セレニアの誓い ~テイルズ オブ ジ アビス~
■ご注意
「テイルズ オブ ジ アビス」の二次創作小説です。
原作ゲーム本編の五年前を想定しています。
ルークやティアといったゲーム本編の主要キャラは登場しません。
(一部の本編キャラは登場予定)
アビスの世界観を借りたオリジナルキャラのストーリーです。
また若干、ゲーム本編のネタバレがあります。
ご注意ください。
■あらすじ
神託の盾(オラクル)騎士団の新米騎士「ヨシュア」はダアトの巡回任務中、
ローレライ教団の神官「カナデ」と、花屋“アンダンテ”の少女「フィーネ」と出会う。
“アンダンテ”で三人は心を通わすが、フィーネにはある秘密があって……。
一方その頃、ザレッホ火山で未確認の譜石が発見される。
ローレライ教団の幹部たちは、その譜石に秘められた預言(スコア)の解読を始めていた。
預言に纏わる出来事が、少しずつヨシュアたちの日常を変えていく。
彼らは何を知り、何を思うのか。
■登場人物
◆ヨシュア=ノド(18)
主人公。
預言のままに無目的に日々を過ごす、平凡な少年。
神託の盾騎士団の新兵で、父親から譲ってもらった譜銃を操る。
素直で朴訥な性格。
◆カナデ(18)
ヒロイン。
ローレライ教団の新米唱師。
アガスティアに師事しており、預言の遵守に励む。
臆病な性格で、自分が預言士として一人前になれるか、不安を抱えている。
◆フィーネ(12)
ダアトで花屋「アンダンテ」を営む夫婦の娘。
明るい性格で、しっかり者。
幼いながらどこか大人びた雰囲気をもつ。
「アンダンテ」を盛り立てるために奮闘している。
◆ジェラード=ワイズマン(18)
神託の盾騎士団の新兵。新兵ながら優れた洞察力と見識を備えた優等生。
仕官学校を首席で卒業しており、教養・剣術ともに優秀。
性格は冷静沈着。
ヨシュアとは宿舎が同室であり、仲が良い。
◆サラ=イデアル(18)
神託の盾騎士団の新兵であり、譜術士。
ジェラードやヨシュアとチームを組んで任務にあたる。
気まぐれでマイペースな性格。
◆アガスティア詠師(58)
ローレライ教団の詠師であり、第七音譜術士。
穏やかな男性だが、預言の影響力とその大切さを深く理解している。
◆カンタビレ(?)
神託の盾騎士団、第六師団・師団長。
隻眼の女剣士。
ヨシュアたちの上司にあたる。
若くして異例の師団長就任を果たした実力派。
ジェラードの剣技に興味を示すが、その真意は……?
■第一話
ヨシュアが目を覚ましたとき、すでに同室のジェラードの姿はなかった。
寝起きの頭でぼんやりとその意味を考え、ある事実に気付く。
「やばい! また寝坊した!」
がばっ、と勢いよく布団をはねのけ起き上がる。
時刻を確認すると、朝礼の時間まであと僅かだ。
急いで顔を洗い、寝間着から兵装に着替える。
生まれつきの金色の髪にまだ多少の寝癖がついていたが、もともとくせっ毛なので、なんとか誤魔化せるだろうと判断した。
急げばまだ朝礼の開始時刻には間に合いそうだ。
部屋の鍵を確認した後、ヨシュアは全速力で教会の大広間へと急いだ。
ローレライ教団・神託の盾騎士団第六師団所属・ヨシュア=ノド。
それが、ヨシュアの肩書きだった。
三ヶ月前に仕官学校を卒業し、神託の盾騎士団に所属することになったばかりの新米騎士である。
各師団長の任務に合わせて世界各地へ派遣される他の教団兵とは違い、第六師団はローレライ教団の本拠地であるダアトの警備と治安維持が主な任務だ。
毎朝、騎士たちは詠師の言葉の拝聴と連絡事項の確認を行い、その後、割り当てられた任務に就くのが日課となっている。
遅刻すれば当然、先輩騎士からお叱りと罰則を受ける羽目になる。
ローレライ教会は兵舎と教会部分が一体となった巨大な建物だ。
兵舎から大広間への道のりは、複雑に入り組んでおり、移動するには骨の折れるつくりとなっている。
道中、瞬時に別の場所へとつながる転移魔法陣も駆使しなければならない。
この複雑な構造は対侵入者用につくられたのだろう。
しかし、ここで勤めるヨシュアとしては、慣れるまでに非常に時間のかかる厄介な構造だと言えた。
何より転移魔法陣はたちが悪い。
転移した後に自分がどこに転移したのか、さっぱり分からなくなるのだ。
勤め始めて三ヶ月目の現在、大広間への最短ルートは把握できるようになってきた。
頭で、というより身体で覚えたその道順を大急ぎで駆け抜けていく。
「ジェラードの奴、起こしてくれりゃいいのに……。」
ヨシュアを置いて一人で先に大広間へ行ってしまった同僚騎士を呪った。
ジェラードはしっかり者である。
余裕をもって支度して行ったに違いない。
逆恨みじみたことを思いながら走っていると、ようやく大広間の扉へ辿り着いた。
念のため、扉に耳を近づけてみる。
しかし分厚い扉に阻まれ、中の様子はいまいちわからない。
仕方なく慎重に扉を開け、部屋の中へ滑り込んだ。
どうやらまだ朝礼は始まっていないようだった。
騎士たちは整列しているものの、広間の中央奥にある檀上には未だ詠師の姿はない。
「時間ギリギリだな。」
「え!? すみません!」
おそるおそる最後尾に並ぼうとしていたヨシュアは、唐突に声をかけられギョッとした。
反射的に謝罪の言葉が口に出た。
しかし声のする方へ顔を向けると、そこにいたのは青髪の少年、ジェラードだった。
「……って、なんだ、ジェラードだったのか……。」
はぁ、と安堵の息を吐く。
先輩の騎士に目を付けらたかと心配したが、どうやら大丈夫だったようだ。
「な、なんとかセーフだよね?」
「限りなくアウトに近いセーフだな。」
淡々とジェラードが答える。
「それなら、起こしてくれたって良かったじゃないか……。」
身勝手なことを言うヨシュアに対し、やれやれといった様子でジェラードは答える。
「あのな。お前の寝坊は何度目だ? 何回俺が起こしてやったと思ってる? 流石に俺も面倒見切れんぞ。」
「う……。」
確かにヨシュアは朝が弱く、これまで何度もジェラードに起こしてもらっている。
なかなか反論しづらいところである。
口ごもるヨシュアにジェラードはとどめの言葉を吐いた。
「それにな、朝起きるにしろ準備にしろ、時間に合わせて行動するのは一人前の騎士として出来て当然の行いだ。それが出来ないのは自分に甘いということだ。きちんと自己管理出来るよう精進しろ。」
ピシャリと正論を突き付けられ、もはやヨシュアに反論の余地はなかった。
実際、目の前にいるこのジェラードは規則であれ任務であれ、何事も完璧にこなしてしまう男である。
仕官学校を首席で卒業しており、剣技、教養ともにその実力はお墨付きである。
騎士就任三ヶ月にして早くも将来有望株と噂されている。
それでいて誰に対してもフランクに接するので人望も厚い。
自分のことを凡人だと自負しているヨシュアにも気軽に話しかけてくるあたりからも、その人柄は「推して知るべし」である。
しかし、ここでヨシュアに一つ疑問が浮かんだ。
「そういえば、なんでジェラードもこんな後ろの方にいるんだ? まさか寝坊したわけじゃないだろうし……。」
ヨシュアの問いに、しれっとした様子でジェラードは言った。
「ヨシュアが寝坊で遅刻するのは自己責任だがな、かといってお前を完全に放置しておくのも人が悪いと思ってな。」
これにはヨシュアもさっきとは違う意味で言葉を失った。
どうやらこの友人は、無事ヨシュアが大広間に辿り着いたか確認するために、わざわざ最後尾付近で待っていたようである。
ヨシュアはますます頭が上がらなくなってしまった。
恥ずかしさを誤魔化そうとして、視線を壇上の方へ向ける。
すると、厳かな装束を纏った白髪交じりの男、詠師アガスティアが姿を現していた。
お付きの唱師が拡声器の調整をしている。
朝礼が始まるようだ。
ヨシュアは姿勢を正した。
「オラクルの騎士諸君、日々の忠勤ご苦労である。」
年齢相応の落ち着いた声音でアガスティアは演説を始めた。
「およそ二千年前、始祖ユリアは星の記憶を詠み、我らに導きを下さった。だが、人々はユリアの遺した“預言”を求めて血なまぐさい争いを繰り返してきた。およそ十年前にマルクト帝国とキムラスカ=ランバルディア王国がホド島で衝突したことは記憶に新しいだろう。その際は先代の導師エベノスのご英断で休戦条約締結へと至ったわけだが、まだまだ世界には争いの火種が燻っている。我々ローレライ教団の使命は、正しき未来を守り、人々に秩序と安寧をもたらすことである。そのことを努々忘れぬよう、任務に励んでもらいたい――。」
詠師の演説は日によって内容が異なる。
毎朝違う話を講じるのは、凄いことだと素直にヨシュアは感心する。
しかし如何せん話が長い。
ひょっとすると毎回話す内容が違うのは騎士たちを飽きさせないためなのかもしれないが、そうだとしてもヨシュアにとっては退屈な時間に他ならなかった。
ふと隣を見ると、ジェラードが微動だにせず真剣な様子で演説を聴いている。
その姿には決して優等生ぶって背伸びしているような“いやらしさ”はない。
ごく自然に、このような公的な場での立ち振る舞いを実演している。
ジェラードが内心どう思っているのか、ヨシュアには窺い知れない。
しかし、このようなジェラードの態度や振る舞いを見るたびに、ヨシュアは自身の立ち振る舞いを改めなければと気合を入れ直すのだった。
ようやく長い演説が終わると、アガスティアは壇上から下がっていった。
代わって隻眼の女性、第六師団長のカンタビレが整然と並ぶ騎士たちに号令を発した。「本日も惑星預言に関わる連絡事項はない。通常通り各自持ち場につき、任務に励むように! 解散!」
カンタビレの一声がかかると、並んでいた騎士たちが一斉に動き始めた。無論、ヨシュアたちも行動を開始している。
「今日も僕たちは市街地の巡回だよね?」
「そうだな。早いところ正門前へ向かおう。サラの奴ともそこで合流だな。」
ヨシュアたちは大広間を後にし、教会の正門へと向かった。
■第二話
「お疲れ様です! アガスティア様。」
朝礼を終え、大広間から退出するアガスティアにカナデは声をかけた。
「おお、カナデも助勤、ご苦労様。すまないね。毎朝準備を手伝わせて。」
「いえ、とんでもないです。わたしは唱師の身分なのですから。
お手伝いできることがあれば、何でもおっしゃってください!」
「何でもか。そのうち私の仕事がなくなってしまうかもしれないなぁ。」
カナデの言葉に、アガスティアは冗談めかして微笑んだ。
「茶化さないでくださいよ。本当にわたしはアガスティア様のお役に立ちたいのですから。」
むっとしてカナデは言い返す。
実際、カナデは心底アガスティアを尊敬している。
アガスティアは“第七音譜術士”であり、かつ誠実な人柄から、比較的若いうちに詠師職に就いた才人である。
公務に対しても実直に取り組んでいる。
先ほど行っていた演説もその一例と言えた。
「多くの者に世界で起こっていることに関心を持ってもらいたい」として、様々な分野の話をしようと苦心しているのを、カナデは知っている。
そんなアガスティアだが、実はカナデとは親戚の関係にあった。
ローレライ教団の神官たちは、トップである『導師』とそれに次ぐ地位である『大詠師』の他、『詠師』、『律師』、『唱師』という順に階位が設定されている。
カナデが唱師という低い地位でありながら、アガスティアの付き人のような仕事をさせてもらえているのは、血縁者であるところに事情があった。
カナデは生まれつき第七音素を操る素質をもっていた。
カナデの能力に驚いた両親が教会で預言を詠んでもらうと、ローレライ教団に仕え、その才能を人々のために活かすべし、という内容であった。
そこでカナデの両親はアガスティアにカナデを紹介し、神官としてローレライ教団に仕えることができないか相談したのである。
奇しくもアガスティア自身が第七音素を扱う第七音譜術士であったため、アガスティアが第七音素の扱い方や教団の教えをカナデに教授する代わりに、カナデはアガスティアの公務の手伝いをするという形で教団に迎え入れられたのだった。
それ以来、まるで孫の面倒をみるかのように、アガスティアはカナデを気にかけてくれている。
「時にカナデ。第七音素の扱いはもう慣れたかね?」
「それが……その、まだ、あまり……。」
不意のアガスティアの問いに、カナデは口ごもった。
本当のところ、第七音素を取り扱うだけなら、すでにその技を体得している。
しかし、カナデには不安があった。
第七音譜術士が重宝されるのには理由がある。
第七音素は第一から第六音素とは別種の特殊な音素であり、星の記憶が内包されているのだという。
そして、素質のある者が第七音素を取り込むことで、星の記憶を読み取ることができるのだ。
それはすなわち未来の予言であり、“預言”と呼ばれている。
そのため、預言の詠める第七音譜術士は“預言士”と称されたりもする。
かのユリア=ジュエも第七音素の解読能力に優れた人物であったとされ、現在でも未確認の存在である第七音素の集合意識体・ローレライと契約し、二千年後まで及ぶ大規模な未来視を行ったのだという。
このユリア=ジュエの遺した預言は”惑星預言”と呼ばれている。
現在での一般的な預言士の仕事といえば、人々の身近な将来について預言を詠む場合が多い。
誕生日にその年の出来事を預言士に詠んでもらう等といったように、人々は自身の生活や生き方について預言を頼りにして生きている。
カナデもまた、預言士となるようにアガスティアに指導してもらっている。
しかし、カナデは「誰かのために預言を詠む」ということが非常に不安なのだった。
これまでに預言が外れたという事例をカナデは聞いたことがなかった。
二千年にもわたるユリアの預言”惑星預言”も的確に世界の趨勢を言い当てている。
そのため、この世界において預言とはなくてはならないものとなっていた。
人々にとって自分の未来を予め知ることは、確実な将来像を描くことができ、生きる道しるべとなる。
そういう意味で、預言は人々に安心を与えているし、生きる上での拠り所となっている。
当初はカナデもそう信じていた。
いや、今でもそう信じてはいる。
しかし、自分が実際に誰かの未来を予言する立場になることを考えると、途端に不安になるのだ。
端的に言えば預言を詠む自信がないのである。
自分は臆病で、どんくさい。
いつか本当に一人前の立派な大人になることができるのだろうか。
そう思っていたカナデにとって、ローレライ教団へ入信し、アガスティアと出会えたことは人生のうちで大きな転機になったのだ。
そして、それは星の記憶を預言士が詠み取った結果なのだという。
もし預言士になれば、そんな運命的な導きを、今度は自分が誰かに行うのだ。
自分なんかが他者の人生を導いてしまっていいのだろうか。
自分にそんな権利があるのだろうか。
自分が預言士となることを思うと、いつもそのような考えが頭によぎり、預言を詠むことを躊躇してしまう。
しかし、このことをアガスティアに話すわけにはいかなかった。
アガスティアはこれまで数々の預言を詠み、教団の公務にも誠実に取り組み、人々を導いてきた。
そんな偉大な人にこんな情けない話は到底できない。
「悪いね、困らせるようなことを訊いてしまった。」
すっかり黙ってしまっていたカナデにアガスティアが気遣うように言った。
「第七音素は未だ謎の多い音素だ。 闇、土、風、水、火、光。この世を構成する物理属性。それらを司る第一から第六までの音素とは性質を全く異にする。そのため、その使い道も多岐にわたる。預言を詠むことに限らず、傷ついた者を治癒する術に応用することも可能だ。じっくり学び、自分の納得のいく使い道を探していきなさい。今焦ることはないのだから。」
「ありがとうございます。アガスティア様。」
まるでカナデの思いを見透かしているかのような言葉に、素直にカナデは礼を述べた。
すると、そこへ男の声が割り込んだ。
「お取り込み中、失礼いたします!」
すっかり廊下で話し込んでしまっていたカナデたちに、神託の盾の騎士が急いだ様子で駆けつけてきたのだ。
どうやらアガスティアに伝達事項があるようだ。
「アガスティア様、至急、地下の書庫の方までおいで頂けますか?」
「地下の書庫?」
アガスティアが訝しげに訊き返した。
やってきた騎士の様子からすると、緊急の用件のようだ。
しかし、何故地下の書庫なのか。
そのわけが理解しがたかった。
そこは日常的に利用するような場所ではない。
信者や参拝客も利用できる一般的な図書室は一階にもある。
「はい。詳細は私も存じ上げていないのですが……。」
そういって騎士は、ちらりとカナデの方に一瞥をくれたが、言葉を選ぶようにして話を続けた。
「なんでも第七譜石に関わる件だそうで、大詠師モースがお呼びなのです。」
「モース様が? 第七譜石に……地下の書庫か……。まさか、ザレッホ火山で何か……? わかった。急いでそちらへ向かおう。」
思案顔だったアガスティアだが、何か思い至ったことがあったらしく、騎士に了解の旨を伝えた。
「カナデ、見ての通り急用ができてしまった。すまないが今日の講義はお休みにしてもらえるかな? 何かあれば使いを寄越すのでな。」
それだけ言うと、アガスティアは騎士と共に歩いて行った。
この後朝食を食べ、アガスティアの講義を受ける予定だったが、時間的に難しそうだ。
カナデは空いた時間をどう過ごすかに頭を巡らせた。
すると、歩き出したアガスティアが思い出したように振り返った。
「そうだ。確か私の部屋の花が萎れてしまっていたな。何か新しく花を見繕ってくれるかな。カナデの好きな花で構わないから。」
そういえば、飾っていた花の元気がなくなっていたな、とカナデも思い出す。
「わかりました。何か新しいお花をご用意しますね。」
アガスティアの急用の内容も気になったが、自分が首を突っ込むべきではないだろうと考え、カナデは花の調達に向かうことにした。
■第三話
騎士の先導に従いながら、アガスティアはひどく嫌な予感を胸に抱いていた。
大詠師モースは地下の書庫にアガスティアを呼び出した。
一見すると不可解な呼び出しだが、ある秘密を知る者にとっては別の意味を連想させる。
ローレライ教会はパダミア大陸東部の『ダアト』という都市にある。
パダミア大陸は大陸と呼称されるものの、その面積は他の大陸に比べて非常に小さい。
ローレライ教団の総本山であるダアトとダアトへ続く『ダアト港』以外に街はない。
ただ、大陸西部には『ザレッホ火山』という巨大な火山が聳え立っている。
実は、ローレライ教会の地下書庫から、このザレッホ火山へ隠し通路がつながっているのだ。
いつ、どういった経緯で隠し通路が作られたのかは不明だが、今なお通行可能な状態で残っている。
この隠し通路に関することは教会の上層部の一部の者しか知らない秘密事項である。
先導している騎士もこの隠し通路のことは知らないはずだ。
しかし、大詠師モースがわざわざ地下書庫へアガスティアを呼び出すとしたらこの隠し通路、もしくはザレッホ火山に関連する事柄であるに違いない。
その根拠は何かと問われれば、モースが『第七譜石』の探索に力を入れているからだ。
この世界において、預言士は対象の第七音素を体内に取り込むことで預言を詠むことができるとされている。その際、預言を詠み終えた後に放出された第七音素は結晶化し、その預言を秘めた鉱石と化す。これを『譜石』と呼ぶ。
かつてユリアがローレライと契約し、惑星預言を詠んだ際は、巨大な譜石が七つ生まれ、各地に散ったと云われている。その中で星の記憶の最終部、即ち星の結末が記されている『第七譜石』を求めて、モースが世界中に情報部隊の諜報員を派遣していることをアガスティアは知っている。
すでに地下の文献は調査済みのようだったが、ザレッホ火山内部まで調べ尽くしてはいないだろう。
数日前から導師イオンや神託の盾騎士団・副総長であるヴァン=グランツも外出中で留守にしている。
モースにとってはザレッホ火山内部に探りを入れるいいチャンスだろう。
長々とした地下までの階段を下り、ようやく地下書庫の扉へたどり着いた。
「モース様、詠師アガスティアをお連れしました。」
書庫に入ると、早速、騎士はそうモースへ呼び掛けた。
書庫内の閲覧席で腰を落ち着けていたモースが振り向く。
「おお。待っておりましたぞ、アガスティア殿。」
そういってモースが笑いかける。
愛想の良い笑顔だが、その細い目つきはどことなく狡猾な狐を思わせる。
「お待たせして申し訳ありません、モース様。何か緊急のご用件だそうで。」
恭しくアガスティアが答えるとモースは、うむ、と一言述べた後、案内してきた騎士に下がるよう指示した。
騎士が退室し、姿が見えなくなったところで、アガスティアは再び話を切り出した。
「第七譜石に関わる件だと伺いましたが、何か手がかりとなる文献でも見つかったのでしょうか?」
ザレッホ火山のことは一応、想定してはいたが無難なところから質問するに留めた。
「そうですな、書庫へお呼びしたのですから、そう思われるのが妥当でしょう。しかし、今回の件はもっと別の話でしてな。」
もったいつけるようにモースは語る。
白髪が混じりはじめたアガスティアに対して、モースは比較的まだ若い。
しかし、どこか年寄りくさい、婉曲的な台詞回しを楽しむ節があるようだ。
そんなアガスティアの印象を余所に、モースは話を続ける。
「ここからザレッホ火山へと隠し通路がつながっていることはご存知でしょう? この先にとんでもないモノがあったのですよ。」
「とんでもないモノ?」
「まぁ、まずは火山内部までご同行願いましょうか。話はそこで致しましょう。」
そう言うや否や、モースは壁際の本棚の前に移動し、隠し通路へのスイッチを押した。
すると本棚の一つがスライドし、隠し通路の入口が姿を現した。
「さぁ、参りましょう。」
モースに促され、アガスティアは隠し通路の入口をくぐり、奥へと進んだ。
隠し通路の先には転移魔方陣が展開された部屋につながっていた。
地下特有のひんやりとした空気の中、アガスティアたちは魔方陣を起動させ、目的の場所へと転移した。
転移を終えると、剥き出しの岩石に周囲を取り囲まれていた。
火山内部に突入したようだ。
熱気にさらされ、モースもアガスティアも汗が吹き出てくる。
「こちらへ。」
モースはそう言うと、火山の奥へと歩を進める。
アガスティアもその後に続いた。
しばらく黙々と歩き続けると、少し広がった空間に行き着いた。
「これは……。」
アガスティアの視界に、数々の機械装置が入ってきた。
広まった空間の隙間を埋めるように機器が立ち並んでおり、計器類やモニターが怪しく発光している。
オールドラントでは、周囲の音素の力を利用して発動する魔術的な現象を“譜術”と呼ぶのに対し、機械仕掛けの装置を“譜業”と呼ぶ。
キムラスカ=ランバルディア王国の首都・バチカルにある“天空滑車”等がその例といえよう。
しかし、今、アガスティアの目の前にある譜業は今まで見たことのないタイプだった。
複数の装置が立ち並ぶ中、その中央には円形の、まるでその上で手術でもするかのような台座型の譜業が設置されている。
台座型の譜業は、鍵盤を模したキーボートとモニターが一体となった特殊な譜業につながっていた。
「これが”とんでもないモノ”ですか……?」
驚くアガスティアに対し、やや言いにくそうにモースは返す。
「いや、これは違います。ここはディストの奴に貸し与えていたのですが、いつの間にかこのようになってしまいましてな……。」
「ディスト? 数年前に入団したあのディストですか?」
「ええ。奴は元々有名な科学者でしてな。特に譜業に関して造詣が深い。教団のために働いてもらう見返りに、自由に研究して良いという条件でここを研究用に開放したのです。」
「そんなことが……。」
詠師職の自分ですら知らないのだから、おそらくモースの独断で決めたのだろう。
しかし、それにしてもこの譜業はいったい何を目的としたものなのだろうか。
アガスティアには見当もつかない。
「一体何がしたくて、こんな装置を作ったのでしょう?」
思わず口から質問が飛び出てしまったが、特に気にする様子もなくモースは答えた。
「それがわたしにもわからんのですよ。本人が言うにはファクトリーだかフォミクリーだかいうものを作ろうとしているとか。いや、そんなことより、本題に移りましょう。」
「フォミクリー……。」
どこかで聞き覚えのある名称だった。果たしてどういった経緯で知った言葉だったか。
帰ってから念のため調べてみてもいいかもしれない。
得体の知れない譜業を気味悪がるアガスティアを、モースはさらに奥へと促した。
しかしその行く先は、すぐに行き止まりになって進めなくなっているようだった。
モースはそれに構わず、アガスティアを奥まで誘う。
行き止まりまでアガスティアが近づいていくと、地面に妙に浮き出た物体があることに気がついた。
「気がつきましたかな?」
モースが問う。
二人の前には今、精巧に削られた鉱石のようなものが地面から表出している。
その形状はまるで小さな棺桶のようにも見える。
ちょうど大人がひとりで抱えられそうな程度の大きさだ。
「妙な形の鉱石ですね……。いや、これはまさか……?!」
単に奇妙な形状の鉱石だと思った”それ”が”あるもの”だということにアガスティアは気がついた。
「その通り。譜石ですよ。先日から、私の部下に火山内部を調べさせていたのですが、その際これを見つけたのです。私もつい先ほど、改めて部下の報告を聞くまでは、ユリアの残した第七譜石かと期待していたのですがね。残念ながらそうではないようでした。ですが、それでもなかなか価値のあるものだと思いますぞ。」
そういってモースは棺桶の”フタ”にあたる部分を上から覗き込むよう促した。
そこには古代イスパニア文字が彫られていた。
「フランシス……ダアト……?!」
彫られた文字の意味を知り、再びアガスティアは驚きの声をあげた。
フランシス=ダアトはユリアの弟子であり、ローレライ教団の創設者にあたる人物だ。
街の名前である「ダアト」も彼の名前に由来している。
しかし、このフランシス=ダアト、決して褒め称えられるべき人物として記録に残されていない。
彼は一度ユリアを裏切っているからだ。
約二千年前、人々は星の未来を知るために、第七音素の観測点を求めて、世界各地で争い合っていた。
かつてのこの世界規模の争いは、現在では譜術戦争と呼ばれている。
この譜術戦争を終結に導いたのがユリア=ジュエだった。
預言士として類まれなる才能を秘めていた彼女は、星の記憶を読み取り、膨大な未来視を行ったのだ。
ユリアの預言によって譜術戦争は終結し、ようやく世界は落ち着きを取り戻したのだと伝えられている。
その後、フランシス=ダアトはユリアの詠んだ預言をもとに、ローレライ教団を設立したのである。
その目的は、ダアト自身の地位の確立、即ち私利私欲のためだった。
しかし、ダアトは自分の欲望を満たすために利用したユリアの預言をやがて恐れるようになる。
ユリアの預言はことごとく的中し、外れることがなかったのだ。
預言の的中率の高さに恐れ慄いた彼は、ユリアに和解を申し入れ、ローレライ教団から退団することになった。
その後、自分の過ちを贖うため自害したとされている。
そのフランシス=ダアトの名が刻まれた譜石。彼はここで最期を迎えたのだろうか。
その疑問を代弁するかのように、モースが話を続ける。
「何故ここにこのような譜石があるのか。何故その譜石にダアトの名が刻まれているのか。ひょっとすると、ダアトは自分の罪を悔いて、ここで自決したのかもしれない。あるいはユリアやローレライ教団を思い、ここで預言を詠んだのかもしれない。しかし、ダアトが第七音譜術士だったという記録はなく、名が刻まれているからと言って必ずしもダアト本人と関わりがあるのかもわかりません。ただ、一つだけ言えるのは、今現在、我々の目の前に、未だ誰にも認知されていない預言を秘めた譜石があるということです。」
モースの言うことは尤もだった。
現状では何一つ断定することはできない。
そして、わざわざこの正体不明の譜石の前まで自分が招かれた理由。
それを考慮すれば、モースがアガスティアに何を求めているのかはすぐにわかった。
「つまり、私にこれを詠めとおっしゃるわけですね。モース様。」
「そういうことです。今は偶然にも、導師イオンもヴァン=グランツもおりませんのでね。教団上層部の人物で預言を詠むことを頼めるのは、あなたしかいないのですよ。詠んでくれますね? アガスティア殿?」
モースの細い瞳が怪しく光った。
ここへくる途中に感じた嫌な予感が再び実感となってアガスティアを襲った。
教団内は今、二つの派閥に分かれている。
預言をより良い未来を作るための判断材料としてとらえるべきとする改革派(導師派)と、預言は絶対的なものなので受け入れるべきとする保守派(大詠師派)の二派閥である。
アガスティアはどちらでもない中立の立場だった。
しかし、この譜石を詠むことで確実に大詠師派の流れに組み込まれるだろう。
今回の譜石発見と預言詠唱は、導師の留守中に行われているわけである。
この預言の扱いと今後の方針に関しては、先に見つけた大詠師派にアドバンテージがある。
つまり、導師派を出し抜く形となる。
その先鋒にアガスティアが立つのだ。
しかし大詠師モースに促され、ここまできてしまってはもう後戻りもできない。
――詠むしかない。
覚悟を決め、アガスティアは譜石に宿っている第七音素の解読を始めた……。
■第四話
「遅いじゃない。何やってたわけ?」
ヨシュアたちが教会の正門前に到着するや否や、不機嫌そうな言葉をぶつけられた。
待ち合わせの予定の場所に赤毛の少女が仁王立ちでこちらを睨みつけている。
「ちょっと待った! 別に遅くはないだろ? サラ?」
弁解するようにヨシュアは言う。
事実、ヨシュアとジェラードは朝礼の後、寄り道せずに正門前へ移動しており、所定の時刻までまだ余裕がある。
しかし目の前の少女は、そんなことはお構いなしのようだ。
「あたしを待たせてる時点で、充分遅いわよ。」
ゆるくウェーブのかかった髪をかきあげながら赤毛の少女、サラは悪びれずに言う。
「そんな理不尽な……。」
ヨシュアとサラのやり取りを見ていたジェラードは、やれやれ、といった様子で話を切り出した。
「その辺にしておけ。ひとまず隊長に俺たちが揃ったことを伝えに行くぞ。」
「そうね、早く行きましょうか。」
ジェラードの一声に、それまで不機嫌そうだったサラはあっさりと応じた。
その切り替えの早さにヨシュアは舌を巻いた。
出会った当初からサラはこのような感じだ。
少なくとも、サラはヨシュアのことを嫌っているわけではないようである。
しかし、サラの猫のような気まぐれな性格には振り回されてばかりである。
おまけに「間違っている」と感じたことには徹底的に反発する気の強さもあって、たちが悪い。
仕官学校時代も何度も教官や同期の見習い騎士と諍いを起こしていたらしく、周囲からはトラブルメーカーとして認知されてしまっている。
それでもこうして騎士として任務を任されるに至るのは、ズバ抜けた譜術士としての実力があるからに他ならない。
その実力の高さもまた、より一層サラの高飛車な雰囲気に拍車をかけている。
なかなか難儀な娘である。
ひとまず、遅れてきた(実際は遅れてなどいないが)ことに対するサラの怒りはもう収まったようだ。
三人で隊長騎士のもとへ向かった。
市街地巡回の際は、教会正門から少し階段を下った先にある広場で点呼を行う。
巡回は三人一組の班で行動することになっており、三人が揃い次第、担当の隊長騎士に報告する。
その際、夜勤の班と交代する形で市街地のパトロールへ向かうのだ。
つまり、ヨシュア、ジェラード、サラは同じ班であり、三人で隊長騎士へ報告を行い、規定のパトロールコースで市街地を巡回していくというわけである。
そのため、ヨシュアたちは朝礼が終わり次第、一度正門前で待ち合わせをして、三人揃ったら広場へ行くことにしているのである。
教会前の長い階段をくだり、広場へと足を踏み入れる。
待機していた中年の隊長騎士が、どうやらヨシュアたちに気づいたらしく、声をかけてきた。
「よう。原色トリオ。揃ったか?」
開口一番。
ひどい言い様である。
「隊長……いい加減その呼び方やめて頂けませんか?」
うんざりとした様子で、ヨシュアが言った。
「そうか? お前らを的確に表してると思うがな。これほどぴったりの呼び名は他にあるまい。」
ガハハ、と髭で隠れていた口を豪快に開けて隊長騎士は笑った。
どうやら、呼び名を変えてくれる意思はないらしい。
隊長騎士の言い分には一応、理由がある。
原色は三人の髪色を指しているのだ。三人の髪色は、サラが明るい赤毛でジェラードが深い青色、そしてヨシュアは鮮やかな金髪である。
三人並べば赤、青、黄と三原色が揃うわけである。
もっと言えば、中身の方も士官学校首席の優等生(ジェラード)と問題児(サラ)、パッとしない朴念仁(ヨシュア)と、見事に個性のバランスが取れている。
センスが良いとは言えないが、的確に表しているという点ではそうかもしれない、とヨシュアも思ってしまったりする。
複雑な心境のヨシュアに代わり、ジェラードが報告を行った。
「ともかく、三人揃いましたので、これから巡回に行って参ります。」
「おう。行ってこい。途中でサボるんじゃねぇぞ。」
「サボりませんよ。」
冗談で言っているのは承知の上で、律儀にジェラードが答えた。
隊長騎士はもうヨシュアたちをからかうことに満足したらしく、伝令に夜勤の騎士たちへ交代の旨を伝えるよう指示しに歩いていった。
「隊長、相変わらずだね。」
隊長との受け答えを担当してもらったジェラードへ、労いの意味もこめてヨシュアは言った。
「まあ、もう慣れたものだろう? 」
「慣れってこわいわね。」
達観した様子で、ジェラードとサラが返す。
二人とも、すでに自分たちがどう言われようが興味はないようだった。
この二人は時々、妙なところで息が合っている。
性格や志向は真逆だが、どこかよく似た”空気”をもっている、とヨシュアは思う。
それが具体的にどういうものなのかは判然としない。
しかし、少なくともヨシュアのもっていない”空気”だった。
この得体の知れない”空気”を感じ取る度、ヨシュアは不安とも焦燥とも取れない気持ちになる。
「どうした? ヨシュア、置いていくぞ。」
「え? あ、うん……。」
物思いに耽っていたヨシュアに、ジェラードが声をかけてきた。
見ればもうすでにサラとジェラードは歩き始めている。
慌ててヨシュアは二人に追いつくよう駆けていった。
■第五話
巡回コースである西地区へ向かいながら、ヨシュアは自分の武器である拳銃、『譜銃』を取り出していた。
周囲の音素を取り込み、そのエネルギーを弾丸にして撃ち出す、という特殊な銃である。
銃弾の装填が不要な便利な武器である。
この譜銃は、キムラスカ=ランバルディア王国の軍人だった父から受け継いだものだ。
ヨシュアの父は今では軍を退役し、ダアトで貿易商を営んでいる。
本人が言うには、もう戦争に駆り出されるのはごめんなのだそうだ。
彼は十年前の戦争に参加した際、瀕死の重傷を負った。
その時に戦場の悲惨さに嫌気が差したのだという。
元来、父は国のために戦うことに誇りをもっていた男だった。
その父が、戦争が休戦となり、怪我も完治して帰国した後、すぐにダアトへ引っ越すことを決めたのだ。
戦場は、父の価値観を大きく変えたのであろう。
引越し先がダアトだったのは、母の実家がダアトだったからだった。
こうしてヨシュアが九歳の頃、ノド家はダアトにやってきたのだった。
その後ヨシュアはダアトで過ごしていたが、ある時、預言士に預言を詠んでもらった。
そこでヨシュアは、神託の盾騎士団に入団することが詠まれたのである。
預言を知った時の父の顔は、今でもよく覚えている。
戦争から離れたはずが、今度は我が子が騎士になると詠まれたからだ。
父としては、複雑な心境だったに違いない。
それでも預言の導きに従い、ノド一家はヨシュアの仕官学校入学の準備を整えたのだった。
そして、父は自身が使用していた譜銃をヨシュアに与えた。奇跡的に自分を戦場から生還させてくれた相棒だと言って。
それからヨシュアは入学までの間、父から銃の手ほどきを受けたのだった。
仕官学校でも基本的な剣術の他は、銃技の習得に努めた。
そのため、一定の譜銃の扱いは身に着けることできたと言える。
ヨシュアは眺めていた譜銃を再び腰のホルダーへ戻した。
まるでこれまでの歴史を物語るかのような、ずっしりとした重みが感じられた。
――この重さと僕はしっかりと向き合っているのだろうか。
ふとそんな考えが頭をよぎった。
前を向いて見れば、ジェラードとサラの後ろ姿がある。
彼らは、強い。
そうヨシュアは思う。
士官学校時代から、それぞれ剣術や譜術の実力は学内でトップクラスだった。
だが自分はどうか。
自分の行いや実力に自信はあるか。
答えはノーだった。
仕官学校時代、ヨシュアは人並みに真面目に訓練に取り組んできた。
それでそれなりの成果は得られた。
それで満足だった。
自分の実力はこの程度だろう、と。
それでなんとか日々が過ぎていくのなら、それはそれで構わないではないか。
預言に示された道の中、目の前のやらなければならないことをこなしていればいいのだろう。
正直なところ、それがヨシュアの本心だった。
ヨシュアには夢がない。
自分の将来に明確なビジョンを描けないのだ。
だからこそ与えられた道に乗り、平凡に毎日を生きていれば良いではないかと思ってしまう。
しかし時々、不意に漠然とした不安に襲われるのだ。
果たして自分はこのままで良いのか、と。
