葬-消された日-
■プロローグ■
――4月7日。
一本の通りに、千本の桜が咲き誇る時期。今年もまた、新1年生を迎える日がやってきた。
彼の通う学校――〇〇〇高等学校は、関東南部にある普通科高校。男女の比率はほぼ等しく、学力も全国で言うと真ん中くらいにあたる、どこにでもあるようなごく普通の学校だった。
特別力を入れている部活動もなければ、「あの有名人の出身校」なんて話もない。地元で知られている程度の……言ってしまえば、知名度の低い学校だ。
そんな高校の入学式。今年も百人を超える新1年生が顔を揃えていた。男女共々緊張した面立ちで、一人一人体育館の入り口から一礼して入場する。
それをただボォーと眺めていた2年生・新崎 葵は、小さな溜息を吐いた。それは1年生に対してではなく、彼の横でベタベタと体を寄せ「ねーね、今年も1年生いっぱいだねー」と、紅く塗られた厚い唇を動かしていた女子生徒に対してだった。
「可愛い子がいても浮気しちゃダメだよ?」
「浮気って……そもそも俺達、付き合ってないだろ」
「もーー冷たいなぁ!この間ワタシにキスしてくれたじゃーん!」
ぷくぅと頬を膨らませる彼女に、彼は「違うだろ、あれは――」とワケありの言葉を言いかけるが、それを遮るように前と隣、そして後ろの席に座っていた男女が「え、マジで?」と、彼の方を振り返る。
「本当だよー!葵君がね、ワタシの頬にキスしてくれたんだー」
語尾にハートマークが付きそうな浮かれた口調に、振り返った男女が「なんだ、頬かよ」と、残念そうに肩を落とした。
「おいおい~見並とまだ頬止まりなのかよ~本当チキンだな、新崎は」
そう言ってケラケラと笑う男子生徒。
「だから違うんだって。俺と彼女は別に付き合ってるワケじゃ――」
反論を口にしようとした葵の目は、そこである者に留まった。茶々を入れる男子生徒にでもなく、相変わらずベタベタと体を寄せているこの女子生徒――見並にでもない……新1年生の、一人の小柄な少女にだった。
けして一目惚れとかそういうやつではなく、ただ、得体の知れない何かに引き寄せられていくように……葵の視線は、その入場してきた少女を追っていく。そして
ガタン。
自分の席についた数秒後、その少女はパイプイスと共に床へ倒れた。
この日の出来事により、学校では彼女の様々な噂が流れるようになった。
『入学式早々に倒れた病弱の1年生』として……そして葵にとってはそれが、その少女――冬木 未由との出会いのきっかけとなっていく。
■第一話■
冬木 未由。けして目立つような、派手な生徒ではなかった。黒髪かつ小柄で、スカートの丈を短くしている女子生徒が多い中、彼女は膝までしっかり下ろしていた。いかにも真面目そうな、そして大人しそうな女子生徒だった。
しかし、あの日――入学式の件で、彼女は学校内で目立つ存在となっていた。
「今日も保健室で冬木 未由見たぜ」
「なんか重たい病持ちみたいだよー」
「ちょっと可哀想だね……」
そんな噂が、どこからか流れ始めていた。
冬木 未由本人が話したワケでもない、誰かが流した噂。人間には、根拠のないコトをあたかも事実の様に話すタイプがいる。今回冬木 未由の噂を広げた人間も、きっとその類なのだろう。
頬杖を付きボーとしていた新崎 葵は、隣で冬木 未由の噂で盛り上がっていた女子グループの会話に耳を傾けていた。
――自分の知らないところで勝手に話のネタにされて……本人はかなり迷惑してるだろうな…
そんな事を考えていると、あっという間に十分間の休憩が終わり、授業開始のチャイムが鳴る。
確か次は現文の授業……と、現文の教科書を取り出そうとしたが、今日はクラスの役員を決める時間に割り当てられていた事を思い出し、葵は教科書を再度机の奥に引っ込めた。
………
「ではまずはやりたい人は挙手をーいなければ最終的にジャンケンで決めてもらうからなー……それじゃまずは学級委員長と副委員長。やりたい人ー」
