天狗岩

天狗岩

青空を背景に、踊るように飛び込む少年達をイメージしました。

裕太は天狗岩から下をのぞき込んだ。

裕太は天狗岩から下をのぞき込んだ。
水面まで約5m。
それほどでもないと思っていた高さだが、実際に岩の上に立つと足が震えるのを感じた。
風も強く、油断していると落ちそうになる。目の前に広がる夏の山々が水面に反射し距離感がつかみにくい。
「はやくしろよ」
川から上半身を出した康平が叫んだ。裕太は無視して後ろを見る。
裕太の次に飛ぶのは直之だ。その後ろにも3人並んでいる。儀式に参加する者は天狗岩の首の部分で待ち、1人1人飛ぶのが習わしだ。
その直之は傍目にもかわいそうなほどおびえている。手足が震え、硬直した体を抱きしめるようにし、それでも果敢に並んでいた。
裕太はもう一度下をのぞき込んでつぶやいた。
「こりゃ駄目だな」
直之には無理だ。下をのぞき込む前からこれだけ怖がっているようでは話にならない。
仲間はずれにされたくない一心で参加を決意したのだろうが、人には向き不向きがある。
「おまえには無理だからやめておけ」
夏休みに入ったばかりの頃、裕太は直之に言った。
「習わしっていったって正式な物じゃないし、川で泳げなくなるだけだろう。だいたいおまえ泳ぎ自体好きじゃないだろう」
裕太の説得に、直之は
「でも……」
と言ったっきり、参加するとも辞退するとも言わなかった。
10歳になった男子はお盆に天狗岩から川に飛び込む。いつの頃からか村に伝わる風習だ。
怖いと思う心を川の神様に捧げ、一年間、川の事故がないようにとの思いから始まったと聞いている。
強制ではない。実際、去年も1人辞退している。辞退した者は神様のお許しを得ていないので川遊びができないという制限があるが、それ以外の罰があるわけではない。神様がどうとか、正直僕らには関係のないことだ。皆が飛び込むのは、「あいつは辞退した」というレッテルを恐れているからだと裕太は思っている。お父さんが、村のある人のことを
「あいつは飛ばなかったからな」
と言っているのを聞いたことがある。狭い村で、不名誉な称号は一生ついて回る。どんなに頭が良くても、真面目に働いていても、飛ばなかったというわずか10歳の頃の一事実だけでその人が評価されてしまう。
飛ぶ勇気があるなら飛ばない勇気があってもいいはずだ、と新任の担任教師は言っていたけれど、それはこの村で生まれ、育った人々の気持ちとは相容れないものだと思っていた。
裕太は、今まさに飛び込もうとする瞬間に先生の言葉を思い出した自分に驚いていた。
もう一度振り返り、さんさんと照りつける太陽の下、青白い顔をしている直之を見て心を決めた。
「俺は辞退する」
そう宣言して、川に背を向けた。皆のどよめきが蝉の大合唱と重なった。
「裕太、なんでだよ。おまえ平気だろ」
康平が驚きを隠せない様子で叫ぶ。運動が得意で体も大きい裕太は飛んで当然の扱いだった。ガキ大将格の康平は、次に飛ぶ直之が怖がる様子を面白がり、楽しむために裕太にはさっさと飛んでもらいたかっただけだ。
「うるさいな、辞退するのは自由だろう」
順番待ちの少年達の視線を受けながら岩を降りる。まだ騒いでいる康平を黙らそうと口を開きかけた時、ざぶんという音と、歓声が上がった。
川面に上がった水しぶきが水面を叩き、直之が顔を出した。直之は目を見開き、沈まないよう犬かきのように手足をばたつかせていた。その頭上に少年達の賛辞が降り注ぐ。
「すげえぞ直之」
「やった!!」
「マジかよ直之」
必死に泳いでいる直之は、弾けんばかりの笑顔で皆に向かって何か言っている。そこに先ほどまでの恐怖心で潰れそうな少年の姿はなかった。裕太は岸に上がる直之を信じられない思いで見ていた。自分が辞退すれば直之も辞退しやすくなるだろうと考えたのに、まさかあの直之が飛ぶとは思ってもみなかった。再びざぶんという音がする。次の少年が飛び込んだのだ。皆、再び歓声をあげ勇気を褒め称えている。直之がこちらへ近づいてきた。
「直之、おまえすごいな。あんなに怖がっていたのに」
裕太は、友人の勇気を素直に褒め称えたい気持ちで言った。直之ははにかんだ笑顔でありがとうと言い、小さな声で付け足した。
「待っている時、裕太の足が震えているのが見えたんだ。裕太でも怖いんだと思ったら僕なんかが怖いのは当然だなって思えてさ。それでなんか気が楽になったっていうか」
「おい直之こいよ、最後のジャンプだ」
康平が直之に手招きをしている。直之は笑顔のまま駆けだしていく。1人残された裕太は直之の後ろ姿を見ている。
俺が怖がっていたって?足が震えていたって?
何を言っているんだ、俺が辞退したのはおまえのためなのに。
ばかなことを言うな。俺は飛べなかったんじゃなくて、飛ばなかったんだよ。
皆に言わなくては、説明しなくては、そう思った。分かってもらえるだろうか、裕太は震える足で皆の所へ向かった。

天狗岩

ごはん初投稿作品です。

天狗岩

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-02-27

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