アイドル御堂刹那の副業
アイドル御堂刹那の副業
一
「あそこ扉の陰からジッとわたしたち見ています」
鳴滝亜矢は、廊下の奥にある開きかけた扉に懐中電灯の明かりを向けた。
「えッ、どんな人ッ?」
番組の司会をしている、お笑い芸人のリョータがうわずった声を出す。
「顔が、顔の半分が潰れた女の人です……」
「ええッ!」
リアクションがわざとらしすぎる、と亜矢は思った。
「恋人と親友に裏切られたんです、二人はここで秘かに会っていました。
彼女はそれに気付いて、この廊下で待ち伏せしたんです。ところが、逆上した恋人に殴られて……」
ライトに浮かぶ誰もいない空間を見つめながら、亜矢は台本通りの内容を話した。
リョータは大げさすぎるリアクションを続ける。
鬱陶しいと感じる一方で、これぐらい積極的にやらなければダメなんだと亜矢は自分を戒めた。
リョータは地方局でレギュラー番組を何本か持ち、全国ネットにも顔を出すほど売れてきている。
一方亜矢は、インターネット放送を中心として活動し、今回初めて深夜枠のローカル番組に出演できた。
そう言えばあの時もこの人と一緒だったな……
一年前、亜矢にとって大きな転機になったインターネット番組に出演した時の司会もリョータだった。
同じ事務所の篠原珠恵が急遽降板し、代役として白羽の矢が立ったのが亜矢だ。
珠恵が霊感アイドルとして出演していたので、亜矢にも霊能者のフリをして欲しいとの要望があった。これが霊感アイドル鳴滝亜矢の誕生のきっかけとなった。
もちろん亜矢には霊感など全く無い。
一九年の人生の中で、その手の恐怖体験やスピリチュアル現象を目撃したことも皆無だ。
無いが人並み以上にコワイものは苦手で、今でも好んでお化け屋敷に入ったり、ホラー映画を観たりはしない。
今も怖くて堪らない、亜矢たちが撮影に来ているのは首都近郊にある廃墟のホテルだ。
荒れ方から何年も放置されているみたいだが、スタッフに聞いたところ特に怪現象の噂などは無いらしい。
撮影許可が下りたので放送作家がストーリーを考えたとの事だった。
わたしを怖がらせないためのウソなのかも……
何かしらの悪霊が存在していもおかしくない、そう思わせる雰囲気がこのホテルにはあった。
亜矢は湧き上がる恐怖を心の隅に追いやった。今は仕事中だ、集中しなければならない。
「その霊って、怒ってるの? オレたちに出てけって言いたいの?」
「勝手に入ってきたわたしたちを快くは思っていませんね、そっとしておきましょう」
「あぁ~、やっぱやめようッ、もう帰った方がいいってッ!」
リョータがカメラの後ろにいるディレクターのに向かって言う。
「ダメ? そりゃダメだよなぁ~、ギャラもらってもんなぁ~」
情けない声を上げながらリョータは奥の扉の手前にある階段を上ろうとした。
「すンませ~んッ、マシーントラブルです!」
カメラマンの竹田和成が声を上げた。
「えッ? これって霊の仕業じゃない?」
「急に霊たちがざわめき出しました、危険です一度撮影を中止した方がいいでしょう」
亜矢もリョータの言葉に便乗した。そう言った方が番組的にも盛り上がると思ったのだ。
「ナイスフォロー」
カメラが完全に止まったのを確認してからディレクターの大西克也が声をかけてきた。
「リョータさんのフリが良かったんです」
「いや……」
撮影が中止になった途端、リョータのテンションも下がった。
決して愛想がないわけではないが、カメラが回っていないときのリョータは物静かでまるで別人だ。
「亜矢ちゃ~ん、よかったよぉ!」
リョータにどう接すればいいか考えあぐねいていると、マネージャーの安倍新一が物陰から姿を現した。
五十がらみの脂ぎった大男だが、マネージャーの腕は確かで、この仕事も取ってきてくれた。
「ありがとうございます」
「だいじょうぶ? こわくない?」
「平気です、安倍さんも見守っていてくれますから」
「いやぁ~、亜矢ちゃんにそう言われると嬉しくなっちゃうよ!」
安倍はにやけた笑みを浮かべた。
「ダメっスね、予備のカメラ取ってきます」
「頼むわ」
竹田がカメラを取りに行くと、大西はリョータと話し始めた。「本格的な心霊番組になってきた」と嬉しそうな大西に対してもリョータは軽く応じているだけだ。
「亜矢ちゃん、この仕事が終わったら時間ある?」
安倍が意味深な笑みを浮かべて聞いた。
あるも何ももうすぐ夜の一〇時になる、恐らく撮影が終わる頃には明日になっているはずだ。
あとは帰って寝るだけ、その後のスケジュールは安倍が把握している。それが彼の仕事なのだら。
「はい、大丈夫です」
「じゃ、今後の仕事について……」
「うわぁッ!」
突然、闇の中にリョータの悲鳴と何かが落ちてきた音が響いた。
「リョーちゃんッ?」
懐中電灯を向けると倒れたリョータの上に何かが覆い被さっていて、大西がそれをどけようとしていた。
どうやら天井が崩れ落ちてきたらしい。
亜矢も手伝おうとしたが、一斉にその場にあった懐中電灯が全て消えた。
そして亜矢は見た、暗闇の中に立つ女の姿を……
二
「こんな事だと思った……」
御堂刹那は、旅館の部屋に飾られた絵画をずらして溜息を吐いた。
お札が貼られている。
いわゆる曰く付きの部屋に案内されたのだ。
この部屋に近づいたときから嫌な感じはしていた。
それ以前に、マネージャーの荒木早紀が日帰りなのに自分だけ宿泊なわけはないし、更にこんな立派なホテルに泊まれるハズがない。
チェックインの時に受付で言われた言葉も「よろしくお願いします」だった。
刹那は売れないアイドルをしている。
しかも海外SF・ファンタジー小説マニアという需要が明らかに狭い属性を与えられている。
この秋保温泉の『ホテル麦秋』に泊まることになったのも、イベントのために仙台まで来たからだ。
百人集まれば大成功のイベントをやっている刹那が使わせてもらえるのは、素泊まりの安宿か、よくてビジネスホテルだ。
因みに刹那の最高集客数は六三人、今日は二回やって合計二三人、完璧に失敗だ。しかも両方ともほぼ同じ客が来ている。
今回の仕事は、SF作家ロイス・マクマスター・ビジョルドの新刊発売にかこつけた、握手会兼トークイベントだった。
新刊発売記念と銘打ってはいるが、作者とは親戚でも知り合いでもないし、執筆に協力した訳でもない。
更に言えば、出版社から依頼を受けたオフィシャルサポーターでもない。
勝手に便乗して早紀が書店から取ってきた仕事だ。
そのお陰で徹夜で新刊を読み終え、感想をまとめ、イベントのトーク時間を埋められるようにしなければならなっかた。
が、二回イベントをやるという事は、トークも二回しなければならないという事だ。そしてほぼ同じ客が雁首そろえて観に来ているのだ。
暖かく見守ってくれるファンには頭が下がるが、中には「さっきもその話聞いたぞ!」とか「少しは内容変えろよ!」などとツッコミを入れて来るヤツがいる。
聞きたくないなら帰れッ、という言葉を飲み込み、「ゴメン、もう一度聞いてね!」と笑顔で返さなければならない。
無視できれば良いのだが、人数が少ないのでそれも難しい。
そして来場者の数を見て、当然だが主催者もいい顔をしない。
早紀が敏腕マネージャーぶりを発揮し、その場は上手く乗り切ってくれたがこの書店が再び刹那を使ってくれることは無いだろう。
たしかにいつもの事だし、もともと好きでアイドルをやっているわけでもない。それでも、それなりに精神的なダメージを受けて、それなりにヘコんでもいる。
そこに来てこのホテルである。
刹那は溜息を吐いた。
赤字を埋めるために副業をしろって事なのね、おばさん。
三
「ただいま戻りましたぁ~」
「おかえり~」
刹那が事務所に入ると奥から好恵の声が聞こえた。どうやら今いるのは彼女だけらしい。
「ちょっとおばさんッ、何なのあのホテルッ?」
他に人が居ないので、所属タレントから〈姪〉に戻って食ってかかった。
本業の仕事を取ってくるのが荒木早紀なら、副業の依頼を受けているのが、このタレント事務所社長で刹那の叔母でもある中川好恵なのだ。
「ん? 何か問題でもあった?」
「とぼけないでッ、副業があるなんて聞いてない!」
「スケジュールに、『ホテル麦秋』って書いてなかった?」
「あったけど、それって普通宿泊先でしょッ?」
「実際泊まりもしたわよね?」
「そうだけどッ、あたしが言ってるのは……」
「だって本当のこと言ったら、せっちゃん嫌がるでしょ?」
「あったりまえじゃないッ、あたしはここの所属タレントであって、拝み屋やエクソシストじゃないんだから!」
「働かざる者喰うべからず」
「へ?」
「せっちゃんのアイドルとしての稼ぎじゃ、今の給料は出せないわ」
他のタレントが歩合制なのに刹那は月給制だ。
にもかかわらず、やっている仕事と言えば例の集客力の低いイベントと、SNSで海外SF小説の感想を書くこと、そして事務所主催のネット放送に出演することぐらいだ。
そんな状態で二桁に届く月給をもらっている、因みに好恵の家に居候しているので家賃や光熱費もかからない、破格の待遇だ。
「そう……だけど……」
痛いところを突かれ言葉に詰まった。
「いくらカワイイ姪でも、他のタレントの手前、特別扱いにだって限界があるし、早紀ちゃんもいい顔をしないわ。でも……」
「拝み屋のマネゴトをしてたら、それほどクレームが来ない?」
「わかってるじゃない!」
ニンマリ、と好恵は笑みを浮かべた、反対に刹那は苦虫を噛み潰したような顔になる。
「で、上手くいったの?」
「ちゃんと説得して、出て行ってもらったわ。ちょっとゴネられたけど、いくら霊でも知らない男と相部屋はイヤだから」
泊まった部屋のクローゼットに中年男性がいた、そこで亡くなった霊だった。
「さっすがせっちゃん!」
「おだてたって何も……」
不意にチャイムの音が鳴り響いた。
「残念だけど、出してもらうことになるわ」
好恵はそう言うと立ち上がり、ドアを開けに行った。
通されたのは、頭がだいぶ寂しい太ったオジサンと自分と同い年くらいの女の子だ。
公式プロフィールでは一八歳にされているが刹那の戸籍上の年齢は二二歳だ。
女の子は恐らく同業者だろう、男性はマネージャーか。
それにもう一人、連れている……
刹那の眼には少女の背後に〈影〉が視えた、もちろん室内の蛍光灯によって生まれた本人のものではない。
「お待ちしておりました、彼女が御堂刹那です」
好恵が二人に刹那を紹介した。
マシンガンのごとく悪態が口を吐きそうになったが、空気を読んでかろうじて堪えた。
「ほぅ、こんなに若くてかわいらしいお嬢さんが、噂の御堂先生ですか」
中年の男は頭を下げつつ、カガワエージェンシーの安倍と名乗った。
その間もなめまわすような視線を向けられ、刹那は辟易とした。嫌なファンでも、ここまで露骨なヤツは珍しい。
「プロダクションブレーブの御堂です、先生はおやめください。あたしはこの事務所の所属タレントにすぎません」
好恵が自分をどのように紹介しているかは知らないが、これが副業の依頼であることは間違いない。
刹那は当てつけに『タレント』と言うところを強調して言った。
「カガワエージェンシーの鳴滝亜矢です……」
蚊の鳴くような声で〈影〉を背負っている少女が自己紹介をした。
「それでは改めて、何があったかを御堂にお話しいただけますか?」
安倍が話し、亜矢は相づちを打つ以外ほとんど声を発しなかった。
その代わりと言っては何だが、安倍は写真だけではなく、スマートフォンで映像まで見せ亜矢の周りで起こっている怪現象を説明した。
始まりは一ヶ月前、地方局の心霊番組のロケでの事だった。
霊感アイドルとして売り出し中の亜矢は廃ホテルで霊視することになり、そこで本物の怪異に遭遇する。
カメラが壊れ、天井落下で司会者が怪我をしたのだ。
それから亜矢はラップ音やポルターガイスト現象を頻繁に体験することになる。
ただ不思議なのは、独りでいるときよりも誰かと一緒の時が多いと言うことだ。
廃ホテルの事故から十日ほど後、珍しく心霊番組ではないネットの生放送に出演したときは、撮影途中で再びカメラが故障してしまい、予備のカメラもなぜか使えず放送自体中止せざる得なくなってしまった。
その三日後、ネットの心霊番組ロケで自殺の名所に行ったところ、居ないはずの人の声や姿が撮影されて話題になっている。
それだけなら心霊番組なので願ったり叶ったりなのだが、番組に関わっていたスタッフが一名、翌日から体調を崩し入院、更に一名が撮影から一週間後、行方不明になっている。
そして三日前、最悪の事故が起こった。
亜矢はイベントでファンと心霊スポットを巡るツアーをしていた。
