白く、透明な桜色。
1.揺れる青
「ねえハルくん!みてみて!この魚すごくキレイだよ~!!」
「声が大きいから静かに……!」
君は小さな水槽に手をあて、小さくジャンプしながら周りの人に聞こえるように叫んだ。
よく見ると隣の、そのまた隣の水槽にいる小さな男の子も同じようにはしゃいでいた。詩織はこういう時は本当に子供っぽいんだから
「この魚『ベタ』っていうのか。不自然なくらい青色で、すごくきれいな色」
「ね~!家で飼えるのかな? 可愛い~♪」
以前から詩織が、ずっと行きたがっていた水族館。ここまで喜んでくれるなら一緒に来てよかった。と思った。最初はちょっと乗り気じゃなかったんだけど
本当は、今日は詩織と家でゆっくり過ごしたかったのにな……ってあれ?
気が付くと、詩織はもうさっきの魚に飽きたのか、通路を先に進んでいた。僕はその後ろを小走りでついていく。
洞窟をイメージした岩肌のようなゴツゴツした薄暗いトンネルを抜けると、視界いっぱいに青い水槽が広がった。
「すごい……大きい……!」
詩織の、ただでさえ大きくて丸い目が、パッチリと開く。
名前の分からない魚たちが、狭そうに美しく泳いでいた。
「すごいよハルくん!大きいよ!」
「分かったから静かに!」
僕の右腕をバシバシ叩きながら詩織は叫ぶ。可愛い
落ち着いたネイビーのエアリースカートに、白のトップス。髪色は、高校の自由登校が始まってからピンクアッシュという色に染めたそうだ。詩織は、黒よりも明るい髪色のほうがよく似合う。
そんな彼女を見ていたら、どこからか僕を呼ぶ声がした気がする。
いや気のせいではない。確かに聞こえる。
耳障りで、イラッとするような、鋭い男の声。本能的に警戒し、あたりを見回した。
「どうしたん?顔色悪いよ」
マジか、顔色悪いのか
「ん?いや、大丈夫、何でもないよ」
「本当に?ちょっと私も疲れちゃったし、あそこに座るところあるから休憩しよ」
「ああ、うん、そうしよっか」
壁際に置かれた木製のベンチ。詩織は場所を取られないよう、小走りで向かう。
ベンチに座った詩織は、早く早く、と自分の隣をポンポン叩いた。僕はそこに座る。
男の声は、段々と大きくなっていく。なんて言っている?……ハル……ハルキ?俺のことか?
その声は、重みを増しながら僕の元に近づいて来ようとしていた。
不安になっている自分を落ち着かせるように、君の手を握った。ひんやりと冷たかった。
「ハルくん、大丈夫?」
君はそう言いかけて、いなくなった。
君だけじゃない。さっきまでの人混みも消えていた。
あれ……詩織は?さっきまでここにいた人たちは?
ベンチから立ち上がり、誰もいない空間で独り、人を探し始めた。
「宮瀬 春樹くん?」
突然背中から聞こえる、その鋭い声に勢いよく振り返った。多分情けない声が漏れてたと思う。
「あの..どちら様でしょうか?」
外見は頼りがいのあるお兄さん、って感じ。身長は、僕が170㎝ぐらいだから..178とか、そんくらい?
「俺は未来から来た」
へ?何を言ってらっしゃるこの方は
多分、間の抜けた声が出てたと思う。
「……詩織を……救ってほしい」
「えと、何のことでしょうか? てか、それよりここにいた皆は!? 詩織は……?」
この人は、誰だ?詩織の何なんだ?
波一つ立たない水面のような静かさ。水槽の魚は僕たちを、見て見ぬふりをしてるようだった。
「君だけがもう、頼りなんだ……!」
質問に答えない系男子かお前は
「あの!本当に誰なんですか!?」
少しだけ大きな声で言う。
「俺は、詩織の――」
そこから先は人混みの音で聞こえなかった。僕はさっきのように、詩織の横に座っていた。男の姿は見当たらない。
「ハルくん……?」
君の手を握っていた。ひんやりと冷たかった。
「ああ、うん大丈夫だよ、じゃあ次行こうか?」
頷く詩織の手を取って、大きな水槽を後にした。
さっきの男があの場所にいるような気がした。でも、人混みに酔った。とか、久々のデートで疲れてボーッとしてた。とか、気のせいだった事にしておいた。
そのあとは、まだ見てないところを周って、フードコートでアイスを食べた。
水族館、案外楽しかった。また詩織と来たいな。と思った。
「そろそろ帰ろうか?」
「うん!本当に今日は楽しかった!ありがとうございました!」
そう、君はかしこまって言った。少し長めの君の髪は、今日は毛先を少し巻いている。可愛い
はいよ、僕も楽しかったです。と僕もちょっとかしこまってみた。
「あ、お土産。見に行く?」
「行こいこ!ねえ、ぬいぐるみとかあるかな?イルカとか!シャチとか!」
「あ~あるんじゃないかな?ごめん、その前にトイレ行ってくる」
詩織を先にお土産売り場に行かせて、ちょっと我慢してたトイレに向かう。
一人になって、さっきの男を思い出す。
なんだ?詩織の、ストーカー?
超能力とか使えんのかアイツ?超能力ストーカー?勝てる気しねえよ……(笑)
とまあ、こんな感じで軽く受け止めていた。記憶はかなりぼんやりとしていて、アイツの顔は覚えていない。
用を済ませ、詩織のところへ向かう。
トイレの入り口で、背の高い男とすれ違った。
どこかで見たことがある。気がした。
2.君の好きな食べ物
「んー!ふーふーん♪」(んー!おいしー♪)
「なんだこれ、うまっ」
最近、開店したばかりの大通り沿いにある焼肉屋。僕の家からは電車で10分、徒歩30分
店内は、和風の古民家の雰囲気を想像させる。
活気のある元気の良い店員さんが多いためか、店内はなんだか暑い。詩織の頬がいつもより赤く染まる。
「あれ?そういえば詩織さん、ダイエット中ではありませんでしたっけ?」
「いーのいーのっ!駅からここまで来るのに30分くらいでしょ? で、帰りも30分歩くから~」
「往復で1時間歩くから、食べた分は±0ってことかな?」
「そうそう!だから大丈夫なのっ!」
大丈夫なのだろうか。
窓の外に目を移すと、もう夜はこの街にとっくに入り込んでいて、でも空の端には、まだ夕方が取り残されている。
車のライトが時々目に入る。
水族館での出来事を思い出した。あれは一週間とちょっと前。
詩織を助けてほしい……?一体、詩織とどういう関係なのだろうか。
気にしないようにしていたのに、何だか引っかかる。あれは夢とか妄想じゃないと、本能がそう言っている。気がする。
「ハルくん!」
「ん?」
「ほら、あーん」
詩織がニヤニヤしながら僕の口に運ぶ。何のためらいもなく、頂く。
……!?苦っ!!なんだこれ!?
咄嗟に近くにあった水で一気に流し込んだ。
「ボーッとしてるから焦げちゃったじゃんよ」
わざとらしい、悪戯な笑い方で僕をからかう。くそ、やられた!
「ごめんごめん!ちゃんとしたのをあげるから!はい、あーん」
……これも若干焦げてた気がするが、まあ良しとする。
「……なあ、詩織」
「ほえ?」
「最近、身の回りで変わったことはない?」
「変わったこと?」
「なんかこう、超能力者とか、ストーカーとか、変な人に付きまとわれてたりとかしない?」
「なんじゃそりゃ」
口にご飯を頬張りながら、詩織は笑った。
「そういう変な人は、今のところいないよ」
「中二病みたいな人も?」
「チュウ……ニ……?なんて?」
いや、なんでもないよ。と笑って誤魔化した。
誤魔化されたのが気に食わなかったのか、詩織はちょっとだけ口をとがらせて、話題を変えてきた。
「そんなことよりハルくん!来週の土曜日、何の日か覚えてるよね?」
テーブルに身を乗り出して、まるで僕がその日が、何の日かを忘れてるかのように聞いてきた。
来週の土曜日……?あ、3月の18日か
僕たちの付き合って1年記念日である。
「覚えてるにきまってるじゃん」
「よかった~!忘れていたら私の拳が飛んでいるところだったよ♪」
笑顔でそういう詩織は、本当にやりかねそうで怖い。危ないところであった。
「危ないところだったな」
テーブルの反対側には、詩織と入れ替わるように知らない男の人が座っていた。
「……!?お前は!あの時の!」
思わず、指をさして叫んでしまった。
周りの音はピタリと止んで、店員も周りのお客さんも、詩織も消えるようにいなくなってしまった。
きっと水族館の時のアイツであろう。
「自己紹介がまだだったね。俺の名前は……まあいいか、凌亮といいます。よろしくね」
あっさりした顔立ちが印象的だった。カーキ色のモッズコートがよく似合う。
気になっていた質問を投げかける。
「あの、本当に未来から来たのか?」
「本当だよ」
本当かよ
「証拠は?」
「うーん、証拠という証拠はないんだけど。ちょっと待ってて」
そう言って凌亮は、ポケットから手のひらサイズの黒くて四角い箱を取り出し、なにやら操作し始めた。
すると、また入れ替わるように詩織が目の前に座っている。店内のお客さんも店員も、窓外の車も元通りになっていた。
詩織はもくもくとご飯を食べている。
唖然としていると、また凌亮が現れた。再び誰もいない二人きりの空間になった。
「今、過去に飛んできた。春樹くん、君が昨日スマホで撮った写真を確認してみて」
「え?」
スマホの『アルバム』を確認した。昨日撮った写真は、友達と撮った写真。近所の猫の写真。自宅から見えたきれいな夕焼け。の4~5枚位。
そこには写っているはずのない凌亮が、どの写真にも映り込んでいた。
「怖いわ!!」
思わずスマホを投げてしまった。心霊写真かよ
「昨日に戻って、春樹くんの写真に写りこんでみました!これで信じてくれるかい?」
「その前に発想が怖いんだよ!もうちょっと、こう、なかったの!?」
驚きと怖さのあまり、勢いよく喋ってしまった。
「まだ信じられないようだね?じゃあ今度は、」
「分かった!信じるから!怖いからやめて!」
今度は何をするつもりだったのだろう。この男は恐ろしい。
頭が追い付かない。精神的に疲れてしまった。
「で、その凌亮……だっけ?僕に何の用?」
「そうそう!今日はそれを伝えに来たの」
テーブルにある割り箸を取り出し、僕らの焼いていた肉を勝手に食べながら言う。
「でも、話すと長くなるから実際に見てもらったほうが早いかな?説明も難しいし」
そういって、いきなり僕の両目を右手で覆った。意識が遠のいていく感覚を感じた。
……気が付くと、自宅のベットの上で寝ていた。夢、だったのだろうか?
