと言われたのだった。死ぬほど嬉しかったが
今回の事で自分でも気づいた致命的な弱点がある。それは緊張すると
実力を完全に出し切れない所だ。人前にでる職業を目指す亮には
絶対的なマイナスだった。これをどうにかしなければと思うのだが
どうにもならない。もしかしたら自分には向いてないのかもしれないと
考えてしまう。だがあきらめるつもりもない。今亮の心を
表すのなら、黒と白が混ざり合う感覚でそれらは混ざろうと
しているのだが、水と油のように決別してどちらも混ざり合わないのだ
心は生きていく為にはそれらを必ず混ぜ合わせなければいけない。
その為の何かを亮は探していた。
亮はいつもより早い時間に仕事場に向かっている。その表情は暗かった。
会社に入ると必ず朝早く会社に来る上司の佐藤常務がいる。
亮は一枚の封筒を持って、「申し訳ありませんが今月で仕事を辞めさせて貰いたいのですが」と言い、それを聞いて顔しかめた佐藤常務が静かに「とりあえず座れ」
と言った。2人は来客用のソファーに向かい合って座りしばらく沈黙した。
「黙ってないで理由を言ってみろ」亮はまだ黙っている。
亮は会社に入って7年勤めた。亮は高校も中退で22歳になるまで
バイト生活をしていた。人間的にも未熟でよく言ういまどきの若者だった。
たまたま知り合いの紹介で面接をしてもらい 佐藤常務に「髪を切って明日から来い」と言われた。この上司は仕事に対してとにかく厳しかったが
義理や人情がある人で亮はとても尊敬していた。この人で会社が
成り立っていると言っても過言ではなかった。仕事だけでなく
人間的にも成長出来たのはこの人のおかげだった。だからとにかく
申し訳ない気持ちで一杯でなかなか理由を言えずにいた。
「本当にやりたい事が出来たのでそれに挑戦したいのです」と真剣な
面持ちで亮は言った。佐藤常務はしばらく考えて「わかった。お前が入社した時に一人前になってから辞めろと言ったがまだまだ半人前だ。辞めても絶対にそれを忘れるな」
続けて「死ぬ気でやって来いそれでもダメなら俺がいる内は帰って来い」
亮は涙ながら「ありがとうございます」それ以上言葉が出なかった。
「よしじゃあ仕事に戻れ最後までしっかり働け」と笑顔で佐藤常務が言った。
2人とも言葉数は少なかったがお互いを理解していた。亮は仕事に戻ったが
辞めるというこみ上げる淋しさで一杯だった。7年で辛いことも
楽しいことも思い出される。それを捨ててでも音楽に向かうという
気持ちは決して軽い気持ちではなかった。 いつか必ず恩返しをしようと心に誓った。
4 旅立ち
亮は空港にいた。これから東京に向かうのだ。誰にも詳しく
本当の事は言わなかった。ただ東京で働くと言って出てきたが
友人も親もそれ以上は何も聞かなかった。亮の性格を知っていたからである。
上司の佐藤常務もそれを知っていた。亮は良くも悪くも絶対に引かない性格だ。
人に対しては優しいが基本的に媚びる事はしない。そういう面では損をしたり
トラブルもありそれを嫌う人もいたが、そういうところを
好きな人も周りには多かった。亮は空港のロビーで一人チケットを見つめている
期待はあったが喜びの実感はまだなかった。まだスタートラインには
立っていないと思っている。今はまるで無人島に行くような気持ちだ。
無人島で生き残るにはどれだけのものを持っているかが大事である。
それはサバイバルの知識であり道具である。自分はどれだけの物を持っているのか。
知識は少ない。楽譜もほとんど読めないのだ。だが歌がありギターも
少しずつではあるが上達はしていた。これは道具だとしてサバイバルの知識は無くても道具があれば無人島での実戦経験をつめば 生き残る可能性はある。
東京でいかに吸収出来るかそれが全てだと思い自分に言い聞かせた。
オーディションの数日後に亮は名刺をくれた男に連絡した。
名前は渡辺さんという音楽プロデューサー だった。
「まず東京に来いある程度は面倒をみてやる」と言い 「この前のオーディションはきっと落ちているだろうあそこは音楽性よりも容姿を重要視するところだから」
亮は顔は悪くないが客観的にみて普通なのであるそれに背も小さい。
「知り合いのところに話しはしてある、来月にでも身辺を整理して来い」
亮は少し考えて「わかりました」とだけ答えた。
「よし、詳しい事はあとでまた連絡する」ときった。 後日連絡が来て
今日に至るのだ。飛行機の搭乗時間がきて亮はは飛行機に向かう道を歩き出した
入り口に近づくと生暖かい空気が肌に感じられた。7月の晴れた夏の空気が隙間から亮を包み背中を押されてる気がした。
東京に着くと住む部屋を用意してくれた。もとは学生寮だったらしいが
割とキレイで設備も整っている。ここならとりあえずは遅い時間や
大きな音を出さなければギターを弾いても大丈夫だ。
渡辺さんや事務所に挨拶に行って色々話しをした後、亮はまずアルバイトを
探さなければいけないと思った。部屋は用意してくれたが、生活をしていかなければならないのだ。それに何でもかんでも頼る訳にはいかないので、まずは働こうと思った。
そして亮は居酒屋で働く事になった。面接をしてしっかりとした言動や
態度だったのですぐにきてくれという事となった。それから実に亮は働いた。
慣れない仕事でも気配りがあり的確にこなした。厳しい仕事場で育った為
仕事を選ばない。アルバイトがない日や昼間は音楽に取り組んだ。
近くの公園でギターを弾いて歌を歌っていた。そんなある日の事いつもの
ベンチで亮は練習をしていた。一曲終えると反対側のベンチにいつの間にか
人が寝ていた。格好をみるといかにもホームレスといった感じだ。
亮は眠りを邪魔してはいけないと立ち去ろうとしたが。ホームレスが突然起き上がり
話しかけてきた。「兄さん歌上手いねけどギターはキレイに弾こうとしてつまんないよ」と無造作に伸びた髪を掻いて言った。亮は少しムッとしたがこ
れも助言になると思い話しを聞いた。
「指のひっかかりが甘いし単調でメリハリがない大事なのはメリハリと変化だよ」ちょっと貸してみろとホームレスが亮からギターを取りあげた。
ヘラヘラとホームレスの顔の表情がキリッとした顔付きに変わった。
昔は相当な容姿だったとおもわれる顔だった。ホームレスが軽く息を整えて
ギターを鳴らした。それはブルースで聞いた事のない曲だった。
実に見事で繊細さと独特な弾きかたで耳に響いて心を奪った。
亮は驚いたギター1本でここまで心を震わす音を出せるのかと思った。
ホームレスがギターを弾き終わると。
「この感じだよ。意識して練習してみたらいい」亮はそれを聞いてすぐさま
「あのギター教えてもらえないですか?できる限りお礼しますから」
「じゃあ酒を買ってくれそれなら教えてやろう」
「毎日ここにいるからいつでもおいで」
「わかりましたありがとうございます」亮はホームレスの弟子になったのだ。
ホームレスの名前は長谷川さんという 。40後半の男だった。
亮は帰り道の途中で思った。世の中は広いあんなすごいギタリストが
ホームレスをしている。きっと世に出ていないすごい人はたくさんいる
だろうと考えた。まだやることはたくさんあると思い夕暮れの公園を走って帰った。
渡辺さんから連絡がありレコーディングがしたいと言われ後日
スタジオに向かった。緊張しながら中へ入ると渡辺さんの他に
バンドの人たちがいた。渡辺さんが少し驚いて。
「あれ、ギター弾けんのか?知らんかったぞ」亮はオーディションの時はア
カペラで歌っていたので知らなかったようだ。
亮は申し訳なさそうに「少ししか弾けませんが、一応持ってきました」
「そうか、今日はあんまり必要なさそうだ大体は出来上がってるからな」
もう曲は仕上がっていて、後は歌だけのようだ。すぐに準備して
マイクに向かった。手が震え緊張していた。ヘッドホンから曲が流れて歌うと、すぐに音楽が止まった。亮はまたいつもの悪い癖で緊張のあまり声が裏返った。
何度繰り返してもさらに悪くなる一方なのだ。 渡辺もだいぶ緊張をほぐすのに