自分は何のために生まれてきたのか、と。
その思いも何か具体的な行動に結実するわけでなく、いつの間にか霧散していってしまう。
結局、ヨシュアは心の中で堂々巡りを繰り返している。
煮え切らない思いを抱えたまま、とうとう担当箇所である西地区へと辿り着いてしまった。
ジェラードが支給されている地図を広げ、巡回ルートの確認を試みている。
恐らく、ヨシュアとサラにも確認を取らせるはずだ。
サラはサラで、ジェラードが声をかけてくるまで譜術の強化を促す専用の杖を手にとっている。
不備がないか確認しているのだろう。
これが今のヨシュアの目の前にある現実だ。
ヨシュアは自身の頬を軽く叩き、モヤモヤとした思いを頭の隅へと追いやった。
■第六話
その悲鳴が聞こえてきたのは、ヨシュアたちが巡回を始めて間もなくのことだった。
やがて、ダアトに黒い影が大挙して押し寄せてきた。『ボーボー』という、鳥の姿をしたモンスターが突如としてダアト市街に雪崩れ込んできたのだ。
ヨシュアたちは急いで声が聞こえた方へ走った。
巡回予定だった西地区は、ダアトの入口のあるエリアだ。
悲鳴の主はどうやら、入口付近にいるようだった。
ボーボーたちもまた、入口付近へ集まるように飛んで来ている。
走りながらジェラードが呟く。
「珍しいな……。」
「え?」
「ボーボーはこちらから手を出さない限り、比較的、無害なモンスターだ。それがこうも激しく襲ってくるとは……。奴らは今ダアトの入口周辺を中心に飛び回っている。あそこに何か奴らを刺激するものでもあるのかもしれんな。」
まるでヨシュアに説明するかのように、ジェラードが冷静な分析を披露した。
果たして現場に着くと、子どもたち四、五人がボーボーに囲まれていた。
リーダー格の少年が木の棒きれで威嚇している。
しかしそれは逆効果なようで、ますますボーボーたちを興奮させてしまっているようだ。
「呼ぶわよ?」
現状を確認するや否や、サラが鋭い声を発した。
ジェラードが頷いて応じると、サラは取り出した笛を吹いた。
ピーッと甲高い音が市街地全体に響いていく。
応援の騎士を呼ぶ“呼び笛”だ。
「いくぞ、ヨシュア!」
「う、うん!」
サラが呼び笛を吹いたと同時に、ジェラードは子どもたちのもとへ駆け出した。
鞘から片刃の剣を抜き放ち、ボーボーの群れの一羽へ一撃を見舞った。
思わぬ攻撃を受けたボーボーがパタリと地へと墜ちた。
自分たちの敵が現れたことに気づいたボーボーたちは、それまで相手にしていた子どもたちから、ジェラードへとターゲットを移したようだった。
次々とジェラードのもとへ突撃してきた。
「ヨシュア! サラ! 援護を頼む!」
ジェラードがすかさず言う。
しかしヨシュアは、完全に実戦の空気に呑まれていた。
援護と言っても、どうすればいいのか。
ボーボーは小柄なモンスターだ。
おまけにすばしこく飛び回る。
ターゲットが小さいために銃の狙いを定めづらい。
迂闊に発砲すれば、ジェラードや子どもたちに当たってしまうかもしれない。
様々な思考で、頭がいっぱいになり、ヨシュアは身体を動かすことができなかった。
「《スプラッシュ》!」
ヨシュアがかたまっている間に、詠唱を済ませたサラが譜術を放った。
ジェラードの頭上に魔法陣が現れ、激しい水流が吹き出す。
敵味方を識別するマーキングが設定されているため、ジェラードに当たることなく、水流はボーボーたちを飲み込んでいく。
「今のうちに逃げなさい!」
ボーボーは完全にサラたち三人を敵と認識し、皆こちらへと意識を向けている。
その隙にサラは子どもたちへと指示を飛ばした。
子どもたちも了解したようで、市街の内部へ走り去っていく。
「ヨシュア! 奴らこっちに来るわよ! しっかりしなさい!」
子どもたちが離れていくのを見届けると、硬直しているヨシュアにサラが注意を促した。
「ご、ごめん!」
サラの檄に、ヨシュアは必死に譜銃を構える。
その間、ジェラードも態勢を整え、反撃に転じている。
サラの譜術にボーボーたちが怯んだ隙に、一度鞘に戻し、腰を落として構え直す。
そこから抜剣し、真横一文字に薙ぎ払った。
「《真空破斬》!」
掛け声とともに、周囲に空気の刃が放たれた。
反撃に警戒してジェラードから離れていたボーボーたちにも、見えない刃が襲っていく。
だが、未だ敵の数は多い。
少なくとも周囲に十羽は残っている。
応援の騎士たちはまだ到着しないようだ。
サラとジェラードの攻撃にボーボーたちは警戒を強めたらしく、間合いを図るように距離を置いて飛び回っている。
その間に素早くジェラードはサラとヨシュアのもとへ駆け戻ってきた。
「サラ。また《スプラッシュ》を頼めるか。奴らは水に弱い。もう一度食らわせることができれば、かなり数を減らせるだろう。」
「了解。」
サラが再び譜術を唱え始める。
しかし、それを狙ってきたかのように、ボーボーたちは一斉に突撃してきた。
「くっ! ならば!」
流石にジェラードも一瞬焦ったようだが、すぐに切り替え、天高く跳躍した。
空中で身体を捻りながら、剣を振るう。
《閃空翔裂破》と呼ばれる技だった。
ジェラードの周囲に剣風がうねり、襲い掛かってきたボーボーたちを吹き飛ばした。
しかし、ジェラードの技をくぐり抜けた一羽が、サラへ向かい突進する。
「しまった! ヨシュア!」
技を繰り出して着地したばかりのジェラードが、ヨシュアを呼ぶ。
ヨシュアは向かってくるボーボーへ譜銃を構え、引き金を引いた。
いや、引こうとした。
しかし、トリガーは硬まったまま動かなかった。
「え?!」
セーフティーロックがかかってしまっていたのだ。
動揺のあまり、ロックを解除できていなかったらしい。
ヨシュアが銃弾を放てなかった隙に、ボーボーはサラへと体当たりした。
詠唱中で無防備な状態になっていたサラは腹部にもろに体当たりをくらい、背中から倒れ込んだ。
その時になってようやくロックを解除できたヨシュアは、体当たりを決めて自身も態勢を崩したボーボーへ、音素を集約した弾丸を撃ち込んだ。
今度は狙い通り、ターゲットを撃ち抜くことができた。
「サラ!」
倒れ込んだサラをヨシュアは助け起こす。
「痛っ……! ちょっと! 何やってんのよ!」
ヨシュアのミスにサラが声を荒げる。
「ごめん。」
自分の失態でこうなったことはヨシュア自身、重々承知している。
心の中は申し訳なさと自責の念でいっぱいだった。
「とりあえず、大した怪我はないわ。次に備えるわよ。」
怒ってはいるようだったが、今はそれどころではないと思ったのだろう。
サラは再び、詠唱の準備を始める。
ジェラードに吹き飛ばされたボーボーたちもまた、先ほどと同様に距離をとってこちらの様子を窺っている。
「待てサラ! あいつらはこちらの隙を狙う気だ。今、譜術を唱えるのは危険だ。」
譜術に集中しようとするサラをジェラードが引き止めた。
「譜術を控えろってこと? それじゃあ、どうするつもりなのよ?」
焦るようにサラが問う。
ジェラードはボーボーたちに注意を払いながら、迎え撃つ良い方法を考えているようだった。
しばし、緊張の時間が流れたが、再びジェラードが口を開いた。
「水の譜陣を展開してくれ。」
「《アピアーズ・アクア》のことかしら? 確かにさっきの《スプラッシュ》で水の音素は溜まってるけど……。」
「《スプラッシュ》より詠唱時間は短いだろう? それなら発動まで俺とヨシュアで時間を稼げる。」
確かに、中級攻撃譜術である《スプラッシュ》より、周囲に水の力場を発生させるだけの《アピアーズ・アクア》の方が詠唱時間は短くて済む。
「でも、そのあとはどうするのよ?」
「俺に考えがある。」
サラの質問に、ジェラードはその一言で答えた。
「あんたにしては珍しいわね。何をするかはっきり言わないなんて。」
文句は言いつつ、サラは行動で了承の旨を示した。
ジェラードの提案通り、《アピアーズ・アクア》の詠唱を開始する。
「ヨシュア。気持ちは落ち着いたか? 今言った通りだ。サラに近づいてくる奴らを片っ端から射撃してくれ。無理して当てる必要はない。威嚇して時間を稼ぐだけで大丈夫だ。いいな?」
失態を犯したヨシュアに対し、気を遣いながらもジェラードはそう指示した。
「わかった。もう大丈夫だから。任せてほしい。」
気を取り直して、ヨシュアはそう応えた。
もうさっきのような失敗をするわけにはいかない。
「くるぞ! ヨシュア! 頼んだぞ!」
サラの詠唱に合わせて、再びボーボーが突撃してきた。
その数は残り七、八羽といったところだった。
各々無作為にサラたちの方へやってくる。
「片っ端から……撃つ!」
気合いを入れて、ヨシュアは向かってくる敵へ譜銃を連射した。
一番接近してきていた一羽を撃墜。
残りのボーボーたちにも翼や腹部などに弾丸が掠めていき、地へ落ちていく。
こちらへと一直線に向かってくる敵には、比較的容易に当てることができたようだ。
銃撃を避けたのは四羽。
ヨシュアは撃ちながら相手の動きに合わせて、自身もステップすることで適度な距離を保っている。
《セッシブバレット》という銃技だ。
未だに飛んでくる銃弾に残りのボーボーたちが態勢を崩す。
「いくわよ! 《アピアーズ・アクア》!」
そこへ詠唱を終えたサラが、水の音素を凝縮した譜陣を発生させた。
ボーボーたちは未だ、ヨシュアの銃撃を避けてよろめいた状態のまま、サラたちと距離を取れていない。
「良いタイミングだ!」
ジェラードが、譜陣の水の音素を刃に宿らせる。
そして、地面に十字を切るように剣を走らせた。
それで全て終わった。
《絶衝氷牙陣》。
十字型に地を走った斬撃から、突如して無数の氷刃が突き立っていく。
氷の刃は、よろめいて低空で態勢を整えようとしていた残りのボーボーたちを全て捉え、瞬く間に氷漬けにしてしまった。
ジェラードの技を食らったボーボーに、動く気配はない。
これで全部仕留められたようだった。
「す、すごい……。」
「なるほど。自分の剣に水の音素を宿して、水属性の技に変化させたわけね。やるじゃない。さすが優等生。」
ジェラードの技に、ヨシュアとサラがそれぞれ感想を漏らした。
「これで、一段落か?」
当のジェラードは至って平然としている。
辺りには、ヨシュアたちが仕留めたボーボーたちが地に転がっていた。
少なくとも、この辺りに集まってきたモンスターは撃退できたようだ。
街の住民も見当たらない。住民の被害もなさそうである。
周囲を見渡せば、いつの間にか街の門は閉じられており、ダアトの街全体を覆うように、譜術の結界が張られていた。
呼び笛を受けて、新たな外敵が街中に侵入しないよう手配されていたようだった。
緊張を解いたヨシュアたちに、乾いた拍手の音が響いてきた。
「なかなか見事な戦いぶりだったぞ。」
拍手の在り処へ振り向けば、片方の目を眼帯で覆った黒髪の若い女性が不敵に微笑んでいた。
「師団長……!」
現れたのは他でもない、ヨシュアたちの所属する第六師団の長、カンタビレその人だった。
■第七話
「お前。青い奴。名前は何て言ったか?」
ぶっきらぼうな語り口で、カンタビレは尋ねた。
「ジェラード=ワイズマンであります。」
「そうそう。そうだ、ジェラードだ。お前のことはよく話に上がるよ。骨のある新人がいるってね。」
「恐れ入ります。カンタビレ師団長。」
恭しく答えるジェラードとは対照的に、愉快そうにカンタビレは話を続ける。
「そんな堅くなるなって。今の戦いでの状況判断はなかなか良かったぞ。新人であれだけ動けば上等だ。あたしは実力のある人間は好きさ。今回の件で、ますますお前に興味をもったよ。それに……。」
心底楽しそうに語りかけていたカンタビレは、そこで不意に一拍置いた。
そして今まで細めていた目を鋭く変えて、再び口を開いた。
「面白い剣術を使っていたな。どこで誰に教わったのか、気になるねぇ……。」
「……!?」
それまで落ち着いた態度で話を聞いていたジェラードの表情が、急に険しくなった。
「……ご存知なのですか?」
険しい表情のまま、それだけジェラードは言った。
ジェラードがこんな態度をとるのは珍しいことだった。
「いや? ただ気になっただけさ。またいつか、その辺の話をお前とはしてみたい。」
そう言うと、嫌味のない笑顔でカンタビレは笑ってみせた。
何か意図があるのか、単なる興味本位なのか判別しづらいところだった。
「ま、とりあえず今は街を見て回ってきておくれよ。街の奴らを安心させてやりな。」
言いながらカンタビレはヨシュアたちに背を向けて歩き出した。
「それと残りのヒヨッコたち! あんたたちもご苦労だったね。あんたたちの働きも、ちゃんとあたしは見てたから安心しな。」
去り際にそう言って、カンタビレは教会へ帰っていった。
「……ジェラード、あんた大丈夫?」
カンタビレが立ち去ったあとも、どこか思案顔だったジェラードにサラが声をかけた。
カンタビレの言うことにどんな意味があったのかはわからないが、ジェラードの様子がおかしいのはヨシュアにも感じられた。
「大丈夫だ。それより、師団長の言う通り、街を見て回ろう。三人で手分けして見るのはどうだ? 折を見て、ここに集まろう。」
先程までの動揺を隠すように、ジェラードは言った。
「……わかった。」
これ以上踏み込んで聞かない方が良さそうだと思い、ヨシュアも何も聞かないことにした。
その後、三人で集まる時間だけ確認し、それぞれ西地区を分担して見回りに向かった。
ジェラードやサラと別れた後、ヨシュアは暗い気持ちでいた。
先の戦闘では、完全に自分が足を引っ張っていた。
他の二人は為すべきことを為し、自分の判断で動いていた。
ヨシュアは指示を与えられなければ何もできなかっただろう。
おまけに指示されたことでさえ、的確にこなすことができなかった。
やっぱり自分はダメだ。
一人になってから、そんなネガティブな思いばかり、心の中で渦巻いていた。
「あの、もう大丈夫なんでしょうか?」
後ろ向きな思考に捕われていたヨシュアだったが、不意にそう話しかけられた。
「え?」
振り向けば、そこにはヨシュアと同じくらいの年齢の少女が、心配そうな表情で立っていた。
その身に纏う衣装は、ローレライ教団の神官のものだった。
「あ、あの、モンスターが街を襲ってきたと聞いたんですけど、もう出歩いても大丈夫なんでしょうか?」
ぼーっとしたまま答えないヨシュアに、改めて少女が問いかけた。
「あ……! はい! もう退治したので、大丈夫ですよ。」
ようやく少女の言うことを理解し、ヨシュアそう答えた。
「そうですか。いつも街を守って下さり、ありがとうございます。」
丁寧に少女は頭を下げた。
落ち着いた栗色の髪と瞳をしており、さらに控え目な立ち振る舞いなので、とても大人しい印象を受けた。
サラとは正反対のタイプだろうと、密かに思った。
「いえ、それが僕たち神託の盾騎士団の任務ですから。」
ヨシュアも真面目に答える。
そもそも、こうして街の人に事態を説明するのがヨシュアの任務であり、目的だ。
先の失敗を気にするあまり、再びやるべきことをやらずにいるところだった。
「あれ?」
ここにきて、ヨシュアはこの少女をどこかで見たような気がしてきた。
よく思い返してみれば、毎朝、朝礼でアガスティアの準備を手伝っている少女だ。
「あなたは確か、よく朝礼の準備をしてる……」
「あ、はい。私は普段、アガスティア様のお手伝いをしています。」
「やっぱりそうか。どこかで見たことある人だと思って。」
そう言うと、少女も少し緊張が解けたのか、少しはにかんだ様子で話し始めた。
「やっぱり見られてしまっているんですね。なんだか少し恥ずかしいです。あ、私はカナデと申します。身分は唱師です。」
控え目だが、丁寧にカナデという少女は挨拶した。
かなり真面目な少女のようだ。
「僕はヨシュア。見ての通り、神託の盾騎士団の騎士です。まあ、まだ騎士になったばかりで見習いみたいなものなんですが……。」
ヨシュアもつられて挨拶を返す。
「カナデさんはどうして街に?」
「はい。実はお花を用意しないといけなくて。街で買うか、外まで摘みにいこうか考えていたら、モンスターが現れたと聞いてここで様子をみていたんです。」
「街の外まで? それは危ないですよ!」
「はい。私もさっきの騒動で、やっぱり外は危ないんだと実感しました。街の花屋さんに行こうと思います。」
考えが浅かったことを後悔してか、恥ずかしそうにカナデは言う。
街の中で買った方が無難だろうとヨシュアも思った。
特にこのカナデという少女はどことなく危なっかしそうだ。
「お姉さんたち、お花がほしいの?」
不意にカナデとは違う声が聞こえた。
いつの間にか、十二、三歳くらいの少女がヨシュアたちのすぐ近くに立っていた。
「もしそうなら、ウチに来ませんか?」
しっかりとした声音で、少女は言う。
しかし突然のことにヨシュアもカナデも少女の意図を掴めなかった。
思わず顔を見合わせる。
「ウチ、花屋なんだ。お花、買えるよ。」
そう言われてようやく合点がいった。
「そうなんですか。ちょうど良かったです。それじゃあ、お言葉に甘えて、お邪魔しにいってもいいですか?」
カナデが優しい口調で少女に答える。
「もちろん! わたしはフィーネって言うの。よろしくね、お姉さんたち」
フィーネと名乗る少女はそう言って自分の店へと誘った。
■第八話
カナデにとって今日は不幸の連続だった。
アガスティアの講義は中止となり、花を探しに外へ出ればモンスターの襲撃騒ぎが起こってしまった。
しかし、その不幸の連続も少し様子が変わってきたようである。
きっかけは、モンスター襲撃騒ぎで避難していた後に、街を歩いていた神託の盾の騎士に話しかけたことだった。
初対面の人が相手だとどうしても緊張してしまうカナデだったが、モンスター襲撃騒ぎがどうなったのか確認するため、勇気を振り絞って騎士に話しかけたのだ。
偶然にも、話しかけた騎士はカナデと同年代の優しそうな少年だった。最初は考え事でもしていたのか、カナデが話しかけてもうわの空だったが、話を続けてみれば、印象どおりの穏やかそうな人だった。
人見知りのカナデにとっては、安心できる性格の相手だった。
もしも通りかかったのが、いかつい強面の騎士だったら、うまく話ができたかどうか自信はない。
騎士の少年はヨシュアと名乗った。
まだ騎士になりたてらしい。
神官見習いの自分にも共感できる立場の少年だった。
おまけにヨシュアは、朝礼でカナデの姿を見たことがあるという。
助勤の姿を見られているのは恥ずかしかったが、こうして話のネタになったのは幸いといえた。
兎にも角にも、ヨシュアによれば街を襲ったモンスターは無事退治されたそうである。
これで安心して花を探すことができる。
はじめは街の外に花を摘みにいこうかと考えていたが、モンスターの襲撃を知ってしまったら、とても外に行く意志は消え失せてしまった。
めったにダアトの外に出たことがないカナデにとって、外の世界は未知の世界である。
少しなら街の外を見てみたいと思っていたが、想像以上に外は危険のようだ。
興味本位で外に出なくて良かった。
無難に街の花屋へ買いに行こうと思った。
そのことをヨシュアに伝えると、不意に、幼い少女が話に入ってきた。
「ウチ、花屋なんだ。お花買えるよ。」
少女はそう言った。
ヨシュアとカナデの会話を聞いていたのだろう。
カナデにとっては嬉しい申し出である。
利発そうな少女だった。
下ろせば肩に届くくらいの長さの髪を左右に分けて結んでいる。
唐突にカナデたちに話しかけたことを気にしてか、若干、遠慮している様子が伺える。
年齢は十二、三歳といったところだろうか。
見たところ嘘をついて騙そうという様子ではない。
「えっと、この近くなのかな?」
「うーん。ちょっと歩くかな……。教会の方にまっすぐ進んで、広場に着く前にちょっと曲がったところ。」
カナデの質問に少女が答える。
確かに多少は歩くが、それほど遠いわけではないようだ。
それに教会に近づくのであれば、帰りも便利だろう。
カナデは少女の提案に乗ることにした。
「それじゃあ、お言葉に甘えて、お邪魔しにいってもいいですか?」
「もちろん! わたしはフィーネって言うんだ。よろしくね、お姉さんたち」
カナデが店に行くことが決まり、フィーネという少女はパッと顔を綻ばせた。
それから嬉しそうに店への案内を始めた。
街の入り口から教会へと延びる大通りを、教会方面へとしばらく歩いた。その間、フィーネは自分の店のことを語った。
両親と一緒に花屋を営んでいること。
少し街の奥にあるため、大通りの花屋よりお客の入りが少ないこと。
それでも毎日花の面倒を看るのがとても充実していること。
話す内容は取り留めのないものだったが、フィーネの顔は活き活きとしていた。
その屈託のない明るい表情は、カナデにはとても微笑ましく映った。
隣を歩くヨシュアも、今は楽しそうにフィーネの話を聞いている。
最初に話しかけた時は少々暗い顔をしていたようだったが、今の表情を見る限り、大丈夫なようだ。
人が良いのか、気が弱いのか、この騎士の少年は花屋まで同行してくれている。
「そういえばヨシュアさん、お仕事の方は大丈夫なんですか?」
「え? ああ、僕の今の仕事は所定の時間まで街の様子を見て回ることですから、このままで大丈夫ですよ。」
自分のせいでヨシュアの仕事の邪魔をしてしまったのではないかと心配だったが、どうやらヨシュアは自身の仕事を承知している上でカナデたちと一緒にいるようだ。
「ここだよ!」
大通りから路地に入り、道なりに少し進んだところで、カナデたちはフィーネの店へと辿り着いた。
フィーネの店というのは、どうやら一般的な家屋を商売用に改装したもののようだった。
建物は二階建てで、一階が花屋として開放されており、二階が住居となっている。
店の入り口は玄関とは別になっており、庭先から直接店内に入れるような仕組みになっている。
店の入り口には、ひさしがかかっている。
鉄製の支柱で支えられており、見た目以上にしっかりした作りになっているようだ。
見る限り、手製であろう。
ひさしには『フラワーショップ アンダンテ』という装飾が施されている。
庭先から家の内部を見てみると、そこには商品である花々が陳列されていた。
そして今、店内には落ち着かない様子で女性がうろうろと歩き回っていた。
フィーネは玄関口には向かわず、直接店に入り、その女性に話しかけた。
「ただいま! お母さん!」
フィーネの声に女性が驚いた様子で振り返った。
「フィーネ……! あなた無事だったのね!? 心配したのよ! モンスターが暴れてるって聞いて……。」
フィーネの母親であろう女性は心から心配そうな様子でフィーネを抱きしめた。
「ごめんね、お母さん。私は大丈夫。それより聞いて! お客さんだよ!」
「お客さん……? あらあら! ごめんなさいね、娘にばっかり目がいってしまって……。」
フィーネの言葉で母親は、店先で立ち尽くしているカナデとヨシュアの存在に気づいたらしい。
少し恥ずかしそうな様子で挨拶した。
「私はカトレア。フィーネの母です。よく来てくださいました。自由に中を見ていってくださいね。」
そう言ってカトレアはカナデたちを店内へと誘った。
いかにも花が好きそうな、清楚な感じの女性だった。
表情も柔和で、とても落ち着きがある。
こんな人になれたらいいな、とカナデは思う。
「あら、もしかしてお二人はローレライ教団の神官さんと騎士さんですか?」
カナデとヨシュアの姿を見て、カトレアが尋ねた。
「あ、はい。わたしはローレライ教団のカナデと申します。実は教会のお部屋のお花が枯れてしまって、新しいお花を買いにきたんです。」
「まあ、そうだったの。それじゃあそちらの騎士さんは、カナデさんのボディガードさんかしら?」
「いえ! えっと……僕はたまたま道でカナデさんとフィーネちゃんに会って、そのまま同行させてもらっているだけなんです。」
カトレアの思わぬ問いに戸惑ったようにヨシュアが答えた。
言われてみれば、若いとはいえローレライ教団の神官と騎士という組み合わせだ。
護衛つきの神官が街にやってきたという解釈も無理な想像ではない。
だが、アガスティアのような詠師職であれば護衛がつくこともあるだろうが、唱師はそのような大層な身分ではない。
自分はまだまだ見習いなのだ。
それに、ヨシュアの言う通り、カナデとヨシュアは偶然街で会ったばかりで、互いのこともろくに知らない。
しかしこの奇妙な巡りあわせは、カナデには嬉しかった。
今まで全く縁のなかった人たちと、とんとん拍子に知り合いになれたのだから。
ヨシュアやフィーネにとっても、そうであったらいいと思う。
当のヨシュアはカトレアの問いに対して、未だに説明に困っているようだ。
ヨシュアを助けるかのように、フィーネが会話をつなげた。
「ヨシュアお兄さんたちが、モンスターを倒してくれたんだよね?」
ヨシュアに同意を求めるフィーネ。
「え? ああ、そうです! 僕たち神託の盾騎士団がモンスターを退治しました。今は、そのご報告と皆さんのご様子を伺いに街を見て回っているんです。」
フィーネの質問が助け舟となったのか、ヨシュアは自分の状況をそう説明した。
知り合ったばかりだが、この様子だと本当に純朴な少年なのだろうということが窺えた。
騎士にもこんな人がいるのだと思うと、教団で騎士の人たちを見る目も変わりそうだ。
「まあ、そうだったんですか。街を守ってくださりありがとうございます。大変なお仕事だと思いますが、これからも私たちを守ってくださいね。」
カトレアはそう言ってにっこりとヨシュアに微笑んだ。
その言葉は「騎士」への労いであると同時に、母のように「ヨシュア」という少年を見守っているようにも見えた。
「そうそう、お花を探していらっしゃるんですよね。フィーネ、お二人にお花を紹介して差し上げて。」
「いいけど、お母さんは?」
「お父さんがそろそろ仕入れから帰ってくるはずだから、お母さんはそっちの準備するわ。」
「わかった、任せて! カナデお姉さん、奥に来て! 私がお花選んであげるね。」
そう決まると、嬉しそうにフィーネはカナデとヨシュアの手を取り、奥まで案内した。
店内には八畳ほどで、入り口から向かって左手から奥にかけて、様々な種類の切花が並んでいる。中央部には鉢植えの花々のブースが組まれており、右手側に会計所が設えてある。会計所の脇にはコーディネートされてまとめられた花束がいくつも配されている。
季節は今、シャドウリデーカンの終わりに差し掛かったところで、これからイフリートリデーカン、つまり本格的な夏を迎える。
並ぶ花々も、向日葵を始め、夏のラインナップであふれていた。
「カナデお姉さん、どんなものがほしい?」
花々に囲まれながらフィーネが尋ねた。
「えっと、何種類か切花を揃えられたらいいんだけど。お部屋の花瓶はこのくらいで……。そんなに派手すぎないのがいいかな。」
アガスティアの私室は非常に質素に飾られている。余計なものはほとんど置かれていない。
ただ唯一、窓際の机に花瓶にささった花が飾られているのだ。
この質素なレイアウトは性格が出ているな、とカナデは感じている。
「それじゃあ、こういうのはどう?」
カナデがイメージを伝えると、フィーネは何種類か花を手に取って合わせ始めた。
子どもながら、その動作は手馴れている。
フィーネが本気で店の手伝いをし、日々技術や知識を学んでいることが察せられた。
「うん。ちょうどいいかも。」
フィーネのコーディネートに満足して、カナデはそう答えた。
フィーネが手にしたのは、百合と色違いの複数の小菊をまとめたシンプルなものだった。
「それじゃあ、今、束にしてまとめるね。」
カナデが了承するのを確認すると、手にした花をレジへと持って行き、卓上で包みを用意し始めた。
「しっかりしてるなぁ。」
それまで黙って見ていたヨシュアが感心したように言った。
「そんなことないよ。お母さんはお店の接客やお花の手入れ以外に売上げの計算とか頑張ってるし、このお花たちだってお父さんが仕入れてきてくれてるものなんだ。わたしもわたしのできること、やれること頑張ろうって思ってやってるだけだよ。」
ヨシュアの言葉に照れたようだったが、至極真剣にフィーネは言った。
その大人びたフィーネの言葉に、思わずカナデはヨシュアと顔を見合わせた。
ヨシュアも同じことを考えていたのだろう。
そう考えているだけで相当しっかりしているよ、と。
ひょっとしたら、自分よりフィーネの方がよっぽど大人なんじゃないかと思うと、カナデは情けない気持ちになった。
「ねぇ、お姉さんたち。花言葉って知ってる?」
表情は真剣なまま、おもむろにフィーネはそう口にした。
「え……? うん。お花にはそれぞれ意味があるんだよね?」
「そう。どんなお花にもきちんと意味があるの。例えば、百合は “無垢”って意味があるんだって。ひとつの花にいくつも花言葉があったり、同じ花でも色によって意味が違ったりするんだ。」
花を包みながらぽつぽつとフィーネは語る。
「面白いね。花にそれぞれ意味があるんだ。」
興味深げにヨシュアが相槌をうった。
「うん。それでね、時々思うんだ。お花も……人と一緒なのかなって。そしたらなんだかますますほっとけなくなっちゃって……。」
さっきまでの子どもらしい無邪気な表情とは打って変わって、遠い目でフィーネは花を眺めている。
含みのある言い方だが、何か大切な気持ちを抱いて、フィーネが花と接しているということはカナデにもわかった。
「フィーネちゃんは、お花が本当に好きなんだね。」
「うん。大好きだよ。生れたときからお母さんたち花屋やってるから、わたしはお花と一緒に生きてきたようなものなんだ。さて、お待たせ! 包み終わったよ。」
再び明るい表情に戻って、フィーネは出来上がった花束をカナデに差し出した。
「ヨシュアお兄さんも何か買ってく?」
「え? うーん、買いたいのは山々だけど、僕、今仕事中だから。このあとも仲間と合流する予定なんだ。その時、花を持ってたら怒られちゃうよ。」
ヨシュアは残念そうにそう言った。
そこでカナデはふと思いついた。
「もしよければ、私がヨシュアさんの買いたいお花、預かっておきましょうか? 同じ教会にいるのですし、お時間の都合が合うときにお渡しできますよ。」
カナデは内心、この自分の提案に自分で驚いていた。
会って間もない人に、これほどまで積極的に関わろうとしたことは今までほとんどなかった。
しかし、今日は少し心持ちが違った。
ヨシュアやフィーネと出会えたこの縁を、なぜだか手放したくないと思ったのだ。
その気持ちが、カナデにしては大胆な提案をさせる原動力となっていた。
「うーん。それじゃあお願いしようかな。せっかくフィーネちゃんのお店に来たんだから、何か買いたいし。」
「ホントに? ありがとうヨシュアお兄さん!」
「カナデさん、ホントにあとで渡してもらっていいの?」
「もちろんです。大丈夫ですよ。」
騎士であるヨシュアが花に興味を示したのは意外だったが、優しそうな彼の性格には似合っているのかもしれない。
ヨシュアとフィーネが花を選んでいる間、カナデも店内の花を眺めてみた。
花にはそれぞれ意味がある。
フィーネの言葉を聞いたことで、カナデも今まで以上に花に対して愛着を持って接することができそうだった。
ぼんやりと花を眺めていると、遠くから馬車の近づく音が聞こえてきた。
その音に合わせた様に、裏からカトレアが手押しのワゴンを持って姿を現した。
何かの準備と言っていたが、どうやらこのワゴンを店の裏から用意してきたようだ。
やがて近づいてきた馬車はアンダンテの前で止まった。
その荷台には、色とりどりの花々が積まれている。
「お父さん!」
店の中で花を選んでいたフィーネがそう声をあげた。
御者台には二人の男が座っていたが、そのうちの一人、大柄な男がその声に振り向いた。
「フィーネ! 無事だったんだなぁ! 良かった、良かった!!」
街中響くのではないかと思える大声で男はフィーネへ駆け寄った。
「父さん、心配したぞぉ!」
そのままかがんでフィーネへ抱きつくと、男は髭面をぐりぐりと押し付けた。
「痛い、お父さん、痛いって……!」
抱きつかれたフィーネは嬉しいような、困ったような、なんともいえない様子で父親をなだめている。
一方で、同席していた御者の男もカトレアとともに店内へと顔を出してきた。
「相変わらずの子煩悩ですね、ダイゾウさん」
長い付き合いなのだろう、御者の男が微笑ましそうにカトレアに語りかける。
「ええ、全くお恥ずかしい。」
対するカトレアも口では「やれやれ」といった調子で御者に合わせた。
「さ、あなた! お花を中に入れちゃいましょう?」
「んん? おお! そうだったな! やっちまおう!」
まるで台風のような騒々しさでフィーネの父、ダイゾウは荷馬車の方へ駆け戻っていった。
あまりの出来事にヨシュアはポカーンとしている。
「あの人が……お父さん?」
「うん。」
「なんというか……とても元気な人だね。」
「うん。元気すぎて困るくらいだよ。」
ヨシュアのコメントにフィーネも少し困ったように返した。
「それよりお兄さん、こういう感じはどうかな?」
そう言いや否や、フィーネは先ほどヨシュアと相談していた花のコーディネートの続きを始めた。
今度はムラサキツユクサに白のラベンダーなどを添えたものだった。
「ありがとう。あまり派手すぎるも困るから、これくらいならちょうどいいな。」
フィーネに礼を言うと、今度は申し訳なさそうな表情でヨシュアはカナデの方へ振り向いた。
「あの……これ、預かっておいてもらえますか?」
「はい! いつ頃お渡しすればよろしいですか?」
「ええと、たぶん夕食後には時間取れると思うので、その時に。場所は……神官の宿舎前に行けばいいですか?」
「わかりました。宿舎の前で大丈夫です。」
それだけ約束すると、フィーネやダイゾウ、カトレアに挨拶を済ませて、二人は「アンダンテ」を後にすることにした。
■第九話
アンダンテを去ったあと、ヨシュアはカナデと別れ、再びボーボーと戦闘した地区へと戻っていた。
ジェラードたちとここで落ち合うことになっていたからだ。
ヨシュアが到着してからしばらくしてサラが、その後ジェラードが戻ってきた。
そして各自の見回りの報告を行うことになった。
「じゃ、まずはあたしから話すわ。」
サラは散会後、しばらく戦闘のあった地区の周辺を見て回ったらしい。
“呼び笛”を使用して他の騎士たちに救援を求めてから、カンタビレ以外誰も現場に来なかったことを気にしてのことだった。
間もなくして隊長騎士と出会ったため、サラは簡潔にモンスターとの戦闘について説明したそうだ。
その際、なぜ救援の騎士が来なかったのか、その理由を尋ねたところ、近場にいた騎士はカンタビレの命令で新たな外敵の侵入対策や住民の避難誘導を行っていたらしい。
「どうも釈然としない命令よね。モンスターの掃討をあたしたちだけに丸投げなんて。
しかもその後、師団長が直々に現場に現れたし。」
物怖じしない様子でサラが言う。
しかしサラの疑問は尤もだった。
外敵の侵入を抑えることや住民の避難誘導をすることに疑問はないが、モンスターの掃討に一人も救援が来ないことには違和感を覚える。
おまけに自分たちは新人の班である。
戦闘を任されることは光栄なことであるが、フォローが一切ないのは不自然に思えた。
「なんというか……得体が知れないから、気をつけた方がいいかもしれないわね。」
サラにしては珍しく歯切れが悪い。
「気をつけるって……何をどうやって?」
「別に……。」
そういうとサラはちらっとジェラードの方へ目線を送った。
「そうだな。気をつけるとしよう。」
ヨシュアにはよくわからなかったが、ジェラードには伝わったらしい。
「今はお互いの報告を済ませよう。次は俺が話す。」
ヨシュアの頭には未だ疑問符が残ったままだったが、構わずジェラードは報告を続けた。
ジェラードはボーボーたちに襲われていた子どもたちの安否を確かめに行っていたらしい。
子どもたちの居場所は思いのほか早く見つかったそうだ。
モンスターとの戦闘地区から走ってきた子どもたちを見かけた住人がいたのだ。
どうやらあのあと、リーダー格の少年の自宅まで全員で避難していたらしい。
ジェラードは少年の自宅を訪ね、モンスターを退治したことを伝えた上で、モンスターに襲われた経緯を少年に聞き出していた。
「彼らは”秘密の抜け道”を使って街の外へ遊びに出ていたらしい。そこでモンスターに目を付けられ、慌ててその”抜け道”から街に逃げ帰ってきたそうだ。」
「秘密の抜け道?」
「言葉そのままの意味だ。ダアトの街の構造上、街への出入りできるのは正門のみだ。正門以外は外壁が街を囲んでいるからな。しかし、街の南西部の外壁の一部に崩れが生じていたのだ。俺も先ほど実際に行って確認したが、ギリギリで大人ひとりが抜けられる程の大きさの“穴”ができていた。」
「それって、マズイよね?」
ジェラードは淡々と話しているが、街に抜け道があるなど防衛上、大きな問題なのではないか。
「もちろんマズイ。このことについては後ほど隊長に報告するつもりだ。」
「ああ、そういえば隊長に会った時に『あとで報告書を書いて提出するように!』って言われたわ。
モンスターが暴れた経緯や“秘密の抜け道”のこともしっかり書かなきゃいけないわね。」
「そうだな。報告書は俺が書こう。実際に抜け道を確認したのは俺だからな。」
そういえばジェラードは先ほどの合流の際、最後に戻ってきたな、とヨシュアは思い返す。
モンスターに襲われていた子どもたちに事情を聞いた上に“秘密の抜け道”まで確認してきたのだ。
この短時間でそこまで行動できるあたり、やっぱりジェラードは優秀なのだと感じた。
「それにしても、そんな抜け道があるのに、なんで放置されてるのかしら?
