『闇のレミニセンス』

 樹枝が風にさやぐ音がした。窓の外には、瞼の裏の暗闇と区別のつかない夜の闇が広がっているのだろう。美佳は二度と醒めることのない眠りにつこうとしていた。運転席でレイさんが寝返りを打った。後部シートにはアヤちやんとMAHOさんがいる。当初、参加者は五人の予定だった。ところが、決行日時も場所も決まってから、一人が降りてしまった。急遽役割分担を変更して、今日の日を迎えたのである。練炭の火が熾ってきて、軀が汗ばんできたように思える。もうすぐ死のうという人間が感覚機能を働かせている。それが美佳には不思議だった。
 睡眠導入剤は即効性なので、七、八分で意識がなくなるはずだ。そして、一時間ほどで練炭の一酸化炭素が車内に充満して、呼吸が停止する。そのとき世界もとまるのだ。ここはG県にある自然公園からさらに山道をはいったところである。市街地からは二十キロ以上離れている。
 不意に美佳の脳裏に建山の顔が浮かんできた。もっとも思い出したくない顔である。美佳が死を思い詰めた原因の一つは建山との関係の破綻である。というか、手ひどい裏切りを受けたのだ。建山とは美佳の親友、有実の紹介で知り合った。有実とは幼稚園以来の付き合いである。高校まではずっと同じ学校だったが、大学は有実が他県の短大、美佳が地元四年制大学と分かれた。短大卒業後、有実は地元に戻って就職したので、再び一緒に遊ぶようになった。有美は恋人のいない美佳のために三対三の合コンをセットしてくれた。建山は合コンメンバーの一人だった。有実は建山を会社の有望株として紹介した。建山は長身で筋肉質の軀をスーツに包んでいた。二人は付き合いはじめた。
 五か月間、交際は順調に進んだ。当時美佳は大学四年であり、マスコミ関係への就職を目指していた。新聞社、テレビ局と十社近く受験したが、ことごとく不合格だった。そんな美佳にとどめを刺したのが建山の背信だった。
 ゼミの懇親会で行った居酒屋で、美佳は有美と建山が二人で飲んでいるのを見かけた。もともと同僚だし、たまたまかと思いながらも、美佳は隙を見て建山の携帯電話をチェックした。建山は有実と頻繁にメールのやりとりをしていた。しかも、その内容は親密な関係を窺わせるものだった。有実には付き合っていた恋人がいたが、別れたと聞いていた。しかし、よりによって建山を後釜にしているとは予想もつかないことだった。美佳は建山に問い糾した。建山は言を左右にして認めようとしなかった。やむなく美佳は有実と会った。有実はあっさりと白状した。悪びれた様子はこれっぽちもなかった。それからは修羅場だった。結局、美佳は恋人だけでなく、親友をも失ってしまった。美佳は拒食症になつた。大学にも行けなくなり、部屋を真っ暗にして閉じこもる日々が続いた。
 あの頃の地獄の日々が思い出され、いくつかの場面が鮮明に甦った。ところが、母親の顔を思い浮かべようとしたが、像が結ばなかった。何度か試みたが、父親や祖母の顔はでてくるのに、肝心の母親は駄目だった。そんなことをしているうちに、パソコンに残してきたメモが気になった。表現の不適切な部分があり、誤解を与えるかもしれないと思った。娘の死だけで母親は打撃を受けるはずなのに、娘の最後の言葉が追い打ちをかけるかもしれない……。
 いつしか考えをまとめることができなくなり、切れ切れの想念がよぎるだけになった。意識の閾値が低くなり、闇は瞼の裏だけでなく美佳の意識をも領しつつあった。