枕元においてあるスマホを確認した。15時30分?いつの間にこんなに寝ていたのだろう。
詩織からLINEが届いていた。
『駅前に17時集合だからね!楽しみにしてるからね♪』
ん?ちょっと待って、もしかして今日って遊び?
スマホの日付と予定表を確認する。そこには、『3月18日、詩織とデート』と書いてあった。
でも、今日は3月10日のはずじゃ……。
1階のリビングに向かい、テレビをや新聞を確認した。..間違いない。今日は3月18日である。
慌てて電車の時間を確認した。16時20分発の電車がある。まだ大丈夫だ。
まだ大丈夫なんだけど、何だか落ち着かなかった。
身支度をし、駅に向かい、電車に乗り込んだ。自分の家から4つほど離れた駅に向かう。
16時41分、駅に到着。駅の改札を通る時に、前を歩く詩織の姿が見えた。
「詩織!」
「あ、ハルくん!あれ?もしかして一緒の電車?」
「みたいだったね」
「連絡すればよかった~」
白いニットワンピースに黒いタイツ、今日は赤いベレー帽みたいなのをかぶっていた。可愛い
「意外と帽子似合うね」
「何照れてんのよ♪この前友達と遊んだ時買ってみたの」
へへへっ、と首をかしげて笑った。
「じゃあ、行こっか!」
詩織は僕の右肩に寄りかかるように腕を組んだ。
日が暮れるまで遊んだ。気になるお店や前に行ったことのあるお店まで、たくさん見てまわった。
――夕ご飯を食べ終えて、レストランを後にする。
「次、どこか行きたい所ある?」
「うーん、ハルくんは?」
「そうだなーじゃあ、」
「ねえねえ!アイスクリームだって!食べない?」
詩織は、横断歩道の向こう側のコンビニを指さした。
そこには『アイスクリーム』の文字が書かれた旗が立っていた。
「こういうのはすぐ見つけるよな」
僕は笑いながら言った。
「なんか言った?」
「あ、いえなんでもないです。」
信号が赤から青に変わる。詩織は僕を置いて、コンビニに向かって走り出した。
それがいけなかった。
「詩織!」
僕は思わず叫んだ。
一台のトラックが赤信号を無視して、風を追い越す速度で詩織を目掛けて走ってきた。
詩織は何も言わず、トラックを見つめながら立ち止まってしまった。
そして、ゆっくりと僕のほうを振り返る。
ようやく動き出した僕の足は、詩織の元へ走り出す。
でも、伸ばした右手は間に合わなかった。
3.雨に滲む
「詩織!」
ハッと目が覚めた。ここは……さっきの焼き肉屋?
「すまない。いきなり怖いものを見せてしまって」
凌亮は少し、僕の反応に驚いた表情で言う。
じっとりと変な汗をかいていた。右手を前に伸ばしていたことに気づき、ちょっと恥ずかしくなってテーブルの上に置いた。
「い、今のは?」
「3月18日、これから君たちに起こる出来事だよ」
凌亮は暗い声のでそう言った。
「夢、じゃないのか」
「今のは俺が見せた夢だ、だけど夢ではない。現実になる」
まるで幽霊が通り過ぎたかのように、沈黙が走った。
詩織の走っていく後ろ姿を思い出した。胸をつかまれたような苦しさを感じ、手を当てる。
「信じられない……」
信じたくない。といったほうが正しいのかもしれない。
それは、凌亮の存在も含めてだ。まだ分からないことが多すぎる。
「今日、春樹くんと話をしたのは、この事故……運命から詩織を救いたい。それに協力して欲しい、という事だ」
うつむいたまま、凌亮は言う。
「ちょっと待ってくれ!その前に、お前は、凌亮は詩織とどういう関係なんだ?」
少し、声が大きかったかもしれない
凌亮は淡々と話を進める。
「今の段階では教えることはできない。あ、でも君たちの関係を邪魔する存在ではないし、詩織のことを女の子として見ているわけでもないよ」
「……なら何で?」
なぜ凌亮は、詩織を救おうとするのか
ちょっと変な言い方になるけど、詩織を助けることが凌亮にとってどんなメリットがあるのだろうか?
わざわざ未来から飛んできてまで救いたい相手なのだろうから、ただの関係ではないと考えているが……
色々考えすぎて、頭が痛くなってきた。
「……今の段階では答えられない、でも信じてくれ、」
「悪いんだけど」
凌亮の話を遮るように、僕は喋りだした。
「悪いんだけど、今日はもう帰ってくれないか?」
いきなり未来から来たとか、詩織がいなくなってしまうだとか、よく分からない話をされて混乱していた。
「分かった、今日はここまでにしよう」
凌亮は一つ、深く息をしてから席を立つ。
「また後日、詳しい話をするよ。必ず会いに来るから、じゃあ」
そういって凌亮は消えるように帰った。
店内のにぎやかさ、詩織も目の前に座っている。いつも通りに戻った。まるでさっきのが夢みたいに
詩織は変わらず、もくもくとご飯を食べている。
夢じゃない、生きている……!
「ん?……え!ちょっとハルくん!?」
「え?あれ……」
ふと、視界が滲んでいた。瞬きをすると零れ落ちるくらいに
「どうしたのハルくん!?何か嫌なことでもあったの?」
向かいの席に座っていた詩織は、僕の横に座った。
「いや、何でもない。何でもないよ」
「何でもない訳ないじゃん!私、何か変なこと言っちゃった?」
詩織は僕の涙を指で拭いながら、慌てた様子で言う。
「ううん、大丈夫。ちゃんと後で話すから」
「本当に?」
「本当だよ」
そう言って頭を撫でる。
詩織は少し、柔らかい表情になった。
ありがとうございましたー!、という元気な店員さんの声を背に、お店のドアを開ける。
さっきまで聞こえなかった雨音が、あたり一面に散らばっている。
「バスで帰るか……」
「そうだね、ねえここら辺にバス停なかったっけ?」
「あるよ、横断歩道の向こう側に」
「あれかな?私、今日コンタクトしてないから見えないよ」
詩織は目を細めながら言う。
バス停は、お店からすぐ見えるところにあった。
信号が赤から青に変わる。
「あ、信号変わった!走るよハルくん!」
そういって詩織は先に雨の中に飛び込む。僕はその後ろを追いかける。
キャーキャー楽しそうに、詩織は横断歩道を渡ろうとする。
その後ろ姿が、あの夢と重なってしまった。途端に怖くなった。
待って!置いてかないでくれ!
急いで走った。急いで走って、詩織の後ろから手をつかんだ。
「ひゃ!どうしたの?」
「あ、いや……」
途端に我に返った。詩織は驚いた顔で、振り返った。
青信号が点滅し始める。僕は詩織の手を引いて、慌ててバス停の屋根へ駆け込む。
「はあ、すごい雨だな」
「ね!すごい濡れちゃった~」
詩織は雨で濡れた髪を整える。
「……なんだか今日のハルくん、変だったね」
「え?そ、そんなことないよ。いつも通りだよ」
不意に聞かれたから、戸惑ってしまった。
「うん、あ、でもいつも変だから変わらないか」
「詩織、今なんて言った?」
「ん?何でもないよ~♪」
「後で覚えとけよ」
馬鹿にした言い方で、僕をからかう。
時間は20時を過ぎていた。
どこか心地よい雨音。ふんわりと暖かい空気が流れ込む。
もう、あの男の顔ははっきりとは覚えていなかった。
4.あの奇跡の瞬間に名前を付けるなら
ジャケットに袖を通して、家を出た。
こうしてゆっくりした時間に学校へ登校するのは、何だか有意義な気分になる。
道の水溜まりが波打つほど、今日は風が強い。
見慣れているはずの通学路は何だか新鮮で、わくわくする。高校へ入学したばかりの頃を思い出した。
高校の裏門を開けると、剣道場から日曜日とは思えない程の気合の入った声が響く。
「あ、春樹先輩!」
校庭に1人、カメラを持ったの女の子が僕の方に走ってくる。
聞いたことある声だけど、なんか雰囲気が違う。
あれ?もしかして
「もしかして、小花ちゃん?」
小花ちゃんはカメラを構えて、僕の顔を1枚撮る。
「お久しぶりです…!」
驚いた僕の表情に、笑いながら言った。
背中まであった彼女の髪は、ショートカットになっていた。
「ええ!どうして切っちゃったの?なんか心境の変化?失恋とか?」
「もう!春樹先輩までそうやって!これで5人目ですよ!ただのイメチェンです!」
風に流されそうな彼女の柔らかい声。小動物のような容姿に、小花という名前がピッタリだといつも思う。
「そういえば、どうしたの今日は?小花ちゃんからLINEなんて珍しいね」
「んーそうでしょうか?隼人先輩が今日来るって連絡があったので、春樹先輩も誘ったのですよ」
「なんだ、あいつも来るのか」
「春樹先輩も来るって言ったら、すごくテンション上がってましたよ」
「相変わらず元気なお方だな」
「ええ、本当に」
立ち話をしていたらさらに風が強くなった。僕らは学校の中へ向かった。
久しぶりの写真部の部室は懐かしい匂いがした。
部室には、私服の男がいた。
「よー!春樹、小花ちゃん!久しぶり!」
元気な声が、部屋に響いた。
なんだお前かよ
あの男だと思って気を張っていたのが、一気に抜けていった。
「お久しぶりです隼人先輩!いつ来たんですか?」
「ついさっき来たばかりだよ。てか髪切ったんだ!何?失恋でも、」
「もう!だから違いますってば!」
僕と同じことを言う隼人に思わず苦笑いした。
そんな隼人を助けるように、僕は話しかける。
「久しぶりだな隼人。お前も来てたのか」
「お、おう久しぶり。自由登校何もやることないからさ来ちゃったよ!久々に小花ちゃんの顔も見たかったしさ」
小花ちゃんがちょっと顔を赤らめたのが見えた。
この高校の写真部は部長の隼人と、副部長の僕。そして学年1つ下の小花ちゃんの3人だけだ。
目立たなかった部活だったけど、去年は僕たち3人1組のチームで行う、全国の高校生写真部が集まる大会で準優勝を果たすことができた。
それなのに
「ねえ小花ちゃん、あれから部員増えた?」
小花ちゃんは僕に、静かに首を横に振った。
「何度か声をかけて、見学には来てくれた子はいたんですけど……」
「うーん、何が嫌なんだろ?やっぱ部長がうっとおしいからじゃないのか?」
「おい何でだよ!俺はもう関係ないだろ!」
部室に久々であろう笑い声が響いた。でも、そのあとすぐに寂しくなった。
そうか、4月から小花ちゃん一人なのか……。
どこか切ない空気の中、隼人は部室の本棚から写真アルバムを取り出した。
「なあ、これ懐かしくねえか?」
去年、大会へ提出した8枚組の写真が出てきた。
テーマは「白く、透明な桜色。」春だからこそ感じる、新しいスタートへの期待と不安に満ちた人の表情。それを横目に、花が咲いて散っていく様子など、出会いや別れの美しさを表現することを目指した。
その中の1枚に、笑っている詩織の写真がある。
「春樹先輩は、詩織先輩とうまくやってるんですか?」
髪を耳にかけながら、僕に話しかける。
「うん、相変わらず声が大きいけどね」
「ふふっ、それを言ったら怒られますよ。詩織先輩と出会ったのって、この写真がきっかけでしたよね?」
そういえば、この時からもう一年がたつのか……。
高校3年の春。
写真部の全国大会でのテーマについて悩んでいた頃、僕の隣の教室で、桜を眺める彼女の姿が見えた。
消えてしまいそうな程に、窓から降り注ぐ透明な光が教室を白く照らし、桜の花びらが風に乗って彼女の髪をなびかせた。
これだ……!僕が表現したいのはこの瞬間だ!