ヨシュアの言う通りかなりマズイことよね、これ。」
「おそらく、“秘密の抜け道”が住宅の裏に隠れて死角になっていたためだろう。普段出歩く通りからは見えない位置にあった。」
「なるほど、幸か不幸かそれを子どもたちが見つけちゃったわけね。
普段からかくれんぼでもしていたのかもね。
隠れる場所を探して入り込んだら偶然にも抜け道発見ってところかしら。」
サラが呟く。
確かにこれで今回のモンスター騒ぎの大筋は見えてきたようだ。
戦闘前、ジェラードが指摘していた「ボーボーを刺激したもの」は外に出ていた子どもたちそのものだったわけだ。
「さて、ヨシュアはどうだ? 何か報告はあるか?」
ヨシュアが一人納得していると、ジェラードが不意にそう尋ねた。
そうだった。
順番的に次に報告するのは自分だった。
「えっと、僕は花屋で……」
「花屋?」
考えをまとめられないまま、無意識に「花屋」という単語を口にしてしまった。
当然のようにジェラードとサラが聞き返す。
「いや、なんでもない!」
不用意なことを言ってしまった。
これで花を買ったことがバレてしまえば、カナデに花を預かってもらった意味がなくなってしまう。
ふと見れば、ジェラードもサラも怪訝な顔をしたまま、ヨシュアの言葉を待っている。
慌てて報告する内容を考える。
しかし、ヨシュアの場合、カナデやフィーネと会い、その後アンダンテへ行っただけだ。
もちろん、移動中、住民にはモンスターを退治した旨を伝えたりしていたが、取り立てて報告することはない気がする。
ただ見回りを行っただけでなく、独自に行動して情報を得た二人と比べると、なんとも情けない話だ。
「えっと……うん、特に報告はないよ。
大通りの方を回ってきたんだけど、街の人たちに『モンスターは退治した』って伝えたら安心してくれてた。」
「そうか。」
ヨシュアの動揺がどう見られたのかはわからないが、ジェラードはそれだけ言って、お互いの報告を終わらせたのだった。
■第十話
カナデは温かい気持ちを抱きながら、教会への道のりを歩いていた。
その腕には小ぶりの花束が二人分。
アガスティアとヨシュアの分だ。
ヨシュアとフィーネに出会えたことは、とても嬉しかった。
思えば、ダアトに来て以来、友達らしい友達がいなかったのだ。
世話になっているアガスティアは優しい人だ。
しかし、それ以上に尊敬すべき人でもある。
アガスティアと話をする時は、どこかで萎縮してしまう自分がいた。
カナデはもともと人見知りが激しく、他人の顔を窺ってしまう性格である。
そんな自分でも、今日はヨシュアやフィーネとは楽しく話をすることができた。
自然体でいられた、と思う。
ヨシュアはあんなに優しそうな性格なのに、モンスターを退治したのだと言っていた。
男とはいえ、自分と同じような年齢の少年である。
騎士として戦うことは、とても勇気がいることだろう。
また、フィーネの花屋の仕事に取り組む姿勢も心に響いた。
見習わなければならないと感じた。
自分も、自分のできることを頑張ろう。
二人との出来事は、フィーネにそう思える勇気をくれた。
また、話ができると良いと思う。
そう思いながら、教会の正門への階段を上り始めたところだった。
「待って! お姉さん!」
聞き覚えのある声が、カナデを引き留めた。
「フィーネちゃん?」
振り返るとフィーネがこちらに向けて走ってきていた。
ここまで、追いかけてきたのだろうか。
しかしなぜなのだろう。
もしかして、忘れ物でもしてしまっただろうか。
フィーネはカナデの前まで近づいてくると、息を整えてから話し始めた。
「よかった、追いついて……。あのね、お姉さん、明日の夜うちに来れないかな?」
「明日? えっと……外出のお許しをもらえたら、たぶん大丈夫だと思いますけど……。」
フィーネの話は意外なものだった。
明日の夜にアンダンテで何かあるのだろうか。
「あのね、お姉さんと、あとヨシュアお兄さんにも見てもらいたいお花があるの。
さっきお父さんが仕入れてくれたお花の中に、珍しいお花があるんだ。
せっかくだから、お姉さんたちにも見てもらいたくて。」
恥ずかしそうにフィーネは少し顔を伏せた。
もしかしたらフィーネも、カナデやヨシュアとの出会いを嬉しく思ってくれているのかもしれない。
「わかりました。明日の夜、フィーネちゃんのところに行けないかお願いしてみますね。
あとでヨシュアさんにも聞いてみます。」
ヨシュアとは夕食の後に会う約束だ。
その時に明日の予定を尋ねてみることは可能だろう。
「ホント? ありがとう!」
カナデの言葉を聞いて、フィーネはぱっと顔を綻ばせた。
心底喜んでいることが感じられる笑顔だった。
その顔を見ただけで、カナデも嬉しくなった。
「それじゃあ、また明日!」
そういってフィーネはアンダンテの方へ帰っていった。
カナデはその場で手を振りながら、フィーネを見送った
楽しみな予定ができた。
戻ってアガスティアに会ったら、明日の夜の外出についてお願いしよう。
そうして、改めてカナデは教会への長い階段を上った。
ダアトの教会はとても巨大だ。
流石、ローレライ教団の総本山である。
正門への階段を上りきると、カナデはまず神官用の宿舎へ向かった。
そしてヨシュアの購入した花を自分の私室に置き、今度はアガスティアの私室のある教団本部へと移動した。
アガスティアは教団の中でも大詠師の次に位の高い詠師職である。
その私室も役職に見合う規模の部屋である。
当然、扉も神官用の宿舎とは比べ物にならないくらい大きく、凝った意匠のデザインが施されている。
ダアトに来てばかりの頃は、この扉を見ただけで緊張したものだった。
カナデは呼吸を整え、扉をノックした。
「失礼します。」
一声かけつつ、扉を開く。
中を見ると、アガスティアが部屋の奥にある執務机に腕を組んで座っていた。
何か考え事をしているようだった。
その表情は深刻そうだ。
「アガスティア様? ただ今戻りました……。」
やや遠慮がちにアガスティアへ声をかける。
「ああ、お帰りなさい、カナデ。」
カナデの入室に気づき、アガスティアが表情を和らげる。
「あの、お花を買ってきました。机の上のお花、取り替えますね。」
「ああ、ありがとう。」
先ほどの深刻な表情は消え、普段の穏やかな振る舞いでアガスティアは答える。
その様子にカナデも安心し、アンダンテで購入した花束を広げ、部屋の隅の机に飾られていた花と移し替えた。
「うん、良い花だね。」
新たに飾られた花を見て、アガスティアはそう感想をもらした。
「はい、今日初めて行ったお花屋さんで選んでもらったんです。」
そうしてカナデは、街での出来事をアガスティアに語った。
街でモンスターが現れ、神託の盾騎士団が退治したこと。
そしてヨシュアやフィーネと出会い、フィーネの花屋へ行ったこと。
感じたままに素直に話した。
アガスティアはカナデの話を優しくうなずきながら聞いていたが、フィーネの名前を聞いて、少し驚いたような顔をした。
「フィーネ?」
「はい、その子がこの花を選んでくれたんです。アガスティア様はフィーネちゃんをご存じなのですか?」
「ああ……いや、どこかで聞いたような気がしたんだ。しかし恐らく、気のせいだろうね。
私はそのアンダンテという花屋に行ったことがないから。」
アガスティアは頭を振りながらそう言った。
「すまないね、楽しいお話を途切れさせてしまった。
でもカナデにお友達ができたことは私も嬉しいよ。」
謝りながらも、穏やかにアガスティアは言う。
本当にこの人は優しい人なのだな、とカナデは思った。
そしてふと、今ここでフィーネとの約束のことを伝えてみようと思いついた。
「アガスティア様、実はそのフィーネちゃんと明日の夜、会う約束をしてしまったのですが……外出のお許しをいただけないでしょうか。」
今までめったに夜間の外出許可を得たことがなかったため、緊張した。
無意識にアガスティアの顔色を窺ってしまう。
「明日の夜だね。わかった。あまり遅くならないようにするのだよ?」
アガスティアは特別何かを言うわけでなく、カナデの申し出を受け入れた。
「はい! ありがとうございます!」
明日の夜、またフィーネと会える。
今度はどんな話ができるだろうか。
楽しい想像が膨らんだ。
「そうだ、カナデ。実は私からもカナデに伝えなければならないことがあるんだ。」
「あ、はい! 何でしょうか?」
嬉しさを抑えきれなかったことに赤面しつつ、改めてアガスティアへと向きなおる。そして見たアガスティアの表情は真剣なものだった。
「アガスティア様?」
「カナデ、すまないがしばらく私のお手伝いはしなくて良くなった。」
「え?」
先ほどまでの浮かれた気持ちが一瞬で冷めてしまった。
もう手伝いをしなくて良いとはどういうことなのか。
自分はもう、ここにいられないということだろうか。
嫌な考えが頭をよぎる。
「ああ、勘違いしないでおくれ。決してカナデを見捨てようというわけじゃない。
実は明日から教団上層部のみが関与する特別な仕事に携わることになったんだ。
それにカナデを同行させるわけにはいかなくてね。
だから、しばらく私の手伝いが必要ないと言ったんだ。」
「そう……なんですか。」
嫌な考えが的中しなかったことにはほっとした。
しかし今まで、長期間アガスティアと離れる機会はなかった。
明日からどのように過ごせば良いのだろう。
「申し訳ないけど、講義もしばらくできない。
座学の課題は用意してあるから、再開するまではそれで自習をしていてほしい。
第七音素を操る実技演習については、誰か別の者にお願いするつもりでいる。」
教団にいられなくなるわけではないようだが、しばらくアガスティアから指導を受けることはできなくなるようだ。
仕方ないことなのだ。
教団上層部のみの仕事となればカナデが関与できるレベルの話ではない。
「……はい、わかりました。」
仕方がない。
そう言い聞かせるが、内心は残念な気持ちでいっぱいだった。
「迷惑をかけてすまないが、よろしく頼むね。」
「迷惑だなんてとんでもないです! 私は……。」
申し訳なさそうにするアガスティアに、カナデはある言葉を伝えようとした。
それは、自分にとって勇気のいる言葉だった。
いつもは言いたくても、言ってしまうことで自分を追い詰めるような気がして怖かった言葉。
だが、今なら言える気がした。
「私は、きっと一人前の預言士になってみせます。
そして、アガスティア様のお役に立てるように頑張ります。」
フィーネとヨシュアとに出会い、感じたこと。
自分のできることを頑張る。
カナデにとってそれは、一人前の預言士になれるよう努力することだ。
預言を詠むことを怖がってなどいられない。
カナデの言葉にアガスティアは大きくうなずくと、一言「ありがとう」と応えた。
そして、少し間を置いてから、諭すように言った。
「カナデ、人との出会いは大切にするのだよ。世の中には色々な人がいる。
そして人はそれぞれ、その人だけの、その人しか知らない人生を歩んでいる。
出会った人たちの、想いを、生き方を、感じ取れる人間になりなさい。
そうすれば、きっとカナデを良い預言士にしてくれるから……。」
そうしてアガスティアはカナデの頭を優しくなでた。
「ありがとうございます。アガスティア様のお言葉、大切にします……!」
精一杯の誠意を込めて、カナデは言った。
その様子を見て、アガスティアはまた穏やかに微笑んだのだった……。
■第十一話
ヨシュアはひどく緊張していた。
一日の勤務を終え、夕食を済ませたヨシュアは、カナデとの約束を守るために神官の宿舎へと歩いていた。
アンダンテでカナデと話をした時はフィーネがいたこともあってか、特に意識していなかった。
しかし、よく考えてみれば、出会ったばかりの同年代の女の子と二人きりで会うことになるのだ。
――花を受け取ればいいだけってのはわかってるけど……何を話したらいいんだ?
その手の経験が乏しいヨシュアは、約束の時間が近づくにつれてそんな不安ばかり募っていた。
別にデートというわけではないのだから、そんなことを気に病む必要はない。
しかし、どうにも不安ばかり膨れ上がる。
そうこうするうちに、待ち合わせの場所である神官の宿舎が見えてきた。
今の位置から見る限り、カナデの姿は確認できない。
ダアトでは一定の時間ごとに時刻を知らせる鐘が鳴る。
また、夕食は騎士や神官も共用の食堂があり、そこで食事することになっている。
食堂ではカナデの姿を見ることはできなかったが、夕食の時間の終了を告げる鐘の音を聞けば、おおよその時間を合わせることは可能なはずだ。
一度深呼吸して、心を落ち着ける。
そして、意を決して宿舎の前へと足を踏み出す。
と、その時だった。
宿舎の扉が開き、中から人影が現れた。
予想外のことだったので、ヨシュアはぎょっとした。
「あっ」
そして現れた相手を見て思わず声を上げてしまった。
扉を開けて現れたのはカナデだった。
その手には、昼間アンダンテでヨシュアが購入した花がある。
「あっ」
カナデもヨシュアがいたことに驚いたらしい。
しばし、お互い何も言えずに固まってしまった。
――何か言わないと!
しかし、気の利いたセリフが頭に浮かばない。
いや、普通に挨拶すればいいのか。
「あ、あ、あのヨシュアさんすみません! 待たせちゃいましたか?!
わたし、遅れないように準備してたつもりなんですけど、結局こんな時間になっちゃって……。」
ヨシュアが言葉をかける前に、カナデが口火を切った。
「えぇ? えっと……。」
「早めにお夕食を済ませて、余裕をもって部屋を出たんですけど、肝心のお花を持ってくるのを忘れてしまって……!
それでお花を持って部屋を出たら今度は部屋に鍵を掛けるのを忘れたりして……!」
ヨシュアの返答を待たずに、畳み掛けるようにカナデが続ける。
「いや、僕も今ここに来……」
「えっと……それで時間が行ったり来たりで! その、わたし本当にうっかりしてて……!」
段々と言っていることが支離滅裂になってきている。
よく見ればカナデは泣きそうな顔になっていた。
「ちょ、ちょっと待って! 大丈夫! 大丈夫だから落ち着いて……!」
この展開は想像していなかった。
自分よりテンパっているカナデを見て、ヨシュアの緊張は吹き飛んでしまった。
「……すみません。わたし悪いことしてしまったかと、不安になってしまって……。」
ヨシュアの一声で、カナデは幾分か落ち着きを取り戻したようだ。
恥ずかしそうに顔を伏せている。
「全然悪いなんてことないよ。」
「本当にすみません。わたし、昔からそそっかしいみたいで……。」
「そんなに謝らなくて大丈夫だよ。僕の方こそ、落ち着いて話ができなくてごめんね。」
「いえ……その、ありがとうございます。」
そう言って、カナデは顔を上げた。
ようやく落ち着いて話ができそうだ。
そうしてヨシュアがほっとした瞬間だった。
最後にカナデが、はにかみながらこう言った。
「ヨシュアさんは……やっぱり優しい人なんですね。実はヨシュアさんと話すの、楽しみにしていたんです。」
嬉しそうに話すカナデに、正直ヨシュアはドキッとしてしまった。
今度はヨシュアがテンパってしまう番だった。
――その笑顔でそのセリフは……なんというか、すごい……照れる……!
カナデのことだから、狙っているわけでなく、素直に感じたままのことを言ってくれているのだろう。
そう思うからこそ余計に気恥ずかしかった。
照れているのを悟られないためにも、ヨシュアは本題に話を移すことにした。
「えっと、それで……預かってもらっていた花なんだけど……。」
「ああ、そうでした!」
言いながらカナデは手に持っていた花束をヨシュアに手渡した。
昼間購入した、ムラサキツユクサやラベンダー等がまとめられたものだ。
「あの、預かってくれて……ありがとう。」
「いえいえ! お安い御用です。」
そういってカナデはにっこり笑った。
そして、思い出したように「そうだ!」と言葉を続けた。
「ヨシュアさん、明日の夜はお時間ありませんか?」
「へ?」
先程の動揺が収まっておらず、再びヨシュアはドキッとした。
「フィーネちゃんが見せたいお花があるそうなんです。わたしは明日の夜、アンダンテへお邪魔しに行くつもりなのですが、もしよかったらヨシュアさんもご一緒にいかがですか?」
なるほど、そういうことか。
また二人だけで会うのかと勘違いしてしまうところだった。
自分の早合点に恥ずかしくなった。
明日は今日と同じ日中の勤務だ。
おそらく、騎士団本部に外出許可を申請して、許可を得れば大丈夫なはずだ。
「そうだね……。もしも外出許可が下りたら、僕もアンダンテに顔を出すよ。」
「わかりました。フィーネちゃんにも伝えますね。もしヨシュアさんも来れば、きっとフィーネちゃんも喜びます。」
そう言ってカナデは嬉しそうに微笑んだ。
「うん、僕もまたフィーネちゃんに会いたいしね。」
つられてヨシュアも微笑み返す。
せっかく知り合えたのだ。
アンダンテに顔を出したいのは本心だった。
「それじゃあ今日はこのくらいで……。」
話を切り上げようとしたところだった。
「ヨシュア? あんた何やってるの? こんなところで」
聞き慣れた声が背後から聞こえてきた。
振り返るとそこには赤毛の少女、サラが立っていた。
不思議そうな表情でこちらを見ている。
「サラ?! サラこそなんでこんなところに……?」
「あたし宛に手紙があるって聞いたから、騎士団本部まで受け取りに行ってきたんだけど。」
その言葉通り、サラの手には一通の手紙があった。
サラにこの状況を見られたことは厄介だ。
神官の女の子と夜に仲良く話をしていて、手には花束……。
しかも、昼間の見回り時の報告で迂闊にもヨシュアは「花屋」という単語を口にしてしまっている。
誤魔化す説明が思いつかない。
ヨシュアが言葉に迷っているうちにサラが再び口を開いた。
「ヨシュア……あんたまさか……その子と付き合ってるの?」
「いやいやいや! カナデさんは今日会ったばかりの友達だから!」
サラの直球な質問を慌てて否定する。
カナデの方を見ると、顔を赤くして口をパクパクさせている。
一方でサラはヨシュアの言葉にさらに疑問を深めたようだった。
「今日……? 今日はモンスター退治で忙しかったわよね……? いつ出会ったのかしら?」
「あ……!」
墓穴を掘った。
サラは不可解そうな顔でヨシュアを見つめている。
サラは気になったことに対しては納得いくまで追及するタイプだ。
観念するしかなさそうだった。
「わかった……。話すよ。」
結局、今日の出来事を正直にサラに話した。
モンスター掃討後、個別に見回りに行った際、カナデと会ったこと。
その後、フィーネと出会い、アンダンテへ同行したこと。
アンダンテで花を買い、それをカナデに預かってもらったこと。
そして今まさに預かってもらっていた花を受け取ったところだということ。
すべて聞き終えると、サラは呆れながら「そう……。」と呟いた。
「それであの時、花屋なんて言いかけたのね。」
「勤務中だってことは承知してたんだけど、つい……。」
「まあ、今さら責めやしないわよ。呆れて怒る気も失せたわ。」
「う……。」
「バレたのがあたしで良かったわね。ジェラードにバレたら『騎士としての態度がなってない』とか小言漏らされたかもよ?」
「確かに。面目ない。」
「ま、反省して今後気をつけることね。今日のことは秘密にしといてあげる。」
しょんぼりと肩を落としたヨシュアの頭をポンポンとサラが叩く。
ヨシュアとの話を終えると、サラはおもむろにカナデに声をかけた。
「そういえば、あたしの自己紹介をしてなかったわね。わたしはサラ。ヨシュアの同期で、譜術士よ。よろしく。」
初対面であっても遠慮することなくサラは言う。
誰に対してもはっきりとした態度をとるのはサラらしいといえた。
「あ、はい! よろしくお願いします、サラさん。えっと……わたしはカナデと言います。身分は唱師で、アガスティア詠師に師事しています。」
カナデも彼女らしく丁寧にサラの挨拶に応える。
そして、恐る恐るといった様子で言葉を続けた。
「あの……ヨシュアさんがアンダンテへ行ってお花を買ったのは、わたしのせいなんです。買ったお花を教会でお渡しできると言ってしまったから……。」
「ああ、あなたが気にする必要はないわよ。花屋に同行したこと、そして最終的に花を買うことを判断したのはヨシュアだし。」
にっこりと、それでいてあっさりとサラは言った。
言い方に容赦がない。
「は、はぁ……。」
申し訳なさそうにカナデが自分の方を見たので、ヨシュアは頷いてみせた。
サラの言う通りなのだ。
最終的に判断したのは自分であり、カナデに非はない。
「そういえば、カナデさんは普段教会でどんなことをしているの? まだ聞いてなかったよね?」
気まずくなることは避けたかった。
話題を変えるため、とっさに思いついた質問をしてみる。
「わたしですか? わたしは預言士になるために勉強しているんです。自分でも信じられないんですけど、第七音素を操る力があるらしくて……。」
恥ずかしがりながら、カナデは答えた。
これはヨシュアも初耳だった。
「へぇ……。預言士かぁ。僕もいつかカナデさんに預言を詠んでもらおうかな。」
「あ、いえ、実はまだ一度も預言を詠んだことはなくて……。今その訓練中なんです。」
「そうなんだ? でもすごいよ! 第七音素を扱えるかどうかは、生まれ持った才能次第だって聞くよ。だよね? サラ?」
確かサラともその話をしたことがあったのだ。
しかしサラはヨシュアの言葉には答えず、手にしていた手紙を胸に当てたまま沈黙していた。
その視線はカナデを見つめている。
「サラ?」
「……ええ、そうね。第七音譜術士は特殊な才能をもった人たちよ。」
ヨシュアの呼びかけで我に返ったようにサラは答えた。
そしてカナデに対してこう言い足した。
「……カナデさん、大変かもしれないけど、頑張ってね。」
普段の高飛車な雰囲気からは想像できない、柔らかい口調だ。
心からカナデのことを気遣っている、そんな言い方だった。
こんなサラを見るのは初めてだった。
「はい。頑張ります。」
サラの言葉に、カナデが答える。
サラはカナデをまっすぐ見据えると、一度だけ頷いた。
そうして今度は、まるで何か余韻を噛み締めているかのように、サラは目を瞑ったまま口を閉ざした。
しばし沈黙。
しかし次にサラが口にした言葉は予想外のものだった。
「さて、あたしは部屋に戻るわ。」
「え?」
唐突だった。
カナデとの話に満足したのだろうか。
何がどうしてそういう結論に至ったのかわからないが、サラは急に自室に戻ることを告げた。
言うや否や、もう踵を返して歩き出している。
「え? ちょっと、サラ?」
「あんたたちも、早めに帰りなさいよ。」
こちらへは振り返らず、背中越しにサラはそう言ってそのまま歩き去った。
「えーっと……。」
先ほどの優しい態度はなんだったのか。
今まで知り得なかったサラの一面が見られたと思ったが、それも一瞬のことだったようだ。
最後は彼女らしいマイペースぶりを発揮していった。
サラという人間がますますわからなくなった。
「とりあえず、僕らも部屋に戻ろうか?」
サラの言動に呆気にとられ、ヨシュアはそう言うしか思いつかなかった。
「そうですね……。」
カナデもサラのことを気にしているようだったが、ひとまず今日は自室に戻ることに同意してくれた。
結局、ヨシュアは花束を抱えながら、狐につままれたような気分で自室へ帰ることになったのだった。
■第十二話
サラが部屋に戻ると、同室の女騎士の姿はなかった。
おそらく、別の友人の部屋に行っているのだろう。
そういう時は消灯時間まで戻ってこない。
同室の少女の名はミリシャという。
はっきりいってミリシャとの関係は良くない。
普段一緒に部屋にいる際も、最低限の会話しかしない。
喧嘩をしているわけではない。
何か特別な因縁があるわけでもない。
士官学校時代のサラの素行を気にして、ミリシャの方がサラの相手をするのを避けているのだ。
消灯時間まで戻ってこないのも、サラと一緒にいるのは居心地が悪いと感じているからなのだろう。
サラとしても、仲良くなることなど求めていない。
寧ろ部屋に一人でいられる時間があるのがありがたいくらいだった。
騎士団本部で受け取った手紙を自分の机の上に置く。
いつもならばすぐに読み始めるところだったが、何故だか今日は気持ちを落ち着けたかった。
結局、手紙を読む前にシャワーを浴びることにした。
着替えを準備し、部屋に備え付けのシャワールームへ続く脱衣所の扉を開ける。
教会には共用の大浴場があるが、そこまで足を運ぶのは億劫なので、サラは大抵部屋でシャワーを済ますことにしていた。
正直なところ、自分以外の人間が多数いる空間へ身体を洗いに行くことに躊躇いの気持ちもあった。
シャワーを浴びながら先ほどヨシュアや、彼と共にいた神官・カナデと話したことを思い返す。
カナデは、第七音譜術士だと言っていた。
第七音譜術士。
サラにとってその存在は特別な意味をもつ。
手紙を読むことを後回しにしたのも、カナデのことを気にしているからなのかもしれない。
騎士団から支給されるシャンプーを手に取り、髪を洗う。
支給品の割に教会のケア用品の質は良い。
妙なところに気が遣われている。
――どうせなら、新人のうちから部屋は個室にしてくれればいいのに。
神託の盾騎士団では、騎士に個室が割り当てられるのは二年目以降となっている。
部屋数の問題なのか、それとも意図があってのことなのかは知らないが、サラにとっては厄介な制度だった。
プライベートな時間くらい、一人で気楽に過ごしていたかった。
一通り身体を洗い終えると、シャワールームを出た。
身体を拭いて寝間着に着替え、髪を乾かす。
手紙が濡れてしまわないように、念入りに水気を落としていく。
髪を乾かし終えると、改めてサラは自分の机へと向かった。
椅子を引いて腰を下ろすと、机に置いたままの手紙を手に取り、封を切った。
中身を取り出す。
「サラ=イデアル様へ」
丁寧に書かれた文字。
手紙の送り主はアリアといった。
サラとは士官学校時代の同期であり、親友だった。
アリアは、第七音素を操ることができる第七音譜術士だった。
事情により士官学校を中退し、今はグランコクマの実家へ戻っている。
アリアが士官学校を去ってからも、サラはこうしてアリアと文通を続けていた。
士官学校の訓練内容や騎士の任務については機密事項にあたるため、当たり障りのないことしか書けなかったが、それでもアリアとの文通は楽しみだった。
「サラは元気でやってますか? 騎士の任務はやっぱり大変ですか? 怪我をしていないか心配です……」
手紙の書き出しは、いつもサラの様子を案じる内容から始まっていた。
自分の話よりも先にサラのことを心配してくれているのが、アリアらしかった。
アリアは穏やかな性格で、誰よりも人を思いやることのできる娘だった。
ちょうど今日出会ったカナデと、雰囲気が似ていた。
「……そうそう、実は私から報告があります……」
続きを読み進めていたサラは、そこで目を止めた。
「グランコクマにある治療院で働くことになりました。まだまだ見習いだけど、これから治癒術師として頑張ろうと思っています……」
アリアの報告はサラにとっては驚きの内容だった。
サラが思い出すのは士官学校時代のアリアの姿だ。
アリアはいつでも優しかった。
彼女の本来の性格を考えれば、治癒術師という職業はぴったりだ。
しかしサラの脳裏に士官学校時代の“あの事件”のことがよぎった。
――また無理して”あの時”のようなことにならなければいいけど……。
アリアは、ずっと自分よりも他の誰かのために頑張っていた。
そんな彼女だからこそ”あの時”、自分を必要以上に追い詰めてしまった。
そして、サラはそんな親友を守ることができなかった。
あの事件があったからこそ、今のサラがあると言える。
離れ離れになってからも文通を続けていたのは、アリアのことを心配していたからでもあった。
そのアリアが自分の道を歩き始めようとしている。
手紙には弱音や愚痴は一切なかった。
それは、アリアが今の仕事に前向きに取り組もうとしている証にも思えた。
治療院で働くことになったという話の後は、家族の話やグランコクマの流行の話に続いていた。
親友としては素直に喜び、応援すべきなのだろう。
しかしサラの心は揺れていた。
何故だかアリアが遠い存在になってしまったかのように感じられたのだ。
そう思いながらも、最後の行まで目を通す。
手紙は裏面にも続きがあるようだった。
手紙を裏返すとそこにはほんの数行だけ、追伸が書かれていた。
そして、その内容に息を呑んだ。
「――追伸
いつも励ましてくれてありがとう。
私はもう大丈夫だよ。
私のために無理しなくて、いいんだよ。
サラは、サラの夢を叶えてほしい。」
一瞬何が書かれているのか理解できなかった。
目の前に広がる文字が、動揺したままのサラの脳に、意味のあるものとして流れこんでくる。
気づくと、頬に涙が伝っていた。
自分が泣いているのだと気づくのに、少し時間がかかった。
「ありがとう。でもあたし、どうしたらいいんだろうね……。」
無意識にサラは呟いていた。
嗚咽混じりの声が、一人しかいない部屋に響いた。
■第十三話
騎士団本部の廊下を歩くジェラードの表情は硬かった。
ヨシュアとともに夕食を済ませた後、ジェラードは呼び出しを受けていた。
ジェラードを呼び出したのは、カンタビレだった。
呼び出しの理由は、昼のモンスター騒動の報告についてとなっている。
あのボーボーたちのダアト侵入については、午後の時間を使って隊長騎士に報告した。
子どもたちと抜け道の件も含めて、報告書にはまとめて提出済みだ。
カンタビレが、抜け道の存在を実際に確認したジェラードに話を訊くのは、おかしな話ではない。
しかし、その昼間のモンスターとの戦いの後、カンタビレはジェラードの剣術について意味深な発言をしていた。
カンタビレがジェラードを召集した真意はなんなのか。
そんな考えがずっと頭にこびりついている。
廊下に自分の足音が響く。
既に日は落ち、光の音素を利用して発光する灯りが廊下を照らしている。
夜勤担当の騎士との交代時刻は過ぎており、騎士団本部を出歩いている騎士は疎らだ。
カンタビレの執務室に近づくほど、人の気配はなくなっていく。
やがて地下へと下る階段が見えた。
この階段を下った先にカンタビレの執務室がある。
不安が募る心を押し殺し、階段を下る。やがてたどり着いた執務室の扉の前で、ジェラードは呼吸を整えた。
扉をノックする。
「失礼します! ジェラード=ワイズマン、只今参りました。」
「入れ」
扉越しにカンタビレの声が聞こえた。
ジェラードは扉を開け、執務室の中へと足を踏み入れた。
「失礼します。」
カンタビレの執務室は飾り気のないものだった。
中央奥に執務机があり、その上には大量の書類が積まれている。
周囲には執務室に元々飾られていた装飾品の類があるだけだ。
本棚には実用書や資料らしきファイルで埋まっていた。
扉から入って左手側には、おそらく来客用と思われる椅子が置かれている。
カンタビレは、中央の執務机の前に立っていた。
「悪かったな、急に呼び出して。ここへの道のりはなかなか長かっただろう?」
笑顔でカンタビレが迎える。
「いえ、そんなことはありません。」
「だから、そんなに畏まる必要はないぞ。もっと肩の力を抜いてもらって構わん。」
「申し訳ありません。このような受け答えをしてしまうのは、私の性分のようです。お許し願えるでしょうか。」
「わかったよ。真面目だねぇ、本当に。」
呆れたようにカンタビレは肩をすくめた。
この言動を見る限りだと、気さくな女性、という風にしか見えない。
よく考えてみれば、カンタビレはジェラードよりやや年上なだけで、年齢に大きな差はないのだ。
しかし、彼女の肩書きは神託の盾騎士団第六師団の師団長。
年齢など関係ないほどに、彼女の突出した実力が評価されている証左といえよう。
「ところで、昼間のモンスター騒動についての報告、と伺ってきたのですが、どのようなお話をすればよろしいでしょうか。」
「ああ、あれね。とりあえず、モンスターは無事退治して、被害もないってところは問題なしだな。あとは外壁に穴が空いてたってやつね。応急処置として、明日あたり人手集めて内側から鉄板でも打ち付けとくよ。」
「え?」
「この街も古いからねぇ。さすがにどっかが崩れていても不思議じゃない。問題の“抜け道”は私も見てきたが、さすがに大人ひとりギリギリで出入りできるってのは見過ごせないな。報告してくれて助かったよ。」
どういうつもりなのか。
こちらが説明する以前に、報告内容は把握しており、さらに自分の目で外壁の様子まで確かめている。
加えて既に明日の対策も検討しているとなれば、何をジェラードに尋ねるつもりだというのか。
怪訝そうなジェラードを見て、一人納得したようにカンタビレは言葉を続ける。
「ああ、なんでもっとしっかり外壁を直さないのかって? ローレライ教団もあくまで人の組織だからな。事務手続きがあるんだよ。修復するのに技術者どのくらい雇うのかとか、どのくらいの日数かけて作業するのかとか、それに費用がいくらかかるのかとか、色々な。だから応急処置って言ったわけだ。正式に修復作業始める前にモンスターに入り込まれたら大変だろ? 自主的に対策講じる分には文句は言われないだろう。というか、こんな状態で今まで被害がなかったのは奇跡だと思わないか?」
喋りながら、カンタビレはジェラードに背を向け、執務机の奥にある窓の方へと目を向ける。
「……そうですね。」
少なくとも、カンタビレの話に異論はない。
“抜け道”問題に迅速に対応するつもりのようだ。
では、ジェラードを呼び出した理由はなんなのか。
「それでは……私は何をお話ししたらよいのでしょうか?」
「……そうだったね。本題に入ろうか。」
そう言うと、改めてカンタビレはジェラードの方へと向き直った。
つまり今までの話は本題ではなかったということか。
「ジェラード。『ヴァン=グランツ』は知っているか?」
「存じ上げております。」
ヴァン=グランツ。
神託の盾騎士団の副総長。
先月の主席総長の殉職を受け、次期主席総長と噂されている人物である。
知らないわけがない。
「会ったことはあるか?」
「ありません。」
「そうか。では、お前は預言のことをどう思う?」
「預言……ですか?」
これはいったいなんなのだろうか。
誘導尋問の類だろうか。
カンタビレ先ほどから一貫して無表情だった。
ただ、まるで観察するようにジェラードのことを見ているのはわかる。
返答には慎重になるべきだろう。
「預言とは、始祖ユリアが遺した未来の予言であり、今や人々の生活に必要な道しるべです。私は、人々にとって預言はなくてはならないものと考えます。」
「ふむ。模範的な解答だな。」
思案するようにカンタビレは顎に手を当ててジェラードを見つめる。
目の前の女騎士がいったい何を考えているのか、ジェラードには全くわからなかった。
ジェラードの心境を知ってか知らずか、おもむろにカンタビレは口を開いた。
「では、少し違った訊き方をしよう。」
「……?」
「これから先の質問は『ジェレミア=ラルド=ナイマッハ』としての答えを聞かせてもらえるか?」
「な!?」
今、カンタビレはジェレミアと言ったか。
何故、その名前を知っているのか。
鼓動が早くなるのが自分でもわかった。
「動揺したか? ようやく素のお前と話ができそうだね。」
カンタビレは不敵な笑みを浮かべてジェラードに語りかける。
「やはり私の素性をご存知だったのですね。どちらでその名前を?」
「きっかけは、お前の使っていた剣術さ。士官学校時代からお前は、神託の盾で教えているものとは異なる剣術を身につけていた。その剣術はシグムント流……正確にはアルバート流シグムント派だろう?」
「……。」
昼間のカンタビレとの会話がジェラードの脳内に蘇る。
――面白い剣術を使っていたな。どこで誰に教わったのか、気になるねぇ……。
やはりそうだったのだ。
あの時点でカンタビレはジェラードの素性を知っていたのだ。
そして、知っている上でジェラードにカマをかけてきたのだ。
「シグムント流は素早さを重視した剣術であり、その技は口伝で伝えられていると聞く。そしてその習得者は、主にホド島のガルディオス家に縁のある者だとか……。」
「……。」
「そこでまずはお前の家族、ワイズマン家を調べてみた。すると、お前の母親は一度ホドのナイマッハ家に嫁いでいたことがわかった。ナイマッハ家はガルディオス家同様、ホドの名家だ。ナイマッハ家にガルディオス家と関わりがあり、シグムント流を習得している者がいても不思議ではない。そこで今度はナイマッハ家の家系を調べ、お前の本名に行き着いたわけだ。今のお前の反応を見ると、どうやら当たりのようだな。」
「……。」
カンタビレが言っていることは正しかった。
そう。
ジェラードの本名は『ジェレミア=ラルド=ナイマッハ』。
ホド島の名家、ナイマッハ一族の一人だった。
ここまで的確に素性を調べられていては隠していても意味はないだろう。
観念してジェラードはジェレミアであることを認めることにした。
「師団長の仰る通りです。私はジェレミア=ラルド=ナイマッハ。ホド島の生き残りの一人です。」
「正直に話してくれる気になったかな? では、お前の正体がわかったところで、訊きたいことがある。お前はなぜ神託の盾騎士団に入った? 目的はなんだ?」
「それは……。」
果たしてこのまま話してしまっていいのか。
ジェラードは自問する。
ジェラードには上を目指す理由があった。
そしてその理由は、迂闊に口外できない内容であった。
沈黙するジェラードに対し、カンタビレが追い討ちをかける。
「ジェラード。お前は士官学校入学前、熱心に教会の書庫へ出入りしていたようだな。資料閲覧記録にお前の名前が残っていた。調べていた内容は、惑星預言や第七譜石、そして……秘預言の存在について、だな?」
「……!」
「改めて訊くぞ。ホド出身のお前が、秘預言について調べ、神託の盾騎士団に入団した理由はなんだ?」
「……。」
どうやらカンタビレはかなりジェラードの動向について調べているようだ。
カンタビレに本心を打ち明けるべきか。
ジェラードは迷った。
しかし、カンタビレはジェラードの答えを待たず、言葉を続けた。
「……お前の目的は、ホド戦争の復讐か?」
ジェラードは驚いてカンタビレの顔を見た。
隻眼の女騎士が、まるで獲物を追い詰める狩人の如き鋭い視線で、ジェラードを睨みつけていた。
ホド戦争の復讐。
――違う。俺の目的は復讐などではない……!
