鍵束メモリーズ
相談部シリーズ5
鍵束メモリーズ
この間まで凍えるようだった寒さが緩み、思わず睡魔に引き込まれてしまいそうになる季節。桜の蕾はほんのり染まり始め、風の中に沈丁花が香る。
学年末考査という名の強大な敵を前に、ずたぼろにされた精神がようやく復活を始めた頃、俺たちは相談部の部室に朝早くから集まった。
「さて、いよいよこの日が来てしまった」
宋向先輩、通称宋さんが、腕組みをしながら遠くを見るように目を細めて顔を窓の向こうに向ける。
「早いですね、ついこの間、ここに来たばっかりみたいな気がします」
しんみりと感想を漏らす渡海に、宋さんは相変わらずの表情のままで何度も頷く。
「何だかんだで色々やってきましたもんね。今年度だけでファイルがもうこんなに」
古びたテーブルの上に並んだ青やら赤やらのA4サイズのファイル。ジャンルごとに綺麗に仕分けられている。
「さて、諸君。分かっていると思うが、今日、俺たちは重要な任務がある」
改まった口調で、偉そうに俺たち二人を見る宋さんの挙動がいちいち気に障る。言われなくても分かってるのに。
「俺たちの偉大なる先輩である、布施先輩が卒業される。しいては、盛大に送り出さねばなるまい」
「ちゃんと花束も用意してます」
渡海が持ってきた大きな花束。三人で金を出し合って買ったものだ。布施先輩らしい花束、ということで白や黄色といった柔らかな色合いの花が詰まっている。
「色紙も書いた。ビデオレターも今晩、先輩の自宅パソコンに送信されるように手配してある」
サプライズのためになら全力を注ぐ男、宋向先輩。もう少しその情熱を勉強面にも向ければいいのに、というのは口には出さないでおく。俺も人のこと言えた身じゃないし。
「鞘脇、例の物は?」
「ちゃんとありますよ」
大学に行って、一人暮らしをしても使えるように、ということで渡海と揃って買いに行ったテーブルランプ。虹色に光を淡く反射するクラゲをあしらったランプシェードが俺も気に入ったので、先輩に贈ることにしたものだ。
「よし、首尾は上々。後は仕掛けを何とやらだな。行くぞ」
窓の外を見ると、同級生たちも次々と登校してきている。これから教室に集合してから、体育館に移動だ。三年生たちは既に教室に集まっていることだろう。
「じゃあ、また後で」
「泣くなよ、鞘脇」
「泣きませんよ」
たぶん。
「私、泣いちゃうかもしれないです・・・」
「女子は泣いて雰囲気作りするのが仕事だからな。大丈夫だ!」
この人は、何か色々と勘違いしている気がする。
放送が在校生の集合を告げる。
俺たちは急ぎ足で自教室へ向かった。
市内の高校でも大きい方に入る体育館とはいえ、卒業生、在校生、保護者、と大量の人間が押し込まれていると狭く感じる。
紅白の幕が下がる中、中央に作られた通路をクラスごとに卒業生が歩いていく。
その中に、見慣れた姿を認める。一瞬交錯した視線。先輩が破顔したような気がした。
夏に切った先輩の髪は、もう肩よりも下に毛先が届いている。歩くたびに左右に揺れるその髪を目で追ううちに、その姿は人の群に消えていった。それより後は、席に座ったからだろう、見えなくなってしまった。
校歌斉唱、卒業証書の授与式、送辞、答辞、と淡々と式は進んでいく。そこには、何の感情もないようで。
でも、むしろ、その冷たいほどの機械的な運びが、先輩がもう卒業してしまうんだという事実をまざまざと突きつけてくるような気もして。
気づくと、宋さんが唇を噛みしめているのが目に映った。何だよ、あんたも泣きそうじゃないですか。心の中で呟いて、ふと、渡海はどうなんだろうと背後を伺った。
渡海は泣いていなかった。
微かにその目は潤んでいたものの、視線を逸らすことなくずっと前を向いていた。俺が見ていることにすら気付く様子がない。
何を考えているんだろうか。今までのことでも思い返しているのか。相談部での活動の日々を丁寧になぞっているのだろうか。
もうあと数ヶ月で別れることになる、あの相談部の部室に思いを馳せているのだろうか。
起立を告げる教頭の声。
立ち上がった時、ちらりと見えた黒い艶やかな髪。
白い横顔は、少し笑んでいるようだった。
式を終えた後は、在校生は解散となる。帰っても良いし、残っても良い。中には部活があると言ってグランドに出かけるクラスメイトもいた。
俺たちは真っ先に相談部の部室を目指す。
立て付けの悪いスライドドアを開けると、既に宋さんと渡海は揃っていた。
「お、来たな」
「遅いよ、鞘脇」
「先輩は?」
「まだだ。クラスで担任の話とかがあるだろうな。いいじゃねーか、俺らは別に急いでるわけじゃないし」