僕はその奇跡のような瞬間に、彼女に一目惚れをした。
部活中だった僕は、手元にある一眼レフで夢中でシャッターを切る。
そんな僕に気づいたのか、彼女はムッとした顔でこちらにやってきた。
「ねえ!勝手に撮るなんてひどいよ!」
しまった。また許可も取らずに……。写真部としてちょっと恥ずかしくなった。
「ご、ごめん」
「まったく、言えばちゃんと撮らせてあげるから」
彼女は笑って僕の手を引き、教室の中へ入る。
これが、僕と詩織が出会った時だと思う。
「本当、羨ましいぜ春樹!お前が詩織ちゃんと付き合ったって聞いてから、学年中が大騒ぎだったんだぞ!」
隼人は僕の顔を覗き込むように言った。
近い、近いから!
横で小花ちゃんの笑う声が聞こえた。
――しばらく話し込んでしまった。気が付くと、外はもう夕焼け色になっている。
「じゃあ小花ちゃん、またね。また遊びに来るよ」
僕は小花ちゃんの頭を撫でながら言った。
「あ、あのっ!」
部室のドアに手をかけようとしたとき、椅子を鳴らして立ち上がる音が聞こえた。
「……また、遊びに来てください。待ってます……!」
小花ちゃんの涙声につられるように、隼人も声が震える。
「もちろんだ!元気でな!!」
僕たちは部室を後にした。
「春樹は今日はバス?」
隼人は自転車のカギを開けながら言う
「いや、今日は歩きできたんだ」
「そっか、じゃあな!大学頑張れよ!」
「隼人も仕事頑張れよ」
隼人は自転車に乗って、校門へ向かう。
見えなくなるまで見送ってから、僕は裏口へと向かった。
やっぱり今日はバスで帰ろうかな……?
帰り道、イヤホンを取り出すのにリュックの中を探る。
すると、中から「凌亮より」と書かれた手紙が入っていた。
おい、嘘だろ?
僕は、恐る恐る中身を確認した。
5.相生 瀬奈
バス停に向かいながら、手紙を確認する。
凌亮からの手紙の内容はこうだった。
やあ、春樹くん元気かい?
最初に、俺の……簡単に言うとタイムリープ装置のバッテリー残量が少々危険な状況のため、手紙で伝える形となってしまいました。ごめんね
単刀直入に言うと、詩織を助ける方法、がある。それを春樹くんに協力して欲しい。といことだ。
協力して欲しいこととして、2つある。
1、18日まで詩織との接触を避けてほしい。つまり、会うことも連絡をすることもやめてほしい。
もし、これが守れなかったら、あの事故の可能性が近くなる恐れがある。
2、タイムリープ装置のバッテリーを探してほしい。この時代に替えもバッテリーを持ってきたはずが、どこかに落としてしまったらしく、それがないと俺がこの時代に来ることができなくなるためだ。
以上、検討を祈る。
ちょっと待ってくれ、もしかして18日も会うのも連絡を取ることも禁止されるのか?
詩織を助ける方法は以外にもシンプルで、でも僕にとってはとてつもない障害であった。
よく考えてみれば、18日に会わなければ、事故は防げるであろう。
しかし、18日以外の日も会ってはいけない理由がよく分からなかった。
ていうか、バッテリーってなんだよ。何落としてくれちゃってんの?自分で探してよ
でも今は、凌亮を信じるしかないのか?
詩織に、なんて言おうかな……
バス停が見えてきた。青信号が点滅している横断報道を、女の子が急いで渡ろうとしている。
別に車通りが多い道路ではなかった。でも僕の中の何かが、僕を動かした。
急いで走った。急いで走って、僕は女の子の手を掴んだ。
しかし勢い余って、手をかなり強く引っ張ってしまう。
――しまった
女の子は思ったより軽かった。バランスを崩し、2人とも一緒になって倒れてしまった。
「いてて……ちょっと!何なんですか!?」
気が付くと、仰向けで道端に寝っ転がる僕に覆いかぶるように、女の子は倒れる。
黒く長い髪が僕の顔の上に垂れてきた。
「あ、すいません、人違いでした……」
「……あなた今、嘘つきました?」
「え、なんで?」
「目を見れば何となく分かります!」
女の子は凛とした鋭い目で僕を見る。
咄嗟に思いついた嘘で誤魔化したつもりだったんだが、なんかバレてしまった。
赤信号を僕と二人で待つ。なんだか気まずい
「あれ、もしかして詩織の彼氏さん?」
すると、女の子の方から声をかけてくれた。
「は、はい。そうですけど」
「やはりそうか!いつも詩織から話は聞いている!」
だ、誰だろう?詩織の友達だろうか?
「あの、詩織の友達ですか?」
「ああ、自己紹介がまだだったね。相生 瀬奈だ。詩織にはいつもお世話になっているよ。よろしくね」
「宮瀬 春樹です。よろしく」
ちょうどバスが来て、信号が青になった。相生さんも僕と同じく駅までバスだそうだ。
誰も乗っていないバスの一番後ろの席に2人、微妙な距離を作って座った。
「相生さんは、」
「瀬奈でいい」
「ああ、瀬奈ちゃんは、」
「『ちゃん』もいらない。性に合わないからな」
いきなり名前呼び捨ては緊張する
とりあえず、何か喋んなきゃ
「今日はどうして学校に?」
質問に答えるように、和柄の細長い布に包まれたものを、僕に見せた。
「今日は剣道部の様子を見に行ってたんだ。部活の先生に頼まれてね」
「へーそうなのか。自由登校なのに大変だね」
「別に大変ではないよ。今日は家の道場が休みでね、体を動かしていないと退屈だから」
「家の道場?」
「剣道場が家にあって、毎週日曜日に剣道を習いに来てる方に教えているの」
とても剣道をやってるとは思えないスタイルの良い体型をしている
意外とこういう人って強いんだろうな
今度は瀬奈の方から話しかけてくれた。
「詩織は相変わらず、桜を見ているのか?」
え?何のことだろう?僕は瀬奈に詳しく聞く。
「詩織は何だか桜が好きでね。高校の時、校庭にある桜の木の下で、昼休みや放課後を使って何かやってたんだよ。しかも桜が咲き終わっても夏になっても、ずっと続けててさ」
「え?何それ?」
「春樹くん本当に知らないのか?」
腕を組んで思い出してみたが分からない。
桜が好きなのは知っていたけど、そんなことしてたなんて全然知らなかった。なんか今さら新たな一面を知った。
「何してたんだろう?」
「でも、何だか詩織らしいよね。あの子、ちょっと変わったところあるから」
瀬奈はそう言って小さく笑った。
バスのアナウンスから、降りるバス停の名前が聞こえた。降車ボタンを押し、僕たちは駅前のバス停に降りた。
「私電車下りだけど、春樹くんは?」
「僕は上りだよ」
「あら、次の電車まで時間あるのね」
「ああ気にしないで、大丈夫だよ」
「分かった。詩織によろしくね」
そういって瀬奈と別れた。
駅のホームで電車を待っていたら、詩織からLINEが来ていた。
『ねえ、15日って暇?』
『暇だよ』と打ってから全部消した。手紙の内容を思い出す。
『ごめん、その日は会えない』と打ち直した。
これは詩織を守るため、運命を変えるため
そう自分に言い聞かせて、耳にイヤホンをした。
6.嵐の前の静けさ
瀬奈と別れた後、電車に乗ってその日は家に帰った。
家についてからLINEを見ると、詩織から返信が来ていた。
『そっかー、15日ダメか。詩織、寂しいのですよ(泣)何か用事でもあるの?』
もちろん用事なんてない。いつもなら、分かった!で終わりなのに、珍しく聞いてきたものだから返信に時間がかかってしまった。
『うん、ちょっと家の手伝いでね』
僕は既読がすぐに付かないように、返信してはスマホをすぐ閉じて、少し時間が当たったらまた返信して、を繰り返した。
『分かった!じゃあ、その次の日は?』
『ごめん、次の日もちょっと……』
『じゃあ、そのまた次の日は?』
『その日も……』
『またまた次の日は?』
『……ごめん』
詩織の返信と既読をする時間が、少しずつ早くなっている。あまりよろしくない感情が出てきている証拠だ。
『え?18日もダメなの?』
『本当ごめん!急な用事が入っちゃっててさ』
『ハルくん、何か私のこと避けてない?やっぱり変だよ。この前のご飯の時だって突然泣き出すし、そういえば泣いた理由も「必ず話すよ」といって結局教えてもらってないし、どうしちゃったの?』
もちろん話さずに済ませようとしたわけではない。一緒にご飯を食べに行った帰りのバスの中で、詩織に今、自分の周りで何が起きているのかを話しようとした。
でも、その時だけ口が動かなかった。言葉が出てこなかった。まるで誰かに口止めされているように、押さえつけられているように。
なんて返信しようかな
文字を打っては消してを繰り返していた。
あまり詩織と関わってはいけない。
別に全部本気にしている訳ではないけど、あの時の恐怖が体にこびりついていて、その恐怖が寄生虫のように僕の知らないことをしようとしている。
僕からの返信が遅くて痺れを切らしたのか、詩織から電話がかかってきた。
体が静かに驚いたのが分かった。電話に出ようとした。でも、僕は出ないという選択肢を選んでしまった。
着信音が鳴りやむまで、じっとこらえた。逃げるように、隠れるように、スマホの画面をただ眺めた。
そして、部屋が静かになる。
……何をやってんだ僕は
きっとこの感情を、自己嫌悪を言うのだろう
人の言いなりでこんなことをしている自分が、ただでさえ嫌いになる
例え詩織を守るためといっても、この時はただ、ただ自分が情けなくなった。
再び、着信があった。その柔らかな音色に、今度は体全体が跳ねるように衝撃が走った。
着信は、小花ちゃんからだった。
『あ、もしもし?春樹先輩ですか?』
電話に出ると、あの柔らかい声が聞こえた。焦る心臓が、少しずつ穏やかになる。
『もしもし、どうしたの?』
『いや、部室に忘れ物がありましてですね。隼人先輩に聞いたら、違うって言ってたんで春樹先輩かなと思って電話したんですけど』
忘れ物?なんだろう?
