もがく

もがく

吾輩は痔である。恐らく僕の痔に名前はまだない。あえてつけるなら裂け痔である。この痔には浅いのか深いのかよくわからない理由がある。そして晴れて痔になった1年前の3/14、18時頃から、いまだに治っていない。


僕は去年の2月12日から原付西日本一周旅行をした。痔の原因は旅行である。以下詳細。

下りくだって(他も色々あった。お世話になった方ご迷惑おかけしました。ありがとうございました。)関門トンネル人道入り口から九州に入り、kの家に泊まり、摩羅観音を案内してくれたりした。そのころからすっきりしない天気が続く。晴れてくれ、と勢いで沖縄行きのフェリーに乗った。沖縄のほうが天気悪かった。時間もなく、仕方ないから本部から那覇までだらだら走った。那覇でだらだらしてフェリーでとんぼ返り。鹿児島で父の知り合いのrさんに迷惑になった。
九州一周が済んで確か長崎あたりからフェリーで松山。朝一の道後温泉気持ち良くて四国は何かいいことがありそうだった。しかし左周りはお遍路さんに逆走していた。
春の季節の変わり目で天気は二転三転した。室戸岬の近くの「夕陽ガ丘キャンプ場」で大雨に降られ強風に追いやられシャワー室の前のベンチでやむなく雨宿りをした。確か夕陽ガ丘の「ガ」の部分がやたら気になって別に夕陽丘か夕陽ヶ丘でいいんじゃないか、とか雨に降られているのはそのせいなんじゃないかとか、しょうもない事考えてた気がする。食い物がなくて腹が減って腹が減って待ちぼうけをいくら食らっても全く腹の足しにはならなかったのは一つの発見である。天気予報は逐一変わりイライラした。いつまで続くか分からない雨に、誰かが来るはずもなく、洗濯しても乾かないだろうし、心は随分雨漏りした。
2日が過ぎ、3/14の昼を随分過ぎたころ晴れた。やわらかな陽射しが雨の芝生に光って世界が随分美しく見えた、とか別にそこまで見る余裕は本当になく、ただひたすらに腹が減ったのでどっかでご飯を買い、どっかで食べた。
例えるなら川で滑って靴と服を濡らしたままみんなの輪の中一人でいる小学生の頃のキャンプみたいなそんな感じだった。ほとんど無意識に小さい缶タイプのアサヒスーパードライを買っていた。超乾け。室戸岬に行った。誰もいなかった。中岡慎太郎の像に挨拶をした。おびただしい数のウバメガシに感嘆した。変な模様の岩の上で海を見ながらお菓子を食べ、超乾けを飲んだ。晴れた。
なぜかとても幸せだった。幸せになった。幸せに満たされた。僕の旅行なんかどうせ折り返し地点をとっくに過ぎてる。行けるなあ これ。と思った。室戸岬と書いてある石碑をバックに原付の写真をやたらに撮った。そのまま出発。
こけたのはその2時間くらいあとだろう。下り道の曲がり道で砂利が道沿いにあった。急に横風が吹き滑って思いっきりこけた。幸い誰も傷つけなかった。
全てを背負うようにケツにキョーレツな痛みが走った。あー10㎝は裂けたわ、と思った。人がわらわら寄ってきた。もとい来てくれた。救急車もケツをピンポイントで痛めたフルフェイスのヘルメット野郎を乗せることは少ないんじゃなかろうか。どこに向かうのかもわからないまま、なぜかがんじがらめにされた。苦痛だった。お尻はとても痛くて、ズボンまで血がべったり付いた。
徳島の海部病院に入院した。悲しくなるくらいかわいい看護師が担当になった。名前はkさんと言った。

以上が僕の「裂け痔」の原因の詳細である。
僕はこのあたりから何かが変わった気がする。まあ変わってるのはもともとだけど。


失礼ながらお尻の穴が裂けた。
ひたすらに痛くて、つらかった。わずかに動くだけでも、まるでお尻が裂けるかのような激痛が走った。まあホントに裂けてんだけど。横になっても痛くてなるべく痛くない姿勢でじっと動かないようにした。海部病院に駐在しているお医者さんに外科の方はいなくて、3日に一遍来るだけなのでそれまで待っていてほしいとの旨を伝えられた。


