サーカス旅団の話(タイトル未定)
◆0章◇ プロローグ
灰色の雲が快晴を覆い、いつの間にか空からは、大粒の雨が降り始めていた。
買い物を楽しんでいた客の姿も、町中を走り回る子供の姿も今はなく、屋根の下で身を潜めていた。
――洗濯物大丈夫かしら……?
――マジ最悪~びしょびしょなんだけど~
――ぶへっくしょん!!
と、誰かが心配そうに呟き、誰かが愚痴を溢し、誰かが盛大にくしゃみをする。
そんな中、一人の少女は無言で灰色の空を仰いでいた……いや。正確に言えば、少女は力なく座ったまま、ただ茫然と上を向いていた。
「………」
今にも止まりそうな、か細い息。肩を小さく揺らし、少女は全身大粒の雨を浴びた状態で、レンガの壁にもたれかかっていた。
白く整った顔には、複数の傷痕。薔薇色の長い髪はバサバサに乱れ、本当は綺麗であろう桜色の瞳は、右目が酷く損傷しており、光を失くし濁りを交えた目をしていた。
生きているのか死んでいるのか、一見分からない状態の少女。まるで糸の切れた操り人形だった。
そんな少女を気にしながらチラチラと視線を送る者もいたが、手を差し伸べる勇士は見られない。
「またか……」
一人の通行人が、そう呟いた。少女に哀れむ視線を送ると、すぐにササッと何処かへ行ってしまう。
「………」
誰も助けてくれない。
皆同じ。哀れむコトしかできない、実際に手を差し伸べてくれる人なんていない……特にここ、ヴォワゲートはそういう町なのだ。
近年、増え続けている『奴隷』が、ヴォワゲートでは問題視されていた。町を歩けば物乞いをしている子供の姿。ナイフや銃を持ち歩いて、強盗をしている子供の姿が少なからず見受けられる。
最低最悪な、多くの奴隷商人達が身を潜めているとも言われている町。それが、ヴォワゲートだ。
だから、誰も助けようとはしない。奴隷とされた子供達を、大人達は見て見ぬフリをする。その奴隷を通して、奴隷商人との関わりを一切持ちたくないから。うちの子供にまで手を出されるのがイヤだから……理由は様々だが、中には『汚らわしいから』という理由で、避ける者もいた。
「………」
このまま衰弱し死に逝く未来に、少女は乾いた目から一粒の涙を溢した……怖い。死ぬのが、恐ろしかった。
一粒の涙が頬を伝い、そのまま少女の膝の上に落ちる……ハズだった。
誰かの手が、ソッとそれを受け止めた。
今までピクリとも動かなかった少女が、小さく顔を動かす。
霞む視線の先には、黒っぽい髪に……ハッキリとは見えなかったが、コートの様な物を羽織った一人の男が目の前で膝をつき、コチラを見詰めていた。
――おいおい、何してるんだ?あの兄ちゃん。
周りから零れる、不満の声。
今まで少女の前を素通りしていた通行人達が、一度足を止めて物珍しいそうな目で、コチラに視線を向けていた。
――あんなの放っておけば良いのに……
――どこの他所もんだ?
――もしかしてあいつが、奴隷商人とか言うヤツじゃねぇ……?