苦戦したがなんとか取り終えた。
「なんとかって感じだな?それじゃあしばらくライブも出来ないな」と笑いながら渡辺が言った。亮も苦笑いをして亮は「すいません」としか言えなかった。
「そう言えば曲の方はあれで大丈夫か?まだ手直し出来るぞ。
遠慮はいらないぞ」渡辺の言葉に亮はしばらく考えて遠慮がちに自分のギターを持ち
「こういうを入れたいのですが」とギターを弾いた。
ここ数日のうちで亮のギターの弾きかたは変わっていた。それは独特で
渡辺ですら「コレは」と思うほどだ。すぐに取り直され「完成」となった。
亮の変化は全てホームレスの長谷川によるものだった。
誰一人としてそれを信じるものはいないだろう。
亮だけは「感謝しなければならない」と思っていた。 人との出会いは
偶然だけではなく運命的なものを感じる。なにか大きな歯車の一部になった気がしていた。
5 克服
亮は居酒屋のアルバイト先にいた。明日は休みだからみんなで集まろうと
数人の中の一人の女の子に「伊藤さんも行きませんか?」と誘われた 。
みんな年下ばかりではあったが。亮もたまにはと行くことにしたのだ。
次の日みんなで集り飲みに行くとその中にメガネをかけた若い男がいた。
林という名前で仕事はあまり出来ずよく同い年の山下にそれをいじられていた。
山下は少しゴツい体格をしているいまどきの若者だ。バンドでインディーズだがCDを出していてそれを自慢げによく話していた。山下は職場のマリちゃんを
狙っているらしい。山下とマリちゃんを話しをしてるところを
林はじっと見ていた。亮はその感じをすぐに見てとれた。
カラオケに行こうという事になった。亮は歌わなかった。林も歌わない
タイプらしいが無理やり山下にあおられ歌っていた。亮もそれをみて感心していた。
声こそ小さいが割と上手いのだ。林は一気にマリちゃんの注目を集めた。
亮は少しニヤっとしてなんだか応援したくなっていた。山下は相当気に
いらない感じで、嫌がらせに言った。「なんだよ林上手いじゃねえか、明後日ライブあるから出ろよ」とムチャを言って、いつものように林は断りきれなかった。
林は楽器も弾けないので出れば完全に笑いものなのである。
さすがの亮も見ていられなくなり、「俺ギターを少し弾けるから一緒に出てあげるよ」亮は林の歌も好きだったし、マリちゃんの事もあるので助け舟を
出すことになった。「ウソ、それなら私もみに行く」マリちゃんが言った。
山下の顔はひきつっていたが所詮は林と舐めていたしマリちゃんもくるので、まあいいかと思った。 亮はライブハウスに着いた。林には歌は上手いので自信を持って
声を大きくとだけ言った。この前のカラオケをみて、度胸はあると思っていたからだ。中に入り話しを聞くとまた何組かのバンドがいる中で山下の嫌がらせで
順番は最後になっていた。山下はこの前の事が相当気にいらないらしいと
亮はあらためて実感した。会場に人はそこそこ入り始まった。
山下のバンドの次だった。山下のバンドの演奏を聞くとさすがにCDを
出すだけあってレベルは高かった。林は完全にビビっていた。
顔は青ざめていつ逃げ出してもおかしくない状態だった。
マリちゃんが林に近づいて「頑張ってね一番前で応援してるから」
男というのは単純であるその一言で顔色はやる気になっていた。
亮はそれみて声出して笑った。いよいよステージに立つ事になった。
古くさいアコギ一本で2人で出てきて客も冷めた目でみていた。亮も緊張で手が震えている。
亮はギターを弾き始めた。立ち上がりは悪かったが、徐々にその繊細さと独特なギターで会場はどよめいた。
林もしっかりと歌ったので少し盛り上がりを見せてきた。その後すぐに音が止んだ。
亮は何が起こったのかと思った。マイクの音も出なくなっていた。さらにスポットライトは真ん中の足元だけしか照らしていなかった。林は正気失って立ち尽くしていた。
そんな中誰かが「もう帰っていいぞ」と言った。全て山下の嫌がらせである。
林もいたたまれなくなり、そこから立ち去ろうとした。亮はそれを見て
真ん中の足元だけを照らすスポットライトの下に立ちギターを弾いた。
騒いだ客はそれをみて黙った。間髪入れず亮は歌い始めたその瞬間観客は
全身に鳥肌がたった。狭いライブハウスだったがマイク無しで亮の歌が
響いたからだ。その歌は魂をすり減らすような歌でマイクを通さない事で
さらに耳のふちにこびりついて離れないのだった。歌が終わり亮は林の方を見て
次の曲を弾いた。林もそれに気づいて一生懸命歌った。
亮もそれをカバーするように歌った。曲が終わるとしばらくシーンと
沈黙したままだった。その後沈黙がしばらく続き誰かが歓声を上げてそれに続いた。
2人はその中を立ち去った。林は肩で息をしていたが顔だちが変わって見える。
人はこういうところから変わっていけるし、何よりも亮がそれを一番わかっていた。
今回の事は亮にとっても得るものが多いライブとなっていた。
ライブというものの達成感は素晴らしくこれに変わるものはないと思ったのだった。
6 それぞれの心
人は楽しい嬉しいという幸福感や辛い苦しいというイヤな感覚を繰り返して
生きている。人によって喜怒哀楽の表現に差はでるが、芸能人はあまり
それを大きく出せない。言葉や態度を一つ間違えれば致命傷となる。
特にアイドルはいつも笑顔でいなければならない それも自然にである
もっとも過酷な職業なのかもしれない。一般人からみると特別な存在で
だからといって人間なのである。たまに人は理由もなく、どうしようもない
悲観に陥る時がある。今一人部屋でアイドルの上野真希がそういう
気持ちになっている。今日は朝から仕事だったが、午後から無理を言って休みを
もらっていた。申し訳ないと思っていた。だが今日はなんだかとてもつらく
逃げ出したい気持ちだった。休みはほとんどなく、寝るヒマもないというほどだ。
憧れでこの世界に入り仕事はとても好きで責任感もある。たくさんのファンの
応援が本当に励みになると思っていた。だが今日は辛いのだ。
何があった訳でもない。普通の人なら趣味だったり家族友人に話し気晴らしをするだろう。
それでもダメなら恋人に話すのが一番だがアイドルは恋愛禁止という掟があった。
真希は家のベッドでじっとしているだけだった。趣味に使う時間はない
友人に話す気持ちでもないと思っていた。眠れないからテレビをと思ったが
なんだか仕事を思い出すので、ラジオをかける事にした。
真希はラジオから流れるなんとも言えない雰囲気が好きだった。
気持ちを伝えあう仲間がいて裏も表もない感じする。音楽も好きだった。真希がラジオをかけるとちょうど曲が始まるところだった。
静かな音から少しづつ音が重なっていき 歌がそこに乗った。
真希はその世界に入りそこに立っていた。景色がありそこにはドラマがあった。
その顔の見えない自由な儚い歌ごえに自分を重ねて深く入り込んでしまった。
喜怒哀楽が全てリセットされた感覚になった。曲が終わると
バンド名がラジオから伝えられた。パークフレンドというバンドだった。
真希は聞いた事のないバンドだと思ったが、デビューしたばかりとラジオから
流れたのを聞いて誰の為に歌われた曲だろうと思った。
少し嫉妬したがそれがとても羨ましく感じた。「自分の為にこんなにも真剣に歌ってくれたらどんな気持ちなるのか」と思った。
真希は今さっきまで心にこびりついたものは忘れて今はそればかり考えている。
次の日周りからパークフレンドというバンドを色んな人に聞いてまわった。
顔は出していないバンドでまだ情報は少ないとの事だった。
真希は仕事仲間から来週の日曜日にある音楽フェスの出演者の中に名前があったと聞いた。「実は今ここにもらったチケットあるよ。真希ちゃん私と一緒に行く? 夜から出演らしいよ」「ウソ来週の夜なら大丈夫だ。本当にいいの?」真希は愛くるしい笑顔で喜んだ「もちろんいいよ私も興味あるし」
