太平洋、血に染めて 「太平洋、血に染まる!」

太平洋、血に染めて 「太平洋、血に染まる!」

事実上、このエピソードが第一話になります!!

*オープニング
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「泣けるぜ」
 葉巻の紫煙をゆっくりと吐きだしながらハリーが首をふった。
 およそ三百人を乗せたこの病院船は、ただいま太平洋のド真ん中を航行中である。船内にはテレビもあるが、どのチャンネルも真っ暗で、なにも映らない。ラジオも、聞こえてくるのは砂嵐の音だけだった。
「なけるぜ」
 大五郎もハリーの真似をしてため息をついた。
 ハリーは渋色(しぶいろ)のくたびれたカウボーイハットの下で眩しそうに目を細めながら窓の外を眺めている。大五郎もハリーの傍らで窓の外を眺めていた。蒼く、そしてどこまでも広い大きな海。水平線には、まるで綿アメのような真っ白い夏雲が浮かんでいる。空はどこまでも晴れ渡り、とてもいい天気だった。しかし、ハリーの表情は曇っていた。
「やれやれ。石器時代からやりなおし、か」
「マンモスをつかまえて、たべるんだね?」
 大五郎がそう言うと、ハリーは口もとでかすかにほほ笑んだ。
 マンモスの肉はどんな味がするのだろうか。そんなことを考えていたら、なんだか腹が減ってきた。大五郎はハリーのとなりでヒザをかかえ、窓の下に座り込んだ。
 横須賀港に向かうため、両親と三人で電車に乗っていた。大きな戦争になりそうなので国外に脱出する、と両親は言っていた。大五郎がトイレに行ったとき、電車の外で大きな爆発があった。近くに爆弾が落ちたのだ。爆風で電車は吹き飛び、大勢の乗客が犠牲になった。トイレにいた大五郎は、奇跡的に軽いケガだけで済んだ。空爆がつづく中、大五郎は必死に両親を探しまわった。しかし、けっきょく見つけることはできなかった。
 大五郎は、ぐっと歯を食いしばって涙をこらえた。両親は、まだどこかで生きているにちがいない。大人になったら、きっと探しに行こう。大五郎はそう決心するのであった。
「おお、あれはまさしく」
 何者かの声がレクリエーションルームにひびき渡った。少しはなれたところで、窓に手をついて海を眺める老人がいた。肩まで伸びる白髪、しかし、頭頂部はハゲている。そして、仙人のような白く長いあごヒゲ。
「ニューネッシーじゃ!」
 長老である。
「いや、あれはウバザメですな」
 否定したのはメガネをかけた白髪あたまの老人、ムツゴローである。この老人は大の動物好きで、図鑑にすら載っていない動物の名前も知っているのだ。
「いいや、あれはたしかにニューネッシーじゃ!」
 そして長老は熱狂的なUMA(ユーマ)マニアなのだ。
「あれは、どうみてもウバザメですよ。おじ~いちゃん」
 小馬鹿にするような口調でムツゴローが笑うと、長老はうんざりしたようにため息をついて首をふった。
「やれやれ。あんたは、なにもわかってないようじゃな。あれは、まちがいなくニューネッシーなのじゃ!」
 人差し指で窓をドンドンとつつきながら長老が強い口調で怒鳴った。
 大五郎も窓の外に目をやった。海面ちかくを、大きな魚が泳いでいる。それがサメであることは、大五郎にもひと目でわかった。