今まで経緯もあり、亜矢自身かなり憔悴していたため中止も検討された。だが心霊スポットを巡るのに、怪現象が起きるから中止するとは言えない。
むしろネットで心霊マニアの間で話題になっており、申し込みが倍増していた。 結局、ツアーは予定通り行われることになった。
そして心霊ツアーの最中に、クルマが参加者の列に突っ込んできたのだ。
怪我人だけでは済まず、死者まで出た。
事故を起こした運転手は、ブレーキが利かなくなり、ハンドルも何かに取られたと証言したが、クルマに異常は無かった。
基本的に亜矢に落ち度は無いが、事務所は彼女の活動限休止を決定した。
亜矢はこの一連の事件で、いつも居るはずのない女の姿を目撃していた。
「念のために確認しますが、鳴滝さんに霊感は?」
「先生は霊感アイドルとして売ってますか?」
安倍は悪びれずに質問で返し、亜矢は恥ずかしそうにうつむいた。
確かに本当に霊感があるなら、それを売りにしないかも知れない。実際自分はそうだ。
刹那が芸能界に入るきっかけは就職に失敗したからだ。
ことごとく面接に落ち、心が折れそうになっていたところを好恵から所属タレントにならないかと誘いを受けた。
正直、芸能界に興味は無く、むしろ嫌なイメージが強かった。
華やかな表舞台の裏では醜い人間のエゴがぶつかり合っている、そんな風に想像していた。
短大の卒業も間近に迫っており、反対すると思った親も叔母の会社ならいいとむしろ勧めてくれた。就職先が決まらない娘の身を案じていたのだろう。
刹那はブレーブの所属タレントになることを決めた。ただ、その時一つだけ条件を付けたのだ。
霊感をウリにしない。
それが刹那が好恵に求めた条件だった。
叔母は、霊感アイドルとして自分を売りたいのだと思っていた。ところがあっさり好恵はそれを了承した。
その代わり刹那を待っていたのは、海外SF・ファンタジー小説マニアという設定と、副業としての拝み屋だった。
「その女性に見覚えは?」
安倍を無視し亜矢に尋ねた。
「いえ……というか、いつもハッキリとは見えないんです。雰囲気から女性で間違いないと思いますけど……」
「心当たりもありませんか?」
亜矢は一瞬視線を泳がし、それからうつむいた。
「……仕事で心霊スポットによく行くので……」
刹那は亜矢の背後の〈影〉を視つめた。
「鳴滝さん以外にその女性を見た方は? あなたはどうです?」
話すのも嫌だが安倍にも聞いておかなければならない。
「わたしは……見ていません、残念ですが。ただ、目撃者は他にもいます」
「今、亜矢さんが話してくれたこと以外に、その女性について何か聞いたことはありますか?」
「いいえ……ありませんねェ……」
刹那は〈影〉を視ながら内心首をかしげた。
背後霊は今まで何度も視ているが、こんな影として視たのは初めてだ。いや、背後霊以外でも視たことがない。
刹那の眼には霊は普通の人と変わらない姿で視える。
霊によってハッキリ視える視えないの違いはあるが、このような完全に黒い影になっている事はない。むしろ霊なら影はない、少なくても自分にはそう視える。
「刹那、さっきから何を視ているの?」
好恵は刹那が何を視ているのかに気づいたようだ、霊感は無いが好恵の観察眼は鋭い。
「な、何か見えるんですか?」
安倍はおびえたような声を出した。
「ええ、鳴滝さんの背後に〈影〉が視えるんです」
「わたし、悪霊に憑かれているんですか?」
震える声で、ただしこの部屋に入ってきてから一番ハッキリと亜矢が言った。
「憑かれているのは間違いないと思います。ただ、悪霊かどうかはまだ判りません」
「祓ってもらえますよね、このままだと亜矢に仕事が来なくなります」
安倍が切羽詰まった声を出した。
そんなこと言われてもね……
刹那はチラリと叔母の顔を見た。
好恵は促すように頷いた。
「あたしは呪文を唱えたり、儀式をしたりはしません。霊と直接話しをして、去ってもらうんです」
刹那が『成仏』と言わなかったのは、霊が憑いている相手から離れた後どうなるかよく判らないからだ。
あの世か天国へ行くのか、単に消滅するだけなのか、霊自身も知らないらしい。
そもそも自分が死んでいることすら気づいていない霊も多いのだ。
「でも鳴滝さんの背後にいるのは〈影〉なんです、本体はそこにはいません」
「つまり、どういうことです?」
安倍の問いに対する答えに困り、再び好恵を盗み見る。
案の定、渋い顔をしていた。
しかし、上手くごまかす言葉も思い浮かばない、実際こんな状態は見たことが無いのだ。
「ハッキリ言うと、現時点であたしにはどうすることもできません」
「え……」
亜矢の顔には戸惑いが、安倍には怒りが浮かんだ。
横にいる好恵も怒っているだろう、こんな事を言えば客は怒るに決まっている。でも本当なんだから仕方ない。
「何とかならないんですかッ、わざわざスケジュールをこの日のために調整したんですよ!」
安倍の勤務状態については判らないが、亜矢はバイトでもしてない限りヒマなはずだ。仕事が無くなって、ここに来たのだから。
「あくまで『現時点』ではです、霊の本体に会えれば何とか説得できるかもしれません。もちろん、説得自体どうなるかはやってみなければ判りませんが」
「どれくらいかかりますか?」
今度は亜矢がささやくように尋ねた。
「申しわけありませんが、そちらも見当がつきません。あたし自身、こんな事は初めてなので」
「まさかとは思いますが、先生、お布施をつり上げるために仰っているんじゃないですよね?」
お布施とは他人に施しを与える意味もあるが、一般には仏事における僧への謝礼の事だ。
刹那は僧ではないし、これは仏事でもない。
オッサン、いい年してそんなことも知らないの! という言葉をすんでの所で飲み込んだ。
「お疑いでしたら、どうぞ専門家の所へ。社長からどのように聞いているかは存じませんが、あたしは憑き物落しのプロではありません。あくまで本業は鳴滝さんと同じです。ウリにしている物は別ですけど」
嫌みを込めてわざと最後の一言を付け加える、売り言葉に買い言葉だ。
「せっちゃん!」
好恵がさすがに厳しい声を上げる。
客に対する態度でないのは解っているが、どうしても安倍に我慢できない。
「安倍さん、そんな言い方は失礼ですよ……」
亜矢も安倍をたしなめた。
刹那と安倍はしばし睨み合った、自分から頭を下げる気はない。それでクビになったら就活を再開すればいい。
「そんな怖い顔しないでくださいよ、先生。ちょっと言ってみただけじゃないですか」
ニヤニヤ笑いを安倍は浮かべる。
やはりこの男は好きになれない。
「せっちゃん、いくら下衆なオヤジでも相手はお客様よ」
亜矢と安倍が帰ると好恵の説教タイムが始まった。
「いつからブレーブは宗教法人になったの?」
今回は刹那も負けてはいない、立て続けに抜き打ちの副業を入れられ、かなり頭にきている。
「ウチの台所事情、知らないわけじゃないでしょ?」
「じゃあ前もって言って! いくらあたしが嫌がるからって、特にあのオヤジはヒドすぎないッ?」
好恵は溜息を吐いた。
「その事については謝るわ、ごめんなさい。
言い訳をさせてもらうと、ホテルの方は確かに仕組んだ事だけど、鳴滝亜矢の件は今日の午前中に話しが来たのよ。
どうしてもすぐに視て欲しいって」
「えッ、あのオヤジ、スケジュールを空けたとかヌかしてたけど?」
「さぁ、何のスケジュールかしらねェ?」
今度は刹那が溜息を吐く番だ。
結局、依頼は受けたのだ。
さすがに死者まで出ているのに放っておくことはできない。
「とにかく明日、鳴滝亜矢の家と入院しているお笑い芸人の所に行ってくる」
「そっちは安倍さんが手配してくれることになってるけど、私の方からもリョータ側の事務所にアポを取っておくわ。せっちゃん、最近有名だから名前を出せば大丈夫よ」
「よろしく。あたしは資料に目を通して、あの〈影〉が何なのか手がかりを探してみる。それと、ダンスレッスンはキャンセルね」
好恵の軽口はスルーする。
「OK。残りの関係者は向こうの都合がつき次第ね……。ところでその〈影〉なんだけど、視たのは本当に初めて?」
「そうだけど?」
「………………」
好恵はしばらく黙り込んだ。
「ねぇ、おばさん、どうしたの?」
「わたしはせっちゃんみたいな霊感は無いけど、この世界でそれなりに色んな物を見てきたわ。だからこそ、せっちゃんをこの業界に引き込んだわけよ」
「な、なに? 唐突に」
「蛇の道は蛇ってこと。今回の依頼、目先のお金に目がくらんだかも」
「今さらナニ言っちゃってるの? 嫌がってる姪にムリヤリ仕事を受けさせておいて」
「そうよね、反省してる。だから危ないと思ったらすぐに手を引きなさい、今回は文句を言ったりしないから」
「うん……」
四
翌日、刹那は千葉県浦安市にあるリョータが入院している病院を訪れた。
受付で確認したところ個室を使っている事が判った。
なんて贅沢な……
自分だったら確実に相部屋だ。
リョータの病室に入ろうとしたところ、中から女性が出てきた。
スーツ姿でメガネをかけ、ヒールの音を響かせ、艶やかな黒髪をなびかせている。
刹那はリョータの事務所の関係者と思い、軽く頭を下げた。
「余計なこと首を突っ込まない方が身のためよ」
「え?」
すれ違いざま声をかけられ刹那は思わず立ち止まった。
「あなた、御堂刹那さんでしょ?」
「そう……ですが?」
事務所の人間なら刹那の訪問を知っていて当然だが、見透かしたような言い方が鼻につく。
「失礼、私は芦屋満留。フリーの芸能記者をしているの」
そう言うと、手品のような滑らかな仕草で名刺を差し出した。
「芸能記者? 事故にあったリョータさんの取材ですか?」
刹那は名刺を受け取りながら探るように満留を見た。
亜矢の〈影〉とはまた違ったおかしな感じがする。無論、〈影〉が彼女にあるわけではない。
それにこの匂い……
白檀だろうか。いや、それだけではない、他の匂いも色々混ざっている。不快ではないが、この匂いも気に入らない。
彼女自身が、今まで刹那が感じたことのない気配を発しているのだ。
「まぁそんなところだけど。それより、後悔したくないなら拝み屋のマネは止めなさい」
「何を仰っているんですか?」
「最近業界で有名よ、霊能者御堂刹那。残念なのはアイドルとしてではなく、公にしていない霊感で注目されている事だけど」
「さすがですね、芸能記者芦屋満留の情報収集能力は業界一と評判ですよ。とか、あたしも持ち上げたほうがいいですか?」
満留はバカにしたように鼻で笑った。
「警告はしたわ、副業もほどほどにして本業に専念した方がいいんじゃないかしら。例え売れなくても、生命を危険にさらすことは少なくて済むわよ」
なんなの、あいつ……
遠ざかる満留の後ろ姿を見送りながら内心歯ぎしりをした。芸能記者の取材を受けたことがほとんど無いので、芦屋満留と言う名前にも聞き覚えがない。
満留は明らかに刹那が鳴滝亜矢の怪奇事件を解決しようとしている事を知っていて、それをやめるように警告していた。
リョータが話したのだろうか、そう考えるのが自然なのだが何か釈然としない。
廊下で悩んでいても仕方が無い。千葉にある、東京のランドを尻目にわざわざ浦安くんだりまで来たのだ。手ぶらで帰るわけには行かない。
働かざる者喰うべからず、ね。
得体の知れない相手に横槍を入れられた事で、むしろやる気の出た刹那はリョータの病室へ入った。
「お休み中申しわけありません、連絡を入れておりました御堂刹那です」
「あ、どうも~、事務所から話しは聞いていますよぉ!」
病院には相応しくないテンションの高い声で迎えられた。
刹那は違和感を覚えた。と言うのも好恵からリョータは舞台裏では気むずかしいと聞いていたからだ。
「怪我の具合はよろしいようですね?」
「いや~お気づかいありがとうございます、お陰さまで明後日には退院できるみたいですよ」
「よかった」
「それにしても、霊能者の先生がこんなに若くてカワイイなんて思いませんでしたよ! アイドルかと思っちゃいました」
「あー、一応アイドルもやってます。聞いていませんでした?」
リョータがポカンとした表情になる。
「え、あぁ、そうなんだ……」
テンションがいきなり下がった。
刹那が業界人だという話しが伝わっていなかったのだろう。
霊能者としてメディアには出ていないという情報だけが届き、念のため外向けの顔で迎えたのだ。
「早速ですが、いくつか事故について伺えますか?」
「えぇ」
さっきまでとは打って変わり、気のない返事だ。
「ありがとうございます、先ほど芦屋さんの取材を受けたばかりなのに」
「え……?
