病院の安楽椅子探偵
相談部シリーズ2
病院の安楽椅子探偵
布施先輩が入院した。
そう聞かされたとき、俺は食いかけのカレーパンを危うく床に落とすところだった。
「ど、どういうことっスか、先輩!」
俺の問いに、肩を竦めるのは宋向先輩。通称、宋さん。相談部の二年部員だ。カッコいいからという理由だけでサッカー部にも所属し、なぜかレギュラー入りを果たしている。入部動機がミーハーな気がするけど、上手いらしい。
そして、相談部では副部長の座に着いている。まぁ、部員が四人しかいなくて、三年生は一人なのだから、二年の先輩がそうなるのも当然といえば当然だけど。
「布施先輩が入院ですかっ?!」
同じく焦った様子で駆け寄ってくる渡海と俺の間で視線を動かしてから宋さんが小さく息をついて言った。
「食中毒だってさ。何か、弁当の中のバンバンジーが原因らしいぜ。カンピロバクター、とかいうのらしい」
「鶏肉につくやつですね。もうそろそろ用心しないとですもん。もうすぐ七月だし」
しきりに頷いている渡海に、俺はぎょっ、として顔を向けた。どうしたの、と眉を顰めて渡海も俺を見る。
「そんなのどこで覚えた?」
「先週の家庭科」
そんなのやったっけ?どうだっけ?
首を傾げる俺に、渡海は呆れたようにため息をついた。
「どうせ寝てたんでしょ」
そういえば、始業のチャイムから記憶がないな。
「ま、というわけだから。退院は今週の金曜ぐらいだってよ」
要するに、それまでは俺たちだけで相談部を切り盛りしていかないといけないわけだ。
布施先輩という頼れる羅針盤を失った今、船員は宋さんと渡海と俺。これはキャプテンのいなくなった海賊船と一緒じゃないだろうか。
「だったらお見舞い行きません?先輩に相談部の報告もしないとダメですし」
「お、そうだな。行こーぜ」
俺としても先輩に会いに行くのに異存はなかったから、二人に賛同して頷いた。
「じゃあ、今日の放課後に直行ってことで」
宋さんが締めくくるように言ったときだった。
「あ、丁度良いところに相談部員はっけーん!」
同時に並ぶ三つの顔。
「えっと・・・?」
戸惑う俺たちに、その女子三人組は視線を巡らせる。
「三浦から話聞いたんだけど・・・相談部だよね?」
「ですけど・・・何か用ですか?」
どうやら相手は三年生の先輩らしい。その三人に、宋さんが代表して尋ねた。こういうとこは頼れるんだ。普段は軽薄な人だけど。
「私たち美術部なんですけど、相談部にお話があって・・・」
「後輩たちが最近妙なんです」
美術部の部長である城川という先輩は、ねぇ、と同意を求めるように両サイドの二人を見た。うん、と二人ともが答える。佐山さんと三村さんというらしい。
「何だか、一年と二年だけでコソコソ話してることが多くて・・・」
「何か言っても慌ててどっかに行っちゃうし・・・」
感じが悪い、と三人は口を揃えて言った。
「別に何かされたわけじゃないんですけど。それに、みんな穏やかな子たちばっかりだし」
それが、六月に入ったあたりから部活中に妙な空気が漂うようになったそうだ。
「絶対何か原因があるんです。お願いします、調査してください」
「あくまで俺たち相談部で、謎解きやってるわけじゃないんスけど・・・」
抗弁した宋さんだったが、
「三浦から聞きました。バスケ部の珍事を解決してくれたって。生徒会からも、そういうのは相談部の仕事だって言われました!」
生徒会本部の連中が犯人か!面倒事を押しつけやがって。
んでもって、もう一つの原因はバスケ部の三年生マネージャーさんにあるらしい。布施先輩が靴がバラバラに入れ替わった事件を解決したことは、校内でも知る人ぞ知る噂の種になっている。
「・・・分かりました。今日の放課後に行きます」
お見舞いはその後な、と呟いた先輩に、渋々俺と渡海も頷くしかなかった。
「ここです」
放課後になるなり連行されるように連れてこられたのは屋上テラスが窓から見えるという校舎の最上階の一室だった。多分、校内で最も日当たりの良い教室だろう。今でも、部屋いっぱいに日の光が射し込んでいる。
「眩しい・・・」
目を細める渡海に、三村さんがカーテンを閉めてくれた。
「普段は絵が傷んじゃうからこうしてるんだ」
せっかくの日照良好の部屋がもったいない気がする。ていうか、暗い方がいいならうちの部室と替われよな。
「まだ二年生は来てないんだけど・・・」
その間に、俺たちは部室の中をうろうろさせてもらうことにした。
「絵の具の臭いはするけど、前みたいにスゴい臭いしなくて良かった・・・」
安堵の息をついた渡海に、俺も苦笑する。確かに前の一件の時は大変だった。そういえば、布施先輩は臭いに強かったな・・・。
そうこうしているうちに、続々と部員がやってきた。三年生は三人。二年生は五人、一年生は四人、というそれなりの人数構成のようだ。
「誰ですか、この人たち・・・」
明らかな警戒の目線。これは何だか前にもあったような光景だな・・・。ていうか、相談部の認知度低くないか?