「よ~しよしよし」
 (けが)れを知らない無邪気な笑みを浮かべながらムツゴローが長老のハゲあたまをはげしく撫でまわしはじた。
「いい子だから吠えない。はい、おすわり!」
 長老に笑顔を向けながらムツゴローが床を指差した。彼は狂犬のしつけも得意なのである。
「むだじゃっ!」
 狂犬が吠えたてた。
「半人前の技では、 わしは倒せんぞ!」
 狂犬、いや、長老は頭上に構えた杖を、まるでヘリコプターのプロペラのように両手でふり回しはじめた。
「おのれの無力さを思いしらせてやるわ!」
 長老がムツゴローに躍りかかる。かくして、ふたりの戦いがはじまった。
 きっと、この戦争もこういう些細なことが原因ではじまったのだろう。大五郎はハリーと顔を見合わせながら、ふたりで肩をすくめた。
「おいら、おしっこでる!」
「トイレか。ひとりで行けるか、ぼうず?」
「うん!」
 大五郎は駆け足で部屋を飛びだした。長い、まっすぐな通路をひたすら駆けてゆく。そして突き当りの角を右に曲がったとき、奥の角の手前に白いスーツ姿の男が見えた。その奥の角を右に曲がればトイレだ。
 大五郎が角の手前で男を追い越こそうとしたときである。
 ――ガッ!
 とつぜん、大きな音とともに通路のカベがくだけ散り、粉々になった破片が大五郎のあたまにパラパラと降り注いだ。いったい、なにが起きたのか。大五郎は恐る恐る頭上を見上げた。
「あっ?!」
 通路のカベ、それもちょうど角の部分が大きくえぐれ、そこに一本の太いウデが食い込んでいた。どうやら、スーツの男はふり向きざまに手刀を繰り出したらしい。なぜこんなことをしたのか知らないが、男の手刀は大五郎のはるか頭上をかすめてカベに深くめり込んでいるのだった。
 それにしても、危ないところであった。もし、この手刀をまともにくらっていたら、まちがいなく首の骨が折れていただろう。大五郎はそう思うと、恐怖のあまり小便を少しちびってしまった。
 はたして、この男はいったい何者なのだろうか。大五郎は、マユの下から恐る恐る男の表情をうかがった。
 角刈りの男は無言で右の手首を押さえながら背中を丸めている。一文字に引き結んだ意志の強そうな口。つり上がった太いマユの下で、カミソリのような鋭い目が血走っている。打ちどころがわるかったのだろうか。男はフーッ、フーッと鼻で苦しそうに荒い呼吸をしつつ、額に玉のような脂汗をにじませていた。
「おっ……おじちゃん、だいじょうぶ?」
 大五郎がねぎらうように声をかけると、男は涙堂(るいどう)をピクピクさせながらカミソリのような鋭い眼でギロリとにらんできた。
「……ぼうず……」
 そうとう激しく打ちつけたのだろう。男は話すのもつらそうだ。しかし、大五郎は小便がもれそうなのだ。こんなところでのんびりと立ち話をしているヒマなどないのである。
「ようけんをきこう!」
 大五郎はイライラした口調で叫んだ。
 すると、男は手首をかばいながらスッときびすを返し、肩越しにジロリとふり向いた。
「……まちがっても……オレのうしろに立つんじゃない……」
 それだけ言って、男はゆっくりと立ち去って行くのでした。