まぁ、それもそうか。
先輩も、担任とか、クラスの友人とか、色々話すこともあるだろうし。
そう思い、荷物を下ろして床に座った。昨日まであったパイプ椅子は保護者席が足りないという理由で体育館に持って行かれてしまったんだ。
渡海はテーブルに腰掛けているし、宋さんは壁にもたれて昼の光を浴びている。
蛍光灯は点いているものの、外の光の眩しさに、部屋の中が暗く見える。
「今日でさ、この教室使うの最後なんだよな」
不意に呟いた宋さんの言葉に、俺と渡海は顔を上げた。
「お前らはまだ一年だけしか使ってないから分かんないかもしんねーけど、名残惜しいんだよな、この教室から離れんの。先輩はもっとそうだろうけど」
「私だって寂しいですよ。教室の次に過ごした時間長いんですから」
渡海は少し頬を膨らませて言う。そういう子供らしい仕草は入学当初の印象から変わっていない。
悪い悪い、と軽く笑いながら返す宋さんの仕草も。
誰も最初からずっと変わってないような気がするのに。時間だけはあっと言う間だった。
気付いたら先輩が卒業する季節。そして、この部屋との別れの日。
相談部は来年度から、正式に生徒会の活動に含まれることになった。今まで、一応生徒会の一部ではあったものの、生徒会室からは遠く離れたこの部室で活動してきたが、四月からは生徒会室内がその相談の場となる。
生徒からの悩み解決の実績が評価された、と布施先輩は言っていたが、実際それだけではないと思う。同じ生徒会に属するのに、相談部だけが外れ者のような扱いでは不当だ、という布施先輩と生徒会長との交渉があった、というのを宋さんから聞かされたからだ。
先輩が卒業した後、俺たちが少しでも良い環境で活動できるように、という先輩の計らいだろう。
けれども、一年間通い続けたこの部屋と別れるのは、渡海同様寂しいもので。
真昼の光で浮かび上がる部屋の様子を見て、ゆっくりと息をついたときだった。
「ごめん、遅くなっちゃった」
立て付けの悪いドアを簡単に開けて、先輩が顔を覗かせた。
「先輩!」
渡海が嬉しそうに顔を上げる。俺も弾かれたように立ち上がった。
「最後の活動なのに、ごめんね。写真撮ったりとかしてたら、結構時間かかっちゃって・・・」
「仕方ないですよ。卒業式なんですから」
宋さんが笑いながら言って、肩を竦める。
その間に、花束を掴んで渡海が先輩に駆け寄った。
「先輩、卒業おめでとうございますっ!」
「うわぁ、ありがとう。綺麗だね」
花束を受け取って微笑む先輩の顔が、光を正面から受けてぼんやり浮かび上がる。
「これ、俺たちからの色紙です。生徒会の連中からも書いてもらいました」
「こ、これも!卒業したら、使ってください」
色紙とテーブルランプを差し出す俺と宋さんに、先輩はさらに表情を崩した。
「え、いいの?こんなにもらっちゃって。ありがとう」
頭を傾ける動きに合わせて、黒髪が揺れた。艶やかな黒が映える。
「すごいねぇ、準備してくれたんだ・・・」
「当然っスよ。あ、俺が指示したんですよ」
宋さんが笑う。だけど、俺は別にあんたに言われたから贈り物しようと思った訳じゃない。もともと、何か贈らないとと思っていたんだ、先輩に。
「みんな、ありがとうね」
そう言って、荷物を丁寧に部屋の隅に置いた先輩が、部屋の中を見回した。
「この部屋もすっきりしたね。前はファイルでぎっしりだったのに」
これまで大量にあった資料は、全て生徒会室に運び込まれた。紙では管理が大変だと言うことで、近いうちに全てデータ化されることになっている。
「掃除大変だったもんねぇ・・・」
一週間前から、四日かけてこの部屋をきれいに掃除したんだ。日頃から先輩や渡海が掃除していたとは言っても、棚の中や裏まではしていなかったから、掃除はそれなりに大変だった。
途中、足の両端で八センチはあろうかという蜘蛛が出現して渡海が軽くパニックを引き起こしかけるという事件があったものの(因みにその蜘蛛は先輩が窓の外に逃がしてあげた)、何とか片づけを終えたときは、完全下校の時間をとっくに過ぎていた。
「今日で最後か・・・」
先輩が感慨深げに呟く。細められた目にかかるまつげが、柔らかく震える。
「やっぱり思い入れとかあるんですよね?」
渡海が問う。
もちろん、と先輩は頷いた。
「三年間使った教室だもんね。ていうか、この部屋に三年もいたの、私だけじゃないかな」
「え?」
俺と渡海は声を揃えて首を傾げた。
「何でですか?先輩の先輩・・・えっと、布施先輩が一年、二年だった頃の相談部の先輩も、この部屋使ってたんじゃ・・・」
だが、先輩は小さく笑って首を振った。