自己防衛の気持ちが働いたのだろうか。
カンタビレの問いかけに、とうとうジェラードははっきりと口を開いてしまった。
「違います! 俺はホド戦争の復讐など企んではいません!」
ジェラードの声が執務室に反響した。
自分の発した声にジェラード自身が驚いていた。
思った以上に感情的になってしまったようだった。
カンタビレはジェラードの返答を聞くと、今度は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ほう。ではお前の目的を洗いざらい聞かせてもらおうか? その内容次第で、今後のお前の処遇も変わってくるだろうがね。」
今後の処遇。
確かに、カンタビレの言う通り、ジェラードの処遇は大きく変わってくるだろう。
しかし、カンタビレの誤解を解くためにも、ジェラードの本心は正直に語った方が良いように思えた。
一度、落ち着くべきだろう。
そう思い、ジェラードは目を瞑り、深呼吸した。
そして、改めてカンタビレを見る。
実際に面と向かって話してみてわかったことだが、カンタビレは想像以上に頭の切れるタイプのようだった。
世間的な評判では、剣の実力で師団長まで上り詰めた人物とされている。
彼女自身も「腕っぷし」でのし上がったのだと豪語している。
加えて、彼女の普段の豪胆で気さくな言動から、直感を頼りにするタイプなのだろうとジェラードは思っていた。
しかし、先の外壁修復の対応についての話やジェラードへの質問の仕方を見るに、その思考は非常に論理的な人物のようである。
彼女は決して考えなしに行動するタイプではない。
一見すると唐突で理解しづらい言動も、おそらく全て計算の上でやっているのだろう。
思い返してみれば、ボーボーとの戦闘時、ジェラードたちに救援が来ないよう、他の騎士たちに指示を出していたのはカンタビレだった。
戦闘後、すぐに姿を現したということは、それまで現場の近くに身を潜めて様子を見ていたということだ。
目的はジェラードの剣術や戦闘時の立ち振る舞いを見ることだったのだろう。
万が一の時は、カンタビレ自身が助けに入るつもりだったのかもしれない。
目的が何であれ、的確かつ迅速な判断を下し、人を動かすことができる。
確かに、カンタビレは師団長という地位に見合う器をもった女性のようだ。
カンタビレに正直に話してみて、その結果どうなるかはわからない。
しかし、彼女ならば自分の処遇を任せられるのではないか。
そんな思いが、ジェラードの中で湧き上がっていた。
「わかりました。全てお話しします。」
ジェラードがそう言うと、カンタビレは頷いてみせた。
そのまま話せ、ということらしい。
ジェラードは自身の目的を語ることにした。
「私の目的は、ホド戦争の真実を知ることです。」
ホド戦争。
約十年前、マルクト帝国領のホド島で起こった戦争である。
長年、小競り合いを続けていたマルクト帝国とキムラスカ=ランバルディア王国がホド島で衝突し、多くのホド島民が犠牲になった。
そして、この戦争は最悪の結末を迎える。
突然、地殻変動が起こり、ホド島自体が文字通り消滅してしまったのである。
「当時、私は八歳でした。といっても、戦争が始まった頃には、既に母とグランコクマへ避難していました。私の祖父、ペールギュント=サダン=ナイマッハが両国の情勢を察知し、母と私を逃がしてくれていたのです。」
当初は戦争が落ち着くまで一時的に避難する予定だった。
しかし、帰るべきホド島そのものがなくなってしまった。
故郷を失ったジェラードは、母の生家であるワイズマン家で過ごすことになった。
戦争時、ホドに残っていた祖父たちの消息は今でもわかっていない。
グランコクマへ避難してから『ジェレミア=ラルド=ナイマッハ』は『ジェラード=ワイズマン』として生活することになった。
世間的にはナイマッハ家は滅亡したことになっている。
名を変えて新しい人生を歩もうという、母の気遣いだった。
「グランコクマの生活に慣れた後も、私はずっとホド戦争の顛末に疑問を持ち続けていました。何故、ホドで戦争が起きたのか。何故、自分の家族や生活が失われなければならなかったのか。そして、何故、ホド島は消滅してしまったのか。」
当時は理不尽な出来事に対する怒りの感情もあった。
しかし、年月が経ち、徐々に自分の境遇を客観視できるようになった。
そして、理不尽な出来事に対する感情的な思いからではなく、ホド戦争が起こった経緯を冷静に理解したいという思いが強くなっていった。
グランコクマの発表によれば、ホド戦争の原因は全てキムラスカ=ランバルディアの策略であったと伝えられている。
しかし、それだけでは納得できない出来事が数多くあった。
特に、ホド島が消滅した理由は『地殻変動のため』としか情報がなく、詳細が不明なままだ。
「グランコクマの図書館で資料をあたっても、記載されている内容は国内で報道された内容と大差がありませんでした。そんな折、母とともに石碑巡礼に行く機会がありました。私はそこで初めてダアトを訪れました。そして気づいたのです。ローレライ教団は中立的な立場で、世界的に影響を持つ組織です。ローレライ教団ならば、グランコクマでは知り得なかった情報を手に入れることができるのではないか。そう考え、神託の盾騎士団への入団を決意しました。」
ちらりとカンタビレの様子を窺ってみる。
カンタビレの表情から考えを読むのは難しい。
しかし、少なくとも彼女の態度から悪意や疑念は感じられなかった。
ただひたすらに、冷静にジェラードの話に耳を傾けている。
「なるほど、お前がどういう生まれで、何故、神託の盾騎士団に入団を決めたのか、その経緯はわかった。しかし、まだ続きがあるんじゃないのか? そのまま続けてくれ。」
カンタビレは表情を変えず、ジェラードに続きを話すよう促した。
「わかりました。話を続けます。私はその後、一人ダアトへ移り、士官学校の入学試験に挑むことにしました。その頃には、教会の方にも何度も足を運ぶようになりました。」
「教会の資料を閲覧するためか?」
「そうです。ただ、そこにもホド戦争について私の求める情報はありませんでした。しかし、その過程であるものの存在を知りました。」
「なるほど。それが秘預言か。」
「ええ。」
秘預言とは、一般に公開することが憚られる内容の預言のことを指す。
例えば、人の死にまつわる預言や、世界規模で影響を与える出来事が示された預言がそれにあたる。
秘預言扱いとなった預言の譜石は、非公開の代物として教会内に保管される。
公開することで、人々に多大な混乱を与えてしまうことを配慮しての仕組みであった。
「秘預言ならば、ホド戦争の顛末を明らかにするものがあるのではないか。そう考えました。しかし、秘預言の内容を知ることができるのは教団上層部の者のみ。もしも一般教団兵がその内容を知ってしまった場合は……」
「最悪、死罪となるな。」
ジェラードの言葉を先取りするように、カンタビレは言う。
教団で一定の地位を得た者でなければ、秘預言の内容を知ることは禁止されている。
場合によっては、意図せず秘預言に相当する預言を詠んでしまった預言士や、秘預言の示す出来事に関わりのある者が、その内容を知っていることもある。
その辺りはケース・バイ・ケースとされている。
しかし、原則として秘預言の内容を知ってはいけないのだ。
「私情で秘預言を調べて内容を知ったとなれば、死罪となる可能性は高いでしょう。だから私は、『ジェラード=ワイズマン』という一人の騎士として、神託の盾騎士団で上を目指すことに決めたのです。いつか正式に秘預言を調べる事が可能な地位になるために……。」
「なるほど。士官学校時代からお前が品行方正を貫いてきたのはそういう訳だったか。」
カンタビレが納得したように答える。
「ちなみに、師団長が指摘された剣術は、ホドにいた頃は祖父のペールギュントに、グランコクマにいた頃は、共にホドから避難したギィという人物に教わりました。また、祖父はガイラルディア家やフェンデ家とも親交があるようでした。時折、ガイラルディア家やフェンデ家にも私と年齢の近いご子息がいるのだと話してくれていました。私はその方々とお会いすることのないまま、ホドを離れてしまいましたが……。ああ、申し訳ありません。少し話がそれてしまいました。」
語りながら少々感傷に浸ってしまったらしい。言わなくても良いことまで話してしまった。
しかし、ジェラードが蛇足だと思った話にもカンタビレは興味を示したようだった。
「ほう。それはまた興味深い話だな。」
「興味深い……ですか?」
「いや、こっちの話だ。今のは気にしないでくれ。」
ホドの名家の話が興味深いというのはどういうことなのか。
ひょっとすると、カンタビレはホド戦争について何か知っているのではないのか。
だが、その質問をする前にカンタビレが口を開いた。
「ジェラード、お前の事情はわかった。だからこそ改めて問おう。お前は預言をどう思っている? もしも自分の故郷が滅ぶことが秘預言に記されていたとしたら? お前に降りかかった数々の出来事がすべて預言に詠まれていたとしたら? もしそうだったならば、お前はどうする?」
カンタビレは今までで一番鋭い視線でジェラードを睨みつけた。
それだけ、この質問の返答を重要視しているのだろう。
ジェラードは覚悟を決めた。
「私は……いや、俺は預言を信用していません。もしかしたら今までの自分の境遇は、全て預言に詠まれているのかもしれません。しかし、少なくとも俺は自分の意志で、ホドの真相を知るために行動しています。その意志が預言で決められているなどと、考えたくありません。そして、もしもホド消滅が秘預言に記されていたとしたら、俺はどう思うのか……。正直、今はわかりません……。」
今まで誰にも打ち明けなかった本心をジェラードはさらけ出した。
神託の盾の騎士として、この思想が間違っていることは自覚している。
神託の盾騎士団を退団させられる可能性は大いにある。
そうなれば自分の今までの努力は水の泡である。
しかし、今この瞬間、何故かカンタビレなら話しても良い気がした。
「……どうやら本音が聞けたようだな。」
恐る恐るカンタビレの顔を窺ってみると、意外にも彼女は笑っていた。
「お前はただ純粋にホド戦争の真実を求めている。それがよくわかった。しかし、すべてを知った後どうするつもりなのか、そこまで考えていないのは不安要素だな。」
「私の今の発言を許していただけるのでしょうか?」
「許す? 何をだ? 寧ろあたしは今のお前の発言を聞いて、あたしの近衛部隊に取り込みたいと考えていたところだ。」
「はい? 近衛部隊とは……どういうことですか?」
わけがわからなかった。
ホドの生き残りで、ホド戦争の真実を知るために秘預言の内容を知ろうとしている。
加えて、預言のあり方について神託の盾の騎士としてあるまじき答えをしたにも拘らず、退団どころか近衛部隊に入れたいという。
「本気なのですか?」
「もちろん今すぐに、という話じゃない。もう少し様子を見た上で、時機を見て正式に辞令を出したいと考えている。だが、そう遠い未来の話をしているわけはないぞ。」
あっけらかんとカンタビレが言う。
上を目指したいジェラードにとっては願ってもない話である。
しかし、唐突すぎて気持ちが追いついていかなかった。
カンタビレは直感で行動する人間ではない、という認識を改めるべきだろうか。
呆気にとられるジェラードを案じてか、カンタビレは言葉を続けた。
「昼間会った時、言っただろう? あたしは骨のある奴が好きなのさ。お前は自分の意志で行動していると言った。その心意気をあたしは信じる。」
そう言うと、カンタビレは笑ってみせた。
しかしその後すぐに表情を消し、こう呟いた。
「まあ、お前が見込みのある奴だからこそ、余計な争いに巻き込まれてほしくなかったって思いもあるんだがね。」
「余計な争い……ですか?」
意味深な言い回しだ。
カンタビレは意を決したかのように、ジェラードに向かって言った。
「いいか? お前は迂闊にヴァン=グランツに近づいちゃいけない。お前は間違いなく奴に利用されるだろうさ。」
そう言うカンタビレの目は真剣だった。
利用される、とは穏やかな話ではない。
「ヴァン副総長ですか? 利用されるとは、いったい……?」
「詳しくは言えないが、あたしはヴァンの素性や動きをある程度把握している。奴は今、導師イオンの信頼を得ている一方で、裏で色々と動き始めている。教団内の人事についても口を出しているようだし、何か企んでいると見て間違いない。そして何より奴の出自を鑑みれば……いや、今、話すのはやめておこう。とにかくヴァンと接触する時は注意しておけ。」
「……わかりました。」
正直なところ、何故そこまでジェラードとヴァンの接触をカンタビレが心配しているのかはわからない。
しかし、ここまで必死に言われたからには慎重になるべきなのだろう。
「さて、今日の話はこれで終わりだ。お前の事情はよくわかった。もちろん今日聞いた話を口外するつもりはない。そして、あたしの近衛部隊への編入も本気の話だ。正式に辞令を出すまで、今までどおり任務遂行に励んでくれ。お前の目的のためにもな。」
そう言うと、カンタビレは執務机へと腰を下ろした。
「どうした? 終わりと言っただろう?」
「あ……はい、失礼いたしました。」
ジェラードは一礼し、そのままカンタビレの部屋を後にした。
自室への帰り道、ジェラードは何故だか妙に清々しい気分だった。
誰にも言うつもりのなかった本心を、打ち明けることができたからだろうか。
その思いやこれまでの努力をカンタビレに認められたからだろうか。
どちらにせよ、こんな気分になるのは久しぶりだった。
■第十四話
ローレライ教団本部の大会議室で、アガスティアは緊張の瞬間を迎えていた。
今、アガスティアは会議室の大机の前に立ち、今回の会議の本題を告げるところであった。
眼前の大机には、他の詠師たち五人とカンタビレが席についており、無言のままアガスティアの方へ視線を送っている。
ちらりと右側へと目を向けると、すぐ隣に座る大詠師モースが、急かすようにこちらを見つめていた。
昨日、モースに促されて新たな譜石の預言を詠んだ。
その内容は、喫緊で対策を講じる必要のあるものであった。
そして一晩明けた今日、教団上層部の者のみを集めて対策会議を開くことになったのだ。
ただし、導師イオンとヴァンは外遊中のため欠席である。
昨日の時点で伝令を飛ばしているが、ダアトまで戻るには時間がかかるだろう。
また、神託の盾騎士団の各師団長もそれぞれの任務のため、急な召集に応じることができなかった。
先月、主席総長がロニール雪山の化物騒動で殉職し、現在、主席総長の座は空位のままである。
後任はヴァンになることが内々では決まっているが、正式な就任についての段取りは未だ手つかずの状態であった。
そのため、神託の盾騎士団からはカンタビレのみがこの会議に参加していた。
この状況では、保守派の筆頭であるモースが、本件の主導権を握ったも同然と言えよう。
モースは預言の完遂を望んでいる。
そして今回の預言に関しては、アガスティアが動かないわけにはいかなった。
昨晩、覚悟を決めた。
あの預言を詠んだ後、悩み続けて答えは出した。
決して派閥争いのためなどではなく、人々のため、世界のために自分は行動しよう、と。
意を決し、アガスティアは口を開いた。
「急な召集で誠に申し訳ありません。皆様をお呼びしたのは、他でもありません。昨日、モース様の情報部隊がザレッホ火山にて新たな譜石を発見しました。モース様から報せを受け、私が火山内部にてその譜石から預言を詠ませていただきました。そしてその内容は、早急な対策が必要と思われるものだったため、このような会議を開かせていただきました。」
それまで無言だった詠師たちにどよめきが起こった。
「いったいどんな内容だったのですか?」
詠師のひとりが質問する。
「昨日のうちに、発見された譜石は教会まで持ち帰っております。今から、改めてその預言を詠みましょう。」
そう言って、モースに目を向ける。
モースもアガスティアの方へと視線を合わせ、無言で頷いた。
モースの意思を確認すると、アガスティアは自分の背後を振り返った。
会議室の奥には、昨日のうちにザレッホ火山から持ち帰った譜石があった。
人目に晒されないよう布で覆い、極秘のうちに騎士たちに運ばせたのだ。
アガスティアが布を剥ぎ取ると、水晶のように輝く譜石が姿を現した。
まるで棺桶のような形状の譜石に詠師たちが驚く。
「このような譜石がザレッホ火山に……?」
「ええ。どうぞ、ご覧になってください。」
詠師たちとカンタビレが席を立ち、譜石の方へと歩み寄る。
そして、再び詠師たちのどよめきが起こった。
「フランシス=ダアト?!」
どうやら譜石に刻まれた文字に気付いたようだ。
詠師たちの反応を見て、モースが説明を加えた。
「発見した時点で、既にその文字は刻まれていました。この譜石とフランシス=ダアトとの関連性は現在、調査中です。ただ、問題はその譜石に秘められていた預言にありました。早速ですが、アガスティア殿に詠んでいただきましょう。」
詠師たちの疑問を制するように、モースは預言の詠唱をアガスティアに求めた。
「わかりました。」
何よりも預言の内容を伝えなければ話は進まない。
「皆さん、少し譜石から離れていただけますか。これから預言を詠み上げます。」
詠師たちは促されるままに譜石から離れた。
カンタビレもいつの間にか、詠師たちよりもさらに後ろに下がった位置に移動している。
譜石周辺に人がいなくなったことを見届け、アガスティアは第七音素の解読を開始した。
アガスティアの周囲に第七音素独特の紫がかった光が溢れる。
アガスティアの詠唱に呼応するように譜石も発光を始めた。
譜石から浮き出た第七音素の粒子がアガスティアの方へと流れ込む。
譜石から流れ出た第七音素を順に解読していく。
光に包まれながら、アガスティアはその解読結果を口にした。
「ND2013。
返しの火の月。
終の日。
啓示の地にて、猛き業火の山が雄叫びをあげるだろう。
人々はその咆哮を恐れ、啓示の街から逃れるだろう。
業を解す者。
自らの為すべきところを悟り、己が力を以て人々に安寧をもたらすだろう。」
アガスティアの預言詠唱が終わるとともに、譜石の発光が収束した。
同時に、アガスティアの周囲の光も徐々に収まっていく。
詠唱が終わると、まるで全力疾走を終えた後のように、どっと疲労感がアガスティアを襲った。
預言を詠むには集中力が必要であり、終わった後はそれなりの疲労感が伴う。
初老をとうに過ぎたアガスティアにとっては、なかなかに負担が大きい。
アガスティアが呼吸を整えている間、会議室は誰ひとりとして声を発しなかった。
アガスティアの解説を待っているのだ。
「お待たせしました。預言の内容を解説いたします。皆さん、一度席にお戻りください。」
アガスティアがそう伝えると、モースやカンタビレ、詠師たちは大机の座席へと腰を下ろした。
アガスティアも自分の席へ座り、再び出席者を見回した。
「アガスティア殿、解説をお願いできますかな?」
沈黙の中、モースが口火を切った。
アガスティアは頷いて見せ、預言の内容の説明を始めた。
「この預言はND2013……即ち今年、イフリートリデーカンの最後の日に、ザレッホ火山が噴火することを意味しています。」
「イフリートリデーカンの最終日!? あと一ヶ月後じゃないか?!」
詠師たちが顔色を変える。
カンタビレも眉を顰め、注意深くこちらを見つめている。
既に内容を説明済みのモースだけが、落ち着いた様子で皆の反応を窺っている。
そして、付け加えるようにモースは言った。
「その通り。シャドウリデーカンも残すところあと三日。イフリートリデーカンはもう間近に迫っています。すぐに対策を講じなければならないのです。」
惑星オールドラントの一ヶ月は五十八日間である。
約一ヶ月後、イフリートリデーカンの五十八日目にザレッホ火山が噴火する恐れがある。
昨日の今日で対策会議を開いたのはこういったわけであった。
「ただ、預言はこれだけでは終わりません。説明を続けさせていただきます。」
そう。
預言にはまだ続きがある。
ここから先の内容を納得してもらわなければならない。
「『人々はその咆哮』、つまりザレッホ火山の噴火を恐れ、『啓示の街』から逃れるとあります。『啓示の街』とは、おそらくダアトを指すのでしょう。」
「確かに。ダアト以外に当てはまる街は考えられませんな。」
詠師の一人が、そう言って同意する。
「これら前半部分の内容をまとめると、ザレッホ火山が噴火する恐れがあり、ダアトの市民は街から避難する、ということになります。」
言いながら一度、アガスティアは出席者全員の様子を窺った。
出席者たちに異論はないようだ。
このまま説明を続けるべきだろう。
「さて、ここからは後半部分について言及いたします。まず『業を解す者』についてです。これは私のことを指しているようです。私の名『アガスティア』は、古の言葉でそのような意味となるのです。そして最後の一節ですが、私の『力』というのは預言士としての力を暗示しているのだと思われます。どうやら私のこの預言が、本件の解決に繋がるということを示しているようです。」
アガスティアは再び席上の面々に視線を巡らせた。
詠師たちは先ほどと比べれば、幾分か落ち着いた様子でアガスティアの解説に耳を傾けている。
どうやら、大筋の流れは理解してもらえたようだった。
「それでは改めて、預言の内容をまとめます。まず、来月の五十八日にザレッホ火山が噴火する恐れがあり、ダアト市民は避難を開始する。そしてこの一件は『業を解す者』、つまり私の詠んだこの預言によって無事解決するだろう。大筋はこのような流れとなります。今回の預言の内容について、ご理解いただけましたでしょうか?」
出席者たちはそれぞれ異論がないことを告げた。
どうやら預言の内容についてはこれで一段落のようだ。
残すはこの預言の内容に沿って、今後の予定を話すのみである。
モースもその点は承知している。
早速、出席者たちに今後の対応方針を提示し始めた。
「さて、では皆さん。今後の我々の動きについて話し合いましょう。火山噴火にあたり、ダアト市民の避難を検討しなければなりません。火山の噴火がどれほどの被害をもたらすかは不明です。ですが最悪の事態を想定し、可能な限りダアト市民をパダミヤ大陸から避難させたいと考えています。まずは、キムラスカ=ランバルディア王国とマルクト帝国に救援を要請したいと思うのですが、いかがでしょうか?」
モースがぐるりと出席者の顔を見回す。
「確かに、早めに両国へ事情を説明することは必要ですな。」
詠師の一人が渋々といった様子でそう呟いた。
本来ならローレライ教団のトップである導師イオンの意見を伺いところだが、事態は一刻を争う。
キムラスカとマルクトへの救援要請については、イオンに事後報告する形となってしまっても止むを得ない状況といえた。
他の詠師たちも無言のまま頷いている。
カンタビレだけは一人考えに耽っていた様子だったが、アガスティアの視線を認めると、頷いてみせた。
異論はないらしい。
皆の意見の一致を確認し、モースが再び口を開いた。
「それでは、近いうちに両国首脳陣との話し合いの場を設けます。具体的な日程は後ほど皆さんにご連絡いたします。また、今回の話し合いの内容は他言無用であることをお忘れなきよう。」
神妙な面持ちで詠師たちが了承の意を口にした。
どうやら皆、預言の説明と今後起こるであろう事態について、納得したようだった。
やがてモースの一声で、会議は解散となった。
詠師たちが会議室から次々と退出していく。
思わずアガスティアは安堵の息を洩らした。
そこへふと視線を感じて顔を上げた。
視線の主はカンタビレだったようだ。
しかし何も言わず、そのまま会議室の外へと出て行ってしまった。
「……?」
会議中もカンタビレは一言も意見を口にしなかった。
元々、会議の場で積極的に口出しするようなタイプではないが、聡明な彼女が何を思っていたのか、気になるところではあった。
カンタビレが去り、会議室にはモースとアガスティアの二人だけになった。
頃合を見計らい、モースが声をかけてきた。
「ひとまず、滑り出しは順調のようですな。ですが、ここからが本番です。アガスティア殿に辛い役割を負わせてしまうのは大変心苦しいのですが、これも世界のため。どうかよろしくお願いします。」
モースが狐のような眼で、アガスティアを見つめた。
モースに対し、しっかりと頷いてみせる。
ここからが本番。
言われなくても、覚悟はできている。
覚悟はできているのだ。
言い聞かせるようにアガスティアは心中で呟いた。
■第十五話
日が沈み、街灯が明滅し始めたダアトの大通りを、ヨシュアは駆け足でアンダンテに向かっていた。
思っていたよりもずいぶん遅い時間になってしまった。
昼休みのうちに外出申請を出し、問題なく外出することは可能となった。
しかし、午後の仕事が長引いてしまった。
午後は街の外壁に空いた抜け道の対策に駆り出されてしまったのである。
応急処置として、鉄製の資材を用意し、外壁に打ち付けることになったのだ。
その資材運搬と打ち付け作業にヨシュアたちも参加させられたわけである。
いつも以上に肉体労働をさせられ、正直に言えば疲労感はあった。
だが、せっかくの約束を反故にするつもりは毛頭なかった。
夕食時にジェラードには外出する旨を了解してもらっている。
外出の理由は適当にでっちあげた。
また、ある程度事情を知っているサラが、うまい具合に話を合わせてフォローしてくれた。
正直、サラがこのような協力をしてくれるとは思わなかった。
ありがたかったが、サラに借りを作っておくのはなんとなく怖い気がしてならない。
サラのことだから、このことを恩に着せてヨシュアに何か求めるような真似はしないだろう。
しかし、逆にヨシュアが恩を裏切るような真似をしたら、とことん怒りそうな気がする。
サラには昨日の戦闘時にも借りを作っている。
ジェラードだけでなく、サラにも頭が上がらなくなりつつある。
自分の不甲斐なさに憂鬱な気分になった。
これ以上考えているとますます暗い気持ちになりそうだ。
ひとまず後ろめたい気持ちは置いておこう、とヨシュアは考え直した。
大通りから脇道に入る。
あと少しでアンダンテには辿り着ける。
それにしても夜道とは不思議なものだ。
昼間と同じ場所とは思えないほど、街の雰囲気が変化しているように感じる。
同じ風景も全く別の街並みのように感じられた。
昨日の昼間の道のりを頭の中で照らし合わせる。
間もなくのはずだ。
ヨシュアの思い通り、アンダンテが目に入った。
街灯と月明かりで、家屋全体が幻想的に照らされている。
アンダンテの庭先は、店の灯りで照らされていたため、そこに何人かの人影がいることがわかった。
ヨシュアが近づいて行くと、人影のうちの一人がこちらに気づいて声をあげた。
「あ、ヨシュアお兄さんだ!」
声をあげたのはフィーネだった。
フィーネのすぐ脇にいたカナデもヨシュアに気づいたようだった。
「ヨシュアさん! よかった、来てくれたんですね!」
心から嬉しそうにカナデが言う。
「ごめん、遅くなっちゃって……。」
「いえ、わたしもさっき着いたところなんですよ。」
「そうなの? それなら良かった。」
カナデの言葉に、はあ、と一息吐く。
駆け足できたため、まだ呼吸は踊っている。
「ヨシュアお兄さんもきてくれたし、わたし、お父さん呼んでくるね!」
そわそわした様子でフィーネがそう言い、そのまま店内へと駆けていった。
「そういえば、今日はどんな用事だったんだっけ? 確かフィーネちゃんが見せたい花があるって言ってたんだよね?」
「はい。でも、実はわたしも詳しくは聞いてないんです。フィーネちゃんから『見せたい花があるから』って聞いてるだけで……。」
どうやらカナデもフィーネの見せたい花というのは知らされてないらしい。
「そっか。それじゃ、フィーネちゃんが戻ってきてからのお楽しみ、だね。」
ヨシュアがそう言うと、カナデは笑って「そうですね」と頷いた。
「あんたたちー! 待たせたなぁ!」
突如、店内から騒々しい声が響き渡った。
驚いて振り返ると、フィーネの父・ダイゾウが、見たことのない白い花が植えられた鉢を持って、庭先へとやってきた。
白い花はまだ蕾なのか、その花弁は閉じられたままのようだった。
あれが、フィーネの見せたい花なのだろうか。
「お父さん! またそんな大きな声出して! 近所の人に怒られちゃうよ!」
大柄なダイゾウの後ろから、父親を諌めながらひょっこりとフィーネが姿を現す。
「おお……そうか、すまん、すまん……!」
苦笑いをしつつ、ダイゾウがフィーネに詫びた。
豪放磊落を絵に描いたようなダイゾウが、小柄なフィーネに叱られている構図は見ていて可笑しかった。
我慢できず、ヨシュアとカナデは顔を合わせて笑ってしまった。
「もう、二人共。ヨシュアさんとカナデさんが笑ってるわよ?」
そう言って、カトレアも呆れ顔をしながらやってきた。
「すまねぇな。なんだか恥ずかしいところ見られちまった。」
「いえ。仲が良さそうで羨ましいです。」
照れ笑いをするダイゾウに、屈託のない笑顔でカナデが返す。
カナデの言う通り、フィーネたちは本当に家族の仲が良いのだろう。
そういえば、士官学校卒業以来、両親とは顔を合わせていないことを思い出した。
近々、手紙を書いた方がいいかもしれないな、とヨシュアは思った。
「それじゃ、お父さん! みんなで見ようよ!」
待ちかねた、といった様子でフィーネがそう声をあげた。
「おお! そうだな、ちょっと待ってな。」
フィーネの言葉に応じると、ダイゾウは抱えていた鉢を庭先へと置いた。
「あれがフィーネちゃんの言ってたお花なの?」
カナデがフィーネに問いかける。
「うん! 図鑑で知ったんだけど、変わったお花なんだ! わたしも見るの初めてなの!」
興奮した様子でフィーネが答える。
「よし! カトレア! 灯りを消してくれ!」
ダイゾウの掛け声で、カトレアが店の灯りを消した。
「わ……。」
途端に辺り一面が暗くなった。
月明かりがアンダンテの庭先を仄かに照らしている。
「こっちこっち!」
フィーネが呼びかける。
いつの間にかフィーネはダイゾウの近くまで移動していた。
灯りを消したせいではっきりとは見えないが、ヨシュアたちに早く来るよう手招きしているようだった。
足元に注意しつつも、フィーネに促されるままに、ヨシュアとカナデは例の花が見える位置まで移動した。
二人を追う形で、カトレアもやってくる。
すると、カトレアの手元がぼんやりと明るくなった。
携帯用の照明道具を持っていたようだ。
「明るさは……これくらいかしらね……。」
カトレアが照明道具の明るさを調整し、花から少し離れた位置に置いた。
極力、光度を抑えたらしい。
その明るさは、かろうじて白い花が視認できる程度のものだった。
「あ、見て……!」
フィーネの声に従い、鉢に植えられた花へと目を向ける。
先ほどの白い花が、まるで蝶が蛹から羽化するかのように、その花弁を開こうとしていた。
白い花弁は月の光を照り返し、その花自身が自ら輝きを発しているかのようだった。
やがて花弁は開ききり、その美しい全容が露わとなった。
風に吹かれ、月光のような輝きを湛えた花弁がかすかに揺れる。
「綺麗……!」
カナデがその幻想的な光景に言葉を漏らす。
「うん。こんな綺麗な花、初めて見たよ……。」
ヨシュアも思ったままに感想の言葉を口にした。
「この花の名前は『セレニア』。主にタタル渓谷に群生している、夜に咲く花なの。」
カトレアがヨシュアとカナデにそう説明してくれた。