 トイレからもどる途中、大五郎は長い通路を駆け抜けながら、ふと窓の外に目をやった。
「あっ?!」
 大五郎は立ち止まると、両手を窓について海面に目を凝らした。病院船のすぐよこ、だいたい五十メートルほどはなれたところの海面から、なにか細長いものが突き出している。先っぽが小さく折れ曲がった、銀色の鉄パイプのようなものだ。遠くてよくわからないが、ネッシーの首のようにも見える。
「あっ」
 大五郎は、さっき長老が言っていたニューネッシーのことを思いだした。長老が指差したのは、ウバザメではなかったのだ。長老は、この鉄パイプを見てニューネッシーだと思ったにちがいない。
「にゅーねっしーだ!!」
 ネッシーとニューネッシーがどうちがうのかよくわからないが、大五郎はとりあえずよろこぶのであった。

 部屋にもどると、ハリーは葉巻をくわえた格好で窓の外をながめていた。その傍らで、長老が足をのばして座り込んでいる。窓の下でカベにもたれかかり、ハンカチで口もとを押さえて「ゴホ、ゴホ」とせき込んでいた。
「お……おのれ、あのくそジジイ。こんどこそぶっころしてやる」
 長老の目のまわりには青アザができている。そして両方の鼻の穴に丸めて詰めたティッシュは赤く滲んでいた。
 やれやれと呆れつつ、大五郎はふと窓の外に目を向けた。
「あ! でっかいフネだ!」
 大五郎は左舷側の海を窓越しに指差した。
 少しはなれて病院船と並走するその船は、大五郎がいままで見たことのない形をした船だった。
「ああ、あれは空母だ」
 眩しそうに細めた目でハリーが言った。
「くうぼ?」
「飛行機を飛ばすための(ふね)さ」
「あのフネに、のってみたいね。おじちゃん」
 大五郎は笑顔ではしゃいだ。しかし、ハリーは「オレはごめんだね。豪華客船なら乗ってもいいが」と、肩をすくめて苦笑した。
「おいらのとうちゃんも、でっかいフネつくってたんだよ」
 大五郎の父は横須賀の造船所に勤めていたのだ。工場は横須賀港からちかいところにあるので、この病院船が数日まえから寄港していることも知っていたのだ。
「そうか。それでボウズは船が好きなのか」
 ハリーが大きな手で大五郎のあたまをぽんぽん、と撫でながらつづける。
「パパとママ、無事だといいな。いや、きっと無事さ。きっと元気にしている。だから、ボウズも元気をださないとな」
 そう言って励ますと、ハリーは葉巻をくわえた顔で目を細くした。
 大五郎はこみ上げてくる涙をようやく堪えると、無理に笑顔をつくって大きくうなずいた。
 父さんと母さんは、きっと生きている。ハリーの言うとおり、きっとどこかで元気にしているはずだ。父さんは約束してくれた。いま造っている大きな船が完成したら、そのときは母さんとおまえの三人で進水式を見に行こう、と。
 窓越しにじっと空母を見つめながら、大五郎はぐっとくちびるをかみしめた。
「そろそろ昼メシの時間だ。食堂に行こうか、ボウズ」
 ハリーが窓からはなれてドアに向かった。
 大五郎の腹の虫もグウグウ鳴いている。
「じいちゃん、めし!」
 聞こえているのかいないのか、長老は床に座り込んだまま、なにかブツブツとつぶやいている。
「くそじじい!」
 腹の虫がイライラしている。大五郎は長老を無視して食堂のほうへ駆けだした。

「コーンスープにコッペパンひとつ、か。泣けるぜ」
 ぼやきながらハリーがコッペパンをかじっている。大五郎もハリーのとなりに座ってコッペパンをほおばっていた。船の最後尾にある食堂はとても広く、左舷(さげん)右舷(うげん)、そして艦尾側のカベには大きな窓がいくつかあった。左舷側の窓からは、遠くを航行する空母の姿が見えた。
