大巨根

ゴミミズ

高田は、昨日から勃起が止まらないで困っていた。狭いワンルームマンションの一室で、あぐらをかいた彼が、うんうん唸る。視線の先には、青いトランクスを内側から押し上げている、自分の分身があった。
 クーラーが冷たい風を吐き出す。薄型TVごしに、細面に桜色の口紅を引いたニュースキャスターが高田を見ている。画面の右上には、『世界的不漁! 今、魚に何が起きている!?』と角立ったフォントで書かれていた。
 TVから流れてくる音声で、会社からの帰りに寄ったスーパーの出来事を高田は思い出す。鮮魚コーナーに並んでいたサンマが一尾五百円で売られていた。久しぶりに料理をする気になっていた高田だったが、この値段は彼のその気持ちを萎れさせるに十分だった。何も買わずにスーパーを出た後、牛丼屋で腹を満たすだけの夕食をした。
 ニュースが別の話題に移ると、彼の思考も元に戻る。つまり、視線の先にある問題について。考えるのに多少うんざりしていたが、放っておいてどうにかなるとも思えなかった。
 高田は、かつてないほどいきり立って股間を見て、ため息を一つ。
 どうしたことだろう、一体、なにが俺の股間に起こっているのか。こんなことは今まで一度もなかった。俺と一緒で、起きたり眠ったり、健全なヤツだったはずなのに。それが今ではいつまでもそそり立っている。
 最も卑近な民間療法は試した高田だったが、何度も試しても効果が無い。腫れモノは中の膿を出せばいい、それと同じ理屈だ。他の方法はないものかと、PCを起動した。
 「これは」
 検索結果を見て、高田が固まる。こめかみの上から汗が滲み出てきて、顎を伝って股間に落ちた。汗がトランクスの布に染みを作る。クーラーは相も変わらず、涼しい風を送り続けていた。
「まずい、まずいぞ」
 ディスプレイには、ユーザー同士が相談しあえる掲示板が表示されている。勃起が収まらないことについて、誰かが相談を持ち掛けているページで、回答の一つに、三日以上勃起が続くと、陰茎が腐り始めるとの書き込みがあった。
 焦燥から腰を上げて、意味もなく部屋をぐるぐると回りだす。こうしながら、頬を撫でるのが、高田が考える時の癖だった。さながら、自分の尻尾を追う犬だ。
 部屋は間接照明で、ベッドの脇から漏れた光が、壁を床を、ほのかに照らしている。元々は、部屋の真ん中に紐の付いた丸い照明があったのだが、それをとっぱらって、今のようにしていた。高田にこだわりがあったわけではない。彼の同僚に、女を連れ込んだ時のムード作りに役立つと言われたので、そうしたまでだった。しかし、未だにそのことを確認できる機会はない。
 結局、なにも思いつかないで、元の場所に腰を落とす。古いノートPCの前のくたびれたクッションの上に。クッションは高田の重たい尻を受けて、残喘のように埃を吐き出す。
 いくつか検索ワードを打ち込んだが、大した成果は、なかった。苛立ちから、丸々肥えたゴミ袋を蹴とばすと、高田はベッドに寝ころんだ。
 明日、会社の帰りに病院に行くことにしよう。恥ずかしいが、それしかない。目覚ましをセットすると、高田はそう考えながら、瞳を閉じた。
 しばらくそのままだったが、急に起き上がると、ビニール袋を片手に流し台へ向かった。
 高田が蛇口をひねると、管の中を水が進む音がして、袋が水でいっぱいになった。袋の口を固結びすると、もう一度ベッドに入り込む。そして、股間にそれを載せた。腫モノを冷やすような気持ちだった。
 少し安心した高田は、すぐに眠りに落ちた。彼が眠ってしまった後、トランクスのボタンがはじけ飛んで、天井を叩く。高田の知らない内に、それは始まっていた。
 
