依頼


その水晶玉を手にした時,占い師は,形状は同じでも,それが真っ黒な石で作られた別の物ではないかと疑った。そうすることが正しい順番であったからであり,それが本当に水晶玉もどきであったなら,その依頼をさっさと断る理由に仕立て上げようと目論んでいたからだった。そして,その目論見がはずれたことは,占い師においてすぐに判明した。その占い師が普段行なっていた占いはカードを用いた別のものであったが,水晶玉も使えたため,それが占いに使える本物の水晶玉であると判断することは容易だった。それは球面に応じて写る像とは異なり,その中心に運命を映せる物である。覗くと虜になるアレである。占い師はひとつ頷いた。続けて,こう判断した。ということは,この蠢く色は後から生じた結果で,誰かがこうしたか,あるいは何かがこうしたんだな,と。そして,目の前の訪問者がこの原因たる者なのかどうかは知らないが,こうして私の下にやって来たということは,これを元の状態に戻して欲しいのだ。それを依頼しにやって来たのだと,占い師は改めて推測した。実際,占い師は目の前の訪問者に対してそう訊いた。これに対して,訪問者は一回,頷いた。それで返事が終わりだということについて,占い師は分かっていた。この訪問者が占い師の元にやって来てから,ずっとそうだったからだ。怪しいといえば怪しいのだろう。その姿をローブで隠したりはしていないが,ときに挙動はそれ以上の疑義を世界に呈する。それについて,ある程度の答えを出しておくのが,転ばぬ先の杖であるだろう。しかし,占い師はその様子を見せない。神秘性を売りにするために被っていたローブをすっかり脱いで,それ以上に水晶玉に関心を寄せている。そしてまた,ひとつ頷いた。占い師は依頼を引き受けたのだ。条件もひとつ,「ただし,あなたも一緒に同行して下さい」。これに対して,その依頼人は一度頷いた。こうして二人はさっそく出立した。森の奥の泉に向かって。
そこに水晶玉を浸せばすぐに済みますよ,と占い師は依頼人に対して説明した。依頼人は一回頷いた。
「道中も険しくないし,ここからそれ程,離れてもいませんから。」
依頼人はこれにも頷いた。
「ただし,一晩は覚悟しなければいけません。」
また依頼人は頷いた。
「途中に,寝泊まりに適した場所があります。今日はそこまで目指しましょう。」
依頼人はただ頷いた。
「それにしても,この水晶玉は見事ですね。」
依頼人は強く頷いた。
「あなたの物なのですよね。」
これにも,依頼人は強く頷いた。
「こうなってしまって,さぞ悲しいのでしょうね。」
占い師は,これに対しても,その依頼人は頷くだろうと思っていた。しかしその予想に反して,その依頼人は頷かなかった。占い師はその反応を踏まえて,こう考えて口にした。
「ふむ。あなたは,こんな状態であっても,この水晶玉を気に入っているのですね。」
依頼人はその通りに頷いた。
「なら,目的は別にあるのですね。」
依頼人はまた頷いた。
「これを森の奥の泉に浸せば,私にもきっと分かる。」
依頼人は頷こうとして,その途中で止める動きを見せた,が結局は頷いた。占い師はその様子の全てを見て,それ以上に訊くことを止めた。そうして二人は沈黙を守り続け,日が落ちて数時間が経った頃になって,占い師が言っていた『寝泊まりに適した場所』に辿り着いた。
そこは森の中にあって,樹々が避けて作り上げた広場のようになっている場所であり,周囲の樹々が協力して根を持ち上げて生み出したほら穴があり,すっぽりと嵌る形で,人が上手く眠ることが出来る,そういう場所だった。ほら穴の数は数個あり,自分に適した所で眠ることになる。占い師は,森の奥の泉を訪れる際に必ず利用すると決めている,いつものほら穴の中を覗き込み,内側の様子を確認してから,ローブのフードを被りながら,私はここで眠りますね,と依頼人に告げ,あなたは,あそこにあるほら穴に眠るのはいいでしょう,と提案した。しかし,依頼人はそれに頷くことはなく,広場の真ん中に座って,樹々の枝葉が覆う上空を見上げて,そのまま動かなくなった。その変化は,占い師でも予想しなかったものであり,占い師の方でもそのまま暫く観察を続けていたが,それ以上の変化があまりにも起きなかったため,占い師もほら穴を出てきて,依頼人の座る位置まで近寄り,腰に手を当てて立ったまま,暫くそうしていた。
そこからの変化が生じたきっかけは,樹々の意思ある葉擦れと,依頼人から聞こえてくる,自然な発声とのやり取りであった。一枚一枚が分かれていき,一枚一枚が重なっていった。その過程が必要な分だけ起きていき,必要がなくなると次第に閉じていった。この『寝泊まりに適した場所』に住み,占い師や依頼人よりも先に,枝葉にぶら下がる形で眠っていた虫たちが漏れなく起こされることになり,見上げていた占い師や依頼人の顔や頭に向かって落ちていたはずである。しかし,占い師も,もちろん依頼人も,そんなことを気にする素ぶりを一切見せなかった。ただただ,そこに現れる景色に見惚れていた。それは,星々が煌めく空である。しかし,背景としてそこにあるべき闇が無く,見る角度によって変わってしまう雲のような,不思議な色合いに満ちていて,地図のように全てが判る。こうして見ている占い師も,依頼人も,そこにあるものとして,恐らく目印になっている。見ているのに,見られている。恐らく,すべての存在がそうなっているのだろう。怖くもあり,見続けていたいとも願う。動けなくなる力。動かない理由である。水晶玉を使い,その中央に映る運命だって観てきた占い師が,初めてその目にした情景は,占い師のものであり,依頼人のものではない。等しく現れ,異なって映る。だからこれは,生きとし生けるものものを拘束するだろう。だからこれは覆わなければいけない。占い師はこうして気付いた。そして,座り続けている依頼人を見た。占い師はそうして,その言葉を口にしようとした。けれど,それに成功することはなかった。代わりに,依頼人がそれを口にした。初めて聞いた声だった。寝床から這い出てきた虫たちが見上げていた。それに気付いた依頼人が恥ずかしがっていた。
「ええ。浸せばすぐに済みますよ。」
腰に手を当てたままだった占い師は,依頼人にそう答えた。そうしてもう一度,目の前の情景を目にした。先の言葉どおりなら,すぐに済むから二度と見ることはない。そして,必ずそうなるという結末を,占い師は既に知っている。水晶玉が元に戻る。
黒の帳が等しく降りる。

依頼

依頼

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-03-11

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