 神居は街路灯に凭れてマールボロライトに火を付けた。女はデパートでウインドショッピングをしている。陳列されているブランドもののバックを眺めはじめてすでに十分以上経った。最初はバッグの品定めをしている様子だったのに、道行く人の目が気になるのかしきりに辺りを見るようになった。時折不安げに腕時計に視線を落としている。
 女の名前は薮瀬瑠璃。やたら画数が多く、四角張った漢字が並んでいる名前である。しかし、その顔は輪郭が柔らかである。涼やかな目元、すっと通った鼻筋、少し受け口気味の唇。全体として清楚な印象を与える顔立ちである。ストレートのロングヘアーが背中の中ほどまで伸びている。
 今日は瑠璃の通院日である。瑠璃は週に一度、隣区にある神経科クリニックに通っている。予約時間は午前十一時になっている。瑠璃の自宅は地下鉄始発駅から数分の距離にあり、移動には地下鉄を利用する。神居の事務所は駅の裏手の繁華街の一角にある。不動産屋や居酒屋が入居している雑居ビルの三階である。母親から自宅を出たという連絡を受けて、神居は地下鉄駅で瑠璃を待ち構えていた。
 瑠璃に関する調査は一週間前からはじめた。瑠璃は二十八歳で、自殺未遂を三回起こしている。最初は二十三歳のときだった。就職したものの、会社の人間関係に馴染めず、しかも結婚式の日取りまで決まっていた婚約が破棄されるショックが重なって、手首を切った。それ以降抑鬱状態になり、仕事を辞め、アルバイトに切り替えた。それも長続きせず、外に出ることが少なくなっていった。家庭でも、母親と必要最低限の言葉を交わすだけになった。二度目は二年前の春である。睡眠薬を飲んだが、量を誤ってしまった。その後ずっと部屋に閉じこもっていたけれども、昨年の秋頃から外出するようになった。親のアドバイスを受け容れ神経科の病院にかかり、抗鬱剤を処方してもらっていた。家族との関係もある程度改善したと母親は思っていた。ところが、一か月ほど前に居間のテーブルに瑠璃の手帳が置いてあった。開いてみると、自殺念慮の言葉が書き連ねられていた。死の誘惑から立ち直ったかに見えた娘はいまだに自殺という想念を断ち切れずにいるのだ。母親の不安を掻きたてるような行動も時折見受けられる。母親は夫に打ち明けることもでき
ずに悶々と日を送っていたが、ついに意を決して探偵事務所に依頼することにした。インターネットで検索したときに目についたのがアイアイ探偵事務所のホームページだった。
 神居は依頼の際に母親から受けた説明内容を思い出した。依頼内容は外出時の追尾と万が一の安全確保である。
 瑠璃が神居の目の前に姿を現したのは十時三分のことである。そのまま地下鉄に乗るのかと思ったら、地下鉄駅のコンコースを抜けて、駅前通りにある開店直後のデパートまで足を伸ばした。神居はブランドバッグを眺めている瑠璃を視界に捉えながら、マールボロライトを三本灰にした。十時三十五分を過ぎてから、瑠璃はやっと駅に向かった。瑠璃にあわせて追尾するのは難儀である。年寄りみたいな歩調なので、普通の歩き方をすると、すぐに追い越してしまう。
 瑠璃は仕事に出かけるようなスタイルである。紺のツーピースで、胸元にはゴールドのネックレスが光っている。これまではジーンズやタンクトップなどカジュアルな服装で、すっぴんのこともあった。気持ちに張りが出てきたと見るべきなのか、それとも緊張感が前面に出てきて、主治医と距離感を持とうとしているのか判断がつかない。
 通勤時間帯が過ぎているので、ホームは閑散としている。瑠璃は最後尾の一番後ろのシートに腰をおろした。最初に入線した電車には、高校生二人組がそのシートに走り込んだ。それで瑠璃は次の電車にしたのだ。理由は分からないけれども、瑠璃はこの座席に固執しているようだ。行き先が決まっているので、神居は隣の車両から瑠璃を見ていた。
 クリニックは四駅目にある。駅前のロータリーから道路が三本放射状に出ている。真ん中の太い道路を二、三分歩いたところに、四階建てのメディカルビルが建っている。ほとんどの診療科目が揃っている。メンタルクリニックは二階にある。薬の処方だけならば、毎週来なくても良さそうだが、瑠璃はカウンセリング療法も併用しているので、週一回の通院となっている。
 神居はメディカルビルの向かいにある喫茶店で待った。瑠璃が出てきたとき、すでに午後一時を回っていた。瑠璃のトートーバッグは膨らんでいた。
 瑠璃は横断歩道を渡ってこちらに向かってきた。支払いを済ませているので、いつでも外に出る用意はできている。ところが、どういう風の吹き回しか、瑠璃は神居のいる喫茶店に入ってきた。瑠璃は奥の窓際のテーブルをとった。通りに向かって坐ったので、神居の席からは瑠璃の横顔が見えている。ランチメニューを注文する声が聞こえてきた。たしかパスタとサラダ、ソフトドリンクがセットになっていたはずだ。
 神居は写真週刊誌のスクープ記事を読みながら、時折瑠璃に視線を投げた。トレーを手にして、テーブルの横をウエイトレスが通っていった。瑠璃が「ありがとう」と言う声が聞こえた。張りのある声である。カウンセリングを受けて、多少は気分が良くなったのだろうか。
 瑠璃の食事は三十分以上かかった。それでもパスタは半分近く残っている。瑠璃はウエイトレスを呼んだ。ウエイトレスが食器を片付け、テーブルが広くなると、瑠璃はトートーバッグから薬を取り出し、チェックをはじめた。
 母親から聞いたところでは、処方されている薬は八種類である。神居は手帳で確認した。抗鬱剤のパキシル、気分調整剤ヂパケン、精神安定剤ヂパス、睡眠導入剤のハルシオン、頓服コンスタン、それに抗アレルギー薬ヒベルナ、胃腸薬のビオフェルミンとプルゼニドである。ミミズが這ったような字になっている。母親が薬の名前をすらすらと並べ立てたので、神居は慌てて書きとめたのである。
 瑠璃は処方箋らしきものと首っ引きで、薬の種類と数量を点検している。時折首を捻っている。母親によると、飲まなければならない薬の種類と量が多すぎるとこぼしているらしい。チェックを終えてから、瑠璃は薬をトートーバッグに戻した。
 するべきことがなくなると、瑠璃は窓の外に視線を向けた。何かに関心があるといったふうではなく、ぼうっと通りの風景を眺めているだけである。
 それでも一人で外に出るまでに症状が改善した。ただ昼夜逆転しているので、暗くなってから外出するのがつねである。この一週間で三回外出したが、昼間に行動したのは今日の通院のみだ。
一度目の外出は夜の八時過ぎだった。調査二日目のことだ。挙動がおかしいので、自宅前で待機してほしいと母親が電話してきたのである。神居は急行した。十分ほどして玄関が開いて、瑠璃が姿を現した。母親が心配そうに見送っている。瑠璃はゆっくりした足どりで小路から小路へと辿り、地下鉄駅に向かった。瑠璃は最後尾車両の一番後ろのシートに席をとった。終点までの、三十五分の乗車時間中、瑠璃は手を膝の上に置いて前方の一点を凝視していた。つらそうな表情である。瞬きすらしていないように見えた。改札を出て、駅周辺を一巡すると、逆方向の電車に乗った。往きのときと、坐った位置も同じであれば姿勢も同じである。瑠璃の視線が自分の姿を捉えることはないだろうと思いながらも、神居は用心のために隣の車両から瑠璃を見張っていた。瑠璃は終点まで乗り続けた。電車を降りてからの行動も判で押したように同じだった。そんなふうにして、瑠璃は地下鉄を二往復半した。
一度、隣に坐った若い男が瑠璃の様子を案じたのか、声をかけてきた。しかし、瑠璃は身じろぎすることもなく、窓の向こうの闇を見続けていた。最後に乗ったのは終電間近の電車だった。神居は自宅まで追尾した。
 その翌日は夜の十時過ぎに瑠璃は外出した。母親は慌てていた。気がついたら、瑠璃が出かけていた。いま自分は自宅周辺を探しているので、神居にも捜索を頼みたいということだった。無茶な相談である。小さな子供でもあるまいし、行動範囲が限定されているとはかぎらない。ただ母親の話では、瑠璃が出たのは十分ほど前らしいので、かりに地下鉄駅に向かったとしても、まだ着いていないはずである。
なにはともあれ、神居は地下鉄駅に直行した。神居は改札口から視線を外さずに、周辺を歩いた。何周かしたが、瑠璃の姿を認めることができなかった。時刻から考えて、瑠璃が地下鉄を利用することはない。神居はそう判断して、デパートのある駅前通りを挟んだ一帯を捜索することにした。駅前通りの裏手にある親不孝小路には居酒屋やスナック、喫茶店、ゲームセンターなどが並んでいる。神居は次々と店の中を覗いた。瑠璃はいなかった。
雨が降りはじめた。小走りで親不孝小路の端まで来たが、収穫がなかった。雨足が激しくなった。神居は駅前通りにはいった。駅前通りはアーケードになっているので、雨を避けることができるからだ。しばらく歩くと、ギターを伴奏にした歌声が聞こえてきた。ミュージックショップの前で二十歳くらいの男女が路上ライブをしていた。男がギター、女がボーカルを担当している。四、五人の若者がうんこ坐りをして聞いている。そのなかに瑠璃がいた。瑠璃は歩道にハンカチを敷いて坐っていた。すっぴんに近かったが、年齢よりも若く見える。神居は反対側の電気店でウインドショッピングしているふりをして、瑠璃の様子を眺めていた。
何曲か終わると、カップルが立ち去っていった。残ったのは大学生くらいの男二人と瑠璃だけである。男たちは瑠璃に話しかけた。瑠璃は一瞬びくっとして膝の間に顔を埋めた。ギタリストが瑠璃に近づき、耳元で何事かを囁いた。瑠璃は立ち上がり、地下鉄駅の方向に歩きはじめた。ギタリストは首を捻りながら瑠璃の後ろ姿を見送っていた。神居は十メートルほどの距離をとって瑠璃のあとを追った。
地下鉄のコンコースで、三十前後のサラリーマン風の男が瑠璃に話しかけてきた。「イヤッ」という瑠璃の声がコンコースに響いた。その声に男の方が驚いたようだった。立ち尽くしている男を振り返ることもなく、瑠璃は前方を見つめて歩き続けた。
 神居は二晩続けて外出した瑠璃の行動に思いを巡らせた。外出頻度は随分多くなったらしいが、気分の浮き沈みが母親の心配の種になっている。たしかに、さっきウエイトレスに返した声などは張りがあって、気分が昂揚しているようだ。主治医にカウンセリングをしてもらった一時的な効果かもしれないが。
 瑠璃の頭がかすかに揺れている。バラード系のBGMに軀を合わせているようだ。そして、背中まで伸びたロングヘアーを指で掻き分けている。髪を後ろから前にもってくると、枝毛をチェックしはじめた。精神活動は決して活発だとは言えないが、それなりに心地よい時間が瑠璃のなかを流れているのだろう。
 BGMがロックに変わった。しばらくして、瑠璃は両耳を掌でふさいだ。そのままの格好で店内を見回して、スピーカーの位置を探した。スピーカーはカウンターのなかに設置されていた。瑠璃はウエイトレスを呼んで、ボリュームを下げるように頼んでいる。ウエイトレスはカウンター内の店員に合図した。ボリュームはかなり絞られた。それでも瑠璃にとっては許容限度を超えていたらしい。結局、瑠璃は席を立った。能面を張りつけたような表情になっていた。喫茶店を出ると、寄り道することもなく帰路についた。母親がドアを開けて出迎えた。
 あの様子だと、今日はもう瑠璃は外出しないだろう。ということは、拘束を解かれたわけだ。この辺りはあまり歩いたことがない。路線バスが走っていく。小学生の群れが歩道一杯に広がって近づいてくる。小型犬を二匹連れた老夫婦がゆっくりと散歩している。住宅街のありふれた風景である。神居は少し遠回りしてスーパーで買い物をした。
 事務所に戻ると、二時間ほど雑用を処理した。ソファに横になってテレビを見た。戦没者追悼式のニュースが流れている。戦後六十回以上連綿と続けられてきた恒例行事であり、しかもキャスターのコメントが早口で上滑りなものだから、心に訴えかけるものがなおさら希薄になっている。神居はテレビを切り、食事に出かけた。