 なにか気がかりな夢から、高田が目覚めると、自分の目の前が茶色く染まっていることに驚いた。
 目を擦りながら、何度かまばたきする。その後で、もう一度広がった眼前の景色は、やはり茶色かった。普段は寝覚めの悪い彼だが、今日に限っては、二度寝しなかった。
 彼はひとまず、逃避じみて左を見る。カーテンの隙間に、ビルとビルの間をハトが飛んでいるのが見えた。その赤黒い足までが、はっきりと見えるので、高田は自分の目がおかしくなったわけではないと、確信した。
 唇に力を入れて、眼光鋭く正面に向きなおる。やはり、それはそのままそこにあった。
 両方の指先を動かした後、ゆっくり肘から先を持ち上げる。どうやら、腕は自由に動くらしいと、高田は確認した。
 ふぅ、っと大きく息を吸うと、内側へ素早く両腕を動かした。
 嫌な汗がうなじからどっと溢れる。心臓は鼓動を速め、目は見開かれ、口もぽかんと開かれた。
 腕は抱きかかえるような形で止まった。茶色い壁はそれほど横幅のあるようなものではないらしい。しかし、彼を戦慄させたのはそんなことではない。
 感触が、両腕からだけではなく、壁からも自分に返ってきたことだった。壁が自分の一部である、そう直感させられたことに、彼は慄いた。
 高田は脳裏に浮かぶ心当たりを何度も打ち消した。まさか、そんなことがありえるのか。うわ言染みたつぶやき。しかし、頭の中では嵐の夜の稲妻のように、推察の閃光が思考の空を一瞬の輝きで埋めた。否定しても否定しても、何度も同じ理由が思いつくので、最後には高田も認めざる負えなかった。
 茶色い壁は、肥大した高田の男根だった。それに視線を添わせたまま顎を上げていくと、真っ赤な亀頭の奥に天井が見えた。
「うわあ」
 悪夢から覚めたときと同じ呻きが、彼から漏れる。だが、悪夢は未だに続いていた。
 高田が右を向くと、壁掛け時計が目に入った。時間は七時十分。まずい、と反射的に体を起こそうとした。しかし、体は股間から伸びた大質量によって押さえつけられ、起きなかった。
 そろそろ出発しなければ、会社に遅刻する。そう思った彼がこんな状態で出社できるわけがないと気が付くのは、七時十五分頃だった。高田は明らかに混乱している。
 突然、部屋にチャイムの音が鳴り響く。高田の体は驚きで飛び上がった。しかし、男根に押し戻されて、ベッドのスプリングが二度軋んだ。
「先輩、起きてますか!」
 高田が対応を迷っていると、荒々しいノックと声が扉のむこうから飛んできた。すぐに後輩の鈴木だと、彼は察した。鈴木と高田は隣同士で、いつも二人で出社している。寝起きの悪い高田を鈴木はこうして、毎朝起こすのだ。ノックで起こす時と、電話で起こすパターンがあるが、今日は前者の気分だったらしい。
 高田は周りを見渡す。瞳が丸いテーブルを捉えると、その上にある携帯電話に手を伸ばした。うめき声を上げ、手をピンと張る。高田の指先に固い感触が掠めたが、それ以上はどうあっても手を伸ばせないと思い、彼は大きく息を吸った。
 「起きてるよ!」
 結局、高田は叫ぶことにした。とにかく、玄関で騒いでいるのをやめさせる必要を感じていた。
「今日は出れそうにないんだ」
「えっ、どうかしたんですか」
 高田は逡巡する。正直に話すべきか、話さないべきか。しかし、真実を話したところで納得されると思えなかったので、嘘をつくことにした。
「熱があるみたいなんだ、だから先に行っててくれないかな」
「風邪ってことですか?」
「うん」
「わかりました、連絡どうします?
