憂鬱

憂鬱

「奥さん、危ないですから、もう少しさがってください」建設作業員の声が飛んだ。

 康子の目の前で、生まれてからずっと暮らした家が、大きな音を立てて破壊されている。いや、正確には生まれる前から、既にこの家は存在したが、築百五十年とも言われるこの家の解体で、わたしはやっと解放されるのだろうか。

 私が生まれた家はいつの頃からか男子に恵まれず、何代か前から女系の一族だった。私の母も他県から良縁を戴いたが、やはり養子縁組みだった。それには理由があった。今の時代では一笑に付されるが、この家にはある呪いの話が伝わっていた、それを聞いたのは結婚が決まって、この家に正式に入り婿つまり養子を貰うことが決定した夜だった。四代前の頃に、行儀見習いで入った女中が、ひとり息子の嫡男との恋がらみで当時強かった身分制度の前に、無理矢理仲を裂かれたという話だった。その若い女中は庭の片隅にあったと言われている井戸に身を投げたそうだが、不思議にも遺体は何度捜索しても、見つからなかった。ただ井戸水をくむ釣瓶に一本の帯が上がってきただけだったそうな。

 女中の部屋には家督が絶えるように永代恨みをかけるというような手紙が残されていたそうで、事件のあった2年後には嫡男が東京で客死の身の上となって、この家の男系が絶えた。その事件以来、密かにこの家では娘の呪いを畏怖して年に一度、その娘の命日と言われている日に鎮魂式が催されて、菩提寺の古刹から大僧正と言われる僧侶が派遣され恭しくお経を上げているのを、小さい頃から記憶している。

「あ、お母さん、壁が壊されていくね」と長女が言った。
「ホントだね、色んな思い出の家だったよ」私は屋根が落ちていく様を見て、母と祖母を思い出していた。

 私は二十五歳で結婚した。夫は会社の同僚だった、母の夫も早く亡くなっている男性のない家に、夫は養子縁組と婚姻とを同時にして式を挙げた。「小糠(こぬか)三合あったら婿に行くな」などと言われた時代と違って、お勤めをしていた頃に知り合って、話が自然に進んだ結果なので、あまり祖母や母が気にしたような心配はしていなかったが、上二人が女の子であったせいか、家督相続を気にして祖母は家督繁栄の祈願祭を夫に強く申し入れした。
夫はあまりいい気分ではなかったようだ。しかし顔を合わす度に、言われる口上に遂に母と祖母を揶揄するように言った。

「いいですか、妊娠2ヶ月までは胎児の体も脳も男女差はないんです。人の体も脳も初期設定は女性。Y染色体を持った男の子は男性ホルモンシャワーを妊娠期間中に浴びることにより、胎児の脳が男性型に傾き始める。性染色体のX染色体とY染色体の組み合わせで男女性別は決定される。生き物の色々な形態や行動などには、遺伝的要因が深く関与する。これは性差・性的能力にも当てはまる、性別に遺伝要因が深く関与するのは近年の臨床で照明されている。別の要因として生命維持の環境要因も関与するとはいえ、遺伝的ベースがなければ性も性差も形成されない。」と医学的にも生物学的にも、呪いの入り込む余地はないとまで言い切った。

母も祖母もあまりの剣幕に、言いだしかけた言葉を飲み込んだ。それ以上事を進めるには、あまりにも自分達は迷信的だと悟ったからだ。結局、祈願祭は祖母と母が進めることで、こちらには何の関与もなかった。夫は迷信じみたふたりに対して、少しずつ距離を取るようになり、実家にもあまり足を向けることはなくなった。

「健治、とうとう来なかったわね」と、長女に言った
「まったく、いくら仕事が忙しいからと言っても、こんな日くらい何とかしたらいいのに」長女は崩れていく屋根を見てこう返した。
「まぁ、健治にも来れない理由があるんだよ」我が家のたった一人の男である健治はいま、仕事の関係で東京にいる。

 健治が生まれたのは三十歳の時だった。私は三人目の子供を授かった。母と祖母は毎日の如く顔を見せて、お腹の子供が男の子であることを願った。しかし、お腹の子供はエコー診断と医師の見解では今度も女子であろうと言うことだった。その報告を聞くや、祖母は静かに強く私に言った。

「康子、大僧正さんの所へ行って、変成男子の法を承けにいくんだよ」

私には何のことか分からなかったが、変成男子とは例え既に女の子であってても、特殊な修法によって男に変えることのできる秘法ということだった。陰陽師の安倍晴明や平安の頃に貴族が家督相続のために頼んだ修法で特別な力を持った僧侶や陰陽師でしか行えず、平清盛も御所で高僧を呼んで修し安徳天皇を授かったと言われている。夫は大反対した、五ヶ月は一番大事なときなのに、しかも訳の分からないそんなところにと抗議した。しかし祖母と母は意に介せず、二人に押し切られる形で、私は夫の居ない間にその修法を承けた。

 やがて、再度の超音波検査で胎児は男の子である事が判明して、母は満面の笑みで祝ってくれたが、医師は二枚の画像を比べて首をかしげた。
それから暫くして祖母が病に伏し、看病空しく、やがて逝った。祖母の一生はまるで祟りを恐れ、避ける事に腐心した一生であったように思える。母親はそれからも鎮魂式を絶やすことなく、一人それを続けた。
男の子を無事出産して、満三歳を迎える前に母は他界した。しかし棺の中の母は満足そうな顔をしていた。

母が守っていた家に家族で引っ越ししてきて、それから人並みの家族の苦労も味わったが、女は皆嫁ぎ、健治は関東方面の全寮制の高大一環の私立学校に行き、大学卒業後もそのまま東京に残った。夫は定年を待つことなく、五十八であっけなく逝った。

息子も居ない広い家に一人は物騒だというのと、老朽化も進んだので、土地も整理して、私は長女夫婦の住む近くのマンションに引っ越すこととなった。
「お母さん、埃が凄いから車に戻りましょ」長女が、言った。
「そうだね、もうあらかた無くなったしね」後は離れを壊すだけとなり、瓦や材木、土壁の残骸がうずたかく山と為していた。

「さ、紅茶をポットに入れてきたから、これ飲んで」長女は運転席からカップを差し出してくれた。
「ありがとう」私は後部座席の窓越しに、家の最後の姿を見つめていた。
「あ、お母さん、健治だよ」長女が点けたカーナビのTV画面から昼のバラエティ番組の喧騒が聞こえた。
「見たくないから、消しておくれ」私は苦々しく言った。

そこには、ニューハーフタレントとして売り出し、今は女性タレントとなった健治が華々しく紹介されていた。

私はまだ続く呪いに、憂鬱を憶えた。

憂鬱

憂鬱

  • 小説
  • 掌編
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-02-02

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