「……ッ!!」
奴隷商人。
通行人のその言葉に、少女の顔色が一気に青ざめたのが分かった。
「ぁっ……あぁ……!うぅッあ……いやッいやあ……!!」
突然と暴れだした少女。イヤイヤと足掻いた少女の手が、男の右頬を切る。
「っ……大丈夫だ、オレは味方だ。アンタの敵じゃない」
男はそう言って少女の手を取ると、少女は身体を震え上がらせるとしゃくりあげた。
「大丈夫……もう大丈夫だ……」
慰撫な優しい声。その言葉を何度も繰り返し、男は少女に言い聞かせる。
ガクガクと震えていた少女の手を握ると、暫くして少女はポロポロと涙を溢し始めた。
「………辛かったな」
「うぅ……!ひっく………うぅッ……!」
少女はその後も、泣き続けた。
そして、少女が泣き止むまで手を握り続けた一人の男。
周りの目など気にせず、暫く二人はその場に留まり続けた――
◆01章◇
ザァー……
雨が相変わらず降り続いている翌朝。
今日も雨かと憂鬱そうに空を見上げるヴォワゲートの住人達の前を、幌馬車の列が通り抜ける。
筆記体で『HOPE』と書かれていたその幌馬車に「なんだなんだ?」と、雨で家に籠っていたヴォワゲートの住人達が顔を出した。
「この町で何かやるのかい?」
列の先頭を歩いていた幌馬車の御者台に座る、一人のポニーテールの女性に、ヴォワゲートの住人が声を掛ける。
「はいー明日の夜に南の噴水公園の方でショーを行う予定でございますー」
「へぇ……それは初耳だなぁ、そんなのやるのかい」
「はいー!我々は何の前触れもなくサッと現れ、サッと去っていくオモシロオカシキ旅団でございますからー」
語尾に音符マークが付きそうな陽気な口調で、女性は「どうぞ皆様ー明日は見に来てくださいねー!」と、住人達に歓迎の声を上げて懐に入れていたビラをバラまいた。
「……あっ!母さんサーカスだって!うわー見に行きたーい!」
「あら、何だか面白そうね。私も行ってみようかしら」
バラまかれたビラを見た住人達から、そんなワクワクとした声がチラチラと聞こえてくる中、しかし訝し気に「胡散臭い……」と、呟く者もいた。
「オモシロオカシキ旅団……?何だそれ……」
「こんな町にサーカス旅団が来るなんて、変な話だぜ……」
「どうせアレだろ?女子供を集めて、誘拐しようとしてる奴隷商人か何かじゃないのか……?」
ピクッ。
列の先頭を行く幌馬車の中に座る――腕を組んでいた一人の男の眉間がピクリと動いた。
「おいアンナ!余計な事はしなくて良いって言っただろ!」
ドンッと乗っている四輪箱の壁を蹴ると、その向こう側で馬を引いている――アンナと呼ばれたポニーテールの女性は「えーだってー」と、唇を尖らせた。
「何かやるのかい?って聞かれたから答えただけですよー!……ていうかカイ副団長、その頬の傷どうしたんですかー?」
「………昨日自分で引っ掻いたんだよ。てか、話を逸らすな。ビラを配るのはショーの当日の朝って、前から言ってるだろ」
黒髪の男――カイからそう睨まれると「はいはい、すみませんでしたー」と、反省しているのかしていないのか分からない生返事で、アンナはプイと前方に視線を戻す。
「こいつ……」
「まぁまぁ。やってしまった事は仕方ないでしょ。とは言っても、今回は流石にちょっとやらかしちゃった感はあるけどねぇ……」
と、カイの隣に座っていた白茶色の髪の男が、コチラを何処か不安そうに見詰めている住人をカーテン越しに覗きながら、苦笑交じりにそう口にした。
「……このバカ女のせいで、ヴォワゲートの住人に不信感を持たれるのは色々と厄介だな」
「そうねぇ、この辺にも商人は隠れ住んでいるだろうし……もしかしたらウチ等の正体に一早く気付いて、早速逃げ出す準備を始めてるかも」
白茶髪の男の言葉に、その隣で一層眉間に皺を寄せるカイ。
ガタンガタンと揺れる幌馬車。
二人はお互い似たアホ毛をユラユラと揺らしながら、それぞれ違う溜息を吐いた。
お互い色と長さは違えど、癖毛のある髪に、同じエメラルドグリーンの瞳、そして男にしては目立つ特徴的な下まつ毛。
似ていると言えば似ている、そんな男二人が……特にカイが険しい顔付きでカーテンの隙間から住人を見る。
そして腕を組んだまま「うーん」と唸るカイに、白茶髪の男が「どうする?カイ」と首を傾げた。
「……作戦変更だ。明日に予定していた各場所の見張りを今夜から行う」
「りょーかい。それで、明日のショーの準備はどうする?」
「見張り役に当てられていない他のメンバーに任せる」