あぁいいよ、まとめてもらった方が助かるから。それで何を聞きたいの?」
本音では刹那は招かざる客のようだ。
「事故の時、何かおかしな物を見たり聞いたりしませんでしたか?」
「別に……そもそも人の使っていない老朽化している建物だったから、霊なんて関係ないよ」
「と言うと、リョータさんは単なる事故だと考えているんですか?」
「そう考えるのが普通でしょ。そもそもあそこには怪奇現象の噂なんてなかった、やらせだよ。君も業界人ならこういった番組の裏側はだいたい知っているよね?」
「たしかにそういった場合も多いと思います。でも、今回は鳴滝さんがいるはずのない女性を目撃していますし、その後彼女の周りでおかしな現象が続いています」
「彼女、霊感なんてないよ」
「みたいですね」
「なら、どうして彼女の周りで霊現象が起こっているって断定できるの?
君はそこにいたわけじゃないよね。
偶然が重なっただけなのに、彼女が霊の仕業だと思い込んでるだけじゃない?」
「常識的に言えばリョータさんの仰る通りです。でも、あたしには霊感があります、鳴滝さんと違って」
リョータは溜息を吐いた。
「君、自分の霊感を証明できる?」
「いきなりは難しいですね、あたしはサイコキネシスを使えるわけじゃないですから」
リョータが皮肉な笑みを浮かべた。
さすがに刹那は内心ムッとした。
「そうだよね、大抵霊能者はそう言うんだ。
いくら自分には視えているって主張しても、それを証明する事はできない。
にもかかわらず、脅すようなことを次々に言い不安を煽り、自分を信じんじるように仕向けていく」
「つまり、あたしが嘘を言って、たかろうとしているとお考えなんですね」
こういう事を言われるのは初めてではない、神仏や霊現象などを極端に嫌う人は少なくないからだ。
刹那が霊感アイドルをやりたくなかった理由の一つでもある。
今までこの能力のせいでどれほど嫌な思いをしてきたかわからない。
「他に解釈のしようがあるのかな? ボランティアでやっているわけじゃないだろ?」
「たしかにお金はいただいています、カガワエージェンシーからプロダクションブレーブに正式に依頼されていますから。リョータさんも、怪我をされた心霊番組のなかで、ギャラはもらっていると仰っていましたよね? それと同じです」
「なるほど、オレも『同じ穴の狢』だから、君に偉そうなことを言える立場にないってことか」
しばらく刹那は能面のような表情でリョータを見つめた。
「お邪魔しました、それではお大事に」
刹那は丁寧に頭を下げるとリョータの病室を後にした。
五
「お待ちしていました」
亜矢が笑顔で出迎えてくれた。
と言っても、やつれた顔にムリヤリ貼り付けた愛想笑いだ、見ていると痛々しくなる。
刹那の視線は自然と亜矢の背後に向けられた。
相変わらず〈影〉がそこにいる。
リョータが入院していた病院を後にして、亜矢のマンションに着く頃には陽が傾いていた。
「変わったことはない?」
「ええ、あれからは……。ただ、御堂さんが来る前に取材が来ました。事故に関してです……」
「そう」
亜矢に招かれるまま部屋に通された。
この匂い……
「取材に来た記者って、何とかミチルとかミツルだとか言わなかった?」
「芦屋満留ですか?」
「そう、それッ、そいつ!」
「ええ、その方ですけど……」
どういうことだろう、まるで先回りしているようだ。
「彼女、何か関係あるんですか?」
「ううん、以前あたしも取材を受けてね。この匂い……」
亜矢も気になったのだろう自分の部屋の匂いを嗅いでいる。
「そう言えば、そうですね。白檀でしょうか……言われるまで気付きませんでした……」
「そ、なんか色々鼻につく女よね」
「そうですね」
亜矢は苦笑した。
このマンションは練馬にある三階建てで、亜矢の部屋はその三階にある。バス、トイレも別だし、オートロックで閉め忘れもない、それに部屋自体かなり広いし、なんとベランダまである。
電化製品も一通り有り、四十インチはあるTV、オーブンレンジ、エアコン、冷蔵庫、それに洗濯乾燥機まである。
ちゃんと整頓されており、ぬいぐるみや、かわいい小物などもあってオシャレな空間だ。ファンからのプレゼントだろうか。
ベッドもセミダブルでゆったりしていて、ふかふかの布団とマクラが、これまたかわいいシーツやカバーでコーディネイトされている。
思わず溜息が出てしまう。
雑然として余り片付けられていない刹那の部屋とは大違である。
しかも刹那がファンからもらうプレゼントのほとんどが、マニアックなSF小説やファンタジー小説、そしてそれに関連したフィギアやグッヅだ。
属性が海外SFファンタジーマニアなので仕方ないが、正直欲しくない。
といっても、捨てるのはさすがに忍びない。
よって狭い部屋が少しずつ浸食されて行く。
暗澹たる気持ちになって亜矢の部屋を眺めていると、ふと違和感を覚えた。それは霊的な物ではない。
「わたしの部屋に何かあるんでしょうか?」
部屋の中を見回してる刹那に不安を感じたのだろう、亜矢が尋ねた。
「ごめんなさい、かわいい部屋だなと思ってつい見とれちゃった」
「そんな事ないですよ」
安心したように表情を緩めた。
「さっそくだけどいくつか質問させてもらえる?」
「ええ、でも起こったことはほとんど昨日話してますよ」
「うん、確認の意味も込めて聞きたいの。それに今日リョータさんにも会ってきたから」
「具合はどうでした?」
責任を感じているのか表情が曇った。
「もうすぐ退院できるみたい。それに、この事件はただの偶然で霊現象とは思ってないって」
「あの後、わたしに起こったことを知らなかったんでしょうか?」
「ううん、その話もしたけど、もともと霊なんて信じてないみたい。あたしもけんもほろろに追い返されちゃった」
「あ……すみません……」
「何も鳴滝さんが謝ることじゃないわ、この仕事をしているとよくある事だから。逆にその方が助かることもあるしね」
「はぁ……」
亜矢は罪悪感をぬぐえないのか、まだ申し訳なさそうにしている。
「で、本題に入りたいんだけど」
「はい」
伏せていた視線を亜矢は刹那に向けた。
「申し訳ないけど、除霊に関わることだから鳴滝さんのことを調べさせてもらったわ。霊感アイドルとして活動を始めたのも、リョータさんのネット放送がきっかけだったのよね?」
「はい、同じ事務所の先輩の代役で」
「篠原珠恵……さんだっけ? もう引退しているのよね、体調不良が原因で」
「ええ……それでレギュラーでやっていた『リョータの都市伝説検証』っていう番組に穴が開いてしまって、わたしが急遽代役に選ばれました」
「それから一年近く仕事をしていて、心霊関係のネット放送が二六本、イベントを四回やっている。で、初めて霊体験をしたのが一ヶ月前の……」
「『都市伝説探訪』の収録です」
「たしかディレクターも、ネット放送で一緒だった?」
「はい、『都市伝説検証』の評判がよくて、それで地方局での放送が決まったんです。それで制作会社も一緒で、タイトルを『検証』から『探訪』に変えて再スタートしたんです」
「ディレクター以外のスタッフも一緒なの?」
「規模が違いますから人数は増えてますし、局のスタッフも加わっています……。それが何か?」
「う~ん、ごめん、まだ何とも言えない。実際、何が起こっているかを調べている途中だから」
亜矢の背後の〈影〉、それ以外はこの部屋に霊的に異常な所はない。
「鳴滝さん、この部屋で何か怪現象って起きたことある?」
「いいえ、一度も……」
やっぱりね、でもこの違和感は……
改めで亜矢の部屋を眺めていてその原因に気がついた。
なぜすぐに気がつかなかったのだろう。
「ありがとう、それじゃお邪魔しました」
「もう、いいんですか?」
「うん、この部屋で何も起こっていないのがわかったから」
「わたし、これからどうすれば……」
刹那は立ち止まり一瞬考えた。
「まだ断定はできないけど、この部屋にいる限りは大丈夫だと思う」
「でも、わたしは取り憑かれているんですよね?」
「あたしに視える〈影〉は、今のところ直接手出しができない。でも、この部屋で今まで怪現象が起きていないなら、他のところ、もしくは他の誰かといるよりは安全だと思うよ」
「思う、ですか……」
「昨日も言ったけど、あたしも今まで視たことのない状態だから断言ができないの。ごめんなさい」
「いえ……」
不安そうな亜矢を一人残し、刹那は次の調査へ向かうことにした。
六
刹那は亜矢の心霊ツアーが交通事故に遭った場所に来ていた。
幸運にも人通りはほとんど無い、それでもタクシーを待たせてあるので運転手の視線が気になるが仕方が無い。
これから霊に話しかけるわけだが、端から見れば誰もいないのに話しているアブナイ人以外の何者でもない。
Y字路の間に大きな木が植わっており見通しが悪く、交通事故が起こりやすいのは明らかだった。
大勢いる……
数十人の霊がウロウロしている。
見通し以外にも事故の原因が出来てしまったようだ。
こうなるともう刹那がどうこうできるレベルではない。ここに来た目的だけ果たして次へ行こう。
刹那は今回の事故のことを聞こうと辺りを見回した。一番いいのは亜矢のツアーで事故に遭った霊だ。
アイドルオタっぽい人は……
『み、御堂刹那……さんですよね……』
振り返ると太った男性の霊が立っていた。
ってか、何であたしの名前知ってンのよ?