この旅行において最も強烈な経験は、裂けた後のトイレである。


それはわざわざ現場検証を終え、原付を譲ることにした事故現場のすぐそばに住む消防関係の仕事をしているnさんの家でお手洗いをお借りさせていただいたときにやってきた。

気づかないうちに叫んでいた。そこのおばあちゃん曰くオオカミが遠吠えしているかのようであったという。末代まで語り継がれるであろう。
前代未聞の激痛であった。記憶はあまりない。トイレは血に染まり、か弱いお尻にはチッチキチーした親指ほどの血ぶくれが現れた。いぼ痔のトッピングは無料だったのだ。

その日の夕方ようやく外科の先生が来て手術をした。
痛みは和らいだように思えた。先生、ありがとうございました。
初老の先生は背が高く姿勢がよく凛々しく目がきれいでどこか飄々としていてかっこよかった。そんな先生は紙とボールペンで手書きで僕のお尻の穴の解説を徳島なまりでしてくれた。その自分で作った標本を眠そうに話す理科部の中学生のような雰囲気とそれを熱心に聞くズタボロの自分が、その今までにないごちゃまぜの状況がどうしようもなく面白く、可笑しく、必死に笑いを耐えた。窓からは陽が射して海の気配がした。なぜか泣いた。
そんな先生の名前は思い出せないのに看護師の名前はなぜか憶えている。珍しくいまだに僕が過去の他人の名前を憶えているのはそれだけ強烈だったからだろう。お尻を赤の他人に向け、凝視されることは恥も申し訳なさも色々飛び越えてもはや清々しくさえあった。
(結局僕がこの旅行で知ったのは紙パンツの快適さとその清々しさくらいであろう。)
祖父母とご飯を食べる約束があったのでそれに合わせ退院した。精神的にも余裕がなくなってしまっていたのでめんどくさくなって消防関係のお仕事をしているnさんに原付と(原付はまだ動いた)道具一式を譲った。最寄りの牟岐駅から後は公共交通機関で移動した。
帰った。あとは紹介状持ってって近くの病院をうろうろした。終わり。


僕は大人なただの変態なのか、それとも純粋で素直な少年なのか。
生まれつきは変態だが、育ちは正直だ、というよく分からない結論になった。別にそんな事はどうでもいい。


進む、とは何だろう

僕には小さい頃からどうしても変わらない埋まらなさがある。大勢の人といるとよくわかる。その輪郭がくっきりみえてしまうからやはり大勢の人といることは苦手だ。

その埋まらなさを隠すために必死にかっこつけたりしてみたりする。

例えば植え付けられた何かを根こそぎとることはバランスが崩れてしまって危険だし何より大変な作業だ。

進む、とは何だろう。

小さく積み重ねた些細なバランス感覚だろうか

慣れることで増えていく感情の空白だろうか

知ること 許すこと

進む、とは何だろうか

今以外の場所に行くことは進むことに近い気がする。
今を、無為にとりあえず壊す。それは個人の中でのみ容認されうることだ。
その未知を誰かや何かを背負いながらつかむ事を想像すると、あまりに僕には怖い。

進む、とは何だろうか

僕は何かの拍子に進んだ、と思えることを求めている。
埋まらなさが常に深くのぞき込んでくるから

ポケモンの進化はレベルが上がって起こる。強そうでかっこよくなる。新しい技が使えるようになる。
レベルはどこからか降ってきたものではなくて自分の中にあるもので出来上がる。ピカチュウは雷の石で進化が起こるけどそれはちょっとしたスイッチみたいなもので、やはり進化は自分の中から出来上がる。

進む、とは何だろうか
僕にとって進むとは簡単に何かをできるようになることだ。
何かをできるようになる事は知ることや許すことを材料の一部に果たされる気がする
例えば日本語をしゃべれる
例えば体調不良で休める

なぜ進むことについて気になるのか
それは生きるためだ。少なくともたった今生きている限り一個人の存在はすべてにおいて肯定されうる。だから人は汗をかいて涙を流して生きねばならぬ。
僕の埋まらなさがずっと寸分も狂わずに後ろにいて歩いても歩いてもついてくる。だから僕は少なくともたった今生きるために進むことについてづっと求めなければならない。