次の週会場に向かった真希は少し変装して会場に向かった。夜の会場なので
誰も真希の存在に気付かなかったようだ。そこは人で溢れていた。
いつもステージに立つ側の真希にとって光輝くステージは真希の目には
神秘的に映っていた。もうすぐ始まるパークフレンドの順番に真希は
ドキドキしていた。まるで片思いの少女のようにそれを待っていた。
急にステージが暗らくなった。パークフレンドの順番だ。
暗いステージの中にメンバーの人影が見える真ん中に1人がたち他のメンバーが
後ろにひいた状態で立っていた。あのラジオの曲が始まりスポットライトが
真ん中の1人に当たって歌い始めた。真希を含め会場全体がその空気に飲まれた。
スポットライトは真ん中いるギターボーカルの首から下だけを照らしていた。
顔は見えないがその演出が歌の感情を引き立たせていた。
曲が終わると風のように静かに去っていった。真希は曲の後のキーンとなる
耳なりと歌の余韻に目を閉じて浸っていた。まるで深い水の中にいるようだった。
この会場の中で驚くほど落ち着いた男がいた。その男は亮である。
亮は伊藤亮という名前ではなくパークフレンドという名前でデビューしていた。
なんとなく自分の名前で活動するのが恥ずかしかった。あえて顔も出してない。
あの時の林とのライブでのスポットライトを顔に当てないという事を
実践したのである。インパクトというよりもあの時落ち着いて歌えたので
コレを取り入れた。亮は緊張に弱い。特に手が震え声が裏返るという致命的な
弱点もそれで治っていた。人というのは成功した時のジンクスで
いつもいい状態に出来る。逆に失敗すればトラウマとなる。
亮は経験を生かすのがうまかった。22歳で会社に入り失敗した時に上司が言った言葉を守っていた。なんでこうなってなんでこうなるかを考えて仕事をしろと言われていた。亮は何事にも何故と考えて修正している。だからいつも何故! 何故? 何故となる。
亮はミュージシャンでは新人である、だが社会人として生きてきた経験がある。偶然でも気付く事や経験を実行する事は簡単なようでとても難しい。
亮は今もそれを忘れてはいない。夜の何もない空を眺めて生きる事は楽しいと心から感じていた。
7 歌う理由
家で亮はある雑誌の記事を眺めていた。それはこの間の自分が出たライブの
記事だった。雑誌に出た事が嬉しくて買ったのだが、その見出しに
顔の見えない天才と書いてあった。亮が気になったのは天才という言葉だった。
亮は「天才ってなんだ? 自分は天才ではない」と思った。確かにたまに自分は
天才だと言ったりする。1人ギターを弾いていて調子のいい時やいいフレーズが
出来た時にそれを言う事がある。だがそれは1人の時は誰も誉めてくれないので
とりあえず自分に良くやったという意味で使うだけであって
本当に思ってる訳ではなかった。亮はまた音楽を始めてなんとかここまで来たのである。
決して楽をした訳ではない。音楽を目指して一年も経たないでここまで来たが
運が良かったのもあるし、周りに助けられたおかげであると思っていた。
それにこの記事には心がないと感じていた。人の書く物には心が見えると
亮は思っている。それは言葉の選び方や物を見た時のその人が感じた
感想などそういう事が入り混じり重なって心を感じるのである。
人の作った物にもそれはある。物にはそれを作った人の意図がある
便利さや使いやすさ形それらは安心して使ってもらいたいと願う心だと思う。
音楽にもそれに似た感覚がある。よく心がこもった歌い方という表現がある。
それは歌う人がそうするのではなく。曲を作った人がすでに心を入れてあると
亮は思っている。例えばバカという言葉は悪口だが、言い方表情を変えれば
愛情表現になる他にも英語や楽器でも意味をわからなくても心を感じる事がある。
記事にどれだけいいことを書かれても、ただの言葉の羅列で嬉しくはない
逆に批判的な事を書かれても心があれば、そうだったのかと反省するのである。
亮は1時間ぐらいそんな事を考えてその答えを出していた。
だがもうひとつ別な事を考えていた。それは考えても答えが出ることはなかった。
それは昨日届いた一通の封筒だったそれは結婚式の招待状だった。
香織という子でもう4年会っていなかった。その中に手紙が入っていて
「結婚式の時に歌を歌ってほしい」と書いてあった。
香織は亮がミュージシャンになった事はきっと知らないだろう。
前に香織に亮の歌が好きだと言われてよく歌わされたりした。
2人は付き合ってはいなかったがいつもみんなで遊んでいた。亮は香織が好きだった。
最初は無愛想な子だと思ったが慣れてくれるとよく笑ってなんとも言えない優しさがあった。だが気持ちを伝える事はなかった。いつも数人で遊んでいた為
都合が合わず自然と遊ぶことがなくなっていった。あれから4年経つ。
付き合っていないからなおさら良いイメージしかなく今でも忘れてはいなかった。
何故今自分が呼ばれたのか?その答えは出せないでいた。
考えた末行こうと決断した。答えは行って出す事にしたのだ。
それに行かない事に後悔したくなかった。ミュージシャンになろうと決めた
あの日から後悔しないよう生きると決めたからだった。
それから亮は曲を作り始めた。頭の中で聞こえてくるラジオ以外で
曲を作った事はなかったが。今回は自分でちゃんと作ろうと思ったからだ。
色んな思い出を渡す為に、だがそれは自分の為なのかもしれない。
11月になっていた。草木は枯れてとても寒くなっていた。
亮はなんとも言えない緊張感の中にいる。
結婚式の会場にいた。テーブルに付き香織が出てくるのを待っていた。
すると照明が暗くなって音楽が流れた。香織が出てきた。
自分の知らない誰かと一緒に。今も昔と変わってはいなかったが
ドレス姿がキレイだった。表情は幸せそうで笑った顔はあの時ままだった。
亮はそれを見て良かったと喜んでいた。もしかしたら愛想笑いになっていた
のかもしれない。 だからこの日の亮はいつもより多く笑っていた。
そんななかに歌の時間がきた。香織とは今日まで一度も話しをしないまま
歌を歌う事になった。打ち合わせなどは共通の友人を通して連絡していた。
亮はギターを持ってゆっくりと歩いてマイクのあるところに向かい
そこにあるイスに座った。お祝いの言葉かけたが言葉は少なかった。
香織と目が合い亮の言葉に笑っていた。亮がこういう場所で話しをするのが
苦手だと知っていたからだ。亮は緊張はなくいつも通りにギターを弾き始めた。
柔らかい和むような音で亮はいつもより柔らかい声で歌い始めた。
今までの思いを胸に秘めたまま。柔らかいがどこか切ない歌声で
その歌の中に心は入れてあった。それに亮は身を任せて歌いきった。
会場は拍手が鳴り響いた。香織は泣いていたそれは亮にも見てとれた。
香織は亮に口の表情でありがとうと言った。
それが亮に話す最初で最後の言葉だった。亮は誰かの為に歌ったのは始めてだった。
いつも歌う時は歌に集中する。この歌は香織との思い出をイメージしながら歌えた。
まるで映画でも見るように。亮はこの歌は2度と歌わないと決めていた。
香織に送る最後の贈り物として心に閉まった。
亮は結婚式が終わるとすぐに立ち去った。帰りの車で色んな事を考えた。
なんとなく今日ここにきた答えが出た気がした。自分は香織への気持ちを
しっかりと踏ん切りをつけたかった。これから幸せになってほしいし
それが悲しい訳じゃない、だけどなんて表していいかわからない気持ちだった。
亮はとにかく歌った。泣いてはいなかったが歌は儚くも泣いているみたいだった。
人は音楽を聞いたり歌ったりするのは、埋まらない気持ちを埋める為かもしれない。嬉しい時悲しい時それぞれに想いを分けて、今の亮の気持ちを埋めるのは歌しかなかった。
8再開
亮はテレビ局に来ていた。緊張しやすい亮にはテレビに出る事に抵抗はあるが
会社の事もあるサラリーマンではないが雇ってもらった恩がある
それは利益で返さなければならない。仕事をする上でイヤだとは簡単には言えない。
