酸素が足りない街で 第二章 金太郎飴は実は桃太郎だという話

耳鼻科医は額帯鏡をつけると何事もなかったかのように診察を始めた。
「ご自分の時計を見てください。今何時になっていますか?」
僕は時計を見た。よくわからない部分があったがそのまま読んだ。
「今は、5i時です」
「虚数時間を現出させていますね」耳鼻科医は眉を上げてこう言った。
「やっぱりこのiっていうのは虚数の意味ですか」
「そうです。まあiという記号を使っているのは便宜的なものであって厳密に数学的な意味での虚数とはちょっと違うんですけどね」
「じゃあその虚数時間を、その・・・なんとかさせているっていうのはどういう意味なんですか?」
「現出、ですか」
「そう、その現出させているってどういう意味ですか?」
「文字通り、あなたが虚数時間を現出させているという意味です」
僕は思わずスマホを取り出して検索してしまった。

げん‐しゅつ【現出】 の意味
出典:デジタル大辞泉
[名](スル)実際にあらわれ出ること。また、実際にあらわし出すこと。出現。

「虚数時間とはなんですか?」
「通常の時間軸と直角に交わる時間軸に沿って経験される時間のことです」
「直角?」
耳鼻科医は机の引き出しから何か棒状のものを取り出した。
「これは金太郎飴です」
そういって僕に手渡した。僕はそれをいろいろな角度から見た。
「こっちの端には笑っている金太郎がいるのに、反対側では泣いていますね」
「この絵は桃太郎ですよ」
「え、金太郎飴なのに桃太郎なんですか?」
「金太郎飴なのに桃太郎なのがこの飴の秘密なんです」耳鼻科医はなぜか得意げにそう言った。僕はちょっとイラッとしたが、話を合わせることにした。
「わかりました。桃太郎なんですね」
「そうです。この金太郎飴は二次元の世界で笑っている桃太郎が泣くまでの時間の経過を表しています。たとえば、ここで切って断面を見ると・・・」
そう言って耳鼻科医は笑っている側の端の近くで金太郎飴を輪切りにした。その断面では、桃太郎はまだ笑っていたが、少しその笑いは薄くなっていた。
「この桃太郎にとって、この一つの断面だけが自分の世界です。別のところで切った断面は彼にとって過去、または未来となります」
耳鼻科医はトントンと飴を均等に輪切りにして断面を見せた。少しずつ、笑顔が薄まって行き、顔がゆがみ、泣き始めた。
「このように、切る位置をずらしていくと時間が経過します」
医者はまた切ったものをくっつけて棒状に見えるようにした。
「二次元の世界においては、時間も空間次元の一種とみなせばこのように三次元の立体となります。同じように考えれば、私たちの住む三次元の世界は、時間を含めれば4次元の立体だとみなせるのです」医者は机の引き出しからまた何か取り出した。さっきの金太郎飴と同じに見えたが、中ほどにこぶができていた。
「正しい時計を持っている人は、この飴を正しい位置で切ることができます。ところが、あなたは時計が壊れていて変な位置で切ってしまっています。さらに認識する世界自体も病変しています」
「世界自体、ですか」
「こんな感じです」医者はこぶのできた飴を示して言った。
「これを間違った位置で切ってみましょう」
医者はこぶを切り落とすような形で飴を切った。
「このように切ると、通常の時間軸と直角に交わる時間軸に沿って時間を経験することになるのです」
そう言って断面を僕に見せた。そこには桃太郎でも、金太郎でもないぐちゃぐちゃの絵が浮かんでいた。僕はあっと叫んで椅子から転げ落ちそうになった。
「治療としては、こちらでできることはありません。時計屋に行って正しい時計を見つけるしかありません」
「時計屋ですって!違法じゃないですか!」
僕はまだ心臓がどきどきしていて、叫ぶように言った。
時計とは生まれたときに自然に授かるもので、時計屋で買うなんて言語道断の行為である。
「確かに違法ですが、それしか方法がないときはやむをえません。信頼できる時計屋を紹介します。この街の西のはずれに『古書光陰堂』という古本屋があります。そこは表向きは古本屋として営業していますが、実際は時計屋です。店主に『光陰の書』を読みたいと声をかけてください。そうすると時計を売ってもらえます」

それで診察は終わりだった。それ以上のことは何もわからなかった。時計屋へ行けなんてまっとうな人間の言うことじゃない。大体、病気の説明だって聞いて理解はしたけれど到底納得のいくものではなかった。特に金太郎飴だけど実は桃太郎、なんて人を食ったような話にも腹が立った。こんなにイライラするのは眠いせいもあるかもしれない。やっぱり今は真夜中なのだ。時計が壊れてからいつも眠気を感じている。時計屋に行くのは別の日にして、今日はもう帰って寝よう。

酸素が足りない街で 第二章 金太郎飴は実は桃太郎だという話

続き→第三章 空気マンボウを殴る話http://slib.net/70616

酸素が足りない街で 第二章 金太郎飴は実は桃太郎だという話

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-03-10

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