カイのその言葉に、馬を歩かせていたアンナが再び後ろを振り返った。
「えー!そんな少人数で明日の準備をするんですかー!?やー副団長は鬼ですねー……」
「お前のせいだろっ!!」
ドンッ!と、カイはアンナ側の壁にもう一発蹴りを入れる……が、先程よりも強く蹴ったせいで結構な反動に蹲るカイ。
「ぅ………ッ」
「自業自得だねカイ。少しは反省しなさい」
プルプルと体を震わせるカイを横に、白茶髪の男が足を組んで微かに怒気を含んだ低めの声でそう言った。
「あーあ、カイ副団長またルイさんに怒られてやんのー!」というアンナからの煽りに対して、「うるせぇ……!」と、痛みに耐えるカイの言葉が返って来る。
「あははーそれにしてもルイさんって、お母さんみたいですよねー」
「それ、子供の頃からよく言われてる。カイがあまりにも子供っぽいせいで、ウチが世話焼いてばっかいるからねぇ」
「仲の良い兄弟なんですねー……っと、どうしますかー?この先二手に道が分かれてますけどー」
歩く馬に一旦止まる様にと指示を出したアンナは、カイと白茶髪の男――ルイに、そう問い掛ける。
「うーん、距離的にはどっちを行っても対して変わらないと思うけど……」
「……昨日今日の雨で地盤が大分緩んでいるはずだ。右側は確か崖になっている箇所があるから、安全を取って左の道を行け」
「だってさ。左でお願いね」
「了解ー!」
ポニーテールを揺らし、アンナは馬に合図を送るとカイに言われた通り左の道に曲がった。それに続いて、後ろから付いて来ていた幌馬車も左へと合図を送る。
後方がちゃんと付いて来ているコトを御者台から確認したアンナは「そう言えばー」と、再度口を開いた。
「あの子はどうするんですかー?」
「あの子?」
「昨日連れてきた子ですよーほら、ピンク色の髪の子ー」
アンナの言葉に、「あー……」と頭を搔くカイの隣で「ピンク色の髪の子?」と、ルイが首を傾げる。
「カイ。また可愛い女の子を連れ込んだの?」
「誤解を招く言い方はやめろ……恐らくこの辺りで買われた奴隷だろう。かなりの損傷を受けていた」
「本当に酷い状態でしたよねー……私、あの子を買った人が許せません」
いつもなら語尾を伸ばすアンナも、今は真剣な面立ちでそう呟いた。
「………」
てっきり「そうだな」と、同意する声がすぐに返って来ると思っていたが……カイは腕を組んだまま口を閉ざし、一瞬の沈黙の後、代わりに「……まぁ、そうね」とルイが返す。
異様に重たい空気。アンナは「?」を頭に浮かべて首を傾げると、「あ、そろそろ着きそうですよー!」と、見えて来た目的地に声を上げた。
***
先程ヴォワゲートの住人にも伝えた場所、町の南側にある噴水公園。
しかし近年治安が悪くなって来ているせいか、あまり使われなくなったのだろう。ブランコや滑り台と言った遊具には蜘蛛の巣が張られており、公園自体には何処となく暗い雰囲気が漂っていた。
馬を公園前で止めさせると、カイは乗っていた幌馬車から降りて、後方から来る他の幌馬車に向かって手を叩いた。
「出入りの邪魔にならない様に、幌馬車を公園前に止めておくように!そして明日に予定していた各場所の見張りは、今夜から行う事にした。それ以外のメンバーはココに残って明日のショーの準備をしておくように、以上!」
「えぇ!?そんな~!」
「きっとアレだろ、さっきアンナの姉ちゃんがやらかしたから……」
「あーアレか……」
不満の声を上げながら、渋々と各御者台や中から降りてきた他の団員達に「へへ、皆ごめんねー」と、舌をペロッと出して申し訳なさそうにするアンナ。
「……それじゃ早速だが、見張り役を頼まれている奴はすぐに各場所へ向かってもらう。念の為に自分の担当する場所の確認をしたい奴は、ルイが地図を持っているからルイに確認を」
「はーい」
「あいよ」
カイの命令にそれぞれが軽い返事をすると、ササッと今来た道を戻って町へ向かう者、確認のためルイの元に行く者で丁度半々で分かれた。
その様子を黙って見ていたカイは、フッとある幌馬車の方に視線を移した。
「………」
丁度その時だった。
何かを気に掛ける様に、ジーとその幌馬車を見ていたカイの元に、一人の女性団員が駆け付ける。
「副団長」
「?どうしたリサ」
「例の子が先程目を覚ましました」
*記憶と声
「例の子が先程目を覚ましました」
その言葉を聞いて、カイはその『例の子』が眠っていた幌馬車に移動する。
――酷く怯えているのではないだろうか?