亮はまずやってみてから良いか悪いか判断する。そうする事で会社にも
イヤな感覚を与えない。やらずに断れば、信頼関係が薄れてしまうからだ。
今日は歌だけらしい。もちろん顔もでない。亮は楽屋に案内された。
亮は「早く着きすぎた」と思ったが。とりあえずいろいろ見て歩こうと思い
部屋を出たその瞬間「アッ」という声が聞こえた。見ると綺麗な女の子がいた。
亮もその子を見た事があった。それは始めて見た芸能人の上野真希だった。
亮はその時からなんとなく近い存在と、テレビで見ながら思っていた。
今その子が近くにいる。あの時は遠くからみていてしかも見てはいられずに
帰ってしまった。亮は黙って真希をじっと見つめていた。
「あの、もしかしてパークフレンドのメンバーの方ですか? 今日はここが楽屋だと耳にしたので」亮は驚いていたまさか自分の事を聞かれるとは思っていなかった。
だから亮はとっさに「いえ、僕はメンバーではなくマネージャーですメンバーはまだ来てはいないですよ」と言ってしまった。亮は別に顔を知られても問題はない。
顔を見せないのはただのジンクスの用なものだからだ。だが亮は驚きと緊張で嘘を言ってしまった。
「そうなんですか。あの私ファンなんで。歌っている方と会ってみたいと思って」
「迷惑じゃなきゃマネジャーさんでもいいのでパークフレンドの話し聞かせてもらえないですか?」亮は「イヤ僕は」と困惑していたが断りきれず
少しだけ嘘を取り繕った。本当の事もあった。それは始めて見た芸能人だと伝えた。
真希もそれを単純に喜んでいた。5分ほど話しをして真希は立ち去った。
亮はそこに立ち尽くしていた。真希とアドレス交換をしていた。
パークフレンドのライブなどあれば連絡して欲しいと言われた。
自分のような普通の人間にあの上野真希がファンだと言ってくれた。
真希の話しを聞いてそれは純粋に音楽への評価だととらえている。
だが顔の見えない存在とは恐ろしいとも思っている。真希の中で理想のようなものが
出来上がっているような気がして怖かった。
自分は誰よりも普通で良い人間ではなく、どちらかと言うとダメな人間だと思っている。それもそんな人間に簡単に連絡先を教えている。
亮はそれを知ったらショックだろうとおもい嘘を悔やんでいたが。
だが亮は純粋に嬉しかった。始めてあの時見た時からテレビで見るたびに
どんな事思い日々過ごしているのかやあの大きな目で何を見るのかと想像していた。
だから真希の心を知りたかったし、憧れの存在に感じていた。
それは星のように自分からは輝いて見えて手を伸ばせば届きそうだが
絶対に届く事はない存在だった。その人と会話が出来た事は嬉しい以外
言いようがない。
それから亮に真希からメールが来るようになっていた。最初亮はためらっていたが
少しくらいならと思い続けてしまった。真希も音楽が好きで亮と話しがあった。
いつの間にか亮と音楽の話しばかりだった。
だが真希は気づいていた亮がパークフレンドだという事ではなく
あの時会場にいた不思議な目をした人だという事を。最初は気づいていなかったが。
亮がそこにいたと言ったのでそれで思い出した。だから思わず連絡先を
教えてしまった。そうでなければいくら好きなバンドのマネジャーだとしても
教えはしない。一瞬でも忘れられない事もあるそれが強くイメージとして残る
なんとも言えない感情だった。気がつけばお互いがメールする習慣になっていた。
それは近いようで遠い存在お互いが言ってない事があるので本当に近づく事はできないでいた。 だけど今はそれだけで充分だった。
9 伝心
少しずつ寒くなりもう冬になっていた。あれから一年が経とうとしていた。
内容の濃い一年だった。亮は夢が叶ったといえるだろう。
ただ気持ちはまるで変わっていなかった。満足感や達成感がない。
まだまだ自分はプロではないと思っている。だがお金を貰っている以上プロであり
人は新人だろうがなんだろうがそこに立ってる時点でプロの仕事を求められている。ミュージシャンのなかでも上には上がいてそれを見ると自分の実力が
恥ずかしくなる。 さらには自分がここにいていいのだろうか?という
不安な気持ちに襲われて落ち込む事もあった。
どこに行けば自分が自信を持って自分だといえるのかわからなかった。
あの日ミュージシャンになろう決めた日、夢だったそこへ行けば答えが出ると
思っていた。生きるとは何か、何の為に生きて何の為に働くのか。
お金の為?人の為?自分の為?それらは一つ一つ大事ではあるが
それだけではない気がする。自分は何の為に歌うのか。
その歌で自分に何が出来るのか。少し出来たと思えば他の出来ない事は山積みに
なっている。結局自分には何も出来てはいない。納得出来る答えはどこを探しても見つからない。
亮はホームレスの長谷川のところに向かっていた。最近は忙しくなりあまり
会ってはいなかったが。このギターに置ける恩師を忘れてはいなかった。
基本的な事から丁寧に教えてもらい今の亮があった。
いつもの場所に行くと長谷川はいなかった。ホームレス仲間に聞いてみると
亮が来たら亮に手紙渡してくれと頼まれていた。
長谷川はみんなに別れを告げて出て行ったそうだ。 亮は手紙を見ると
「ここにギターを持ってくるように」とだけ書いてあった。
そこには住所が書いてあった。亮はすぐにそこへ向かった。
着くとそこにはデカい家があり表札に長谷川と書いてあった。
亮はまさかと思いインターホンのボタンを押した。すぐに長谷川の声がして「待っていたよ入ってくれ」と言った。
玄関に行くと長谷川がいて亮は家の中に入った。
長谷川の身なりは上から下まできっちりしていてまるで別人である。
「驚いただろう、こんなところまで悪かったね」と言い自分の事を話し始めた。長谷川さんは会社の社長だったらしい。長谷川さんには奥さんがいて
子供はいなかった。長谷川さんはいつも仕事ばかりで家にはあまり
いなかったらしい。そんな中奥さんが病気になり。
余命3ヶ月と言われ長谷川さんは社員に会社を譲り奥さんの看病をした。
長谷川さんはその時気付いたらしい。奥さんのいつもの優しさや
自分がなんの為に働いていたか。お金や会社の為ではなく奥さんの為だった。
この3ヶ月を奥さんは喜んでいた一緒にいられる事を。長谷川さんは
20年一緒にいて始めてその事に気付いた。だが遅すぎた。
奥さんは長谷川さんに看取られて逝った。長谷川さんは絶望した。
自分に残ったのは家とあり余るお金だけだった。絶望のなか街を歩いていると
ホームレスの集団がいて彼らの一生懸命さと仲間思いに何かを感じて
ホームレスになった。多分それは償いなのかもしれない。
奥さんや会社の為にリストラした人達への。そんなところに公園で亮に出会った。
長谷川さんはミュージシャンを目指していたが父親が急死して諦めて会社をついだ。
ギターだけは暇な時いつも弾いていたらしい。亮の歌に不思議な感覚を覚えて
思わず声をかけてしまったのだ。
「これから世界中に旅に出ようと思うんだ。ギターを弾いて周りたい今日きてもらったのは君に頼みがあるんだ」と長谷川が言った。
「世界中にですか?僕に出来る事なら言ってください」亮は真剣な表情で言った。
「実は君のギターを選別にくれないか?そのギターを持って行きたいんだ」
長谷川は亮がこのギターをどんな思いで使っているか知っている。
「もちろん喜んで持って行ってください」と亮は笑顔で言った。
亮は大事なギターだが、恩師が自分にしてくれた事を思えば
まだ足りないぐらいだと思っている。それにきっと大切にしてくれるだろうと思う
「ありがとうでは君にこのギターを変わりに使ってもらいたいと思うんだ」と長谷川は言ってギターを持ってきた。それは古いアコースティックギターだが
亮のギターとは比べられない程高価なものだった。
「これは音楽を諦める前に買ったギターだ。きっと今の君にふさわしいものだ」長谷川は知っていた。今の亮には拾ったギターではプロとして辛くなっている事を。