「それが違うんだよね。この部屋が相談部の部室になったのは三年前なんだよ」
「そうなんですか・・・」
てっきり、ずっとここを使ってたのかと思ってた。
「そう。だから、私が入学した年からなんだよ、この部屋が相談部になったのって。それより前は、どこだったかな・・・あ、そうだ。今は文化系クラブの物置になってる教室だよ。ほら、四階にある」
あぁ、あそこか。
何度か前を通ったことがある。演劇部や美術部が使っていた教室だ。
「だから、私がこの教室を使った相談部員第一号だね」
そっか・・・。
というか、先輩にも一年、二年だった時期があったんだな。まぁ、当然といえば当然だけれど。でも、今の部長、という印象から、当時の先輩が想像できない。どんな人だったんだろうか。
そんなことを考えていたとき
「あ、そうだ」
不意に先輩が顔を上げた。そして、俺たちを見ていたずらっ子のように笑って、
「ねぇ、最後に相談部に相談したいことがあるんだけど」
俺たちはきょとんとした顔のまま、互いの顔を見た。
「へへっ、こっち側に座るのは初めてだなぁ・・・」
先輩が嬉しそうにテーブルを挟んで俺たちに向かい合う。椅子は体育館から先ほど返ってきた。どちみち、今日の活動が終われば生徒会室に移動させないといけないのだけれど。
「えっと、それで、今日はどんな相談ですか?」
宋さんが尋ねる。渡海がシートの相談者の欄に先輩の名前を書き込んだ。
俺は宋さんの隣で、大人しく座って話を聞くことにした。
すると、先輩はポケットから小さな鍵を出して、テーブルの上に置いた。
「この鍵がどこの鍵なのか、調べてほしいんだ」
本当に小さな鍵だ。銀色の鍵に、ところどころ錆びたチェーンがついている。もとはどこの鍵か示すシールが貼ってあったんだろうが、今はその輪郭が残るのみで、情報を示すものが何もない。
「これ、どういう鍵なんですか?」
思わず聞くと、先輩も首を傾げた。
「私もよく知らないんだ。ただ、私が一年生の頃に、先輩がくれたんだ。確か、先輩が引退する時だったと思うんだけど・・・」
当時のことを思い出すように、先輩が頭上のあたりに視線を向ける。何があるわけでもないのに、俺もその視線の先を追って、蛍光灯に目を向けた。
「仲の良かった先輩でね、最後に私にこっそりくれたの。その時、先輩こんなこと言ってたんだ。“これは、私に初心を思い出させてくれるもの。あんたにも効果があるかはわかんないけど、あげる”って」
初心を思い出させてくれるもの・・・。入学当初に乗っていた自転車の鍵か何かだろうか。いや、でも形からいって、自転車ではなさそうだ。
「教室の鍵なんですか?」
「そうじゃないかな。この学校の教室の鍵とタイプは一緒だし」
この学校か・・・。それにしても、教室は多い。全部試している時間は無い。
「生徒に手がかりを聞いてみたらどうだ?似たようなのを見てる奴がいるかもしれない」
「あぁ、なるほど」
宋さんの言葉に渡海が頷く。
「ちょっと調査するんで、待っててください」
「うん、行ってらっしゃい」
宋さんと渡海が出ていく。
俺も後を追おうと立ち上がった。
「ちょっと行ってきます」
「うん、頑張ってね」
そう言って笑った先輩の瞳には、小さな光が宿っていた。落とし穴を仕掛けた子供のような、サプライズのプレゼントを隠したサンタのような目をしていた。
だけどそれも一瞬で。
次の瞬間には先輩は目を窓のむこうに向けていた。
俺は慌てて先に行った二人を追った。
「ひとまず運動部の奴らに聞いてみるか。部室とかの鍵かもしれないし」
「そうですね。その布施先輩の先輩って人が、運動部にも所属してた可能性だってありますし」
体育会系の部室は、体育館から外れたところに並んでいる。
冷たい風の吹き抜ける渡り廊下で身を竦ませながら、マフラーでも持ってくるんだったと後悔する。だけど、取りに返るわけにもいかず、仕方なしに鼻を赤くしながら小走りで急ぐ。
ふと体育館の方を見ると、一年、二年の生徒会役員たちがせっせと後かたづけをしていた。同じ生徒会の部署に属する俺たちはやらなくていいんだろうか。まぁ、宋さんが何も言わないからいいんだろう。
「ここはバレー部か・・・。誰もいないな・・・」
今日は卒業式なんだから、誰もいないのは当然と言えば当然だ。グランドを使うような部活ならともかく、体育館を使う部活は活動しないに違いない。
「鍵だけ試すか」
宋さんが鍵穴に、先輩からもらった鍵を差し込んでみる。
「お、差さった!」
鍵はすんなり鍵穴に入っていく。
が、
「回んねぇな」
「でしょうね」
ホテルとかでもそうだけど、鍵穴には同じタイプなら基本的に入ることは入る。回らないだけで。