御堂刹那は超マイナーアイドルである、アイドル通の中でも知る人は少ない。
「はい……そうですが……」
思わず引き気味で答えた。
『ああやっぱり! ブ、ブログ読んでいます。あ、あとネット放送のブレーブストリームもッ!』
コイツ、真性DDだ……
どうやら探す手間が省けたらしい。
それにしても、霊感アイドルと海外SF・ファンタジー小説マニアアイドル、接点がまるでない。
見た目も亜矢とは大分違う。亜矢は華奢で小柄だが、刹那はそれなりに身長もあり、それなりに肉付きもいい。
更に刹那は、テレビに出演したのは深夜枠にたった一度だけ、ネット配信は事務所主催の『ブレーブストリーム』に定期的に出ているが番組自体がマイナーだし、アイドル雑誌にも取り上げられたのは1回だけでしかもかなり小さくだ。
会いに行く事はできても、滅多に見られない希少種アイドルなのだ。
それを知っているという事は、こちらも筋金入りのDD《誰でも大好き》と言うことだろう。
それにしても霊から話しかけてくるのは珍しい、余程アイドルに執着していたに違いない。
「あ、ありがとうございます……」
刹那自身は霊に語りかけるとき、普通に声に出して話しかける。
実際には声を出さなくても、ほとんどの場合、意思疎通はできるのだが、刹那は霊に対して生者と同じように接するように努めている。
当然霊の声は耳から聞こえてくるわけではない。
子供の頃は耳から聞こえる音との違いが判らなかったが、今ではその違いを判別できる。
意識すれば霊の声を閉め出すこともできるし、積極的に聴くこともできる。
『よければ握手を……』
「その前に教えて欲しいことがあるんです」
『え、何ですか?』
「あなたがここに来たときの事を教えて」
『ここに来たとき……』
「思い出して」
先ほどまでの上気したような表情は消え、霊は戸惑ったように黙り込んだ。
『ここに……来たとき……?』
震えた声で同じ事を呟いた。
「何か思い出した? あなたは鳴滝亜矢の心霊スポットツアーに参加していたはずだけど?」
『そう……だ……あの時……クルマが……クルマが……』
霊はおののき絶句した。何が自分の身に起こったかを理解したのだ。
「あたしはその事故を調べに来たの、鳴滝亜矢に頼まれて」
『え……』
人生の最後に会ったアイドルの名前が出て、霊は再び驚いた顔をした。
これだけ感情が豊かな霊も珍しい、人の多くは亡くなったときに色々な物を失ってしまう。
「事故に遭う前後に、何かおかしなモノを見るか感じるかしなかった?」
『そんなもの……
あ、そう言えば女が……ヘンな女を見た気がする……』
「何が変だったの?」
『うまく言えないケド……とにかくヘンだった。いや、見たかどうかもあやふやで……』
「どんな小さな事でもいいから、その人について覚えている事はない?」
「う~ん……暗かったし……影のように見えた気がするだけで……」
霊の記憶が全て事実に基づく物か、勘違いということもあり得るのか、これも刹那には判断しかねる。
「ありがとう、それじゃあ……」
刹那は霊に手を差し出した。
「ゴメンなさい、できれば亜矢ちゃんと握手したかったでしょうけど、あたしでガマンしてくれる?」
一瞬キョトンとしていた霊だが、かすかに微笑み刹那の手を握ろうとした。
だが、それはすり抜けてしまった。
今度は泣き笑いの顔をする、本当に生きているように表情が豊かだ。
その分だけ刹那は、目の前に近づいている別れが辛くなっていた。
『握手できないや……刹那ちゃんの手を握れない、これが死ぬってことなんだ……』
「いつかあたしもそっちへ逝くから、その時は改めて握手してくれる?」
『もちろん! こんどは刹那ちゃんの……刹那ちゃんだけのファンになるよ!』
「ありがとう」
霊の存在が消えるのを感じた。
刹那は待たせているタクシーに向かった、次の場所へ向かわなければならない。
七
「今着いたところ。うん、タクシーは待たせてるわ……大丈夫、危ないことはしないから」
スマホで好恵と話しながら、刹那は廃墟になったホテルの中を懐中電灯の明かりを頼りに進んで行った。
ここは亜矢が最初に怪現象にあった撮影現場だ、すでに夜の一〇時を過ぎている。
物心つく前から刹那は霊を視ている。言い方を変えればお化けを見慣れているわけだが、それでもこの廃墟は気味が悪い。
霊感があるせいで、刹那はむしろ論理的に物事を考えるようになった。霊現象は彼女にとって超常現象ではなく自然現象だからだ。
それでも足下がよく見えず誰が潜んでいるか判らない暗闇は、二二歳の刹那には危険極まりないのだ。もちろん恐いのは足場が悪いための事故と生身の人間だ。
それで現状報告も兼ねて気を紛らわせるために、好恵に電話をかけながらここへ入ってきたのだ。
「あ、おばさん、天井が落ちてる場所に着いたから切るね、これから聞き込みを始めるわ」
そう言うと刹那は電話を切った。
さすがに電話をしながら聞き込みはできない。
どうやら生者はいない、いるのは肉体を持たない人間が一人。
視たところ三十代前半の男性だ。
「あの~すみません」
話しかけると、霊が刹那の方にわずかに顔を向けた。
「ちょっと聞いていいですか?」
生者に比べて死者は反応が鈍い場合が多い、Y字路の霊が珍しいのだ。
しばらくして廃墟の霊はかすかにうなづいた。
「あの天井が崩れたとき、あなたはここにいましたか?」
三分ほど経って、再びうなづいた。
「その時、何かおかしなモノを見ませんでした?」
霊はまた固まったように動かなくなり、今度は五分ほどしてからボソリと呟いた。
『女……』
「怪しい女性がいたんですね」
Y字路の霊と亜矢が目撃したという人物か。
「その女性の特徴とか判りますか?」
「……………………」
今度は一〇分近く待ったが霊は何も答えなかった、Y字路の霊と同じ物を見ていたなら彼自身もよく判らないはずだ。
刹那は話しを切り上げることに決めた。
「ところで、あなたは誰かを待っているんですか?」
霊はコクリとうなづいた。今までで一番反応が早かった。
「やっぱり……。気づいていますか?」
刹那は霊が理解できるよう、一旦間を取ってからゆっくりと話した。
「あなたはすでに亡くなっているんです。だから、もう待たなくてもいいんですよ」
今まで感情の変化を一切示さなかったが、己の死を告げられるとわずかに驚いたような顔をした。
恐らく彼にとって、これが最大限の表情の変化なのだろう。
時間の感覚が無くなり自身の死を自覚できない者が、地縛霊となりその場所に留まっている事が多い。
彼はこのホテルで誰かと待ち合わせとしていたが、会う前に生命を失ったのだろう。死の間際、一番気にしたのがその事だったに違いない。
恋人か妻か、とにかくこの場所に執着があり、ここに彼は留まっていた。何年も何年も。
『そう……ですか……』
「ごめんなさい、あたしには事実を伝えることしかできないんです」
Y字路の霊もそうだったが、霊に己の死を自覚させる時、刹那はいつも胸に痛みを感じる。
『会いたかった……』
寂しげに霊は呟くと、そこからスッといなくなった。
これが成仏ならいいと思う。
刹那は改めて天井が落ちた現場を懐中電灯で照らしてみた。
何かを期待したわけではないが、特に不審な点も見つからず出口に向かった。
「ん?」
ホテルを出ようとして何か違和感を覚えた。
出入りに使ったのはホテルの正面にある、はめごろしの窓だ。今はガラスが割られていて、亜矢たちが撮影に入る際にもここを使ったらしい。
刹那は足下に懐中電灯を向けた。
そこにはガラスやタイルの破片が散らばっていた。恐らく、はめごろしの窓ガラスと、もともとこの場所を覆っていたタイルが剥がれた物だろう。
足でそれをどけてみると出入り口に使った窓の前が、土がむき出しになっている。
これって……
刹那は大きめのタイルの破片を見つけて土を掘り返してみた。
予想通り土は柔らかく、小さな匣が埋まっていた。
思わず溜め息が出た。
とにかく自宅に戻りひとまず寝よう、後の事はそれからじっくり考えよう。
霊との会話は体力を使う。いや体力と言うより精神力かも知れないが、要は凄く疲れるのだ。
それに加えて、今回の依頼は想像していたより遙かにやっかいだ。
八
「刹那、社長から聞きました、朝帰りをしたんですって? それにダンスレッスンもサボったでしょう」
昼近くに事務所に出社すると、開口一番マネージャーの荒木早紀が詰めよってきた。
「ちょ、ちょっと待ってください! 『朝帰り』じゃなくて『深夜に帰宅』ですよッ。それに遅くなったのは副業をしてたからです、レッスンもそれで……」
「知っています」
「じゃ、なんで怒るんですかッ?」
問題を起こしたわけでもないのに、夜中過ぎまで働いて叱られては堪った物ではない。
「何度も言っていますが、私はあなたが副業をすることには反対です。しかし、やらなければならない事情も解ります」
「それなら……」
話しかけた刹那を早紀は手で制した。
「解りますが、あくまで副業は副業。本業に影響があっては困ります」
「だから、その本業の数が……」
「少ないからこそ、慎重に行動して欲しいんです。もっと自分を大切にしてください、無理は絶対にしないで」
「は、はい、すみません……」
刹那は思わず頭を下げていた。
早紀は事務所の中で好恵の次に付き合いが長い。
刹那は小学生の時、夏休みの自由研究でブレーブを取材したことがある。当時新米マネージャーだった早紀は色々と刹那の面倒を見てくれた。
帰り際に「刹那ちゃんがウチの事務所でアイドルになるなら、わたしが担当するね」と早紀は言ったのだが、まさかそれが現実になるとは思わなかった。
ただし、そこにいたのは初々しいお姉さんではなく、敏腕公正で厳しいベテランマネージャーだった。
早紀は刹那の副業に反対すると共に、給料面での特別扱いにも反対している。他のタレントが、刹那に対してだけではなくブレーブ自体に不満を抱きかねないからだ。
気付くと好恵がニヤニヤしながら眺めている。
「社長も社長です。何故、深夜になる前に刹那を呼び戻さなかったんですか? お忘れかも知れませんが、御堂刹那は一八歳、未成年なんですよ」
あくまでカギ括弧付きだけどね、と刹那は思った。本当はお酒も、タバコも、成人指定映画もOKな年齢だ。
「はいはい、ごめんなさい。わたしももっと慎重になるわ、早紀ちゃんに胃潰瘍で倒れられたらウチは倒産しちゃうから」
「本気でそう思うなら、やっかいな副業は受けないでください」
「それはとっくに反省しています。それで、そっちはどうなの?」
好恵は早紀の説教を上手く終わらせた。
帰宅したのが深夜だったので、自宅で報告はしていない。
「はい、ある程度の成果はありました」
「って事は解決できそう?」
「そこまではまだ……思ってもみない方向に発展して」
バックの中からホテルで見つけた匣を取り出した。念のためジッパー付きのプラスチック袋に入れてある。
「何ですかそれは?」
早紀は眉をひそめた。
昨日の調査で判った事を刹那はかいつまんで話した。
「何度聞いても、あなたの話している内容が現実の事とは思えません」
現実主義者の早紀には信じがたい話しだろう。
「事実であれ、せっちゃんの妄想であれ、それもウチの収入源であることに間違いないわ」
さすがに好恵は達観している。
「それで匣の中身は何なの?」
「まだ確認していません」
「賢明な判断です。あなたの話しを信じ切る事は出来ないのですが、それでもそれが……」
「ヤバイモノだって事は感じます?」
「ええ……」
「で、この後どうする気?」
「以前協力してもらった、鬼多見さんにメールでお願いしています」
刹那は霊視は出来るがその手の修行をちゃんと積んではいない、そのため不足している知識も多い。
以前、その事で困っていると、好恵が伝手を頼りに探してきたのが鬼多見だった。
「ま、餅は餅屋よね」
「向こうは副業の副業だって言ってますけど、あたしよりこの手の事に詳しいのは間違いないですから。ギャラの折り合いがつき次第、これを送って何か確認してもらいます」
「社長、キタミさんですか、その方に全てお任せするわけには行きませんか?」
早紀の言葉に刹那は驚いた。
「待ってください、途中で投げ出せて言うんですか?」
「あなたが責任を持たなければならない仕事ではありません」
「たしかに、社長が勝手に引き受けた仕事ですし、あたしは乗り気じゃありませんでした。いいえ、今でも正直やめたいと思ってます」
「じゃあ問題ないでしょう?」
「ダメです。いくらイヤな仕事でも、もう引き受てしまいました。一度引き受けた以上、自分の手には負えないとハッキリとわかるまで投げ出しません。それは本業でも副業でも一緒です」
早紀は溜め息を吐いた。
「刹那、あなたは変なところでプロ意識が強すぎます」
「ま、それがせっちゃんなのよ。さすがはわたしの姪だわ」
刹那が叔母に笑みを向けたとき、スマホの着信音が響いた。
「噂をすれば、です」
スマホには鬼多見からメールが届いていた。さっと目を通す。
「やっぱりコレは呪術的なモノみたいですね、鬼多見さんは『蠱毒』の一種かもしれないって言っています」
