家路

家路

いつもなら電車に乗って走っている線路を、今は自分の足で歩いている。線路には砂利が敷き詰められているので、厨房の長靴のまま飛び出した若い男には歩きづらかった。それでもじゃりじゃりと音を鳴らしながら長靴の若い男は線路伝いの家路を急いだ。

通勤電車の準急で家から職場まで約一時間。歩いたら一体何時間かかるのだろうか?長靴の若い男は不安になったが今はただ歩くしかなかった。長靴の若い男以外にも何人かの人間が同じ様に線路伝いを歩いている。近くでは救急車や消防車のサイレンの音が鳴り響き上空ではヘリコプターが旋回していた。

長靴の若い男はポケットからスマートフォンを取り出したがスマホゲームのやり過ぎで充電が残り僅かになっている。心の中で舌打ちをしていると、側を歩いていたサラリーマン風の若い男が声を掛けてきた。
「良かったら使いますか?携帯充電器」
「助かります」
それが日常の通勤途中の出来事であれば絶対に他人などに貸さないであろう携帯充電器をサラリーマン風の若い男は貸してくれた。長靴の若い男は何故緊急事態だと人は人に優しくなれるのかと妙に可笑しくなった。

「僕、通勤電車が苦手で」
サラリーマン風の若い男は喋り始めた。
「だって、まず満員じゃないですか?朝なんて特にぎゅうぎゅう詰めだし。自分の側に中年の禿げたおっさんがいると臭いしキモいし、女子高生なんかは満員で狭いのに大きなリュック背負ってて、降ろせよ!お前のリュックが面積取りすぎなんだよって叫びたくなりますね」
「雨の日は傘畳まずに乗ってるオバさんとかいるしね」
「いるいる、おにぎり食べてる男子高校生とか」
「イヤフォンからしゃかしゃか音楽うるさい奴とか」
「入り口付近に陣取って絶対動かない奴とか」

二人は通勤電車あるあるを言い合いながら線路伝いの家路を歩き続けた。果たして明日、電車は運行されるのだろうか?底なしの不安が押し寄せてくる。

「家どこですか?」
今度は長靴の若い男が喋り始めた。
「◯◯駅です」
「あ、近い。僕は△△駅です」
「後どれ位かかるかな。永遠に着かない様な気がします」
「…仕事はサラリーマン?俺は中華屋の厨房で働いてる」
「だから長靴なんだ」
「その中華屋がビルの地下にあるんだけど、それで助かった」
「僕もちょうど営業途中で地下街を歩いていて、それで助かった」

携帯のワンセグを眺めていた、二人の前を歩いていた臭いしキモい中年の禿げた男が叫んだ。政府からの発表が始まったぞ!

”本日午後14時15分に我が国に核ミサイルが発射され着弾しました。被害の状況はまだ正確には分かっておりませんが、大規模な被害と死者の数が予測されます。放射能汚染の危険が考えられますので生存者の方々は直ちに最寄りの避難所に避難して下さい。電気ガス水道、及び交通機関の復旧の目処は立っていません。繰り返します、放射能汚染の危険が考えられますので生存者の方々は直ちに最寄りの避難所に避難して下さい”

二人の側を母親と手を繋ぎながら歩いていた小さな女の子がぐずりだした。長靴の若い男は休憩時間に食べようとこっそり店からくすねていた客に渡す為のお口直し用のキャンディをポケットから出して女の子に差し出した。何故緊急事態だと人は人に優しくなれるのだろうか?

「頑張って歩こう、家に帰ろう」

家は無くなってるかもしれない、家族は死んでいるかもしれない、それでも人々はただ家路を急いだ。

家路

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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-03-19

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