だが亮は拾ったギターに思い入れがあり頑固な性格なので、買い換える事を出来ないでいた。きっと良いギターを買えばこの拾ったこの自分を救ってくれた
ギターを弾かなくなって、やがていらない物になる事がたまらなくイヤだった。
長谷川は亮のそういう性格を知っているので、こういう形を取ったのだ。
しかし亮のギターはまるで自分を見てるようで長谷川は本当に欲しかった。
亮は今気付いた。長谷川の優しさに。また救われてしまったのだ。
長谷川のような男は自分の利益は関係なく、何もいわず亮の性格を
汲み取ってくれる。こういう大人はところどころにいて。
亮の上司の佐藤常務もそうだし、プロデューサーの渡辺もそうだった。
しかも皆他人である亮を助けてもなんの得もない。だがそれは求めていない。
あるのはしてあげたいという人情だった。これらは日本人に残る心意気のようなもので亮はいつも助けられている。皆自分も若い頃これに助けられているのだろう
だからこそ亮を助けるのだと思う。亮はこのような心を持った大人になり
自分も下に繋げて行かなければならないと思っていた。
「長谷川さんありがとうございます」と心からお礼を言い
さらに自分がプロとしてこれからどうしたらよいかを相談した。
長谷川は亮の目を見て静かに言った。
「君はいつもよいか悪いか考えていつも答えを出す努力をしているねこれは良いことだ」
「だが人は白と黒だけじゃない色んな色が入り混じりその形を作っている」
「大事なのは誰かになにをしてあげられるかではなく、してあげようという気持ちを伝えることが大事だ」
「君にはそれが出来るはずだ。私も君に救われている」長谷川は亮の切なくて訴えかけるような歌声にあの時救われた。
それは亮の歌に心があるからだと思う。それを人は感じてそれぞれの何かを奮い立たせる。
「この本にきっと答えがあるよ後で読んでみたらいい」と亮にそっと本を渡した。その後亮は長い時間長谷川と話した。
人の話しを聞く事これほどありがたい経験はない。亮はなんとなく心の中の
答えが出た気がした。それは心だと思う。目を閉じると心には色があった。
そこには喜怒哀楽や人への優しさや愛があり時には怠けたり一生懸命になったり
数えきれない無数の色が重なり感情や思いで人を作っている。
音楽でも同じなのかもしれない。今の亮にわかるのはここまでだったが。心は少し晴れていた。
10 決断
夜の都会のビルの景色の中に雪が静かに降っていた。
それは積もる訳ではなくただ消えてゆく。残るのは寒さと白い息だけだ。
亮はそこを歩くと車の音も街や人の音もすべての流れる景色が
止まっているように見える。
そこから頭の中で音楽が流れていた。
それは神秘的で都会で見る雪も悪くないと思っていた。
亮は真希と会う事になっていた。真希の友人達と少し早いクリスマスだった。
そこに合流するとみんな芸能人だった 。亮を含め男2人女3人の5人で
食事をしていた。亮はあくまでバンドのマネジャーという形だった。
もともと亮は有名人という感覚もない。そんな中に来てしまった事を後悔していた。
話しもイマイチついていけない。 ただ聞かれたら答え。ほとんどは聞いてるだけだった。だが皆パークフレンドというバンドは知っていた。
なんだかそれは不思議だったテレビで見る人が自分を知っている事が。
その中に俳優の田中がいた 今人気絶頂の俳優だ。今は歌手もしている。
田中は顔が整っていてそれが売りらしい。亮もテレビで見たことがあった。
亮と会った時に亮が一般人と聞いて嫌な顔をしていた。真希が亮を誘った事も
気にいらないようだ。
「パークフレンドって顔出さないのは顔がキモイからなの?」と言った
「イヤ俺も見たことないからわかんないよ」と亮は面倒なので適当に話した。
「ウソそれは絶対顔がキモイ確定だ。うまい事隠したよな歌もイマイチだし」
亮はイラついていた。亮は顔に出るタイプでそれは見れば誰もがわかった。
それをみて皆「そんな事マネジャーの前で言うのはおかしいよ」と田中を責めたので、亮は少し落ち着いていた。
真希が優しい声で「私はボーカルの人は絶対カッコイいと思う。歌を聞いてたらきっと真っ直ぐな目をしてるきがするから」真希の言う目とは顔についている目ではなく
瞳の奥底にある目だった。真希は人を見る時目を見る。目の奥には人の心が
見えるような気がするからだ。亮は真希の話しを聞いて嬉しいと言うより
嫉妬していた。真希の描いたパークフレンドのボーカルに
それは自分なのだが自分ではなかった。不思議な事だが、自分ではない
自分に負けている気がしている。亮はやはりここにいてはいけないと思い
理由を付けて帰る事にした。真希は残念がったが亮に今残る勇気はなかった。
亮はお金を払おうとすると
「マネジャーの給料って安いんでしょ?一般人からお金取れないからそのまま帰んな」と田中が嫌味で言った。亮は「イヤ」と言いかけたが「どうも」といって気付かれないように支払って店を出た。
店を出ると雪はやんでいた。亮は家まで少し遠かったが歩いて帰る事にした。
自分の臆病さを戒める気持ちと歩きながら考えて答えを出したかった。
亮は真希の理想に少しでも近づきたかった。心では諦めていたが
別な気持ちは諦めたくなかった。だが亮は何もそういう事は真希に口にした事はない。心の奥底では相手はアイドルで自分には無理だとか相手に迷惑になる
そんな事ばかり考えて歩いている。
だが真希の顔が浮かんでくる笑った顔や大きな目や声までも。
本当ならもう一度戻って話しをしたい。存在を感じれれば
だが今さら戻っても。亮は人に気を使い過ぎる性格でこれは真希だけではなく
香織の時もそうだった。そこに真希からメールがあった何気ないメールだったが亮はそのメールに少し救われた気持ちで家まで帰った。
次の日テレビのワイドショーで真希と田中の写真が撮られたと報道されていた。
亮はそれをみて心の中にヒビが入っているのが見えるようだった。
だが亮はお似合いのカップルだと納得していた。真希も田中もテレビでは
否定していたが亮はそうは思っていなかった。
それから一週間経っても真希からメールが来る事はない。
亮はその間どこかでメールが来る事を期待していた。
だが亮は自分から連絡はしない。今さら自分に何が出来るという気持ちだった。
とにかく辛かった。いつかこういう日が来る事は予想していたが
現実には受け入れられなかった。家でただじっとしていた。
ふとテーブルを見ると一冊の本があったそれは長谷川さんから貰った本だった。
亮はまだ読んではいない。亮は今読むか迷ったが読む事にしたようだ。
その本は「蜘蛛の糸」という本だった。
その話しは一人の罪人の男が地獄にいた。その男は罪人だったが
昔一匹の蜘蛛を助けていた。それを知っていたお釈迦様は罪人の男を
助けてやろうと一本の蜘蛛の糸を地獄にいる男の元にたらした。
男はそれを登りあと一歩のところで本性が出て落ちてしまった。
そういう話しだった。
亮は読んでいて思った。お釈迦様は恐らく罪人の男が登りきれない事を
最初から知っていた。何故そんな残酷な事をしたかというと
蜘蛛の事を思い出して欲しかった。蜘蛛が助けてあげたい気持ちを
伝えたかったんだと思う。だから登りきれないと知っていてそれをした。
もしそれをしなかったら罪人の男は何も気付かずただ地獄で苦しむ日々だったろう。 亮は長谷川さんが伝えたかった答えが今わかった。
自分は世の中を救う事は出来ない。救えるのは自分の手の届く範囲だけで
それすら救えないかもしれない。だが世の中を救いたいという思いは
人に伝える事は出来る。音楽は人に何か思いを伝える為のものだと思った。
だからそこに心がありそれに共感するのかもしれない。
亮はギターを手に取り曲を作り始めた誰かに 気持ちを伝える為に
そこに叶わないかもしれないという気持ちはなかった。
伝えるだけそれ以外になかった。歌も曲も詩もすべてその人の為だった。
11 横顔
