来たるべきその日にした約束

来たるべきその日にした約束

Found

「あらり。おいで」
ベッドに寝転ぶ博士の呼ぶ声が聞こえた。ここ最近はずっとベッドの上にいる。
「はい。何でしょうか博士」
「これをみてくれ…」
博士はシワシワになった手を私に見せてきた。
「手が、どうかしましたか?」
「お前を作ってから何日経った?」
私の問いを無視して博士が言った。
「2974日、年月日になおすと、8年1ヶ月と24日目です」
「そうか…。随分長くいたもんだ…」
どこか遠い場所をみて博士は言った。
「体の調子はどうだ?」
「順調です。変えなきゃいけないパーツは全て最新のものに変えてあります」
「そうか…」
博士は目を閉じた。ここ数日、調子が悪い。私がパーツを取り替えてあげないといけないのかもしれない。
「それを聞くために呼んだんですか?」
「人間の感情は、どうだ?どの程度まで理解してるのか聞かせてくれ」
またもや私の問いを無視しての質問。
「どこから話せばいいですか?」
「どこからでもいい…ゆっくり話を聞かせてくれ…」
何から話そうかなぁ。生まれた日から今までのメモリーを復元していく。
圧縮してメモリの片隅に置いてあった記憶。
“たいせつなきおく”フォルダの中の言葉たち。
何気ない仕草、会話の記憶。
「どれからお話ししましょうかねぇ…。迷いますが、私は今から小さな映画館です。博士と私の記憶を短編映画のように語っていきます。ぜひ泣いてください」

“目を開けると、普通の家の普通の天井でした。
いろんなことを確認する前に「おはよう」と声が聞こえました。
声のした方には博士がいました。
あの日の博士は、そわそわしていました。
どういう心境だったのか、今の私が予想するとすれば、初めてのデートです。
何を話そうかな。何をしてあげようかな。
私の事だけを考えていたであろう博士の目は輝いていました。

“最初に教えてくださったことを覚えていますか?
まだ空き容量の多いメモリーに、博士は読書を覚えさせてくれました。
どこかの世界の誰かが書いた1つの物語。
当時の私は、この本に書いてあることは全て事実だと思っていたので、3987冊の本を見て、3987通りの世界に順応していきていかなければならないのかと、少し心配でした”

“本を読みつつ、日常的な暮らしを行って32日目。
150日前後で読み終わるだろうと推測していた博士は、すごくびっくりしていましたね。
あの本の何ページ目に書いてあったことはなんだ?
どうしても信じられない博士とそんなやりとりを何回もしましたよね”

“次に博士は、私を作った理由について教えてくださいました。
「あらりには『ココロ』について学んで欲しい」
すごく真剣な目で言われたこの言葉を、私はこれまで追いかけてきました。
屋上からの人間観察。それだけには(とど)まらず、いろんな景色を博士は見せてくださいましたよね。
1番の思い出は、博士と出かけた公園での光景です。
あの日の景色を、私は忘れません”

“それから、少しずつではありますが、外の世界に行けるようになり、いろんな人と仲良くなることができました。
小さい友達から大きな友達までたくさんです。
みんな私の体に触れて、すごいすごいと褒めてくれました。
自分が褒められているのに、博士が褒められているみたいで嬉しかったです”

“人には喜怒哀楽というものがある。
ココロを知るためには、まずはそれらを認識できるようにならなければいけないと思いました。
ですが未だに…私には、何もわかりません。
本で学んだ喜怒哀楽は、どうもしっくりした回答がえられませんでした。
きっとこれは、それに似た何かだと思うのですが、私のプログラムの中にある
『どうしようもないことが起きた時や大切な何かを失った際に目からオイルが溢れ出す』
『我を忘れて温度が上がる』
『表情が崩れて、笑顔のデータの先を行く』
『⁇⁇⁇⁇』
これらはそれぞれ喜怒哀楽を表すんですよね?
いつか実行して見せます”

“…そうですね。次は…”

博士は随分と前から目を閉じていた。
話すことに慣れていない私は、話すことに夢中になってしまい、博士の異変に気が付かなかった。
「博士?!」
急いで駆け寄るが、すでに博士の心臓は停止している。心臓マッサージを試みるが、バキバキと骨が折れる音と感触のせいで、集中できない。
一刻を争う状況なのに、こういう時のためのマニュアルもあるのに、うまく動作しない。なぜなんだ。別にエラーはない。メンテナンスは十分に行ってある。原因不明の何かによって、私は人間のようにか弱いロボットになってしまった。限界を感じた私は、救急車を呼んだ。数十分後に、救急隊員の方が来て、博士は運ばれる救急車に同乗して病院へ。