『そうだったのか、因みに忘れ物って何?』
『えーっとですね、なんかバッテリーみたいなものなんですよね』
バッテリー?ちょっと待てよ?
『小花ちゃん、それ何のバッテリーか分かる?』
『うーん、カメラのバッテリーかな?と思ったんですけど見たことない形してるので違うと思います』
多分それだ。アイツが言ってたの
『多分それ僕のだと思う』
『本当ですか?良かったですー!今から春樹先輩の家に届けに行きますね』
『え、今から!?いやわざわざいいよ!僕の方から行くよ』
『いえいえ、ちょうど春樹先輩のお店にも用事があるので大丈夫ですよ』
『あ、本当に?じゃあお願いしようかな?ご来店、お待ちしておりまーす』
『はーい、それではまたー』
そういって、電話を切った。
家の店の名前は「宮瀬写真館」主に、記念写真や地域の学校の卒アルの作成など、よくある町の写真屋だ。
詩織のことを少し忘れてきた頃、入店を知らせるドアベルが鳴り響いた。
店に出ている父さんと話をする小花ちゃんが見えた。
「春樹、小花ちゃんが来ているぞ」
小花ちゃんは僕の姿を見つけると、軽く会釈をした。
「ごめんね、わざわざ来てもらって」
「あ、いいんです!で、これなんですけど……」
小花ちゃんはリュックの中から、バッテリーらしきものを取り出した。
うん、確かに見たことないような形している
念のため、貰っておくことにした。
「ありがとね、小花ちゃん」
「いいんですよ!それより、それ何なんですか?」
「……知りたい?」
「……!」
わざとらしく怪しげに言う僕の言葉に、小花ちゃんは生唾を飲んだ。
「そうだ小花ちゃん!もし良かったら、上がっていきなさい」
ああ、また始まった
父さんは、すぐ人を家に入れたがる癖がある。
「あ、いえ大丈夫ですよ!お気遣いなく」
「いいからいいから!」
こうなると止まらない。こうして大体の人は家の中に入れられていく。
「あ、じゃあお邪魔します」
何かに負けたように、小花ちゃんは言う。
僕は溜息をつきながら話した。
「なんかごめんね、この後何も用事とかなければお茶でも飲んでって。そうしないと父さんがうるさいから」
「大丈夫ですよ。お邪魔します」
「春樹!」
父さんがどこか得意げな、鼻につくような表情で僕たちを呼び止めた。
「春樹、分かっているな……!」
「分かんねーよ!」
そういう事言われると、変に緊張するからやめてほしい。
足早に僕の部屋に行くことにした。
「失礼しまーす……」
どこか申し訳なさそうに、僕の部屋に入る。緊張しているのだろうか
「そんなにかしこまらなくても大丈夫だよ。くつろいで」
って言っている僕が全くくつろげていない。詩織じゃない女の子が自分の部屋にいると思うと、緊張する。
なんだかぎこちない空気の中、2人でお茶をすすりながら話をする。
「小花ちゃんは、就職と進学どっちにするの?」
「それがまだ決まってないんですよね、もうすぐ3年生になるのに。早く決めないとですよね」
「でも、僕は夏休み近くになってから進学って決めたから、そんなに焦らなくてもいいんじゃないか?」
「うーん、でも私って優柔不断なので今から悩まないと、いつまでたっても決まらさそうで」
口に手を当てて、小さく笑った。
可愛い。って思ってしまった。
次の瞬間、誰もいないはずのベランダから何か物音がが聞こえた。
「何でしょう?」
小花ちゃんが不安そうな声を出す。
僕にも、不安な気持ちが走る。
泥棒か?それとも鳥かなんかか?
恐る恐る窓を開けて確認したが、誰もいなかった。
その代わり、小石がベランダにいくつか落ちていた。
これは、もしかして……!
ベランダから家の前の道路を確認した。
「ハルくん!」
そこには、詩織の姿があった。
7.いつもの笑顔
「先輩、どうしたんですか?」
不安そうな声で、小花ちゃんは言う。
マズい
何がマズいのかというと、小花ちゃんは詩織のことを知っている。僕が部活中に彼女が出来たことを話したからだ。
しかし、詩織は小花ちゃんのことを知らない。と思う。
つまり、今、小花ちゃんと同じ部屋にいるこの状態を詩織が見たら、より大変な状況になるだろう。
その状況を回避するためには……!
「小花ちゃん」
「はい?」
「そこのクローゼットの中に隠れて!」
「……監禁、ですか?」
「違う!」
顔を少し赤く染めて、恥ずかしそうにうつむいている。
小花ちゃん、君は一体何と何を勘違いをしているんだ?
「とにかく入って!」
僕は小花ちゃんの手をとって、クローゼットの中に隠した。
「小花ちゃん!ちょっとそこに隠れててね!なるべく物音を立てないように」
「は、はい、分かりました」
「それから!」
「はい!?」
「この段ボール箱は絶対に開けないように!」
「りょ、了解です……」
そう言い残して、僕はクローゼットを閉めた。
詩織はいつも家に来ると、ほとんどの確立で僕の部屋に上がってくる。
前にも、油断していたら片づけていない部屋に入られてしまって、怒られたことがあったっけ
とにかく、部屋にあるお茶とか、小花ちゃんの靴とかを急いで隠して、玄関から詩織を迎えに行った。
「やあ、詩織」
ちょっとだけ、明るくふるまってみた。恐らく、ぎこちない笑顔になっていたと思う。
そんな僕の前に、スタスタと歩いてきた。
「とりあえず、中に入ってもいい?」
表情を一つ変えることなく、詩織は言う。
怒っている。よなぁ……
詩織は店の父さんに、一言挨拶をしてから僕の部屋に向う。
父さんは、それはそれは面白そうな事を見つけた少年のような顔を僕に見せつけてきた。
特に何も起きないから!僕はそう伝えるように、顔で訴えた。
僕の部屋で、さっきまで小花ちゃんが座っていた場所に詩織が座る。僕は向かい合うように座る。
クローゼットからかすかに物音がした。恐らく、詩織が来たことにビックリしているのだと思う。
ごめん!後でお詫びするから!
黙って僕のことを見つめながら、頬杖をついた。何かいう事あるでしょ?みたいな目で
まずは、謝れってことだよな?
「あの……電話を無視して、すいませんでした」
詩織はうんうん、と頷いて話をつづけた。
「あの、今日はどうして家まで?」
「はあ!?」
ドンと机を叩いて、詩織は蛙を睨むような目で見る。
「いや違う!詩織の家、僕の家まで来るとなると電車使わないと遠いとから、わざわざ電車使ってきたのかな?って思って、しかも電話してから家に来るまで随分早かったから……」
「今日はおばあちゃん家に泊まる日だから、たまたまこっちに居るの」
そう話してから、どこか優しい視線に変わった。
「ハルくんが電話とか無視できるほど度胸ないじゃん?だから電話に出なかった時、何があったんだろうと思って思わず来ちゃった……。」
息を吐くようにひどいことを言わないでほしい
「本当に心配してるんだから……。ちゃんと話して、じゃないと私……」
僕の心の奥を根こそぎ掴まれるような、そんな眼差しを僕に向ける。
テーブルにある僕の手に、手を重ねてくれた。いつもと変わらない、少しひんやりとした
――実は僕、未来から来た男と出会って
ダメだ。口が動かない。
「どうしたの?話聞いてる?」
その時。一瞬だけ、ほんの一瞬だけ
途切れたような感覚、といえばいいだろうか?
ある記憶を思い出させないように、その前の記憶と、後の記憶を無理やりくっつけられたような。ブツッとした感触を脳で感じた。
「じゃあハルくん、それじゃあまたね」
そうして、詩織は帰り支度をして帰ろうとする。
「え?ちょっと待って!帰るのか?」
「うん!今日はありがとね」
あまりに僕が話さないから、怒って帰ってしまうのだと思った。
「本当にごめん!俺が悪かった!でも、これには訳が……」
「もう、ハルくん何か悪いことしたの?」
いつもの笑顔を僕にむける。
怖いと思った。それは幽霊的なものでも、血の飛び交うホラー映画のようなものでもない。
きっと、今の僕は分からない恐怖に襲われているのだと思う。
分からない所で何かが進んでいて、でも君はその全部を知っている。
それが僕の心臓を、また焦らせる。
「送っていくよ」
「大丈夫だよ、そんなに時間かからないし」
そう言って、詩織は走り出した。少しだけ走り、振り返って、僕に大きく手を振った。
僕は小さく手を振って、詩織が帰るのをそのまま見送った。
一体何だったのか?
でも答えは出ている。きっとアイツの仕業に違いない。
部屋に戻り、クローゼットを開ける。
「せ、先輩……!」
小花ちゃんは涙目に顔を赤くしながら僕の方を見る。
その手元には、男の夢と浪漫にあふれた本などがあった。ただただ恥ずかしくて、穴があったら入りたい気持ちになった。変な意味ではなく
「……小花ちゃん」
「……はい」
「……箱開けちゃダメって言ったじゃない」
「開けちゃダメって言われたら、気になっちゃいますよ!詩織先輩がいながら春樹先輩ってば!もう!」
目を離したらどこかへ逃げ出してしまいそうなほど、恥ずかしそうな顔で言う。
ひとしきり、小花ちゃんのお説教をくらった後、僕は気になっていたことを尋ねた。
「小花ちゃん、僕と詩織との会話で変なことなかった?」
「……変なことですか?特にないと思いましたけど、会話は所々しか聞こえなかったですけど。確か、なんでか春樹先輩が謝ってて、その後……あれ?」
「どうしたの?」
「あれ?その後は何でしたっけ?すいません何か、記憶が抜け落ちちゃったみたいで、思い出せないです」
マジか……。小花ちゃんまで
あの時、一体何があったのだろうか
「分かった。ありがとうね」
「あぁ、何かすいません。では私、そろそろ帰ろうと思います」
小花ちゃんも見送って、家の中に入ろうとした。
でも、ひたすらに静寂に包まれた、風も鳥や車の鳴き声も、急になくなったこの町が僕を引き留めた。
一呼吸と少し、時間をかけて後ろを振り返るとアイツが立っていた。
「凌亮……」
「久しぶりだね、春樹くん」
8.電車はまだ来ない
「じゃあ、麺は400gで醤油汁なしで!春樹は?」
「僕も麺400gで、つけ麺でお願いします」
高校時代に隼人とよくいったラーメン屋。次郎系、っていうのだろうか?