 平田は窓際のボックス席についた。男は通路を挟んで斜め前の位置のテーブルについている。ネコをかたどった長針がネズミの短針を追うというデザインの壁時計が午後八時十五分を指している。平田はヘッドライトの連なりにぼんやりと視線を投げている。というふりをして、窓ガラスに映っている男のテーブルの様子を窺っていた。
 男のテーブルには女三人が同席している。男女のグループがファミリーレストランで食事をしている、ごくありふれた風景に見える。
 女性の二人は二十代である。一人はライトブラウンのロングソバージュで、中の上あるいは上の下といったレベルの顔立ちである。もう一人はその女の引き立て役といった役回りをあてがわれたようなブスである。男の正面に座っているのは四十近い女である。ショートヘアーのその容姿は、かつて平田が好きだったAV女優を思い出させた。可憐な容姿とグラマラスなボディーのアンバランスな魅力で人気を博していた。この女優の出演ビデオはほとんど持っていた。
 男はインターネットで自殺志願者を対象とした相散サイトを開設していて、オフ会と称して、相談者と直接話をする機会を設けている。今日はそのオフ会である。
 平田が男の行動調査をはじめて三週間経った。依頼人は地元有力企業の社長夫妻である。一人娘が不審死した。警察では事件性があるとは認めず、事故死として処理した。夫妻はそれに納得できずに、興信所に調査を依頼した。調査を引き受けたのはミネルバ興信所である。ミネルバ興信所では調賓案件が立て込んでいたので、提携関係にある平田の探偵事務所に応援依頼をしてきた。ミネルバ興信所の調査員ととともに調査をする過程で、男が死んだ娘と接点を持っていた疑いが濃厚になってきた。
 会話の内容は断片的に聞こえてくるだけである。小型高感度マイクを三人のテーブルに向けているが、BGMや店内の喧噪に妨げられて、盗聴機能が十分に発揮されていないのだ。
 聞き分けられるかぎりでは、「死にたい」といったようなエキセントリックな言葉は女性たちの口にはのぼっていない。四人の間に漂っているのはなごやかな雰囲気である。自殺志願者が集まっているとは思えない。
 平田がいままで手がけてきた依頼案件の大半は家出女子中・高校生の行方調査である。ションベン臭い女の子の尻を追っかけて、やっと辿り着いたと思ったら、自分とそんなに歳の違わない中年オヤジと夫婦気どりでマンションで暮らしていたなんてケースもあった。内容自体はくだらないけれども、バカ親のおかげで割高な調査料が懐にはいってくる。電話帳広告に女子中・高校生専門と謳いたいくらいである。それが、今度は野郎の追尾だ。
 男は三十代の半ば。中肉中背で、三つボタンのベージュのスーツを無難に着こなしている。嫌みのない顔立ちで、女に安心感を与えるタイプである。もてるかどうかは保証できない。
「あたし、もう駄目。死にたいよ。一緒に死んで」
 ブスの声がイヤホンから飛び込んできた。切羽館まった声である。平田はショートホープを咥えたまま顔をあげた。ブスは泣きそうな顔をしている。それまでの雰囲気が一変していた。死にたいなら、美人を道連れにしないで一人で勝手に死ねと、平田は内心で毒づいた。
 それにしても、ブスの言葉は周囲の客にも聞こえたはずだ。生きるの死ぬのという切迫した感情をファミレスで、しかも周りの人間に聞こえるような声で口にして憚らない。平田には理解できないことである。物語のヒロインになりきっているので、他人のことは気にならないのだろうか。
 男がブスの方に顔を近づけて、何かを言っている。その声を拾うことはできないが、ブスの気持ちを解きほぐそうとしているのだろう。AV女優とソバージュヘアーは二人の様子を見つめている。男の言葉に対して、ブスは頭を振るばかりだ。
 やがてAV女優とソバージュヘアーも参戦した。ブスに加勢しているみたいだ。このメンバーでのオフ会は三回目のはずである。平田が調査を開始してからは今日が二回目になる。会場はいつもこのファミリーレストランであり、男がここにこだわっているみたいだ。
 前回のオフ会では今日よりももっと声が拾えた。そのときからブスは死にたい、心中しようという言葉を口にしていた。男はブスが吐露する思いに寄り添いながらも、言葉巧みにアドバイスして、生の方向へと心を切り替えさせようとしていた。AV女優とソバージュヘアーはブスの言葉に引き込まれそうになったり、男の説得で戻ったりを繰り返していた。二人とも死に対する恐怖を語り、生への希望に縋りたいと思っているようだった。ただ、男も一度ブスに同調する言葉を思わず吐いたことがあった。もともと男自身が自殺念慮に悩んだ過去を持っていたのだ。男はすぐに軌道修正した。いずれにしても、今日よりははるかに自殺予防のオフ会にふさわしいものだった。
 ところが、今回はブスの方がなぜか優勢だった。この間の心理の揺れ動きのなかで、AV女優とソバージュヘアーは自殺へと傾斜してしまったようだ。男は劣勢を挽回しようとでもするように席を立った。行き先はトイレである。
 その姿を見送って、平田はドリンクバーに向かった。二百九十円でソフトドリンクが飲み放題になっている。探偵にとってはありがたいシステムである。平田はコーラをコップに注いだ。コーラをその場で飲むと、コーヒーカップをセットし、カフェオレのボタンを押した。
 男はテーブルに戻っていない。テーブルの横を通り過ぎるとき、ブスが熱心に二人を説き伏せている様子だった。練炭という言葉が聞こえてきた。ブスは練炭を使った心中を持ちかけているのだろうか。思わず平田はブスを横目で睨みつけた。
 平田がテーブルにつくと同時に、横のテーブルから女子高校生三人組が立ち上がった。トイレから戻ってきた男と擦れ違ったときに、三人組は大きな笑い声をあげた。一瞬、男は女子高生の方を振り返り、顔を歪めた。自分の何かが笑われたと思ったのだろうか。それとも、生を横溢しているかのような女子高生の姿とテーブルで自分を待っている死にたい症候群患者との落差を思い知らされたからだろうか。
 それでも、テーブルの前で男は表情を和らげた。男を待ち構えていたように、ブスが再び訴えはじめた。女子高生三人組がいなくなったおかげで、ブスの声がかなり拾えるようになった。耳に心地よいアルトである。男が席を外している間に、女性たちが衆議一決したらしく、時期も含め具体的な心中計画を説明しはじめた。まるで、男は当然参加することを前提とした口ぶりである。男は目を閉じている。視覚情報が遮断され、そのうえブスのアルトに幻惑されたせいなのか、男はブスの提案に耳を傾けている。
 最後には二人の女性も代わる代わる男に哀願しはじめた。さすがにブスとは違って、囁くような小声なので、実際に声が聞こえたわけではない。だが、AV女優とソバージュヘアーの表情から推測すると、決して的外れではないはずだ。AV女優は男の腕にそっと掌を添えている。
 男は二人の言葉に相づちを打ちはじめた。自殺防止を標榜したホームページの主宰者が簡単に相談者に同調してしまうものだろうか。カウンセリングには門外漢ながら、平田は男の対応に疑問を感じた。しかし、結局のところ男は女性陣の懇願を拒みきれずに、心中計画に参加することにしたみたいだ。
 男は決行時期や方法、メンバーの役割分担については次回のオフ会で決めることを提案した。女性メンバーには若干不満が残ったようだが、結局納得した。四人は席を立った。平田はショートホープを大きく吸い込んだ。オフ会は心中計画の合意という予想もしていなかった展開を見せた。タバコを二本灰にしてから、平田もファミレスをあとにした。



瑠璃は街をブラブラと歩いている。最近は外出することが多くなっている。街をあてもなく歩き、他インド初ッピングしたり喫茶店で紅茶を飲んだりと、見た目には気儘な生活をしている。容姿もかわいらしく、年齢よりも若く見えるので、何度も男から声をかけられる。
今日は二十日間の契約期間の最終日である。追尾しはじめて一時間半近くになる。瑠璃の表席に陰りが差した。どこかおほつかなげな足どりである。スクランブル交差点に差しかかった。信号が青になっても、瑠璃は動こうとせず、反対側のビルに設置されているオーロラビジョンを見ている。ちょうどニュースが流れていた。国会における首相の失言が報道されていた。瑠璃の関心を惹きそうなニュースでないが、瑠璃はなぜか視線を外そうとしない。もう一度音信号をやり過ごし、次の赤信号でやっと交差点を渡った。
瑠璃はファッションビルに入った。エスカレーターで地下二階に下り、喫茶店のドアを開けた。
神居は地下一階からその姿を確認し、周りに並んでいる店を冷やかし、十分後に地下二階に下りた。瑠璃は奥の壁際の席にいた。背後の壁には、金色の地に花鳥をあしらった障壁画風の絵が飾られている。テーブルには紅茶ポットとスパゲティが並んでいる。遅めの昼食らしい。
神居はそのまま地下街へと抜けた。通路の反対側に書店があった。新刊書が平積みになっている。最近ヒット作を連発している女性作家の小説を立ち読みして時間を潰してから、雑誌売り場に移動した。ここからだと喫茶店のドアが視界にはいるからだ。写真週刊誌のぺージをめくった。それからパソコン関係の雑誌、旅行雑誌と、次々と手にとった。
カップルと年配の女性グループが喫茶店に人っていき、それと入れ替わりに瑠璃が姿を現した。瑠璃は神居の視界を右から左へと横切っていった。神居は雑誌を書棚に戻し、書店を出た。瑠璃は五メートルほど前方をゆっくりと歩いている。地下街を右に折れて、さらに百メートルほど進んだ。
左手にデパートの食料品売り場があり、自動ドアが客を呑み込んだり吐き出したりしている。瑠璃もその蠕動運動に身を任せた。しかし、自動ドアを通過したものの、その先に足が進まないといった様子で立ち止まった。瑠璃は携帯電話を取り出した。電話をかけるような素振りを見せていたけれども、結局何もしないでハンドバッグに戻した。左右を不安げに見回している。ケーキ店の店員が近寄ってきた。瑠璃は逃げるようにその場を離れ、エスカレーターで地上階に上がった。
デパートを出ると、風がさわさわと街路樹の枝を鳴らしていた。瑠璃は交差点の前に立った。信号が変わっても、硬直したように身動きしないで立ち止まったままである。さっきと同じである。瑠璃は選択というものができないのだろうと神居は思った。
ようやく瑠璃は動きはじめた。向かった先は大通公園である。ベンチが並んでいる。瑠璃はティッシュで何度も座板を拭いてから、やっと腰をおろした。神居は噴水の脇に立った。噴水で子供たちが遊んでいる。飛沫が風に乗って飛んでくる。曇りがちの午後の日射しが目に眩しい。
十五分ほど過ぎた。瑠璃の口元が動いている。何かを眩いているらしい。隣に坐っていた老人が不審そうに瑠璃を見つめている。やがて首を振りながら立ち去っていった。
瑠璃はハンドバッグを開いた。何かを探しているらしい。見つけることができなかったのか、店開きをして、化粧ポーチ、携帯電話、財布、ポケットティッシュをべンチに並べはじめた。さらに化粧ポーチから化粧道具を、財布からカード類を出している。
自分自身でも収拾がつかなくなったのか、瑠璃はべンチに広げられた自分の持ち物を放心したように眺めている。見ている神居にとっても、その様子は痛々しいものだった。
瑠璃は携帯電話を手にとった。誰かとの会話はあっという間に終わった。それから持ち物をハンドバッグに戻す作業にとりかかった。そんな簡単な作業なのに、大儀そうに一個一個確かめながらなので、十分近くかかった。やっと瑠璃は立ち上がって、吸い寄せられるように車道の方へと歩きはじめた。神居は急いで瑠璃に接近した。いざという場合に備えるためである。
そのとき白のレクサスが急停車した。母親の亜矢子がドアから飛び出してきて、瑠璃を抱きかかえた。亜矢子は周囲を見回し、神居の姿を認めると、軽く頷いた。今日の仕事はここで終了というサインなのだろう。亜矢子は後部ドアを開き、瑠璃をリアシートに寝かせた。
レクサスが次の交差点を左折するのを見送って、神居は噴水の脇のべンチに腰をおろした。追尾中は控えていたマールボロライトを数本立て続けに吸った。
日が傾き、プラタナスの樹影が濃くなってきた。神居は駅ビルの地下にある喫茶店に向かった。マスターがコーヒーマイスターコンテストで全国二位に入賞したことを売りにしている。もっとも神居はそれ以前からの常連客であり、マスターが作るコーヒーの味に惚れ込んでいる。神居はカウンターに坐った。マスターは神居にちらっと視線を走らせて、軽く頷くと、計量カップで粉をすくった。特にオーダーしないかぎり、飲むコーヒーは決まっている。神居はカウンターの端に置かれているスポーツ新聞をとってきて開いた。プロ野球とJリーグの試合結果を拾い読みした。
神居の前にコーヒーカップが置かれた。濃厚で熱いトラジャコーヒーに喉が焼かれた。どんなに疲れていても、この一口で覚醒する思いがする。神居の脳裏に瑠璃の顔が甦ってきた。ファンデーションのせいか、蒼白に見えるほど白浮きした顔。擦れ違う男の視線を惹きつけずにおかないほど整っているのに、レクサスに乗せられたときは能面のような表情になっていた。探偵に感情移入は禁物だ。しかし、仕事を離れて振り返ってみると、瑠璃の挙措の痛々しさに胸が締めつけられるような思いがした。
今日一日の瑠璃の行動を頭のなかで反芻した。大通公園に来るまでは、精神の不安定さは見受けられたが、自殺への衝動を疑わせる行動はなかった。ところが、ベンチで隣の老人を立ち去らせた言動、ふらふらと車道へと歩いていった行動は瑠璃の精神が危険水域にあることを窺わせるものである。
二十日間行動監視をしてきたが、瑠璃の行動には波があった。徐々に精神のバランスが崩れてきたようにも思える。ここ数日は振幅が大きくなってきて、瑠璃のところに飛ぴ出していこうと思った瞬間が何度かあった。
神居としては、この二十日間契約を誠実に履付してきた。探偵稼業はいかがわしい目で見られることが多いけれども、神居は誠実な業務遂行を信条としてきたつもりである。それが一人探偵社が生き延びる拠り所だと考えている。その仕事ぶりを認めてくれたのと、瑠璃の行動にはまだ不安な要素が多いということで、先日、母親は二週間の延長を依頼してきた。精神の沈潜を深めている人間に対して行動監視を続けても無意味だと思える。無慈悲なようだが、瑠璃には時間があまり残されていない。そんな気がしてならなかった。しかし、美しい瑠璃が徐々に崩壊していく姿を見ていると、見捨てるわけにもいかない。神居は契約延長に応諾した。