昨日彼女と初めて会った時の事を思い出し、カイはリサと呼ばれた女性団員と幌馬車の中に駆け寄った。
「――大丈夫か?」
「………」
カイの登場に、一瞬きょとんとする少女……右目はガーゼで隠れていたが、右目は大きく見開いていた。
少し落ち着きを取り戻せているのだろうか。特に怯えている様子もなければ、暴れ出すコトもなく大人しく座っている少女を見て、カイは小さく胸を撫で下ろした。
「痛い所は?ないか?」
普段の乱暴な口調を抑え、そう問い掛けるカイに、少女はスッと左手を自分の喉に添えると口をパクパクさせる。
一瞬何かと首を傾げるカイとリサだったが、それの意味を理解した時、胸がチクリと痛んだ。
「……声が、出ないのか?」
カイの言葉に、コクリと頷く少女。
シンとこの場に重たい沈黙が流れる。
……声を失う程の、辛い思いをして来たのだろうか?
言葉に詰まっている二人に、少女は何かを伝えようと手振りを見せた。
「……?なんだ?」
「あ、ちょっと待ってて……はい。コレに伝えたい事を書いて」
リサから渡されたメモ用紙と羽根ペン。
それを手に取ると、少女は早速ササッと文字を書き出した。
「……あなたたちは、だれ、ですか?」
少女の文字を先に読み上げたリサは「あぁー私はリサ。サーカス旅団の一員よ」と先に自分の自己紹介を済ませると「んで、コチラが私達サーカス旅団の副団長。カイ副団長」と、隣で険しそうにしていたカイに視線を向けた。
「ほら副団長。そんな険しい顔していると、この子に怖がられちゃいますよ」
「悪かったな……元々こういう顔だ」
クスクス……
声は出ていなかったけど、肩を小さく震わせて少女は笑った。
今のやり取りが可笑しかったのだろうか。
一瞬呆気に取られた二人だったが、リサも少女につられて思わず吹き出すと、カイは少し戸惑いつつも心の何処かで安堵の息をついた。
――取り合えず良かった。
最初は酷く混乱して、また暴れ出すんじゃないかと思っていたが……どうやらその心配はなさそうだ。
「……それじゃリサ。暫くは彼女の面倒を見ていてほしい」
「分かりました。んじゃ取りあえず……髪を綺麗にしなくちゃね。折角綺麗な髪をしているんだもの。後で私が解いてあげる……あ、そうだ。まずは貴方の名前を教えてくれる?」
リサの問いに、少女は早速ササッとメモ用紙に文字を書き出した。
そして少女はそれを、ニコニコとしながらカイとリサの二人に見せる。リサは「なになに?」と、微笑みながら身を乗り出すが、しかしそこに書かれていたのは、その少女のニコッとした笑顔から予想もつかない、衝撃的な一言だった。
「………わからない……?」
コクンと頷く少女。
まさかとカイとリサの二人は互いに顔を見合わせ、ゴクリと息を呑んだ。
そしてまた何か文字を書き出した少女は、それを二人に見せる。
「……じぶんがだれなのかも………」
わたしは、なにものだったんだろう? と――
***
記憶と、声を失った少女。
どれ程のショックが、少女を蝕んでいったのだろう。
今も残る、痛々しい傷痕。包帯やガーゼで最低限の処置は行われていたが、それでもその数の多さから、酷い状態だったというコトが分かる。
それでも少女は笑っていた。
初めて会った時は、あんなに怯えていたのに……
そしてカイは、ある事に気が付いた。少女が記憶と声を失ったのは、恐らく自分と出会った後であるという事に。
何かに酷く怯え、必死に近寄るカイに抵抗を示した少女。そしてあの時、声も出していた。
それが今ではどちらも失っている……まさか、自分が少女にショックを与えてしまったのだろうか。
と、そんな事を眉間に皺を寄せながら考えていると、カイの元にルイがやって来た。
「カイ、全部のテント張り終わったみたいよ。後は各道具の準備と……あ、ジョセリンちゃん達のブラッシングもしておかなくちゃ!あれ、そう言えばエサって後少ししか残っていなかったよね?そろそろ買ってこなきゃ……ヴォワゲートに聖獣用のエサって売ってると思う?」
「オレに聞くな。聖獣は意外と何でも食べるから、市販で売られている野菜や果物でも別に良いんじゃないか」
「うーんそうねぇ……後でお店に寄ってみようか。あ、ところでカイ。昨日また隠れてつまみ食いしてたでしょ?いくら育ち盛りだからと言って、遅い時間からバンバン食べてたら体に良くないわよ」
「その分動いてるんだから別に良いだろ」
「だからって夜中から冷凍保存していたお肉を食べるのはどうかと思うんだけど」
「……うるさいな、お腹が空くんだよ」
「うふふ、お二人さん今宜しいでしょうか?」
兄弟……と言うよりも、まるで親子の様な会話を繰り広げていた二人に、クスクスと笑いながらリサが間に入って来た。
「どうした」
「あの子に新しい衣装を着させてあげたんです。これがまた可愛らしくて」
そう言ってリサの背後からスッと出て来た少女。
バサバサに乱れていた長髪が綺麗に整えられ、白いガーゼをしていた右目には、ハート模様の付いた黒い眼帯が、そして頭にはウェディングハットサテンを被っていた。
衣服も黒とピンクでまとめられたコートに、中からは大人し目のドレスを着こなしていた。
あまりの変わりように、思わずポカンと口を開けるカイに、そしてルイが目を輝かせて「んまあっ!!」と、オネエの様な叫び声を上げる。
「まぁまぁまぁまぁ!凄く似合ってるじゃない!」
「私も驚きましたよ。まさかこんなにも似合うなんて……顔の傷が癒え次第、今度は色んなメイクも試してみようか」
リサの言葉に、嬉しそうに首を縦に振る少女。
「………」
本当に、人が変わったみたいだ。
今の少女はとても無邪気で、純粋に今を楽しんでいる様にも感じた。
少女の過去がどれだけ悲惨なモノだったのか、少なくともココにいるカイ達を含めて、他の団員達は知らない……それを全て失くしてしまっている現状は、少女にとって救いとなっているのだろう。
この状態がこの先ずっと続けば……しかし、一時的に記憶を失っているだけで、いつかは記憶を取り戻す日が来るかもしれない。そうなったら……少女はまた、あの時の様にずっと何かに怯え続ける毎日を送らなければいけなくなるのだろうか。
「副団長、どうですか?」
リサの言葉に、少女はその場でクルリと一回りすると、カイに向かって小さく会釈をして微笑んだ。
そんなキラキラとした真っ直ぐな少女の微笑みに、カイは思わず自分の顔がカァァと赤くなるのを感じ、慌ててそっぽを向く。
「あっは~ん……カイったら照れちゃってぇ……」
「良かったわね。貴方、副団長から気に入れられたみたいよ」
「お前ら……覚えておけよ」
静かにキレるカイに対し、しかしルイとリサは謝る所か楽しそうに笑うと、それにつられて少女も一緒に笑った。
***
「さて……それじゃウチはそろそろ行って来ようかな」
どこか名残惜しそうにそう呟いたルイに、「あ、もうそんな時間なんですね」と、リサがテントから外を覗き、空が暗くなってきていたコトを確認した。
「どこに行くの?」と首を傾げる少女に「ちょっとお仕事にねぇ」と言って、ルイは少女の頭を優しく撫でる。
「そうだカイ。誰かもう一人連れて行きたいんだけどさ、誰を連れって行ったら良い?」
「アンナを連れて行け。あいつ今暇しているみたいだったから」
「りょーかい」
「それじゃ一仕事して来るわぁ。後はよろしくねぇ」と言って、一旦アンナを探しにテントを出ようとするルイに、リサは「行ってらっしゃい」と声を掛ける。そこで少女も慌ててメモ用紙を取り出すと、文字を書き始めた。
「るいさん、いってらっしゃい……だそうですよ」
「うーーーん!ありがとうお嬢さん。それじゃ行って来るよ」
ニコッと笑って手を振る少女の愛らしい姿に、ルイは堪らんと言わんばかりに表情を綻ばせ踵を返した。
「……それじゃ、オレも少し行って来る」
「どこに行かれるんですか?」
「ちょっと町の下見に。明日行う宣伝場所を一先ず見ておこうかと」
「なるほど」
「ヴォワゲートの住人に色々変な誤解を持たれただろうから、一人でも多くの緊張を解いて明日へのショーに興味を集められる様、少し派手目の宣伝パフォーマンスをしようと思ってな。出来れば少し広めの場所を確保しておきたいんだよ」
そう言うと「……今日の誰かさんの失態のおかげでな」と、最後にボヤッと付け足したカイに「あ、あぁ……」とリサは苦笑いする。
「でもそれは良い案かもしれませんね」
ここでクイクイと少女に袖を引っ張られ振り返ると、少女が「ぱふぉーまんすするの?」と書かれたメモ用紙を二人に向けていた。
「えぇ、そうよ。実はねカイ副団長はうちの団のピエロでもあるのよ。とても凄いんだから」
「本当!?」と言う声が今にも聞こえて来そうな程に、少女は目を輝かせてカイの方を見る。
「……何が凄いのか分からないが、一応オレの担当は道化芸だからな」
「何が凄いのか分からないが」という前振りに、しかしカイは何処か誇らし気な表情をしていた。
それが何だかおかしくて、リサは思わず「うふふ」と小さく笑う。
「……それじゃ、オレは行くから」
「はい、行ってらっしゃい」
メモ用紙を捲り、慌てて「かいふくだんちょういってらっしゃい」と書いて見せる少女。
それに対してカイは何かを思う表情だけを一瞬見せると、そのまま何も言わず踵を返しテントを出た。
「………」
そんな彼を見て、少女はまた何かをメモ用紙に書き出した。
「ん?……かいふくだんちょうは、ぜんぜんわらわないひとなの?………そうね、私が知る限りは滅多に笑わない人ね。でもピエロとして前に出た時は凄いのよ?お客さん達の前では常に笑顔で、場を楽しませてくれるの」
相当意外だったのだろう。少女は大きく目を見開き、精一杯の驚きの感情を表した。そしてその後に、メモ用紙にこう書き出した。
「わたしも、かいふくだんちょうのえがおみてみたい……うふふ、明日のショーできっと見られるわ。楽しみね」
嬉しそうに、少女は力強く頷いた。
***
その日の夜。
そろそろ9時を回ろうとしていた頃に、テントに戻って来ていたルイは、ジョセリン――大きさは一般の馬とほぼ同じくらいの、角の生えた狼の様な容姿をした聖獣のブラッシングをしていた。
そんなルイの元に、男団員から一つの報告が入って来た。
「ルイさん。数名の商人達が逃走の準備を整えているようです」
「やっぱりねぇ。念を持ってさっきの内で下準備をして来た甲斐があったわ」
気持ち良さそうにブラッシングを受けていたジョセリンに「はい、これでおしまい」と声を掛けた後「それじゃ早速救助活動を開始しましょうか」と、置いてあった時計に視線を移した。
「でも時間が時間だから銃は使えない、かぁ……って事で体術の得意な団員にお願いしましょう」
「それではわたしと、今町の方で待機しているジョージさん達にお願いしましょうか?」
「そうね。あと、ウチも行くわ」
そう言って立ち上がるルイ。
「あれ、ルイさんって体術得意でしたっけ?」
「ふっふっ……まぁねぇ。ウチにはこの相棒が!」
そう言って、胸を張って取り出したのは二本のナイフ。
「何か細工でもしてあるんですか?」
「いいえ?ごく普通の何処にでもあるナイフよ」
「……大丈夫なんですか?それ」
怪訝な顔する男団員に、ルイは不満そうに唇を尖らせる。
「あーケント。もしかしてウチの実力を疑ってるの?こう見えてもナイフさばきは中々なものなんだからねぇ」
片手でクルクルと回したナイフを見事にキャッチすると「まぁ、直に分かるよ」と、ルイは不敵な笑みを溢した。
◆02章◇
『HOPE』と筆記体で記された幌馬車に乗って現れる、名無きサーカス旅団。
彼らは各町や村を周り、住人達に無料でショーを披露し、楽しませている集団だ。
しかしそれは、表での顔。彼等には、もう一つの裏の顔があった。それは――
「ジョージさん、例の男三人が西の方向に逃げ出しました。捕える準備をお願いします」
奴隷商人や様々な悪人を捕まえて、子供達を救出する救済者だった。
一軒の建物の裏で身を潜めていたケントが、手に持っていた通信機を前に話し掛けと、ジージーとノイズの混じる通信機から『了解』と野太い声が返って来た。ケントはそれを合図に飛び出し、周りを見渡して大きく手を振る。
「おっ、ケントから合図が出たぞ。俺達も行こう」
「オッケーイ!」
それぞれ木や建物の裏側に隠れていた二人の男女が、腰を低めて走り出した。
逃げて行く三人の男を見失わぬ様、しっかり目でも後を追いつつ、再度ケントが通信機を前に口を開く。
「今中央広場にある八百屋の横から、林の方に入って行きました」
『了解。すぐ行く』
「分かりました」
そしてその言葉通り数十秒後、その先を逃げて行った三人の男が悲鳴を上げた。
「な、なんだオマエ達は……!?離せっ!!!」
ガタイの良い男団員――ジョージは二人の男の襟元を掴み上げ、そしてもう一人の男は、別の男団員に抑え捕えられていた。
「ジョージさんらナイスぅ!」
「ふう……ルイさん、三人の商人を捕獲しました」
一先ずケントは通信機をルイの方に繋げると、そう一息つく。
『お疲れ様。そのまま繋いでいてくれる?あ、音量は少し上げておいてねぇ』
ルイの言葉通りに音量を少しだけ上げると、カイトはその通信機を、捕えられている三人の男の前に差し出した。
『………今聞こえてる?聞こえてるなら返事してくれる?』
ルイにそう促され、カイト達からも顎で指図を受けると、一人の男が「な、なんだよ」と恐る恐る口を開く。
『あ、ちゃんと聞こえてるみたいね。それじゃ早速本題に入るけど……キミ達さぁ、噂によると、ヴォワゲート内に数十人の子供達を売買しようと誘拐して連れて来ているみたいじゃない……その子供達、今何処にいるの?』
いつもみたいに少しフワフワっとした喋り方に、しかし怒りを含んだ低めの最後の言葉に、男達はビクッと体を震わせた。その場にいた他の団員達も、怖さでゴクリと息を呑む。
「ふんっ……顔を出さないで部下達に全部任せてる様なヤツに、話す気なんてねーよ」
『まぁ……そうねぇ。でも教えてくれたらキミ達の命は見逃してあげるからそこは許して』
「………俺達は何も知らねぇ」
『ふーん……そう。何も知らないのね』
暫くの沈黙。
このまま黙って男達が吐き出してくれるのを待つのかと思いきや、ルイの方から再び口を開いた。
『それじゃ今ウチが何処にいるか、教えてあげようか?』
「な……っ」
ルイの裏をかいた様な物言いに、男達は思わず声を漏らす。
『……今ね、キミ達の他の仲間の隠れ家付近にいるんだけどさぁ?それでもしキミ達が知らないフリをこれ以上続ける様であれば、その人達に聞いてみようかなって思うんだけど』
「あれ、ルイさんいつの間に……?」と、ケント達は互いに顔を見合わせて首を傾げる。
てっきり近場で待機しているのだと思っていたが……
「だ、だから何だよ」
『もしそこで子供達のいる場所が分かるって仲間の誰かが白状してくれたら、キミ達はウチらに嘘を付いて己の罪から逃れようとしたという罰で……』
――公の場で、キミ達の処刑をお披露目しようかなぁーなんて。
***
その言葉は半分冗談で、半分本気だった。
口調は多少のおふざけモードが混ざっていたが、この時のルイの顔は、一切笑っていなかった。
――まぁ……流石に公の場での公開処刑なんてしないけど。そんな事したら、ヴォワゲートの人達を怖がらせるコトになっちゃうしね。
ルイはそう思いながら、ある一軒の建物の前に立っていた。
通信機を前に相手からの返事を静かに待つ。
『わ、分かったよ……全部話すから、命だけは助けてくれ』
「それじゃ成立ね。んで、子供達は何処にいるの?今から向かうから案内してよ」
『町から少し外れた北西方面の林ん中に、小屋がある……そこに子供を隠してる』
「人数は?」
『八名だ』
「……それ本当なの?話では十数人だって聞いたんだけど?」
『ッ……残りの四人は二日前に逃げ出したんだよ』
「ふーん……」
――意外と監視は緩かったのね。
男達の案内通り、一人で林の奥に向かうルイ。
それから暫くして、ようやく小屋が見えてきた。
「……あった」
どうやら男達の言っているコトは本当だった様だ。
もしかしたらこれは罠かもしれないと密かに疑っていたルイは、念の為に持って来ていたナイフをいつでも出せる様に身構えていたが……いや、まだ油断は禁物だ。
取り合えず小屋を見つけた事で、ルイは一息つく。
「……それで、あとは私に教えるべき事はない?」
『ない』
「そう……ここからは念の為に通信を切っておくわ。それじゃまた後程」
そう言って通信機の電源を切ったルイ。今度はナイフを手に持ち変えると、通信機を懐に仕舞った。
小屋からは薄っすらと灯りが漏れていた。
中にいるであろう子供達……もしかしたら他の商人もいるかもしれないコトを考慮して、物音を出来るだけ立てないよう、ソッと小屋に近付く。
そっと……そっと………
―――カチッという機械の音と共に、地面が爆発を起こした。
*不思議の少女
その日の深夜。
