遊び


そのゲームのルールは至って単純。鞄を受け取り,中を開けて,そこに新たな物を一つ足す。一人一つずつ,それを守るのなら,一回の機会に物を入れる人の数に制限はない。ただし,鞄の容量を超えるときは,そこに何も入れることは出来ない。鞄を閉じることが出来ないことは許されない。そうなった時はしかるべき罰が下される,という噂はあるが,真偽は不明である。すぐに新しい鞄に出会えるから,無理をして,鞄に物を入れることを誰もしない。
どの鞄もその形状,材質,大きさ,色等が異なる。では,なぜ,自分が出会えた鞄が,ゲームの主役たる鞄だと分かるのという疑問に対する答えも,至って単純である。その鞄には丸いシールが必ず貼られている。その丸いシールは全体が顔に見立てられていて,鼻は無いが,目と口が描かれている。笑っているものもあれば,そうでないものもあるが,左右のどちらかの目がウインクしている。ウインクをしていない方の目にはフサフサの睫毛がある。加えて,このゲームの主催者か,実行者であると思われる団体のマークが,頬に当たる空白部分にある。ひらがなの『わ』に似ているそれは,シールと同じ,水色で合わされている。鞄の何処かにこれらがあれば,それはゲームの主役たる鞄である。そして,それに出会い,それを手に取り,留め具を外して開けてしまえば,ゲームの開始である。あなたは何かを入れなければならない。
鞄に出会えるときは選べない。例えば空港で,預けた荷物の受け取りを待っている間に,自分のキャリーバッグより先に,鞄に出会うことも少なくない。出会った鞄はその場で開けなければならないというルールはないため,その鞄を先に受け取り,回ってきた自分のキャリーバッグを受け取り,一緒に持って空港内に出て,適当な場所で物を詰め込んでもいい。余計に買ってしまった土産物を入れてしまってもいい。その他の物を,そこに仕舞い込んでもいい。他方で,開けた鞄の容量に余裕があるのに,その鞄に入れられる何かを持っていないときはどうすればいいか。よくある質問である。そして,答えは一つである。これもルールで決められている。ゲームの中の一部分である。すなわち,開けた鞄に入れられる物がない人は,その時点で鞄の中に入っている物すべてを取り出し,それを身に付け,その格好から求められている役割を自身の解釈を施した上で推測し,その演技を現実に実行しなければならない。その演技により生じる結果と,それに伴う責任を,余すところなく享受し,または負わなければならない。他人に譲ることも,負わせることも許されない。ルールのこの部分は,非常に厳格に適用されている。このルールを上手いこと逃れようとした人が,法的にも社会的にも,しかるべき措置を受けたことが過去の事例として実際にあることは,よく知られている。この意味で,実はルールのこの部分が,このゲームの中核を成しているとも言える。ゲームの参加者は,自分たちが詰め込んだ役割を誰かに演じてもらうために,思い思いの物を鞄に入れている。これは個人的な感想ではあるが,もしかすると,自分がその役割を演じなければならない羽目に陥るかもしれないというスリルを味わいながら,このゲームを楽しんでいるのかもしれない。スポットライトの下,演者と観客とに区別される,その瞬間を待っているのかもしれない。蛇足であった。最後に,空になった鞄は,空になったままで,次の人に送らなければならない。送る方法はいつもの通りである。物としてか,機能としてかを問わず,電話帳に登録されている,このゲームの参加者の住所のうち,任意に選んだ一つを用紙に記載する。そして,参加の申し込みの際にかけた番号に電話をかけ,留め金をかけて閉じた鞄とともに五分待ち,遅れることなく到着するスタッフの一人に鞄と用紙を手渡す。車に乗り込んだスタッフに手を振って,走り去るのを見送る。これで終わりである。
ちなみに,私自身の所にやって来た鞄の中には,トレンチコートに白いシャツに紺のスラックス,黒い靴下に黒い革靴,昔のドラマで観たような形のサングラス,そしてイミテーションの薬莢が二つ,入っていた。これらの『衣装』から推測できる私の役割は,どこまでも正義を貫くダンディな一課の刑事か,漫画に出てくるような,謎の多いヒットマンになる。そのため,あの時の私がこれらを身に付けていたのだとしたら,私はとんでもないことを,現実にしなければいけなくなっただろう。しかし,私はそれを身に付けなかった。その鞄に入れる物を,その時の私は持っていたからであり,主にトレンチコートのせいで鞄の容量がぎりぎりであったにも関わらず,これらの『衣装』の上にぎゅっと乗せ,鞄を閉じ,留め金をかけて,無事に仕舞うことが出来たためであった。直ぐに私はそれを次に送り,映像資料とともに,サークル室にあった紙媒体の資料群を一冊ずつ取り出して,開けっ放しの窓の外に向かって,上に乗っていた埃をひと息で吹き飛ばしてから,そのストーリーを確認していった。かちん,と鳴らしているつもりで,順を追っていった。
それから一ヶ月後,刑事ドラマの撮影を決行するために,許可を得ることなく公共施設に入り込んだ撮影スタッフの数十名が捕まったというニュースがテレビに流れた。
抗議の声を上げる人の,真摯な姿が映っていた。


やって来た鞄の形は真四角で,使い古されている感じが素敵な革製品だった。留め金の錆も味わいがあって,開けずにそのまま持ち帰って,インテリアとして飾っておきたくなった。そうすることが出来る分のスペースはある。それが許されるかどうかは不明である。何せ,これまでの参加者の中に,そんなことをした人は一人もいないし,ルールとして明記されていないことは知っている。しかしながら,それは自己の物として鞄を所持し続けることは当然に許されないことが,このゲームの大前提となっているからであり,このゲームを楽しむ参加者の誰もが,そんなことをするために参加していないだろうことからも,十分に推測できる。それなら,目の前のこれは開けなければならない。なぜなら,ボク(もワタシ)も参加者だから。シールもあるし,ウインクしているし。受け取った時の,あの重みだって忘れられない。
誰であっても,この留め金を外して,中身を確認しなければいけないんだ。それがルールだ。従うべきだ。
さあ。


蓋を赤ペンで修正された箇所に,新たな書き込みが加えられる。きっと,もっと良いものになるだろうという期待が込められる。ずっと丁寧に。間違ったりしないように,文字のルールに従うべきだ。
「鞄を持つその人が言った。」
したがって,それがこの文章の最初に来る。

遊び

遊び

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-03-01

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