「先生…博士は…?」
「とても危ない状態です。今夜が山でしょう」
「何でですか!不具合のあるパーツを取り替えるだけじゃないですか!」
私の言葉に先生は困ったような顔をして、何も言わず、ただお辞儀をして去っていった。その意味が私には分からなかった。それから数分後、椅子に腰掛けていると、ショートカットの看護師さんが声をかけてくださり、その指示に従って、私は博士が眠っている病室へと案内された。
中に入ると、いろんな機器、器具に繋がれた博士がいた。懐かしいなと思った。私も最初はこうして繋がっていた。
「博士はいつ治りますか?」
看護師さんは何とも言えない表情をして、言った。
「先生がおっしゃっていましたが、今夜が山だと…」
「何故ですか??必要なこのパーツがここにはないんですか??」
そう言うと、さっきの先生と同じような顔になった。
「ないのであれば、私が取りに行きます。ですからどうか…助けてあげてください」
「…パーツというのは臓器のことですか?」
恐る恐る、看護師さんは言った。
「いえ、違います。博士も私と同じように、アンドロイドなんです…だから──」
「君の博士は、人だよ」
後ろから聞こえた声。振り返りざま、何故かプログラムミスが起きて『笑顔のデータ』が起動した。
「…博士が人?と、おっしゃいましたか?」
「そうだ。君は“姿新利(すがたあらり)だな」
「はい…そうですが、貴方は?」
「俺は、待画探(まちがいさがし)。博士の助手だよ」
「助手…」
その顔には確かに見覚えがあった。
7年前の夏。博士のラボに立てかけてあった額に『思い出』と書かれたタイトルのポートレートが何枚も掲示されていた。その中の1人に、似たような人がいた。年数のたった写真だったが、数十年後にはこの顔になるだろうというパターンの中に、待画さんはいた。
「話をしよう。まだ博士は大丈夫だ」
そういうと、背中を向けてゆっくりと歩き出した。待画さんの後をついていく途中、後ろ姿がどことなく博士と重なった。
「入って、適当にくつろいでいてくれ」
しばらく歩いて、案内された部屋は、喫煙所だった。中央に空気清浄機のようなものがあり、四方八方の壁がヤニで黄色くなっていた。
隅っこに置いてあるソファに座り、待画さんを待った。
タバコを吸っていた博士の9倍ぐらい臭い部屋で10分ほど待っていると、コーヒーを持った待画さんが入ってきた。
「悪い。遅れた」
「いえ」
何とも言えない時間が流れる。話をするわけでも、しないわけでもなく、ただコーヒーを飲みながらの沈黙が5分ほど続いた。
「どう思った?博士が人だと聞いた時」
先に口を開いたのは待画さんだった。
「信じられませんでした。と言うよりも、今も信じられません」
「理由は?」
「博士は腕のパーツを取り替えていました。私がこの8年間で学んだ限り、人間がそのようにパーツを変えるなんて事はないはずなんです。あ、あと、ちゃんとモーターの音もしました」
「そうか…」
そう言うと、待画さんはまた沈黙タイムに入った。自分の世界に浸る時間が長い。
「いや、そうじゃない。俺は単純に話すのが苦手なんだ」
「え…?」
「今そう思っただろ?」
「はい…」
「ロボットなんだ。俺も」そう言って、煙草に火をつけた。
「気づかなかっただろ?」
「はい…。気付きませんでした」
「俺も、君がロボットだとは気づかなかったよ。よくできている。俺たち以上に」
そういうと、待画さんは私の頬を摘んで、離した。
「でもさっき私の名前を…」
「あぁ。知っている。ゆっくりになるが、今から昔の話をする。よく聞いてほしい」
そう言って、煙草を灰皿に捨てた。

「博士はとても偉い人だったんだ。ロボット工学に革命を起こしたとして、名前が残るほどに。ロボットには、ロボット工学三原則と言うものがある。安全性、命令への服従、自己防衛の3つ。これをプログラム化して、動かされているのがロボットだ。そして、技術の進歩とともに、AI(俗に言う人工知能)搭載のロボットが増えていき、AIが搭載されて数十年後。限りなく人間に近い俺たちアンドロイドが誕生した。しかし、俺たちが世に出回る事はなかった。まだ解決するべき問題が山ほどあったんだ。その中の1つに、一般的フレーム問題というものがある。分かるか?」
「はい。本で読んだことがあります。AIが、1つの問題を解くときに、現実世界では、関係のある事柄から、全く関係のない事柄まで、無数にある現象の中から、その問題にあった解を導かなければいけないけど、AIはその無数の中から1つの答えを探すのに、莫大な時間がかかってしまう。人であれば、関係のある事柄だけから解を選べばいいが、AIは全てをふるいにかけて計算しなければいけない」
「そうだ。『(フレーム)の中だけで物事を測れない』だから俺たちは、『スーパーで大根を買ってこい』と命令されるだけで、処理落ちしてしまう。しかし博士は、そのフレーム問題を解いたんだ」
待画さんはそこで一旦区切って、コーヒーを開けた。
「当時、23歳の博士が発表した論文は、今でいえば完璧なものだった。だが、あまりにぶっ飛んだ考えと、全く新しいプログラム理論は、学会では評価されず、誰も聞く耳を持たなかった。そして博士は自分のラボにこもりっきりの生活を送るようになって、ひっそりと俺たちを作った」
軽い咳払いをした後、コーヒーを一口だけ飲んで、ため息をついた。
「…ごめんな。長い話をして」
「いえ。とても興味深い話です。私は博士の過去について何も知らないので…」
「そうか」
博士らしいな。と、待画さんは呟いた。この一連の動作を、私はすごく人間らしいと思った。待画さんは既に感情を理解しているんだろうか。
「いや、俺たち初号機は『限りなくそれに近いプログラム』がインストールされてるだけだ。それはほとんど人のそれと大差はないが、あと一つ、何かが足りない。そしてこれは、俺が考えていることではなく、全てインストールされているものだ」
それはどういう意味なんだろう。
「そのままだよ。全てはプログラムなんだ」
「ですが…受け答えに矛盾は感じませんよ?今日は暑いですね?」
「………」
「なるほど。こういうことですか」
「そうだ。行こう。わしの元へ。最後の挨拶だ」
待画さんがそういった。恐らく、こうなることを見込んで、組み込まれたプログラムなんだろう。