延長契約にはいって三日目になる。瑠璃はJRターミナル駅まで遠出した。駅周辺には、デパートやショッピングモール、ホテルが林立している。瑠璃はショッピングモールに並んでいるブテイックに入った。買う当てはなさそうなのに、店員と言葉を交わしている。店を出るときには笑顔さえ浮かべた。バッグ店、靴店と冷やかしていった。レコードショップでは人気ロックバンドのCDを何枚か購入した。瑠璃がロックファンであること自体が神居には意外だった。半月前、クリニックに通院した際に入った喫茶店で、瑠璃はBGMのロックに耳をふさいでいた。そのときの様子から、ロックみたいなハードな音楽は苦手なのだと神居は思い込んでいたのだ。
そのあと瑠璃はファーストフード店で昼食をとった。テーブル席に坐り、フィッシュサンドセットを食べた。食事を終えると、所在なげに時折コーヒーカップを口に運んでいるだけである。これまで喫茶店やレストランで監規したときは、だいたいこんな感じで時間をやり過ごしている。本を読む姿は見たことがない。かつては本の虫と言っていいほどの本好きだったのに、いまでは活字に目をさらす気力が出ないらしい。
瑠璃は思いついたようにバッグからCDを取り出し、眺めはじめた。テーブル席は満席だった。隣の若い男が瑠璃に声をかけてきた。最初は不審そうな表情を浮かべていたが、男が何か面白いことを言ったらしく、瑠璃はうれしそうに言莱を返した。男はロックのCDを手にして、熱心に話している。おそらく男はバンドに関する知識を披歴しているのだろう。二人は三十分以上話し込んで、一緒に店を出た。
二人は肩を並べて通路を歩いている。瑠璃がこんなに活発に他人と話をして、生き生きした表情を浮かべているのはいままでなかった。二人は携帯電話を取り出した。メルアドを交換しているようだ。この前は道路に飛び込むのではと心配になるほど不安定な精神状態だった。そんな瑠璃からは予想できない行動である。その変貌ぶりに神居は驚いた。その一方で、危惧の念が湧きあがってきた。このハイテンションがむしろ危険信号なのかもしれない。
男と別れて、瑠璃はJR駅に向かった。電車内でも楽しげな表情を浮かべて車窓の景色を眺めていた。神居は自宅まで見届けた。専務所に戻ると、パソコンでメールをチェックした。プライベートなものだけでも毎日二、三十通来る。そのなかには神居のボランティア活動に関連したものもある。相手にとって何が必要かを熟慮して、メッセージ内容を考える。しんどいけれども、かけがえのない時間でもある。神居は三通に返信して、作業を切り上げた。
事務所から四、五分のところに行きつけのレストランがある。テーブルが三十以上ある大きな店である。神居は昼食とも夕食ともつかない食事をとったあと、バッグからパソコンを取り出した。この店ではインターネットに接続できるので、重宝している。チャットルームを開いた。ちょうどメールがはいってきた。何度もチャットしたことのある女性からだった。その女性は難しい問題を抱えていた。神居はすぐ答えを見出すことができなかった。神居はマールボロライトをふかすと、目を瞑った。そのとき、視線が自分に注がれているのを感じた。後頭部の辺りに突き刺さってくるような視線である。神居はゆっくりと振り返った。店内を見回した。店内は六割がた埋まっていて、視線の主を特定することはできなかった。神居はチャットに戻った。やりとりは十分以上かかった。
神居はトイレに行った。トイレから出たとき、視線の先で女性客がドアに向かって歩いていた。女性は赤茶系のショートヘアを指で掻き分けていた。なぜか女性は首筋の辺りでも指先を動かしていた。まるで髪の毛がそこまで伸びているように。女性はサングラスをかけた横顔を見せて、ドアの向こうに消えた。