店長らしき人は、注文を聞いた後雑に返事をして、厨房の奥へと消えていった。
愛想がよくないくせに、味だけは素晴らしいのがこの店の個性。というべきかもしれない。
テーブルも少し壊れた券売機も、思い出の写真のようにそのままの姿をしていた。
唯一変わったことがあるなら若い女性店員が一人増えた位だろうか。
「いやー、こうやってのんびり春樹といられるのも今月までなんだな!」
「そうだね、仕事はいつから?」
「一応4月1日だけど、確か研修が一週間位あった気がする」
「気がするってなんだよ」
相変わらず適当と言うか、なんと言うか
「そういえば小花ちゃんがいってたあの忘れ物って、結局何だったの?」
「え、まあ、ちょっとね」
何となく誤魔化してみたが、あまりにも不自然な気がした。
「しかし、今年は咲くのが去年より遅いよね?」
「何が?」
隼人は手元にある水に口をつけながら、話を変えてきた。
「いや、桜だよ。この前小花ちゃんと春樹に会いに学校へ行ったとき、まだ咲いてなかったじゃん?」
「まあ咲いてなかったけど、でも変わらないんじゃない?」
「だって去年咲いたのって3月の頭とかだったんだぜ?まだ場所によっては雪とか降ってるみたいだし……」
「え?そうなの?」
「みたいだぜ。普通4月に入ってから咲き始めるんだけど、なんかこの辺りって早いよね」
あまり気にしていなかったけど、言われてみればそんな気がした。
でも去年の3月はとても暖かくて、花粉症の友達がすごく困っていたのを思い出す。
厨房の店員を眺めていたら、カウンター越しに声が聞こえた。
「トッピングはどうしますか?」
あの女性店員が言う。バッチリのメイクをしているその姿は、外国人になりきったようだ。
「俺は、ヤサイアブラマシで!春樹は?」
「じゃあアブラマシと……辛揚げで」
はーい、と軽く返事をして厨房の奥へ消えていく。もうちょっと化粧薄い方が可愛いのに
「辛揚げってなんだよ?」
「なんかここに書いてあるよ。揚げ玉を辛くしたやつが入ってるんだって」
「なんじゃそりゃ、今度来た時やってみよー」
「お待たせしました……!ラーメンヤサイアブラマシのお客様……。」
若い女性店員は、どんぶりの重さにつぶされそうな声でカウンターに置いた。
じゃあお先に、と言って隼人は先に野菜の山に手を付けた。何でも、ラーメンは鮮度が命なんだとか。別に調理してあるから関係ないと思うが
「今さらだけどさ、珍しいね。春樹から今日誘ってくるなんて。何?なんか心境の変化?」
それ、流行っているのだろうか。小花ちゃんの気持ちが少し、分かった気がする。
「いや別に、久々にどうかなーと思って」
「そうか、なあ詩織ちゃんとどんな感じなの?」
「今?別にいつもと変わらないよ」
あの後は本当に何もかも、詩織はいつもと変わらなかった。LINEも特に変わらず返事が返ってくる。今も、なんてことない会話が続いている。
「お待たせしました……!つけ麺のお客様……。」
僕は麺をすすりながら、3日前のアイツとのやり取りを思い出した。
――文字通り、すべてが動きを止めたこの世界でまた、凌亮に出会った。
「ありがとうね春樹くん、バッテリー見つけてくれて。本当に助かった!どこにあったの?」
「……何をした?」
「え?」
「僕と小花ちゃんに、お前は一体何をしたんだ!?」
あまり、良い気がしなかった。例えば、自分の部屋に知らない人が入った形跡を見つけたとき気味の悪さ。それによく似ている。
僕はともかく、詩織や小花ちゃんに余計なこと、というか。その人の記憶をいじくって自分の都合のいい方向に進めていくそのやり方に、僕は疑問を持った。
「何をしたって言われても……。てか、それより次に、春樹くんにお願いしたいことが、」
「もう……」
「ん?」
「もう、いいよ」
僕は、怖くなった。詩織が事故にあうのは本当のことかもしれない。凌亮が未来から来たのも、きっと本当のことなのかもしれない。
でも、今は信じることができなかった。
受け入れられないという事ではないけど、それを素直に信じている自分自身でさえ、よく分からなくなってしまった。
「もういい、ってどういうことだい?」
「……そのままの意味だよ。僕の前に現れないでほしい」
ここ数日振り回されて生活していて、疲れてしまったのかもしれない。それよりも、分からない事が多すぎる凌亮に、不信感を抱いていた。
「それは、もう関わらないでほしい。ってことかい?」
僕はうなずいた。
「……!春樹くんはいいのかそれで!?事故にあう日まで一週間切っているんだぞ?助けたいと思わないのか!?」
「それって、本当のことなのか?」
凌亮は見た目に似合わないくらい慌てていた。
僕は話を続けた。
「もう、何が本当なのか分からないよ……」
「俺は、本当のことしか言っていない!」
「……何を考えているのかが分からない。だから怖い」
「今は話せないって言っただろう?これが片付いたら、必ず全部話すから。俺のことも、君が気になっていることも」
「なあ、凌亮。君は、」
凌亮の言っていることが全部、僕の中には入ってこなかった。
「君は、誰なんだ?」
一呼吸と少し、時間があった気がする。
凌亮は僕には聞こえないように、何かを喋った。そして消えた――。
ごちそうさまです!と言って、お店を出た。
「いやー食った!てか、春樹って意外と食べるのな。全然食べそうもない位、スタイリッシュな体つきくせに」
「褒めてんのかそれ?なんか麺類だと結構入ってくるんだよね」
2人でウーロン茶片手に駅に向かう。隼人は4月から仕事だから、会える日も減ってしまうだろう。楽しそうに喋る隼人の横で、僕は何だか寂しくなった。
僕とは反対方向のホームには、もう電車が来ているのが見えた。
「じゃあ、またな!」
隼人は駅の階段を2段抜かして、走っていった。
僕の家の方面の電車は、あと30分くらいあるのか
仕方ないから、コンビニに向かうことにした。
歩きながらスマホを確認した。するとLINEの、『新しい友だち』に見慣れない名前があった。
相生 瀬奈?ああ、この前の剣道の女の子だ。多分、詩織が連絡先を教えたのかな?
『突然ごめん!詩織と連絡が付かないんだけど、春樹くん何か知らないか?』
LINEの内容はこうだった。
詩織とはさっきまで連絡を取っていたから、多分寝ているのだろう。でも、詩織とのLINEは僕と隼人がラーメン屋に入る前までで、返信が帰ってきていない。
『多分寝ているんじゃないかな?』
『そう、なら良かった。ありがと』
僕が返信をすると、すぐに既読が付いた。
次の瞬間、電話の着信音が鳴り出した。父さんからだ。
また、体が小さく跳ねるように驚いたのが分かった。そろそろ着信音変えよう
『おお春樹か、今大丈夫か?』
『大丈夫だよ。どうした?』
『いや、今詩織ちゃん家の人から連絡があって、詩織ちゃんが突然、どこに行ったか分からないらしいんだ。今日は、詩織ちゃんとは一緒じゃないのか?』
ぐらりと、足元が不安定になったような気がした。嫌な予感がする。
『分かった。ちょっと僕からも連絡してみる。』
急いで詩織に電話を掛けた。電話に出たのは、留守番電話だった。
マジかよ……。
ストーカー?誘拐?それとも……
良くない言葉が頭の中をグルグル回る。
探しに行かなきゃ……!
電車はまだ来ない。冷たい風がホームの中を通っていく。
座っていられず、ホームの中をウロウロ歩きながら待つことしか出来なかった。
9.バカみたいに
3月15日、時計は21時を過ぎていた。
走るよりも電車の方が絶対早いはずなのに、さらに電車を急かしている自分がいる。
詩織の親によると、詩織の部屋に財布と電車の定期が置きっぱなしになっていたらしく、恐らくそう遠くには行っていないのでは?と、父さんから連絡が来た。警察の方にも連絡してあるそうだ。
このことを瀬奈にもLINEで連絡した。
『分かった!今すぐ探しに行く!』
『でも、夜遅く女の子一人では危ないと思うよ』
『大丈夫、一応竹刀持ち歩こうと思っているから』
それはそれで怖いな、って思った。
『それに私、詩織の家からすごく近いから、あそこら辺は庭みたいなものよ』
『そうだったのか、くれぐれも気を付けてください……!』
瀬奈から緊急時とは思えない、すごく可愛いクマさんのスタンプが送られてきた。人は見た目によらないんだな。って思ったら失礼かな?
瀬奈はLINEを続けた。
『何で詩織がいなくなったのか、春樹くんは何か知っているのか?』
『分からない、瀬奈は何か心当たりはあるの?』
『私にも分からない。こういう事は初めてだからさ、でもできる限り探してみるよ!それと……』
すごく頼もしい瀬奈に、僕はどこかホッとした。大丈夫、詩織はきっと見つかる。
『さっきのスタンプは私のミスです。ごめんね』
と言って、今度はうさみみ少女の「ごめんねっ」というスタンプが来た。
人は見た目によらないんだな。って思った。
以前から何度か詩織の家に行ってもいい?何度もお願いしていたが、詩織は。親にばれると恥ずかしいから……!と言って断られていた。そのためか、詩織の地元のことはまるで知らない。
詩織の家の最寄り駅に着く。ここの駅には、今日初めて降りた。
改札につまずきそうになりながら、僕は無我夢中で走り出す。
どこにいる……!?詩織が行きそうな場所……。
とにかくあてもなく暗い夜の街の中を、不安と共に走り続けた。
もうどのくらい探したのか分からない。普段の運動不足がここに来て感じさせられる。
僕は膝に手をついて立ち止まった。そして呼吸を整える。
その時、街頭の下を女の子がスマホを見ながら、歩いていた。
詩織?詩織なのか……!?