「セレニア……。」
幻想的なこの花によく似合った名前だ。
ふと見ると、フィーネがまじまじとセレニアの花を見つめている。
「この子は図鑑でこの花を見て以来、ずっと実物のセレニアを見たがっていたの。でも貴重な花でね。なかなか仕入れることができなかったのよ。」
「ところが昨日、市場でよ、ケセドニアで商売やってる業者と知り合ってな。色々と話すうちにセレニアを融通してもらえることになったんだよ。それで今日、改めてそいつに会いに行ってだな、こうして手に入れることができたってわけだ。」
そう言って、自慢げにダイゾウが笑った。
「フィーネは昨日その話を聞いたら大喜びしちゃって。そしたら、せっかくだからヨシュアさんやカナデさんと一緒に見たいって……。」
なるほど、とヨシュアは納得した。
それでフィーネは、ヨシュアやカナデを今日の夜にアンダンテへ招待したわけか。
「ごめんなさいね、娘のわがままに付き合わせちゃって。」
申し訳なさそうにカトレアが言う。
「いえ、そんなことないです!」
「わたしもフィーネちゃんと会いたかったですし、呼んでくれてすごく嬉しかったです!」
ヨシュアの言葉に合わせるように、カナデも自身の思いを告げた。
ヨシュアたちの言葉に、カトレアはダイゾウと顔を見合わせた。
そして「ありがとう」と、ヨシュアたちに頭を下げた。
これほど神妙に感謝されるとは思わなかったので、ヨシュアは妙に気恥かしかった。
「さぁ、今日はもう中に入りましょうか。」
「そうだな、フィーネ、もういいか?」
未だにセレニアに見入っているフィーネにダイゾウが声をかけた。
「うん。」
満足したようにフィーネが答えた。
その様子を見て、カトレアは照明道具を回収し、その後、店内へ戻って灯りを点けた。
暗闇に慣れた目には、とても眩しく感じられた。
「よっしゃ、それじゃコイツはまた裏に戻しておくからな。」
そう言って、ダイゾウはセレニアの植わった鉢を抱えあげた。
「わかったわ。あ、ヨシュアさんたち、せっかく来てもらったんだし、お茶をお出しするわね。フィーネ、リビングまでお連れしてもらえる?」
「うん!」
「あ……! お構いなく……!」
遠慮したヨシュアの声は届かず、カトレアはそのまま店の奥、おそらくリビングの方へと姿を消してしまった。
「……。」
ダイゾウとカトレアが去り、思わずヨシュアはポカンとしてしまった。
「ヨシュアお兄さん、カナデお姉さん。今日は来てくれて、一緒にセレニアを見てくれて、ありがとう。」
フィーネはそう言って笑って見せた。
「こちらこそ、誘ってくれてありがとう。」
ヨシュアの言葉に同調するように、カナデも笑顔で頷いた。
「あのね。わたし、ずっとセレニアの花が見たかったの。えへへ、今日、夢が一つ叶って、嬉しかった。お兄さんたちも来てくれて、本当に嬉しかった……。」
よほど感動したのだろう、言いながらフィーネの目には涙が浮かんでいた。
「僕も、みんなでセレニアの花を見ることができて良かったなって思ってるよ。フィーネちゃん、今日は誘ってくれて本当にありがとう。」
「……うん。」
こぼれそうになった涙を、その小さな手で拭いながら、フィーネは頷いた。
「……ごめんね。そういえば、リビングに行かなきゃね。」
根が真面目な子なのだろう。
まだ目は真っ赤にしているが、そう言ってフィーネはヨシュアたちをリビングへと案内し始めた。
ヨシュアはカナデとともにそのままフィーネの後についていった。
その後は、外出が許可された時間ぎりぎりまで、フィーネたちとリビングで話をした。
つい昨日出会ったばかりだというのに、不思議と居心地が良かった。
騎士になって以来、こんなにも心の温まる空間に身を置けたことはなかったのではないかと思えるほどに。
ダイゾウ夫妻やフィーネ、そしてカナデの人柄の良さに、ヨシュアはなんだか家族といるような親しみを覚えたのだ。
ヨシュアの目には、そんなフィーネたちの見せる笑顔が、とても印象的に映った……。
■第十六話
ダアトから港へと延々と続く馬車の列。
真夏の炎天下の中、ヨシュアはその馬車の列をダアト港付近の街道脇で見守っていた。
その身は神託の盾騎士団の兵装を纏い、戦闘に備えている。
馬車にはダアトの住民たちが乗っており、ヨシュアの任務は馬車がモンスターに襲われた際のモンスター撃退および住民の警護だった。
今のところ、移動中の住民にモンスターの被害が出たという報告は耳に入っていない。
いくつか襲撃される事態があったようだが、無事、警護の騎士たちによって撃退されているようである。
順調に避難活動は進んでいるようだった。
アンダンテでフィーネたちとセレニアを見た日から、およそ一ヶ月が経っていた。
今日はイフリートリデーカンの五十一日目。
その間、ヨシュアを取り巻く状況は大きく変化していた。
ローレライ教団がイフリートリデーカンの末日にザレッホ火山が噴火するという預言を公表し、ダアト市民に避難勧告を出したのだ。
避難計画は大掛かりなものであり、今月末までにダアトの全住民をパダミア大陸から海外へ避難させるというものだった。
キムラスカ=ランバルディア王国とマルクト帝国との協力が決定され、ダアト港には両国からの船が多数寄港している。
その中には大型装甲艦『タルタロス』の姿もあった。
タルタロスは第五元素の力を利用してホバー走行で移動する仕組みになっており、陸上のみならず海上航行も可能という、水陸両用の装甲艦である。
もともとはマルクト帝国で開発されたものだが、キムラスカ=ランバルディア王国側に情報がリークされ、現在では両国ともにタルタロスの量産化に成功しているという。
休戦中とはいえ、本来なら敵対関係にある二大国が連携して避難活動の支援を行うというのだから、改めてローレライ教団の影響力の大きさを思い知らされる。
とにもかくにも、この両国の協力により、ダアトの人々は、着々とマルクトのケテルブルク港か、キムラスカのシェリダン港へと避難している。
預言の日まであとわずか。
ヨシュアがこうして街道に立っている今もなお、多くの船とタルタロスがダアト港と避難先の港を行き来しているのだろう。
「ヨシュア。交代の時間だ。野営地に向かおう。」
振り返ると、青髪で理知的な顔つきの同期がそこにいた。
その背後ではサラと、ヨシュアたちと入れ替わりで見張りに付く騎士たちが控えている。
「うん、了解。ジェラードもお疲れ様。」
「ああ。」
ジェラードの答えは簡潔でそっけない。
元より無駄口を叩くような人間ではないが、いつも以上に口数が少ない。
ジェラードも疲れているのかもしれない。
「それでは、後をよろしくお願いします。」
ジェラードは交代に来た騎士たちにそれだけ伝えた。
「ようやく休憩できるわね……。」
片手で顔をあおぎながら、うんざりした様子でサラが言う。
自然と三人の足はダアト港の傍らに設営された仮設野営地へと向く。
ダアトから港へやって来た住民たちは、一度この野営地で寝泊りしてもらっている。
マルクトやキムラスカによって数多く救援の船が用意されているとはいえ、ダアトの住民を一斉に海外へ送り出すには無理がある。
そこで、乗船する順番を事前に指定した上でダアトから避難してもらい、乗船の順番に至るまでの間は仮設した野営地に待機してもらうことになっている。
野営地までの街道を黙々とヨシュアたちは歩く。
歩いているだけで汗がにじみ出てくる。
避難勧告が発令されてからというもの、神託の盾騎士団は連日働き詰めである。
仮設野営地の設営、住民の避難誘導や警護、街道や野営地周辺の見張り、避難民のリスト作成・確認作業、その他諸々。
おまけに季節は夏真っ盛りである。
猛暑の中、屋外での任務が立て続けに続いており、ヨシュアたちは体力的にも精神的にも疲弊していた。
やっとの思いで野営地へとたどり着く。
野営地は複数のテントが設置されており、その周囲を木材で設えられた簡易的な防柵で囲われている。
ダアト港の正門に近い防柵の一部が開閉できる門となっており、そこには見張りの騎士が待機している。
見張りの騎士に一声かけつつ、野営地の中へと足を運ぶ。
避難民が寝泊まりしているテントとは別に、神託の盾の騎士向けにも休憩や仮眠用のテントが設営されている。
ヨシュアたちは三つある休憩用のテントのうち、野営地に入ってすぐ左手側にある休憩所のテントへと足を踏み入れた。
中には、六人ほどで囲うことのできる長机が二十卓ほど並べられており、休憩中の騎士たちが疎らにその席を埋めていた。
入口脇には飲料水のタンクが三基設置されている。
ヨシュアたちは貸し出されているコップにそれぞれ水を注ぐと、手近な席へと腰を下ろした。
三人とも無言で水を口にする。
日差しの強い中、ずっと立ち続けていた身体に水分が行き渡っていく。
さらに腰を下ろせたことも相まって、緊張が緩んでくる。
これまで緊張で誤魔化されていた疲労感がどっとヨシュアを襲った。
「疲れた……。」
誰に言うわけでもなく、思わずそう口にしてしまう。
「言わないで。余計疲れた気分になるわ。」
間髪入れずにサラがそう言う。
「ご、ごめん。」
あまりに真顔でサラが言うので、つい謝ってしまった。
自分の気の弱さが恨めしい。
ジェラードはというと、何も言わずに水を口にしている。
相変わらず冷静で涼しげな顔をしているが、ここまで一切喋っていないところをみると、ジェラードも疲れていることに間違いはないようだ。
会話が途切れる。
ヨシュアもそのまま何も言わず、机に突っ伏した。
沈黙のまましばらく時間が流れた。
油断すると眠ってしまうかもしれない。
そう思いつつも、身体が休息を求めてやまなかった。
じわじわと眠気が襲ってくる。
「おい、お前ら! 休憩中とはいえ無駄にだらけるんじゃない!」
意識が遠くなりかけたところで、場違いな大きな声が響き、ヨシュアはガバっと身を起こした。
「た、隊長……!?」
髭面で大柄な隊長騎士が「にっ」とした表情でヨシュアたちの側までやって来ていた。
ジェラードやサラが慌てて席を立つ。
遅れてヨシュアも立ち上がった。
「喜べ。次の任務の話だぞ。休憩が終わったらお前らにはここに到着した避難民の確認をしてもらう。」
そう言うと隊長は手にしていた避難民のリストを机の上に置いた。
「これが次にやってくる避難民の一覧だ。馬車が野営地に到着次第、リストに記載された住民たちが到着しているかどうかを確認してくれ。ま、詳しくは詰所に専任の担当官がいるからよ、そいつに話を聞いてくれ。」
隊長騎士はあっさりと告げているが、リストに記載されている人は何百人といる。
これを逐一チェックしていくとなると、気が遠くなりそうだ。
「ま、気合入れて頑張ってくれや。」
「はい……。」
ヨシュアが弱々しく答える。
「なんだ。さっきから元気がねえな。」
「隊長はなんでそんなに元気でいられるんですかぁ。」
情けないとは思いつつ、つい本音を口にしてしまった。
「馬鹿野郎。俺たちはダアトの市民を守る神託の盾騎士団の第六師団だぞ? 火山が噴火するだのなんだので不安がってる街の連中の前で、俺らまで疲れた暗い顔してどうすんだ。こんな時こそ、俺らがどーんと構えてなきゃならねえんだよ。」
そう言って、隊長騎士はヨシュアの頭を軽く小突いた。
「そんじゃ、休憩終えたらよろしく頼むな。」
言いながら隊長騎士は、また豪快に「ガハハ」と笑いながらヨシュアたちの前から去っていった。
「勢いだけの人だと思っていたけれど、ちゃんと考えて行動している人だったのね。」
意外、という様子でサラが感想を口にする。
ヨシュアもそれには完全に同意だった。
小突かれたところが妙に痛かった。
しかし、そのおかげで眠気は薄れていた。
机に置かれた避難民のリストを目に向ける。
「あれ……?」
リストの中に見知った名前があった。
思わず手にとってヨシュアはリストを確認した。
間違いなかった。
その中にカナデやフィーネの名前が記載されていた。
「あら。カナデって、あの子の名前ね。」
いつの間にか、ヨシュアの後ろから覗き込む形でリストを眺めたサラが言う。
「うん。」
リストの確認作業を任されることになったのは僥倖だったかもしれない。
自分の手でカナデやフィーネたちの無事を確認できるのだから。
「さて、そろそろ行くとするか。確か騎士の詰所に担当官がいると隊長が言っていたな?」
ジェラードが頃合を見計らって声をかけてきた。
確かに、休憩時間はもうすぐ終わりだ。
「ええ。」
サラが応じ、貸し出されたコップを片付け始める。
ヨシュアとジェラードも自分のコップを片付けると、そのまま三人で詰所に向かった。
休憩所のテントの並びに、野営地勤務の騎士たちの拠点となるテントが一張り設営されている。
そこは、各任務に付く騎士たちのシフトや野営地の物資の管理、避難民のリスト確認、また、避難してきた住民たちからの相談受付などといった仕事場を兼ねていた。
テントの中に入ると、内勤用の軽装を纏った騎士たちが忙しなく動き回っていた。
ジェラードは書類作業をしている騎士たちに目星をつけると、そのうちの一人の男性騎士に話しかけた。
「すみません。これから避難してくる方々とリストとの照合作業をするよう指示されてきたのですが、担当の方はいらっしゃいますか。」
「ああ、それならあの奥の騎士に聞いてくれ。」
そう言うと男性騎士は、テントの奥に設置された机で書類と格闘している眼鏡の女性騎士を指差した。
彼女が担当官らしい。
ヨシュアたちは男性騎士に礼を言い、奥の担当官に尋ねた。
担当官は忙しそうに書類にペンを走らせていたが、ヨシュアたちの存在を認めると、怪訝そうにヨシュアたちに目を向けた。
ヨシュアたちがリスト照合の件で来たのだと言うと、「ああ……引き継ぎの子たちね。」と言って、そのまま前置きもなく説明を始めた。
「それじゃ、簡単に説明するわね。これから来る馬車に乗ってる人たちのリストは持ってるのよね? そしたら、馬車から降りた人たちを騎士たちがテントへ誘導するんだけど、その後が君たちの出番。テントに案内した人たちと、リストの名前を分担してチェックしていって。漏れなく終わったらここに提出して頂戴。万一、見つからない人がいたら報告して。まぁ、リストの人数は多いけど、あなたたち以外にも仕事をお願いしている騎士はいるから。安心して。それと……」
「大変です! 現在、こちらに向かっていた馬車がモンスターに襲われました。救援を求む、とのことです!」
担当官の説明の途中で、伝令の騎士が慌てて詰所にやってきた。
テント内に一瞬にして緊張した空気が走った。
「詳しい状況を教えてくれ。」
詰所の奥にいた厳格な風貌の騎士が問う。
今回の野営地管理の責任者を任せられている騎士だ。
「はい。現場はダアトから第四石碑の丘を越えた地点です。モンスターはガルムウルフが十数匹。モンスターの襲撃に驚いた馬車馬が転倒し、そのまま立ち往生している状態とのことです。また、馬車馬が転倒した際に、牽引していたキャビンが横転。乗っていた住民が外に投げ出され、負傷者が出ているとのことです。そのうちの一人は幼い子どもで重症であるとか……。」
伝令の騎士の報告にヨシュアは嫌な予感がした。
――幼い子ども? 重症……?
先ほどのリストにはフィーネの名前が載っていた。
まさか、という思いがヨシュアの中で蠢く。
「わかった。今救援に回せるのは……そうだな、これから避難民のリストを確認するはずだった者たちがいるな。彼らを現地への救援に向かわせよう。君は急ぎ、現場にこのことを伝えてくれ。」
まとめ役の騎士が、周囲の騎士たちに指示を始める。
「どうやら、任務が変わっちゃったみたいね。あなたたち、襲撃現場の救援に行かされるみたいよ?」
まるで他人事のように眼鏡の担当官が言う。
「リスト照合を請け負う予定だった騎士は救援へ回ってくれ!」
「救援に向かう者たちは、詰所の外で集合だ!」
詰所の中にいた騎士たちが、慌ただしく召集命令を伝達していく。
「行こう。」
ジェラードがヨシュアとサラに呼びかける。
ヨシュアたちは担当官に挨拶して、詰所の外へと向かった。
ヨシュアの嫌な予感は、ずっと頭にこびりついたままだった。
■第十七話
ダアトから港へ避難中だった馬車がモンスターに襲われたという報せを受け、ヨシュアたちはその後、現場へと向かった。
駆けつけた時には、モンスターの大半は撃退されており、ヨシュアたち救援組は残りのモンスター掃討の他、負傷者を含めた住民たちの護衛であった。
ヨシュアは真っ先に負傷者の元へと向かった。
そこで見たのは、抱き合って身を震わせているダイゾウ・カトレア夫妻と、泣き崩れているカナデ、そして、既に冷たくなったフィーネの姿だった。
「嘘だろ……?」
手遅れ、だったのだ。
ヨシュアの嫌な予感が、最悪の形で的中していた。
周囲にいた騎士たちの話によれば、ほぼ野営地に伝令でやってきた騎士の情報の通りだった。
フィーネは、ダイゾウとカトレア、そしてカナデと同じ馬車に乗っていた。
その馬車の馬がモンスター襲われて転倒。
その勢いで、馬車から放り出されたフィーネは運悪く岩に頭を強く打ってしまったらしい。
フィーネの他、馬車から投げ出された者たちは軽傷で済んでおり、フィーネだけが、今回の避難計画中、唯一の死亡者となってしまった。
モンスターが撃退された後、馬車の修理や負傷者の応急手当が済むと、予定通りダアト港への移動が開始された。
フィーネの遺体は、ダイゾウらとともにそのまま馬車でダアト港まで運ばれた。
本来なら、ダアトの共同墓地に埋葬されるべきだが、避難勧告の出ている現状である。
やむなくダアト港近くの、花の咲く開けた丘にフィーネは埋葬された。
今、ヨシュアの前にはぽつんと一つ造られた墓石があった。
夕焼けに染まる空を背に、墓石の影がヨシュアの方へと色濃く落ちる。
風に揺れる花々が静かに音を立てていた。
避難計画が実施中であるにもかかわらず、先のモンスター襲撃時に関わった騎士たちも自主的に埋葬の手伝いを申し出てくれた。
ヨシュアも隊長騎士に頼み込み、フィーネの埋葬に立ち会った。
また、サラやジェラードも付いてきていた。
ヨシュアとフィーネたちとの関係について、ジェラードには『巡回中に知り合ったらしい』とサラが簡単に説明してくれた。
ダイゾウとカトレアは神妙な面持ちで、立ち会った者たちに礼を告げている。
カナデは、ずっと泣くのを堪えながら埋葬の様子を最後まで見守っていた。
――なぜ、こんなことになってしまったのだろう?
手伝いにきた騎士たちは去り、今この場にいるのはダイゾウとカトレア、カナデ、そしてヨシュアとその付き添いで来たジェラードとサラだけだった。
皆、沈黙のまま立ち尽くしていた。
――なぜ、フィーネがこんな目に遭ってしまったのだろう?
初めて会った日、カナデやヨシュアに花を選んでくれたこと。
一緒にセレニアを見たこと。
フィーネとの思い出は、決して多いわけではない。
しかし、それ故にこのような別れは唐突過ぎた。
――誰のせい?
モンスターが馬車を襲わなければよかった。
警護の騎士たちがもっと周囲を警戒していればよかった。
馬車が転倒しなければよかった。
あるいは、フィーネが馬車から放り出された場所がもう少し違っていたなら……。
いや、そもそもこんな避難勧告など発令されなければ……。
考えを巡らせてみても、特定の誰かが、何かが悪かったとは言えない。
フィーネの死を決定付けたのは、ただ「運が悪かった」という要素のみだった。
悲しむには唐突すぎる。
恨みをぶつける相手もいない。
この如何ともしがたい感情をどう扱えば良いのか、ヨシュアにはよくわからなかった。
「皆さん、今日はありがとうございました……。」
沈黙の中、カトレアが皆にそう言った。
「皆さんもお疲れでしょうから、今日は港の方へ戻りましょう。」
疲れた笑顔でカトレアが言う。
「私たちは、大丈夫ですから……お構いなく。」
努めて平静にカトレアが言う。
しかし娘が亡くなって、大丈夫なはずがない。
「そんな……大丈夫なんて……。」
気を遣われている。
自分たちがここにいるからか。
ヨシュアは途端に申し訳なくなる。
「大丈夫です。いつかこうなることは、分かっていましたから……。」
ヨシュアたちとは目を合わせず、俯きながらカトレアは呟いた。
ハッとした様子で、ダイゾウが傍らにいたカトレアを抱き寄せる。
――こうなることが、わかっていた?
カトレアの言葉が妙に気にかかった。
「分かっていたって、どういうことですか……?」
ヨシュアの問いかけに、カトレアは俯いたまま何も答えなかった。
「分かっていたって、フィーネちゃんが死んでしまうことが、ですか……?」
追及するヨシュアに、ダイゾウも口を噤んだまま、目を逸らした。
再び、沈黙が流れた。
「まさか……秘預言、ですか?」
その沈黙を破ったのは、意外にもジェラードだった。
ダイゾウとカトレアはジェラードの質問にビクっと身体を震わせた。
ジェラードの質問の意味を理解しているようだった。
『秘預言』と言っていたが、ヨシュアには聞き覚えのない単語だった。
サラも面食らったような顔をしている。
「そうだよ……。」
しばし間があった後、観念したかのようにダイゾウが答えた。
ジェラードの方も納得した様子で、そのまま黙り込んだ。
ヨシュアはやり取りに全く付いていけていなかった。
しかし、その中で一番動揺した声を上げた者がいた。
「ちょっと待ってください! 今、秘預言って……? ということは、まさかフィーネちゃんは……!」
声の主はカナデだった。
ローレライ教団の神官であるカナデには、秘預言というものが何を指すのか、察しがついたようだった。
青ざめた顔で、ジェラードとダイゾウを交互に見て狼狽えている。
「フィーネちゃんは 『死の預言を詠まれていた』ってこと……ですか……?」
震えながら、カナデはそう言った。
カナデの言葉に再び顔を見合わせるダイゾウとカトレア。
――死の預言が詠まれていた……?
ヨシュアにも、ようやく『秘預言』の意味するところが分かってきた。
「どういうことなんですか? ダイゾウさん! カトレアさん!」
二人は黙ったまま喋らない。
しかし、ヨシュアは問い詰めずにはいられなかった。
「フィーネちゃんが死んでしまうってこと、二人は知ってたって言うんですか!?」
ヨシュアの詰問の声が響いた。
誰も、その声に答えることはなかった。
嫌な沈黙がその場に降りた。
その沈黙に耐え兼ねたように、とうとう、カトレアが口を開いた。
「生命を慈しむ者、この先、虹の階を駆け上る。
そして、虹の果てにて、彷徨える鳥たちと出会うだろう。
その花弁、蕾のままなれど、鳥たちに種子を託すであろう。」
「おい、お前!」
語りだしたカトレアに、ダイゾウが驚いた様子で声をかける。
「いいのよ、あなた。皆さんにお話しましょう。」
「お前……。」
ダイゾウはカトレアの意志を見て取ると、それだけ言って、口を閉じた。
「それが、娘さんに詠まれた預言ですか?」
夫妻の様子を気遣いながらも、ジェラードが尋ねた。
「ええ。今から七年前に。ローレライ教団の預言士さんに頼んで、フィーネの将来について預言を詠んでもらったの。そうしたら、今の預言を授けられたわ……。預言の言葉は詩的すぎて、私たちにはよくわからなかった。でも、預言を詠み終えた預言士さんはひどく青ざめた顔をしていた。そして、預言の内容については触れずに、私たちに教会の応接室で待っているように言ってどこかへ去ってしまった。しばらくしてから、預言を詠んだ預言士さんよりもっと偉い、確か詠師の方が一緒にいらしたの。そして、私たちに大事な話があるって……。」
そこまで言うと、カトレアは目を伏せた。
少し間を置いて、再び語り出す。
「ただし、フィーネは一緒ではいけないと言って、別室に連れていかれたわ。私とこの人がその『大事な話』を聞いた……。その内容は、あなたたちが察した通り、あの子の死にまつわる話だった……。」
夕暮れ時の丘を風が駆け抜ける。
この場にいる誰もが、カトレアの話に耳を傾けていた。
「ひとつひとつ、詠師さんは預言の内容を教えてくれたわ。『生命を慈しむ者』はフィーネのことで、預言の中に出てくる『虹』は七年の歳月を表している、と。そして七年後、あの子は大切な出会いを経験するけど、蕾のまま……つまり、大人になることなく亡くなるだろうって……。」
語りながら、カトレアの瞳から涙がこぼれた。
「何度も……何度も何かの間違いじゃないかって詠師さんに尋ねたわ……! この預言にはもっと違う意味があるんじゃないかって、何度も、何度も……。でも、間違いじゃないって、そう言われたわ……。そして、こういった死にまつわる預言は非公開にするって。だから、私たちの胸の中にだけ、仕舞っておいてほしいって……。」
そう言うと、カトレアは涙に濡れた顔を両手で覆った。
「でも……。」
なおも語り続けようとするカトレア。
しかし、ダイゾウがそれを制した。
驚いたカトレアにダイゾウは静かに頷いた。
そして、泣き崩れるカトレアに代わり、ダイゾウが話を続けた。
「でもな、話はまだ続くんだ。この時、詠師さんの話が終わってよ、応接室のドアを開けたら、そこにいたんだよ。」
「いたって……?」
思わず、ヨシュアはそう尋ねる。
「フィーネだよ。」
「え……!?」
「別の部屋で待ってるはずのフィーネが、応接室の前にいたんだよ。俺たちのことが気になって、抜け出してきたらしいんだわ。」
「それじゃ、まさか……!」
「ああ、あの子は聞いちまったんだ。自分が七年後に死んじまうことをよ……。」
「そんな……!」
フィーネは、自分が大人になることなく死んでしまうことを知っていた。
その事実にカナデが声をあげる。
ヨシュアにとっても、それは衝撃の事実だ。
フィーネはあんなにも楽しそうに、花を愛でていたではないか。
とても、自分の死期を悟っていたようには見えなかった。
「ドアを開けた時、あの子はポカンとした顔してたよ。そして狼狽える俺らを見て不思議そうな顔してた。そりゃ、あの時あの子は五才だったからよ、どの程度話を理解してたのか、俺らにはわからねぇ。でもな、その日からフィーネは遠くを見るように、一人でボーっとすることが多くなった。友達作って遊ぶ様子もねぇ。小さいながら、やっぱり自分のこと、悟ってたんだろうな……。だから俺らはずっと心配してた。でも、あの子は何も言わなかった……。」
静かに語るダイゾウの姿は、アンダンテで大声で喋っていたダイゾウとは別人のようだった。
もしかしたらダイゾウはフィーネを不安がらせないように、必死に元気な父親として振舞っていたのかもしれない。
「そんな様子がしばらく続いてたんだが、ある時、あの子は花に興味を持ち出したんだよ。きっかけは、カトレアが持ってた花言葉の辞典を見たことだった。それ以来、あの子は再び元気を取り戻していった。笑顔を見せる回数も増えていった。そして、花に関する知識もどんどん吸収していった。店の手伝いも自分からするようになった……。」
花言葉。
アンダンテで、フィーネは花には意味があるのだと、そう言っていた。
彼女にとって花言葉は特別な意味があったのだ。
「俺らとしては、あの子が元気を取り戻したのは嬉しかった。そして、あの子が自ら望んだことならば、一緒にそれを叶えてやろう、分かち合ってやろう、そう思うようになった。そして……ちょうど二年前の今くらいだったかな。フィーネが、急に見たい花があるって言ってきたんだよ。図鑑で珍しい花を見つけたって。」
「その図鑑で見たのってもしかして……。」
花の図鑑。
そのフレーズをフィーネが口にしていたのをヨシュアは思い出す。
「ああ、察しの通り、あんたたちと見たセレニアの花だよ。」
セレニア。
その言葉に、それまで黙って俯いていたカナデがハッとした様子で顔を上げた。
「そんな……それじゃ、フィーネちゃんがセレニアを見たがっていた理由は……。」
カナデの言葉の意味を察したらしく、ダイゾウはカナデに対して黙って頷いた。
ヨシュアたちを一瞥すると、カナデは思い切って話し始めた。
「わたし、調べたんです。セレニアの花言葉……。」
俯きがちだが、はっきりと聞こえる声音で、カナデは言葉を紡いでいく。
「セレニアの花言葉は……『生まれた意味を知る』……でした……。」
「!?」
「フィーネちゃんはあの時、セレニアを一緒に見た時、何を思っていたんでしょう……。」
言いながら、カナデの声は震えていた。
その瞳は再び涙でにじんでいた。
そうだ。
あの時、フィーネは泣いていたのだ。
セレニアの花を見て、涙を浮かべていたのだ。
ヨシュアもカナデも、何も知らなかった。
まだ幼い彼女が、一体どんな苦しみを抱えていたのか。
何故、あんなにも花を慈しんでいたのか。
そして何故、あんなにもひたむきだったのか。
全てを知った今なら、少しわかるような気がした。
フィーネは自分の最期を悟っていたからこそ、懸命に『今』を生きていたのだ。
生命の終わりを知っていたからこそ、あそこまで花を愛することができたのだ。
――時々思うんだ。お花も……人と一緒なのかなって。そしたらなんだかますますほっとけなくなっちゃって……。
彼女はそう言っていたではないか。
生命を慈しむ者。
フィーネの名前の意味。
それは、終わりを知るからこそ生まれた慈愛の心を指していたのだ。
「あの子は、生まれてきて幸せだったかしら……。」
ポツリと、カトレアが呟いた。
カトレアをダイゾウが抱きしめる。
涙に濡れたカトレアの顔を、ヨシュアはとても見ていられなかった。
最愛の娘を亡くしたこの人たちに、今、自分は何と言うべきなのだろう。
自問するが答えは出ない。
自分の不甲斐なさに嫌気が差す。
ヨシュアは黙り込むしかなかった。
「でも……でもフィーネちゃん言ってました。」
何も言えないヨシュアに対し、口を開いたのはカナデだった。
涙をこぼしながら、しかし懸命なカナデの声が響く。
「自分は本当に花が大好きなんだって。ダイゾウさんやカトレアさんが頑張ってるから、自分も頑張ろうと思ったんだって。そう言ってたんです。 フィーネちゃんは少なくとも、自分の境遇のことを恨んでなんかいなかったと思います……。 それに、わたしはフィーネちゃんと出会えて良かったと思ってます。フィーネちゃんのおかげで、わたしも花が好きになりました。出会ったばかりですけど、フィーネちゃんはわたしの大切な友達です。だから、その……わたしなんかが言ってもおこがましいかもしれないですけど、 フィーネちゃんが『生まれた意味』はちゃんとあると思います……!」
涙ながらにカナデは語った。
人によっては綺麗事だとか、月並みな言葉に聞こえるのかもしれない。
しかし……。
「……ありがとう。」
カトレアの口からは、静かな礼の言葉がこぼれていた。
カナデの誠意に満ちた言葉は、間違いなく伝わったようだった……。
■第十八話
昼間の暑さとは裏腹に妙に冷えた夜風が、カナデの栗色の髪を揺らした。
辺りには、巨大なテント群と、点々と灯された松明の火、そして巡回の騎士たち。
眠れなかったカナデは、テントから抜け出し、目的もなくフラフラと歩いていた。
多くの避難民たちは、テントの中で寝息を立てていることだろう。
ダイゾウやカトレアとは同じテントだったが、フィーネの墓から帰って以来、会話らしい会話はできなかった。
――今は、そっとしておいた方が良いよね……。
トボトボと交互に繰り出す自分の足を眺める。
カナデもまた、気持ちの整理ができていなかった。
フィーネが死んだ。
そして、その死は預言によって予見されていた。
これらの事実が、カナデの思考に影を落とす。
「あ、ちょっと、君! どうしたの?」
声に驚いて顔を上げると、巡回の騎士が困った顔をしてこちらを見ていた。
「お手洗い? それとも水でも飲みに?」
――お手洗い? 水?