案の定、自分から進んで手を挙げる者はいなかった。
面倒だし、自信ないしと、そんな空気が教室内に流れる。それを察した先生は「いないか。それじゃ委員長と副委員長は後回しにして……次は」と、ささっと話を進める。
――保健委員だ。
これはこれでまた、面倒臭い役員だ。毎年行われる歯科検診、視力検査、身体測定はもちろん、クラスの誰かが不調を訴えれば、保健室まで連れて行かなければならない。それ以外にも、毎朝生徒の出席を取って、欠席がいないか確認を取るのも、保健委員の仕事としてこの学校では決定付けられていた。
意外にもやる事が多い保健委員。これもまた、自ら進んで手を挙げる者はいなかった。
「うーん……さっきも言ったけど、どっちみち最終的にはジャンケンになるんだからなー後から文句は言うなよー」
――そして俺は、見事ジャンケンに負けて保健委員になった。
***
あれから数日後のお昼。
保健委員となった新崎 葵は、一人の女子生徒を連れて保健室に向かっていた。
「それでねーワタシねー」
授業中、気分が悪いと席を立った女子生徒――見並。1時間だけ保健室で休みたいと言い出し、先生の許可を貰って彼女を保健室に連れて行くコトになったのだが……
「……思っていたより元気そうなんだけど、本当に具合悪いのか?」
「えへへ、そんなの嘘に決まってるじゃーん」
「は……?」
「葵君と二人きりになれるチャンスを作ったんだよー!」
――どうやら仮病だったらしい。
「学校で二人きりになれる機会なんて、そうそうないんだもん……いっつも周りにうるさい男子達がいるし」
「だからたまには、ね」と、腕に手を入れる見並に葵は小さな溜息をついた。
2年に上がればクラスも別かれて少しは落ち着くだろうと思っていたのだが……この有り様だ。2年でもまた同じクラス。最近は隙があれば始終くっつきぱなしだった。
「あ、そうそう……葵君と付き合い始めて明日で2ヶ月になるんだよー?ねねっ、どこか遊びに行かない?」
「いやだから。いつ俺はアンタの彼氏になったんだよ」
もちろん、告白した覚えなんてないし、逆に彼女から告白をされたとして、OKを出した覚えもない。
「ねーねー葵くん……皆ワタシ達に注目してるよ……」
葵の言葉を見事スルーし、嬉しそうにそう呟いた見並は、葵の腕に手を通し顔を擦り付けてきた。
授業中の教室の前。見並の言葉に、複数の視線がチラチラと自分の方に向けられているコトに気付く。
「リア充め……人前でイチャつきやがって……」という妬みを含んだ視線と、単純にこの場にそぐわないとして不快感を交えた視線。それでもお構い無しに見並は体を離さない。寧ろ周りからの視線が集まれば集まるほど、彼女の行為はハードルを上げていった。
「葵君、ハグしてハグー」
「は……!?な、なんで今……」
「だってぇ今ハグしたくなっちゃったんだもーん」
「………」
葵は小さな溜息をつくと、見並の手を掴んで早足に廊下を歩く。
「あっ葵君……!」
――兎に角、さっさと保健室に連れて行こう。
葵が手を取ったその行動が、見並自身にまた根拠のない期待とトキメキを与えているとは知りもせず……葵は急いで保健室を目指した。
***
――ガラガラガラ……
『入室時はノックを忘れずに!』と、書かれていた貼り紙に目もくれず、ノックをしないままそのままドアを開ける。
一秒でも早く見並を預けたかった葵は、早速いるであろう保健室の先生に声を掛けようとしたのだが……
「……いない、のか」
どうやら今は席を外しているようだった。
しかし、すぐに戻って来るだろう。今朝学校をお休みするという連絡はなかったし、生徒の緊急時の事を考えると、保健室の先生が長時間教室を空ける事はしないだろう。
そう思った葵は、取り合えずベッドが空いているか確認する為、奥を覗く。