 船首側の窓のないほうのカベ、食堂の入り口の脇に、さっきの角刈りの男が立っている。肩幅の広い、がっしりとした男だ。右手をポケットにつっこんで、カベを背にして立ったまま、男はコッペパンをかじっている。そして、やはり右の手首には包帯がまかれているのであった。
「へんなおじさん」
 大五郎は角刈りの男を指差した。
「トーゴーだ」
 ハリーがカウボーイハットの鍔で顔を隠しながら小声で言った。
「とーごー?」
「あいつに近寄っちゃだめだ。あいつは……殺し屋なんだ」
 ハリーは青い顔をこわばらせながら大五郎の耳元でささやいた。
「あいつに狙われて無事だったやつは、ひとりもいないのさ。逆に、あいつを抹殺しようと狙ったやつも大勢いたが、結局だれも果たせなかった。国家でさえも、やつを倒すことはできなかったんだ」
 パンをちぎるハリーの手が小刻みにふるえている。大五郎の思った通り、あのトーゴーという男はとんでもない悪党だったのだ。
「やつは、正真正銘のバケモノなのさ」
 そう言って目のはしからトーゴーをにらむと、ハリーは口の中のパンをゴクリとのみ込んだ。
「さて、それはどうかな」
 聞き覚えのある声が大五郎のとなりに座った。
 白く長いアゴひげ、そして肩まで伸びる白い髪。しかし、頭頂部はツルツルにハゲている。
「あっ、じいちゃん」
 長老である。
「凄腕の殺し屋といっても、所詮は人間。南極ゴジラには勝てまいて」
 悟ったような表情でそう言うと、長老はコッペパンを小さくちぎって口に放り込んだ。
「なんきょくごじら?」
 大五郎は首をかしげた。ゴジラはUMAではない。映画に出てくる怪獣だ。
「〝ツムラヤプロ〟の話さ」
 ハリーは大五郎の耳元でささやくと、呆れた笑みを浮かべて首をふった。どうやら長老のくだらない話のおかげで、ハリーはすっかり緊張がほぐれたようだ。
 大五郎もヒマつぶしに少しだけ長老の話につき合ってやることにした。
「うるとらまんのほうが、きっとつよいよ」
 すると、長老は口もとに笑みを浮かべながら首をふった。
「よいか、ぼうず。ウルトラマンはテレビの話じゃ。実在はせん。じゃが、南極ゴジラは実在するのじゃ」
 コーンスープをスプーンでかきまぜながら長老がつづける。
「ウルトラマンの中に入っておるのは、わしらとおなじ普通の人間。南極ゴジラを倒すことなどできんのじゃ」
「ふーん……」
 よくわからないが、大五郎はわかったフリをした。ハリーもパンをちぎりながら、ばかばかしい、というように首をふっていた。
 ――そのときである!
「あっ!」
 突然、船首のほうで大きな爆発が起こった。船全体が大きく揺れる。大五郎は椅子から投げだされ、床に尻もちをついた。
 長老は熱いスープを股間にこぼしたようだ。股の間に両手をはさんで、唸り声をあげながら床の上を転がっていた。
「大丈夫か、ぼうず?」
 ハリーが大きな手を差し伸べてきた。
「おいらは、へいきだよ」
 ハリーの大きな手につかまりながら、大五郎は笑顔でうなずくいた。
 警報が鳴り響く中、みんながうろたえている。大五郎は、ふと食堂の入り口のほうに目をやった。
「あれ?」
 トーゴーがいない。ひょっとして、この爆発はトーゴーの仕業なのだろうか。あるいは、トーゴーを狙う何者かの仕業なのか。もしくは……大五郎は「はっ」とした。
「あのくうぼが、こうげきしてきたんだ!」
 大五郎は左舷側の窓のほうに目をやった。空母はさっきとおなじところを、同一方向に向かって航行している。
「いや、これは空母からの攻撃じゃない」
 差し迫った表情でハリーがつづける。
「この爆発は……おそらく魚雷。潜水艦からの攻撃だろう」