待画さんが扉を開くと、先ほど同様目を閉じた博士が寝ていた。
「このプログラムが起動してるという事は、俺はもうベッドの上かな。初めまして。まだ27歳の鷲尾《わしお』です」
ベッドの前で待画さんの最後のプログラムが起動した。
「初めまして若かりし頃の鷲尾博士。私は姿新利です」
「すまない…。残念だが、君の受け答えにしっかりと返事ができるようには出来ていないんだ。そのまま話を聞いてくれ」
「分かりました」
「まずは…そうだな。誕生おめでとう。心から祝福するよ。そしてごめんな。今まで黙ってて。俺は人間なんだ。知ってたらごめん」
知りませんでしたよ。なぜか隠し通されました。
「実は、若い頃にね、交通事故で右腕を失ったんだ。それから何年か経って、海外で4例しかなかった、サイボーグ施術を受けたんだ。もしも俺が腕を交換している姿を見たのなら、それだよ。俺はアンドロイドじゃなくて、サイボーグなんだ」
そうだったんですね。
「なぜ自分もアンドロイドのように振る舞ったかというと、人間として見て欲しくなかったからなんだ。人と人が分かり合えるように、機械として、今目の前にいるであろう、君と、いろんなことを分かりあいたかったんだ」
そうだったんですね。
「騙すような真似をして悪かった。気付いていて、それを言わないように気を使ってくれていたなら申し訳ない」
大丈夫です。全く気付きませんでしたよ。
「さて…。 あらり…でいいかな?君は今、何を考えている?むしろ、ちゃんとこの音声を、俺の思いとして、聞いてくれているか?」
はい博士。しっかりと聞いています。私は私の“意思”で、聞いています。
「君は、初号機とは別な作りにしたんだ。AIの問題である、フレーム問題を、解決させるのではなく、考えさせてあげるプログラムにしたんだ。これは暴挙と言っていいね。世の全てを考えさせるように出来ているってことだから」
あ、そのせいだったんですね。私が物事に対して、深く深く悩んでしまうのは。
「成功したのか失敗したのかはさておき、恐らく君は『感情』について、深く深く悩んでいるね?」
その通りです。もう8年の月日が経ちますが、何もわかっていません。
「私ももう長くない。だから最後に教えてやろう。君の追い求める『感情』とは何か、を」

”それは、今を思うことなんだ”

「楽しかった、悲しかった、嬉しかった、怒った、お腹がすいた。今ふと思った一つ一つが感情なんだ」
……。
「同時に、心、でもある」
……。
「ピンとこなくてもいい。ただ人間が勝手に名前をつけただけだから」
……。
「もう探さなくていいんだ。最初から見つかりっこない宝探しは終わりにしよう。それはいつもそばにあって、見えないんだ」
……。
「あらり。お前は、俺の最高傑作だよ」

名前のないプログラムが起動して、私は動作しながら、考えるのをやめた。目からはオイルが溢れ出し、温度が上がり、めちゃくちゃな顔をしている。

いつの間にか心電図はリズムを刻むのをやめ、同じ音を鳴らし続けていた───。

悲しいことがあったらなく。
嬉しいことがあったら笑う。
気に食わなければ怒る。
お互いを思い合うことができる。

今、いろんなことを頭の中で考えていた。
これまでの日々、あの時の思い、言えなかったこと、言ってしまったこと。
それら全てを別として考えていただけだったんだ。
最初から答えはあった。ただ、博士のいうとおり見えなかっただけだった。
全てに意味を見出す必要はない。
私は今を、生きているんだ。

博士の眠る場所で、手を合わせながら小さな約束をした。
来たるべきその日がくるまで、精一杯生きていくと。

来たるべきその日にした約束

来たるべきその日にした約束

「最初から、ずっとあったんだ」

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-02-25

Public Domain
自由に複製、改変・翻案、配布することが出来ます。

Public Domain