これでも生徒会の部署なんだけどなぁ。
「相談部の人。ちょっと用事があるだけだから気にしなくていいよ」
城川さんの言葉に、まだ警戒するような目を向けられつつも一、二年生の空気は少しだけ穏やかになった。
それからは個人作業になったようで、黙々と絵を描いたり、何か白い塊を削ったりと、いつも通りの部活風景になった。
調査といってもどうしたらいいのか分からない俺たちは、そのまま部室に居座ることになった。宋さんは壁にもたれてウトウトしているし、渡海はボケーッと絵を眺めている。かく言う俺も、何もすることが見つからず、先輩たちの作業を見学させてもらうことにした。
「綺麗ですねー。どこの絵ですか?」
せっせとどこかの町のような絵に筆を走らせる佐山さんに話しかけると、筆を筆洗につけてから側にあった写真が差し出された。
「これ、そこの屋上テラスから見た景色なんだ。ほら、北向きだから、ここからは見えないけど、廊下の窓から見えると思うよ」
そういえば、絵に描かれた町並みは見覚えがあった。どこに何があるかすぐに分かる。
「あたしら、今月で引退だからさ。これを卒業前の最後の作品にしようかな、って思ってんの」
そういえば、もうそんな時期なのか。布施先輩はどうするんだろう。そんなことも気になってみたり。
「最後の作品はやっぱり思いで深いここからの眺めかな、って思って。これは、何か描くのに息詰まったらよく眺めてた景色だし」
絵心の欠片もない俺だけれど、何となく佐山さんの言っていることは分かるような気がした。
「城川はトリックアートで、三村は面を作ってるよ」
最後の作品だ。本気で向かい合いたいに違いない。
だけど、ここには三年と下級生の間に妙な壁があるらしい。
ふと見ると、二年生が集まって何か話していた。ここぞとばかりに宋さんに目配せする。
任せろ、と目顔で返事をして、宋さんが二年生に近づいてった。
「何の話?」
不意に話に入ってきた宋さんに、ぎょっとした様子で二年生たちが飛び上がった。
「ちょっと、宋向!勝手に入ってこないでよー」
「だって気になるじゃんかよー。何?」
「別に何でもいいでしょ!」と喚かれて、さすがの宋さんも早々に退散した。
「あんな風に、何か隠し事してるみたいなのよね。だから、何としてでも突き止めてほしいの。何だか腹立ってくるし」
にじり寄る佐山さんに、俺は頷くしかなかった。正直、二年も学年が上になると先輩って怖い。布施先輩は別だけど。
「んじゃ、帰るか。情報収集も終わったし」
帰り際に、足下に何かが落ちているのに気づいた。布でできた三角形の何か。大きさは親指の爪くらいだ。
「何それ?」と横から顔を覗かせる渡海に、持ったものを見せる。裏返すと、ラメのようなものがついてキラキラと光っていた。
「あー、いいな」
別に欲しいものでもないし、捨てようと思っていたから喜んで渡海に渡した。それを大事そうにポケットに仕舞うところは、普段の様子と違って少し女の子らしく見えた。
「なるほどね・・・」
ベッドに座って話を聞いていた布施先輩は、そう言って何度か頷いた。
「何か分かりました?」
「全然。ごめんね、急に入院なんかしちゃって。まさか、六月で食中毒があるなんて思ってもみなかった」
そう言って肩を竦めた先輩の隣に座って、渡海が大きく首を振った。
「先輩、食中毒は真夏だけのものじゃないんですよ。最近は気温が高い日も多いですし」
「そうだね。海ちゃん詳しいね」
「私、将来は管理栄養士になりたいんです。だから、今のうちにできることをしておこうかなって・・・」
「そうなんだぁ」
主要教科は壊滅寸前のくせに。
「何か言った?」
小さな呟きは聞こえていたらしい。靴の上から思いっきり踏まれた。病院で暴れるなよな。
「宋君、次の生徒会の会議、代わりに出てもらっていい?多分、退院間に合いそうにないから」
「了解でーす。いつですか?」
「明後日。よろしくね」
「うーす。明後日か・・・。相談部で何かあったっけ?」
俺たちを振り返った宋さんの問いに、渡海がごそごそとポケットを探っている。
「あった」
手帳を広げて、渡海が言った。
「何もないですよ」
手帳をもう一度戻そうとしたときだった。何かがヒラヒラと落ちる。
