とべないさかな
両の指を開く。
網膜に走った、稲妻のような警笛のような衝撃はきっとこれからも貼りついたままだ、パラフィン紙みたいに。ゆいいつの美点、かつたくさんの汚点のうちのひとつ。矛盾することばで、親指と人さし指、それから薬指と小指のすきまをいろどっている。気付く人は気付くだろう些細さを持った薄い皮膚に、水かき、とつぶやいた。
「生まれつき?」
「ちがうと思う。泳いでいるうちに、からだが水と仲良くなりたがったんだ」
だけれど海も川も湖も、自然と呼ばれる水を知らなかった。適度に消毒されたコンクリート造りの容れ物の中で教えられた通りの泳ぎかたで、息継ぎをしていた。たとえば海の広さや塩分濃度、浮力、そういったものに憧れていたか、羨ましく思っていたかと訊かれたら、知ってしまった今だから羨ましいと思うのだと言いたい、たとえ強がっていると誤解されても。
まったくの未知を貫き通せてしまうとしたら、既にじゅうぶん幸せだ。知らないことがある、とさえ知らないでいるのは惨いというのなら口を塞ごう。知識に割くことのできる余地をふと悟ってしまう程度には叡智のかけらが頭の中に埋め込まれてしまっているようだから、思い直すことにしたのだ。くるくると目まぐるしく変わるものごとに溢れているならば到達点は存在しない。いいや、するとしても、よほどでない限りは届かない。たった五パーセントしか正体が判明していない大気圏外のくらやみや、あらゆるものを溶かす熱を持ったみなそこに囲まれているからこそ幸せなのだと、思い直すことにしたのだ。
「ここに海の生きものたちの記録はないんだ」
記録? 進化、受け継いだ遺伝子の痕?
「何でも良い。とにかく、もう海には戻れない。にんげんになってしまったから」
道連れにしてやろうか。
冗談は普段通りで、笑えやしなかった。
しょせんは元素のかたまり、物質を取りこんでは吐きだす行為を繰り返して、このからだにさまざまを刷りこませる。それらが記録になろうと記憶になろうと、古い順に堆積し劣化してゆくのは事実だ。
昨日の空を覚えているか? 夕鐘が鳴っていた、落下する飛行機雲が南に見えた、地平へ近付くにつれ薄まってゆく青を先にして左右にそびえた壁は、ふたつぶんの足音以外のすべてを吸収していた。壁が途切れた、開かれた耳に寄せて、壊れたメトロノームみたいだと笑ったのはどちらで、より不規則な歩幅を刻むのが好きだったのはどちらだったろう。
からだのほとんどが水素と酸素の化合物であるなら、たゆたう感覚を忘れてしまったとしてもいつかは思いだすんじゃないかという、引き出しから無作為に掴みだされるのを待っているボタンのような望みは簡単には捨てられない。要らないもののゆくえを無視して要るものは次々と忘れられていく、それなのに灰白色の泳ぎかただけはしつこくしつこく残っているのは、陸に居続けるためだ。海に捨てられてしまったと、ひとときでも思ってしまわないように、陸を選んだのだと錯覚していられるように、指と指とがつくりだした未合理に理由をつける。
そうだ、
指の間隙は呪いなんだ。
限りなく無意味な薄い皮膚を、浸透圧にたえきれない脆さとともに、重力のなかでひるがえす。
きみはそうやって、呪いを解こうとしている。
「空を飛んでいた名残でなくて良かった。苦しくってしょうがないからな」
きみは続けた。誓うように。
「あぁ、泳ぐよ。僕は、泳ぐ」
とべないさかな