直前まで考えていた事柄とは一切結びつかない単語に、カナデはきょとんとした。
「お手洗いなら、ここから右手のあそこね。お水だったら、あっちの正門の横の休憩所にあるから。」
小さな子どもに言い聞かせるような言い方で騎士が言う。
「あ……えと……はい。」
「それと、夜中の徘徊はできるだけ控えてくださいね。」
思考が追いついていないカナデに、騎士が付け加えた。
ようやく、夜中にテントの外を出歩いていることを注意されていたのだと気づく。
しかし、カナデの返答は待たず、面倒くさそうにして騎士は立ち去ってしまった。
テントに戻るべきだろうか。
そう思ったが、どうも気乗りしなかった。
注意してくれた騎士には悪い気がしたが、カナデはそのまま、正門横にある避難民用の休憩所へと向かった。
うっすらと灯りの灯った休憩所のテントの中は、意外にも誰もいなかった。
皆、疲れて眠っているのだろうか。
ぼんやりと、そう考える。
休憩所に設置されたタンクから水を用意し、手近な席へと腰を下ろす。
未だに、カナデの気持ちはぐちゃぐちゃとしていた。
どこかで自分とは縁遠いものだと感じていた「死」というものが、唐突に目の前に突きつけられた。
そして、秘預言。
預言士を目指すカナデにとって、死の預言の実例を目の当たりにしてしまったことが、心に深く突き刺さっていた。
預言は人々の未来を照らす、導きの言葉。
カナデはその責任の重さを恐れ、預言を詠むことを躊躇っていた。
しかし、カナデの預言に対するイメージはもっとポジティブなものだった。
秘預言のこと――世界の情勢に関する重大な内容の預言や人の死にまつわる預言があること――いわば預言の陰の側面は“知識として”知っていた。
しかし、それはごく稀な例であり、自分が関わることはないだろうと、心のどこかで思い込んでいた。
第七音素、つまり星の記憶によって定められているこの世界の、人間の未来。
それを読み取ることができる、第七音譜術士という存在。
考えれば考えるほど、カナデの中で預言というものが、怖くなっていった。
自分のもつ第七音譜術士の力が、得体の知れない不気味なものに思えてきた。
――こんな思いをするのなら、第七音譜術士の力なんてなければ……
「……ああ、やっぱり。」
自分以外の声に、カナデはハッとして顔を上げた。
「さっき後ろ姿が見えたから、もしかしたらと思って来たんだけど、やっぱりあなたか。……ちょうど良かったかも。」
声の主は、ヨシュアの同期の赤毛の少女、サラだった。
昼間に会った時と違い、兵装を解いて就寝用のラフな格好をしている。
「ちょうど良かったって……?」
カナデの問いに、サラはちょっと困った顔をした。
「それは……いえ、何でもないわ。それより、カナデさんはどうしたの? こんな時間に。」
「あの、ちょっと眠れなくて。」
「ああ、あたしもよ。」
カナデに同意しつつ、サラは自分の分の水を用意する。
そして、カナデの向かいの席に座ると、視線は合わせずに言った。
「その……フィーネちゃん……だったわよね? あの子のこと、残念だったわね。」
「ええ……。まさかこんなことになるなんて思いもしませんでした……。」
「それに、秘預言……だったかしら? まさか死を予言されていたなんてね……。」
話を合わせるように、サラが続ける。
カナデは今もまさにフィーネの死にまつわることを、延々と考え続けていたのだ。
黙ってしまったカナデを見て、「しまった」という様子でサラが言葉を続けた。
「ごめんなさい。落ち込ませるつもりで言ったわけじゃないの。」
「あ、いえ、別にサラさんが悪いわけじゃ……。」
慌ててカナデもそう言い返した。
そう、別にサラの言葉で落ち込んだわけではない。
もともと、自分ひとりで悶々と悩んでいただけなのだ。
寧ろこうして、話し相手になってくれるのは、ありがたいのかもしれない。
「すぐに、というのは無理だと思うけど、元気出してね。あたしでよければ、相談に乗るわ……。」
「え……?」
励ましの言葉に、思わずカナデはサラの顔を見る。
ばっちりと目が合う。
しかし、サラはすぐに目を逸らした。
そして、目を背けたまま付け足した。
「……そのことだけ、あなたに言っておきたかったのよ。さっき、ちょうど良かったって言ったのはそういうわけだから……。」
言いながら、サラは席を立とうとする。
「あ、あの! もうちょっとお話させてもらえませんか?」
カナデは思わずサラの腕を掴んだ。
立ち上がりかけたサラが驚いた様子でカナデを見る。
「……え、ええ。構わないけど……。」
カナデが呼び止めたことに戸惑った様子だったが、そう言ってサラは再び席に座った。
「あの、サラさんは……。」
「サラ、でいいわ。」
「え?」
「名前。呼び捨てでいい。敬語も必要ないわ。なんだか落ち着かないから。」
そう言って、サラは笑った。
サラと初めて会ったのは、ヨシュアにアンダンテで買った花を渡した時だ。
その時の、サバサバしていて自分の主張をはっきりと言う様子から、カナデはサラに対してどこか怖い印象があった。
しかし今、サラの言動の裏にある確かな優しさを、カナデは感じていた。
先ほどから、どうやらカナデのことを気遣ってくれていることが窺えた。
思えば初めて会った時も、励ましの言葉をくれていたではないか。
「じゃあ、そうしま……じゃなくて、そうするね、サ……サラ?」
「なんか、ぎこちないわね。」
「ごめんなさい。なんだか慣れなくて……。ああ、わたしのことも呼び捨てでいいから……ね。」
「ええ、そうさせてもらうわ。」
遠慮する様子もなく、そう言い切るサラ。
それがなんだかとてもサラらしいと感じた。
おそらく、彼女はそういう「ペース」で今まで生きてきたのだろうと思った。
ボーっとサラを見る。
その様子に怪訝な顔でサラが尋ねた。
「それで、何か話をしたかったんじゃないの?」
「あ……、それは……その、サラはどうして私にこんなに優しくしてくれるの?」
初めて会った時も、そして今も。
出会って、そしてまだろくに話もしたこともないはずの自分に、何故こんなにも優しくしてくれるのだろう。
カナデのその問いに、サラはまた視線を逸らした。
そして、深刻そうに考え込んだまま黙り込んでしまった。
「……サラ?」
カナデが呼びかけると、サラはおもむろに口を開いた。
「あなた……どことなく似てるのよ。あたしの親友に……。」
「親友……。」
「だから、あなたのこと、心配だったというか……。」
どことなく歯切れの悪い言い方だった。
カナデには、サラの親友が自分と似ていることと自分が心配されることがいまいち結びつかない。
言いにくそうにしているサラにそのことを尋ねるのは気が引けた。
しかし、サラはカナデに視線を合わせないまま、口を噤んでしまった。
思い切ってカナデはサラにその訳を訊いてみる。
「えっと、それは……どういうこと……なのかな?」
躊躇いがちなカナデの問いかけに対し、サラは少し間を置いた後、カナデをちらりと見た。
しかし、再び視線を逸らす。
また考え込んでいるようだったが、間もなくしてサラは話し始めた。
「私の親友は、神託の盾騎士団に入団するための士官学校で、同期だった子……。名前はアリア。アリアはあなたと同じ第七音譜術士だった。」
「第七音譜術士……。」
「そう。第七音譜術士。見た目は全然違うけど、性格や雰囲気があなたによく似た子だったわ。」
サラの親友、アリア。
第七音譜術士であることもカナデと共通している。
「アリアは士官学校で訓練を受けていたの。でも、色々あって士官学校をやめてしまってね……。」
「色々って……?」
カナデの質問にサラの表情が曇った。
「それは……その、士官学校で彼女、とても苦労したのよ。それで……なんというか、自分の力の使い道について悩んでしまってね。一度落ち着いて考えたいって言って、士官学校をやめたの。」
「……。」
自分の力の使い道。
まさにカナデが悩んでいることの一つだった。
「ああ、今はグランコクマで元気に治癒術師として頑張ってるわ。だからその……何が言いたかったかっていうと、あなたもアリアみたいに悩んでたりしたら、力になってあげたいな、って思ったのよ。今日みたいなこともあったしね。」
黙ってしまったカナデのことを心配して、サラが慌ててそう付け加えた。
自分と似ているという、アリアという少女。
彼女も第七音素の使い方に悩み、そして今は治癒術師として働いているという。
カナデはそのアリアという少女がどのようにして自分の力と向き合っていったのか、知りたくなった。
「あの……サラ?」
「なにかしら?」
「聞いてもいいかな……? アリアさんがどんな苦労をして、どんなことに悩んでいたのか。」
「それは……。」
カナデの頼みにサラがたじろいだ。
そして気まずそうに顔を逸らし、呟くようにこう答えた。
「聞かない方がいいわ。」。
「え……?」
「……今のあなたには、辛い話になるから。」
「そう……なの……?」
サラはカナデに気を遣ってくれているらしい。
押しの弱いカナデには、これ以上無理に詮索する勇気がなかった。
結局、カナデは何も言えず、サラの方も口を閉ざしてしまった。
それから少しの間、会話が止まった。
気まずかった。
余計なことを言ってしまったかもしれない。
サラは気を悪くしていないだろうか。
それならばせめて、自分がどういう意図でこんな質問をしたのか、サラに伝えた方がいいように思った。
「あのね、わたしも今、悩んでたんだ。自分の力について。」
「え……?」
サラは再びカナデの方に顔を向けた。
「フィーネちゃんのこと、死の預言があったって知って……、自分が目指そうとしていた預言士の、そんな一面を目の当たりにして、怖くなったの。自分の力を……どんな風に使ったらいいか、わからなくなっちゃって……。それでアリアさんは自分の力とどうやって向き合ってたのかなって……知りたくなったの。」
「……そうだったの……。」
「ごめんね。急にアリアさんの話を聞きたいなんて言い出して。」
「そんなこと……!」
とんでもない、といった表情でサラが声を上げる。
そしてその後、言葉を続けることなく、黙ってしまった。
何やら、考え込んでいるようだった。
カナデが何も言えずにいると、不意にサラがカナデに顔を向けた。
そして、こう言った。
「アリアのこと、あなたに話すわ。」
「……いいの?」
「ええ……。悩んでいるなら力になるって言ったのに、ちゃんと応えなきゃ嘘になっちゃうものね。」
そう言ってサラは自嘲した。
そして「ちょっと長くなるけど、落ち着いて聞いてね」と言い、さらに「決してあなたを追い詰めるつもりはないから」と念を押した。
カナデが了承すると、サラはアリアについて、語り始めた。
「アリアはあなたと同じ第七音譜術士だった。ただ、さっきも言った通り、士官学校で学んだのは預言士の技術じゃなくて、治癒術師の技術の方だったけどね。騎士の戦闘では預言ではなく、治療の方が必要だから。士官学校に入学した後、あたしとアリアは同じ班になった……。あたしたちはそこで知り合ったの。」
そういえば、以前アガスティアが第七音素は治癒術に応用することも可能だとアドバイスしてくれていたことを思い出す。
「あの子は優しくて、とても話しやすい子だった。分隊の同期たちに馴染もうとしない、ましてや騎士になる意欲が元々なかった、ひねくれ者のあたしにも遠慮なく話しかけてくれた……。」
言いながらサラは懐かしそうに頬を緩める。
その表情から、そのアリアという人物がサラにとって本当に大切な友人なのだということが窺えた。
「アリアは訓練にも真面目に取り組んでいた。着実に治癒術や補助術を習得していったわ。気が優しくて気配りのできる性格だったから、周囲の人間の怪我や不調にも親身に対応していた。戦闘訓練でも、班のメンバーを的確にサポートできるように努力していたわ。あたしは第七音素を扱えないけど、他の譜術の扱いは得意だった。だからあたしたちの班は、男たちの前衛、あたしの後方からの援護攻撃、そしてアリアの補助、すべてがバランス良く機能していた。あたしたちは順調にスタートを切ったと思っていた。でもね……。」
そこまで言うと、サラの表情が曇った。
「何かあったの……?」
恐る恐る、カナデはサラに問いかける。
サラはまた少し間を取った後、再び話を続けた。
「嫌がらせが始まったのよ。アリアに対して。」
「嫌がらせ……?」
「アリアは、戦闘訓練で怪我人が多い日だと、自分の班以外の訓練生にも傷の治療をしてたの。他の班にだって治癒術師はいるんだから、余計なお節介なんじゃないかとあたしは止めたんだけど、アリアは『自分の力をきちんと人の為に役立てたいから』って言って聞かなかった。だけどある日。別の班で怪我をした訓練生をアリアが治療しようとしたら、その子がこう言い出したのよ。『お前はそんなに自分の力を自慢したいのか』って……。アリアが良かれと思って行っていたことが、少しずつ周囲に妬みや反感を抱かせていたのよ……。」
「そんな……。」
「第七音素を操る力は生まれつきの才能。ただの譜術士連中には第七音素を扱えるだけでも羨ましいものだった。それに加えてアリアは治癒術の扱い方がとても上手かった。だから他の治癒術師たちからも妬ましく思われていたみたいなの。そんなあたしたちの班が教官から高い評価を得ていたのも気にくわなかったみたいね。そういった嫌な空気は、瞬く間に周囲に広がっていったわ。気づけばアリアへの嫌がらせが始まっていた。戦闘訓練でアリアばかり執拗に追い詰められたり、私物が捨てられたり、訓練用の杖が折られていたり……。アリアは大人しい性格だったから、それが格好の標的になったみたい。」
妬みや僻みの気持ちは、心優しい行動に対しても、歪んだ気持ちを抱かせてしまうのか。
ましてや、自分と似ているという少女の身に実際に起きたことなのだということが、尚更カナデの心に突き刺さるものがあった。
サラがこの話をカナデにすることを躊躇っていた理由がわかった気がした。
「日が経つにつれて、嫌がらせの方法は陰湿で狡猾になっていったわ。アリアはそれに反発することなく、ただ耐えるばかりだった。あたしは、分隊メンバー全員の前で『こんなくだらないことはやめろ』って言い続けた。教官にも事態を報告した。だけど、何も改善されなかった。次第にアリアを庇うあたしにまで嫌がらせが始まった……。」
そこまで言って、サラは水を一口だけ飲んだ。
コップを持つ手は、よく見れば震えている。
「でもね、ある時を境に、あたしへの嫌がらせはぷっつりと途絶えたの……。妙だと思った。だからアリアにそのことを話してみたら、アリアの方の嫌がらせもなくなったというのよ。だから、嫌がらせをしていた連中もとうとう飽きたのだろうと、そう思うことにした……。」
サラの言葉が止まる。
違和感を覚えてカナデがサラの表情を伺うと、サラは瞳を閉じて、何かを堪えるかのように唇を固く結んでいた。
カナデは何も言えず、そのままサラが続きを語るのを待った。
しばし間を置いた後、サラは再び口を開いた。
「だけどね……、本当は嫌がらせは終わっていなかったのよ……。」
「え……。」
「あたしへの嫌がらせが止んだのは、アリアが庇ってくれていたからだったのよ……。」
「どういう……こと?」
「後から知ったんだけど、アリアは嫌がらせの主犯となってる連中に『自分には何をしてもいいから、サラには手を出すな』って約束させたらしいの。だから、あたしへの嫌がらせはなくなった。代わりにアリアは一人で嫌がらせに耐えていた……。」
「そんな……。」
「これも後から知ったのだけど、アリアは、裏で暴力を振るわれていたみたいだった……。だけど、傷は自分の治癒術で治して誤魔化していた。 あたしはそれに気づかなかった。 アリアの言うことを鵜呑みにして、嫌がらせはもうなくなったのだと思ってた。 親友が傷ついていることを知らないで……。」
サラは感情を抑え、淡々と語ろうと努めているようだったが、徐々にその瞳が潤み始めていた。
「外傷は治癒術でなんとかできても、アリアの精神的な負担は大きくなっていた……。そしてある日、アリアは士官学校の訓練中に倒れてしまった。その時になってようやくあたしは異変を感じた。そして、アリアを問い詰めて真実を知った……。すべてを知った時にはもう遅かった。結局、アリアは間もなくして士官学校を退学することになったのよ……。」
とうとう零れそうになった涙をサラは手で拭う。
そして昂ぶっていた感情を落ち着かせるように一息吐いてから、こう言った。
「退学前、体調を崩して医務室で休んでいたアリアと話をしたの。庇ってくれていたことに気付かなかったこと、きちんと謝ろうと思って。でも、アリアの方もあたしに謝ってきた。『ちゃんと助けられなくてごめん』って。『退学することになってごめん』って。そして『自分の取り柄だと思ってた治癒術で皆にも、サラにも迷惑をかけてしまった』って自分を責めた。その罪悪感から、アリアは『治癒術を使うことが怖くなった』と言って悩んでしまっていた。」
自分の得意とする能力が結果として不幸な出来事を引き寄せてしまった。
そう考えてしまったアリアの気持ちはカナデにもなんとなく想像ができた。
「情けない話だけど、あたしはあの子に何もしてやれなかった……。結局、アリアはそのまま士官学校を退学し、グランコクマへ帰っていった。彼女自身、落ち着いて考える時間が欲しかったようだったし、あたしもそれを受け入れるしかなかった……。」
歯痒そうに語るサラ。
そしてサラは再び水に口をつけた。
落ち着こうと努めているようだった。
コップをテーブルへ置くと、再び話を続ける。
「その後も、あたしはどうしてもアリアと話がしたくて手紙を送った……。アリアの方も返事をくれて、あたしたちはそれからずっと文通を続けていた……。あなたと初めて会った時、あたしが手紙を持っていたの、覚えてる?」
「あ、そういえば……。」
確か騎士団本部から手紙を受け取ったのだと言っていた気がする。
「あれもね、アリアからの手紙だったの。」
「え……?」
「あの時の手紙には、グランコクマの治療院で治癒術師として働き始めたことが書いてあった。そして、彼女が再び治癒術師の道を選んだきっかけとなった出来事についても書いてあったわ……。」
「きっかけ……。」
「グランコクマに戻った後、アリアはしばらく家に籠っていたみたいだった。でも手紙によれば、ある日、気分転換に外を出歩いてみたそうなの。そして、そこで転んで怪我をして泣いている子どもを見つけた……。周りにはその子の親と思われる人もいない。その子を放っておけなかった彼女は、思い切って治癒術を使ったそうよ。怪我はすぐに良くなって、その子はアリアにとても感謝したそうだわ。感激するその子の顔を見て『もう一度、誰かのために自分の力を使いたい』って考え直すようになったって……。」
誰かのために、自分の力を役に立てたい。
アリアという少女にとって、その気持ちが再び治癒術を使う原点だったのだろう。
カナデにとって、預言を学ぼうと思った原点はなんだっただろうか。
改めて考えると、預言によって預言士になることを詠まれたことで、なし崩し的にカナデは預言の詠み方を学んでいたように思える。
自分が誰かを導く存在になることが怖い。
預言を詠むことを怖がっていた理由も、そうした自信のなさが原因だった。
しかし、それは実はとても自分本位な悩みだったのではないだろうか。
誰かのために、預言を詠む。
フィーネのように、誰かにとっての不幸を、預言は示してしまうのかもしれない。
だが、それ以上に、預言という存在は人々の助けにもなっている。
預言の善き面も、悪しき面も、カナデは今、体験している。
それは貴重な経験なのではないか。
カナデにしか知らない、預言との接し方があるのではないだろうか。
――カナデ、人との出会いは大切にするのだよ。世の中には色々な人がいる。そして人はそれぞれ、その人だけの、その人しか知らない人生を歩んでいる。出会った人たちの、想いを、生き方を、感じ取れる人間になりなさい。そうすれば、きっとカナデを良い預言士にしてくれるから……。
アガスティアの言葉を思い出す。
自分ではない誰かの人生、その人の生き方や想い……。
ダアトに来てから、たくさんの人と出会った。
アガスティア、ヨシュア、サラ、フィーネ……。
彼らとの出会いでカナデが学んだこと、感じたことは、数えきれないほどある。
そして、サラが語ってくれた、アリアの話。
辛い日々を親友のために耐えようとした少女。
自分によく似ているというその人は今、前向きに生きていこうとしている。
かつて自分に不幸な出来事を呼び込んだ、治癒術を使って……。
もやもやとカナデの思考を覆っていた霧に、少し光明が見えた気がした。
はっきりと答えが見えたわけではない。
しかしきっと、カナデも少しずつ目の前の出来事と、そして、第七音譜術士の力と向き合っていけばいいのだろう。
いや、そうするべきなのだろう。
フィーネのためにも。
「……話してくれてありがとう、サラ。」
「ううん……こっちこそ、ごめんなさい。いきなり重い話を聞かせてしまって。」
気まずそうに、サラは謝った。
確かに想像以上に辛い内容の話だった。
しかし、そのおかげで見えてきたものがある。
「……本当にありがとう。」
今はただ、サラに対して感謝の気持ちを伝えることが一番大切なのだろうと、そう思った。
そして、サラの話を聞いて、もう一つわかったことがあった。
それは、サラという人間についてだ。
サラは、決して怖い人などではない。
きちんと筋を通そうと努力している、優しい人なのだ。
そして、ふと気づく。
「そういえばサラは……?」
「え?」
「アリアさんがいなくなってから、サラは大丈夫だったの?」
カナデの問いに、サラはきょとんとした顔でカナデを見返した。
そして、ボソッと呟いた。
「……そうやって人のことに気を回せるところ、そっくりだわ……。」
「えっ……?」
「……ごめんなさい。なんでもないわ。あたしはこの通り、問題ないわ。アリアがいなくなってから、嫌がらせが再発したりしたけど、あたしはとにかく反抗してやったわ。譜術の実力も徹底的に鍛えて、他の誰にも負けなかったしね。あとは、嫌がらせの件を有耶無耶にしてた教官たちに喝を入れてやったりもしたわね。」
冗談っぽくサラは語る。
しかし先の話を聞いたからか、カナデはそれが強がっているように見えた。
「もしかして……わざと嫌われ者に……?」
敢えて嫌われるように振る舞って、嫌がらせの矛先が自分だけに向くように。
他の誰かが嫉妬や悪意の対象にならないように。
それはまるで、アリアがサラに対してそうしたように……。
「……そんな不安そうな顔で見なくても大丈夫よ。」
そう言って、サラは微笑んだ。
「あたしはあの時、親友を救うことができなかった。だから、アリアがいなくなってしまってから、あたしは決めたの。卑怯で姑息な連中は絶対に許さない。そして、何か辛い目に、理不尽な目に遭っている人には手を貸そうって……。」
「あ……。」
カナデはそこでようやく、サラの優しさの訳を理解した。
理不尽な辛い目に遭っている人、今、それはカナデのことを指しているのではないのか。
カナデはフィーネの死に直面し、さらには秘預言という存在に翻弄されている。
おまけに自分はアリアによく似ているのだという。
サラとしては、放っておけなかったのだろう。
「それにね、アリアに約束したから。」
「約束?」
「退学前にね、アリアに約束したの。アリアが神託の盾騎士団の騎士になれなかった代わりに、あたしはちゃんと士官学校を卒業して、騎士になってみせるって。」
カナデはサラという人間の強さを垣間見た気がした。
サラは親友との約束の為に、覚悟を持って訓練に臨み、騎士になったのだ。
しかし、その覚悟の原点は全て『アリアのため』であるように聞こえるのは気のせいだろうか。
サラ自身の、願望や幸せはそこに含まれているのだろうか。
余計なお節介かもしれないが、聞かずにはいられなかった。
「サラは今、辛くない?」
カナデの質問に、サラは驚いた顔をした。
そして今度は噴き出して笑った。
「ふふ。あなたを励ますつもりでここに来たのに、いつの間にか、あたしが心配されちゃってるわね。」
「あ……。」
「……少しは元気出たのかしら?」
言われてみれば、ここへ来る前より、気持ちが落ち着いたような気がする。
サラのおかげだろう。
「まあ、さっきも言った通り、あたしは大丈夫よ。今は班も良い奴らと組めて、満足してるわ。」
「ヨシュアさんと、あと、ジェラードさん……だっけ?」
「そうそう。ジェラードは公明正大を絵に描いたような奴だし、ヨシュアはちょっとどんくさいけど、人を貶めるような真似は絶対にしない奴だしね。」
悪びれずにそう言ってサラは笑った。
カナデの心配は杞憂なのかもしれない。
敢えて深く追及しない方がいいのかもしれない。
今は、そう思った。
■第十九話
休憩所の出入り口の脇で、ヨシュアは立ち尽くしていた。
眠れなかったため、水でも飲もうと休憩所のテントに向かったのだ。
しかし、その途中でサラがダアト市民向けの休憩所に入っていく所を目にしたのだ。
気になって入り口まで近づくと、聞き覚えのある声も聞こえてきた。
どうやらサラの話し相手は、カナデのようだった。
ヨシュアは思わず聞き耳を立ててしまった。
何故ここで二人が話しているのかはわからなかったが、話の内容はやがてサラの士官学校時代の話になった。
盗み聞きをしていることに罪悪感を覚えながらも、ヨシュアは話の内容がどうしても気になった。
そして結局、テントの外でサラの話を聞いてしまったのである。
そしてその内容は、サラのイメージを大きく変えるものだった。
士官学校時代、同期の騎士たちから聞いたサラの噂は、あまり良い内容のものではなかった。
士官学校では教育小隊の下で、いくつかの「分隊」に分かれて訓練を行っていた。
三年間の訓練期間は、同じ分隊のメンバーで過ごすことになる。
ヨシュアとジェラードはたまたま同じ第一分隊だったが、サラは第二分隊だった。
分隊間で交流のある環境ではなかったため、他の隊の話はどうしても噂話を人づてに聞く形となる。
その噂話の中には、サラの話もあったのだ。
サラという訓練生がやたらと同期と喧嘩したり、教官と揉めたりしているというのだ。
第二分隊では嫌がらせがあったという噂もあり、二年次以降では、サラが嫌がらせ事件の主犯だったのではないか、という話まであった。
周りは皆、その噂話のせいでサラを腫れ物扱いしていた。
そのため、ヨシュアも当時は「第二分隊にはサラというトラブルメーカーがいるらしい」という認識だった。
しかし今、テントの中でサラが語った内容を聞いて、その認識が大きな誤りだったことがわかった。
サラは何も悪くなかったのだ。
アリアという友人のために、彼女は必死に、周囲の悪意と戦っていたのだ。
アリアがいなくなってからも、たった一人で。
ヨシュアは改めて、サラと同じ班になってからのことを思い返す。
騎士になってから、サラが問題行動を起こしたことがあっただろうか。
答えは否だ。
確かに気まぐれで、歯に衣着せぬ物言いをするため、一見するとマイペースで高圧的な人物に思える。
しかし、任務は忠実にこなしているし、ヨシュアやジェラードへの協力も惜しんでいない。
ヨシュアも根も葉もない噂に惑わされて、サラという人間を誤解していたのだ。
嫌がらせをした卑怯者に対する怒り、親友を助けられなかった罪悪感、そして、その親友と交わした約束。
今のサラはそれらを胸に秘めて騎士の任務にあたっていたのだ。
過去の出来事のけじめをつけるために。
テントの外で立ち尽くしたまま、ヨシュアは考える。
この話を聞いてしまったことを、サラに話すべきだろうか。
結局、サラとカナデのいるテントに入る勇気を持てず、ヨシュアはそのまま引き返そうと思った。
休憩所のテントを背にして歩き出す。
今日だけで、自分が如何に無知だったのかを思い知らされた。
フィーネのこと、そして今、耳にしてしまったサラのこと。
自分は身の回りの出来事について、何もわかっていなかったのだ。
ひょっとすると、大切なことをずっと見落としてこれまで生きてきたのだろうか。
今まで立っていた足元が、少しずつひび割れて崩れていく感覚。
その嫌な感覚を振り払うようにして、ヨシュアは首を振った。
しかし、自分の中のざわついた感覚は振り落とされることなく、ヨシュアにこびりついてくる。
テントまでの帰り道、ヨシュアはなるべき無心でいるように努めながら、歩き続けた。
やがて就寝用のテントが見えてくると、こちらの方へ向かってくる人影が見えた。
近づくにつれて、その人物が見知った者だと気づく。
「ジェラード?」
「ヨシュアか。どうしたんだ? こんな時間に。」
ヨシュアの存在に気づき、ジェラードが少し驚いた様子で言った。
「ちょっと眠れなくて。」
「ああ、今日はあの女の子のことがあったからな。眠れなくても仕方ない。」
「ジェラードはどうしたの?」
「俺は……ちょっと今日のことで考え事をな。」
「考え事……?」
「ああ……。」
ジェラードはフィーネと面識はないはずだ。
ジェラードなりに何か思うところがあったのだろうか。
「せっかくだし、少し話に付き合ってくれないかな?」
「ああ、構わないが……。」
ジェラードが了承したのを見ると、ヨシュアはテント脇の手近な場所へ腰を下ろした。
ジェラードもそれに倣ってヨシュアの隣へ腰を下ろす。
「ねぇ、ジェラード。」
「ん?」
ヨシュアが話し始めると、ジェラードはヨシュアの方へ振り向いた。
「僕は秘預言……死の預言のことなんて何も知らなかった。フィーネちゃんやダイゾウさんたちがどんな思いでいたのか、気づくことができなかった。」
「……。」
「何も知らなかった。それが……すごく悔しい……。」
「ヨシュア……。」
「自分がどれだけ周りのことを知らずに……いや、知ろうとせずに生きてきたのか、思い知らされたよ……。」
ヨシュアは思うことを吐露した。
その様子を見て、ジェラードが言う。
「お前がそのことに気付けただけでも、あの子の死は……無駄じゃなかったんじゃないか?」
「そうなのかな。」
「ああ。たとえ彼女の死が、預言によって定められていたものだったとしても、な。」
「預言、か……。」
ジェラードの言葉にぼんやりとヨシュアは考えを巡らせる。
「預言は、とても便利なものだよね。なにせ、自分の未来の出来事を知ることができるんだから。」
「……ああ。」
「だけど、預言で未来を知ることは、本当に幸せなことなのかな……。」
「……。」
自問するように言葉を紡ぐヨシュアを見て、ジェラードもまた考え込むようにして口を噤んだ。
こんなことを尋ねても、ジェラードを困らせるだけなのかもしれない。
だが、ヨシュアは考えずにはいられなかった。
預言とはいったい何なのだろう。
フィーネは、預言によって自分がいつ死ぬかを知ってしまった。
それは、とても残酷な死の宣告だ。
人はいつか死ぬ。
だが、その“いつか”を確定的に知ってしまうことは、幸せなことと言えるだろうか。
フィーネのように、幼くして命を失くしてしまうことが運命づけられていたとなれば尚更だ。
いや、ひょっとすると、死にまつわる出来事でなくても、この疑問は当てはまるのかもしれない。
例えば、先ほど聞いてしまったサラとアリアという少女の話。
彼女たちの身に起こった事も、預言で詠まれていたのだろうか。
もし、楽しい思い出も辛い経験も、あらゆる出来事があらかじめ預言で決められていたのだとしたら。
「もしも……人の一生が、全て預言で決められているのなら、僕たちが生まれた意味って何なんだろうね……。」
預言はこの星の記憶を詠み取っている。
星の記憶によって、人の一生も、この星の歴史そのものも定められているのだと云われている。
だとすれば、何のために自分たちは生きればいいのか。
そして、何のために死ぬのか……。
「俺も……同じようなことを考えたことがある」
ヨシュアに同意するようにジェラードが言った。
そして、一息吐いてからこう続けた。
「俺は神託の盾の騎士だ。預言の遵守に努めなければならない。だがな……俺個人の気持ちとしては、預言という存在に疑問を持っている。」
「え……?」
「……やはり、意外か?」
「う、うん……。」
生真面目すぎるほどに騎士の任務に励むジェラードの姿からは、想像できないことだった。
ヨシュアの反応を見て、ジェラードは自嘲気味に笑った。
そして、こう言った。
「俺は、いつか師団長、もしくはそれ以上の地位まで登りつめたいと考えてる。」
「師団長以上って……。」
唐突なジェラードの言葉にヨシュアは驚く。
しかし、それに構わず、ジェラードは続ける。
「俺の目的を叶える為に、それはどうしても必要なことなんだ。」
「目的……。」
「そのための努力を、俺は惜しむつもりはない。俺は俺自身が望む未来のために、今を生きているつもりだ。自分が生まれた意味なんて俺にも分からない。だが、自分のこの意志は自分のものだと信じたい。そう思っている。」
「ジェラード……。」
「預言に詠まれていたかどうかではなく、今起こっている出来事に対して、自分がどう思うかが、本当に大切なことなんじゃないか? 少なくとも俺はそう思う。」
自分の意志で生きている。
そう言い切るジェラードを見て、ようやくヨシュアは気づいた。
ジェラードの強さの源に。
いや、ジェラードだけではない。
サラもだ。
サラもまた、親友との辛い過去を糧に、そして、その親友との約束のために今も騎士の任務に就いている。
以前から感じていた、二人の纏っている似たような“空気”。
ヨシュアにはない“空気”。
彼らはいつも自らの意志で“今”と向き合ってきたのだ。
自分がすべきことを自分で考え、そして自分で決断し、行動してきたのだ。
サラは過去とのけじめのために。
ジェラードは未来の目標のために。
だからこそ、彼らは自立している。
だからこそ、彼らは強い。
これまでヨシュアは妥協して生きていた。
夢がないから。
やってみたいことがないから。
そういって目の前の出来事をなんとなくこなしてきた。
騎士になる、と預言に詠まれれば、抗うことなく受け入れた。
いや、抗ってまで成し遂げようと思うものがなかったのだ。
だが、本当にそれでいいのか。
フィーネは大人になることなく死んでしまった。
しかしその幼い少女は、死を知っていたからこそ懸命に“今”を生きていた。
やがて失われていく命の大切さを知っていたから、花と自分を重ね合わせた。
フィーネは預言と向き合ったからこそ、あんなにもアンダンテの手伝いに励んでいたのだろう。
「ジェラードの言う通りかもしれない。たとえ預言で未来が決まっていたとしても、自分で考えて進んだ未来なら、納得することができる……。」
「……ああ。」
「もっとよく考えてみるよ。今の自分にできることを……。」
フィーネのためにも、胸を張って生きていく道を選びたい。
だからこそ、今この瞬間を大切にしよう。
ヨシュアはそう思った。
「助けになったのなら、幸いだ。」
ジェラードはそう言って笑った。
この同僚の懐の広さには、とても敵わない。
彼なら、本当に師団長になってもおかしくない。
「はは……ジェラードから見れば、僕はホントに頼りなく見えるんだろうなぁ……。」
思わず自虐的な言葉が口に出る。
しかし、ジェラードは至極真面目にこう切り返した。
「いや、俺はお前のことを信用しているぞ。」
「え?」
「俺はお前のことを信用しているから、この話をしたんだ。確かにお前は、詰めが甘いところがある。だが、人の信頼を裏切るような人間ではないというのは、これまでの付き合いでよくわかってるからな……。」
「は、はぁ……。」
急に褒められると妙に気恥ずかしい。
というか、ジェラードがそんな風に思っていたことに、ヨシュアは少なからず動揺した。
きっと、大した人間だと思われていないのだと思っていた。
「ヨシュア、お前の素直さは大きな長所だ。お前のその人柄は、きっと多くの人と信頼関係を築くことができるだろう。サラだって表には出さないが、お前のことを信頼していると思うぞ?」
「そ、そうかな……。」
そういえば、テントでサラの話を聞いてしまった時、「ヨシュアは人を貶めるような真似はしない」と評価してくれていたのを思い出す。
こんな自分でも、二人からそのような評価を得られていた。
これは素直に嬉しいことだった。
思わず頬が緩んでしまう。
しかし、ジェラードは最後にこう釘を刺した。
「ただ、あくまで人柄が良いってことだからな。騎士としては、とても信頼できないぞ?」
「えぇ! はぁ……そうだよね……。頑張ります……。」
先ほどから一転して、ヨシュアはしょんぼりとうなだれた。
「……本当に素直な奴だよ、お前は。」
ヨシュアの様子を見て笑いながら、ジェラードはそう言った。
そして最後のダメ出しは、ジェラードが自分のことをからかうために言ったのだと気づく。
「なんだよ、からかうなよ……!」
「すまん、すまん。」
「まったく……。」
言いながら、ヨシュアは立ち上がった。
ジェラードと話すことができて、だいぶ気持ちが落ち着いたように思う。
ふと、空を見上げてみる。
漆黒の夜空に、多くの星々が輝いている。
このオールドラントも、他の星から見れば、あのような数ある星々のうちの一つにしかすぎないのだろう。
大きな宇宙の中では、ヨシュアの存在も取るに足らないものなのかもしれない。
カナデやサラ、ジェラード、そしてフィーネも。
だが、自分自身の意志で、あの星々のように輝くことができたらいい。
ジェラードと話してみて、ヨシュアはそう思ったのだった。
■第二十話
カナデと別れた後、サラは就寝用のテントへと向かって歩いていた。
カナデには、結局アリアのことを話してしまった。
カナデはあの話を聞いてどう思っただろう。
自分はきっと、カナデとアリアを重ねて見ている。
理不尽で辛い目に遭っている人には手を貸したい。
そう思っているのは本当だ。
だが、カナデを見ていると、どうしてもアリアのことを思い出す。
カナデへの善意は、アリアを助けられなかった後悔の裏返し。
自分のためにカナデへ優しさを押し付けているのだとしたら、偽善に他ならない。
本当の優しさなどではない。
それは、カナデに対して失礼なことだ。
――サラは今、辛くない?