「コドク?」
「えーと、『蠱毒』とは中国に古くから伝わる毒を精製する呪いです。
毒性の強い蛇、虫、クモ、サソリなどを一つの容器に閉じ込めて共食いをさせ、生き残った一匹に他の生き物の毒性が集中します。
それを術者が暗殺や呪術に使います。
ただ、毒性生物に共食いをさせるのはあくまで基本形で、そこから様々な亜種が発生しているようです。
中には、呪いをかけたい相手の家の前に蠱毒の匣を埋めておき、そこを相手がまたぐと呪いが発動する。といった使い方をされたとも聞いた事があります。
その匣が蠱毒かはまだ判りませんが、その可能性は充分に考えられます……と書いてあります」
刹那は鬼多見からのメールをそのまま読んだ。
「で、今回の手数料は?」
好恵はにとってはこれが一番大事なことだ。
「何が出ても出なくてもお互い文句なしで三万円でどうか、との事です」
好恵は眉を寄せて匣を睨んだ。
「たしかに、何が出てくるかわからないし……と言うか、せっちゃん、何でこんな物ひろってきたの?」
甚だ迷惑と言わんばかりだ。
「あたしだって好きで持ってきたんじゃありませんよ! 事件に関係ありそうだから、わざわざほじくり出してきたんじゃないですかッ」
「あ、そうか」
「『そうか』って……」
「その費用は当然カガワ持ちですよね?」
「もちろん、必要経費で請求するわ」
口ゲンカで脱線しかけた刹那と好恵を、早紀が一言で軌道修正した。
「刹那、それなら早く送った方がいいでしょう? 正直、私もそれの側に居たくありません」
「わかりました。社長、頼んでおいた制作会社のディレクターのアポ取れました?」
「ええ、今日なら会社にいるから、少しなら時間を取れるって」
「了解、じゃあコレを送ったらそのまま向かいます」
さて、今日も忙しくなりそうだ、と思いながら刹那は事務所を後にした。
九
大西克也が所属するヨコハマ映像は、なぜか川崎市の多摩区にあった。
「お忙しいところ済みません。私、プロダクションブレーブの御堂と申します」
刹那はインターフォンに越しに言った。
「ああ、大西にご用の方っスね、今開けます」
ヨコハマ映像は小さな雑居ビルの4階にあった。ドアを開けて出てきたのは二十代後半の男性だった。
「お待たせしました、ちらかっていますがどうぞ」
言われた通り、室内は機材で足の踏み場もないほど雑然としていた。
奥の方でモニターを見ながら映像の編集をしているのが大西だろう。
なんだろう、この感じ……
大西からは、亜矢とも満留とも違う異様な感じがする。
「ブレーブの方が来たっスよ」
おう、という唸るような返事をして大西が振り向いた。
目の下に隈ができ、やつれている。仕事で睡眠不足なのか、それとも別に理由があるのか。
刹那は名乗り、来た目的を話した。
「正直、まいってるよ……」
大西は溜め息と共にタバコの煙を吐いた。
「それは仕事上でですか? それとも個人的に?」
「どっちも、さ……」
へへへ……と大西は投げやりに笑った。
「鳴滝亜矢がらみの仕事にウチは多く関わっていたせいで、仕事が減っちまったよ。それにスタッフも、オレと竹田しか残ってねぇ……」
竹田というのは刹那を迎えてくれた男性だろう。
「松野は入院、佐藤は失踪、警察やマスコミまで来やがった。その上、今度は拝み屋だ」
また、へへへ……と大西は笑った。
刹那は『マスコミ』という言葉が引っかかった。
失踪者まで出しているのだから、何らかの取材があっても不思議ではない。しかし、刹那の脳裏にはある女性が浮かんでいた。
「すみません、マスコミって取材に来たのは芦屋満留って記者じゃありませんか?」
「え? たしか、そんな名前だったな……何か関係ある? 必要なら名刺あるけど」
「いえ……私が調査している先に来ている事が多くて」
「へぇ」
大西は気になっているようだが、それ以上追求してはこなかった。
芦屋満留……。どうしていつも先回りしているんだろう?
偶然とは思えない、今回の件に関わりがあるのだろうか。
「珠恵とやってた頃が懐かしいよ。亜矢に代わって、仕事が増えて喜んでいた矢先がこのザマさ。きっとアイツが怒っているんだ……」
「アイツって篠原珠恵がですか?」
珠恵は体調不良で仕事を降板し、その後を亜矢が継いだ。
「そうさ、きっとアレはアイツなんだ……」
「何かおかしな事があったんですね?」
大西は今度は鼻でわらった。
「先生、あんた霊能者なのに視えないのかい?」
「特にこの部屋でおかしなモノは視えません。ただ、大西さんからは何と言うか……よくない感じがしています」
失礼は承知で正直に話した。誤魔化しても仕方がない、大西にも何かが起こっている。
「それはオレに、霊が取り憑いているって事だろ?」
「いいえ、霊ならあたしに視えるはずですから」
そう、『はず』なのだ。亜矢に取り憑いているモノは〈影〉しか視えない。
「オレには視えてるぜ、ずっとアイツはいたんだ。今もそこに立っている」
大西は部屋の隅に視線を移した。
だが、そこに何かの存在を刹那は認める事が出来なかった。
ノイローゼか過労による幻覚? それとも、あたしには視えない何かが居るってこと?
「何が視えるですか?」
「〈影〉だよ、女の〈影〉さ」
「鳴滝さんの背後に、あたしは女性の〈影〉を視ました。でも、大西さんが視ている場所には何も感じません」
「オレが幻覚を見てるって言いたいのか?」
「逆です。あたしが鳴滝さんに視たモノと似すぎています、偶然とは思えません」
「じゃあ何なんだよ!」
いら立たしげに大西は声を荒げた。
「それを調べています」
「クソッ、使えねぇなぁ」
「ごめんなさい、すぐに助けてあげられなくて」
素直に謝られて大西は我に返ったようだ。済まない、と呟くように言って頭を抱えた。
「〈影〉は、篠原珠恵の姿に似ているんですね?」
「オレにはそうとしか思えない……」
「大西さん、篠原珠恵から何か恨まれる覚えはありますか?」
「直接は無いけど……ただ、さっき言った通り、亜矢に代わってから仕事も増えてさ、見舞いにも行ってない」
そう言えば、珠恵は体調不良でネット番組を降板した後、カガワエージェンシーから所属を解除され事実上芸能活動をやめている。
「見限ったオレを怨んで出てきているんだよ」
刹那が目を通した資料には珠恵のその後についての記述がなかった。
生き霊……ってこと?
今までに生き霊に出会った事はほとんどない、その中でも今回のような〈影〉として視えた事はなかった。
「リョータさんが怪我をした現場にも、その〈影〉は現れましたか?」
「いや、視えるようになったのはもっと後だ。一〇日ぐらい前から視界の隅に誰かがいるような気がして、それから二、三日するとハッキリとした女の〈影〉になった、そこにいるんだ……珠恵が……」
再び大西は誰もいない場所に視線を向け、喘いだ。
珠恵が今どうしているか確認する必要がでてきた。たぶん、それが今回の事件のカギとなるだろう。
「大西さん、〈影〉は松野さんと佐藤さんにも視えていたんですか?」
「松野は何も言っていなかった、直接本人に聞いてくれ。佐藤はいなくなる前、誰かがいつも側に居るって怯えてた。それが珠恵か判らなねぇけど、多分アイツだよ……」
松野寛己の連絡先を聞いてヨコハマ映像を後にすることにした。
佐藤健一は失踪しているのだから行き先はそう簡単にはつかめない、すでに警察に届けが出されているので一刻も早く見つかるのを祈るしかない。
珠恵についてはカガワエージェンシーに聞けば判るだろう。
「竹田さんは、何かおかしな目には遭っていませんか?」
帰りがけに刹那は竹田に尋ねた。
「オレは特に……ただ、大西さんが心配っスね、佐藤さんのこともあるし」
「松野さんからは何か聞いていませんか?」
「ん~別に怪現象が起こっているみたいなことは言ってなかったっスねぇ。オレには偶然が重なっただけにしか思えないけど」
「そうですか」
竹田の様子からすると、本人にはまだ何も起きていないようだ。
刹那はビルから出たところでスマホを取り出して、好恵に電話をかけた。
「あ、おばさん、調べて欲しい事があるんだけど……」
篠原珠恵の事を頼もうとした時、すぐ隣に何かがドサリと落ちてきた。
「大西さん!」
竹田の声が上から聞こえた。
刹那は思わず声のする方に顔を上げた。
蒼白の竹田の顔が4階の窓から見下ろしている。
その視線をたどると目の前に赤く汚れた大きな塊があった。
それが頭の割れた大西だと気付くまでしばらく時間がかかった。
「せっちゃんッ、どうしたのッ? せっちゃん!」
スマホから好恵の声が聞こえる。
自分がスマホを耳に当てたままであることを思い出したが、声を出すことも動くこともできなかった。
「少しは落ち着いた?」
クルマを運転しながら、早紀がいつになく優しい口調で言った。
刹那は後ろのシートでグッタリしていた。
「うん……」
「そう……刹那、やはりこの仕事は降りなさい」
「え?」
「あなたの手には負えない、今まで関わってきた案件とは明らかに違います」
「でも、あたしはこの依頼を受けた……」
「もうそんな事を言っていられる状況ではありません、目の前で人が死んだんですよ」
「危険なことに首を突っ込んでいるのは解ってる」
「それなら……」
「でも……ううん、だからこそあたしが解決しなきゃならないのよ」
「バカを言わないで。自分に責任があると考えているなら、思い上がりも甚だしい。ハッキリ言いますが、あなたに大西さんを助ける能力なんて元々無かったんです」
「違う……」
「違いません。いい加減にしなさい、本気でこれ以上関わったら、今度はあなたが……」
「早紀おねえちゃんッ」
この呼び方を使ったのは小学生以来だ。
「違うの、あたしには判った、判ったんだ。でも、遅すぎた。もう少し早ければ……
ヒントは目の前にあったのに、あたしはそれを軽視した。そのせいで大西さんは生命を……」
「判ったって、霊の正体が?」
「それもあるけど、今回の事件の根本にあるモノ。後はその裏付けを取らなくちゃ……今、あたしが投げ出したら、もっと被害が出るかも知れない」
早紀は大きな溜め息を吐いた。
「OK。でも、やるならわたしも付き合う。でなきゃ絶対認めない、社長とケンカしたって降ろすから」
「うん!」
十
ブレーブでは所属タレントを使った独自のインターネット番組『ブレーブストリーム』を、月二回のペースで配信している。
弱小プロダクションがやる本気で予算の無い放送のため、専門のスタッフなどは使えない。
社長を筆頭にマネージャーはもちろん、タレントも交代でスタッフをしている素人番組だ。
当然スタジオも、事務所を片付けでギリギリのスペースで安物のカメラとPCで配信している。
出演者の衣装も自前ならば、メイクも自分でしなければならない。
因みに、ブレーブでも売れているタレントは出演しない。
あくまで売り出し中のタレントに少しでも活躍の機会を与えると同時に、個人的な営業活動を阻止するためのガス抜きの場なのだ。
そんな『ブレーブストリーム』だが、今回は様子が違っていた。
スペシャルゲストとして他社のアイドルが呼ばれ、撮影も専門のスタッフを呼んでいる。
にも関わらずブレーブから出るのは、売れる見込みがほとんどないアイドルが一人だけだ。
「本当に大丈夫なんでしょうか?」
鳴滝亜矢は自分の隣に座る御堂刹那に小声で尋ねた。
「もちろんさ、先生に任せておけば心配いらないよ。そうでしょう?」
答えたのは御堂ではなくマネージャーの安倍新一だった。
事実上、無期限休業になってしまった亜矢だったが、昨日の深夜安倍がおとずれ、この仕事について教えられた。
ただし、仕事と言っても亜矢に取り憑いた〈影〉を祓うために必要で、当然ギャラも出ない。
それでも仕事が出来ることは嬉しいし、〈影〉が消えてくれればこれまで通り、いやこれまで以上に芸能界で活躍できるはずだ。
「ええ、今日で終わるはずです」
亜矢は御堂の表情をこっそり窺った。
本番前だからか御堂はほとんど話しをせず、表情も硬い。今まで抱いていた快活な雰囲気とは大分違う。
そして『今日で終わる』という言葉が安心よりもなぜか不安を誘った。
更に亜矢にはもう一つ気になることがあった、リョータがこの事務所に来ているのだ。
先ほどから不機嫌そうにこちらを見ている、御堂が挨拶に行った時は非常にピリピリしていた。
どう見ても出演する雰囲気ではないし、そういった事も聞いていない。
「そろそろ時間です」
御堂のマネージャー荒木早紀が時計を確認して声を上げた。
「カメラ回します」
竹田和成が応じ、御堂は笑みを浮かべた。
亜矢は感情を押し殺して無表情を装った。
神秘性を高めるため、余り笑顔を見せないようにしているのだ。
もちろん九〇年代の二人組アイドルのマネをしたところで、現代は売れる見込みはない。なのでポイントポイントで表情を変えて、ギャップを生み出している。
「さぁ、始まりました『ブレーブストリーム・トワイライトスペシャル!』、本日の司会は外国産のSFやファンタジー小説が大好物、御堂刹那です。よろしくお願いしま~す!
