エレスガの奇跡
第一章 小さな冒険 1
「俺に左腕が無いからか…」
煌びやかな装飾が施された一握りの曲刀は、男の腰にぶら下がり得も言えぬ高貴さを醸し出している。
男は静かに呟くと右腕でテーブル上のコップを手にし、口元へとやった。
男には左腕が無い。肩からすぐ下のところで無くなっている。頑丈な鉄製の鎧を身にまとっていても男のそれは目立ってしまう。
「腕の問題ではない」
丸い木製のテーブルをはさんで二人の男が向かい合って座っている。一人は片腕の無い青年。もう一方は白い髭を蓄えた恰幅の良い老人だ。
老人は片腕の無い青年をたしなめる様に静かに口を開く。
「あやつはもう助からん…。アルメコの毒気にやられて助かった者はおらぬ」
かろうじて白髭の中にうごめく口を確認できた。この白髭の老人はセルナータ村の村長。その村長の家の一室で勇敢な訪問者の応対をしているのである。
「レオ、お前の勇敢な提案には皆も喜ぶだろう。…しかし、この村にはお前に着いて行こうというほどの者はおらん。一人では無理じゃ」
左腕の無い男の名前はレオロッド・エレスガ。セルナータ村に住む青年だ。幼いころ左腕と両親を失い、孤児として村にある寺院で育てられた。
「一人で行けるさ」
レオはげんなりした面持ちで口を割る。
「無理じゃ。アルメコの毒気を治す唯一の方法はお前も知っておるだろうが、光苔を燻し手作った薬を口にすることじゃ。その光苔は南東にある洞窟の奥にのみ生えている。しかもその洞窟は数年前から邪悪な妖魔どもの巣窟となっておるという。一人で行けば確実に命を落とすことになる」
村長はそういうとレオの顔に目を向けた。レオは目線をそらす様に顔を下に向け、ぐっと右拳を握り締めた。
セルナータ村という小さな村がある。エルドレイ大陸の北に位置にするラムレッド王国領内でもさらに北方の厳寒地方に位置するその村は人口300人程度の小さな村である。主な産業はエダーの木という針葉樹を加工した木工品だ。冬雪に覆われた間は村で木工品を作り、春になり雪が解ければ王国都市アムシャーに売りに赴く。木工品を売ったお金で様々な嗜好品を村に持ち帰ってくる。村に住む者は過去そういった暮らしを営んできた。
今は長い冬が終わり、春を迎えようとしている。村に住む男たちは王都アムシャーに木工品を売りに行くための準備をしている真っ只中であった。
そんなある日、村に戦慄が走った。
木工師のゼロスの息子ラウレットが鹿狩りの最中誤ってアルメコの棘を踏み抜いてしまいその毒気にやられてしまったのだ。アルメコというのはこの地方に生息する有棘種の植物で、非常に強い毒をもっている危険な植物とされ、人々からは恐れられている。ここ数年アルネコ毒での死人が出ていなかったのだが、不注意から棘を踏み抜いてしまったラウレットは今、生死の境を彷徨っている。ラウレットの友人のレオは、苦しむ友人を放っておけず、村長宅に直訴しに来ていた。
「村長、お願いだ。ラウレットを見殺しにはできない。あいつは俺の弟みたいな存在なんだ」
乾いた空気にレオの良く通る声が響いた。自分でどうすることも出来ないもどかしさが生むどこか焦りのある口調。その目はじっと村長の今にも閉じてしまいそうな細い目を捕まえている。
沈黙が続く。
暖が取られた部屋の中だが、凛とした感触は十二分にレオにも村長にも伝わっている。
村長がそんな青年レオの訴える目線をほほえましくも大らかな顔付きで受け止めている。
しばらくの間沈黙が空間を支配したが、それを村長が大きく深呼吸をしてさえぎった。
「…わかった。許可しよう。ただし、村のはずれに住むアーシャに助けを求めるのだ。それがわしからの絶対条件だ」
その言葉を聞いた瞬間レオは面食らった表情をして、すぐに言葉を返した。
「ちょ、ちょっと村長。アーシャって言ったら気味悪い噂ばかりで、村の皆からも煙たがられてるって。魔女って呼ばれてるの知らないのかよ」
「わしは村に住む全ての者を理解しておるつもりじゃ。それを言えば、レオお主も普通ではないであろう」
村長はそういうとにやりと笑い、さらに続けた。「あやつがもつ能力がきっとお前を助けてくれるだろう」
レオはコップに注がれた水を一気に飲み干すと、鎧の擦れる金属音を立てながら席を立った。
「オーケー。確かにそうだ。俺も決して普通じゃない。まずは会ってみてからだ」
レオは軽く村長に向けて会釈をすると、踵を返しドアへと向かった。
「絶対にラウレットは治してみせるよ」
ドアを閉めながらレオは自分に言い聞かすように呟いた。その声が村長に届いたかは分からないが、村長はずっとレオの後ろ姿に目線を合わせていた。
エレスガの奇跡