……どうやら他にも具合が悪く、休みに来ている生徒が一人いるようだ。微かに閉められたカーテンの隙間から、誰かの靴が見えた。
「……ベッドは1つ空いているようだから、見並は奥のベッドで休んでて。先生には俺から伝えておく」
「えー!もう行っちゃうのー?」
「俺は授業があるんだ。いいか?ここでは大人しく――」
「やだーやだー!葵君が傍にいてくれないとヤだー!」
「しーっ!」と、葵は慌てて見並の口を抑え、人差し指を立てる。
「ここは保健室だぞ……少しは静かにしろって……」
「だったらキスして?」
見並は厚い唇を小さく動かし、艶やかな声でそう呟いた。
グイと身体を前に寄せ、前かがみになる見並。第二ボタンまで無防備に開けられたシャツに、そこから覗く綺麗な谷間。
年頃の男である彼の喉を、ゴクリと鳴らす。
「あ……あのな……」
「葵君がキスしてくれるまで、ワタシずっと駄々こねるよ?」
「いい加減にしろよ、そんなの出来るワケ……」
「この間はしてくれたじゃん。なんであの時は出来て今は出来ないの?」
「あれは……」
――アンタが仕掛けてきたんだろ。
そう言い掛けると、見並は「やだーやだーしてくれないとやだー!」と、再び駄々をこね始めた。
あぁ。
本当に
本当に面倒臭い。
「………んっ」
午後の保健室に、甘いキス音が小さく響いた。
「………これで良いか?」
唇を離し、ポカンと口を開ける見並に、呆れ混じりの言葉を掛ける。
キスしてほしいと言い出したのは彼女だ。それなのに、面を食らったかのように顔を赤くして目を丸くしていた。
「……それじゃ、後は大人しく休んでいるんだぞ。他の人に迷惑かけるな?……いいな」
そう言って放心状態の見並をそのままにして、彼は保健室を出た。
………
……………
はあ………………
「また、流されてしまった………」
保健室のドアを背に、そのまま腰を落とす葵。
そのまま蹲ると、今度は後悔の交えた深い溜息をついた。
新崎 葵。
彼は兎に角周りに流されやすい、自分を犠牲にしてしまうタイプだった。
***
その日の放課後。
1時間どころか下校時間まで保健室で休んでいた見並を迎えに、葵は彼女の友人2人連れて、保健室へ来ていた。
「葵君迎えに来てくれたの!?めっちゃ嬉しいー!」と言って、葵に飛び付く彼女を、さっさと保健室から友人の協力を得て追い出した。
本来の静けさを取り戻した保健室。見並があまりにも煩くて今まで気付かなかったが、微かにオルゴールの音が流れていた。
――心地よい音色だ……
思わず聞き入っていると、閉められていたカーテンがザーッと開けらる。
「あ……ごめん。煩かった?」
黒髪に小柄な少女。
ずっとココで休んでいたのだろうか。肩まで伸びた黒髪が、バサバサに乱れていた。
「……いえ」
それは、何処かで見覚えのある容姿……
「愉快な人でしたね」
「んーまぁ……愉快な人と言うより、色々と困った人と言うか……」
「綺麗な彼女さんじゃないですか。お似合いのカップルだと思いますけど」
「いや、別に付き合ってるとかそういった関係じゃないんだよ」
乱れた黒髪を後ろで簡単に束ねると、少女は少し驚いた表現でコチラに振り返る。
「キスしてたのに?」
その少女は、今学校で話題となっていたあの冬木 未由だった。
■第二話■
冬木 未由。それは思っていた通りの人物だった。
顔は無表情に近く、淡々とした口調で喋る。声も控えめで、見並の様にキャピキャピもしていない。
目も笑っていなければ、口元も笑っていない。
少し落ちた瞼から覗くグレーの瞳は、全てを見透かしているような……そんな深い瞳をしていた。
こんなコト言ったら失礼かもしれないが、色んな噂が立つに相応しい、謎に包まれた少女という雰囲気を漂わせていた。
しかし、一つだけイメージしていたのとは違っていた部分があった。それは
「俺だって、したくてしたワケじゃない」
「ええ、お昼の会話からそう察しましたよ。キミはただ、彼女から良いようにされているって」