男は地下鉄駅から地下通路を通って、宮城屋という喫茶店に入っていった。チェーン展開している喫茶店で、どの店でも、太い黒梁を天井に這わせ、重厚感を出している。ダッチコーヒーを売りにしている。平田は地下通路の一角に設けられたふれあいコーナーでべンチに腰かけ、フリーぺーパーを読んで時間を潰した。
五、六分経ってから、平田も喫茶店の客となった。店はカウンター席とテーブル席に分かれていて、腰高程度の仕切りが両者を隔てている。テーブルは二列に四脚ずつ並んでいる。男はカウンター寄りの奥のテーブルに坐っている。まだ一人である。ショルダーバッグからファイルを取り出して読んでいる。テーブル席で空いているのは入り口側だけだった。カウンターの客は一人しかいない。平田はカウンターの奥の席を選んだ。盗聴マイクで会話を拾うことは可能だが、テーブルに背中を向けることになるので、メンバーの様子を視認することは難しいだろう。
まもなく入り口に高校生くらいの女の子が姿を現した。店内を見回してから、男のテーブルへと近づいていった。二言、三言言葉を交わして、女子高生は椅子に腰をおろした。
平田はビジネスバッグに仕込んだ盗聴マイクをオンにした。五日前の張り込みのときには作業服姿だったけれども、今日は三つボタンのスーツといういでたちで、メタルフレームの眼鏡をかけてきた。それにあわせて、バッグもビジネスバッグにしたのだ。
平田はレジ近くの雑誌スタンドから週刊誌を手にとった。そのとき二十代後半と覚しき女性が入ってきた。ストレートのロングヘアーで、身につけている服装も秘書風の落ち若いたものだった。女性はテーブル席の通路を奥に向かった。平田は席に戻りながら、女性の姿を目で追った。視線の先で、男が立ち上がって女性を迎えようとしている。一瞬男の視線が凝固した。だが、男はすぐに何事もなかったように女性に話しかけた。女性は女子高生の隣に坐った。平田は週刊誌を読んでいるふりをして、盗聴を開始した。
「メンバーが全員揃いましたので、オフ会をはじめたいと思います。チャットルームでは互いに悩みを打ち明けあったり、励ましあったりしていますが、会うのは初めてです。まずは自己紹介しましょうか」
そう口火を切って、男は自己紹介をはじめた。声を潜めているが、よく帯く低音のおかげでマイクは男の言葉を拾うことができた。
男の経歴を聞くのは初めてだった。男は三十五歳の会社員である。大学卒業後、証券会社に就職してすぐに職場不適応を起こした。鬱病を患い、退職を余儀なくされた。その後自殺を試みた。死への誘惑を断ち切って、新たに生き直そうとして七年になる。そんな自分の体験を生かして、死にたいと思っている人のために少しでも手助けになればと考え、「命のネット」というホームページを立ち上げた。女性メンバーにとって初めての内容ではないだろうが、男の話に熱心に耳を傾けていた。男は話の合間に接ぎ穂のように人指し指の爪を噛んでいた。AV大優たちとのオフ会でも同じ仕草をしていた。癖なのだろうが、傍目にも見苦しい仕草である。秘書も気になっているようだ。話し終わると、男は真向かいにいる女子高生に発言を促した。
「見てください」
その声に思わず平田は振り返りそうになった。その誘惑にかろうじて堪え、平田は立ち上がった。週刊誌を交換するふりを装って、雑誌スタンドまでを往復した。友子高生が袖をまくって、リストカットの痕を見せているようだ。席に戻って、イアホンを耳にあてがうと、女子高生は「六本、七本」と左右の手首に残された筋の本数を数えている。九本まで数えて自らの戦績を誇った。それから自分の苦しみを語りはじめた。時折、合いの手のように「死にたい」という言葉を差し挟んだ。
秘書は女子高生に共感しながらも、その心理にはどこか理解しきれないところがあるような感想を漏らした。そして、女子高生を押しのけるように自分語りをはじめたようだ。しかし、その声はひそやかなものであり、マイクを通しても内容を把握できない。ただ最後に吐き出した「もう耐えられないんです」という言葉だけは聞き取ることができた。
三人が自分の物語を語り終わったとき、すでに二時間近く経っていた。男が再び口を開いた。
「僕もあなた方に励ましの言葉をかけながら、実は必死に死の誘惑と戦っているんです。高校時代からの友人がいて、自殺防止の電話相談ボランティアをやっていました。けれども、彼は半月ほど前に自殺してしまったのです。方法は異なっていても、ともに自殺予防に取り組む戦友だと思っていました。というか、彼がいたから、僕は『命のネット』をはじめることができたんです。彼の活動は僕にとって道標でした。彼と会うたびに、挫けそうになる気持ちを奮い立たすことができたんです。その彼の死は僕にとって大きな衝撃であり、僕の心は共鳴してしまいました。いまだにその渦のなかで錐揉み状態になっていて、抜け出せずにいます。オフ会はもともと今日に設定していましたので、何とかここまで足を運んできました。でも、いまの僕にはあなたたちに命の言葉をかけてあげることができません。それどころか、あなたたちの話を聞いているうちに、行動をともにしたいという気持ちが強くなる一方なんです」
友人の自殺の話は嘘っぱちだと平田は直感した。前回のAV女優たちのオフ会からたった五日しか経っていないのに、そんなはずがない。そもそも口調が別人のようだ。何か魂胆があって、こんなフィクションを持ち出したのだ。
女性二人も男の話に驚いたようだった。まさか男が初めてのオフ会で自殺志向の言葉を口にするとほ予想していなかったのだろう。
三人の話し声はますますひそやかなものになってきた。隣のテーブルでは、少し前に来たおばさん二人組があたりを憚らずしゃべりちらしている。そのため、神居は三人の声を拾おうと神経を集中した。高再感度マイクを通して切れ切れの言葉がやっと聞き取れる状態である。
男と秘書、女子高生は顔を寄せあって、口々に発言している。その言葉におばさん二人の話し声がつねにかぶさっている。自分の隠された意図を棚に上げて、「もう少し静かに話せないのか」とおばさんを怒鳴りつけたくなるほどだ。女子高生が 「練炭」という言葉を口にするのが聞こえた。三人のテーマは心中の方法に移っているのだろうか。
結局、三人は三時間ほど居座っていた。三人がドアの向こうに姿を消すと、それを待ちきれなかったかのように、ショートカットのおばさんがもう一人に話しかけた。
「あの人たち、心中の相談をしていたんじゃないの」
「そうよね、わたしもそう思っていたの。最近、若い人たちの間ではやっているそうじゃないの。それにしても、変な組み合わせだわよね。三十代の男と二十代の女、それに女子高生」
「見ず知らずの人間が喫茶店で相談をして、どこかでちゃちゃっと心中する。随分と安直な死に方ね」
生き方が安直だから、死もそれに相応したものになっているんだ。平田はおばさんたちの会話に内心で論評を加えた。
平田はスタンドから全国紙を取り出した。一面には、九・一一テロに関する記事が掲載されていた。いまでは九・一一テロが話題になるのはその当日だけであり、何年前に起きたのかと自問しても、すぐに答えることができない。見出しを見ながら、平田は席に戻った。あの悲劇以降の世界情勢の激変と今日の混迷について、識者がもっともらしいコメントを寄せている。あの事件の日、平田はハイテク技術の頒歌に対する残酷な反逆でもいうべき場面の連続を食い入るように見ていた。現実感がどこか希薄でいて、しかも衝撃的な映像だった。暴力国家アメリカが押しつけてくる暴力的な現実に対して暴力をもって超えようとする、テロリストの想像力、構想力にある意味で衝撃を受けた。
その一方で、傷ついただの生きづらいだのとご託を並べて、自分を物語の主人公にでっち上げて、死に急ぐ人間がいる。そして、そのような人間が自殺するのを引き止めようとして、逆に引きずり込まれる人間もいる。
おばさんたちは集団自殺にある意味で的確なコメントを加えたと思ったら、まったく別の話題に移っていった。平田は立ち上がって、自殺とは無縁そうなおばさんを横目に見ながらレジに向かった。

平田はもう一度AV女優の顔を拝みたいと思っていた。そして、オフ会が終わったら直接話しかけて、集団自殺への参加を思いとどまらせる。AV女優は平田の慫慂を受け容れて、生きることを選択する。平田とAV女優はバーのカウンターで二人だけの時間を持つ。二人はグラスを軽く触れさせ、乾杯する。平田はそんなことを妄想しながら、男を追尾していた。この前のAV女優グループとのオフ会では、集団自殺の日程などを決めるために再度集まることが合意されていた。だから、そんなに間隔を置くことはないはずなのに、すでに半月経とうとしている。
この日,男は車で移動していた。車はファミレスのある郊外ではなく、中心街へと走っていた。男は車を駐車場に置くと、地下街におりた。通勤時間帯なので、人通りが多い。男は人波を抜けて足早に西の方に向かった。
平田の予想通り、男は宮城屋のドアを開けた。男は固着性の強い行動パターンをとる。つまり、今日は秘書たちと二回目のオフ会を開催するのであり、AV女優は姿を見せないということだ。秘書も悪くはないけれども、AV女優の熟女の魅力には抗しがたいものがある。
男はAV女優たちとの心中計画から離脱したのだろうか。彼女たちは三人だけで決行しようとしているのだろうか。少なくとも、今日までのところ、それらしいグループの集団自殺は報道されていない。AV女優と会えないという失望感と彼女がまだ生きているという安堵感が平田の心中で絢い交ぜになっていた。平田はそんな思いを抱きながら、地下街をそのまま歩き続け、途中で折り返し、通りすがりに喫茶店を覗いた。一番奥のテーブルで入口方向を見ている男の顔が目にはいった。前回と同じテーブルである。ここにも固着性が現れている。男はメンバーの到着を待っているようだ。
宮城屋の斜向かいに携帯電話ショッブがあった。店員が通行人にストラッブを渡し、呼び込みをしている。平田は店頭に並んでいる新機種を手にとった。女性店員が近づいてきて、売り込みトークをはじめた。機能とか価格について質問して適当に店員をあしらいながら、平田は喫茶店の出入りをチェックしていた。秘書も女子高生も姿を現さなかった。さすがに間をもてなくなり、平田はショップを離れた。地下街を歩いていると、秘書がこちらに向かってくるのが見えた。ゆったりとした足どりである。平田は踵を返すと、宮城屋に入った。
店内は空いていた。平田はカウンター席に進んだ。奥から二番目の椅子に腰を落ち着けた。カフェオレを頼んだとき、秘書がテーブル席で男の向かいに坐った。平田は隣の椅子にバッグを置き、イヤホンを耳にあてがった。盗聴マイクはすでにセットしておいた。二人は恋人同士が囁きあっているようなひそひそ声で話しているが、マイクは声を拾っている。
二人はまず女子高生のことを話題にしていた。どうやら女子高生は計画から降りたらしい。集団自殺計画が親に知られてしまい、親の監視が厳しくなって、外出もままならない。そんな内容のメールが男に送信されてきた。二人だけで計画を決行するかと男は秘書に訊ねていた。男の低音が妙に弾んでいるように聞こえる。女子高生が脱落して、秘書と二人だけで死の旅路に赴くことを喜んでいるような声音である。
「今度こそはどんなことがあっても、計画を実行したいと思っています。別に人数は関係ないわ」
「あなたまで降りると言い出したら、どうしようと思っていました。安心しましたよ。それで、決行日なんですけれども、九月三十日はいかがですか。なぜこの日かと言われても、今日から十日後というだけで、たいした理由はありませんが。ただ、十日もあれば、必要な物品を余裕をもって購入できると思います」
「あたしは異存ありません。またアクシデントが起こるかもしれませんので、できるだけ早くしたいというのがあたしの正直な気持ちです」
秘書は死へと思い定めている心情を隠そうとしなかった。というか、口にすることで自分の気持ちを死へとしっかり繋ぎ止めようとしている。平田にはそんなふうに聞こえた。平田は思わずテーブル席の方に視線を走らせた。秘書はカップを口に運んでいた。穏やかな表情をしている。
それから男は場所を提案した。隣県との県境にある山の中である。そこは自分の田舎だと男は打ち明けた。秘書は驚いた声を出した。秘書も小学校時代のある時期に同じ町で過ごしたことがあったのだ。在学期間が重なってはいなかったけれども、何人かの教師が話題になった。自殺を前にしているとは思えない他愛もない話である。
ひとしきり計画とは無関係な話題で時間を潰してから、二人はやっと本題に戻り、役割分担を相談しはじめた。睡眠導入剤は秘妻の担当になった。秘書は一人で自殺することも考えていたことがあって、病院で処方してもらった薬をかなり貯め込んでいたのだ。さらに車についても、秘書が古いワンボックスカーがあるからと言って、提供を申し出た。七輪と練炭、目張りテープについては、日を改めて二人で買うことにした。平田は集団自殺の参考貸料を調べたことがあるが、メンバーが一緒に心中アイテムを購入するという行動パターンは目にしたことがない。さらに二人は決行日の集合時間、集合場所について打ち会わせを行った。
三日後、二人は再び会って、ホームセンター巡りをした。練炭や目張りテープは二人で手分けして、なおかつ数店舗に分散して調達した。平田の目に奇異に映ったのは、二人は必要な物品をワゴンに入れたあと、収納家具や電気製品のコーナーで品定めをしていた光景である。ことに男は楽しそうだった。まるで新婚生活の準備をしているように見えた。
決行日の前日には、男は自宅近くのスーパーで高級ワインを二本買い込んだ。死を前にして、秘書と二人だけで最後の宴を催すつもりなのだろうかと平田は思った。