さ~てさてさて、今回はスペシャルと言うことで、初のゲストをお呼びしています。
それでは自己紹介、どうぞ!」
「はじめまして、鳴滝亜矢です」
先ほどまでの硬い表情とは一転しハイテンションで飛ばす御堂に対し、亜矢は物静かに答えた。
「は~い、この二人でお送りしていきますが、今回ですね『トワイライトスペシャル』となっておりまして、そうなんです、コワイお話を中心にやっていくんですよね。
だから売れないあたしが担当なんですかねぇ~、どうなってもイイから?
ヒドイ事務所だ……
亜矢ちゃん、実際この部屋に霊とかっているの?」
不安げな表情で御堂が亜矢を見つめる。
当然、亜矢には何も視えない、視えているのは御堂の方だ。
彼女は自分の背後にいる〈影〉を視るためにこちらを向いたのだろう。
「そうですね、複数の少女の気配がします。ただそれは亡くなった方ではなくて、生きている方々です」
「生き霊ってコト?」
「そうとも言えますが、厳密には違います。霊というよりも、思いがこの場所に残っているんです」
「なるほど……実を言うとここは『ブレーブ』の事務所内にあるスタジオなんです。なので、アイドルを目指したけど、結局売れなかった娘たちの思いが視えているのかもですね」
「えぇ……」
「うわッ、あたしもその中に入っちゃうのかなぁ」
御堂はおどけて言っているが、それは亜矢も同じだ。いや、すでに亜矢のアイドル生命は風前の灯火なのだ。
放送台本を読んで冒頭でこの内容をやることを知ったとき、心底嫌で変更して欲しかっが、御堂が考えた物だと聞かされ、やむなく受け入れた。
とにかく〈影〉をどうにかして貰わないことには、本当に芸能界をあきらめなければならない。
絶対にそれだけはイヤ。
芸能界で生きていくためにあらゆる努力をしてきた、この業界でやっていくためにはキレイ事だけでは済まない。
「それで亜矢ちゃんは生き残っていくために、何をしたの?」
御堂の言葉にドキリとして思わず顔を見つめる。
先ほどと変わらず笑顔をだが、眼に冷たい輝きが宿っている。
「あの……」
亜矢が何かしら答えようとした時、いきなりライトが消えて室内は闇に包まれた。
「カメラ、電源落ちました!」
竹田の声を合図にしたかのように、スタッフが浮き足立つのを感じた。
亜矢は思わず眼を見張った。
闇の中にボンヤリと女性のシルエットが見えた。
廃墟のホテル以来、何度となく視てきた〈影〉だ。
「鳴滝さんにも今は視えているみたいね」
隣から御堂の声がした、席を立ってはいないようだ。
「あの……御堂さんが視ていたのは……」
「そう、彼女よ、鳴滝さんの先輩の篠原珠恵さん」
「………………!」
亜矢は言葉を失った。
「薄々は気付いていたんじゃない?」
「な、何を言っているんです……」
とっさに否定した。
「そう……」
御堂が立ち上がる気配がした。
「先週、大西克也さんが、窓から落ちて亡くなりました」
凜とした声が暗闇に響き、静寂が取り戻された。
「その窓は機材が邪魔で開けることはなかった。そうですね、竹田さん」
「え? あ、あぁ……」
戸惑ったカメラマンの声がした。当然だろう、今は関係の無い話しだ。
「機材をムリヤリどかして、大西さんは飛び降りた。これも間違いないですね」
「そうっスけど……今、中継が止まってるんッスよ!」
「だいじょうぶ、こうなる事は判ってたから」
「中継、社長の自宅……第二スタジオに切り変わりました」
早紀が事務的な口調で言った。
初めから中継が途切れることを想定し準備していたのだ。考えてみれば当然かもしれない、この放送は亜矢に憑いた〈影〉を祓うたのめに行われているのだから。
「警察は大西さんの死を自殺と考えています。最近仕事が上手くいっていなかったから、それが原因だろうって」
亜矢もテレビのニュースで知っていた。大西の死はかなりショックだったが、これもやはり〈影〉の仕業なのだろう。
「あたしは自殺する直前の大西さんに会って話しをしました。たしかに仕事について悩んでいましたが、本当に恐れていたのは〈影〉です」
亜矢の瞳は視たくもないのに闇に浮かぶ女性のシルエットに向いた。
大西を殺したモノが眼の前にいる、逃げ出したいがそれは出来ない。
芸能生命がかかっているのだ。今までも辛い思い、嫌な思い、苦しい思い、そして恐い思いを散々してきた。
それでも耐えて、乗り越えて来た。
今回もきっと、いや絶対に何とかする。霊感アイドルではなく、いつかトップアイドルになるんだ。
眼の前に立っている〈影〉が、例え篠原珠恵であっても、それは変わらない。
亜矢は知らないうちに〈影〉を睨み付けていた。
負けない……
「あたしは篠原さんにも会ってきました。と言っても、彼女は病院のベットで今も意識不明のままです」
珠恵はまだ生きていたのか……
その事は考えないようにしていた。
「鳴滝さん、あなた、篠原さんが交通事故に遭った現場に居あわせたのよね?」
「え……そ、それは……はい……珠恵さんが、クルマにはねられるのを目撃しました……」
なぜそれを今聞く?
「珠恵さんが、見ていただけのわたしを怨んで祟っているんですか? あの〈影〉は彼女の生き霊?」
「いいえ」
「じゃあ、どうして……」
「あたしが言ったのは、あなたは見ていただけじゃないってコト。そうでしょ?」
「…………………!」
一瞬息が詰まった。
「ちょっと先生! いったい何の話しをしているんだッ? 私が頼んだのは除霊で、言いがかりを付けられる事じゃないぞ」
安倍が声を荒げた。
「〈影〉を取り除くために必要なんです」
「これのどこが……」
「必要です、篠原さんと直接話せない以上、呪詛を行った人の心を救わなければなりません。それは、あなたもご存じでしょう?」
「な、なぜ、私が……」
安倍が口ごもった。
「今回の依頼で、あたしの行く先々に芦屋満留という芸能記者がおとずれていました。彼女につて当然ご存知ですよね、安倍新一さん」
御堂は『安倍』と苗字を不自然に強調して言った。
「……………………」
安倍が沈黙した。
この沈黙が何を意味するのか、亜矢には解らなかった。
「フン、思ったより物事を知っているじゃないか?」
安倍の口調がガラリと変わった。
彼とは長い時間を過ごしている亜矢だが、こんな安倍は知らない。
「いいえ、アンタが思った通り、あたしは何も知らないド素人よ」
御堂の口調も変わった。
静かなままだが怒りがにじみ出ている。
「初めから充分な知識があれば、大西さんは死なずに済んだし、そもそもこんな仕事はクビになっても受けなかった。でも受けた以上、ちゃんと〈影〉は祓ってあげる」
「お前に出来るのか?」
亜矢は耳を疑った、安倍は何を言っているのだろう、そのために御堂に依頼したのではないのか。
「できなきゃ身代わりになって、あたしが取り殺されるだけよ、アンタの目論見どーりにね。どっちにしろアンタは助かるんだから、素直に協力しなさい」
その言葉には有無を言わせない厳しさがあった。
「それじゃ改めて聞くけど、鳴滝さん、あなたホントに篠原さんがハネねられるのを見ていただけ?」
再び自分に問いが発せられ答えに詰まった。
今の亜矢の瞳には、闇に浮かぶ〈影〉しか映っていない。
暗い闇の中でなぜ〈影〉が視えるのかは解らない。
黒い闇に黒い〈影〉がクッキリ浮かんでいる。
「何が言いたいんです?」
声が少し震えてしまった。
「事故を起こしたのは、当時カガワエージェンシーで常務をしていた横山喜一さんの運転するクルマで、原因は前方不注意とされた」
亜矢の視線が〈影〉から逸れ、御堂の声がする闇に向いた。
〈影〉と違い彼女のシルエットは闇に紛れハッキリとしない。
「その後、横山さんはカガワを辞職した。非常にまじめな人みたいね、そして安倍さん、あなたとは反りが合わなかった」
「あぁ、そうだな。アイツは俺のやることに、一いちケチを付けて来やがった」
「当然でしょ。あなた、担当している女の子に何をしたのッ?」
「私生活でも色々面倒を見てやったんだ、そうだろ亜矢?」
背筋がゾクリとした。
安倍は何を考えているのだろう、二人の関係がバレたらお互い困った事になる。
「で、俺が横山に何かしたって言うのか?」
亜矢の不安を余所に、安倍は話しを進めた。
「呪ったでしょ」
「寝言は寝てから言ったらどうだい、先生」
「横山さんは運転中、急に胸が痛くなったと言っている。それが原因で事故を起こしたけれど、その後の検査で異常はなし、事故以前も健康に問題は無かった」
「で、俺が呪いをかけたと。そう横山が言ったのか?」
「まさか。横山さんは、事故を起こした責任は自分にあるって今でも思ってる」
「そうだろうな。例え俺が呪ったとしても、事故の原因として立証するなんてムリだ」
「わかってる。でも、重要なのはそこじゃない。それだけなら篠原さんはハネられていない。横山さんも彼女が飛び出してきたって証言している。ねぇ鳴滝さん、どうして篠原さんは飛び出したの」
「わ、わたしは……何も……何もしてない……珠恵さんがいきなり……」
どうして、どうしてわたしが責められるのッ? この女は、わたしを助けてくれるんじゃなかったのッ?