「まぁ、この学校の鍵とタイプが一致したってことは分かったな」
「そんなの相談部の部室で試せば良かったじゃないですか」
「あ・・・」
宋さんが口をぽかんと開ける。今更かい。
「まぁ、後で確認したらいいんですけどね」
そこまで言ったとき、不意に向こうの方で部室に明かりが灯っていることに気付いた。
「あれ、どこの部ですかね?電気点いてますよ」
「お、ほんとだ」
三人で歩いていくと、部室の前の名前が見えてきた。
「男子バスケ部か・・・」
それと同時に扉が開いた。
「あれ、宋向じゃねぇか。それと・・・相談部の人だっけか?何やってんの?」
バスケ部員らしい先輩が顔を出す。
お、この人の顔知ってるぞ。春に会った人だ。名前は、えっと・・・。
「おう、志田。お前らこそ何やってんだよ。こんな時間に部室なんかに集まって」
そうだ、志田先輩だ。思い出した。バスケ部で靴が入れ替わってた事件の時、犯人だと疑われてたうちの一人だったはず。
「先輩の送別会だよ。ほら、三年が今日で卒業だから、色々話したいし」
「あぁ、なるほど」
どこも同じようなことを考えるんだな。そんなことを考えていたとき、ふと思い至る。
「じゃあ、三浦先輩に聞いてみたらいいんじゃないですか?あの人、布施先輩の友達みたいですし、何か知ってるかも・・・」
そう言ってみると、
「おぉ、なるほどな」
「何か分かんねぇけど、三浦先輩呼べばいいのか?」
「よろしくお願いします」
「布施が持ってた鍵ねぇ・・・。あたしも分かんないなぁ」
部室前の廊下の手すりにもたれながら、バスケ部マネージャーの三浦先輩は、そう言って首を振った。
「正直言って、そんな鍵を布施が持ってるの初めて聞いたし。もともと布施って自分のことあんまり喋らないのよね」
確かに、先輩は多くを語るタイプではない。部室でも、渡海の話を聞いて、笑いながら頷いている風景を見ることの方が多い。
「だから、悪いけど分からないわ。でも、その鍵、部室の鍵じゃないと思うよ」
「何でそう思うんですか?」
「部室の鍵って、管理が部活に任されてるの。だから、どこの部も結構自由にシール貼ったり、ストラップとか付けてるのよね。なのに、それって全然飾られた感じじゃないでしょ?どこかの会議室とか、教室とかじゃないの?」
「あぁ、なるほど。確かにうちも色々くっついてんな」
思い出したように宋さんが言う。そう言えば、この人はサッカー部と相談部を掛け持ちしているんだった。きっと、サッカー部の部室の鍵はバスケ部の鍵と似た感じなんだろう。相談部のような、生徒会系の組織の鍵なんかは、何にも付いてない、面白味のない鍵なんだけどな。
「まぁ、頑張って。布施の相談なんて、あんたたちも大変ね」
最後に苦笑を浮かべて、先輩は部室の中に消えていった。
俺たちは揃ってため息をついた。
「ダメか・・・。あの先輩なら何か知ってると思ったんだけどなぁ・・・」
「取りあえず他を当たってみましょうよ。文化部とかどうですか?」
「そうだな。ここからだと、演劇部が近いな」
演劇部からは今年の夏に相談があった。夜の火の玉が見える、という相談だった。それを解決したのも、布施先輩だったな。そして、同時に、その後に出かけた遊園地での出来事も思い出した。
あの時は、渡海が誘拐されたり、宋さんが所持金を粗方食い物につぎ込んだりと、大変だった。先輩が珍しく動揺する様子が見られたり、いつも軽い調子の宋さんがいつになく真剣だったりと、珍しい部員の一面が見られた気がする。
「あれ、鞘脇じゃん。どうした?」
演劇部の部室の前に来た時、ひょっこり頭を覗かせたのはクラスメイトの原田だった。
「いや、ちょっと・・・」
どうやって説明しようかと思いあぐねていた時、
ガチッ
不意に宋さんが、先輩から預かった鍵を演劇部の部室に挿し込んだ。
「・・・えっ?」
何が起こったか分からない原田が戸惑った声を漏らす。
渡海と宋さんが真剣そうな表情で鍵穴を覗き込んだ。
「回るんですか?」
そう尋ねると、
「回らねぇな・・・」
案の定予想していた答えが返って来た。
「闇雲にやっても無駄ですって。もっと考えないと・・・」
「そうは言ったって、何にも分かんないだろ」
ぶつぶつと不平を漏らす渡海と宋さんを後目に、原田が俺に顔を向けた。
「何やってるんだ、お前ら?」
「あぁ、実はな・・・」
布施先輩の相談内容をかいつまんで説明した。すると、原田は納得した様子で頷いてから、
「だとしたら、ここらへんの部室は無いと思うぜ」
「何で?」
「この部室とかが出来たのって、去年だからな。ほら、まだ新しいだろ?」