九月三十日午後八時十二分、男はマンションから出てきた。キャップを目深にかぶり、革ジャンのなかにモスグリーンのアーミーシャツを着込んでいる。肩には大型のショルダーバッグをかかえている。バッグには七輪や練炭、目張りテープなどの心中アイテムが収められているはずだ。
集会場所はT駅の駐車場。秘書がワンボックスカーを用意していて、駐車場で待機することになっている。
男はマンションの前を走る幹線道路を南に向かった。歩道をゆっくりした足どりで歩いている。男は交差点の脇にあるコンビニに入った。しばらくして店から出てきた男は駐車場の隅で革ジャンからタバコを取り出した。男はタバコをうまそうに吸っている。口をすぼめて煙を吐き、いとおしそうにその行方を目で追っている。末期の水ならぬ、末期のタバコなのかと平田は思った。男はタバコを二本吸うと、コンビニをあとにした。男は幹線道路を十分ほど行き、右に折れた。そこからアーケード商店街が通りの両側に広がっている。男は時折左右の店舗に視線をとめている。
地下鉄駅には二本の路線が乗り入れている。男は市域を南北に貫く路線に乗った。三駅過ぎると、地下鉄は地上を走る。さらに二駅先で、男はJRに乗り換えた。電車は郊外に向かった。男は車両の中ほどのボックスシートに坐り、目を瞑っている。落ち着いた様子である。平田はドアのそばのべンチシートにいた。平田は軀を捩り、車窓風景を見るふりをしながら、男のいる辺りを視界に捉えていた。男が不意に予期せぬ行勒を起こすことだってあり得ないからだ。
電車は郊外の住宅地のなかを一時間近く走った。住宅地がやがて畑になり、再び住宅地がはじまったところに、T駅はあった。T市は人口二十万弱で、この地方の中心都市である。JR駅の改札口はターミナルビルの二階に直結している。男は改札口を出たところで携帯電話をかけた。おそらく秘書と連絡をとっているのだろう。
男はターミナルビルの階段をおりた。平田は七、八メートルの距離をとって追尾した。駐車揚は駅の東側の線路拾いにある。駐車場の入り口で秘書が待っていた。
男と秘書は笑顔を浮かべて挨拶している。駐車場の照明が二人の姿を浮かび上がらせている。恋人同士のように見える。その顔に浮かんでいるのは死を覚悟して吹っ切れたような表情である。平田はビルの陰からその様子を眺めた。二人は駐車場の奥に向かい、白のワンボックスカーに乗り込んだ。
五分後、ワンボックスカーが駐車場から出て、平田の眼前を西に走っていった。運転しているのは男だった。それを見届けてから、平田はダッシュで駐車場に向かった。平田は昨日から自分の車をここに置いていたのだ。
十二分後、平田は国道でワンボックスカーを三台先に発見した。国道は隣のR県へとつながっていて、県境は山岳地帯となっている。二つの町を通過した。間を走っていた軽自動車が脇道へと外れ、トレーラーが割り込んできた。
街並みを越えてしばらくすると、峠に向かう登り坂になった。平田は追い越し車線でトレーラーの前に出た。峠は八百メートルほどの高さである。八合目ほどのところで、ワンボックスカーは林道にはいった。そのまま追尾するわけにはいかないので、平田はその先の待避線まで登った。助手席に置いたバッグから地図を取り出した。
林道は山腹を巻くように深い森へと続いていて、十キロ近くの距離がある。心中の決行場所として入り口近くを選ぶことはあり得ない。平田は車をUターンさせて、林道に乗り入れた。砂利道をまず三キロ走った。道が屈曲しているので、見通しがつかない。再び徐行させた。一・五キロ進んだところに間道があった。ヘッドライトの明かりのなかで、道幅一杯にタイヤ痕が残っているのが見えた。ここからは徒歩である。
平田はリュックから暗視スコープを取り出した。十数万円するらしく、ミネルバ興信所にも一台しかない。今回の業務も詰めの段階まで来たので、借用したのだ。ゴーグルタイプなので、頭に装着すると、ハンズフリーになる。平田は両手で枝を払いながら進んだ。緑色の色調を帯びた視界が広がった。両脇から樹々の枝が覆いかぶさってきて、細い間道をますます細くしている。風が枝を鳴らしている。時折、鳥の啼き声が夜を切り裂く。薄雲の向こうに月がぼんやりと輪郭を浮かべている。
カタログによると、暗視スコープの視野は百五十メートルとなっている。二人に気づかれる心配をしないで、ワンボックスカーを視認できるはずだ。いまごろ二人はワンボックスカーのなかで最後の宴を催しているのかもしれない。平田は男が昨日買ったフランスワインを思い出した。男は美しい女と心中することに心を昂揚させて、コルクを抜き、グラスに白ワインを注ぐ。二人は軽くグラスを触れさせる。玲瓏な音が車内に響く。平田の意識に、そんな光景が思い浮かんだ。
前方五十メートルほどのところに、ぼうっと白い空間が広がっているのが見えた。空閑地なのだろう。平田は音を立てないように注意しながら前進した。やがて空閑地の一角にワンボックスカーの輪郭が浮かんできた。車内でほのかな光が灯っていて、サイドウィンドに人影らしきものが見える。平田はワンボックスカー全体を視界に収めることのできるポイントを探した。ひときわ太い広葉樹があった。平田はその陰に身を潜めた。腕時計を見ると、午後十時三十八分とデジタル表示されている。
平田は広葉樹の根元に腰をおろした。夜の静寂のなかで、自分の息遣いさえもが気になる。平田はワンボックスカーに神経を集中した。後部座席の人物が中腰になったのを暗視スコープが捉えた。秘書のロングヘアーが軽く揺れた。そのあと運転席の人影の動きが激しくなった。男がドアに向かって作業をしている様子である。目張りテープを貼っているのだ。後部座席でも秘書が同じような動きをはじめた。二人の姿が見えなくなった。二人は反対側や後部のドアで密閉作業をし、七輪で練炭を熾し、睡眠導入剤を飲むという、心中手順に従った行動をしているのだろう。
二十分ほどして、灯りが消された。車内でほ死が静かに二人に忍び寄っている。しかし、何かが起こるはずである。平田はひたすら待ち続けた。
雲間から月の光が射し込んできた。そのとき、運転席のドアが開いた。男が姿を現した。月光のお陰で、暗視スコープが結ぶ像は鮮明さを増した。男はライターでタバコに火を付け、ゆっくりと吸っている。男は顔をやや仰向けて、煙を吐き出した。四、五口吸ってから、吸い殻を靴で踏み消した。
男は再び車内へと姿を消した。その影が後部座席に移動しようとしていた。そのとき携帯電話のバイブが振動しはじめた。合図である。平田は樹幹を抜けてワンボックスカーに躙り寄った。ここで音を立てて男に気づかれたら、計画は水泡に帰してしまう。しかし、タイミングを失すると、秘書の命が危険に曝される。一秒が一分にも二分にも感じられた。
やっと車の後部に辿り着いた。再び携帯電話が震えた。平田は一気に走り寄り、ドアを引き開けた。男は後部座席で秘書にのしかかっている。その腕は秘書の首に伸びていた。しかし、秘書の首を絞めているはずなのに、腕は奇妙な角度にねじ曲げられていた。男は苦しげに呻き声を出している。平田は男の顎に左腕を回して、右腕でロックした。右の掌で男の頭を前に倒し、締めを強くすると、男の意識が飛んだ。平田はそのまま男の軀を隣のシートに引きずり倒した。膝を腹に当て身動きできない状憩にして、ロープでシートに縛りつけ、猿轡を噛ませた。それから一一〇番に通報した。
「平田さん、遅いよ」
「そんなことはないさ。むしろ早すぎたくらいだ。塔子が裸にされて、神居が何をするぎりぎりの瞬間に踏み込むつもりだったんだ。いままではほとんど女子中学生や高校生相手の調査だった。それで、仕事ででもいいから、塔子の裸を一度拝みたいと思っていたんだ」
「何言ってるの。神居はどんなことをしてくるのか分からないので、本当に怖かったんだから。囮になる身にもなってよ」
「それは悪かった。冗談はさておき、シナリオ通りの展開だったな。塔子の演技は見事だったよ。本当に鬱病にかかっているとしか思えない迫真の演技だった。そうか、塔子と呼んじゃいけないんだ。藪瀬瑠璃さんだったな」
原島塔子はミネルバ興信所の調査員である。これまでも何度かぺアを組んで調査をしてきた仲なので、名前は呼び捨てである。
二人は大越美佳という女子大生の死について調査していた。美佳は集団自殺で死亡したと見なされていた。しかし、両親は警察の説明に納得できず、ミネルバ興信所に調査依頼した。美佳の周辺を調査するなかで、自殺予防を標榜したホームページを主宰している神居に疑惑を抱いた。洗っていくうちに、神居も探偵であることが判明した。
基礎調査を踏まえて、塔子は鬱病に悩む藪瀬瑠璃という女性を装った。そして、瑠璃は神居のホームページにアクセスして、相談を寄せた。それと並行してミネルバ興信所の藪瀬という女性調査員が母親役になって、娘の自殺を心配して神居に外出時の追尾と万一の際の安全確保を依頼した。
瑠璃はホームページ上で何度かやりとりして、もっとインティームな形でアドバイスしてほしいと頼んだ。瑠璃の目論見どおり、神居はチャットルームへの参加を勧めてきて、メンバーになると、今度はオフ会に誘ってきた。オフ会のときに神居が一瞬驚きの表情を浮かべたのは、自分の調査ターグットが現れたからにほかならない。最初のオフ会が終わってから、瑠璃は女子高生を追跡し、自宅の所在地を確認した。その後、女子高生が心中を計画していることを仄めかす匿名の手紙を自宅に送りつけた。女子高生は親の監視が厳しくなったため、心中計画から脱落した。結局、心中は神居と瑠璃の二人で決行することになったのだ。
「酸素ボンべから酸素がうまく供給されるか、心配だったよ」
「あたしもそうよ。睡眠薬を飲んだふりをして、そして、神居から見えないようにしてカカニューラを装着するのってなかなか大変だったわ」
ミネルバ興信所では、廃車寸前のワンボックスカーを調達して、後部座席の後ろに酸素ボンべをセットして、そこからカニューラを座席下まで伸ばし、瑠璃に酸素が供給されるように改造した。酸素ボンべは金属製のボックスに入れて擬装していたが、神居に見つからないか心配された。幸いに神居はショルダーバッグを助手席に置いたので、後部の荷物スペースには関心が向かなかった。
「最初の二つの事件とは違って二人だけで決行することになったので、神居としても離脱することはできなかった。だから、一酸化炭素が車内に充満する前に、まず塔子が睡眠薬で入眠したのを確認するだろう。おそらく頬かどこかをさわって反応がないかどうか確かめて、反応がなければ、車外に出るというわけだ。だから、塔子が中毒になる心配はなかったはずだ」
「あくまでも、行動予測によるはずにすぎないでしょう。神居はそんなチェックをしなかったわよ。おそらく眠剤が効いてくる時間を見計らっていたんだわ。平田さんて、ほんとうに他人事なんだから。こんな人とべアを組んでいたなんて、今更ながらぞっとするわ」
「塔子とは恋愛関係はないが、長年の信頼関係がある。ま、俺としては恋愛関係に入ってもいいと思っているんだが。いずれにしても揺るぎない信頼関係が言わせたセリフだよ。それはそうと、神居は自分だけが睡眠薬を飲んだふりをしているのであって、まさか相手も同じとは夢にも思っていなかっただろうな。まさに狐と狸の化かし合いだ」
そのとき、夜の閣のなかにパトカーのサイレンが響いてきた。