 警報のベルの音、悲鳴、船内が騒がしくなってきた。
「潜水艦だ! 潜水艦に攻撃されている!」
 通路のほうで、だれかが叫んだ。
「ちがうな。潜水艦が狙ってるのは、この病院船じゃない」
 左舷側の窓の外をにらみながら、ハリーが葉巻に火を点けた。
「空母に放った魚雷が外れ、この病院船に命中した。おそらく、そんなところだろう」
「ち、つくしょう。なめやがって」
 長老が股間を押さえながらヨロヨロと立ち上がった。
「大丈夫か、じいさん?」
 ハリーが杖を拾って長老に渡した。
「う、うむ」
「屋上に救命ボートがあるはずだ。それで脱出しよう」
「また攻撃を受けるかもしれんのじゃぞ。いま外に出るのは危険じゃ」
「おなじことだ。ここでじっとしていても、いずれこの船は沈む。だが、ここに残るのはあんたの勝手だ」
 長老は押しだまって思案顔になった。ハリーは唇にはさんだ葉巻から紫煙を立ちのぼらせながら長老の返事をまっている。
 しばし考え込んで、長老が決心したようにうなずいた。
「よかろう。わしも行こう」
 三人で病院船の屋上に向かった。船の外に出ると、船首のほうから黒い煙が立ちのぼっているのが見えた。左舷側に広がる海には、空母の姿も見える。
 大五郎は、ふと後部甲板のほうをふり向いた。
「あっ」
 後部船体側面に吊り下がる救命ボートのところにだれかいる。トーゴ―だ。
「へんなおじさん!」
 大五郎はトーゴ―を指差しながら叫んだ。
「あのやろう、ひとりで逃げるつもりだな」
 ハリーが舌打ちをした。
「サノバビッチ!」
 長老も中指を立てて罵った。
 救命ボートは一艘(いっそう)のみ。だいたい二十人は乗れそうなボートにひとりで乗り込むと、トーゴーは滑車を緩めてボートを下ろしはじめた。
「万事休す、じゃ」
 長老は杖に寄りかかり、弱々しく長い吐息をついた。
 ギシギシと悲鳴を上げて病院船の船首が徐々に傾きはじめた。乗員乗客も悲鳴を上げながら屋上に押寄せてくる。
「ちくしょう。このままでは確実に沈む」
 ハリーがこぶしを握りしめて歯噛みをした。
「おや? あの大きな軍艦が向きを変えた……。どうやら、こっちへ向かってくるようじゃ」
 長老が空母のほうを杖で指し示した。
「艦の側面に縄梯子が見える。救助に来たんだ」
 照りつける日差しを右手でさえぎりながらハリーが言った。空母が病院船の船首側からゆっくり侵入してくる。
 ――そのとき、とつぜん空に銃声がひびき渡った。
「やつか?」
 長老が銃声のしたほうをふり向く。大五郎も、おなじほうに目を向けた。
 病院船の後方、およそ百メートルのところにトーゴーのボートが漂っている。しかも、ボートの後部からは黒い煙が立ちのぼっていた。
「どうやらエンジンが故障したらしい」
 ハリーが眩しそうに細めた眼をボートにむけながら葉巻に火を点けた。
 また銃声がした。トーゴーが海に向かって拳銃を発砲している。いったい、トーゴーはなにを狙っているのだろうか。
「あっ、サメだ!」
 大五郎は指差しながら叫んだ。トーゴーのボートの周りを、三角形の黒い背ビレがぐるぐると回っている。トーゴーはサメに向かって発砲しているのだ。しかし、なかなか命中しない。やはり手首の調子が悪いせいなのだろうか。やがて弾を撃ちつくすと、やけくそになったトーゴーは黒い背ビレに向かって拳銃を投げつけるのであった。
「あっ!」
 三人で声を上げた。ちょうどトーゴーのボートの真下から、なにか細長いものが突き出してきたのだ。
「やつじゃ!!」
 長老が杖で指し示しながら叫んだ。
「ニューネッシーじゃ!!」
 先っぽが小さく折れ曲がった銀色の鉄パイプ。大五郎がトイレからもどる途中に見たものとおなじやつである。やはり、長老はこれを見てニューネッシーだと思っていたようだ。
 しかし、ハリーは冷静に否定した。
「あれは潜水艦の潜望鏡だ」
 ボートを下から突き上げてひっくり返すと、潜望鏡はクルクルと回りはじめた。
 海に投げ出されたトーゴーが、黒い背ビレから必死に泳いで逃げまわっている。潜望鏡は、その様子をじっとうかがっていた。はたして、トーゴーは黒い背ビレから逃げきれるのだろうか。
「おや?」
 長老がマユをひそめた。
「……消えた」
 ハリーも眩しそうに目を細めている。トーゴーが消えたのだ。黒い背ビレも、どこにも見えない。
「くわれた!」
 大五郎は飛び上がった。トーゴーは、きっとサメに食べられたのだろう。大五郎はそう思ったのだ。
「泣けるぜ」
 ハリーが首をふると、〝ニューネッシー〟も同情するようにキコキコと首をふった。
「四十パーセントの運ってのは、こんなもんか」
 紫煙を吐きだしながらハリーがしみじみとつぶやいた。はたして、四十パーセントの運とは、いったいなんのことなのか。大五郎は首をひねった。
「おや? 急に暗くなったのう」
 長老が空を見上げた。
 たしかに暗い。さっきまであんなに天気が良かったのに、いったいどうしたのだろうか。大五郎も空を見上げてみた。
「あっ、くうぼだ!」
 大五郎は面食らった。クジラよりも、旅客機よりも、そして、この病院船よりもはるかに大きな航空母艦。病院船の左舷にそびえる巨大な空母を、大五郎は呆然と見上げていた。