辛いなら、僕から言っておきますよ」
「いや、大丈夫」
 部活じゃないんだから。と、苦笑交じりに高田が呟く。今年に高卒で入ってきた鈴木は、まだ少し学生気分があった。
「そうだ、風邪薬ありますか?」
 ちょっとの間、考える高田。ないな、と返事した。
「じゃあ、持ってきますよ」
 鈴木は言うが早いか、玄関の向こうから気配を消す。その時になって、高田は自分の失敗に気が付いた。詐病なのだから、わざわざ取ってきてもらう必要はない。
 ドアがノックされる。鈴木によるもので、風邪薬を取ってきたと、言った。
「ありがとう、郵便受けに入れといてくれないか。
今、ちょっと立てなくって」
「立てないって、大丈夫ですか」
 高田はまたしても失敗した。今度は本当のことを言ったのが、失敗だった。
「大丈夫だよ、心配いらない」
「でも、立てないだなんて。
僕が病院に連れていきますよ。
ここ、開けてもらえますか。
あ、そっか、ダメだ。
ちょっと管理人さん呼んできます!」
 矢次に喋りだす鈴木。まずい、と高田は思った。
「本当に大丈夫だから!」
 鈴木を止めようと、高田が反射的に体を動かした。勢いをつけて、体を思いっきり回す。すると、股間から伸びているそれも、大きな半円を描いてぐるり。勢い余ったそれが、ベッドにぶつかる。高田は声にならない声をあげた。それは重みで、横向きに。ベッドから大きくはみ出して、宙にぶらり。
 その声が、玄関向こうに届いた。鈴木の語調が更に強くなる。
「先輩、どうしたんですか!」
「大丈夫だから! 大丈夫!」
 苦悶を押して、高田は叫ぶ。そのことに必死だったからか、変化の始まりに気が付けなかった。それが、更に大きくなっている。玄関扉へ向けて、ぐいぐい進んでゆく。
「あっ」
 気が付いた時には、もう手遅れだった。鮮血が高田の視界を染める。根元からぽっきりと、それが折れた。高田に痛みはない、しかし莫大な喪失感に襲われていた。
 血がロケット噴射のようにそれから出て、扉を突き破ってゆく。高田が実際にそれの行方を見ていたのは、部屋を出ていくまでだった。電源を落とされたように、彼は目を閉じた。
 
鈴木が、『それ』を避けることができたのは偶然だった。高田の部屋の玄関扉に背を向けて、廊下をエレベーターの方へ進んでいた。ちょうど一階の管理人室へ、走り出した時だった。
彼の背後で、破砕音。『それ』が扉を破った。その後、廊下を抜けて、窓を抜けて、空中へ飛び出した。
 『それ』は、ガラス片と共に空へ躍り出る。高田の部屋は四階にあった。下は中庭で、四面をマンションが囲っていた。周りの窓からは、画一的な廊下が覗けた。
 『それ』が落下を初めて数秒後、切断面とは逆方向、亀頭の方へ変化が起こる。尿道から白い液体が飛び出してきた。間違いなく精液だった。出血の勢いにも勝るとも劣らぬ勢いで、宙に浮かんだ『それ』はぐるぐる回りだした。
 螺旋を描いて、落ちてゆく『それ』から、白と赤との液体が宙に舞う。その飛沫が、零れ落ちた羽のように朝陽で光る。『それ』の姿は、白と赤の双翼を携えた鳥が落ちてゆく様を思わせた。
 『それ』が、植木の近くへ着地する。水っぽい音が、早朝の静けさを割いて、中庭に響きわたる。その音は四方八方へ拡散して、マンションに切り取られた四角い空へ飛びあがった。
 残響が消えてしまうと、元通りの静寂が訪れた。澱のような影が中庭を包んでいる。その中心で、『それ』は赤白い水に浮かんでいた。
 両端からの液体は、勢いこそ落ち着いたものの、絶え間なく流れ続けている。地面に敷かれたレンガの隙間に流れ込むと、『それ』を中心に、あみだ風の模様を作った。
