ザクロ

 ザクロの甘酸っぱい少し苔むしたような芳香が初めての接吻をしたときに鼻孔をくぐり抜けた。その時の云いようのない気持ち、私の脳裏にあの赤い実がいくつも転がりこみ、どうにも締め出すことができなくなったときのあの感情、もはやただ赤い実の画を回想しただけにすぎず、恍惚もない初交。
 秋、実家の庭にあるザクロの木が実を付け、初めての接吻の匂いが早朝の庭先に漂いはじめると、接吻をした後に少し呆けた顔をしてしまい、それを敏感に感じ取った年上の処女が、何もかも悟ったように、いかにも年上らしい幕引きを量ったのか「ごめんね」と要領を得ないことを云い、私から一歩離れたときの絶望的な距離感とわが身の経験の浅はかさを呪ったことが、頭の中で回転し始めて、いったいどうすればよかったのかと悶悶とし、吸い寄せられるようにザクロの実に接吻をした。ぱっくりと開いた実の先に舌を挿し込むと、果肉の味が舌先から伝わってきた。それが面白いことに、実によって甘さや酸味、あるいは芳ばしさ、青い果実特有の緑草の匂いの配分が違うので、はぜた乳房のように垂れ下がっている実のすべてに接吻をし、最も熟れた実を探し出してむしり取った。それを叩きつけて半分に割り、妄りな果肉を露わにすると、優しく歯を立てて感触を味わい、しまいには、思いのほか赤くない、ルビーから情熱を幾分奪った程度の赤い汁が顔に飛び散る勢いで、やはりこれでよかったのだと合点しながら、ためらいなく喰らいついた。
 床に入り瞼を閉じるとまたあの女の赤く湿った唇を思い出した。が、それがいったい誰であったのか、寝惚けてすぐに出てこず、薄っぺらな記憶を頼りに、顎先に小さな黒子があったのを、鼻のてっぺんがつるりとした剥きたての白い肌であったのを、そして、もうその女が死んだことを思い出し、あの生温かいしぶきが顔に飛び散る快感がよぎり、皮膚が浮き立ち、ため息が洩れた。これが在るかぎり、もうずっと、どこにいても、誰であっても、私を咎めることはできない。
 私は冷たい鉄扉を横目で見て、そこに慎ましい女の乳房を目で描くと、今年も庭のザクロは実を付けているだろうかと夢想し涎が溜まってきたのだけれど、それを祖父が切り倒したという知らせが手紙にあったのを思い出してざらざらした砂のような感情が胸に沸いた。それでも生来、前向きな気質である私は、もう庭に行くこともないのだから、畳の上で、覗き穴からの眼光に怯えながらでも、小欲に耽ることに生を捧げようと思った。
 やがて格子状の月明かりが畳に触れる頃になると、心地よい涼風が内股を撫であげはじめ、そのうち、ふつりと意識が途切れ、枕に頬骨が沈んだ。…

ザクロ

ザクロ

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-03-13

Copyrighted
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