 大きくせりだした空母の甲板で太陽が隠れ、病院船の屋上が夜のように暗くなった。空母の左舷後部の(へり)から大きな縄梯子が垂れている。網目状で、よこ幅が三十メートルほどはある。
「はやく上がってこい! この縄梯子をつかってこっちに乗り移るんだ!」
 甲板の上から空母の乗員が叫んだ。
 みんなが縄梯子を上りはじめると、病院船の船首のほうからまっ黒なけむりが流れてきた。
「あまりのんびりしてるヒマはなさそうだな」
 ハリーが葉巻を足もとに落としてふみ消した。
「ぼうず、おんぶしてやる。しっかりつかまってろ」
「うん!」
 縄梯子を登るハリーの背中に、大五郎は必死にしがみついていた。病院船の屋上から空母の甲板までの高さは、だいたい七、八メートルぐらいだろうか。ハリーの下から、長老もつづいて登ってくる。空母の乗員たちも、自力で登ることのできない患者を背負って救助していた。
 沈みかけた病院船から、何十という数の人間が、ハリーの横に並んで登って行く。彼らの下からも、つぎつぎと登ってくる。まるでソロバンの玉のようだ、と大五郎は思った。
 ほどなく、ハリーの肩越しに空母の甲板が見えてきた。平らで、とても広い甲板だ。
「ついたぞ、ぼうず」
 ハリーの背中からおりると、大五郎は甲板を見渡した。
「ひろいね、おじちゃん」
 サッカー場よりも広い。大五郎はそう思った。しかし、あまり飛行機はないようである。
「願いが叶ってよかったな。ぼうず」
 そう言って苦笑すると、ハリーは新しい葉巻に火を点けた。
 病院船の乗員は、なんとか全員救助されたようだ。空母はどんどんスピードを上げて病院船から遠ざかってゆく。
「あっ、さかだちした!」
 病院船を指差しながら大五郎は叫んだ。
 まるで茶柱のように、病院船がまっすぐ海の上に立ったのだ。船尾部分を空に向けて、船首のほうからゆっくりと沈んでゆく。
「やれやれ。危機一髪じゃったのう」
 長老が安堵のため息をもらした。
「そいつはどうかな」
 声のほうをふり向くと、黒いマントの男が立っていた。右のマユから左の頬にかけて流れる三日月形の大きな傷痕のある顔。そして()いだような冷たい瞳。世界的に有名なヤブ医者、羽佐間(はざま)九郎(くろう)である。
「まだちかくに潜水艦がいるかもしれないんだ。油断はできないぜ」
「あんたも無事だったか。ドクター・ブラックジョーク」
 あいさつ代わりにハリーが言うと、九郎は冷たい瞳で〝きっ〟とにらみつけた。
「そ、そう尖がるなよ。ドクター・ハザマ」
 怯んだハリーは小声で訂正した。九郎はブラックジョークと呼ばれるのがあまり好きではないらしい。
「ケガはなかったか、ぼうず?」
「うん!!」
 笑顔でうなずいた大五郎に、九郎は「そいつはなによりだ」と、冷たい瞳でほほ笑んだ。
 じつは、大五郎を病院船に乗せてくれたのは、このブラックジョークこと羽佐間九郎なのである。両親とはぐれたあと、たまたま車で通りかかった九郎に大五郎は助けられたのだ。
「救助された者は全員食堂に集合せよ!」
 空母の乗組員の男が難民たちを艦首左舷のタラップのほうに誘導している。
 大五郎たちも食堂に向かうと、ドアを入っていちばん奥の席に三人で座った。
「それにしても、やけに乗組員が少ないな。空母ってのは――」
 ハリーが言い終わらいうちに甲板のほうから大きな爆発音が聞こえてきた。つづいて、艦尾のほうでも大きな爆発がおこった。警報が鳴り響き、艦全体が激しく揺れる。ハリーが椅子から投げだされ、うしろのカベに背中を打ちつけながら床に尻をついた。そして大五郎も、椅子から投げだされて尻もちをついた。
「ぎゃふん!」
 床を伝わってくる爆発の振動。そして悲鳴。避難民たちは、みんな床を転がっていた。
「はうぁ!」
 長老もイスに座ったままうしろに倒れ、テーブルの角で後頭部を強打した。そして、そのまま床に倒れ込み、口から白い泡をブクブクと吐きながら痙攣(けいれん)をはじめた。どうやら長老は気絶してしまったようだ。
「いったい、なにが起こったんだ?」
 カウボーイハットを被りなおしながらハリーが立ちあがった。
 そのとき、ハリーのうしろをひとりの男が小走りで通り抜けようとした。
「おっと」
 ハリーがよろめいた。男がハリーにぶつかったのだ。甲板作業員の黄色い作業服、そして、ヘッドフォン付きの黄色いヘルメットを被るメガネの男。見たところ、どうやら日本人のようである。
「また攻撃を受けるかもしれないんだ。あまり動きまわらんほうがいいぜ?」
 迷惑そうな顔でハリーが言った。しかし、男は返事をしない。そのままだまってハリーに背を向けると、男は足早に食堂から出て行くのであった。
「不愛想なやつだぜ」
 ハリーが不愉快そうに鼻を鳴らした。
「へんなおじさんだね」
 大五郎がそう言うと、ハリーは肩をすくめて苦笑した。大五郎も、ハリーの真似をして肩をすくめた。

エピソード「太平洋、血に染まる!」

                おわり

太平洋、血に染めて 「太平洋、血に染まる!」

次回 「金曜はカレーの日!!」

            おたのしみに!!


*エンディング
 https://www.youtube.com/watch?v=OJ-eoXh9My0
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【映像特典】
 https://www.youtube.com/watch?v=057McDP5YD4
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太平洋、血に染めて 「太平洋、血に染まる!」

事実上、このエピソードが第一話になります!!

  • 小説
  • 短編
  • 冒険
  • アクション
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-03-01

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
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  2. 2
  3. 3
  4. 4
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