4日後の夜に亮は会場に向かっていた。クリスマスライブという
テレビの生放送のライブがあった。多くのアーティストがいて亮も呼ばれていた。
そこには真希のグループも入っていた。亮は今日は一人で来ていた。
バンドのメンバーもいなかった。あえて一人できた。
亮が会場に呼ばれ歩いて向かっていると偶然に田中会った。
田中も今日は歌手としてここにいた。
亮は「顔は悪いかもしれないが今日はよろしくお願いします」とだけいって会場に向かった。
田中は唖然としてその意味を理解していなかった。亮はそれを思い出して
笑ってしまった。亮の出番がきたいつものように暗いステージに
ギターを持ってゆっくり向かった。真ん中に立つとスポットライトが当たったスポットライトは全身を照らしていた。
「パークフレンドの伊藤亮です。今日は気持ちを伝える為に歌います」とマイクに向かって言った。
会場全体が始めて見る顔にざわめきと歓声を上げていた。亮は目を閉じた。また目を開けると音が消えてスローモーションに見えた。心はいままでにないくらいおちついていた。ざわめきはまだ収まらなかったが構わずギターを弾いた
亮の心はまだ静かだった歓声も聞こえない。聞こえるのは自分のギターだけで
その音は自分の心そのものだった。ギターの音が人の耳に届くと
観客は黙ったその思いを聞きとる為にそれと同時に亮は歌った。
音が震えるようで誰もが目を閉じると大事な人が浮かぶようだった。
その思いは重なって歌は力強く鳴いていた。亮の目は真っ直ぐを見ている
想いを強くイメージしながら。観客からはそのイメージが見えるように聞こえていた。ただ込み上げる思いに皆じっと亮を見ていた。
その目は皆真っ直ぐだった。それぞれの心の色が混じり合い
ただ自分の大事な人を描いて、誰もが今すぐその人に会いたい気持ちになった。
亮の歌がさらに強くなるとさらにそれは加速していった。
まるで命を削るような魂の歌声だ亮の歌は伝わっていった。
聞いた人はそれに気付いて泣きたくなる程に今の気持ちを忘れたくないと思っていた。それは亮にも伝わり同じ気持ちだった。
曲が終わると誰もが声も出ない穏やかな気持ちだった。たった5分の曲だが人が生きようとする道が見えるようで、時間の感覚を失っていた。
亮は「ありがとうございました」とだけ言った。
その時拍手が鳴っていたまだ声を出せない人ばかりだったが、
拍手だけは鳴り止まない。まるで穏やかに降る雨みたいだった
亮は嬉しかった。皆自分と同じ気持ちでここに立てた事を。こんなに気持ちを歌えた事は一度もない。もしかしたらこれから先もないかもしれない。歩いて控え室まで戻る途中いろんな人に声を掛けられた。
ミュージシャンに誉められるのは始めてで嬉しかった。
真希には会わなかったがそれも仕方ないと思っている。
もしかしたら聞いてはいなかったかもしれないが、自分が歌い続けていればいつか伝わるはずだと思っている。
亮は帰ろうと思って歩いていた。前の方を見ると廊下のイスに座っている
真希が一人でいた。真希はこっちには気付いてないようだ。
亮はゆっくりと進んでいた。真希に会うと思ってはいなかったので
ドキドキしながらなんて声をかけようかと考えていると。
「嘘つき。マネジャーじゃないんだ」とこっちを見ないで真希が言った。
無表情で怒っているように見える。
亮は「ゴメン」とだけ言った。
「なんでメールしてくれなかったの」
「ゴメン」
「謝ってばっかりだね」
「本当にゴメン」亮は真希が怒っているのは始めて見る。
いつも優しく笑っている真希が無表情になっているのを見ると
謝るぐらいしか亮には出来なかった。その後数分沈黙が続いた。
亮は真希の顔を見ているが真希は依然として亮の顔を一度も見ない。
「今日はなんで顔出したの」
「伝えようと思って」
「誰に」
「真希に」
「そんな事信じられない今までメールもくれなかったのに」
「嘘じゃない」
「今日も帰ろうとした」
「でも嘘じゃない」
「嘘じゃないなら今ここでもう一度歌って」
「ここで?誰かに見られるよ」
「じゃあ嘘なの」
「誰かに見られたら真希の迷惑になる」
「イヤならもういい帰って」まだ真希は亮の方は見ていない。
亮はしばらく黙っていたが、ギターを出して真希の横に座ってギターを弾き始めた。
それでも真希はこっちを見ない。亮は歌った。
声は廊下に響いた廊下を歩く人は異様な光景に見てはいたが
そのまま通り過ぎて行く。二人は誰もいないかのようにそこにいる。
真希は黙って亮の方は見ないで歌を聞いていた。
亮はステージにいるのと変わらずに真剣に歌った。歌い終わるとまた沈黙した。
真希は「許す」とだけ言って亮の方見た。
亮の目を見た途端泣き出した。最初から亮を見なかったのもそれを抑える為だった。
亮は近くに寄って「ありがとう」とだけ言った。
皆それを見ていたが構わず真希は亮に抱きついた。
亮が考えて考えて答えを出し、それを真希に伝え真希はそれに答えた。
だが亮は自分では気付いていない一年前のあの時始めて真希を見かけた時に
その答えはすでに出ていたのである。あの時その場所にいられなかったのは
自分の気持ちが本気になるのが怖かったのだ。亮は真希に一目惚れしていた。
アイドルで顔が良いからではなく、たまたまアイドルだっただけである。
亮はその事に気付かないが、亮の心の感覚が感じていたのである。
真希もその時亮の目を不思議だと感じていたのも、目がただ特徴的なのではなく
その真剣な思いを感じていたからかもしれない。真希が亮の歌に感動したのも
最初から真希の為に歌われていたからだ。亮が音楽を目指したのも
導びかれていたのではなく、同じ所に行きいつか会うためだったのかもしれない。
亮は頭では気付いてないだけで、心はそれを気付いて無意識に行動に導いていた。
心というのは胸の奥にある感覚があるが、考えるというのは脳でしている感覚がある。脳と心は別なものだと思う。だから亮がずっと考えていた、何の為にというのは
すべてそこには真希がいて、亮の心が行動や歌に宿るのだ。
人にはきっとそういうものがあって、それを感じとる力がある。
嬉しい時や悲しい時、季節や風景を見た時、その表情に合わせて音楽が
頭の中に流れるそれは心の音なのだと思う。だから亮はそれを形にして歌う
その人の心に音楽を流すために。それは運命なのかもしれない。人との出会いは
時として人生を変える事がある。真希との出会い。上司の佐藤常務やプロデューサーの渡辺、ホームレスの長谷川、バイト仲間の林との出会い。亮はこの中で1人でも
欠けていれば亮は別の人生になっていると思う。1人1人が歯車になっていて
出会ったのは偶然である。だが偶然や運は目に見えない。そして絶えず通り過ぎている。だから亮のようにいつも色んなことを考え感じてそれを目に見えるように
色付けして捕まえなければ、通り過ぎて2度と見えなくなる。
亮は今真希に聞きたかった事があった。
「何であの時テレビ局の楽屋の前で会った時連絡先を教えてくれたの」
「ずっと忘れてなかった亮の目を。亮が私を始めて見たあの場所での亮の目を。だから思い出して聞いたの。亮がパークフレンドじゃなくても同じことをしたよ」と真希が言った。
「俺もあの場所から会いに来たんだどこかで会えると信じて」
二人は笑顔のまま会場を後にした。
12 それぞれの目的
亮は達成感に浸っている。100という目標に向かって
今100に辿り着いただろう。
あの日から音楽を目指し、そして真希の心をつかんだ。もうこれ以上の
事はないのである。あれから3ヶ月幸せの絶頂だった。
真希とはお互い仕事で会える時間はわずかだがそれも
気にならない。だが自分では気付いてないが、亮の
歌は少しずつ何かが足りないものとなってしまった。
料理でいえばうまいのだが、塩加減なのかわからないが
イマイチこころからうまいと言えない状態だった。
そういう何かが亮から感じられなくなった。
だが亮の歌の売れ行きは好調だった。それはメディアなど露出が