思わずその女の子の肩を掴んだ。でも、振り向いたのは違う人だった。
「あ、すいません……」
女の子は不審者から逃げるように、走って行ってしまった。
もう2時間くらい、走り回っていたから疲れていたのかもしれない。
夜のカランと静かな団地の中、着信音が鳴り響いた。
瀬奈からだった。
『春樹くん……!』
荒々しく息切れする音が、電話越しに聞こえた。
『瀬奈……詩織は見つかった?』
『ううん、まだ見つからないんだけど……』
『どうした?』
『いや、実は詩織からLINEが来てないか確認したら、既読が付いてたから……』
『ってことは……』
『詩織はまだ無事だ。という事でいいんだよね?』
どこか震えた声で、瀬奈は僕に聞いた。
その時だった。今、僕のいる道の遠くに見える交差点を、誰かが走っているのが見えた。
あの走り方は何度も見たことがある。詩織なのか……?
僕は追いかけた。足の痛みも、疲れも全部捨てて走った。一体、今の僕のどこにそんな体力があるのだろうか。
ようやく、その背中がはっきり見えるくらいまで追いついた。間違いない、詩織だ……!
何度も名前を叫んだ。でもまだ聞こえないみたいで、詩織は逃げるように走っていく。
あと少し、あと少しで追いつく……!
その時、詩織は急に左に曲がった。僕も同じように左に曲がった。
その先は少し大きな通りになっていた。車通りも少なくない。
そこを渡ろうとして、詩織は赤信号で膝に手を当てて止まっている。
「詩織!」
そう声をかけた途端、信号は青に変わり詩織は走り出す。
あの時と同じ、トラックは信号を無視して風を追い越す速度で、詩織を目掛けて走ってきた。
詩織は何も言わず、トラックを見つめながら立ち止まってしまった。僕の方には振り返らなかった。
そして、鈍く重い音がした。
遠くはねられる詩織は、まるで人じゃないみたいに飛んで行った。
見たこともない動きをしてアスファルトに叩きつけられ、転がっていく。
トラックは急に止まれなかったのか、気持ちの悪いブレーキ音を立てながら前に進んでいく。
前輪は詩織を踏みつけるように、体の上を乗りあげる。
そして、静かになった。
嫌な風が吹いた。内心、嘘なんじゃないかと思っていた。嘘であってほしいと願っていた。そんな僕を蝕んでいた悪夢は、目の前で起きた。
気づけば右手を伸ばしていた。何の役にも立たないくせに
そしてアスファルトへ崩れ落ちる。何もしていないくせに
泣いた。泣きわめいた。白くてきれいな紙を鉛筆でぐちゃぐちゃに塗りつぶすように、その紙をありったけの力で丸めて、投げつけて、踏んづけて、噛み千切って、粉々に破るように泣いた。何も守れなかったくせに
アスファルトを殴り続ける。全然痛くなかった。本当は痛いくせに
頭を叩きつける。バカみたいに
初めて出来た彼女だった。一生をかけて大事にしたいと思っている。別に敵がいるわけではないけど、守ってあげたい。とか思った。僕が幸せにしてあげられる自信はないけど、僕が幸せになれる自信はあった。
救うことが、できなかった。
気が付くと、周りにいた野次馬たちはふと、どこかへと消える。
トラックの運転席から誰かが降りてきて、僕のところまでゆっくり歩いてきた。
僕は顔を上げる。驚きはしなかった。
「凌亮……」
「ごめん、やっぱり全部は無理だけど、答えられる範囲で話してあげる」
10.本当の姿
凌亮は僕のもとへしゃがみ込み、話を続けた。
「単刀直入に言うと、あの日君に見せた夢は事故じゃない。僕が勝手に作った映像を見せただけだ。詩織は意図的に殺された。そして、その犯人は俺だ」
殺す……!殺してやる!!
僕の血液が沸騰した。煮えたぎる感情を脳で感じた。
衝動的に僕の体は凌亮のもとへ飛び掛かる。しかし、凌亮は急に目の前にいなくなった。
「……あれ?」
「後ろだよ?春樹くん」
全身が痺れるような感覚を首元から感じて、アスファルトに体を叩きつけるようにその場で倒れた。
くそ......!力が入らない......
すぐに立ち上がろうとするが、体がいう事を聞かない。
凌亮は白いガードレールに寄りかかり、話を続ける。僕の視界からは凌亮の表情は見えず、足元だけが見える。
「そして、俺の正体は研究員だ。植物の研究をしている。未来では環境のせいで、植物の種類や数が極端に減ってしまっている。その植物たちを守るための開発、研究をしている」
凌亮の奥に少しだけ傾いたトラックが見えそうになって、目を逸らした。
「俺はそこで絶滅してしまった植物を再び蘇らせる研究チームのリーダーをやっていた。ちなみに詩織も同じ研究所で働いて、同じ研究チームでもあった。とても気配りの出来る俺の後輩だ。」
詩織が、未来では研究者……?で、凌亮と詩織は同じ研究所で働いていて……。意外なことを知らされて驚きを隠せなかった。
全身に力が入らない。ありったけの力を込めたが、体はだらりとしたままだった。痺れは頭までまわり、話が頭に入ってこない。
「しかし、詩織は次々と世に認められるような結果を出し続けた……!俺より良い大学を出てるわけでもないのに、経験も知識も俺の方が上なのに!そしてついに、チームリーダーは詩織へと交代することになった」
凌亮は落ち着いた声色で話そうとしているが、どこか声が震えているような気がした。
「おかしいと思わないか……?俺は誰よりも人一倍頑張ってきたんだ!今まで俺を見下す奴が頭を下げるくらい頑張ってきたんだ!それなのに、この女は俺の努力を無駄にしやがって……!称えられるべきなのは俺なのに!!」
怒っているというよりも、悔しいというよりも、寂しそうだった。
「俺はこの女が憎かった……!助けるためなんかじゃない。俺はこの手で詩織を殺すためにいろいろ手を出した。それなのに……!それなのにお前は何度も何度も俺の邪魔ばっかりしやがって!!!」
僕の体を蹴飛ばした。とても重く鈍い痛みが走った。
「今日だってそうだ。予定では3月18日、この日に決行しようと思ったんだけど予定変更させてもらったよ。この女も余計なことしやがって……!」
「……ふざ…けんな……」
「……あ?」
少しだけ痺れが取れた口を、これでもかと必死に動かした。
「……殺す。凌亮……お前…だけは……絶対に」
「……。」
僕の口を塞ぐように、もう二度と喋らないように、凌亮は何度も僕を蹴る。
靴の裏の感触を、腹と頭で感じる。
抵抗できない僕を見る目は、空き缶を見る目と同じようだった。
ごめん、詩織。
こんな奴の前で何も出来ない自分さえ憎い。僕がもっと強い人間だったら、こんな事にはならなかったのだろうか。僕じゃない他の誰かだったら、詩織を守れたのだろうか。
口から血の味がした。同時に塩辛い味もした。
「……二度と俺にそういう口を聞くな」
気が済んだのか、いきなり蹴るのをやめた。そして、肩で息をしながら道端に唾を吐いて僕に背を向けて歩き出した。
「……待…て……」
息をするのがやっとだった。もう汗なのか、涙なのか分からないものが顔を横切る。
すると、凌亮は僕の方にくるりと振り返った。
「そうだ、きっと春樹くんは詩織がいなくなって寂しいだろうから、記憶を書き換えて俺のことも、詩織のこともいなかったことにしてあげるよ。ついでにここ一週間の出来事もなかったことにしてあげる。じゃあね春樹くん、さようなら」
次の瞬間、視界が頭が真っ白になった。意識が遠のいていくの感じた。
詩織、ごめん。何も出来なかった……
意識の奥の奥で、そう呟いて僕は眠ってしまった。
――気が付くと僕は、夜の大通りの横で寝ころんでいた。
ここは、どこだ?
あたりを見渡したが、全然知らない場所だった。今なぜ自分がここにいるのか、まるで分からずしばらく固まってしまった。
もっと分からないのは首の後ろが腫れていることと、体全体が殴られたように痛いということだ。
「あの……大丈夫ですか?」
ふと、後ろから声が聞こえた。
振り返ると、知らない女の子が心配そうに僕に声をかけてきた。
和柄の細長い布に包まれたものを背中にかけていて、黒く長い髪が印象的だった。
「あら大変!けがしているじゃない!私の家、ここの近くなの。手当てしてあげるから来なさい」
「……いや、大丈夫ですよ。気にしないでください」
その時、ぽつりと顔に雨粒が当たった。それは少しずつ強くなっていった。
「ほら早く!」
僕は女の子に無理やり手を引かれ、連れていかれてしまった。
11.かくれんぼ
雨は次第に強くなっていった。僕の手を引いて走る女の子の黒髪が、街灯に照らされるたび、少しずつ艶を増していくのが分かった。
僕の体は自分が思っているよりも重く、何度かつまずきそうになりながら後を付いていく。
走って5分もしないうちに、女の子は立ち止まった。目の前には木造の立派な両開きの門が構えていた。
「さあ、ついたわよ。早く中に入りましょ」
「……ちょっと、待って」
こう、道端に倒れていた人なんだから、自分で言うのもなんだけど歩くとか、休ませてくれてもいいものを……。うっ、ダメだ吐き気が……!
「まったく、運動不足じゃないのか? 風邪ひくから早く中に入るよ」
昔からあるような表札には「相生」と書かれていた。文字がかすれていて、いい雰囲気を出している。
「いや、でもいきなり知らない人の家に上がるのは申し訳ないし、けがも大したことないのでここまでしてもらわなくても……」
「あら?私は知っているわよ?写真部の副部長さんでしょ?」
「なんでそれを……」
「なんか、全国写真コンクール?かなんかで体育館で表彰されてたじゃない」
そうか、まさか同じ高校だったとは……。話を聞くと隣のクラスの同級生だったし、世間は狭いというかなんというか……。
「うん、でもうちの人が心配するといけないから」
「あら、そう?でもここから家近いの?」
その言葉にハッとした。ここは……?
「そういえば、ここってどこだろ?」
「え?どこって、ここは……」
それを聞いて僕は驚いた。一度も来たことのない町じゃないか!どうして僕がこんなところに?
その時、知っているようで知らない男が頭を横切った、ような気がした。
よく分からないけど、嫌な感じがした。
木造の門が、ギシギシと音を立てながら開いた。中には黒いスーツを着た男が僕たちに傘をさしてくれた。
「お嬢様、お帰りなさいませ。そちらの方は?」
「ただいま、さっき道端で倒れていたから連れてきたの。所々に傷もあるし手当てしたいなと思って……、お風呂の準備をお願いしても良いかな?」
男は僕のほうを見て軽く会釈をした。僕も後に続くように会釈をした。
「分かりました。それでは中へどうぞ」
今は3月16日、午前1時半になろうとしていた。電車もないし、タクシーを呼ぶ金もない。それにあまりに帰ろうとするのは、それはそれで失礼な気がする。
案内されるがまま、お邪魔することにした。
――ここは、どこだ?