亜矢の瞳に涙がにじんだ。
どう言い訳しようと、御堂は亜矢がしたことを知っている。
だからといって素直に自分のしたことを認めることは出来ない。
亜矢は安倍の居る方に振り向いた。姿は見えないが、今頼れるのは安倍だけだ。
「突き飛ばしたんだよ、亜矢が」
ヘラヘラと安部が答えた。
亜矢は絶句した。淡い希望は一瞬でかき消された。
「それを指示したのはあなたでしょう?」
「ヒドイな先生、クライアントを犯罪者呼ばわりか。俺はね、亜矢にこう言っただけだ、『事務所の裏側の横断歩道に珠恵を連れて行けばいい、後はわかるよね』ってね」
あの日、安倍に言われた言葉が脳裏に蘇った。
前回のイベントの集客も悪かったね。
事務所もこのままだと見切りをつけるだろうな。
もっと露出を増やせばいいけど、ウチの事務所にも仕事をしたい娘は沢山いるからね。
何とかしてあげたいんだよ。
力になりたいんだ。
亜矢ちゃんには、どれだけの覚悟がある?
気付けば安倍とベッドの中にいた。
正直、気持ち悪くて吐きそうだった。
それでも耐えた。
アイドルになるため。
それもただのアイドルではない。
霊感アイドルも踏み台に過ぎない。
トップアイドル……
常にスポットライトを浴び、全国ネットのテレビに出演し、ドラマ、映画、コンサート、夢は尽きない。
アイドルと呼ばれる時期が過ぎれば、今度は女優、ミュージシャンとして海外でも活躍し続ける。
それが鳴滝亜矢だ。
そのためなら、どんなことでも耐えられる。
気持ちの悪いオヤジに抱かれる事など何でもない。
望まれればもっと恥ずかしいことでも、気持ち悪いことでもする。
他の男でも、女にだって抱かれる。
誰かを傷つける事だってためらわない。
だから安倍に珠恵の後釜になりたくないかと言われたとき、何の迷いも無かった。
あの横断歩道に立ったときは、さすがに脚が震えた。
それでも亜矢は横山のクルマが来たとき、珠恵の背中を思い切り突き飛ばした。
次の瞬間、珠恵がこちらを振り向くのがスローモーションのように見えた。
何が起こったが理解できずにいる表情は、今でも夢に出てうなされる。
不思議なのは、ハネられて血だらけになった姿ではなく、直前の珠恵の表情が亜矢を苦しめてることだ。
意識不明と言っていたが、人殺しになっていたかも知れない。
それでも構わない、どんなに手を汚しても構わない。
ただし、それが公になることは許されない。
アイドル鳴滝亜矢は一点の汚れも無い存在だ。
「仮に、俺が呪いをかけたとしても、この国の法じゃ裁けないぜ」
裁かれるのは、珠恵を突き飛ばした亜矢だけさ……
他人事のような安倍の言葉が、亜矢の心の闇に響いた。
気付くと亜矢は訳のわからない金切り声を上げ、安倍の声のする方に突進していた。
しかし、揉み合ううちに安倍に髪を鷲づかみにされ、テーブルに叩き付けられた。
その瞬間、部屋に明かりが灯った。
十一
安倍が亜矢の頭をテーブルに押さえ付けて、口元をいやらしく歪め笑みを浮かべている。
亜矢は涙と涎と鼻水で顔をグシャグシャにしながら、すすり泣くような声を上げた。
刹那は彼女の背後に立つ珠恵を視つめた。
「まだ呪いは解けてねぇな、先生」
今更だが、やはり最初から安倍には〈影〉が視えていたのだ。部屋が明るくなると、珠恵の姿を認識できるのはこの男と刹那だけになってしまった。
亜矢の背後に取り憑いている、いや取り憑かされている篠原珠恵。
彼女に対する恨みも当然あるだろうが、それ以上に安倍への怒りや憎しみが強いのは間違いない。
その思いは芦屋満留に利用された。安部に恨みを抱く者が呪術による復讐を依頼したのだ。
直接安倍を狙わなかったのは、まがいなりにも安倍が呪術を心得ていたからだろう。それに同じ夢を抱いている亜矢が、珠恵と相性が良いと思われたのかも知れない。
亜矢に取り憑いた珠恵は禍を引き寄せ、それは徐々に加速していく。
ファンを巻き込んだ交通事故は偶然を装った突発的なものだったが、大西はジワジワと精神的に追い詰められていった。
大西が珠恵に近しいから、このような違いが生まれたのかも知れない。
この禍は亜矢に向かいその範囲を狭めてくる、最後に残るのは安倍と亜矢だ。
安倍の実力では祓えない、もしくは祓うためには高いリスクが伴うのだろう。だから自分の身代わりを用意した、それが刹那だ。
刹那は亜矢の部屋に訪れたとき違和感を覚えてた。彼女の部屋はマイナーアイドルの物とは思えないほど豪華だった。
ワンルームとは言え練馬であれだけのマンションを借りれば、安くても家賃は七、八万円はするだろう。
亜矢はそれだけのギャラをもらっていないし、バイトもしていない。
通常、亜矢クラスのタレントなら、バイトとかけ持ちで、何とか日々の生活を乗り切るのが精一杯だ。
夢を売る裏側の現実で、ルームシェアをしたり、ボロアパートを借りたり、友達の処を転々としたり、アイドルは本当に苦労している。
刹那の待遇でさえ破格なのに、マイナーアイドルでこれほどリッチな生活は考えられない。
では、亜矢はどうしてあんな良い部屋に住めるのか?
考えられるのはパトロンの存在だ。
それとなくカガワに探りを入れたが、親からの援助、後援者や熱狂的なファンなどの情報はなかった。
そうする鍵となるのは、あのセミダブルのベッドだ。
独り暮らしのワンルームでセミダブルは必要ない、いくら広いと言っても八畳程度の部屋だ。誰かと一緒に寝るために必要だったのだ。
そうすると頻繁に亜矢と合っている人物が疑わしく、それは安部しか居なかった。それにこの男なら特技を使い、給料以上の金銭を会社から都合できる。
と、ここまでは自力で推理したのだが、呪術については素人なので、また鬼多見に頼らなければならなかった。
今度は事件の全容を伝える必要があったが、その結果、自分の予想が大方間違っていない確信が持てた。
ただ、安倍が自分を身代わりにするつもりだと気付かされた時は、恐怖よりも怒りを覚えた。
ギャラが支払われなくなる状況で、更に鬼多見を使うことに渋い顔をしていた好恵だが、刹那の生命に関わることだと知った途端、彼に代わってもらえと言い出した。
もともと最後までやり遂げるつもりだったが、意外なことに今度は早紀が好恵を説得してくれた。
「その汚い手を放しなさい」
「うるせぇな、こいつをどうしようが俺の勝手……」
言い終わる前に、早紀が安部の腕を捻り上げた。
安部が耳障りな悲鳴を上げる。
彼女はただの敏腕マネージャーではない、少林寺拳法四段のボディーガードでもあるのだ。
「貴方はマネージャーに向いていません、出所したら転職したほうがいい」
「な、何を言って……」
「所属タレントに暴力を振るったのを、ここに居る全員が目撃しています」
「あれは、アイツが……」
「あら、あたしたちが見たのは、あんたが鳴滝さんの頭をいきなりテーブルに叩き付ける姿だけよ。それはバッチリカメラにも映ってるわ、そうでしょ竹田さん?」
竹田が慌ててカメラのチェックをする。
「あ……はい、撮れてるっス! でも、どうして……」
「それを篠原珠恵も望んだから」
安部が恨めしげな眼差しで睨む。
「てめぇ、ハメやがったな!」
「自業自得でしょ」
「警察が来るまで大人しくできますね? 出来ないなら落とします」
早紀が空いているてを、スッと安部のクビに添える。
安部は口を閉じ抵抗するのを止めた。
彼の呪術では今の状況は打破できないのだ。
「さてと、それじゃ本題に入りましょうか」
亜矢が虚ろな顔を向けた。
「鳴滝さん、あたしが救わなければいけないのは、あなたじゃなくて篠原珠恵さんなの」
「どういう……こと……」
「解っているでしょ、あなたも罪を償わなければならない。だから、もう芸能界にはいられない」
「わ、わたしはただ、アイドルになりたかっただけなのッ。ただ……ただ、それだけのために頑張ってきた……そのためなら何だってやるッ。あなたにだって解るでしょッ!」
刹那は溜息を吐いた。
「ごめん、解らない。だからあたしは、こんな半端なことをしている」
アイドルとしては三流で、霊能者としてもやっていけない中途半端な存在、それが御堂刹那の正体だ。
「なんで……なんでアンタみたいな人が芸能界にいるのッ? わたしがどんな気持ちでエロオヤジに抱かれ続けたか、どんな思いで霊能者を演じ続けたか……どんなに……どんなに……」
亜矢はその場に泣き崩れた。
「あたしには解らないけど、篠原さんなら誰よりもその気持ちが解るでしょうね。
アイドルになりたくて上京して、やりたくもない霊感アイドルとして売り出され、そして不道徳なマネージャーに弄ばれて、飽きられれば捨てられる」
泣き声が止んだ。
「人を呪わば穴二つ。珠恵さんを突き飛ばしたとき、あなたは自分自身も突き飛ばしていたのよ」
「そんな……わたしは……」
「いくら言い訳しても現実は変わらない、あなたが罪を償えばこの呪いも終わるわ」
亜矢がユラリと立ち上がった。
「……ばいい」
「え?」
「アンタなんか死ねばいい!」
亜矢は刹那に飛びかかり、両手で首を絞めた。
すぐさま反応しようとした早紀を、刹那は眼で制した。
「あたしを、殺して……どうするの? ここにいる……全員……殺す? それで……アイドル……続けられる……?」
「うるさい!
うるさいッ、うるさいッ、うるさいッ!
アンタが余計なことするから、アンタが余計なことするから……」
亜矢は血走った眼で同じ事を呪文のように呟き続ける。
息が苦しくなり、全身が痺れたように感じ始めた。間もなく意識が無くなるだろう。
とその時、何者かが亜矢の手を無理やり刹那から剥がした。
「竹田さん……」
「もう、いいっスよ、御堂さん」
そう言い終えると、竹田は亜矢の顔面を拳で殴りつけた。
くぐもった悲鳴が上げて、彼女は倒れた。
「な、何するのッ?」
鼻血を垂らしながら竹田を睨み付ける。
「それ以上は止めて、後は警察に……」
「わかってるっス。御堂さん、知ってるんでしょ、オレと和子のこと?」
「ええ、調べました」
「巻き込んじまって、申し訳ないっス。ヨコハマ映像に来たときには、もう……」
「いいえ、あの時気付いていれば、大西さんを死なせずに済んだ」
「そうっスか……オレにとっては僥倖だったのかな……」
「それは違います。何が起こるか薄々気付きながらも、あなたはここに来た。それはあなたが苦しんでいた証拠でしょう?」
「………………………………」
竹田は亜矢を見下ろしたまま、下唇を噛みしめた。
「ちょっとッ、何の話しをしているのッ? あの〈影〉は珠恵じゃないの?」
流れ続ける鼻血を押さえながら、会話について行けない亜矢が声を上げた。
「いいえ、〈影〉は篠原珠恵、本名、竹田和子さんよ」
「竹田……」
「オレの妹だ」
亜矢の顔から血の気が引いた。
「何だよその顔? 和子には家族がいないとでも思ってたのか?