増えた為で、あのライブにいた本当のファンは少しずつ
気付きはじめている。
真希もそれに気付いていた。そしてその事を悩んでいた。
原因は恐らくは自分のせいだからだ。
自分と一緒にいる事で亮の目標はゼロになってしまった。
真希が思うには亮はここで終わってはいけない人だと
思っている。世間から見ると真希と亮は比べると格差があり
真希の方が世間は上だと見るだろう、だが真希は違う。
亮はきっともっと大きな何かを伝える使命をもっている
気がするのである。
だがこれを亮に伝えても亮は信じない。自分は普通だと
きかないのである。
真希は今度は自分の番だと思っている亮の心を変える何かを
探していた。
マイナスを放置するとまた違うマイナスが現れてどんどん
汚染されていく。亮はいま自分でも気付くほどスランプに
悩まされている。それは曲が作れなくなってしまったのだ。
作ろうと思ってもイメージがわかない。さらには脳内から
ラジオが流れる事もない。ミュージシャンは常に新しい曲が
求められている。だが今の亮は真っ白だった。焦れば焦る程
に心が動かなくなってしまっている。それに周りも気付いて
亮は長い休暇を貰える事になった。だが亮はどうしていいか
わからない。真希とは最近会えば喧嘩ばかりだった。
全て自分が原因で分かってはいるのだが、何も伝えられずうまく
いかないのである。自分のスランプを相談する相手もいない
長谷川さんもいないのだ。しばらく考え亮は地元に帰る事にした。
もう一度あの場所に帰って自分を取り戻したかったのである。
それに離れてみると故郷はすごく大切なものだと感じていた。
何もない街だが、無性にあの景色や匂いを感じたくなってしまう。
そう思うと少しだけ穏やかになった気がした。
13 心の蓋
地元に帰ると一人の友人が迎えに来てくれた。その男は親友
と呼べる唯一の人かもしれない。名前は秋山孝平という。
亮が29歳になった時に自分はこのままでいいのかと違和感を覚えたのも
この孝平の助言があったからだった。
ただ一言「このまま社会や会社にただぶら下がったまま生きていくつもりか」
と言われたからである。彼は亮が何か大きな事をする人間だと知っていた。
亮と孝平が出会ったのは高校1年の時だった。
孝平は不良と呼ばれるタイプだった。中学ではまともな友達も
いなかった。その怖さと危なさから横を通り過ぎただけで
目を合わせず視野で孝平をみていた。高校も行かないつもりだった。
だが担任の先生は「運命や偶然ってあるぞ。なあ高校にいかないか?
その3年間はきっと無駄にならない遊びに行くつもりでいい
行って駄目なら辞めたら良いじゃないか」と言われ入学した。
そして偶然にも亮と出会い一緒にバンドをやるようになったのだった。
ある事件があり亮は高校を辞める事になったのだが、その時に
孝平は亮に救われていた。二人は今もその頃と変わらずお互いを
認め合っている。
孝平は今は高校の教師をしている。
あの頃とは別人で目も優しくなっている。
亮は今日帰ってきた理由を走る車の中で孝平に伝えた。
孝平は真剣な顔で
「俺も教師という仕事をしていると生徒にちゃんとうまく伝えられているか心配で
考えて時々眠れない時がある」
「けどそうゆう責任みたいなものがあって、なんだか頑張ろうと思ったり、
なんか少しずつだけど生徒と一緒に成長している気がするんだ」
「それと同じだと思う俺もお前も、悩みも辛い事も成長なんだと思う
その上に責任があるから一生懸命になれんだろう」
「俺たちの言葉は軽くない人の人生に関わるぐらい」
亮はそれを聞いて「そうだな、軽くない。俺もちゃんと言葉を大事にするよ」
「お互い好きでやっていることだろう、あとは一つ一つ積み重ねる
しかないと思う」と孝平は笑顔で言った。
そして昔みたいに拳と拳を強く合わせた。
亮は思う自分ひとりが悩んで生きているのではなく、世の中一人ひとりが
それぞれの悩みを抱えて生きている事を改めて深く感じた。
その道は無数に広がっていて選択して行かなければならない。
そしてその選択が人生に大きく左右する事もある。
だから今は少しでも前に進むしかないと思った。
人生はきっと長くは感じない例え100歳まで生きたとしても
ただその終わりを迎えるとき良かったと思える人生にしたい
そう思うと何故かこみ上げて来て少しだけやれそうな気がした。
久しぶりに実家に帰るとなんとなく落ち着いた気持ちになる。
ふと小さい頃の写真を見ていた。3歳のとき何をしてた?
小学生は?二十歳のときは?そう聞かれたら覚えていることは
それほど多くはない印象に残っている僅かな記憶だけだろう
写真を見ていると記憶もそのときの気持ちも匂いも思い出されていく
小さい頃の写真は古くなってきて色ボケしてはいるが
記憶は鮮やかな色で思い出し自然とにやけてしまう。
写真と一緒にカセットテープを見つけた。
「亮3歳」と書かれていた。
それが何か思い出せなかったが聞いてみようと思い
カセットデッキを押入れから探してきて
再生ボタンを押した。
そこには歳の離れた姉が玩具のピアノで伴奏していて、
歌を歌う3歳の自分の声だった。
どこにでもいる子供の声で子供の歌い方で
とても楽しそうな声だった。
最後に聞いたことのない歌を一人で歌っていた。
ちょうど母親が近くで一緒に聞いていたので
その事を尋ねると。
「覚えてないのかい?」
「全く覚えてないよ」
「亮にその歌なんていう歌?って聞いたら
わかんないけど頭の中で聞こえて思いついたのって
一人で何回も歌っていたじゃない」
全然思い出せなかったが、小さい頃はよく歌っていた
ような気はする。
いつの頃からか人前で歌うことが恥ずかしくなっていって
全く歌わなくなった。
もしかしたら今でも人前で歌うことは恥ずかしいと
どこかで思っている。
自分で蓋をしてしまった。いつだって自分でこれは
かっこ悪いとかこれでいいやと勝手に決めて
止めてしまっていた。今までずっとそうだった。
人の意見や声も聞かずに。
今もそうなのかもしれない歌うことにこれでいいやと
勝手に終わらそうとしているのかもしれない。
真希の声さえも聞かずに蓋をしてしまっていた。
それが原因で真希との関係も少しずつ悪くなっている
最近連絡もしていない状態だ。
亮はふと家を出た。
向かった先はあの場所だった。
真希を初めて見たショッピングモールのホールである。
ただのホールだが、今でも忘れられない大切な思い出の場所だ。
人は忘れられない思い出は人生で幾つかある。
昔好きだった子との思い出の場所も思い出す。だが
今その子に会っても、懐かしさは感じても恋愛感情はもうないだろう。
思い出や恋愛感情は替わる替わる絶えず塗り替わっていく。
真希だけは塗り替わることなく、いつかまたここで会いたいと
心から思う。亮は携帯をポケットから出して、真希に電話を掛けた。
別に用事があった訳ではない、ただ話したくなり、ここにいる事を
伝えたかっただけだった。5分ほどくだらない話をした後
「来週のライブに来て」と真希は不安そうに言った。
「わかった必ず行くよ」と亮はすぐに答えた。
「じゃあ帰りは気を付けてね」と真希は言って電話を切った。
その何気ない優しい言葉がとても嬉しかった。
亮は一人帰り道の途中でまたその言葉を思い出したが。
優しさが少しだけ寂しさに変わり胸が愛しくなった。
空には月が見えていたその遠くに見える空や月の意味
はわからないがこれから歩いていく二人の道を照らしていてほしい
と強く願った。
14 全身全霊
亮は真希のライブに行くのはこれが初めてだった、そのうち今度と
思い忙しかったこともあり、なかなか行くことが出来なかった。
人気グループということもあり、たくさんの人だかりの中を
掻き分けるように歩いていた。みんなとても嬉しそうに仲間と
会話をしながら、始まるのを待っている。
不思議だった。同じ人間なのにこんなにもたくさんの
人を集めて喜びを与えている。
何故こんなにも誰かを応援できるのか?