意外によく、喋る子だったというコト。
「それならハッキリと言えばいいじゃないですか。貴女に興味はありませんって」
「言ったよ。それでも諦めてくれなかった」
「そうなんですか。それじゃ……実は俺、女の子より男の方が好きなんだ!ってカミングアウトするとか」
「………前にそれも言った……」
「い、言ったんですか。それでも怯まないとは……彼女はかなりの変じ……厄介な方ですね」
そう言って「うーん」と、考える素振りを見せる冬木 未由。
学年どころか、顔を合わせるコトも話すコトもたった今が初めてだと言うのに、初めましての相手の相談(?)を何故か聞いてくれている。彼女には、お節介な一面があるのだろうか。
「そこまで言っても尚諦めがつかないという事は、例えキミが地球を侵略する宇宙人であったとしても、周りがドン引きする様な性癖を持っていたとしても……それでも彼女は引き下がらないでしょうね」
「……もし俺が吸血鬼だったとして、お前の血を全部吸ってやるって言ったとしても……?」
「なんだかそれ卑猥ですね。むしろ喜ぶと思いますよ、彼女」
一見無垢そうな冬木 未由の口から出た『卑猥』という単語に、葵は一瞬驚き、その後深いため息を溢した。
――結局はアレか。何がどうとあれ、このままいくしかないのか、と……
「でもキミは、自分の身を犠牲にする必要はありませんよ。キスしてって言われたからキスをするのは、相手の思うつぼです」
「そんなコト分かってる」
「それじゃどうして彼女の言いなりになっているんですか。キミはかなり損をしています」
「それは……」
「好きでもない子とキスをして、嬉しかったですか?」
その言葉が、深く心に突き刺さる。
「まぁ、相手はめちゃくちゃ喜んでいましたけどね。キミが保健室から出て行った後、悲鳴の様な歓声を上げていましたから。思わず耳を塞いじゃいましたよ」
「………」
――……そんなコトくらい、俺にも分かっている。
冬木 未由の言葉が棘を放ち、見事に痛いところを突いてくる。
そして、そんな彼女の表情はほぼ無に近いのに……口調は淡々としているのに……彼女が発する言葉にはどこか、心に強く訴え掛けてくるような、不思議な力が込められている……ような気がした。
不思議……葵はここでふと、彼女に立てられた噂の事を思い出す。
彼女は勝手に広められた噂を、どう思っているのだろうか?
なんだかんだで、冬木 未由という少女にこれっぽちも興味がなかったワケではない。そりゃ毎日の様に色んな噂を耳にすれば、誰だって多少興味を持つだろう。
しかし、自分とは無縁の関係だと思っていた。クラスが違うどころか学年も違う。他学年の教室に行く機会なんてそうそうないし、もし行ったとしても冬木 未由と直接関わる機会なんてなかったハズだ。
しかし、今葵の目の前にはその冬木 未由がいる。当の本人は少し瞼の下がったグレーの瞳で、ジッと葵を見詰めていた。
「あの……聞いてますか?」
眉間に皺を寄せて、首を傾げる冬木 未由。
「あ……ごめん、ちょっと考え事を……」
「ビックリしましたよ。いきなり無言で見詰められるもんだから、まさかあたしに運命でも感じたのかと思っちゃいました」
……冗談で言っているのだろうが、いたって彼女は真顔だった。
それが何だかおかしくて、思わずブッと吹き出した。
「何だそれ。俺はそんなに軽い男じゃないよ」
「んじゃもう彼女とはキスはしないでくださいね」
キッパリと早い口調で、とどめを刺される葵。思わず「ゔっ……」と、変な声が出てしまった。
「……では、あたしはそろそろ帰ります。キミももう用がないなら、帰った方が良いですよ」
「あ……あぁ、そうだな」
いつの間にか背負っていたスクールカバンを葵に向けて、ササッと保健室を出ようとドアに手を伸ばす冬木 未由。
そして彼女は背中を向けたまま、