部室の中を伺う。壁を覆い尽くす小道具や衣装。どこをどう見て判断しろというのだろうか。だが、外観は確かに新しい感じだ。安っぽいプレハブではあるものの、塗装が剥げたりしているような様子はなく、側面に張り付いた排水用のパイプなどは、確かに真新しい気がする。
「だから、その鍵、多分校舎の中なんじゃねーの?ほら、天文学部とか、鉄研とか、美術部とか、そこらへんの部室とか」
「なるほど・・・」
宋さんが心得顔で頷く。そして、校舎の方を仰ぎ見た。
「確かにその可能性は高そうだな・・・。行くぞ」
俺たちにそう声をかけ、宋さんがスタスタと歩いていく。
「待ってください」
渡海がその後に続いた。
俺はその後姿を見つめながら、深いため息を吐き出した。
「お前も大変なんだな・・・」
原田の同情に満ちた声に、俺はさらに深いため息が漏らす。これから、この三人で本当にやっていけるんだろうか。
その後、俺たちが向かったのは美術部だった。
途中、天文学部の使っている地学室、鉄研の占拠している第三会議室、科学研究会の使っている生物室とそれぞれ巡り鍵を挿し込んでみたが、どれも開くことは無かった。
そして、最後に訪れたのが美術部というわけだ。
「あ、相談部の人だ」
以前会った記憶のある先輩が、美術部の部室の前をうろうろしていた俺たちを見つけ声を上げた。
名前は確か佐山先輩だったか。布施先輩が食中毒で入院していたころ、相談部に相談を持ち掛けた、美術部員の三年部員の一人だったはずだ。手に卒業証書を持っているところを見ると、布施先輩と同じく、卒業後に部室に集まっていたんだろう。
「また調査か何かですか?」
「まぁ・・・そんな感じです」
何となく語を濁しながらそう答える。
すると、宋さんが不意に前に立ち、
「この鍵に見覚えありませんかね?」
先輩から受け取った鍵を見せる。
光を受けて銀色に光るそれを見つめて、瞬きすること数度、佐山先輩はその鍵を受け取り背後を振り返った。
「みんな、これ何か知ってる?」
わらわらと佐山先輩の背後に現れたのは、美術部の部員たちだろう。その中には、以前見た顔もあった。確か城山先輩と三村先輩、とかそんな感じだったと思う。
しばらくの間、部員たちは鍵を眺め透かしていたけれど、
「ごめんね、やっぱり分かんない」
まぁ、当然の答えだろう。逆に知ってる人がいる方がおかしい。
「でも、この鍵がどうかしたの?」
城山先輩の問いに、理由を宋さんが説明する。
すると、三村先輩が何度か頷いた。
「そっか・・・。私は布施さんのことはあんまり知らないけど・・・、でも、きっとその鍵って、もっと布施さんにとって身近な所の鍵なんじゃないかな?その鍵を渡したっていう先輩も、何の関係もないものを渡したりしないと思うよ」
渡海がちらりと俺を見た。視線が合ったので、何か、と首を傾げると、そのままニヤッと笑って見せる。気味の悪いやつだ。
「そうですか・・・。とにかく、ありがとうございました」
宋さんがそう礼を言って、美術部を出たとき、
「分かりましたよ、私」
あぁ、なるほど。さっきのはそう言いたかった顔なのか。
「分かったのか?」
「はい」
「どこの鍵なんだよ?」
詰め寄る宋さんに、渡海は相変わらず気持ちの悪いにやりとした笑いを浮かべて、
「それはゆっくり説明しましょう。ひとまず、依頼人である――――布施先輩のところに戻りましょうか」
どうして宋さんといい、渡海といい、何かを閃くとこうもキザったらしい口調になるんだろうか。これはもう、悪癖と言っても過言じゃない気がするんだが・・・。
とりあえず、部室に戻ることにした俺たちは、人通りの少ない真昼の廊下を歩いていく。
窓から差し込む光が、廊下に舞う埃を雪のように照らしていた。
普段は使われていない四階の教室たち。その前で、俺たちはまたもや見知った人物と出くわした。
「あ・・・」
そう声を上げたのは俺と渡海。
「げっ・・・」
そう声を漏らしたのは宋さんと、そして、バスケ部の二年生、髙橋先輩だった。その傍らには、その彼女の山部さん。三浦さんと同じくバスケ部のマネージャーだ。二人とも、教室の前の柱に寄せられた小さなベンチに腰掛けている。
「お前らこんなとこで何やってんだよ・・・」
薄ら笑いを浮かべながら、宋さんが尋ねる。その声音に宿るのは明らかな冷やかしと、そして嫉妬の響き。
「いや、ちょっと卒業式で疲れたなーって思って、ここで休もうか、みたいな話になったんだよ。そしたら、こいつ寝ちゃってさ・・・。キャプテンとか、三浦先輩とかに贈るように、色々準備してたから、疲れてるんだろうと思って寝かせててやろうと思ったんだよ」