イヤそれはなんとなくわかったような気がした。
その人にとってそう思ったから理由はただそれだけである。
良いとか悪いとかうまい下手とか言葉で表せない感覚だからだ。
きっと目で見るんじゃなく目の奥で感じて、耳で
聞こえるんじゃなく耳から入って胸の奥で聞いてるんだと
思う。そこまで届くような特別な存在なんだとおもう。
自分にとって初めてギターを触れた時その音楽を聞いたときその感覚は今でも
忘れないし、その感動は言葉に表すことは出来ないそれと同じだと思った。
そしてライブが始まるとステージの歌や踊りよりも、周りの観客
に驚いた。一緒に歌ったり、踊ったりしているからだ。
亮はその熱狂的な観客の中で静かに一人違う空間があるかの
ようにそのステージを見守っていた。
ステージから見るとその姿はたくさんの観客の中で浮いた存在というより
一際存在感があるようだった。
あの日真希を初めて見たときと同じ感覚だった。
まるで遠い明日を見つめるような真希の横顔をただ見つめている。
歌は聞こえているが聞こえていない見えているが見えてはいない。
時間も長く感じるがほんの一瞬だった。
そうまるで走馬灯のように映像が声が真希と思い出が
見えた。そしてその思い出は吸い込まれるように消えた。
その長い時間も終盤に差し掛かった。亮の中では
もっと見ていたい気持ちだった。
すると真希が一人ステージで話し始めた。
最初の一言が、「このステージを最後に引退したいと思います」
と言った。
その後の話は亮には聞こえてはいない。
理由はわからない。いつも言っていた。歌手になるのが夢だったって。
体調が悪くても。誰かに嫌な事を言われても。ここにいる事だけで幸せだって
言っていた。
だから亮はいつだってそこにいると思ってた。
今まで見に来なかったのもそう思ってたからだ。
自分はいつも後回しにしてばかりだ。後悔しないなんてうそだった。
いつも気付くのはあとになってから。一番大切な人でさえも。
真希はそれから泣きながら話していた。だがその顔に後悔は
少しもないそして、「最後に一曲だけ歌わせてください。」
と言った。涙で気持ちを抑えるのに時間がかかった。
そして真希はギターを手に取った。その瞬間ざわついた会場もシーンとなった。
マイクの前に立ち。自分の最後の歌のために大きな溜めを作った。
まだ会場は沈黙だった。
そしてギターを弾き始めた弾きなれないギターを一生懸命な表情で
弾きそして歌を歌った。下手糞なギターと歌手としては平凡な歌唱力で。
だが胸に響く歌だった。うまい下手ではないただ心に届く。
吐き出すような声も、たどたどしく弾くギターも全てが
伝わってくるその思いやイメージになって。
その曲が終わった時。真希は泣きながら笑って御礼を
言ったその後礼をして頭を下げたまま顔は上げなかった。
本当は後悔がない訳ではない。けどそれ以上に
伝えたかったこと。その為にその全てを人生を掛けた。
後はそれを待つだけだった。今日が終わりではないから。
始まりだと信じて。
14 沈黙
外は雨だった傘もささずに歩いていた。背中から
身体にしみこみその熱を冷やしてゆく。
その心に言い訳も残っていない、だから全てを飲み込んでいる。
一生掛かっても返そうと思っている。
ありがたい本当に心からありがたい。
だけど寂しさも湧き上がる。それが胸を締め付ける
忘れないずっとこの気持ちをあの瞬間のあの歌だけは
決して忘れないこの見慣れた景色が変わっても。
人生の道が見えるとするなら、たくさんの道があるだろう
これからは一つあればいいと思った。一人いればいいと思った。
その思いは降り止まない雨でも冷めることはなかった。
もう悩む事はなかった行動で突き進むしかない。
立ち止まれば情けない自分に戻ってしまう。
人もまだ疎らな会場に亮はいた。そして自分の番はもうすぐだった。
飛び入りでライブイベントに出ている。
無理を言ってすぐに仕事を入れてもらった。
新しい曲を一人ライブ形式で歌うことになった。
一人でやりたかった。自分とギターだけで
我侭なのかもしれない。けどこの方が
良いと思う。自分に足りないもの人より
一つ下がってしまう。一人では甘えがない
ライブはごまかしもないそれがよいと思う。
自分の出番が来た。
自分の知名度は少し上がったとは言っても
今日は飛び入りの参加で他のアーティストを
見に来た客ばかりだ。亮を知っている人は
3分の1にも満たない。
トイレ休憩に行く人もいるくらいだ。
それはステージに立つとすぐわかる。
だけど今見えるものはそういうことではない。
真希のあの瞬間のあの歌だけだった。
最後まで笑っていたけど、泣いていたんだ。
ステージの裏で。もっとステージで見ていたかった。
俺はいつだって次があると思ってた。
次に見れればいい、次頑張ればいい、また今度こそ。
次や今度なんて誰にも約束されてはいない。
それを教えてもらったんだ。
亮はギターを弾いた。いつもより弱く細い感じで。
荒削りな部分も目立つ。そこに震える声で歌った。
少し擦れる声だったが声は響いている。
擦れる声からサビに行くと一気に声が加速した。
叫びにも近かった。時折ひずむ声にギターも
強く荒々しかった。聞く人はどよめく人も歓声を
あげる人もいない。歩いている人でさえ。
立ち止まり一声も上げない。ただ呆然と立ち尽くしている。
スタッフや出演者全てがただ聞いている。
その歌は表現するならギリギリだった。
まるで今日が最後でいなくなってしまうほどに
感情的で直線的だった。
CDやテレビでは伝えきれない何かがそこにはある
時折声が無理をして飛んでしまうこともある
それすらその歌の一部のようだ
上手い下手だけではない、確かに上手いが
綺麗なCDの音でなく、生の歌で生のギターで
生の感情だった。吐き出す声はもう限界だと
観客も本人も思ったがさらにもう一段階
加速した。亮は歌に飲み込まれていく、
完全に同化している。感覚は感情的なのに
静かだった。スポーツ選手のゾーンのような
状態でギターも声も自分の感情のままに
弱いときは弱く荒いときは荒く全てが
熱を帯びて一対だった。
歌が終わると亮は肩で息をしている。
それはマイクで伝わり身体に熱を帯びている
観客も黙って眺めて呆然としている。
世界が空気が止まってるみたいだった。
沈黙の中亮がステージからゆっくりと去っていった。
その後聞いたこともない程の歓声が上がった。
だれも亮の存在感に飲まれ不思議と声もだせなかった。
まるで頭の中にスピーカーがあってそれが流れていた。
この世にこんなに感情的でただの一曲に全力を尽くす
歌はどこにもなかった。
ステージから去った亮は楽屋に戻っても
誰にも話しかけられなかったステージが凄過ぎて
その存在感にだれも近寄れないだが
一人だけ近寄って笑顔で話しかけている。
それは真希だった。真希にとっては
亮はそのくらい歌えて当たり前だと思っていた。
それはあった瞬間から知っている。
真希は今日がはじまりにすぎないとおもっている。
亮の存在はこれから知られていくだろう
天才と呼べるものだと思う。
最初から才能もあっただろう
だが世の中では才能も埋もれることもある
あくまで人間で弱いところも沢山ある
だけどそれを導く人がいて
その人がいなければ普通の人で終わるだろう。
才能のある人は人よりすごいことが出来るのではなく
人より少しだけ出来るのだと思う
その少しとはただの閃きである。
それは誰もが感じ取れるわけではない。
脳内の周波数を感じ取れる人間だけだろう。
そしてその瞬間に空気が止まるんだ。
その中で想いを込めて歌うんだ。ステージの上に全部置いてくる誰かのために。
終り
脳内RADIO