パンプスをはいたネコ
父の遺産としてネコをもらった男はガッカリした。兄二人はそれぞれ父の会社と大邸宅を相続したのに、ネコ一匹だけとはあまりにも差があり過ぎる。
「どうしよう。ぼくは別にネコが好きでもないし、いっそ誰かに売っちゃおうかな」
すると、そのネコがスックと二本足で立ち上がり、人間の言葉でしゃべり始めた。
「ちょっと、それ、どういうつもりよ。あんた、ネコを粗末にすると七代祟るって言い伝えを知らないの?」
男は驚いて、二三歩後ずさった。
「しゃ、しゃべれるのか」
ネコは腰に前足を当て、胸を張った。
「ふん、当たり前じゃない。あたしを誰だと思ってんのよ。あの有名な『長靴をはいたネコ』のモデルになったネコの子孫なのよ」
最初はポカンと口を開けて聞いていた男も、ネコの言ったことが徐々に頭に染み込んでくると、満面の笑みになった。
「すごいぞ。それじゃ、ぼくはどこかの国の王女さまと結婚するんだね」
だが、ネコは鼻先で笑った。
「いつの時代の話よ。そんな夢みたいなことより、今何をするべきか考えるのよ」
男は予想外の展開に、戸惑った顔になった。
「えーっと、何をしたらいいかな?」
ネコはあきれたように舌打ちした。
「しょうがないわね。お母さんは早くに亡くなったそうだから、もう親はいないのよ。あんたは一人で生きて行かなきゃならない。まず、何が必要?」
「うーん、食べるもの、とか」
「ホントにバカね。しばらくはお兄さんの家に居候できるでしょうけど、いつまでもそういうわけにはいかないわ。となると、自活することを考えなきゃならない。だから、今一番必要なものは、お金よ」
「だって、遺産はネコ、あ、いや、きみだけで、お金はもらってないんだよ」
ネコはまた舌打ちした。
「知ってるわよ。だから、これからお金を稼ぐのよ。あんたに勤め人はムリだろうから、会社を作りましょう」
「会社?」
「そうよ。起業するの。やり方は教えるわ。幸い、お父さんの取引相手を何人か知ってるから、融資してもらいましょう」
「融資?」
もはや舌打ちでは治まらず、ネコは横の壁をガリガリと引っ掻いて気持ちを静めた。
「フーッ。わかったわ。あんたは何も考えなくていい。あたしの言うとおりにして。そうね、まず、あたしにパンプスを買ってちょうだい。それぐらいのお金はあるでしょ?」
「まあね。でも、パンプスなんかどうするの」
「ふん、はくに決まってるじゃない。秘書が裸足じゃ恰好がつかないわ」
「秘書?」
再び壁をガリガリ。
「わかったわ。もう、あんたは余計なことをしゃべらなくていい。あたしが、『社長、これでよろしいですか?』と尋ねたら、笑ってうなずいてくれればいいわ」
ネコは有能な秘書だった。たちまち会社を立ち上げ、順調に業績を伸ばした。男の会社はじきに長兄が相続した父の会社より大きくなり、次兄が相続した大邸宅に勝るとも劣らない屋敷を建てた。男はただ、ネコが「社長、これでよろしいですか?」と聞くたびに、笑ってうなずいていればよかった。
そんなある日、社長室でウトウト居眠りしていた男のところへ、ネコが美しい娘を連れてやって来た。
「うちの会社で一番気立ての良い娘よ。どう?」
「え、どう、って?」
ネコは社長室の壁を引っ掻こうとして、やめた。
「危うく壁を台なしにするところだったわ。ホントに鈍い男ね。会社もうまく行ってるし、大きな家も建てたし、あと必要なものは何?」
「えーっと、食べるもの、かな」
ネコは我慢できずに、壁をガリガリと引っ掻いた。
「フーッ。弁償するわ。あたしの退職金から引いといてちょうだい。それより、ちゃんとこの娘を見て。どう思う?」
「きれいな子だね」
「それだけじゃないわ。どこがいいのかあたしにはわかんないけど、あんたが好きなんだって」
娘が顔を赤くすると、男の顔も真っ赤になった。それを確認すると、ネコは久しぶりに前足を腰に当て、胸を張った。
「決まりね。この娘は早くに親を亡くして、この歳で弟や妹を養っているの。結婚したら、あんたがちゃんと面倒みるのよ」
「それは、もちろんさ。でも、さっき退職金って言ってたけど、きみはどうするの?」
「働き過ぎたから、気晴らしに旅に出るわ。でも、もしも将来、あんたの息子があんたみたいだったら、きっとあたしの娘が尋ねて来ると思うわ。じゃあね、楽しかったわ」
ネコは鼻にシワを寄せて笑った。
(おわり)
パンプスをはいたネコ