なるほど、山部先輩はその頭を髙橋先輩の肩にもたせかけて、安心しきった様子で目を閉じている。ほほえましい光景のはずなのに、ふつふつと黒い感情が湧くのはなぜだろう。きっと、今の俺は宋さんと同じような目をしているに違いない。
「ていうか、何でここなんだよ」
「ここなら人がこねーからな。隣とか、向こうとかはたまに演劇部とかが来るけど、この教室はどこも使ってないみてーだし」
確かに、中は雑然と物が置かれているだけだ。きっと、倉庫か何かなんだろう。
そんなことを考えていて、ふと思い至る。
「でも、いいんですか?何か、三浦先輩たち、部室にいましたけど・・・」
「え?」
髙橋さんがきょとんとした顔で腕時計を見る。そして、瞬く間にその日に焼けた顔が青ざめていった。
「やっべ・・・もう時間過ぎてんじゃん!」
おろおろとして、それでも、山部さんの存在に気付いて硬直する。そして、
「あぁ、それじゃあ・・・俺たち行くな」
山部さんを背負って、そのまま足早に廊下を駆けていった。きっと、寝ている山部さんを起こすことができなかったんだろう。山部さんも、よほど疲れていたらしい。
「さて、とりあえず戻りましょうよ」
渡海がそう促す。そういえば、こいつが何か分かったとか言ってたんだったな。今の一件ですっかり忘れていた。
「行きましょう」
意気揚々と渡海が告げた。
「布施先輩に鍵を渡した時、その先輩はこう言ったんですよね?“これは、私に初心を思い出させてくれるもの。あんたにも効果があるかはわかんないけど、あげる”って」
「そうだよ」
にこにこと笑顔を浮かべて、先輩が頷いた。それにしても、渡海もよく覚えてたな、その先輩の台詞とやらを、俺はすっかり忘れてたというのに。
「そこで思ったんです。初心を思い出すものを、先輩にあげるということはどういうことなのかなって。これは、きっと先輩にも、初心を忘れないでいてほしい、って意味だと思います」
「おぉ、なるほど」
宋さんが手を打つ。それを見て渡海が、うんうんと頷いた。
布施先輩も首肯する。
「そうだね。確かにそういう意味なのかもね。じゃあ、先輩がその鍵を渡してくれたのってどういうことなのかな?」
「まぁ、慌てないでください」
いや、渡海。布施先輩が慌ててるように見えてるのか?余裕の笑みでテーブルについてるんだぞ。
だが、探偵モードの渡海は止まらない。こいつも、宋さんに毒されたな。
「初心を思い出すための鍵、ということは、きっと先輩が初心、つまり、先輩がまた入学したての新入生だったころに使った鍵ということです。色々な可能性が考えられますが、ここで一つ、この鍵の特徴が挙げられます」
「特徴?」
渡海がテーブルの上に鍵を置く。銀色のそれは相変わらず鈍色の光を放っていた。
「バスケ部の部室で三浦先輩に聞いたんですけど、多くの部活は、部室の鍵にキーホルダーなんかを付けるそうです。でも、この鍵にはついていない。つまり、これは部室の鍵ではない可能性が高いということです」
なるほどな。確かに、会議室や教室の鍵はそれを示すラベルがついているだけだ。だけど、それなら、初心とどう関係があるというんだろうか。
それを尋ねると、
「良い質問だよ、鞘脇」
何様だ、お前は。
「確かに、会議室のような施設だと、初心とは関わりが薄いです。だけど、もう一つあります」
「もう一つ?」
先輩が首を傾ける。髪がさらりと横に流れた。
「それは、生徒会関連機関の使用する鍵である場合です」
渡海が鍵を持ち上げた。今度は、この部室の鍵だ。
「多くの部活は鍵を飾る。でも、生徒会に関わる部署では鍵にキーホルダーなんか付けていません。うちもそうじゃないですか」
確かに、先輩から預かった鍵は、この部室の鍵とよく似ている。
「そうです。この鍵は相談部の鍵だったんですよ」
「そういうことか!」
目を見開いて宋さんが立ち上がる。渡海が深く頷いた。
「そうです。先輩に初心を思い出してほしい。それは、先輩が使うこの部室に来た時のことを思い出してほしい、という意味だったんですよ。だから、この鍵は・・・」
渡海がドアの前まで歩いていく。そして、廊下に出ると、鍵穴に鍵を挿し込んだ。
「ぴったりだというわけですよ」
鍵穴にぴったりとはまった鍵。
渡海が布施先輩に笑いかける。先輩も笑顔で返す。
そして、
ガキっ
鈍い音がした。
「え?」
驚いた様子で渡海が手元を見る。
「あれ、おかしいな・・・」
ガチャ ガタっ ガガキッ
鍵が音をたてる。必死に渡海は鍵を回そうとするが、回る気配はない。
宋さんが代わって回そうと試みたが、開くことはなく。