「では、自分を大事にしてくださいね。でなければ以後、キミの事を『女たらしマン』と呼びますから」
そう嫌味を吐き捨てて、保健室を出て行った。
***
ある日曜日の夕方。葵は同じ学校に通う友人から、少し時期の早い肝試しに誘われ近所の神社に来ていた。
葵を含めた男子3人に、女子3人。近所のコンビニからの帰り道で出くわした友人に捕まり、なぜか強制的に連れて来られたのだ。
「ここは自殺の名所らしいぜ」
「えー!こわーい!」とわざとらしい悲鳴をあげる女子。そんな彼女らの格好はと言うと、丈の短いスカートに高いサンダルを履き、化粧までバッチリ決めていた。肝試しというよりも、まるで合コンにでも行くような感じだった。
「まあまあ、何かあったら俺達がいるからな。大丈夫さっ。なぁ!お前ら!」
「おーう!俺らに任せておけ!な、新崎」
「俺に話を振るな」
――それにしても……
この神社に、心霊的な噂が立つ様な不気味さは感じられなかった。そもそもここは、夏祭りや伝統ある儀式で結構人が賑わう場所でもある。
そんな場所が自殺の名所と噂されるのは、どうも妙な気もするのだが……
カサカサカサ……
「!!」
背後の茂みが大きく揺れ、タイミングがタイミングなだけに全員の視線がそっちに向いた。
「ヒイ……!」
「え、なになになに?」
さっきまでの男子達の雄々しさはこの時点で消えてなくなり、一人は情けない小さな悲鳴をあげ、もう一人は尻もちをついていた。
「……今、何かいなかった……?もしかして本当に……」
「……はっ!ゆ、幽霊なんて本当にいるわけないだろ」
一人の男子が声を震わせながら、幽霊の存在を否定する。
その時。そんな彼らに追い打ちをかけるように、『それ』はとどめをさす。
「……オマエタチを呪ってやるうううううううう!!」
「きゃあああああああああー!でたあああああああー!」
「うわあああああああああっ!逃げろおおおおおおー!」
皆が一斉に悲鳴を上げ、バラバラの方向に走り散ってしまった。
そして一人――置いて行かれた葵はと言うと、別の意味で驚き、その場にキョトンと立ち尽くしていた。
「あれ、そこまで驚かせるつもりはなかったんですが……」
それは、茂みから突然現れたのが幽霊とかそんな悍ましいモノではなく、まさかの一人の少女――
「………そこで何をしてるんだ?」
「どうも。また会いましたね」
冬木 未由だったからだ。
頭や制服についた葉っぱを手で払いながら、冬木 未由は「ちょっとこの辺に用があって」と、何事もなかったかのように話しを続ける。
「丁度神社に入っていく女たらしマン達を見掛けたので、少し気になって後を追ってきたんです」
「女たらしって……」
「すみません。キミの名前をまだ聞いていなかったもので、そう呼ぶしかなかったんです」
「他にマシなのがあるだろ。一応俺、先輩なんだけど……」
「確かにそうですね……失礼しました。では女たらしマン”先輩”で」
「いや、そうじゃなくて……」
「では女たらしマン”さん”で」
「……もうそれで良いよ」
溜息をついて頭を搔く葵に、冬木 未由はムッと口を尖らせた。
「またそうやって自分をないがしろにするんですね。ココは諦めずに攻めなくてはいけないところですよ。じゃないとキミの呼び名が、本当に『女たらしマン』になっちゃいます」
「……それじゃ今すぐその呼び方やめてくれないか?俺の名前、新崎 葵だから」
「新崎さん……新崎君ですか、わかりました」
――君?
思わずツッコミを入れたくなった葵だが、それよりも先に前を歩いて行った冬木 未由が「あ」と再度口を開き、コチラに振り返った。
「あたしは1年の冬木 未由です」
「知ってるよ」
「え、あたし前に自己紹介しましたっけ?」
「いやだって………」
「だって?」
無垢な表情で、冬木 未由は葵の顔を覗き込んで首を傾げる。
―――……あれ。もしかして彼女は、自分が学校で噂されているコトを知らないのか?
