からふる、れいん
たかいところから、おちてみることにした。
おちてみるのは、はじめてのことだった。
どうせおちてみるのならば、すごく、たかいところからがいい、とおもった。にかいめ、さんかいめがあるかは、わからないのだから、どうせなら、にかいめ、さんかいめがないような、ものすごく、たかいところからがいい、とおもったのだけれど、ぼくのすんでいるまちに、そういうたかいところは、ないのだった。ぼくのすんでいるまちにある、たかいところは、どれもはんぱなたかさなので、にかいめ、さんかいめもあるようなよかんが、した。
(ならば、とかい、にいこう)
けれども、とかい、というのは、ひとが、うじゃうじゃいる。
うじゃうじゃいる、ということは、ぼくがおちるところにもきっと、ひとは、いる。
(ひとには、めいわくをかけたくないな)
だから、やっぱり、このまちがいい、とおもった。
たとえばとかいの、とかいでいちばんたかいところからおちたとして、おちたところに、ひとがうじゃうじゃいたとして、ぼくが、そのひとたちの、あたまのうえにおちたならば、それは、そのひとたちをまきこんで、けがをさせてしまうことになるのだから、つまり、めいわくをかけるということなのだから、そういうのはだめだ、とおもいなおした。
では、このまちの、どのたかいところがよいか。
ぼくは、きのうのあめの、きのうの、きいろいあめのあとの、きいろくそまったみちを、てく、てくとあるきながら、このまちで、ぼくがおちるにもっともてきしたところを、さがしもとめているのだった。
きいろいあめのあとは、ありとあらゆるものが、きいろにそまる。
ゆうびんポスト。
おみせのかんばん。
いえのやね。
こうえんのブランコや、すべりだい。
さくらのき、いちょうのき、かだんのおはな。
せかいが、きいろになる。
ぼくは、きいろが、すきだ。
あかより、あおより、きいろが、すきだ。
だから、ぼくは、せかいがきいろいあいだに、おちたいのだった。
やったことのない、らっか、というやつを、してみたいのだった。
きいろいじめんにおちて、べちゃ、と、じめんとどうかしたら、ぼくは、きいろいせかいのひとに、えいえんになれるようなきがしていた。
ちょうどいいかんじの、たかいところをさがしもとめ、あるいていると、おんなのこのあつまりと、そうぐうした。
おんなのこのあつまりは、カラオケのいりぐちのまえに、いた。
こうこうせい、のようだった。
おんなのこたちは、ななにんいて、ななにんが、ななにんとも、おなじかみがたをしていた。
おなじようなようふくをきて、おなじようなブーツをはいていた。
(クッキーのかたで、ぬきとったみたい)
ぼくは、おおきなこえでわらっている、おんなのこたちななにんをとおざけながら、カラオケのまえを、つうかした。
みんな、かつらかとうたがうくらい、おんなじかみがただった。
カラオケのビルは、まあ、そこそこたかいほうだけれど、みせにはいろうとすれば、おんなのこたちのしせんはさけられないので、やめた。
おんなのこといういきものが、ぼくは、どうにもニガテだった。
かといって、おとこのこといういきものがトクイ、というわけでも、なかった。
カラオケのまえの、おんなのこたちからはなれて、しばらくあるいていると、なかなかいいかんじの、たかいところをみつけた。
じっさい、どのくらいたかいかをしらべるために、てっぺんまでのぼってみると、そこにはすでに、ひとがいた。
ひと、とおもったが、よくみてみると、あしだけがひとのひと、であった。
あしだけがひとのひと、は、じょうはんしんは、うまなのだった。
(ケンタウロスとは、ぎゃくだ)
ぼくはおもった。
おもったけれど、ケンタウロスとはぎゃくですね、とはいわなかった。
こんにちは、とあいさつをして、そのひとのとなりにたった。
スロウタンケさんは、こんにちは、とかえしてくれた。
やさしいこえだった。
「なにをしているのですか」
「わたしはいま、あめをまっています」
「あめ、ですか」
「はい、あめです」
それは、きいろいあめでしょうか。
ぼくがたずねると、スロウタンケさんは、くびをよこにふった。
そして、
「わたしがまっているのは、あおいあめです」
とこたえた。
あおいあめ、ですか。
ぼくは、なかまがふえるとひそかにきたいしていたので、きいろいあめ、ではなくて、ざんねんにおもった。
そして、あせった。
あおいあめがふったら、きいろいせかいを、ぬりかえられてしまう。
きいろい、ゆうびんポストも、
きいろい、おみせのかんばんも、
きいろい、いえのやねも、
きいろい、こうえんのブランコや、すべりだいも、
きいろい、さくらのき、いちょうのき、かだんのおはなも、
みんなみんな、あおくなってしまう。
あおい、ゆうびんポスト、
あおい、おみせのかんばん、
あおい、いえのやね、
あおい、こうえんのブランコや、すべりだい、
あおい、さくらのき、いちょうのき、かだんのおはな、
みんなみんな、あおくなってしまう。
(せかいがきいろいうちに、おちなければ)
ぼくが、そんなことをかんがえているあいだにも、スロウタンケさんは、つぶやくのだった。
「はやくふらないかな、あおいあめ。じめんがあおくなったら、そこはきっと、うみだよ」
いみは、よくわからなかった。
でも、なんとなくならわかる、ようなきもした。
もういっそ、ここからおちようか、とおもうほど、たかさはもうしぶんなかったけれど、スロウタンケさんのまえでおちるのは、ちょっとはずかしかったし、なにより、スロウタンケさんがさきにいたのだから、とつぜんあらわれたぼくはジャマであろうな、とおもった。
さて、どうしたものか、とまよっていると、スロウタンケさんが、ふしぎなステップを、ふみはじめた。
あしだけひとである、スロウタンケさんのかおは、どのかくどからみても、うま、であった。
うまのつらで、ひとのあしで、みょうちくりんなダンスをおどる、スロウタンケさんは、こういった。
「あおいあめがふるよう、いのりましょう。いっしょに、いのりましょう」
それは、どうやら、あまごい、であるようだった。
ぼくは、あおいあめではなく、きいろいあめが、すきなのです。
あまごいにむちゅうで、スロウタンケさんには、ぼくのことばなど、とどいていないようだった。
(ほんとうに、あおいあめがふってくるまえに、あおいあめが、きいろいせかいをあおくぬりかえるまえに、おちなくては)
ぼくはあわてて、てすりにつかまった。
そして、あしをかけようとして、でも、みぎあしが、なぜかあがらなくて、したには、ありんこよりもちいさくなったひとと、もけいのようなたてものが、みえて、しんぞうが、どきどきしてきて、てが、ふるえているのがわかって、のどが、かわいてきて、スロウタンケさんが、なにやらさけんでいるこえが、きこえて、おちろ、と、あたまのなかで、だれかが、ささやいているのだけれど、だれなのかは、わからなかった。
いっしゅん、めを、つむり、すぐ、あけた。
あしもとには、きいろいうみが、ひろがっていた。
からふる、れいん