かあちゃんは男を漁りに行ってる
暖かい 春がようやく落ち着きを届けにきた朝
新聞の片隅にある窃盗事件のローカルな記事が載った。
40代の母と20代の二人の息子が逮捕された。
母親が金目当てに誰かの住居に進入し息子達が見張り役で、数年もの間、何十件ものコソ泥を繰り返したのだという。
息子の一人は、教師をやっていた母のかつての教え子だった。
15年以上前のある日、母は校庭で子猫を二匹拾った。
我が家で育てることになったが、名前がなかなか決まらない。
母は生徒であった彼に尋ねた。
どういう名前がいい?
せんせい、ダイスケとナナにしたらええやん。
はにかみながら呟いたそれは、彼の自分の名前と妹の名前だった。
彼は心優しい少年だったが、学校を休むことが多かった。
欠席が続くと母はよく彼の家を訪ねたが、少年の母親はしばしば不在だった。
お母さんはどこに行っているの?
しらん。たぶん、かあちゃん、また、男、漁りに行っとるねん。
留守番の少年は何気なく答えたという。
彼はそのときまだ6歳だった。
彼は父親を見たことがなかった。
彼の家庭は被差別部落に住む貧しい一家だった。
15年以上経った今、 母は新聞の片隅を通じてかつての少年と再会した。
そして、彼が名づけてくれた二匹の猫のダイとナナは、いまもうちの家族の一番末っ子だ。
今、このような文章を書きながら、
私が母親の教え子を憐れんでいるなどと、どうか思わないで欲しい。
私が盗まないのは善良だからではない、そして私は因果を信じる運命論者でもない。
「かあちゃんは男を漁りに行ってる」
私はその言葉から彼の人生の、
彼が描いてきた人生の絵のマチエールを感じるのだ。
手のひらで感触を確かめる ざらざら ざらざら ざらざら ざらざら ざらざら ざらざら ざらざら ざらざら・・・・・・
ざらざらと、何度でも、さすって感じたいんだ。 誰かが咎めようともな。
彼が見てきた世界のすべて、ぜんぶなんだ。
マチエールの感触。
幸せも不幸も意味しない。
ただ、懸命に生きる人間の言葉には命が宿る。
その燦々と輝く命の火が、私にはなんとも愛しくてしかたない。
ただ本当に、どうしようもなく、口惜しく、やり場もなく、せつなく、愛しいのだ。
小さな残り火を 守るように。
細く一筋の煙が燻る この残り火を いつか どこかへ 灯へ 繋ぐために。
彼が名づけた二匹の猫の命が、私の膝の上でキンクスの「ローラ」を聴きながら、日向ぼっこしている。
生きている。
かあちゃんは男を漁りに行ってる
「マチエール」とは“手触り”とか“質感”というような意味の美術用語。
作家の辺見庸がエッセイなどでよく使っている言葉なので覚えた。
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