事件は解決し、依頼主である大越良朔、久美子の夫妻は一人娘、美佳の仇を討つことができた。警察が神居の自宅を家宅捜索した結果、犯行を裏付けるDVDが押収された。大越美佳は車内で絶命したあと、神居に強姦されていたのだ。神居は自分が死後凌辱した美佳の裸体を何枚も撮影していた。そして、美佳の死体の前でこれみよがしに突き出した自分のぺニスを写真に収めていた。美佳の下着から抽出されたDNAのなかに、神居のものと一致するものが検出された。
神居はそれ以前にも同様の事件をもう一件引き起こしていた。その証拠画像もDVDに保存されていた。
警察の取り調べの結果、神居は全面自供した。神居は死姦愛好者だったのだ。
十六歳のときに心臓発作で急死した母親を霊安室で犯したのがきっかけだった。父親は神居が五歳の時に女を作って離婚していた。祖父母も遠くにいてすぐには来られなかったので、神居は冷たくなった母親と二人きりで夜を過ごした。田舎町の病院の霊安室は湿っぽく線香の匂いが染みついていた。壁は黄ばんでいた。そのなかで、白い死に装束を纏い、死化粧をほどされた母親は美しかった。母親は四十歳になったばかりだったのだ。神居には母親の死が信じられなかった。神居は母親に添い寝した。そして母親の頬にそっと掌を当て、撫ではじめた。温かみが甦ってきた。神居は死に装束の袷から手を差し入れた。重量感のある乳房だった。神居の頬に涙が一筋流れ落ちた。母親には反抗的な態度をとることが多く、良好な関係とは言えなかった。友達から母親がきれいだと褒められることさえ不愉快だった。ましてや、母親をセックスの対象として見るなど考えたこともなかった。それなのに、神居の手は母親の冷たい股間をまさぐり、気がついたら犯していた。激しく射精し、粘液は母親の股間から溢れた。神居は母親の骸と初体験をしたのだ。
その後神居は人並みに女と付き合い、セックスした。しかし、母親と交わったときほど強烈な興奮を覚えることはなかった。やがて生身の女には欲望を感じなくなった。結婚しても、神居の欲情は妻には向かおうとしなかった。結婚生活は二年ともたなかった。
自分の歪んだ欲望を実現するために、神居は自殺予防のホームページを立ち上げ、カウンセリングを装って獲物をおびき寄せていた。ホームページに相談コーナーを設け、そこに相談を寄せてきたなかから、女性だけを選んで登録制のチャットルームへの参加を勧めた。
こうして大越美佳もチャットルームに登録した。手痛い失恋と就職活動の失敗が引き金で重度の鬱状態に陥っていた。チャットメンバーは美佳以外に三人いた。全員女性である。メンバーからの悩みに対して、神居がアドバイスを与えることもあるし、仲間同士で励まし合うこともある。頃合いを見計らって、神居はオフ会を呼びかけた。
オフ会で目立っていたのは美佳だった。神居は美佳に強く惹き寄せられた。ショートカットの可愛らしい清楚な顔立ちで、育ちの良さを感じさせる雰囲気を醸し出していた。神居はメンバーに自分語りを促した。アドバイスをしながらも、メンバーの悩みに同調し、メンバーの自殺念慮に引きずられたような形をとって、心中へとメンバーを導いていった。三度目のオフ会で、メンバー全員が心中計画に同意した。
心中決行を数日後に控えて、神居はメンバーの一人に計画からの離脱を伝えた。自分の離脱によって計画そのものが頓挫することもあり得るが、神居としては、メンバーの希死念慮の強さに賭けたのだ。当日、G県の自然公園まで車を走らせ、タイミングを計って決行場所へと近づいていった。
神居は用意してきたシートを草原に敷いた。それから、窓越しに懐中電灯を照らし、美佳が死に至るのをずっと目撃していた。美佳は助手席に坐っていた。その瞼が時折痙攣した。何度か苦しそうに軀を捩った。その様子を見ているだけで、全身の毛が起毛するような興奮を覚えた。美佳の頬を一筋の涙が流れ落ちた。その瞬間、美佳は絶命した。神居はそう確信した。さらに時間を置いてから、神居はドアを開けた。車内の一酸化炭素を抜いたあと、美佳の軀を抱きかかえると、全裸にしてシートに横たえた。神居と美佳の褥である。
神居は車のへッドライトを点け、その光のなかで美佳に添い寝した。霊安室の光景が甦ってきた。神居は美佳の軀を愛撫し、挿入した。美佳の生命の火はすでに消えているのに、軀はまだあたたかい。神居は衝き上げるようなエクスタシーを味わった。尽きることがないかのように何度も何度も美佳を貫いた。果ててから、神居は美佳の軀を用意してきたデジカメで何枚も撮影した。儀式を終えると、神居は美佳の衣服を整え、車内に戻した。最後の仕上げに、もう一度練炭を燃やし、目張りテープを外から貼って、自分の痕跡を完全に消して、車を離れた。
一件目も同様にターゲットの女性を凌辱した。瑠璃のときは、二人きりであることも手伝って、一酸化炭素中毒で死ぬのを待ちきれなくて、睡眠導入剤で眠ったのを確認して、行為に及ほうとしたのである。