「残念だったね・・・。結構いいセンいってたと思うんだけどねぇ」
布施先輩はそう残念そうな顔もせず、相変わらず微笑んだまま言った。長い睫に粒のように光が弾けて、思わず息をのんだ。
「まぁ、仕方ないか。別にどこの鍵か分かったところで、何かなる、ってわけでもないしね」
渡海は何やらぶつぶつと呟いている。まだ考えているんだろうか。宋さんはというと、早々に諦めて雑誌を開いていた。
「“これは、私に初心を思い出させてくれるもの。あんたにも効果があるかはわかんないけど、あげる”・・・。絶対この中にヒントがあるのに・・・」
渡海の様子に、俺はたまらず苦笑いした。布施先輩だってそう拘ってる様子じゃないんだから、別にいいだろうに。
そう思っていた時、ふと思い出した。
“きっとその鍵って、もっと布施さんにとって身近な所の鍵なんじゃないかな?その鍵を渡したっていう先輩も、何の関係もないものを渡したりしないと思うよ”
誰だっけ・・・、そうだ。三村先輩だ。さっき美術部で聞いた言葉。
“ここなら人がこねーからな。隣とか、向こうとかはたまに演劇部とかが来るけど、この教室はどこも使ってないみてーだし”
こう言っていたのは髙橋先輩。
そして、布施先輩の先輩が言ったという言葉。
“これは、私に初心を思い出させてくれるもの。あんたにも効果があるかはわかんないけど、あげる”
「あ・・・」
ふと俺は言葉を漏らしていた。
宋さんと渡海が俺を見る。布施先輩も、小首を傾げて俺を見つめた。
「分かったかもしれません」
「ねぇ、どこ行くの・・・」
階段を上りながら、何度目か分からない質問を渡海がする。
俺は黙って階段を上り続けた。諦めたのか、渡海も黙り込む。
宋さんと布施先輩は何も言わずに俺たちの後に続いていた。
俺は一つ、確信に近いものがあった。それは、今まで、色々な部の部員の聞いたこと、そして先輩が言われたという言葉がヒントだった。
部室の鍵ではない。その点で、渡海も考えは当たっている。恐らく、生徒会の部署の鍵だということも。
ただ、それは相談部の鍵ではなかった。
少なくとも、今は。
「ここです」
示した教室。雑多に積まれた机や椅子などの道具。倉庫と化した、四階に位置する空き教室。
髙橋先輩と山部先輩がくつろいでいた場所。
「これって・・・」
「さっき来た教室じゃねーか」
渡海と宋さんが呆然と呟く。布施先輩は、扉から少し離れたところで俺を見ていた。
俺は黙って鍵を鍵穴に挿し込んだ。今まで、多くの鍵穴に弾かれてきた鍵が、それまでのことが嘘だったかのようにすんなりと回る。
ガララッ
教室の扉が開く。埃っぽいような、黴臭いような、そんな空気が流れてきた。
「開いた・・・」
「マジかよ・・・」
呟く二人を他所に、布施先輩が笑いながら尋ねた。
「どうしてここだと思ったの?」
「渡海の考えはある程度合ってたんですよ。ただ、最後が違った。先輩が言われた内容です。えっと・・・」
「“これは、私に初心を思い出させてくれるもの。あんたにも効果があるかはわかんないけど、あげる”だね」
布施先輩は楽しそうな、いたずらっ子のような顔で俺を見ている。
「それです。その中で引っかかったんですけど、“あんたにも効果があるかはわかんないけど”っていう部分です。これは、その先輩にとっては初心を思い出せるけど、それは布施先輩にも当てはまるかは分からない、ということだと思います。そこで、考えたのが、相談部の部室が変わった、ということです」
「あぁ、そっか。先輩は今の相談部の部室を使った最初の一年生だから・・・」
渡海が呟く。
「あぁ、だから、その先輩ははっきりとは言えなかったんだろう。言ってみれば、この鍵は先輩には何の関係もないものだから。でも、それでも、どこかで通じる部分があると思ったんだと思う。場所が変わっても、ここで活動した、という先輩たちの思い出が、ちゃんと後輩たちに引き継がれていくように、って思ったんだろうな」
自分たちが、人の悩みを真剣に聞いて、解決しようと努力して、仲間内でも色々あったと思う。笑ったり、愚痴を言い合ったり。そんな、色々な思い出が、教室が変わったあと、全部無かったことになったりしたら、どう思うんだろう。
一年間だけとは言っても、今の部室でも色々な思い出がある。それを、次の後輩が、何も知らないで、あの部室で過ごした時間のことなんて、無かったかのようになったら、どうだろう。
俺にとって、相談部での一年の活動は、今の部室以外にあり得ない。初心を思い出せる場所は、部室でなくなったとしても、あそこでしかあり得ないんだ。それは、渡海も、宋さんも、そして、布施先輩だって同じはずだ。
