憑りつかれる
苦手な人、というのは誰にでもいる。
すぐに否定される、言葉の端々に棘がある、一方的に利用される。その他色々。
些細な事でも積み重なればダメージは大きいし、ひどい時にはその人の事を考えただけで具合が悪くなる。知り合いレベルなら必要最小限の接触に留めるという方法もあるが、同僚や上司だったりするとかなり厳しい。
月子さんの場合は夫の母親、義母だった。
いびられた、というわけではないが、とにかく強引で人の話を聞かない女性だ。自分がよいと思ったことは絶対に誰からも賛同を得ると信じている。そして何につけ自分流を押し付けてくる。
そんな事、結婚前に判っただろうと言われれば頷くしかない。ただ、私は義母と結婚するわけじゃないし、と自分に念押ししたのも確かだ。
そして彼女が実際に結婚した相手、夫の太郎さんは温厚な性格の、真面目で無口な公務員だ。どうしてこの人を産んだのが強烈な性格の義母なんだろう。月子さんは後に何度も自問したが、答えは簡単、あんなうるさい女に毎日文句を言われて育ったら、悟りも開けるというもの。太郎さんは義母の全てを受け入れ、スルーして生き延びてきたのだ。
悟っている、という点では夫の父親も弟も同じだ。彼らもまた、義母に逆らって大騒ぎされるよりも、無言で彼女の要求を受け入れる方が「まし」だと考え、そのように行動していた。
不幸中の幸いは、義母たちと同居せずにすんだ事だろう。しかし敵の住まいは車で半時間。結婚当初から、彼女は様々な事で月子さん夫婦に干渉してきたし、孫となる長女が生まれてからはさらにエスカレートした。
とはいえ月子さんもいい大人だから、あからさまに拒絶するような真似はせず、とにかく穏便に事が収まるようにふるまった。それでも受け入れ難い時には、夫に泣いて訴えた。しかし夫は義母サイドではなかったが、月子さんの全面的な庇護者でもなかった。どちらの言い分にも「そうだね」と頷くだけの人だった。
夫は自分を義母と同じ「うるさい女」枠に入れている。
月子さんは夫に期待することをあきらめ始めた。そして義母の干渉にはためらわず牙をむいた。しかし敵もこちらの弱ったところを狙ってくる。月子さんが第二子を出産した直後に、それは起こった。
生まれたばかりの我が子を連れて、月子さんはこちらも車で半時間の実家に身を寄せた。かなりの難産だったせいで疲労困憊、当分は世話になるつもりだった。何かと気を遣う病院暮らしから解放され、母や妹と過ごす実家での時間。上の子も一緒にいるし、夫は学生時代に一人暮らしを経験しているから大丈夫。
そこへいきなり義母が乱入してきた。といっても電話だが、月子さんにはそれでも十分だった。ちょうど夫が来ていたので月子さんは電話に出ず、間に夫をたてた。用件は、まだ届けを出していない子供の名前。
実はこの、長男である二人目の子供の名前はもう決めていた。月子さんの好きな漢字が一字、使われている。そして義母は夫からこの名前を聞いて、ダメ出ししてきたのだ。
「太郎の従兄に同じ字を使ってる子がいるでしょ?あの子、四十近いのにまだ独身なのよ。だからぜったい駄目」
月子さんは怒りにうち震えた。子供の名前をすんなり教えた夫の緩さもさることながら、やはり最大に腹が立つのは義母の強引さと馬鹿げた思い込みだ。
「もう聞きたくない!電話切って!」と叫びながら、月子さんは息苦しさと戦っていた。怒りすぎかなと思いつつ、それにしても何かが変だと気づいた頃には、本当に息ができなくなっていた。
気がつくと、退院したばかりの病院に逆戻りしていた。口元には酸素マスク、腕には管が何本か。枕元のモニターからは自分の心拍を示す電子音が聞こえてくる。
「お姉ちゃん、心臓止まったんだよ。二回も」
付き添っていた妹が教えてくれた。心臓発作を起こしたのだった。
幸いなことに経過は順調で、月子さんは無事退院することができた。心臓発作は「産後の肥立ちが悪かった」という事にされたが、子供の名前は義母にダメ出しされたものをそのままつけた。
しばらくして月子さんは、我が身に起きたことが「生霊」に似ていると思うようになった。本人に自覚はないのに、憎い相手に憑りついては様々な災いをなし、ついには命を奪う。有名なのは「源氏物語」の葵上をとり殺した六条御息所。自分の場合は義母。
この生霊、憑りついた本人に自覚がないのは当然だろう。たとえあの心臓発作が自分のせいだと言われたところで、義母は死んでも認めないに決まっている。
その後も義母は相変わらず強引だし、何か言ってくれば十分に苛立つ。しかし月子さんはそれをやり過ごす方法も身に着けたし、ほとんどの場合は夫に対処させる。子供たちのためにも、そんな事で気を昂らせ、むざむざと発作を起こしている場合ではないからだ。それでもたまに、何とか「お祓い」できないかと願ってしまったりする。
憑りつかれる