新人賞なんか怖くない

「節操がないな」
 約束した喫茶店に遅れて来て、最初の一言がこれである。青島はコーヒーカップを持つ手を止め、ムッとした表情で空野の顔を見返した。
「え、なんだよ。ぼくが新人賞に応募したことがそんなに悪いことか」
 背広の上着を脱いで自分もコーヒーを注文すると、空野は肩をすくめて見せた。
「悪いなんて言ってないだろ。節操がない、と言ったはずだ」
 気持ちを静めるようにコーヒーを一口飲んで、青島は腕を組んだ。
「ぼくのどこが節操がないんだよ」
 苦笑しながら、空野も腕を組んだ。
「おれたちの現状は、いわばネット作家だろ。今までどおりネットで公開すればいいじゃないか。それなりに読者も付いてるし、今さら紙媒体に頼る必要なんかないさ。それとも、大手出版社の権威にすがって、夢の印税生活とやらを目指すのか」
 青島は残りのコーヒーを一気に飲み干し、カップを置いた。
「そういうことじゃないんだ。ぼくも二年ぐらいやってみて、ネットの反応の速さには驚いている。作品をアップしたら、早ければ数分後にはレスが来る。でもさ、アクティブな読者は未だに二ケタだ。しかも、ほとんどが無料公開作品の読者で、電子出版してる有料の作品の読者はもっと少ないんだ。そりゃ、空野みたいなサラリーマンなら、それでもいいだろう。だけど、ぼくみたいな」
 だが、空野は組んでいた腕をほどき、片手を振って青島の言葉を止めた。
「言っちゃ悪いが、おまえが二十八にもなってフリーターなのはおれの責任じゃない。その代わり、おまえには自由に使える時間が腐るほどあるだろう。おれは毎日のように残業して働いて、クタクタになった体にムチ打って原稿を書いてるんだぞ。それは何故だと思う。生活の安定を確保して、これからもずっと創作を続け、いつかはプロになりたいからさ。まあ、おまえの考えるようなプロとは違うがな。とにかく、おれが片手間の趣味でやってるような言い方はやめてくれ」
 キツイことを言われたのに、逆に青島は身を乗り出した。
「だからだよ。プロを目指すからこそ、新人賞を狙うんじゃないか。賞さえ獲れれば、グンと知名度が上がる。今は一年に数冊しか売れていないぼくの電子書籍だって、もっと売れるようになるだろう。万が一、出版社の目に留まって印刷物として出版されるようなことになれば」
 再び、空野が片手を振った。
「そんなの幻想だよ。おまえだって今の出版事情を知ってるだろう。よっぽど大きな賞でも獲らない限り、本になんかにしてくれっこない。元が取れないからな。おれがプロと言ってるのは、専業の作家って意味じゃない。有料配信してもちゃんと読んでもらえるレベルの作品を、コンスタントに出せればそれでいいじゃないか。これからの時代、一握りの流行作家以外はそれしか生き残る道はないよ。二極化だな。おれはひたすらネットに書き続けるよ。何かのキッカケで読者が爆発的に増える可能性だってゼロじゃない。有名人にリツイートされるとかな。そうとも。すべてはネットから始まって、ネットで完結する。まあ、結果的に出版物になるなら、それも悪くはないがね」
 青島は不満そうに口を尖らせた。
「そっちこそ幻想じゃないか。ネット配信された電子書籍からリアルな本になることの方が、奇跡に近いよ」
 何か反論しようとしたところでスマホが鳴った為、空野は人差し指を立てて唇に当てて見せると、電話に出た。
「はい、空野です。ええ、本人ですよ。はい、『おれは冒険の旅なんか行かないぜ』の作者です。えっ、マジ、あ、いや、本当ですか。もちろん、出版をお願いしたいです。え、ハードカバーですか、あ、ありがとうございます。はあ、全国の書店に。わかりました。詳細はお会いして、ですね。はい、はい。それでは」
 電話を切った後も呆然としている空野を、疑わしそうに見ていた青島が我慢しきれずに尋ねた。
「おい、どうしたんだ。もしかして、本が出るのか」
 空野は耳まで真っ赤になった。
「あ、うん、まあな。おれが去年出した電子書籍をハードカバーで出版したいらしい」
 青島はちょっと羨ましそうに、空野の肩を叩いた。
「奇跡って、あるんだな。おめでとう。これで空野もリアル作家の仲間入りだな」
 しかし、空野の赤かった顔が、急速に青ざめてきた。
「ああ、しまった。うっかりオーケーしちまったが、出版費用として最低三百万円かかるそうだ。ど、どうしよう」
(おわり)

新人賞なんか怖くない

新人賞なんか怖くない

「節操がないな」約束した喫茶店に遅れて来て、最初の一言がこれである。青島はコーヒーカップを持つ手を止め、ムッとした表情で空野の顔を見返した。「え、なんだよ。ぼくが新人賞に応募したことがそんなに悪いことか」背広の上着を脱いで自分もコーヒーを......

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-03-10

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted