針筋電図レポ

ALSの疑いあり。気のせいだと思っていた指の動かし辛さ、筋力低下、全身の強張り。調べると筋肉と神経に関する病気は沢山の種類があり、今はまだ疑いありの状態ですが、そうかもしれないし、そうでないかもしれない、病名を細分化する現状にいます。確実に判断できる検査というものも無く、初期段階では反応が無い事もあります。ネットで検索すると、どういう検査であるのかザックリと説明はありますが、実際受けてみると、あの情報では不足を感じました。知りたくない人はスルーで。事前に知っておきたい方は心の準備として検査の詳細をお知らせします。

「針筋電図検査を受けてみましょう。」

知っている。去年、《指 動かし辛い》で検索して引っかかった病気ALS。あれを、調べる検査。

実はN病院に来る前、S病院で既に一度検査をしていた。神経伝導検査というもので、これも未知の存在であるので恐怖を感じたが、脚気の検査のように手足が勝手にビーンと反応し、少しピリッとする、というものでした。外国のコンセントのような形をした先端の丸い2本の棒を体にあてるだけなので、体には一切傷は付きません。

その検査に異常は無く、次は針筋電図に行くのだろうと思ったら、

「異常ないですね、心因性のものです。」

と言われてしまった。

頭の中に、ALSは神経伝導検査では反応が出ないはず。反応があれば反応がある病気の中から細分化、反応が無ければ、他の病気の可能性があるのということで次のステップに行くと思っていたので、少し頭が《?》になる。

私は先生を試してみた。

「神経伝導検査で反応がないからALSではないということですね?」

「はい、そうです。」

私はそれ以上は話す気が起きなかった。わかりましたと言って部屋を出た。
ここで食い下がって次の検査をしてもらって、そこで異常が認められても、この医者にかかるのは嫌だと思った。

《心因性》

納得は行かなかったが、体が動きづらく、全身が痛い毎日には、とりあえずこのくらいの段階からスタートでいいのかなと、この言葉にすがることにした。心穏やかにストレス無く過ごしていれば、あるとき突然回復する。そんな素敵な事はない。
《心因性》の布で目を覆ってしばらく過ごしてみたが、日々の明らかな体の異状に、

「そんなバカな事があるか。」

とシラケた自分が布の内側にいる。


N病院で言われた

「病気です。」

《心因性》の布を取る怖さ、これからは、ちゃんと見なければいけない、とても怖いものを見なければいけないという放心に近い感覚。
でも、体の異常に真摯に向き合ってくれた医師の目は、久しぶりに強い現実感を自分に感じさせてくれ、何故か孤独が安らいだ。

「針を刺して筋肉に原因があるのか神経に原因があるのか調べる検査です。」

沢山の患者を診てきた医師にとって、病気を見つけたら次にどこでどの様な検査をするのかはサクサクと決定される。

「針筋電図検査をしましょう。」

という医師の言葉に、知識はあるのにやっぱり返す。医師は検査の説明をしてくれたのですが、ネットで既に知っていたので、心の中はやっぱり、あれのことですよね、ですよね、あれだ・・・。
という確認作業でした。

日にちを決められたときは、処刑日を決められたような感覚でした。大げさかもしれませんが、そこそこの針を、2、3センチ筋肉に届く所まで刺し、電流を流すんです。中世の軽犯罪の処刑みたいなイメージを持ちました。

それから、4.5日はふわっとした中にいました。現実が嫌で、ボケ老人のように一点を見つめました。焦点がずれる程一点を見つめました。
何かを食べたいとも思わないし、お腹もすきませんでした。できるだけボーとしたかった。生きながらにして、自我を失いたかった。

検査も嫌だし、検査の先に治療法が無い事も、少し吐きそうになる恐怖をいつもでは無いですが一瞬感じました。

身辺の整理は去年の夏くらいからしていました。この体、やっぱ変だ。今は初期で検査に引っかからないだけで、きっと何かしらの、全身の病だ。というのは本人がわかります。身辺の整理はあっさりしたものでした。あっさり行かない事は、手を使って作った物の整理整頓くらいで、自分史のショボさにうんざりし、本や日記はばさばさと燃えるゴミに放り投げられました。

病気であると認められてからは、自我の整理です。
あの告知後の放心状態では、おいしいものも、好きな音楽も無くなりました。人間の自我などそこら辺を取ったら40%は消えたと言っていいと思います。という事は、死後というのは、◯◯が食べられなくなるとか、好きな音楽が聴けなくなるということは全くどうでもいいことになるのかもしれないと感じました。この肉体が生きる為に、経済活動をするためにそういう物が好きだとプログラミングされているだけで、魂になったら、好きな音楽も嫌いな音楽も同じ塵のような存在になるように感じました。
すると、生への執着も本能というプログラムであり、手放す事は、つまり何も手放してなんかいないのではないかと思った。


続く

針筋電図レポ

針筋電図レポ

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-03-01

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