「いや、前に保健室の先生がそう呼んでいたのをたまたま聞いて……」
「あーなるほど」
それで納得してしまった冬木 未由。
あれだけ学校で広まっている噂を、全く耳にしていないというワケではないはずだ。少なくとも、自分があの日倒れたコトで周りから注目を浴びているコトは知っているだろう。
「それで新崎君は友達を連れて何しにここへ?」
「季節外れの肝試しだよ。この辺りは自殺の名所でよく出るとかなんとかで」
「……へぇ、新崎君ってそういうノリに乗っかちゃうタイプなんですね」
「俺は断ったよ。でもどうしてもって皆が煩かったから」
「本当に流されやすいですね、新崎君は」
「……自分でも分かってるよ」
葵はふと、この間の見並から迫られたキスの件を思い出す。
彼女が自分に本気で好意を抱いている事は知っている。だからこそ、あの時ちゃんと拒まなければいけなかった。
しかし、最終的には相手に流されてしまう。今回だってそうだった。本当は肝試しなんてしたくなかった。怖いとかではなく、ただ単にこういうのに関わるとロクな事がないからだ。良い事なんてない。
でも結局は、こうして葵も同行する形となってしまった。
我ながら呆れるしかない葵は、ここでもまた小さな溜息をつく。
「でも良かったです」
「?何が?」
「いえ」
冬木 未由はそれだけ言い残すと、また先に歩き出した。
「………」
――それにしても、こうして見ると普通の女子高生なんだよな……
葵は後姿の冬木 未由を見詰めたまま、そう心の中で呟く。
『重たい病持ち』という噂もされていたが、とてもそんな風には感じられない。酷い貧血、とかだろうか。
そんな事を頭の中で考えていると、冬木 未由がまた葵の方に振り返る。
「ではあたしはここで……この先の神社に用があるので」
そう言って指さす先には、赤い鳥居が立っていた。
紙垂が風で靡くその鳥居の向こうには、上へと続く長い階段があった。その階段を上った先に、この辺では有名な神社があるのだ。
昔夏祭りで家族と来た事を思い出し、葵は少し懐かしさに浸る。
「ここで迷子になるのは……まあ、小さなお子さんと後は方向音痴さんだけなので、はぐれた友達とはすぐに会えると思います」
「皆が方向音痴じゃない事を祈って探してみるよ」
「では頑張ってくださいね」
「あぁ、ありがとう」
その時、ニコッと小さく微笑んだ冬木 未由に、葵は思わず面を食らった顔になる。
彼女も笑うコトがあるんだな……失礼かもしれないが、葵はそう関心してしまった。
階段を上っていく冬木 未由の背中を暫く見送ったあと、一人になった葵は、シンと静まり返った空気に少し心細さを感じながらも、皆を探しに戻ろうと振り返る。
チリン――
「ん……?」
足元で小さな鈴の音が鳴り、葵は下に視線を落とした。
――御守りだ。
しかもそれには『冬木』と、刺繍がされていた……これは間違いなく、冬木 未由の物だろう。
「おーい!これアンタの御守りじゃないかー?」
再び冬木 未由の方に振り返って声を掛けると、彼女はハッとなり数秒の間、自分のニットやスカートのポケットの中を探り始める。
案の定、ポケットから無くなっていたのだろう。冬木 未由は「あっ!」と、慌てて階段を降りる。
「大切な物をうっかり落としちゃってました……ありがとうございます」
その時だった。
その御守りを冬木 未由に手渡そうとした時――二人の手と手が触れた瞬間、それは起きた。
「―――ッ!!」
一瞬何が起きたのか、分からなかった
強い風が辺りに吹き上がったのと同時に、これまでに体験のしたコトのないような……言葉じゃ上手く言い表せられない程の不思議な力が身体に入ってくる感覚に襲われた。
あまりの衝撃に、言葉も何も出ない。
数秒の間硬直し、葵はハッと我に返ると慌てて御守りを冬木 未由に押し付けるような形で手渡した。
ここでもまた、数秒の沈黙。
一瞬自分だけが感じた『ただの勘違い』だったと思ったが、明らかに動揺している様子の冬木 未由を見て、葵は今のが『ただの勘違い』ではなかったコトを察した。
きっと彼女も、今の不思議な感覚に襲われたのだろう。
何か言葉を掛けようと口を開こうとするが、何故だか口籠ってしまう。
風で揺れる草木の音だけが聞こえ、再び二人の間に沈黙が流れる。
「……それじゃ、また」
ようやく口が動いた。
しかしどうしてか、今の感覚に触れようとするものの、実際口から出た言葉は、他愛のない別れの挨拶だった。
「はい……また」
冬木 未由もそれだけ返すと、それ以上何も言わずそのまま階段を再び上り始める。
この時鳥居にさげられていた紙垂が、風によって大きく揺れていた。
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