生きるために必要な進む方向は何だろう
体と心を元気にする方向は自分を生かすだろう。
毎日ご飯を食べることは自分を生かすだろう。
何かしらの方法で支配できる存在がいることは自分を生かすだろう。

搾取は往々にして自分を生かす。


僕は簡単に搾取をすることができるようになるだろうか。進むことができるだろうか。



埋まらなさの縁にはなぜか なぜか 例えるなら小さな花、が沢山咲いてる
簡単につぶされる、つぶされるが気づけばまた咲いている。そこから搾取される側の優しい眼差しが常に注がれている。かなしい。

そのまなざしが埋まらなさと一緒に僕を深く突き刺す

ポケモンの進化はレベルが上がって起こる。強そうでかっこよくなる。新しい技が使えるようになる。
レベルはどこからか降ってきたものではなくて自分の中にあるもので出来上がる。ピカチュウは雷の石で進化が起こるけどそれはちょっとしたスイッチみたいなもので、やはり進化は自分の中から出来上がる。

ポケモンの進化の2番目は不格好なのが多い。僕は無駄にまっすぐな羽の飛べないなんかだ。なんだろう。ピジョンか。鴨葱か。仮に進化しても飛べるようにはならないだろう。残念無念また来世。

僕が何であったとしても、少なくともたった今生きている。「少なくともたった今生きている限り一個人の存在はすべてにおいて肯定されうる。だから人は汗をかいて涙を流して生きねばならぬ。」だから拙い嘴であらゆるものを食い、自分が生きるための最低限の場所を確保するために土を踏もうともがくだろう。

かなしさに救いはあるだろうか それでも進むことはできないだろうか。



「以上が僕の『裂け痔』の原因の詳細である。
僕はこのあたりから何かが変わった気がする。まあ変わってるのはもともとだけど。」
「あれ」から僕の中にある痛さに対する快楽の扉が開きつつある。即ち変態への扉である。
(なんだか、もがいているうちに自分の首を絞めているように感じるのはなぜだろうか。)


裂け痔を正確には肛門裂創という。めんどくさい。


例えば互いの勘違いが傍観者から優しさに映ることがある。目玉は脳みそに付いてんだからそれぞれの感じる世界が違うのは当たり前である。例えば僕にとって死ぬことが生きている中で最大の快楽で幸せで極上のゲームならこれ以上の優しい関係性はないんじゃないか。
僕が世界によろこばれることがあるとすればその辺なんじゃないか。ナンジャナイカって国がどこかにありそうだ。

しかし誠に残念ながら僕は生きて、そしてその中で、死にそうな思いをしたり、心をきりきり痛めたりしたり、菓子パンを食べたり、本を読んだりするのが好きだから、そうはいかない。残念。
生きているという範囲の中で、このたのしいごっこ遊びのなかで勝手に傷つく、この心のあそび方を僕はやはり自分の中から見つけなければならない。


仮に僕が世界の定規と自分の定規を合わせたいと願うなら僕にとっての光は「こんな僕」の中にこそないか。


ドードーに弟子入りしようか。とも考えたけどドードーはまともなドードーであって、羽がまっすぐなドードーではない。羽がまっすぐなドードーは案外空を飛べたりするドードーだったりするからそのドードーは参考にすることぐらいしかできない。

羽のまっすぐなピジョットの影を探しているうちに下ばかりみるようになった。


みんな生きたいだけなんだから世界にそのままの自分の価値を問うたら全力で「消えろ」と言われるに決まっている。

言われないためだけに命をすり減らすことはなんだか本末転倒な気がする。
が、自分を突き通してまで死にたいとは思わない。

綺麗なバランス感覚を持っている人がうらやましい。が嫉妬はしない。とっくに諦めてるから。


結 で失礼ながらケツの話に戻る

とにもかくにもケツの穴から新たな扉が開かれたのだ。それは僕にとっての未知であり、全ての人にとって吐き気だろう。


肛門括約筋の働きが弱くなったのは希望になるだろうか。ならない

ただ少し屁が出やすくなっただけだ。
(だいたい実話)

2017/3

もがく

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  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 成人向け
  • 強い暴力的表現
  • 強い性的表現
  • 強い反社会的表現
  • 強い言語・思想的表現
更新日
登録日
2017-03-09

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