まるで迷路だ。お風呂というべきか、温泉というべきか、20人は一気に入れそうな大浴場がインパクトがありすぎて帰り道を忘れてしまった。っていうか、玄関からお風呂場まで歩いて1~2分かかるとか、何が楽しくて広くしているのだろうか?そもそも自宅のお風呂なのに男湯と女湯で分ける必要があるのだろうか……?
いや、もうどこからツッコみを入れていいのやら
「おや?君、何してるの?」
振り向くと、さっきの女の子がお風呂から上がって部屋に戻る途中だろうか、ラフな格好で立っていた。
……少しだけ、目のやり場に困った。
「いや、ちょっと帰り道がわからなくて」
「そうか、分かった。着いてきて」
木造の廊下の、ヒタリとした冷たさが心地よい。
先に話をしたのは、女の子のほうだった。
「そうだ、自己紹介してなかったね。私は相生 瀬奈だ。瀬奈って呼んで」
「僕は、宮瀬 春樹」
「春樹くんか、よろしく」
どこか凛としていて、やさしい雰囲気を感じた。瀬奈ちゃんはそのまま話を続ける。
「なんであんな所に倒れてたの?」
「分からない」
「分からないの?」
「分からないっていうか、記憶がないっていうか」
「そう、頭を強く打っちゃったのかな?」
何であそこに倒れていたのか、自分でもわからなかった。まるで記憶を抜き取られてしまったかのように
それに、ここ最近の記憶も思い出せない。何か、大事な記憶のような気がする。
少し歩くと、突然瀬奈ちゃんは部屋の前で止まった。
「さあ、入って」
「え、でもここって」
「……? 私の部屋だけど」
ちょっと待ってくれ、まさかこんなタイミングで女の子の部屋に入れることになるとは……!顔がニヤけるのを必死で抑える。
「ちょっと、今変なこと考えてたでしょ!?」
瀬奈ちゃんは鋭い目つきに変わった。
「いや、別にそんなことは!」
「嘘!目を見たら分かるわよ!顔もニヤけてるし」
咄嗟に顔を隠した。しかし、触ってわかるくらい口角が上がってて、途端に恥ずかしくなった。
「そんな人には、罰を与えないとね……!」
そう言って、僕を部屋に押し込み、怪しげな笑顔をこちらに向けながらゆっくりと歩いてきた。
待って!何をする気だ!? 誰か……誰か助けて!
「いっったい!!」
傷口に消毒液が刺さるようにしみる。
「もう、あんまり動かないでよ」
「瀬奈ちゃんもういいよ?あとは自分でやるから」
「まあまあ、遠慮なさらずに。それに、ちゃんと消毒しないと膿が出来ちゃうよ?」
垂れるほどの消毒液を含ませた脱脂綿を、こちらに向けるその姿はまさに鬼、そう鬼のようだった。
「あと、『ちゃん付け』しなくていい。性に合わないからな」
「瀬奈、でいいのか?」
瀬奈ちゃ……、瀬奈は黙ってうなずいた。なんかいきなり呼び捨ては恥ずかしいな
「とりあえず、今日は泊まってたら?いろいろ聞きたいこともあるし」
「良いの?」
「うん、隣の部屋が開いてるから好きに使っていいよ」
なんかよく分かんない緊張が走る。まあ、それは置いといて
一つ、さっきから気になっていた事を聞いてみる。
「瀬奈、この僕の隣に映っている子知っているか?」
僕は自分のスマホの画面を見せた。待ち受け画面には、僕と、隣に知らない女の子が2ショットで映っている。
「あら、かわいい子じゃない!彼女?」
「いや、分からないんだ。顔も見たことはないし、写真を撮った覚えはない」
「でも、私たちの高校の制服を着ているから、少なくとも関わった事があるはずだと思うけど……」
写真?同じ高校?もしかしたら……!
「瀬奈!卒アルちょっと見せてくれないか?」
「卒アル?待ってね、確かあそこに」
急いでページをめくって、クラスの写真を確認した。すると僕の隣のクラス、瀬奈と同じページにしっかりと待ち受けの女の子は映っていた。
「 楪 詩織ちゃんか……。こんなかわいい子、クラスにいたら絶対目立つはずなのに何で私分からなかったんだろ?」
名前を確認出来たら思い出せるかな?と思ったけど、全然思い出せない。何だかすごくモヤモヤする。
僕が待ち受けにするほどの存在、同じクラスのはずなのに名前も顔も知らないクラスメイト、楪 詩織
すごく気になる所は色々あるが、あれ?もしかして……?
その時、LINEの通知音が鳴った。何気なく確認をした。
これは……!
「どうしたの春樹くん?」
驚いている僕に、瀬奈が僕のスマホを覗き込んだ。
「これって……」
LINEの画面を見て、僕たちは息をのんだ。
『私を、探して』
この一言だけ送られてきた。あの、詩織さんからだった。
「……ちょっとただ事ではなさそうね」
瀬奈と目を合わせた。
一体、この子は何者なのか?
僕たちは、真相を確かめることにした。
12.嘘じゃないよ
3月16日、午前6時
「いつまで寝てるの!?早く起きて!」
眠気で重く固まった瞼を開くと、枕元に瀬奈が立っていた。
「あれ、『朝ご飯はちょっと遅めに9時くらいにしましょう』って言ってなかったっけ?」
「だからってなんで携帯の目覚ましを8時半にしてるわけ?休みだからってだらけすぎ。ほら!起きて!ちょっと練習に付き合ってよ」
「練習?何の?」
目を何度もこすっているうちに瞼がほぐれて、さっきよりも開くようになってきた。瀬奈は長い髪を白いリボンで一本に束ねていて、朝日に照らされながら頭の動きに一歩遅れてなびいた。
「何って、決まってるじゃない!」
そう言って、僕を猫のように首の後ろの服を掴み、僕を引きずってどこかへと連れられていく。
待って!何をする気だ!? 誰か……誰か助けて!
「いっった……くない?」
瀬奈の気迫のある声と、素早い動きをする竹刀に圧倒され思わずよろけ、倒れてしまった。
「ちょっと!大丈夫!?」
「『大丈夫!?』じゃないよ!一応、僕怪我人なんですけど!」
「何よ!そのくらいの怪我、私なんてしょっちゅうだけど!?」
こんな頑丈な防具をつけてて、全身傷だらけになんてならないと思うが……?
剣道場の、もう何十年と使われ続けてきてきたような木造の床は、しっかりと木の感触が足の裏にしっかりと伝わってくると同時に、どこか丸く馴染んでいくのを感じた。
「にしても、剣道の『面』ってめっちゃ痛いイメージがあったけど、思ったより痛くないね」
「だって私、全然本気出してないもの。それに、竹刀を力任せに振り回す人は相手に痛い思いをさせちゃうの。私と違ってね」
防具をかぶっているから表情は分からないけど、その声色から自慢げな表情をしていることは分かった。
「さて、そろそろ時間だし朝ご飯にしましょうか」
掛け時計を見ると8時半近くになっていた。およそ2時間半弱、動きっぱなしでも平気な顔をしている瀬奈を、一瞬「化け物」なんじゃないかって思った。こんな事目の前で言ったら、その竹刀で首を掻っ切られると思うけど……。
「ねえ春樹くん、ご飯食べたらさ高校に行ってみない?もしかしたらさ、詩織ちゃん?だっけ?あの子の情報がもしかしたらあると思うの」
「もちろん良いし、ありがたいんだけど……どうして瀬奈は、詩織さんのことをが気になるの?瀬奈には全く関係のない人かもしれないのに」
少し間を開けて、瀬奈が口を開いた。
「私のスマホにも、あの子の写真があったの」
空気の波をも止めるような、しんとした声が静かに、静かに響いた。
「春樹くんが寝た後に私もスマホを確認してみたの、そしたら詩織ちゃんと私の写真があったのよ。だからきっと私にも関係があるはずなのよ。そんな大切な友達が『探して』って言ってるのよ?探すに決まってるでしょ?」
大切な友達、か
そんな本当かどうか分からない、友達であろう人の言葉を信じて守ろうとする瀬奈を、心のどこかで凄いなって思った。
いつか自分も、そんな人になりたい。道に誰かが倒れてたり、どこかで助けを求めてる人がいたら、ちゃんと手を差し出せる人自分に
僕が瀬奈の立場だったら、同じような事が出てきただろうか。そんな事、全然分からないけど、多分、今の僕の気持ちはきっと――。
「……僕もそう思う」
瀬奈と僕の目があった。お互いの目が磁石になって、くっついたように。
いつかの僕が大切にしてきた人で、いつかの詩織さんが僕と関わってくれていた事。スマホの待ち受けのように僕の隣で笑っていた事。そして僕に助けを求めるようにLINEを送ってきた事。
それが全部、嘘でも夢でも幻でもないなら、僕はその声に答えたい。詩織さんの声のする方へ、少しでも近づきたい。
「今度は、嘘じゃないのね」
頭に巻いていた面タオルというものをほどきながら、瀬奈は柔らかく笑った。
「え、僕がいつ嘘をついたの?」
「あなた結構ごまかす癖あるじゃない?そんなこと続けてたら、詩織ちゃんに愛想尽かされるよ」
「愛想尽かされるって……、まだ彼女と決まったわけじゃ……!」
「あら?誰も彼女なんて言ってないけど?」
自分で口を滑らせたことが分かるくらいに顔が熱くなっていく。しかし、その後に続くように口が滑っていく。
「あ!それと……」
再び、瀬奈と目があった。でも何だか恥ずかしくなって僕のほうから視線を逸らした。
「……昨日は、助けてくれてありがとう」
言うつもりじゃなっかたのに……。でもちゃんと伝えたかった。
普通は道で倒れた男を見たら、大体の人は心の中で「可愛そう」と、一言思いついて素通りするだけだ。いや、もしくは何も見ずに何も感じないように足早に去っていくだろう。まるで道路で息絶えた猫を見たときのように。でも、瀬奈は違った。そんな僕に声をかけた。
「ううん、気にしないで。私が自分で決めてやってる事だから」
くるん、と文字通り、瀬奈は僕に背をむけた。今度は嬉しそうな声色がした。
時間はもう9時近く。慣れない手つきで防具を外して、着替えを済ませた。
詩織さんの情報を探し求め、僕たちは高校へ来た。
「楪 詩織さん?いや、知らないねぇ」
元3年2組の担任の中村先生はそう言ってお茶をすすった。ちょっと高そうな、渋くて黒っぽい湯呑みを机に置いた。
「いや、でも……じゃあこの卒アルの子は一体誰なんですか?」
瀬奈はそう言って卒アルを見せた。3年2組の沢山の笑顔の中でも、ひと際目立つようなその笑った顔を見て、先生は目を丸くした。