最後のカナデの言葉を聞いた時、正直なところ、サラは動揺していた。
自分のことを見透かされているかのような錯覚に陥った。
アリアが士官学校を去ってからの約二年間、サラはひたすら自分を責め続けてきた。
アリアの代わりに騎士になる。
その約束にすがり、これまで過ごしてきた。
得意分野である譜術は、それまで以上に勉強を重ね、鍛えてきた。
必要以上に周りと馴れ合うのもやめた。
嫌がらせをしていたような連中には、徹底的に反抗した。
それで周りに疎まれようと構わなかった。
寧ろそうした非難の声は、アリアを救えなかった自分への罰のように感じられて都合がよかった。
自分の望みを押し殺し、ただ騎士になるという約束を果たすことだけに全てをかけた。
だが、今思い返してみれば、この行為も偽善だったのだろうか。
「アリアとの約束のため」というお題目を掲げて、本当は罪悪感に押しつぶされそうな自分を誤魔化しているだけなのではないか。
今、カナデにしていることも。
そしてサラは、アリアの手紙の言葉を思い出す。
――いつも励ましてくれてありがとう。私はもう大丈夫だよ。私のために無理しなくて、いいんだよ。
「アリア……。」
辺りには誰もいない野営地の中で、一人立ち止まり、サラは呟いた。
――サラは、サラの夢を叶えてほしい。
「夢か……。」
そういえば、アリアにだけは話していたのだと思い出す。
そして、カナデには伝えなかった、いや伝える必要はないと思った、自分の本当の夢。
いつか、譜術の力で人を感動させたい。
幼い頃に芽生えた、ちょっとした好奇心。
それが、サラの心の奥底に秘めている夢の始まりだった。
生れも育ちもダアトのサラだったが、幼い頃に両親に連れられてグランコクマを訪れたことがあった。
そして、その街の景観に圧倒された。
都全体を覆うように絶えず水が流れており、その景観はまるで巨大な水のカーテンだったのだ。
この水のカーテンがあるため、グランコクマは水の都と呼ばれている。
幼いサラには、その美しい光景はまるで物語の世界に迷い込んだかのように思えたのだった。
そして、水のカーテンを制御しているのは譜術だということを両親から教えられた。
それ以来、サラは譜術に夢中になった。
自分もいつか、譜術を学んでグランコクマのような壮大で神秘的な景観を作り出すのだ、と。
だが、やがてサラはこの時代における譜術という存在の意義を知っていく。
譜術は、戦争の技術として利用されている。
つまり、人を攻撃するための技術として利用されているのだということを知ったのだ。
感銘を受けたグランコクマの景観も、非常時には水のカーテンが街を守る防御壁の役割を担っているのだということも知った。
それでも自分が初めてグランコクマを見た時の感動は忘れられなかった。
今でこそ譜術は戦争に利用されている。
だが、それ以外の使い道もきっとある。
――あたしは譜術で、人の感性に触れるようなものを作り上げたい。
それがサラにとっての夢だったのだ。
しかし、現実は思う通りにはならなかった。
預言で示された、サラの未来。
それは神託の盾騎士団への入団を示すものだった。
はじめは抗った。
だが、預言の教えは守れという一族のしきたりに、当時のサラは折れてしまったのだ。
戦闘用とはいえ、譜術を学べるという意味では自分の願いともマッチしているのだと、心の中で納得させた。
そうして、サラは士官学校に入学し、アリアと出会うのだ……。
――アリア……。
サラは心の中で、もう一度親友に呼びかける。
自分はどうすべきか。
――私のために無理しなくて、いいんだよ。
心優しいアリアの言葉。
全てを投げ出して、自分の夢を追うべきなのか。
それとも……。
――話してくれてありがとう、サラ。
礼を言うカナデの顔が頭に浮かぶ。
偽善だろうと、今の在り方を貫くべきか。
「……やっぱり中途半端はマズイわよね。」
カナデには、“力になる”と明言した。
その発言を翻しては、それこそ自分勝手な行いだ。
自分の行いの筋は通したい。
――アリア、あたしは、自分の夢を追うのは、もう少し後にするよ。
思い出しかけた夢を、もう一度、心の中に仕舞い直す。
――あの子のこと、やっぱり放っておけないから。
カナデのことをきちんと見届けたら、自分のことを考えよう。
サラはそう思った。
口先だけの人間には、絶対になりたくないから……。
■第二十一話
ローレライ教会前。
アガスティアはダアトの街を見つめていた。
教会は市街地よりも高い位置に建造されているため、その視線は街を見下ろす形となる。
ダアトの街は、住民たちが避難していったため、普段のような賑わいはない。
人の動きが確認できるのは、今や中央通りのみ。
騎士たちに誘導されるようにして、未だ街に残っていた住民たちが、街の外へと歩いていくのが見える。
これで避難する住民は最後となる。
昨日、避難中の馬車に対して、モンスターの襲撃があったとの報告を受けた。
そのため、住民の避難には遅れが生じたが、予定通り本日中に住民のダアトからの避難は完了となるだろう。
残るは一部の教会関係者と神託の盾の騎士たちが退去するだけだ。
預言の日まで、今日を入れてあと七日。
いよいよ目前にまで迫っている。
アガスティアの表情は厳しい。
数々の懸念が、頭によぎる。
「アガスティア詠師。」
アガスティアを呼ぶ凛々しい女性の声が聞こえた。
振り向くと、声の主は隻眼の女騎士、カンタビレだった。
「報告だ。もうすぐ、ダアトからの住民退去が完了する。今日の午後から明日にかけて、あたしたち第六師団の騎士たちと、教団の方々の避難を行うから、よろしく。」
彼女らしい、砕けた語り口でカンタビレは報告する。
「ああ、了解した。君たちもご苦労さま。」
「お気遣いどうも。それと、もう一つ。昨日、避難中の住民がモンスターの被害にあったことは、ご存知だったかな?」
「ああ。話には聞いたよ。」
そう。
それもまた、アガスティアの心を痛める要素の一つだ。
「被害に遭ったのは、フィーネという少女だったな……。」
リストでは、カナデもフィーネと同じ馬車に乗っていたという。
カナデは無事だったというのは聞かされた。それはアガスティアにとって不幸中の幸いだったといえよう。
フィーネのことは、実はアガスティアは知っていた。
一ヶ月前、カナデが友達になったと言っていたが、それ以前から知っていたのだ。
七年前のある日、預言士になりたてだった神官が、血相を変えてアガスティアのもとへ訪ねてきた。
曰く、死の預言を詠んでしまった、と。
その預言の対象となったのがフィーネだったのだ。
その時は、アガスティア自ら両親に事情を説明した。
長年ローレライ教団に仕えているアガスティアだが、ここまで一個人が明確に死を予言されるケースは珍しかった。
ましてや、預言を受けたのは幼い少女。
そのため、この件はアガスティアの記憶にもよく残っていた。
預言の内容は、七年後に死が訪れることを示していた。
カナデがフィーネと知り合ったことを聞いたときは、内心動揺したものである。
なんという巡り合わせか。
フィーネの預言が詠まれた日から、確かに今年が七年目。
預言の年だ。
しかし、カナデにそのことを言えるわけもなかった。
さらにザレッホ火山の預言である。
こちらの預言との関連も気にしていないわけではなかった。
火山噴火によってフィーネの命が脅かされてしまうのだろうか、と。
できるなら、フィーネには生き延びて欲しい。
預言の内容には反するが、アガスティアはそう思ったものだった。
――しかしまさかこんな形で、死の預言が的中してしまうとは……。
避難移動中、フィーネだけが運悪く命を落としてしまった。
そこに不気味さを感じてしまう。
「その少女の両親と、一部の関係者は昨日の渡航を見合わせている。あたしはこれからダアト港へ向かい、ご両親に会いにいくつもりだ。」
努めて冷静にカンタビレは報告する。
彼女の立場、そして、今の自分の立場を考えれば、そう振る舞うのも仕方がないと言える。
「……了解した。モース様にも私から伝えておこう。」
「どうも。それじゃ、あたしはこれで。」
用件を終えると、カンタビレはそれだけ言ってその場を去ろうとした。
「ああ、カンタビレ殿!」
「……何か?」
立ち去ろうとしたカンタビレが、不思議そうな顔で振り向く。
「いくつか、君に頼みたいことがあるんだが……。」
「……あたしにできることで良ければ。」
「そうか、助かるよ。」
アガスティアが礼を言うと、カンタビレは思いついたかのようにこう言った。
「……ちょうどいい。あたしも詠師さんに訊きたい事があったんだ。」
「私に……?」
「ああ。ま、詠師さんの話が終わってからで構わないんだが。」
「あ、ああ。」
不敵な笑みを浮かべるカンタビレを見て、何やら不吉な予感がしたが、今は気にしないでおくことにした。
「それで、何をすれば?」
「まずは、そうだな……。先に確認したいんだが、今回の件で渡航を見合わせた関係者の中に、カナデという神官は入っているだろうか?」
「確か……報告書にその名前は載っていた。被害者の馬車の同乗者だからってことで、まだダアト港にいるはずだ。」
「そうか。では、ダアト港に行ったらこれをそのカナデに渡して欲しい。」
アガスティアは懐に仕舞っておいた封筒を取り出し、カンタビレに手渡した。
「手紙……?」
「ああ。中身は避難後に読むよう伝えて欲しい。」
「……了解した。」
そう言ってカンタビレは封筒を懐に仕舞った。
「それから、もう一つ頼みたいことがある。先のフィーネという少女の件に関わりのある話だ。」
「先ほどの?」
「ああ、君には伝えておいた方がいいと思ってな。まずは、これから案内する場所までついてきてくれるかな。」
「……ああ。」
まだ得心がいっていない様子だったが、カンタビレは了承の旨を口にした。
アガスティアはカンタビレを教会の中へと促した。
アガスティア自身も教会の中へ入り、カンタビレを先導する。
入って正面に向かえば大聖堂がある。
しかし、その大聖堂の手前で右手側の回廊へと曲がった。
回廊に入ってすぐ左手側に転移魔法陣が設置されている。
アガスティアはその魔法陣を起動させ、カンタビレとともに転移した。
転移後は一本道の回廊となり、その先は下りの階段となった。
階段を地下へと進んでいく。
カンタビレは何も言わずにアガスティアの後ろをついて来ている。
しばらく歩き、行き着いた扉の前でアガスティアは立ち止まった。
そしてカンタビレの方へ振り返る。
「ここだ。」
「この部屋には何が?」
「……秘預言の譜石の保管庫だ。」
「秘預言の……?」
一瞬、怪訝そうにしたカンタビレだったが、フィーネの死の真相に気づいたのだろう、すぐに「まさか」という声をアガスティアに投げかけた。
「まずは、中に入るとしよう。」
扉の施錠を外し、二人は中へと足を踏み入れる。
アガスティアが室内の照明のスイッチを入れると、部屋が一瞬にして明るくなった。
部屋中にいくつもの棚が並んでおり、その中には紫がかった輝きを放つ小ぶりの譜石がいくつも安置されている。
ここは主に、個人にまつわる出来事を詠んだ秘預言の譜石を保管している部屋だ。
棚には年度が記載されており、年ごとに秘預言の譜石が並べられて管理されている。
普段、手入れのしていない部屋のため、室内はかなり埃っぽい。
だが、それを気に留めることなくアガスティアは部屋の中へと歩みを進める。
そして、ND2006の棚で足を止めた。
棚の中の譜石を確認し、目的のものを探し出す。
「これだな……。」
アガスティアの声に後ろに続いていたカンタビレも譜石の方へと目を向ける。
それが、フィーネの預言を宿した譜石だった。
アガスティアはカンタビレの方に振り向き、説明を始めた。
「既に察しているようだが、今回亡くなったフィーネという少女には、七年前、死の預言が詠まれていたのだ……。」
「……なるほど。それであたしをここに連れてきたわけか。」
納得するようにカンタビレが言う。
「そういうことだ。ご両親に会いにいくのであれば、このことを知っておくべきだと思ったのでな。」
本当ならアガスティアもフィーネの両親に話をしにいくべきなのだろう。
七年前の預言に立ち会った身として。
しかし、今のアガスティアを取り巻く状況を考えると、そうもいかないのだった。
「この譜石をここで詠んで聞かせよう。」
「……お願いします。」
カンタビレの回答を聞くと、アガスティアは預言の詠唱を開始した。
譜石が反応し、発光を始める。
そして譜石から放たれる第七音素をアガスティアは詠み始めた。
「生命を慈しむ者、この先、虹の階を駆け上る。
そして、虹の果てにて、彷徨える鳥たちと出会うだろう。
その花弁、蕾のままなれど、鳥たちに種子を託すであろう……。」
預言の終わりに合わせて、譜石の放つ光が収束していく。
預言詠唱を終え、アガスティアは呼吸を整えた。
そしてカンタビレの方へと顔を向けると、何故か彼女は眼帯を外していた。
しかし、アガスティアの視線に気づくと、露わになっていた左目を眼帯で隠した。
「今のが、七年前に詠まれたものだった、と?」
「ああ、内容としては、七年後……つまり今年、彼女に死が訪れるというものだ。結果は知っての通り、非常に残念な形で的中してしまったというわけだ……。」
「預言の中で出てくる“鳥たち”というのは?」
「ああ、おそらく、虹の果て、つまり今年出会った者たちを指すようだな。」
今年出会った者。
その中にカナデも入っているのだろうか。
フィーネの死は、間違いなくカナデの中で衝撃的なものだっただろう。
そのことは想像に難くない。
「……なるほど。経緯はわかった。秘預言の事情を踏まえた上で、ご両親には話をしてこよう。」
「よろしく頼むよ。」
どうやらカンタビレは、的確にこちらの意図を理解してくれたようだ。
「これで私からの頼みごとは終わりだ。そういえば、私に何か訊きたい事があったのではなかったかな?」
「……ああ。せっかく直接話せる機会だからな、訊いておきたかったんだ……今の預言のことを知ったら尚更、ね。」
少々もったいぶった言い方だ。
だがそう言うカンタビレの表情は真剣だった。
「あたしが訊きたかったのはザレッホ火山の預言について、だ。」
「ああ、その件について、何か?」
問い直すアガスティアに対し、鋭い視線を据えて、カンタビレはこう告げた。
「詠師さん、あんた……死ぬ気かい?」
■第二十二話
フィーネの事故があった翌日。
時刻が正午に差しかかる頃、カナデたちはダアト港に足を運んでいた。
天気は快晴で、港には今日出航予定の巨大な艦船が並んでいる。
そして、自分たちと同じようにダアトから避難してきた人々が、波止場の方へと列を作り、艦船へと乗り込もうとしている。
カナデは波止場の方へは行かず、港の端の方へと歩いていくと、無造作に置かれている空の樽の上へと腰かけた。
本来なら、目に映る列の中に、カナデやダイゾウたちもいたはずだった。
今日一番の便で、ケテルブルク港まで避難する予定だったのだ。
しかし、神託の盾騎士団がフィーネの事故のことを配慮し、乗船する順番を後回しにしてくれたのだ。
そのことを伝えてくれたヨシュアたちの話によれば、今日の午後の便で、ダアトの民間人は全員パダミア大陸から避難完了するらしい。
その最後の便に、カナデも乗船することになったのだった。
ふと、視線を波止場の辺りから、港の管理施設の建物の方へと移す。
ダイゾウとカトレア、そしてヨシュアたちは今、港の管理施設の休憩所にいる。
なんでも、神託の盾騎士団の師団長が、フィーネの件で謝罪にやって来たそうなのだ。
カナデは、その場に自分がいてもどうかと思い、師団長が来る前に席を外したのだった。
皆が話している間、外を散策することはヨシュアたちに了承をもらっている。
「はぁ……。」
わけもなく、ため息が出てしまう。
フィーネの死。
秘預言。
そして、昨晩のサラの話。
今まで穏やかに過ぎていたカナデの日常が、大きく変わってしまった。
波止場の方には、未だ忙しなく動き回る騎士たちや、避難してきた人々の姿が見える。
自分の身の周りでどんなに哀しい出来事が起こっても、世の中は動いている。
カナデにはそれが無情なことに感じられた。
「カナデさん!」
感傷的になっていたカナデは、自分の呼ぶ声に気付いてハッとした。
辺りを見回してみると、何やら急いだ様子で、ヨシュアがこちらまで走ってきている。
「……ヨシュアさん?」
腰かけていた樽から身体を離す。
師団長との話が終わったのだろうか。
「ここにいたんだ? あのさ、カンタビレ師団長が、カナデさんを呼んでるんだ。」
「わたしを?」
部外者だろうと思って席を外したつもりだったが、カンタビレという師団長は、カナデにも用があるらしい。
「どうして?」
思わずヨシュアに尋ねる。
「いや、何か渡すものがあるんだってさ。もうダイゾウさんたちとのお話は終わったみたいだから、今から来てくれるかな?」
心当たりがなかったが、とりあえずカナデはヨシュアに誘われ、管理施設へ戻った。
そのまま施設の応接室にあたる部屋へと案内される。
部屋の前にはジェラードとサラが待機していた。
二人に促され、部屋の中へと足を踏み入れる。
部屋の中にはダイゾウとカトレア、そして見知らぬ隻眼の女性……。
いや、見知らぬ、というのは適切ではない。
教会で何度か見たことのある女性だ。
この人が神託の盾騎士団・第六師団の師団長、カンタビレなのだろう。
「……君が“カナデ”かな?」
カナデの入室を認めると、カンタビレが早速そう尋ねた。
「あ、あの、はい。そうです。」
緊張で言葉がたどたどしくなってしまう。
だがカンタビレはそんなカナデの様子を気にすることなく、自分の懐から封筒を取り出した。
「この手紙を、アガスティア詠師から預かってきた。君に渡すように、と。」
「アガスティア様から……?」
「ああ、ただ、封筒の中身は避難から終わってから読んでほしい、と言っていた。」
「は、はい……。」
「あたしからの用事はそれだけだ。わざわざ呼び出してすまなかったな。」
「い、いえ……!」
なぜ、アガスティアはこんな形で手紙など寄越したのだろう。
カナデは戸惑いを隠せなかった。
一方、カンタビレはカナデとの話が済むと、ダイゾウたちの方へと向き直った。
「それでは、失礼します。」
そうして一礼すると、カンタビレは応接室から出て行った。
そして、カンタビレに従うようにして、ヨシュアたちも応接室から立ち去った。
「私たちは、出発までここでゆっくりしていていいそうよ。」
立ち尽くしていたカナデに、カトレアがそう声をかけた。
「あ……はい。」
返事をしつつ、カナデは妙な胸騒ぎがしていた……。
*
やがて時刻は昼を過ぎた。
カナデやダイゾウ夫妻は騎士たちに誘導され、ケテルブルク港行きの艦船タルタロスへと乗り込んでいた。
艦内では、カナデはカトレアと同じ部屋へと案内された。
案内の騎士が立ち去ると、カナデとカトレアは避難の際に持ち出した荷物を整理することにした。
必要最低限の物を取り出し、残りの荷物は隅にまとめた。
その後カトレアは、ダイゾウの部屋を確認してくる、と言って部屋を出て行ってしまった。
カナデは一人、タルタロスの一室に取り残される形となった。
部屋には就寝用の簡易ベッドがある。
想像以上に避難する人々への待遇がいいことに驚かされる。
カナデはベッドに腰掛けた。
そして、アガスティアの手紙を懐から取り出した。
この手紙だけは、どうしても気になっていたのだ。
思えば、一か月前からほとんどアガスティアと話していない。
ザレッホ火山が噴火するという預言が公開されて以来、アガスティアは公務に忙殺されていた。
避難計画が提示されるまでの間、アガスティアの代わりにカナデの面倒を見てくれたのはトリトハイムという詠師だった。
そのトリトハイムから今回の預言はアガスティアが詠んだということを聞いた。
封筒の中身は避難が済んでから開けるよう言われている。
「……今、見たらダメだよね……。」
カナデは自問する。
しかし、先ほどから感じる妙な胸騒ぎと、手紙の内容への好奇心がカナデを動かした。
――アガスティア様、ごめんなさい!
心の中で謝りながら、カナデは手紙の封を切った。
罪悪感と好奇心の狭間で揺れながら、恐る恐る封筒に仕舞われている手紙を取り出す。
中には便箋が三枚。
重ねて三つ折りにされていた便箋を開く。見慣れたアガスティアの字が並ぶ。
そして、その内容に目を通し、息を飲んだ。
「……?!」
食い入るようにして、カナデは手紙の文章を追った。
やがて手紙を持つカナデの指は震えた。
そしてその心中は大きく混乱した。
――なんで? どういうこと?
疑問が頭の中を渦巻き、心を占める。
信じがたい内容だけに、何度も初めから読み返す。
読み直すほどに「まさか」という思いは、確信へと変わっていく。
「……。」
アガスティアの手紙は、遺書だった。
今回のザレッホ火山噴火の預言は多くの人々に影響を与えるものであると同時に、アガスティア自身の死の預言であったのだというのだ。
俄かには信じられない話だった。
だが、手紙に記載された文章は間違いなくそのことを告げていた。
預言の日に、アガスティアもまた命を落とすであろうこと。
そして、本来ならこのことは秘密であるが、カナデには真実を伝えておきたかったということ。
避難を終え、無事にダアトに帰ってきてからは詠師トリトハイムにカナデのことを任せてあるということ。
これらが、アガスティアの手紙の内容だったのだ。
途中、何度も謝罪の言葉を記しながら……。
「どういうこと……? アガスティア様……?」
胸中の混乱を抑えられなかった。
フィーネに続いて、今度はアガスティアが預言のままに命を落とすというのか。
質の悪い冗談だと思いたかった。
――確かめないと……。
動揺するカナデの心の片隅でそんな思いが芽生える。
この手紙の内容は、果たして本当に真実を指し示しているのだろうか。
――アガスティア様に会って、どういうことなのか確かめないと!
その気持ちに突き動かされるままに、カナデは部屋を飛び出した。
無我夢中で艦内の廊下を走る。
普段、ろくに運動をしていない身体を精一杯動かす。
乗降口がどこかなど、細かく覚えてはいない。
とにかくタルタロスから外に出るために、デタラメに艦内を走り回った。
途中、すれ違った騎士に呼び止められたが、そんなこと気にしていられなかった。
やがて、廊下の先に乗降口らしき場所が目に入った。
まだ、これから艦内へ乗り込む人々が、順々に流れてきている。
あそこが乗降口で間違いなかった。
タルタロスへ乗り込む人々の流れに逆らって、カナデは乗降口へと向かった。
そこで案内をしている騎士たちも振り切って、乗降口から波止場へと伸びる階段を下っていく。
何度か躓きそうになりながらも、カナデは階段を下りきった。
「君! どこへ行くんだ! ちょっと君!」
振り向くと騎士の一人がカナデに呼びかけながら追いかけてくる。
――どうしよう?!
タルタロスから出たものの、そこから先を何も考えていなかった。
慌てて辺りを見渡すと、降りた場所のすぐ近くにカンタビレがいるのが見えた。
隻眼で黒衣の出で立ちが、この場ではよく目立っていた。
「あ、あの! あの!」
藁をもつかむ思いで、カンタビレへとカナデは叫ぶ。
手紙を渡してくれたカンタビレなら、何かアガスティアのことを知っているのではないか。
直感的にそう思ったのだった。
カンタビレの方は面食らった様子でカナデの方を見ている。
カナデはカンタビレのもとに走りよる。
「あの! て、手紙! アガスティア様が! アガスティア様が!」
自分でも言っていることが滅茶苦茶であることはわかっていたが、カナデにとってはこう言うだけで精いっぱいだった。
カンタビレは、アガスティアから頼まれた手紙のことだと察したらしい。
カナデを追ってきた騎士に自分が対応することを伝えて下がらせる。
そして、慌てるカナデとは対照的に、至極落ちついた様子でカナデに尋ねた。
「……先ほどの手紙を読んだのか?」
「……あ……えと……」
もともと避難してから読むように言われていたのだ。
自分の言動を自分でうまく説明できずに混乱し、カナデは言葉がうまく紡げなかった。
「カナデさん?!」
そうこうしているうちに、カンタビレとカナデの姿を見つけたのだろう、ヨシュア、サラ、ジェラードまでその場に駆けつけてきた。
カンタビレはヨシュアたちに口を挟まないよう手で制した。
そして、もう一度カナデに尋ねた。
「もう一度訊こう。あの手紙を読んだのか?」
改めて問われ、カナデは幾分か落ち着きを取り戻した。
「あの……はい。読みました。」
「そうか。」
そう言うとカンタビレはちらりとヨシュアたちを一瞥した。
そして、ヨシュアたち三人とカナデを連れ、港の隅の方へついてくるよう促した。
また、他の騎士たちには近づかないよう言いつけ、人払いをした上で話の続きを始めた。
「では、君が何故タルタロスを飛び出してここにきたのか、説明してくれるか?」
「……。」
何から話せばよいのだろうか。
考えてみるとどう説明したら良いのか、カナデはわからなくなってしまった。
困惑しているカナデの様子を見てとったのだろう。
カンタビレが再び口を開いた。
「わかった。ではあたしから、訊こう。」
口火を切ったカンタビレは一息おいてから、こう尋ねた。
「詠師さんからの手紙。あれ、遺書だったんじゃないか?」
「?!」
あまりに的確な質問にカナデは驚いた。
周りにいたヨシュアたち三人も目を見開いている。
「やはりか。」
淡々とカンタビレは言う。
「ここに来る前、詠師さんにカマをかけてみたんだが……はぐらかされていたんだ。さてどうしたものかと、あたしも考えていたところさ……」
そう言うと、カンタビレはカナデだけでなくその場にいたヨシュアたちにも向けてこう続けた。
「……お前たちはフィーネという少女の事故が、預言に詠まれていたことを知っているのだったな?」
カンタビレの問いかけに、ヨシュアたちが頷く。
カナデも同様に頷いて肯定の意を示した。
「いいだろう。確かカナデと言ったな? 良ければ、手紙の内容を教えてくれないか?」
「あの、はい……。アガスティア様が詠んだザレッホ火山の預言は、実はアガスティア様ご自身の死の預言だったって。つまり、秘預言だったって書いてありました……。」
「秘預言!?」
カナデの話にヨシュアが驚いた声を上げた。
確かに、フィーネの件があったばかりのこのタイミングで再び死の預言の話が持ち上がっているのだ。
その反応に無理はないと言えた。
何よりカナデ自身がまだ信じられないのだ。
だが、今回はフィーネの時とは違う。
まだ、預言の日は到来していない。
もしかしたら。
もしかしたら、アガスティアを助けられないだろうか。
そんな思いがカナデにはあった。
「それで……わたし信じられなくて、アガスティア様に会って確かめたいんです! この手紙のことが本当なのかどうか! もし本当だったとしても、あたしはアガスティア様を助けたいんです!」
もうフィーネのように預言の通りに人が死んでいくのは見たくなかった。
たとえ預言の内容に反しているとしても、目の前で自分の尊敬する人物が亡くなっていくのを黙って見過ごしたくはなかった。
何かやれることがあるなら、最善を尽くしたい。
そのために、まずはどうしてもアガスティアと直接話がしたかった。
しかし、カンタビレの声は冷たかった。
「本来なら、秘預言の内容を知ることは禁じられている。フィーネの件は少々特殊なケースだったが、今回は事前に秘預言の内容を知ってしまったことになる。それだけで罪に問われる可能性があることは承知しているか?」
そうだ。
秘預言は本来、カナデが知って良いような代物ではない。
だが、この際そんなことは些細なことだと思った。
アガスティアの命に関わることなのだ。
もしも自分が罰せられることになろうとも構わない。
カナデの決意は固かった。
「はい。承知しています。それでもわたしは、アガスティア様を助けたいです。」
「本気だな?」
念を押すようにカンタビレは言う。
「はい。」
負けじとカナデもカンタビレの眼を見据えて言い返した。
しかしカンタビレは答えない。
しばし、無言のまま時が過ぎる。
だが、カンタビレは不意に緊張を解き、頬を緩めた。
「いい覚悟だ。……あの詠師さんはまだダアトの教会に残ってる。あたしがそこまで連れて行ってやるよ。」
「本当ですか?!」
「ああ。ただし、ちょいと準備をしないとね。あと二日で騎士や神官たちの避難が終わる。だからあたしたちは三日後の朝、ダアトに向かおう。それでいいか?」
「は、はい!」
カナデはホッと胸をなで下ろした。
師団長と睨み合うなど、これまでの人生で一番冷や汗をかいた場面だったかもしれない。
「あの! その詠師さんに会いに行くのに、僕も同行させてもらえませんか!?」
不意に声を上げたのはヨシュアだった。
「フィーネちゃんの事故みたいなことがまた目の前で起ころうとしているのに、黙ってなんかいられません!」
ヨシュアの表情は真剣だ。
事実上、上官に直訴していることになるのだ。
彼にとっても覚悟の要る申し出であるに違いない。
「フフ……! アハハハ!」
だが、カンタビレはまともに取り合わず、何故か痛快そうに笑った。
カナデも、そしてヨシュアもカンタビレの言動に面食らう。
「いや、すまない。別にお前たちのことを馬鹿にしたわけじゃない。ただまぁ、案の定、面白いことになりそうだと改めて思ったのさ。」
「……?」
カンタビレの言っていることはさっぱり要領を得なかった。
しかし、当の本人はまったく意に介さず、愉快そうにしている。
「お前たちヒヨッコ班をこの場に同席させたのはな、まさに一緒に行くと言い出すんじゃないかと思ってたからなんだよ。」
「……え?」
「お前たちの同行も認めるということだ。お前たちもある意味、関係者だからな。」
「どういう意味です? 本当に僕たちがついて行ってもいいんですか?」
若干不安そうにヨシュアは食い下がる。
「ああ。いいと言ったろう?」
ヨシュアの納得の言っていない様子に対して、カンタビレはため息を吐くと、自嘲気味にこう付け足した。
「あたしは傍観者でいるつもりだったんだけどね……。鳥たちが運ぶ種がどんな花を咲かすのか、ちょっとばかり気になったんだよ……なんて言ってみたりしてな。まあ。気まぐれってやつさ。」
「はあ……。」
結局、何が言いたいのかカナデには良くわからなかった。
それはヨシュアも同じようだった。
しかしカンタビレはヨシュアへの回答はそこまでにして、今度はジェラードやサラに声をかけた。
「後ろの二人は? 異存はないか?」
「はい。俺も同行を希望します。」
「あたしも同じく。」
カンタビレの問いかけにジェラードとサラが迷いなく答える。
「よしわかった。さっき言った通り、出発は三日後だ。それまではあたしの権限で港に留まれるようにしておくよ。」
「ありがとうございます。」
カナデ、ヨシュア、ジェラード、サラ……四人で礼を言う。
「さて、あたしは諸々根回しをしに行くから、とりあえずさっきの管理施設に戻ってな。」
言いながら、カンタビレは波止場の方へと歩き始めた。
三日後。
アガスティアへ会いにダアトへ。
アガスティアの真意を問いたださなければ。
そして、もしもあの手紙が、あの預言が真実だったとしても、アガスティアは死なせない。
そう、カナデは決意した。
■第二十三話
ダアトへ続く道のりを一台の馬車が走る。
御者台にはジェラード。
後ろの客車内には、ヨシュア、カナデ、サラ、そしてカンタビレの姿があった。
四人が二人ずつ、向かい合う形で座っている。
御者台側にカナデとサラ。
反対側にはヨシュアとカンタビレが座している。
そして今、車内には隠しきれない緊張の空気が漂っている。
三日前にカンタビレが約束した通り、ヨシュアたちは、アガスティアのいるダアトの街へと向かっているのだ。
日の出とともにダアト港で待ち合わせたヨシュアたちは、カンタビレが用意してきた馬車に乗り込み、ダアトを目指して出発した。
その時、既にヨシュアたち以外に港に人はいなかった。
騎士や神官たち含め、すべてのダアトの人々が避難を終えているのだ。
港に留まるヨシュアたちの存在は、カンタビレの権限で秘匿とされた。
そうして、ヨシュアたちは港の管理施設でひっそりと三日間を過ごすことになったのだった。
カンタビレ自身も、どう誤魔化したのかわからないが、避難用の艦船への乗り込みをやり過ごしていた。
それどころか、自分たちの脱出用の船まで調達してきており、その船もまたダアト港にこっそりと停泊させていた。
結果、何事もなかったようにヨシュアたちはこうしてダアトに向かっているのである。
今もなお、馬車は進み続けている。
この三日の間に、地震が頻繁に起こるようになっていた。
噴火の予兆と思しきその揺れに、ヨシュアたちは預言の日が着実に近づいているのを実感していた。
ヨシュアは、目の前のカナデを見る。
その表情は硬い。
彼女にとって、先生にあたる人物が今、死の預言に直面しようとしている。
そして、彼女はその未来を変えようと覚悟を決めてここにいる。
その覚悟をヨシュアは尊重したいと思った。
アガスティアは、朝礼で何度か姿を見ているが、ヨシュアと直接、面識のある人物ではない。
だが、カナデにとって大切な人を、黙って死なせてしまうのはヨシュアも見過ごせなかった。
フィーネの死を経て、ヨシュアは自分の無知さを知った。
そして、自分が如何に受動的に日々を過ごしてきたのかを知った。
もう、そんな自分のままでいたくなかった。
アガスティアを、フィーネのように死なせたくない。
預言だからといって何もかも諦めてしまうのは、おかしい。
そのために、ヨシュアは行動を決意した。
だから、今ここにいる。
――僕にだって、できることがあるはずだ。
あるいは、そう信じたいだけなのかもしれない。
本来なら、ヨシュアはまったくの部外者だ。
だが、ヨシュアは決めたのだ。
カナデのために。
フィーネのために。
そして、自分自身のために。
他ならぬ自らの意志で……。
*
「これ、どうするんですか……?」
ダアトの正門前。
ヨシュアがカンタビレに問いかける。
夏の日差しが眩しく刺さる中、ヨシュアたちは立ち往生していた。
ダアトの門は、固く閉ざされていた。
重々しく巨大な扉。
その扉の開閉は内側から操作する仕組みとなっている。
そのため、正門から街の内部に入ることができない状態となっていた。
当然、街の周囲には外壁がぐるりと取り囲んでいる。
「これじゃ中に入れない……。」
心配そうなカナデの声。
しかし、カンタビレに特別困った様子はなかった。
それどころか唐突にこんなことを言い始めたのだった。
「お前たち。先に謝っておく。すまん。」
「は……?」
予想外の言葉にヨシュアたち全員が呆然となった。
この状況で何を謝るというのか。
まさか、街の中へ入ることを諦めるとでも言うのだろうか。
そうであれば、カンタビレに期待してここまでやってきた意味はなんだったのか。
だが、ヨシュアが次の言葉を発する前に、カンタビレが口を開いた。
「ちょっと“秘密の抜け道”を通ってくる。お前たちはここで待っていろ。」
――秘密の抜け道?