下見から戻って来たカイは、公園前でウロウロしている人影に、銃口を向けていた。
ゆっくりとその人影に近付き、相手の顔を確認する……カイはなんだと、すぐに銃口を降ろした。
「アンタか……こんな所で何をしてる」
カイの視界に写り込んだのは不審者ではなく、ピンク髪のあの少女だった。
眉間に皺を寄せて睨むカイに対し、少女は恐る恐るメモ用紙に文字を書き出した。
――かいふくだんちょうたちのかえりがおそいから、きになって。
「……だからってこんな時間に女一人で歩き回るのは危ないだろ」
コクリと申し訳なさそうに頷いた少女は、更に文字を書き足してカイに見せる。
――ごめんなさい。
「はあ……」と、カイは溜息を吐きながら頭を搔くと「もうじき他の奴等も戻って来るから、テントの中に入れ」と、少女を促した。
全く人気のない噴水公園。周りは木や草が生い茂っていて、漆黒の暗闇が広がっている。何処からか獣が現れそうな……夜はそんな不気味さを醸し出していた。
ただにさえヴォワゲートには奴隷による強盗や、奴隷商人による誘拐被害が多いというのに……また攫われたりでもしたらどうするんだよと、カイは少女と一緒にテントに移動する。
真っ暗なテントの中、カイは机の上に置いてあったランプを点けると、積もれた荷物の上を手で叩(はた)いた。そしてそこに座れと、少女に合図を送る。
夜の外は寒い。テントの中とは言え、レンガやコンクリートの様な厚さのない壁に、体を温める様な暖房器具もない……唯一あるモノと言えば、火を起こすマッチ棒と木材、そして毛布のみだった。
流石にテントの中で火を起こすワケにはいかないので、カイは毛布を取り出し、それを少女にかけた。
「………」
特に話に盛り上がる事もなく、ただただ静かな夜だけが過ぎていく。
暫くの沈黙の後、先に口を開いたのはカイの方だった。
「……そういや名前。そろそろ名前がないと、アンタも色々と不便なんじゃないか?」
今更過ぎるカイのその疑問に、少女はうんと首を振った。
「だよな」と頷いたカイは「明日にでもリサに付けてもらうと良い」と言って踵を返し、キンキンに冷えた大きな箱を開けて中を探り始める……今日もまた、小腹が空いたのだ。ルイにまた何か言われるかもしれないが、それでも空いてしまったのは仕方がない。
何かないかと――特にカイの好物であるお肉がないか、ゴソゴソと手で物をかき分ける。しかし、目当ての肉は既に切れていたようで、「……ない、か」と、カイは残念そうに小声を漏らした。
クイクイっ。
肩を落として不満そうにしているカイを他所に、少女はメモ用紙を取り出してカイの袖を引っ張った。
「何だ?………なまえ、かいふくだんちょうがつけて……?」
カイは思わずメモ用紙に書かれたその文字と、少女の顔を交互に見る。
「オレが?」と、面食らうカイに、少女は笑顔でコクリと頷いた。
「かいふくだんちょうに、つけてもらいたいから………」
――何でオレなんだよ。
そう言い掛けたが、キラキラとした真っ直ぐな瞳(め)を向けられると、カイは言い返すのを諦め、冷えた大きな箱を一度閉じた。
仕方ないと、カイは名前を考えるコトにする。
「名前………」
――何が良いだろうか。
少女の記憶が戻るまでの、仮としての名前。
それは、すぐに意味のない一時的な名前(もの)になるかもしれないし、もしかしたらこれから先、永遠と少女の名前(もの)になるかもしれない。
「………」
謎の多い少女……不思議、少女………
――………アリス。
『不思議』と『少女』で浮かんだ、アリスと言う名前。
カイは昔読んだ『不思議の国の』という異世界から持ってきた本を思い出し、スッと頭に浮かんだ名前をそのまま口にした。「アリス……は、どうだ?」カイは少女の方に顔を向ける。
すると、少女はパァと表情を輝かせた。
「……すごくすてきななまえ………」
そう言って――正しくはそうメモ用紙に書いて、少女は笑った。
子供の様に少女は座っていた荷物の上から跳ね上がると、カイの前でクルクルと回って喜びを表現した。そして
――あ・り・が・と・う
少女は一文字一文字ゆっくりと、そう口を動かした。
そしてその時少しだけ、カイの表情が綻んだ様な気がした。
ただ今編集中~
ただ今編集中~
サーカス旅団の話(タイトル未定)