「え?あれ?本当だ……。担任の私が知らないはずは……あ、ちょっと西田先生!お聞きしたいことが」
その隣の席の先生にも見てもらったが、同じような反応に同じような答えが返ってきただけだった。
詩織さんを探す手掛かりになればと思い、住所とかも調べてもらったが、そういう類のものはまるで誰かに消されたように無くなっていた。
「もしかしたら、幽霊かもしれませんね」
途端、中村先生は湯呑みに口をつけながら大胆にむせた。ゴフッ!という音とともにお茶がこぼれた。
「ににに西田先生!なな何をおっしゃっているのですか!ゆゆゆゆゆゆ幽霊なんて……」
こぼれたお茶を拭く中村先生と僕らを眺めるように、西田先生は猫耳のついている、黒猫のデザインの可愛らしいマグカップでコーヒーをすすりながら話を続けた。
「幽霊ですよ、きっと。この学校、出るって噂よく聞くんです。中村先生はご存知ないのですか?」
「い、いやいや、幽霊にしてははっきりと出すぎではありませんか?」
西田先生はニヤリとしていた。そう言う怖い話が好きなのか、それとも中村先生の反応を面白がっているのか。
確かに、この学校に幽霊が出る噂は僕も聞いたことがある。以前、隼人が写真部の部室の近くにある空き教室で、そのような影を見たことがあるって騒いでいた時を思い出した。でも、その時は男の人の影だったって言ってたような……。
「と、とにかく話は分かった……!何か分かったら連絡します。春樹くん達も何か分かったら教えてください。では、私たちはそろそろ授業に行かないと行けないので」と、中村先生は授業の準備を始めた。
幽霊か……。
もしかしたらそうかもしれない。と思ってしまう程の彼女の存在は掴みづらく、見えなかった。
「失礼しました」
しばらくぶりの職員室を後にした。廊下には体育館に向かう一年生が僕たちを、何故ここにいるのか。みたいな目でチラリと見た。確かにこの時間に私服で廊下をうろついていたら不思議に思うだろう。
そんな事は知らず、瀬奈は腕を組み、一つ大きく息を吐いた。
「どうする?他に何か手掛かりがありそうな場所とか、心当たりは?」
「一応、まだ心当たりがある」
あまり有力なことは得られないと思うけど、確認してみる価値はあると思う。
僕たちは次の場所へ向かった。
13.探し物が見つかるおまじない
次の場所、と言ってもあまり期待は出来ない。
「……要するに、春樹くんと私のスマホに入っている詩織ちゃんとの写真の背景から、その場所を見つけて、その辺りを探してみようと言うわけね」
スマホの「アルバム」の中にある詩織さんが映っている写真。これが今のところの唯一の手掛かりだ。学校帰りの帰り道にあるラーメン屋の写真や、近くのアウトレットに行った時の写真。その他にも沢山の場所に行っていることが分かる。
「行ったお店の店員とかに聞き込みをしてみれば、何か分かるかも知れない……と思うんだけど」
何だか自信が無くなってきた。卒アルを見る限り、詩織さんの担任の先生でさえ分からなかったのだから。……もっとも、詩織さんと同じクラスの瀬奈が分からない時点で察するべきなのだけれど
そうこうしているうちに体操服を着た、残りの一年生たちがぞろぞろと廊下を歩いてきた。瀬奈も一年生に不思議そうにみられてるのが分かったみたいで、ほんのちょっとだけ気まずそうな表情が見えた。
「と、とにかく行ってみよう」
どっちみち学校から駅まで距離があるし、帰り道がてらお店の人に聞き込みをしてみることにした。
まあ、案の定ちゃんとした情報は手に入らなかったけど
「ここもダメか……、よし!気を取り直して隣の店に」
「……何言ってるの、ここの隣は居酒屋よ」
そういわれて気が付いた。今何時だ?
時計を見なくてもわかるくらい、空の色はオレンジ色に染まっていた。思わずヤケになって探し回ってしまった。瀬奈もさすがに疲れた表情になっていた。
「あ、ごめん……今日は振り回しちゃって、疲れたでしょ?」
瀬奈は質問には答えずに、一度結んでいた髪を疲れを払うようにほどいてもう一度縛りなおした。
「じゃあ、今日は一旦終わりにしよ」
「ねえ、春樹くんの家は?手掛かりないの?」
「え、僕の家?」
灯台下暗し。というのだろうか?確かに一番有力なところかもしれない。何故気が付かなかったんだ。
「私も、もう一度自分の家調べてみるからさ。何か見つかったら、明日春樹くんの家に集合ね」
「良いけど、何で僕の家?」
「明日は私ん家、お客さんが来る日なのよ。一人ひとり挨拶回りするの、面倒だし」
「だから、僕の家に逃げ込んでくるって訳ね」
「春樹くん、明日どうせ暇でしょ?それにちゃんとした理由で家を抜け出せるし、一石二鳥って感じ?」
瀬奈がちょっとだけ得意げにウィンクをした。瀬奈はクールなイメージだったから、こういう事をするように見えなかったから、ちょっと意外だった。
「さて、とりあえず今日は帰りましょ。送っていくよ」
瀬奈はどこか遠くのほうへ手で軽く合図を送った。そして間もなく、黒塗りの高級車が僕たちの前に滑り込んできた。
「……やっぱ、相生家ってすごいんだな」
「私は何もすごくないけどね」
広い車内の端っこ、僕は小さく座って外を眺めた。夕日に照らされながら、少し早めの桜の下を走っていく。オレンジ色の桜は、どこかノスタルジックを感じさせた。
30分とちょっとかかって、僕の家に着いた。
「じゃあ、またね春樹くん。また明日ね、ちゃんと探しておいてね」
「やっぱり来るのね、分かったよ」
「ああ!ちょっとまって」
じゃあね、と背を向ける僕を引き留めた。
「私のおばあちゃんから聞いた、探し物を探すコツを教えてあげる」
「そんなのあるのか」
「ちゃんとあるのよ?いい?私たちって、意外と探し物のある場所の手前しか探していない事が多いのよ。だからちゃんと隅々まで探すこと。それと、」
「それと?」
瀬奈が少しだけ微笑んだ。こんな優しい表情もするんだな
「探しもののことをちゃんと思い浮かべながら探すこと。名前を心の中で繰り返したり、口に出して探していると見つかることが多いのよ。それだけ、じゃあね」
そう手を振って、瀬奈は言ってしまった。
風が冷たくなってきた。僕は足早に家の中へ入った。
玄関を上がるなり、父さんは僕の姿をみて驚いた。
「お、おい!なんだよその傷!どうした!?」
「声が大きいよ、うるさい」
「父さんに向かってうるさいとはなんだ!?転んだのか?」
「そう、転んだの。でついでに泊めてもらったの」
「泊めてもらったのか?誰に?隼人か?」
「違うよ、瀬奈っていう隣のクラスの女の子に……、あっ」
しまった。
「春樹、その話詳しく!!」
「うるさい!!!」
部屋のドアを勢いよく閉めた。ドアに鈍くぶつけるような音がした。
いや、こんなことをしている場合ではない。
瀬奈の言う通り、部屋を探し回ってみた。机の上、ベットの周り、しばらく開けていない引き出しとか
念のため、クローゼットの中の段ボールまで調べた。もちろん、何もなかった。
詩織さん、詩織さん、詩織さん、詩織さん……
見つかりそうにない。口に出して探してみた。
「詩織さん、詩織さん、詩織さん、詩織さん……」
その他気になるところは探したが、全然手掛かりになるものはなかった。一日中探してばっかで、体も精神的にも疲れた。
僕は部屋の真ん中で横になった。ずっと丸めていた背中がグッと伸びて心地よかった。
ふともう一度、携帯の待ち受けを見ると僕と詩織さんが二人で並んでいた。写真はちゃんと手の中にあるのに、その存在は遠く、遠く感じた。
「……なあ、どこにいるんだよ」
僕の声が部屋に寂しく反響した。正直もう、思いつくところがない。あとどこを探せばいいのか……。
なんか、こう探し物の方から分かりやすいようにサインとかだしてくれないかなぁ。光とか音とかで
そう、思ったその時だった。
『ハルくん!』
「うぉ!?……あ、痛い……!何?」
仰向けに寝て、腕を上に上げるような姿勢でスマホを見てたから、顔の上にスマホが落ちてきた。
部屋のどこからか、声が聞こえた。気がする。
気のせいか、と思い寝返りをうった。すると、視界の先に何か気になるものがあった。
なんだ?あれ
ベットの下だ。基本、ベットの下には何も置いていないからすぐに分かった。黒い……四角い箱のようなものだった。
手を伸ばして手にとった。思っていたよりも軽かった。でも何かの機械のようで、いろいろ触ってみた。
すると、近未来のように、僕の周りに空中にディスプレイのようなものが沢山出てきた。
『確認:平成29年、3月17日20時17分 本人アカウント、ライセンスを確認しています』
『注意:有効なライセンスが見つかりません。本体へライセンスのアクティベートを行ってください。(甲種タイムマシン操縦士一級、Stimecuba3.1.15システムエンジニア一級、TSOスペシャリスト準二級)』
な、なんだこれは……?
何も触っていないのに、画面が勝手に操作されていく。
『認証:宮瀬 春樹 オーナーの権限により使用を許可されました。オペレーターに接続:確認』
『予定:平成29年3月17日20時20分00秒00より、タイムリープ実行』
『警告!:めまいや吐き気、手足のしびれを感じた際は直ちに中止してください。また、端末から強い光が発生することがあります。直視すると失明の恐れがあります。』
その黒い箱は、僕を球体のガラスのようなもので覆うように閉じ込めた。
本来なら、いきなりのことでパニックになるだろう。が、僕は意外と落ち着いていた。
「これって……」
オーナーって、この機械の持ち主ってことだよな?だとしたらこれは……!?
その名前を探していた。探し物が見つかった。
もしかしたら、この人の謎が解けるかもしれない。会えるかもしれない!
実際に会ってみたい。その気持ちのほうが強かった。
『準備完了:タイムリープ実行、よい旅を!』
次の瞬間、強い光とすさまじい衝撃や音の中に放り込まれた。僕は少しずつ意識を失っていった。
白く、透明な桜色。