 突然のことだった、『それ』が鎌首を持ち上げた。蛇じみた動きだった。まるで、生きているかのようだ。次に、全身が蠕動し始めた。しばらく、そうしていたかと思うと、『それ』がみるみるうちに膨張し始めた。
 初めは、一階の窓にも届かなかったものが、二階の窓へ差し掛かる大きさに。三階の窓にも届かなかったものが、四階の窓に差し掛かる大きさに。遂には、五階建てのマンションの中心から、ひょっこり亀頭を覗かせるまでになった。
 その間にも、鈴口から精液がだらだらしているものだから、マンションの一面が真っ白く染まった。
「うわあああああああ」
 上がった声は、四階廊下から。目を見開いて口をあんぐりと開けた鈴木が、そこ居た。
 叫びに応えたのか、『それ』が動き出す。茶黒く幾層に重なった皮膚に皺が寄ると、植木が薙ぎ倒される。半円を描いて、『それ』の口が鈴木へ向いた。
 鈴木は腰を抜かして、割れた窓の向こうの『それ』を見ていた。『それ』が鈴木の方に口を向けると、ガラスが白く染まり、その割れ目からドロドロとした液体が廊下へ流れ込んでくる。廊下から外は見えなくなった。
 鈴木が悲鳴を上げると、呼応するように建物が揺れる。自分の声すら聞こえない振動の中、鈴木は頭を押さえてくぐまった。
 鈴木にとって永遠とも思える短い時間が過ぎた後、揺れは収まった。鈴木が、おそるおそるで頭を上げると、白かった窓ガラスの色が赤に重ね塗られていた。
 外では、『それ』が青空に浮かんでいた。空が青くて気に入らないとでも言うように、赤と白を振りまいて、跳びあがっていた。

 朝の交差点は混雑の極みにあった。車道の信号が赤く光っている。行きかう人々の切れ目から、むこうの道が見える。上り坂に沿って車が並んでるのを見て、タクシーの運転手はため息を吐いた。彼は苛立って、タバコを灰皿で潰す。オーディオパネルに手を伸ばすと、スピーカーから朝のニュースが流れ始めた。
 その車のサイドミラーには、歩道と後続車が写っていた。街路樹の間に紺色のスカートが舞う。携帯を弄りながら、学生らしき少女が歩いていた。SNSを開いて、ネットで今注目されている事柄を探している。その隣をサラリーマンらしい男が、必死の形相で駆け抜ける。
 少女の後ろには、母子が居る。幼稚園児ぐらいの男の子が、母親に手を引かれていた。子供の視線は、車から見て奥、歩道の右にあるショーウィンドウに注がれている。そこには、女性型のマネキンが色とりどりの服を着て、作り物の双眸と笑顔を道へ投げかけていた。
 なんの変哲もない朝。忙しい人、そうでもない人のそれぞれが、それぞれのどこかへ向かっていた。
 かくの如き尋常のいつもの朝が、特別になるのは今からで、最初の異変は少女の手のひらより始まった。画面に同じ意味の文章がいくつも並んでいる。巨大生物、怪獣、そんな言葉の後に、出現、現れた等が続いている。制服の少女が訝しみながら、ディスプレイを眺めていると、急に地響きが起きた。少女の足が宙に浮いた、サラリーマンの足も宙に浮いた、子供と母親の足も宙に浮いた。整列した車はそのすべてが揺れた。
 交差点は一気に騒然となる。少女の後ろの子供が泣き出して、伝播するように叫び声があがった。人々は各々が示し合わせたように携帯電話を取り出して、地震情報を確認した。
 少女の前を走っていたサラリーマンが、焦った手つきでポケットをまさぐった。右も左も胸も裏も、ジャケットもシャツもズボンも、ポケットというポケットに手を突っ込んだ。しかし、目的のものは見つからなかったようで、出てきた手には何も持たれていなかった。
「あの、すみません。
 地震ですか?」