オレはオマエとそのオッサンに復讐するために呪いをかけたんだよ!」
亜矢は何か言おうと口を開きかけたが、結局言葉を発しなかった。安部は早紀に押さえられたままうな垂れている。
「御堂さんの言うとおりさ、和子はがんばっていたよ。当然、家族のオレに詳しいことは話さなかったけどな。
オレもこの業界で働いているから、アイドルになるのがどれだけ大変かは知っている。
だから何も言えなかった、アイツが口に出来ないような事をしているのを察しても。
アイドルになるのは、和子の小さい頃からの夢だっんだ」
「………………………………」
「和子は、意識不明のまま今でも病院のベッドの上にいる。そして突き飛ばしたアンタは、アイツの代わりにネット番組に出演している。許せなかった、許せるわけないだろ」
「………………………………」
「どうやって、安部と彼女がしたことを知ったんですか?」
「和美が事故現場に事務所の後輩と一緒にいたのは、警察から聞いて知っていたっス。それがこの『鳴滝亜矢』だって知ったのは、ヨコハマ映像に所属した直後に大西の口からっス」
それは今から半年ほど前の事で、ヨコハマ映像に竹田が就職したのは全くの偶然らしい。
しかし竹田はそこに運命を感じ、漠然とした疑念を抱き始めた。
大西にそれとなく探りを入れると、マネージャーの安部が和美の担当もしていたこと、そして亜矢と仕事以外でも親密であることを知ることができた。
疑念は確信に変わりつつあったが、証拠は何もない。
「そんな時っス、ある人から芦屋さんを紹介されたっス」
「紹介したのは誰です?」
竹田が一瞬視線を動かしたのを刹那は見逃さなかった。振り返らずとも、彼の視線の先にいる人物は判っている。
「すんません、それは言えないっス」
「いいえ、気にしないでください。それで、満留が何をしたんですか?」
満留は竹田の疑念が事実であると請け合った。芸能記者でもある彼女は、元々安部について取材をしていたのだという。
「芦屋さんは、オレに安部がやってきた事を詳しく教えてくれたっス。それを聞いてたらオレ、どうしてもガマンできなくなって……」
満留は竹田の怒りを煽り、復讐心に火を点けた。そして安部と亜矢を呪うことに同意させたのだ。
そして彼は呪いに使う物を満留に提供した。それは、
「オレと和子の髪と血です」
これが『蠱毒』に使われた匣に入っていた物だ。これを用いて和子の霊を束縛し呪いの道具にしたのだ。
「もうお気付きでしょうが、この呪いは和子さん自身を苦しめます。一番憎い人間のそばに居続けなければならないんですから」
「オレもそう思うっス。芦屋さんからは、オレと和子の無念の想いを使うとしか聞いてなくて……。いや、言いわけっスね。オレは確かにこの二人に復讐する、破滅させる、殺してやるって望んだっス。
鳴滝が和子の代わりになって喜んでいる大西たち他の奴らも、同じように苦しめてやるって、望んだっス。
でも、交通事故で人が死んで恐くなったっス。オレたちの、いえ、オレのせいで鳴滝のファンが死んだ。
そんなこと……そんなこと許されないっス。オレ、そんな覚悟してなくて、本当に……本当にどうしたらいいか……」
「事故の後、芦屋満留がヨコハマ映像に行ってますね、その時何も言わなかったんですか?」
「もちろん言いました。そもそも事故が呪いのせいなのかって。
そしたら『そうだ』って、そして『途中で呪いは止められない』って」
実際、その直後に大西が自殺をした。
満留は竹田に鬼になれと言った、復讐の鬼に。そうしなければ妹の無念は晴らせない。
怯えながらも彼は犠牲者に目をつぶり、呪いの進行を放置した。もう、後戻りは出来ないのだ。
「本当は誰かに止めて欲しかったんっス、だからここに来たんスよ。でも、それでも呪いは……」
「解けます」
そう言って刹那は小さな袋を取り出した。
「この中に呪いに使われた物が入っています。これをあなたが燃やせば、呪いは解けるはずです」
「ホントっスか?」
「たしかな筋に確認したので間違いありません。燃やしてくれますか?」
「はい、もちろんっス」
刹那は消火用のバケツを用意した。
その上で竹田は呪いに使われた髪の毛と血を燃やした。
すると亜矢のそばに立っていた〈影〉の姿が薄らいでいき、やがて視えなくなた。
自分の身体に帰ったのね。
パトカーのサイレンが近づいてきた。
十二
安部と亜矢は警察に連行され、刹那も事情聴取を受けた。
早紀がその敏腕ぶりをフルに発揮してくれたお陰で、刹那ばかりか竹田もすぐに解放された。
「オレ、このままでいいんっスかね……」
警察の事情聴取が終わり、事務所の廊下に出ると竹田が待っていた。
「誰かを殺したい思っても、それだけじゃ犯罪にはなりません」
廊下に警官はいないが念のため声を潜める。
「でも、オレは……」
「安部が言った通り、呪ったとしてもそれを裁く法はないんです。つまり、殺したいと思っただけと変わらないんですよ」
「そうっスけど……」
「罪の意識があるなら、もう二度と誰かを呪ったりしないで、和子さんを大事にしてあげてください。そして、大西さんや亡くなった鳴滝亜矢のファンの供養も絶対に忘れないで」
事故現場で会ったDDの霊を思い出す。
「もちろんっス……御堂さん、ありがとうございました」
刹那は竹田を建物の出口まで送った。
表に出ると覚えのある香りがした。
「まったく、とんだ茶番に巻き込まれたよ」
背後から声がして振り返ると、リョータが出てきた。彼も警察の事情聴取を終えたのだろう。
「お疲れ様です」
「言う事はそれだけか? オレだってヒマじゃないんだ」
いら立たしげに声を荒げる。
「いいえ、あたしからも確認したいことがあります。竹田さんに芦屋満留を紹介したのは、リョータさんですね」
一瞬、リョータの表情が固まったが、すぐに平静を取り戻した。
「人をこんな茶番に付き合わせて、今度は言いがかりをつけるのか?」
「満留を紹介した人物を聞いたとき、竹田さんは一瞬あなたがいる方を見ました」
「ふざけるなッ、たったそれだけで、何でオレが霊能者を紹介した証拠になるんだよッ?」
「もちろん、それだけじゃありません。竹田さんは交通事故に遭ったファン、大西さんのこ事あれほど気にしていたのに、あなたについては一言も口にしませんでした」
「それはオレが死んでないからか、でなけりゃ竹田がオレを嫌っているからだろ?」
「眼の前で入院するほどの怪我をしているのに?
竹田さんは、そんな人ではないでしょう。
あなたは自分自身に禍が起こるのも覚悟で、満留を紹介したんでしょう。
何故なら、呪術に頼っているあなたにとって、珠恵さんに怒ったことは人事ではなかったからです」
「全て君の妄想だ、何一つ証拠が無い……」
リョータは視線を刹那から逸らし、吐き捨てるように言った。しかし、その声は尻すぼみになって消えていった。
「その通りです。でも、そんな事はどうでもいい。
あたしは、あなたにも『人を呪わば穴二つ』だってことを知って欲しかったんです」
「だから、オレはッ」
再び刹那の方に顔を向ける。
「関係ないのなら、どうして彼女は竹田さんが帰った後もここを窺っているのかしら?」
「え?」
「いい加減、かくれんぼはやめたら。あんたはとっくに『鬼』なんだから」
「大した千里眼ね、術で気配を消していたのに」
気がつくと少し離れたところに芦屋満留が腕を組んで立っていた。
「いつの間に……」
リョータが呆然とする。
実を言うと刹那は満留の存在に完全に気付いていたわけではない。
呪いが破られると、その呪いは大抵かけた術者に返って来る。
ゆえに呪いが解かれると知れば、満留が現れる可能性が高い。
と、鬼多見から教えられていたので、白檀に似た香りを嗅いだとき確信した。
もちろん、それを満留に教えてやるつもりはない。
「自分で思っているほど、あんたの『おまじない』は大したことないってだけよ」
「余りいい気にならない方が身のためよ、御堂刹那。私を怒らせると恐いから」
冷たい眼差しを刹那に向ける。それはこの言葉が本気であることを物語っていた。
「脅しのつもり?」
刹那は怒りのこもった瞳で満留を見返した。
「本当に気が強い娘ね、いずれ後悔するわよ」
「その言葉、そっくり返すわ」
満留は頬を歪め嘲った。
「フフフ……あなたに何ができるの? あなたも言ったでしょ、呪術で人を殺しても犯罪にはならない。警察は何の役にも立たないわよ。それともあなたが私を裁くつもり」
刹那は不適に微笑んだ。
「あんたを裁くことは出来ない、そんなこと解ってる。でもあたしにだってやれることはある」
「何をやれるって言うの?」
「あんたの評判を落とす事よ」
「えッ?」
「今回の件が知れれば、あんたの顧客、確実に減るわよね?
だって霊視が出来るだけの素人に呪いを破られて、依頼を達成できなかったんだもの、誰がそんなポンコツ陰陽師にギャラを払うのかしら?」
「そんなことをしたら……」
「あたしを呪い殺す? 言っておくけど、あたしにはブレインが居て、そっちはちゃ~んとした拝み屋よ。あたしが死んでも、そっちがあんたの無能っぷりを宣伝してくれるわ。
ああ、それとあたしが霊能者だって事リークするとかも意味ないから。知っていると思うけど、あたし超マイナーだからバラされても大して影響ないし」
満留は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「いい気になっていられるのも今のうちよ」
「ご忠告ありがとう」
捨て台詞を残して満留は再び闇に消えた。
「さて、リョータさん、後はあなた次第です。
あのポンコツに頼り続けますか? それとも手を切って実力で勝負しますか?
どっちにしろハッピーエンドは待っていないでしょう。
あたしにはどうすることも出来ません。
まぁ、あたしの現状を見れば言わずもがなですけどね」
「………………………………」
リョータは自分のつま先を見つめながら沈黙した。
「それではあたしは事務所に戻ります。今日は本当にお疲れ様でした」
頭を下げると事務所の建物に刹那は戻って行った。
十三
「まったく、今回は散々だったわ」
好恵が頬杖をつきながら大きな溜息を吐いた。
事件解決の翌々日、ブレーブは大分落ち着いてきた。
安部の暴力沙汰だけなら大した騒ぎにならなかっただろうが、亜矢が篠原珠恵を突き飛ばしていたのは大問題だ。
好恵も警察に呼ばれた。しかし、ブレーブの事務所で明らかになった事とはいえ、好恵の知る由もないことだ。
ただし、カガワエージェンシーとの仲は最悪になっている。
下手をすると今後仕事でブッキングした場合、どちらかが降りることになりかねない。そうなると弱小のブレーブが不利だ。
漏れてきた情報からすると、亜矢は所属解除、安部は解雇になるらしい。
安部に関しては、亜矢が愛人関係にあったことを暴露した事が原因だ。今回は呪術で誤魔化すことが出来なかったようだ。
「悪かったわよ、色々と」
刹那が不満げに言う。
恐らくまた早紀が敏腕振りを発揮して、何とかするだろう。いや、何とかして欲しい。
「そう思うなら、何で鬼多見さんに代わってもらわなかったのッ?」
「そっちッ?」
「当たり前でしょうッ」
「社長、取りあえず今回は無事でしたし……。
それより刹那、芦屋への対策は大丈夫なの?」
早紀が愛情過多から来る叔母と姪のケンカをさり気なく仲裁した。
「鬼多見さからこれが送られてきました」
バッグから封筒を取り出して、中身を早紀に渡す。
「これは……お守り?」
「そうみたい」
鬼多見が送ってきた封筒に入っていたのは、小さな巾着だった。
「こんな物で、芦屋の呪術を防げるのでしょうか?」
「たぶん……」
早紀が溜息を吐いた、刹那も同じ気分だ。
「それってさ、請求書入ってなかったけど、ロハなのかしら?」
「おばさんッ、ここでケチるッ?」
「それはそうなんだけど……」
「もういいわ。で、竹田さんから連絡は?」
「彼はヨコハマ映像を辞めたそうです。この後の仕事については追々考えるそうです」
すかさず早紀が答える。
「満留とのことは何て?」
「かなり無理をして高額な前金を払っていたようですが、成功報酬の残金は支払わずに済んだようです。彼女も間違いなく了承したそうです」
「こっちも先ずは一安心ってトコかしら? あいつに揺すられたらやっかいだったわ」
「人のこと心配している場合じゃないでしょう。明らかに危ないのはせっちゃんの方なんだから」
「わかってますって。で、リョータは?」
「そっちは特に目立ったことは何も」
「まだ日が経ってないし、仕方ないか……
とにかく、おばさん」
「何よ?」
「次からは仕事選んでよね」
「わかってますって」
好恵は刹那の口調を真似て答えた。
事務所に三人の笑い声が響いた。
―終―
アイドル御堂刹那の副業
お読みになってくださった方、誠に有り難うございます。
少しでもお楽しみいただければ本望です。