JRターミナル駅に直結しているホテルのカフェルームで、平田は塔子から神居の自供内容について詳しく説明を受けた。ミネルバ興信所が警察筋から得た情報である。所長は元刑事であり、現職警察幹部ともコンタクトがあるので、詳細な情報が入手できるのだ。
「神居はドアをどうやって開けたのさ。合い鍵を持っていたわけではないだろう」
「平田さんも探偵なんだから、車のドアくらい合い鍵がなくても開けることができるでしょう。神居も同じよ」
そう言うと、塔子は運ばれてきた二杯目のコーヒーに砂糖を入れ、スプーンで掻き回した。それから、ミルクを落とした。カップに白と茶色の渦巻き模様ができた。塔子はカップをゆっくりと口に運んだ。
「そりゃそうだな。ところで、もうひとつ疑問点があるんだ。警察は目張りテープが外から貼ってあることに不審を抱かなかったのかい」
「その点はあたしも疑問に思った。でも、警察では、メンバーはまず助手席のドアに外から目張りテープを貼ったのだろうと考えたらしいわ。そして、司法解剖はしたけれども、死後強姦なんて行為はさすがに想定外のことだったので、見逃された」
「そんななかで、調査のとっかかりになったのが大越美佳さんのパソコンに残っていたメモだったわけだ」
「そう。神居は心中前にチャットメンバーに交信記録の削除を指示していたそうよ。美佳さんは指示に従って記録を消した。けれども、決行日の二、三日前にモノローグ風のメモを綴っていた。もしかすると彼女は自分を待ち受けている運命を予見していたのかもしれない。もともと彼女はマスコミ志望で、文章を書くのが好きだった。結局、このメモが彼女の無念を晴らす手がかりになったのよ。ご両親はメモを読んで、何度か開かれたオフ会に疑問を持った。オフ会には美佳さんを含めて五人のメンバーが集まっていた。そのやりとりからご両親は、主宰者がメンバーの発言を巧みに繰りながら、メンバーの総意を集団自殺へと誘導していったことを読み取った。ご両親は主宰者が自殺予防を標榜したホームページを運営しているにもかかわらず、そのような背信行為を行っていたと考えたのよね」
「しかも、実際の心中の参加者は四人で、主宰者らしき人物はいなかった」
「メモには、決行日を数日後に控えて、メンバーの一人から主宰者が計画からおりることになったという連絡がはいったことが記されていた。それに対して美佳きんが不審を抱いたふしはなく、役割分担が変更になった事実が淡々と綴られていた」
「たしか両親は警察にメモを提示して、ホームページの主宰者を調べるように要請したんだな」
平田はショートホープを取り出して、火をつけた。塔子は睨みつけてきた。平田は両手を合わせて、目の高さまで持ち上げた。この場だけ許してくれというメッセージである。ただ、塔子に気を遣って、灰皿はテーブルの隅に置き、横を向いて煙を吐いた。
「警察では聞き入れてくれなかったそうよ。主宰者がオフ会で遠隔操縦的にメンバーを心中へとめいたという推論はひとつの解釈にすぎない。そして、集団自殺でメンバーが離脱することはままあり得ることで、それだけで事件性があるとは考えられないとすげなく撥ねつけられた。さらに言うと、なぜか美佳さんはメそのなかにホームページの名前を明示していなかったので、主宰者を特定することが難しかったのも警察の腰を重くしたんだと思うわ」
「警察が事件として取りあげてくれなかったので、大越夫妻はミネルバ興信所に依頼してきた。結局、事件解明につなげたのはご両親の執念だったんだな。ともあれその結果、俺と塔子という最強コンビが再結成されたわけだ。俺たちの唯一の手がかりは美佳さんが残したゴッテスヴィレというハンドルネームだけだった」
「そうね。あたしは手当たり次第に自殺防止を標榜するホームベージにアクセスして、ゴッティスヴィレというハンドルネームにやっと辿り着いた。こんな変わったハンドルネームだけど、三人の人が使っていたんだから、驚くわね」
「ゴッテスヴィレはドイツ語で神の意志。縮めると、神意、つまり神居ということだ。神居は心中の決行日時も場所も知っていたので、メンバーが息絶えたタイミングに車に乗り込んで、美佳さんの遺体を車外に出して犯行に及んだ。ハンドルネームの意味が分かってしまうと、くだらない酒落にすぎないけれども、奴が犯した犯罪を考えると、その酒落はおぞましいものだったわけだ。それと、奴の行動に固着性があったことが俺たちの調査に幸いした。そういえば、奴の固着性はオフ会の会場だけでなく、爪を噛む癖にも現れていたな」
美佳のメモから、オフ会はいつも同じファミリーレストランで開催されていたことが分かった。それで、塔子が美佳の写真を手にして、オフ会の会場となっていただろうと当たりをつけたレストランを次々と訪れた。チェーン展開しているファミレスの店長が美佳の顔を記憶していた。塔子が美佳の死を説明すると、店長は驚いた。店長はそのときの男性メンバーがいまも店を利用していることを教えてくれた。こうして、塔子はゴッテスヴィレが神居という人物であり、しかも同業者であることを突き止めた。
「彼の固着性はそれ以外にもあるわ。分かる?」
「思いつかないな」
「神居は清楚な雰囲気の女性が好みだそうよ」
「そう言われれば、大越美佳きんは清楚で爽やかな美人だし、第一の事件の被害者も美佳さんに似ていると言える」
「神居はあたしたちのオフ会と並行して、別のオフ会も開催していた。神居としては、集団自殺の相手としてどちらかのグループを選択しなければならなかったけれども、あたしたちを選んだ。なぜかというと、あたしが美佳さんと雰囲気が似ていたからなの。もう一つのオフ会には綺麗な熟女がいたそうだけど、あたしの方が清楚で魅力的だったってことよ」
「塔子は清楚というカテゴリーとは違うんじゃないか」
「カテゴリーが違うってどういうことよ。神居がそう供述しているのに、平田さんが否定するなんて、失礼だわ。あたしをよく見てご覧なさい。清楚を絵に描いたような女性でしょう」
塔子は伏し目がちに肩口まで伸びた髪を梳く仕草をした。そして、髪を前に寄せて枝毛をチェックしている。
「今回の仕事ですっかり身についてしまったの。最初は鏡を見ながら練習していたんだけど、徐々に自然にできるようになった。いまでは我ながらいけてるなと思っているのよ」
平田の視線に気づいて、塔子は照れくさそうに言った。
「たしかにルックス的には清楚と言えなくもないし、ロングヘアーも意外と似合っていた。でも、塔子の性格、行動パターンを知っている俺が塔子の外見に惑わされるわけがないじゃないか」
塔子は平田が口に咥えていたショートホープを抜きとると、灰皿に捨てコップの水をかけた。
「俺がいま言ったことを聞いていなかったのか。清楚な女性はそういう行動をとらないものだよ」
「相手によりけりよ。平田さんの前で、清楚な女性を装ったって意味ないもの。問題は神居をどう惹きつけるかだったわけでしょう。容姿が清楚なだけでなく、見守ってあげたくなるような行動をする。あたしの欝病、堂にいっていたでしょう」
「でもさ、きみが五歳もサバを読んでいたことを神居は知らなかったんだよな。ある意味で気の毒な話だ。二十代の清楚な女性にして、その実態はオーバーサーティーのジャジャ馬だったのだから」
「いいじゃない、五歳くらい。以前の仕事では十歳サバを読んだことがあるんだから。年齢を誤魔化せることも探偵の能力のひとつよ。そもそも神居がそれを見抜けなかっただけよ。あなただって神居の立場だったら、仕事を忘れて鼻の下を伸ばしていたと思うわ。だいたいにして神居はあなたに負けず劣らずへボだわよね。あたしの行動を監視していたのに、自分の業務が終了したあとは、逆に平田さんやあたしに追尾きれていたことに気づいていなかったんだもの」
「供述から推測すると、奴は誰かに追尾されているという印象を持っていたようにも思える」
「でも、探偵の自分がまさか監視対象になるはずがないと思い込んでいた。職業上の驕りでしょうけど」
「それにしても、警察が美佳さんの事件でもう少ししっかり調べていればよかったんだ」
「その代わり、ミネルバ興信所に調査依頼は来なかった。結果として、平田さんのところに仕事が回ることもなかった」
「ということは、俺たちのコンビ復活もなかったわけだ。もちろん、被害者がでないに越したことはないけれども、俺としては、塔子と一緒に仕事ができて良かったと思っているよ」
平田はカフェオレを飲み干した。カフェの広い窓からは、大きな葉をつけたプラタナスが西日を浴びて黒々とした影を落としているのが見えた。
「あたしは平田さんとのコンビを望んだわけじゃないですから、誤解しないでください。あくまでも所長からの業務命令に従ったのにすぎないのよ」
「そんなビジネスライクな言い方はやめようよ。俺は人間と人間、男と女として接したいと思っているんだ。俺たちは長い付き合いなんだから、俺という男を見てくれないか」
「世迷い言を言わないで。長い付き合いで、平田さんという男の裏も表も知り尽くしているから、なおさら嫌なのよ。どう見たって、平田さんはタバコ臭い、きえない中年男にすぎない。そして、女子中高校生のお尻を追いかけ回しているヘボ探偵。だから、今回のような慣れないケースの場合には、あやうくタイミングを逃してしまいそうになるんだわ。万が一ってことだって、あり得たはず。そのときには、囮のあたしが被害者になっていたのよ」
「違うよ。俺は絶妙のタイミングを計っていたんだ。そんなことより、これから事件解決の打ち上げに行こうよ。雰囲気が良くて、料理もワインも最高のフレンチレストランを見つけたんだ」
「何か月か前に飲みに行ったことがあるじゃない。そのときあなたは何をしたか覚えている?」
「……」
「いきなりおならをしたのよ、若い女性の前で平然と。しかも周囲のお客さんにも聞こえるような大きなおなら。どれだけ恥ずかしかったことか。平田さん、デリカシーって言葉知っている。そもそも礼儀という言葉だって平田さんの辞書にはないでしょう。そんな男がフレンチレストランだなんて、笑わせないでよ。バカバカしくて話してられない。あたし、もう帰る。そして、所長に二度と平田さんと組ませないでとお願いするわ」
塔子はバッグを肩にかけて、ドアに向かった。平田はレジで支払いをしてから、塔子のあとを追った。しかし、塔子の姿は見えなくなっていた。ホテルの前の歩道に出て、左右を見渡した。それらしい後ろ姿はなかった。トイレに入ったのかもしれないと思い、ホテルに戻った。しばらく待ったが、誰も出てこなかった。やむなく平田は地下駐車場につながる階段をおりはじめた。そのときメールの着信音が鳴った。塔子からである。ディスプレイには、JR駅の待合い室にいるというメッセージが表示されていた。

『闇のレミニセンス』

『闇のレミニセンス』

大越美佳という女子大生が集団自殺をした。両親はその死に不審を抱いたが、警察では事件として取り扱ってくれなかった。両親は興信所に調査を依頼し、平田と原島塔子が担当となった。調査のなかで、自殺予防のホームベージを主宰している神居という男が疑惑の主として浮かび上がってきた。神居も探偵だった。 そこで、塔子は藪瀬瑠璃という鬱病患者を装い、親が自殺念慮の強い娘を案じて、神居に対して娘の行動調査と安全確保を依頼する形を偽装した。それと並行して、塔子こと瑠璃は神居のホームページにアクセスして、登録制のチャットルームのメンバーになった。 こうして、瑠璃は不安定な精神状態にある姿を神居に監視させるとともに、平田が神居の行動を追尾した。平田の追尾により、神居の闇の部分が暴かれていく。

  • 小説
  • 短編
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-07-29

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