そんな都合の良いものがあるというのか。
そんな考えがよぎったが、ヨシュアはそのすぐ後に“秘密の抜け道”というフレーズに聞き覚えがあることに気付く。
「まさか……先月の……?」
そうだ。
ちょうど一ヶ月ほど前に起きた、モンスター騒動。
街の中にボーボーの群れが入り込んだ、あの事件。
そのきっかけとなったのは、子どもたちが街の内外へと移動していた抜け道の存在だった。
街の南西の外壁に空いていた穴。
大人ひとり分くらいなら出入りできそうな抜け道。
「そういうことだ。」
気付いたか、とでも言いたげなカンタビレ。
なるほど、あそこから街に入り込めば内部から門を開けられる。
門さえ開けば、馬車も外に放置せずに街の中に停めておくことができる。
「しかし、抜け道は封鎖してしまったのでは?」
期待するヨシュアに対し、ジェラードが冷静に質問した。
言われてみればそうだ。
確かにヨシュアたちはあの穴を内部から鉄性の資材を打ち付け、封鎖したのだ。
そして手続きが済めば正式に外壁は修繕されるという話だったはずだ。
「そんなことは承知している。あたし自身が指示したことを忘れるほど間抜けじゃないさ。 あの抜け道は、火山騒動で正式な修繕が行われないまま手つかずになっている。つまりお前たちが“応急処置”した状態のままってことだ。あの程度の鉄板など斬り壊せる。」
「え……?」
「だから先に謝っただろう? お前たちが苦労して封鎖した抜け道をぶっ壊すんだからね。」
あっけらかんとカンタビレは言う。
「そんなことできるんですか?」
「あたしは師団長だぞ? なめてもらっちゃ困るね」
「は、はあ……。」
なんだか強引だが、やはり頼もしい。
こんな状況だが、カンタビレはいつも通りの余裕さを醸し出している。
本人も言っている通り、さすが師団長である。
この人が手助けしてくれて本当に良かったとヨシュアは思う。
話を終えると、カンタビレは正門から外壁周りを西の方へと歩いて行った。
しばらくヨシュアたちが待っていると、やがて正門が重い金属音を鳴らしながら開き始めた。
「開いた……!」
ゆっくりと展開していく扉の内部から、カンタビレが現れる。
「待たせたな」と一言だけ言うと、カンタビレは馬車をダアト内に引き入れるよう指示した。
早速、ヨシュアたちはその指示に従って馬車を引きながら街の内部へと入り込んだ。
カンタビレは皆が街の中へ来たことを見てとると「行くぞ」と言って、大通りを教会の方へと歩き始めた。
それを追う形でヨシュア、カナデ、サラ、ジェラードが続く。
ダアトの街は今や人っ子一人いない。
街の住民たち。
出店で声をかける商人。
巡回する騎士。
ローレライ教団の神官。
教会へやって来た巡礼者たち。
普段なら街を往来しているはずの人々の姿は、ない。
風が鳴らす物寂しい物音以外に響くのは大通りを進むヨシュアたちの足音のみ。
大通りに立ち並ぶ家屋や商店は一様にして固く戸締りがなされている。
まるで街自体が死んでしまったかのような、悪夢のような風景。
先頭のカンタビレはそんなことは気にも留めずに進んでいく。
正門からのびる大通りは、教会の入り口へとまっすぐつながっている。
「アガスティア詠師は教会内にいるはずだ。」
歩きながら、カンタビレは言う。
「だが、教会内のどこにいるかまでは、あたしにもわからない。教会に入ってからは、勘を頼りに皆で探すしかないな。」
「……はい。」
その言葉に、ヨシュアの隣を歩くカナデが答えた。
相変わらず表情は硬いままだ。
いや、むしろ教会に近づいていくにつれて、ますます緊張の色を濃くしているように見える。
「……大丈夫。」
カナデの様子を案じてか、サラがそう口にした。
「え?」
緊張で顔を強張らせていたカナデが、突然話しかけられたことで、驚いたような声をあげた。
「あなたは勇気を出してここまで来た。だから、必ず詠師さんを助けましょ。」
ぶっきらぼうに言い切るサラ。
しかしあの夜、サラとカナデの話を聞いたヨシュアにとっては、今のサラの言葉は心からの気遣いなのだと感じた。
「サラ……うん、ありがとう。」
サラの気遣いを察したのだろう。
カナデは幾分か表情を和らげた。
ひょっとしたら、サラが同行した理由はカナデを見守るためなのではないかと、そんな風にヨシュアは思った。
そんなやりとりが終わるころ、ヨシュアたちはとうとう教会へと繋がる階段へとたどり着いた。
誰が言うでなく、皆その階段下で立ち止まる。
普段は、せいぜい上るのに疲れるという程度の感想しか抱かなかった長い階段。
だが、こうして辺りが静寂に包まれる中でこの階段を、そしてその上に聳えたつ教会を見ると、不気味な威圧感を感じる。
ゴクリ、と生唾を飲みこむ。
「さて、行くぞ。」
カンタビレが告げる。
この中に、アガスティアがいる。
もう間もなく、ヨシュアたちは預言の示す現実と対峙しなければならない。
しかし、恐れるわけにはいかない。
立ち向かうと決めたのだから。
そうして、ヨシュアたちは教会への階段を上り始めたのだった。
■第二十四話
「アガスティア様!」
教会内の大聖堂で、カナデの声が響く。
中央奥の檀上にはアガスティアの姿。
普段の自分とは思えないほど大きな声でカナデは叫んだ。
とうとう見つけたのだ。
カナデは一目散に檀上の方へと駆け出した。
そして、それを追うようにしてヨシュア、ジェラード、サラ、カンタビレが続く。
教会内に入ってから、カナデたちはアガスティアがいそうな場所を一つ一つ探していった。
アガスティアの私室や図書室を探し、その後、大聖堂を確認しようということになって、その扉を開けたのだった。
カナデたちの向かう先、檀上のさらに奥には巨大なステンドグラスが虹色の輝きを放っている。
そしてその輝きを逆光にしながら、アガスティアはカナデたちの方へと振り向いた。
そしてカナデの姿を見ると、驚き、そして狼狽えた。
「カナデ……? いったいどうして……?」
その反応は当然と言えた。
本来、カナデは避難船に乗っているはずなのだから。
「アガスティア様……。」
呼吸の乱れを整えながら、カナデはアガスティアの名を口にする。
しかし、アガスティアと会えたというのに、言葉が続かない。
どこから話すべきなのか……。
しばし考え、そしてまずは謝るべきことを告げた。
「アガスティア様、ごめんなさい。わたし……手紙を読んでしまいました。」
避難してから読むように言われた手紙を先走って読んでしまったのだから、それは謝罪したかった。
「……あの手紙を……どうして……。」
困ったような顔をしながら、アガスティアはカナデからカンタビレの方へと向ける。
「……君の差し金かな? カンタビレ君?」
困惑から疑惑の表情へと変え、カンタビレへとアガスティアは尋ねた。
「……あたしは、あなたの伝言を伝えただけだが?」
視線を向けられたカンタビレは、悪びれずにそう言った。
手紙の件でカンタビレに非はない。
カナデの独断だったのだから。
「アガスティア様、カンタビレさんは悪くありません。わたしが勝手に封を開けてしまったんです……。」
カンタビレに責任はないことはアガスティアには理解してもらいたかった。
アガスティアは、その初老の顔の皺を深くして「ううむ……」と唸った。
何故、カナデが教会にやってきたのか、事態をなんとなく把握したようだった。
そして観念したように、口を開いた。
「……それでは、私の預言のことを知ってしまったのだね?」
アガスティアの預言。
即ち、秘預言。
死の預言。
「……はい。」
カナデは答える。
「後ろの君たちも、そのことを聞いたのか?」
アガスティアはカナデの後ろに控えるヨシュアたちに問いかける。
「……はい。カナデさんとカンタビレ師団長から聞きました。」
サラとジェラードの分を代弁するように、ヨシュアが答えた。
その返答を聞くと、アガスティアは額に手を当て、困惑した様子でため息をもらした。
「アガスティア様、あの手紙の話は本当なのですか?」
カナデは問う。
アガスティアは視線を外し、答えない。
「アガスティア様が、フィーネちゃんのことを知っていたこと……、そして、アガスティア様の預言が、死の預言だったことも……。」
「……。」
重ねて尋ねる
アガスティアは答えない。
「アガスティア様! 本当のことを教えてください!」
「……。」
なおもアガスティア口を閉ざしたままだ。
「アガスティア様が死んでしまうなんて、わたしは絶対に嫌です……! まだまだ教えてもらいたいことがたくさんあるんです!」
カナデはなりふり構わず、アガスティアを詰り続けた。
自分の中にある感情が、知らぬうちに涙となって瞳から零れてきた。
かつてカナデがこれほどまでに必死になったことがあっただろうか。
しかし、それはまたカナデの説得が本気であることの証左であった。
アガスティアは皺の深い顔をさらに苦悩で歪めた。
カナデはアガスティアを正視し続ける。
ヨシュアたちも固唾を飲んでその様子を見守っている。
皆、アガスティアが何か言うのを期待しているのだ。
巨大な大聖堂の中で、沈黙が続く。
だが、とうとうその重い沈黙をアガスティアは破った。
「わかった。話そう。」
今なお、苦悩の表情を浮かべながらも、アガスティアはそう言った。
そして、こう語り始めたのだった。
「カナデ。あの手紙に嘘偽りはない。すべて本当のことだ。フィーネという少女のことを、私は知っていた。彼女に死の預言が詠まれていたこともな。カナデがフィーネと友達になったと聞いた時、私は君に本当のことを告げることができなかった。何故なら、私自身がその時すでに自分の死の預言を詠んでしまった後だったからだ……。」
「アガスティア様……。」
「私は悩んだよ。死の預言に関しては、口外はできない。しかし、カナデ。君は一人前の預言士になりたいと言った。君の性格からすると、とても勇気のいる宣言だっただろう。君のその真摯な姿勢に私はどう向き合うべきなのか考えた。そして私は君にひっそりと真実を伝えることにした。全てが終わった後、その真実を記した手紙を読んでくれることを願って。……たとえそれがとても残酷な内容だったとしてもね。まあ、どういった巡り合わせか、君は手紙を先に読んでしまったのだね……。」
アガスティアは沈痛な面持ちで語る。
手紙の内容に嘘偽りはない。
アガスティアは確かにそう言った。
「どうして……。」
どうして事前に真実を言ってくれなかったのか。
そう言いたくなったが、結局すべては言い切れなかった。
秘預言は秘匿とされるという決まりをアガスティアは守ったに過ぎない。
そして、何よりアガスティアはカナデのことを真剣に想い、そして悩んでこの行動をとったのだということは、今の彼の表情を見ればありありとわかった。
アガスティアなりの優しさの形が、こうだったのだ。
そのことを察してしまうが故に、もうカナデは言葉を紡ぐことができなかったのだ。
しかしその一方で、このまま引き下がるわけにはいかない、とも思っていた。
今の話で、アガスティアの死の預言のことも真実であるとことが明らかになった。
本当にアガスティアは、死の運命から逃れられないのか。
そして何より、何故、アガスティアは自身の死を受け入れているのか。
預言の日はあと三日後だ。
まだ時間は残っている。
このまま教会に留まらずに逃げ出せば、あるいはアガスティアの命は助かるのではないのだろうか。
「アガスティア様……。わたし、アガスティア様がいなくなってしまうなんて嫌です。今からでもわたしたちと一緒に避難しましょう! もしかしたら助かるかもしれないじゃないですか!」
「それは……できん。」
「どうしてですか!」
「できんのだよ。私はもう、ここで預言のままに殉じるしか道はないのだ……。」
諦観。
アガスティアは、その言葉をそのまま表したかのような、静かな、しかし決意を感じさせる様子で告げた。
「理由になってませんよ……。」
カナデは食い下がる。
ここで諦めたくはなかった。
しかし、カナデの詰問に、それまで黙っていたカンタビレが割り込んだ。
「ND2013。
返しの火の月。
終の日。
啓示の地にて、猛き業火の山が雄叫びをあげるだろう。
人々はその咆哮を恐れ、啓示の街から逃れるだろう。
業を解す者。
自らの為すべきところを悟り、己が力を以て人々に安寧をもたらすだろう。」
「……!?」
カンタビレが口にしたのは、預言だ。
これがアガスティアの預言なのだろうか。
アガスティアも突然語りだしたカンタビレを見て、眉を顰めた。
「これで合ってたかな、詠師さん?」
「……どういうつもりかね?」
「いや、あなたの大切な教え子さんは、納得できていないみたいだったんでね。せめて、どんな預言だったのか……教えてあげたらどうだい?」
「……。」
余計なことを、と目で訴えるアガスティア。
だがカンタビレは動じない。
相変わらず、どこか斜に構えたような、不敵な笑みを浮かべている。
アガスティアに対しても揺らがない。
本当に胆力のある人だと、カナデは思う。
カンタビレの助け舟に乗る形で、カナデもさらに問いかけた。
「アガスティア様。今のが、アガスティア様の詠んだ預言なのですか?」
「……ああ、そうだ。」
再び、重い溜息を吐くアガスティア。
「この預言は、一見すると単純にザレッホ火山の噴火を予見しているものに聞こえる。後半の『業を解す者』は私のことを指していて、私の預言で、ザレッホ火山噴火から人々は救われる、とな。」
「本当は……違うんですか……?」
「ああ……。預言で示された『自らの為すべきところ』というのは、私自身が火山噴火のきっかけをつくる、ということなのだ……。」
「どういう……ことですか?」
「つまり、私が火山を噴火させる張本人だと、預言は言っているのだ。」
「そんな……!」
「……都合よく、火山内部には爆破しなければならないモノもあったのでな……。」
ボソリ、とアガスティアは付け加える。
その『モノ』が何を指しているのかはカナデにはわからない。
しかしアガスティアの口ぶりからして、火山噴火を誘発する手段は既に考案済みであることが察せられる。
それでもやはり納得はできない。
何故アガスティアがその役目を負わなければならないのか……。
カナデの疑念を察したのか、アガスティアは不意に今までの話の文脈とはかけ離れた質問をした。
「……君たちはフランシス=ダアトという人物を知っているか?」
「……?」
不意打ちのような質問に皆、呆気にとられる。
「フランシス=ダアト……。」
もちろん知っている。
カナデは普段からダアトの歴史を学んでいる。
フランシス=ダアトはローレライ教団の創設者だ。
しかし、その一方で始祖ユリアの預言を私的に利用して成り上がったという裏切り者の一面も併せ持つ人物である。
「今回の預言の譜石には彼の名前が彫られていた。」
「それがいったい……?」
「私はね……元を辿ればダアトの子孫になるのだよ。」
「!?」
「カナデ。私と血の繋がりのある君もまたダアトの子孫ということになる。」
自分がフランシス=ダアトの子孫?
信じられない話だ。
そしてまた、フランシス=ダアトの子孫であることと今回の預言の関連性とは何だというのか。
いったいアガスティアは何が言いたいのか……。
「この預言が秘められた譜石にはフランシス=ダアトの名が刻まれていた。何故、譜石にダアトの名があったのか、そのことはわからないままだ。だがね、私はこう感じたよ。私はダアトに試されている、とね。」
嘆息しつつ、アガスティアは語る。
「試されている……?」
「ダアトは預言の的中率の高さを恐れるあまり、ユリアに謝罪して自害したと伝えられている。その彼が今回の預言を残したとすれば、なんとも皮肉だと思わないかね?」
「……どういう意味ですか?」
「先ほど君も言ったろう? 預言の日までに私がここから逃げ出せば、預言は成立しないかもしれない、と。」
「……?」
「私はモース様の命令でこの預言を詠みあげた。その時点で、ダアトの試練は始まっていたのだ。モース様は保守派の筆頭。つまり、預言通り火山が噴火して私が死ぬことを望んでいる。そして、そうなるように、改革派のイオン様たちが留守の間に事を進めた。……そしてモース様の思惑通りに事態は進み、世界中の人々は 預言通り火山は噴火するものだと認知してしまった……。」
「……!?」
カナデはようやくアガスティアの言うことを理解できたような気がした。
その理解が正解だとしたら、なんと残酷な試練だろう。
「そう。もし預言の日に私が火山噴火のきっかけを作らなければ……そして結果として火山が噴火しなかったならば、世界中の人々に預言が外れたと認知されてしまうのだ。」
「!!?」
カナデはわかってしまった。
何故、アガスティアが自身の死を受け入れているのか、その理由を。
「預言とは……ユリアが遺した未来の予言であり、今や人々に必要な道しるべである……。」
「……!?」
後ろに控えていたジェラードがやや動揺した様子でそう呟いた。
それは、ローレライ教団が一般的に預言を説明する際の文句である。
「今の時代、預言は当たって当然のものと思われている。それが大々的に外れたとなれば……世界中が大きく混乱するでしょうね……。」
ジェラードの意図を汲むようにして、今度はサラがその続きを口にした。
「その通り。今度の預言をもとに、今やマルクトとキムラスカ両国を巻き込んでの避難活動を行っている。それで『預言が外れた』となってはこれまでローレライ教団が築いてきた権威が崩れ去るばかりか、世界規模の混乱を招くことになってしまう。」
「……だから、アガスティア様は命を捧げるというのですか?」
「……そうだ。」
これがアガスティアの言う、ダアトの試練。
預言が的中するかしないかは、すべてアガスティアの双肩にかかっている。
そして、アガスティアは自分の身を犠牲にして預言を成就させようとしている。
『己が力を以て人々に安寧をもたらす』ために……。
「私は、ローレライ教団の詠師……いや預言士の一人としてこの預言を成就させなければならん。これもまた預言士の責任だ……。」
言い切るアガスティア。
預言士を目指す自分だからこそ、その言葉の重みが十二分にわかる。
それ故にカナデはもう……何も言えなくなっていた……。
*
ステンドグラスの虹色の輝きを背に、アガスティアはその胸中に秘めていた真実と覚悟を口にした。
その内容にヨシュアは、いや、その場にいた誰もが口を閉ざしてしまった。
カナデも今は俯いてしまっている。
アガスティアはそれ以上、何も語らなかった。
もうわかっただろう、と言っているかのようだった。
確かにアガスティアの言うことは正しいとヨシュアも思う。
フィーネが死んだあの夜。
たとえ預言に示された未来があったとしても、自分の意志のままに生きていきたいと、ヨシュアは思った。
ヨシュアはそういった生き方に希望を感じた。
今、目の前に立つアガスティアは、自ら死を選ぼうとしている。
預言に示された未来のままに。
だがそれは覚悟あってのものだった。
自らの意志で、預言の実現を果たそうとする未来を選択したのだ。
それもまた一つの立派な生き様だと感じてしまう自分がいる。
それでも違和感はあった。
しかし、その違和感が果たして正しいものなのか、そして、アガスティアの覚悟に相対する価値のあるものなのか、ヨシュアにはわからなかった。
言うべきか。
それとも、このまま引き下がるのか。
逡巡するヨシュアの脳裏にセレニアの花を眺めるフィーネの姿が浮かぶ。
そうだ。
もう後悔したくないと、そう思ったではないか。
今、食い下がらなかったら、一生後悔する。
そして……
「あ……あの……!」
勇気を出して口を開いた割には、か細く響く自分の声。
この期に及んでこの体たらくだ。
自分の臆病さに腹が立つ。
「君は?」
ヨシュアの小さな声にアガスティアが問い返す。
「僕は……神託の盾騎士団のヨシュア……です。」
「……ああ、君がヨシュア君か。カナデから話は聞いているよ。これからもカナデと仲良くしてやっておくれ。」
穏やかに微笑みながらアガスティアは言う。
その笑顔は、死を前にした人間とは思えない。
しかし、ヨシュアはアガスティアにそういった遺言めいたことを期待して話しかけたわけではないのだ。
「あの……! やっぱり僕はおかしいと思います!」
「……?」
ヨシュアの言葉にアガスティアは戸惑ったような様子を見せる。
ヨシュアは続けた。
「いくら預言に詠まれたからといって、いくら世界のためだからって、自分で自分を死なせる選択をするのは……おかしいですよ!」
今度こそ、声を張り上げる。
ヨシュアの精一杯の勇気。
しかし、アガスティアは困ったようにして言い返す。
「先ほど言っただろう? 預言を完遂させなければ世界中が大混乱に陥るのだ。私一人の命で世界中の混乱を避けられるのならば……安いものだ。」
「……カナデさんはどうなるんですか! アガスティアさんを助けたくて、ここまで来たんですよ?」
「そんなことはわかっている!」
「……!!」
「だがそれでも、私は預言を成し遂げねばならないのだ。」
「でも……!」
「わかってくれ。若い君にはまだわからないかもしれないが、これもまた立場ある者の責任なのだ……。」
「……。」
アガスティアの言葉に怯んだヨシュアだったが、そこでようやく先の違和感の正体に手が届いた気がした。
「……そんなの、身勝手ですよ! 今回の預言が成就するかは、アガスティアさんの判断にかかってるんですよね?」
「そうだ。だからわたしは……。」
アガスティアは続けようとしたが、それに構わずヨシュアは続ける。
「今の預言のお話で、僕は預言は絶対のものじゃないのだと感じました。だとすれば、たとえリスクがあっても『預言は絶対ではない』という真実を人々に知らせ、受け入れさせる方法を考える方が『立場ある者の責任』を果たすことになるんじゃないですか……?」
「……!?」
意表を衝かれたようにアガスティアが口ごもった。
「こうなる前に何かやり方があったんじゃないですか? 大詠師モースやフランシス=ダアトのことなんて気にしないで、『預言は絶対のものじゃない』という考えを、もっと周囲に理解してもらうことができたんじゃないですか?」
ヨシュアの感じた違和感。
それは、預言というものの不確かさだった。
これまで預言は必ず的中するものと一般的には認知されてきた。
話に聞く限りそうなることばかりなのだから、その認識は当然のものだといえる。
だが、今のアガスティアの話を聞いて、ヨシュアはそうではないのだと確信した。
預言は、絶対ではないのだ。
だとすれば、その預言の不確かさを人々に知らせることの方が、よほど勇気ある大人の決断だと思えたのだ。
「預言は絶対じゃない。もしかしたら、アガスティアさんが死んでしまっても火山は噴火しないかもしれない。逆にアガスティアさんが助かっても火山は噴火するかもしれない。きっと未来はまだ決まっていません。だから……カナデさんのためにも、僕たちと一緒にここから抜け出しませんか?」
「……。」
今度はアガスティアが沈黙した。
言いたいことは言った。
ヨシュアとしては、これでアガスティアが揺るがないのであれば、手詰まりだった。
静寂のまま、ジリジリと時間だけが過ぎる。
だがそこに場違いな笑い声をあげた者がいた。
「フフ……!」
笑い出したのはカンタビレだった。
「師団長……?」
カンタビレの奇行に、ヨシュアは戸惑う。
「何かおかしかったかな? カンタビレ君?」
黙っていたアガスティアも、憮然としてカンタビレに問う。
「いや、すまない。このヒヨッコが、意外と面白い指摘をしたのでね。」
笑いを堪えつつカンタビレは言う。
そしてようやく完全に笑いが収まったところで、改めてこう言った。
「今さらながら、あたしも意見させてもらうと、今回はこのヒヨッコたちの青臭い言い分に賛成だ。」
「……どういうことだね?」
驚きと不審が入り混じった様子でアガスティアは尋ねる。
「根拠はある。種明かしもする。」
「……?」
要領を得ない切り出し方だった。
「詠師さん、このヒヨッコたちこそ、生命を慈しむ者が種子を託した鳥たちなのさ。」
「……あの少女の預言の?」
「あなたも気づいていたんだろう?」
「いや、しかし何故、君がそう思うのだ? 君は預言士ではないだろう?」
アガスティアは明らかに動揺しているようだった。
ヨシュアにはカンタビレの話の内容が断片的すぎていまいちわからない。
かろうじてフィーネの預言のことを指していることはわかる。
そして、それに自分たちが関わっているらしい、ということも。
しかし、それ以上は意味不明のままだ。
「言ったろう? 種明かしはする、と。」
そう言うと、カンタビレはその左目を隠していた眼帯を取り外した。
「……?」
またも意図の読めないカンタビレの行動に皆、怪訝そうな顔をしている。
だが、カンタビレは眼帯で隠していた左目を開くと、その瞳を指さしながらこう言った。
「あたしのこの眼には、特殊なダアト式譜術が施されている。あたしは預言士ではないが、この眼のおかげで第七音素に含まれている情報を視覚的に捉えることができる。」
ダアト式譜術?
第七音素の情報を視覚的に捉える?
カンタビレは種明かしだと言っているが、ヨシュアとっては未知の言葉が増える一方だ。
「ダアト式譜術!? 何故、君にそんな……。」
アガスティアは、ダアト式譜術と呼ばれるものは理解しているようだ。
だが、その狼狽した様子を見るに、彼もヨシュアたち同様にカンタビレの眼の秘密は知らなかったようだ。
「今は亡き先代の導師、エベノス様が遺してくれた力さ。」
「エベノス様が……?」
「そう。あたしは戦災孤児でね。孤児院をたらい回しにされてるところを偶然エベノス様に拾われてダアトに来たんだ。だからあの人はあたしにとって恩人だった。あの人に恩返しをするつもりであたしは神託の盾騎士団に入ったんだよ。……ただまぁ、周囲から“導師のコネで入団した”なんて思われたくなかったから、とにかく腕を磨いて実力を示すことに必死になってたんだがね……。」
どこか懐かしむように話すカンタビレ。
彼女にしては珍しく饒舌に自らのことを語っている。
「あたしの腕が騎士団で認められるようになった頃、エベノス様は死んでしまった。だけど、自分の死期を悟ってたんだろうね。死ぬ前にあたしのこの眼に譜術を施した。この世界の行く末を見守ってほしい、って言ってな。」
「……。」
「それからあたしは、預言が詠まれる瞬間、つまり第七音素が流れる瞬間をこの眼で見れば、映像を眺めるようにして、その内容を垣間見れるようになったわけだ。」
「それでは、あのザレッホ火山の会議の時も、あの少女の預言を詠んだ時も、君はその内容を、その眼で見ていた、というのかね……?」
「ご名答。」
呆気にとられるアガスティアに対して、悪戯っぽくカンタビレは笑った。
「これもエベノス様との約束でね、普段は必要以上に預言の出来事に関わらないようにしていたんだが……。今回は気が変わった。なにせ、二つの預言がそれぞれ矛盾した未来を示していたんでね。そんなわけで、キーマンとなるこのヒヨッコどもを連れてきたわけだ。ま、正確に言うと、詠師さんの説得に向かおうとするヒヨッコたちを手助けしただけなんだが。」
カンタビレはちらっとヨシュアたちを見る。
「ちょ、ちょっと待ってください! 二つの矛盾した預言ってどういうことですか? それに僕たちがキーマンって……?」
予想外のカンタビレの話。
カンタビレは火山の預言も、フィーネの預言も、その内容を知っていたというのか。
そして、その二つの預言が矛盾している、とはいったいどういうことなのか。
「あたしがザレッホ火山の預言詠唱に立ち会った時、詠師さんが火山の内部にあった何らかの譜業装置を爆破して火山を誘爆させてる姿を見た。一方で、フィーネって子の事故の預言詠唱に立ち会った時は、少女の死を経て、その二の舞にはさせまいと、このヒヨッコたちが死地に赴く詠師さんを連れ戻す姿を見た。どうだ? 矛盾してるだろう?」
「あ……。」
確かに、カンタビレの言う通り、二つの預言は異なる未来を指し示している。
事前にヨシュアたちがアガスティアを連れ戻すことに成功していれば、アガスティアがザレッホ火山を噴火させる未来にはつながらない。
二つの預言は矛盾している。
そしてヨシュアにとって、フィーネの預言に自分たちのことが詠まれていたというのが、驚きだった。
――生命を慈しむ者、この先、虹の階を駆け上る。
――そして、虹の果てにて、彷徨える鳥たちと出会うだろう。
――その花弁、蕾のままなれど、鳥たちに種子を託すであろう。
自分たちがフィーネから種子を託された鳥たち。
それを知っていたから、カンタビレはカナデやヨシュアたちがアガスティアのもとへ向かうことを認めてくれていたのだ。
それならば初めからそう言ってくれればいいものを、と内心ヨシュアは思った。
しかし結果的にカンタビレのこの後押しで、アガスティアを死なせずに済む可能性が信憑性を帯びてきたともいえる。
「アガスティアさん!」
「アガスティア様!」
ヨシュアとカナデがアガスティアに答えを求める。
アガスティアは顔を伏せ、ヨシュアたちから視線を外した。
恐らく、この返答が最後となるだろう。
そんな予感がする。
ヨシュアたちを後押しするようにカンタビレが言う。
「どうだい、詠師さん? 今回の預言はあまりにも不確定だ。それならいっそ、ヒヨッコたちの覚悟に賭けてみてもいいんじゃないか?」
それでもアガスティアは即答しなかった。
しかしやがて、アガスティアは顔を伏せたまま「ふふ……」と笑い出した。
「なるほど。確かに私は大局を見ているつもりで、実は視野狭窄に陥っていたのかもわからんな……。」
アガスティアは自分に言い聞かせるように、そう言った。
「アガスティア様! それじゃあ!」
思わず顔を綻ばせてカナデが声をあげる。
「……ああ。君たちの説得に応じよう。最良の未来が訪れることを祈って、な。」
そう言うと、アガスティアは重荷から解き放たれたかのように、笑みを浮かべたのだった……。
*
その三日後。
預言の日。
カンタビレが用意していた脱出艇に乗って、ヨシュアたちはシェリダン港まで避難していた。
パダミア大陸の方角から地鳴りのような轟音が鳴り響き、空に向かって際限なく噴煙が立ち上っていくのが見えた。
ザレッホ火山は、預言通り噴火したのだ。
ただし、そのきっかけを作るはずだったアガスティアは今、カナデに寄り添われながら、そこにいた。
■エピローグ
ダアト港からダアトまで続く街道から枝分かれした小道をヨシュアは歩いていく。
その手には一輪の白い、美しい花が握られている。
しかし今、その花びらは閉じられたままだ。
夜に咲く習性の、特別な花なのだ。
ヨシュアにとっては、違った意味で特別な花でもある。
夏の日差しの中、小道の周囲には青々と草花が茂っている。
やがて道は緩やかな登り坂となる。
坂を登りきると、その先には野花が咲き乱れる、開けた場所へとつながっていた。
その中に、小ぶりな墓石が一つ。
三年前の今日、命を落とした少女の墓。
少女の名はフィーネといった。
ヨシュアにとって、忘れられない存在だった。
今日は彼女の命日だ。
「また来たよ。」
墓石の前まで歩み寄ると、ヨシュアは話しかけるようにそう言った。
もちろん、その声に答える者はいない。
代わりに熱気を和らげるように風が吹き、草花を揺らして音を鳴らした。
手にしていた白い花、セレニアを墓石の前へ供えると、しばらく何も言わずにヨシュアは手を合わした。
あのザレッホ火山の騒動後、しばらくは多忙な日々を余儀なくされた。
ザレッホ火山から流れ出た溶岩流は幸いにも海側に流れ、ダアトの街への被害はなかった。
しかし、噴きあがった火山灰はそうもいかず、パダミア大陸各地へ降り積もった。
そのため、神託の盾騎士団は火山灰の除去作業に奔走する羽目になったのだ。
世間的には、預言通り火山が噴火し、それをアガスティアが事前に対応したことで人的被害を出さずに済んだ、ということになっている。
真実を知っているのは、あのアガスティアの説得の場にいたヨシュアたちと、アガスティアに預言遂行を促した大詠師モースのみだ。
ちなみに口外しないことを条件に、ヨシュアたちはこの件についての罰は何も受けずに済んだ。
アガスティアやカンタビレの計らいだった。
結局、世界の人々の預言に対する認識は事件前後で特に変わっていない。
「時間をかけて、預言と向き合っていくしかない。」
避難を終えた後、アガスティアはヨシュアたちにそう答えたのだった。
そうしてヨシュアは、火山灰の除去作業が落ち着いた頃を見計らって、騎士を辞めた。
悩んだ末に決めたことだった。
騎士を辞めてからは、貿易商である父親の仕事を手伝い始めた。
最近では自分一人でも立ち回れるようになってきて、忙しいなりに充実した毎日を送っている。
ヨシュア以外の面々も、あれからそれぞれの道を歩んでいる。
あの預言で命を落とすはずだったアガスティアは事件後、詠師職を辞職した。
アガスティアが生還したのを知り、大詠師モースが驚愕と怒りでとにかく騒ぎ立てたらしい。事情を知らぬ他の幹部たちにはよく理解されなかったようだが、結局、アガスティアは辞職することになったのだそうだ。そうして自由の身となったアガスティアは、今ではダアトで隠居暮らしをしているのだという。
ただ、もともと人望のある人物だったために、今なお教えを請う人が後を絶たないらしく、そういった者たちの相談役になっているとのことだ。
本人もその役目を負うことに抵抗感はなく、むしろ積極的に相談に応じているらしい。
そのことをカナデから聞いたヨシュアは、それがアガスティアなりの責任の果たし方なのだと、理解したのだった。
カナデは今も預言士を目指している。
あの事件の後、しばらくは預言というものとどう向き合うべきか悩んでいたようだったが、それでも彼女は預言士になる道を選んだ。
普段はトリトハイムという詠師のもとで、神官としての勉強に励んでいるそうだ。
休日にはまめにアガスティアの家を訪ねて第七音譜術士としての教えを請うているらしい。
今では人の預言も詠むようになり、街の人々からも預言士として信頼されはじめているようだ。
ジェラードは初志貫徹を目指し、今も神託の盾騎士団で騎士を続けている。
聞いた話だと、カンタビレの直属の部隊に配属されたらしい。
サラはヨシュアと同様にしばらくは騎士を続けていたが、カナデが意欲的に預言士の勉強を始めたのを見届けると、サラもまた騎士団を去った。
彼女らしくあっさりと決断して退団していったが、ダアトを発つ日はヨシュアたち一人ひとりに挨拶に来ていた。
やはり根は律儀な性格のようだ。
また、カナデとは文通を続けているらしく、伝え聞くところだと、グランコクマで譜術の研究員を目指して勉強しているのだそうだ。
カンタビレは今も第六師団の師団長として健在だが、ジェラードの話だと、最近カンタビレに対する風当たりがあまりよくないらしい。
何でもアガスティア生還について一枚噛んでいたことをモースに知られ、左遷させられる可能性があるとか。
ジェラードとしては出世が遠のくことになるので、悩みの種といえよう。
良い意味でも悪い意味でも、あの師団長は自分の思う通りに行動していそうだ。
ダイゾウ・カトレア夫妻は現在も「アンダンテ」で花を売っている。
そしてヨシュアもあれからずっと付き合いを続けている。
実はヨシュアが貿易の仕事を父親に学んだのは、このあたりとつながりがあった。
ヨシュアは父親に助言をもらいながら、なんとかしてダアトの花屋にセレニアの花を流通できないかと苦心してきたのだ。
結論を言えば、その努力は見事に実ったのだった。
ダイゾウらに協力してもらい、以前ダイゾウにセレニアを譲ったという商人を探しだし、ダアトにもセレニアが流通できるよう取引を持ちかけたのだ。
今では「アンダンテ」をはじめ、ダアトの花屋でもセレニアを取り扱う店が増えてきている。
故に、フィーネの墓に添えたセレニアは、ある意味、ヨシュア自身の努力の成果とも言えた。
そのセレニアを眺めながら、しばらく墓石の前でしゃがみこんでいると、やがて、背後から人が近づいてくる気配を感じた。
振り返ってみると、そこには見慣れた少女の姿があった。
「ヨシュアさんも来てたんだね。」
栗色の髪を風になびかせながら、人のよさそうな笑顔を浮かべ、カナデがヨシュアへと声をかけた。
出会ってから三年経ち、敬語ではなくなったものの、相変わらずカナデはヨシュアのことをさん付けで呼ぶ。
よそよそしいから呼び捨てでいい、と言ってみたが、カナデ曰く「それは恥ずかしい」らしい。
結局、ヨシュアもつられてカナデのことはさん付けで呼んでいる。
「あ、セレニア……!」
墓石に添えられた花を見て、カナデが言った。
そして「わたしも持ってきたんだ」と言って、手にしていたセレニアをヨシュアに見せた。
その後、カナデはヨシュアと同じようにフィーネの墓石の前へセレニアを添えた。
しばらく、しゃがみこんで墓石の前で手を合わせる。
彼女もまた、フィーネに伝えたいことは沢山あるだろう。
そんなことを、ヨシュアは考えていた。
やがてカナデは立ち上がると、ヨシュアの方を見てふっと微笑んだ。
そして、添えられたセレニアを眺めると、こう切り出した。
「……カトレアさんに聞いたよ。ヨシュアさんのおかげで、ダアトでセレニアが買えるようになったんだって?」
「僕の……というか、ホント、皆のおかげだよ。色んな人に協力してもらったんだ。それに、そもそもあの日にフィーネちゃんやカナデさんと出会わなかったら、今の僕はいなかったわけだし……。」
そう言ってあの日のことを思い出す。
まだ騎士になり立ての頃。
あの頃の自分から、少しは成長できたのだろうか。
「ううん。それでもヨシュアさんは頑張ってると思う。わたしも頑張らないと。」
そう言うカナデは、出会ったころと比べるとかなり印象が変わったように思えた。
以前のようなテンパってすぐ慌ててしまうような様子はなく、落ち着きのある話し方をするようになった。
そのせいか、以前より頼もしく感じる。
カナデのような性格の女性に対して「頼もしい」というのもなんだか違和感のある言い方だが、彼女の中で自信がついてきたことの表れなのだろうとヨシュアは思う。
それはきっといいことだ。
カナデはヨシュアの視線に気づいてか「どうかした?」と尋ねてきたが、ヨシュアは「いや」と言って首を振った。
そして、ふとあることを思いついた。
「そうだ。カナデさん、僕の預言を詠んでくれないかな?」
「え? いいの……?」
「うん、将来の参考に、ね。」
ヨシュアの言葉にカナデは笑って応えると、詠唱を始める前に口上のようなものを述べ始めた。
「これから貴方に告げるのは、貴方の数ある未来のうちの、可能性の一つです。」
「え? どうしたの?」
突然の前振りにヨシュアは戸惑う。
「アガスティア様と相談してね、わたしが預言を詠む時は、必ずそう言うことに決めたの。その方がいいかな、と思って。」
なるほど、とヨシュアは納得した。
それが彼女の見つけた、預言との向き合い方の答えなのだろう。
「そうなんだ。それじゃ改めて、お願いします。」
「はい。」
そう言ってカナデは微笑むと、預言の詠唱を始めた。
これからカナデが告げるのは、数ある未来のうちの可能性の一つ。
ヨシュアの可能性の一つ。
預言という、未来を知る道しるべがあったとしても、それでもやはり未来は不確定だ。
自分が生まれた意味も、ヨシュアにはまだわからない。
それでも、生きていくのだ。
この世を去ったあの子のためにも、精一杯悩んで、自分のできることをやっていこう。
ヨシュアはそう誓った。
セレニアが――蕾のままでもなお美しさを伴うその姿が――風に揺れる。
やがて花開く時を、静かに待って……。
セレニアの誓い ~テイルズ オブ ジ アビス~