「あ・・・」
「何、これ?」
布施先輩が拾い上げたのは、俺がさっき渡した三角形の布。そして、何か分からん細長い紙だった。
「これはさっき美術室で鞘脇からもらったんです。この紙切れも落ちてたんですけど・・・」
渡海が説明する横で、布施先輩は手の中のものを見つめていた。その横顔に見とれていると、
「そっか・・・」
ため息のように先輩が呟いた。
「みんな、もう美術部には行かなくていいよ。大丈夫だから」
先輩は意味深に笑うだけだった。
結局、俺たちはお見舞いを終えて、帰った。それから二日。何もするでもなく相談部でのんびりと過ごしていた俺たちに、前と同じように先輩三人組がやってきた。前と違うのは、みんな満面の笑みを浮かべていることだ。
ちなみに、宋さんは、会議に出ているから、部屋には俺と渡海しかない。
「相談部のみなさん、迷惑かけてごめんなさい。もう大丈夫なんで」
え?と首を傾げる俺と渡海に、城川さんは礼をしてから教室を出ていった。三村さんと佐山さんも会釈していく。
「どういうことかな?」
渡海の言葉に、俺は黙って立ち上がった。
こういうとき、頼れるのはあの人しかいない。
「やっぱりね」
検査が終わったところらしく、少し疲れた様子だったけれど、笑って先輩は頷いた。
「どういうことなんですか?」
問いかける俺と渡海に、落ち着いて、と手が出された。仕方なしに側にあったソファに並んで腰掛ける。それを確認してから先輩は口を開いた。
「最初に、三年生と一、二年生の間に違和感があるって聞いたときから何となく予想はできてたんだ。ほら、もうすぐ夏でしょ」
はぁ・・・。確かに夏だけど。それがどうしたんだろう。
「三角形に切れた布。あれね、リボンの欠片だよ」
リボン・・・?首を捻る俺の横で、渡海がポンと手を打った。
「リボンはずっと端が三角形に欠けてるわけじゃないでしょ?でも、そうしてあった方が可愛いじゃん。だから、みんなで切り落としたリボンの欠片が落ちてたんだろうね」
「何でリボン・・・?」
依然として疑問な俺に先輩は軽く笑った。
「贈り物だよ」
何の?そう聞こうと思ってハッとした。そうだ。もう夏。美術部の先輩たちが最後の作品を仕上げる夏。
「いん・・・たい?」
「そう。それに向けての贈り物だったんだろうね。みんながコソコソしてたのも、きっとその相談だよ」
今日、再びやってきた三年生の嬉しそうな顔。きっと、昨日あたりにでも感謝の贈り物があったに違いない。
「後は海ちゃんに借りた紙」
先輩が手に持ったのは、前に渡海が拾ったという紙切れだった。
「これが全部の鍵だったんだ」
鍵?渡海がポカンとした顔で先輩を見た。
「これね、レシートだったんだよ」
「レシート?それがですか?でも、何も書いてないですよ」
「普通、レシートは感熱紙っていうのが使われてるの。熱を当てた特定の箇所だけに色素が顕れるようにね。でも、これって化学変化だから、しばらくすると戻っちゃうの」
でもね、と先輩は子供のような笑顔を見せた。
「紫外線を当てると消えた文字でも読めるんだよ。ここ、病院だからさ、殺菌とかするのにブラックライトがあって、お願いして使わせてもらったの。そしたら書いてあったんだ」
贈り物のための、色紙とリボンと包装紙と写真立ての代金が。
「だから、先輩は大丈夫だって言ったんですね。一、二年生がそういうのを計画してるって気づいたから」
先輩は肩を竦めて、それから窓の外を見た。
「もうそんな時期なんだね・・・」
そのどこか切なげな目に、俺は目を細めた。渡海が先輩に倣って外を見る。
「うぃーす」
センチメンタルなこの雰囲気を台無しにするかのように、のんびりとした声が病室に響く。
「あ、宋君。お疲れさま」
「いいっスよ、別に。あ、リンゴ買ってきました」
「そんなに病人扱いしないでよ。でも、ありがたく頂きます」
賑やかな声。
笑顔。
この騒がしい空気が、相談部の持ち味なのかもしれない。
病院の安楽椅子探偵
高校時代の部活仲間が棒棒鶏でカンピロバクターの食中毒になったのを元ネタに書いたものでした。本人からはかなり苦笑いされましたが、個人的には宋向が先輩らしい一面を見せてくれる回でもあり、好きなストーリーの一つです。