「だから、その先輩は、布施先輩に鍵を渡したんだよ。ちゃんと、ここにも相談部の記憶があるんだってことを伝えたかったから」
「そっか・・・。そうだったんだね・・・」
しばらく先輩は無言だった。
やがて、中を一度見渡して、
「そういうことだったんだ・・・」
そして、俺に向き直った。
「いつまでも開けっ放しにしてたら、良くないね。一応、今は私たちが使っていい教室じゃないし。閉めよっか」
施錠する。そして、鍵を先輩に返した。
「ありがとう。戻ろう」
渡海と宋さんが階段の方へ向かっていく。それに続こうとする先輩の背中に声をかけた。
「先輩!」
「ん、どうかした?」
「先輩は・・・知ってたんですよね?その鍵が、この教室のものだって」
「何で?」
「中が埃っぽくて、臭いの知ってたんじゃないすか?扉から離れてたし」
すると、先輩が弾かれたように笑いだす。
「なんだ、分かってたの」
先輩はそのまま楽しそうに壁に寄り掛かった。そして、体を屈めて背を震わせながら笑い続ける。
俺は黙ってその様子を見つめていた。何が面白いんだろうか。これじゃ、まるで、誰かがまんまと落とし穴に落ちたのを見て笑う、子供みたいじゃないか。
「この教室っていうのは知ってたんだ。しらみつぶしで探したから。でも、分からなかった。何で、この教室なのか。でも、今日鞘脇君の話で分かったよ。そしたら、何か可笑しくて。まるで、今の私の気持ち、先輩知ってたみたいなんだもん」
「・・・・・・」
部室が変わる。慣れ親しんだ場所が、違う場所へと変わっていく。
同じなんだ、先輩にとっても。
「ありがとうね、鞘脇君。いつの間にか、立派に仕事できるようになったじゃん。今まで、あんまり自分からこういうのに関わらなかったのにね」
「まぁ・・・そうですね」
確かに、宋さんや渡海に振り回されたり、布施先輩の推理を聞いたりしてるだけだった。
「成長、ってことじゃないですか?」
「そうだね」
先輩が歩き出す。俺も隣に並んだ。
しばらく無言が続く。何か言わないと、と思うと、焦るばかりで言葉が浮かばない。
「卒業おめでとうございます」
何とか考え付いたのは、そんなありきたりな言葉。
「ありがとう」
また始まった沈黙。
俺はまた、ぐるぐると頭を回転させていた時、
「鞘脇君」
「はいっ!」
不意に呼ばれて、心臓が宙返りして着地に失敗して派手に転んだ時のような衝撃がはしる。同時に、手に冷たい何かが滑り込んだ。
「これ・・・」
「あげるよ」
銀の輪に繋がった二つの鍵。ぶつかり合った二つの鍵は、澄んだ涼しい音をたてる。
「これ、先輩の鍵じゃないんですか?」
一つは先輩から預かったものだった。そして、もう一つは・・・。
「私はもう必要ないよ。次は君たちの番だからね。だから、もう一つは私からの贈り物。ちゃんと初心を思い出してね、ってことだよ」
二つの相談部の鍵。それはやがて、どこかの教室の鍵へと変わっていくもの。俺たちが四月から使うものとは別のもの。
「大事にね。相談部、頼んだよ」
先輩の言葉が胸に降りると、ずん、と衝撃が伝わるのを感じた。
「はい」
先輩が隣で微笑んだ。
少し低いところで聞こえるその笑い声に、俺もつられて笑ってしまう。
「先輩は、まだ大岡越前が好きなんですか?」
それは、俺がまだ相談部に入ったころに聞いた先輩の話。大岡越前に憧れて、推理にはまったという、先輩のエピソード。
「そうだねぇ、憧れはあるかな、やっぱり」
やはり敵は強大だ。数百年の時を越えて尚、現代の少年の恋敵になるというのか。歴史上の人物といえど、侮れない。
折れそうになる心をどうにか保っていた時、
「でも、まぁ・・・憧れてるだけだよ。それより、どうしたそんなこと聞くの、鞘脇君?」
隣を伺う。すると、黒目がちな先輩の視線ともろにぶつかる。息が止まった。心臓が早鐘を打つ。
先輩は、くすりと笑う。子供っぽい、楽しそうな目。それでいて、俺が先輩と一緒に一年間過ごしてきて、初めて見た目。
「あの・・・俺・・・」
窓の外を風が一気に吹き抜けた。窓が鳴る。
「ずっと・・・」
手を握りしめる。爪が食い込んで痛みが走る。でも、目の前の人物から目を逸らせない。喉が震えて、言葉に詰まる。それでも、先輩は黙って俺の言葉を待っている。
廊下を駆け抜ける窓から入り込んだ隙間風は、もう春の陽気を校内に伝えるために走り去っていった。
鍵束メモリーズ
一応、相談部シリーズ最終回ということで書き上げた話です。高校三年生の文化祭で引退でしたので、そこで最後の活動として配布した話でもあります。表紙から何から一人で仕上げたのはいい思い出・・・。