 サラリーマンが振り向いて、少女に声をかける。少女は携帯電話の画面から、男の方へちらりと目をやると、すぐに戻して言った。
「違うみたいですね」
 それじゃあ一体、と男が口にしようとした時、また地響きが起こった。今度は、先ほどより強く、車体が浮いた。
 わっ、と交差点そのものが叫んだような大合唱。それより強い地鳴りがまた一つ。
 混乱の坩堝の中で、タクシーの運転手だけが黙って、耳を凝らしている。ラジオの音声を一言も漏らさず聞きたいがためだった。
「繰り返します、巨大な物体が江藤区周辺を飛び跳ねています。巨大物体は、○○交差点の方へ向かっています。江藤区にいらっしゃる方は今すぐ避難してください! これは冗談ではありません。
繰り返します、巨大な」
 運転手は、なにを言っているのか理解できずにいた。スピーカーからは繰り返して、同じ言葉が流れている。地響きは継続的で、そのたびに灰皿から灰が車内に舞った。
 彼は震える手で、新しいタバコを掴む。反対の手で、シガーライターを取り出した。しかし、なかなかタバコの先に持っていけない。
 ようやく、タバコに火が着いた時、あたりが急にしんとなった。地響きが止んだ。
「繰り返します、巨大な物体が足立区周辺を飛び跳ねています。巨大物体は、○○交差点の方へ向かっています。足立区にいらっしゃる方は今すぐ避難してください! これは冗談ではありません。
繰り返します」
 横長の信号に青いランプが灯る。しかし、動き出す車は一台もなかった。交差点は歩行者が、うずくまったり、茫然と立っていたりしていた。
 ぽつりと、水滴がフロントガラスに落ちる。運転手は、水滴が赤いことを認めた。
 『それ』は空から降ってきた。交差点の真ん中に、人々の上に。
 深紅の波浪が四辻に押し寄せる。波は血液だった。だが、『それ』の血なのか、『それ』の下敷きになった人の血なのかは判然としない。
 悲鳴と肉と骨を乗せた血流が車にも迫ってくる。列の先頭車両は赤に浸された。
 波は近くの歩道にも流れ込む。しかし、女子高生とサラリーマンの足元に届く頃には、勢いがずいぶん弱まっていて、二人の靴を汚すのが精いっぱいだった。内海の海岸に流れる静かな波のようだった。
 女子高生とサラリーマンの二人は、落ちてきた『それ』を見上げている。理解が追い付いていないようだった。
 そこに、空から白くべたつくものが降り注いでくる。『それ』は、宙へ向かって放精していた。まるで、自分が下敷きにして失った生命を、世界に補填している風にも見えた。
  精液は血の海と街へ落ちてゆく。車道へ、歩道へ、信号機へ、車へ、人へ、サラリーマンのスーツへ、ショーケースのガラスへ、そこにあるものへ無差別に。そして、女子高生の頬へ、べたりと落ちた。
 彼女の後ろには、少年が居る。母に正面から抱きしめられながらも、瞳はしっかりと、その光景を見届けている。雪だと少年は思っていた。真夏の雪を不思議に思ってもいた。女子高生の頬へ、雪が落ちた。雪が粘度を持って頬から顎へ垂れた時、彼は生まれて初めて股間が熱くなるのを感じた。
 『それ』が風圧を残して、飛び立つ。悪い夢のような一瞬は、唐突に始まり、唐突に終わった。誰も、なにが起こったのかを正確に理解できなかった。

  「八月二十八日、あの巨大物体が突如として東京へ現れました。
六七人の死者を出した大事件を、今振り返ります」
 白いテーブルに、桜色の口紅を引いたニュースキャスターが腰かけている。彼女が口を一文字に引き締めると、映像が切り替わった。
 風の強い橋からレポーターが、水平線へ手を伸ばしていた。男の前に、テロップが浮かび上がる。男の名前は、中井というらしい。
「こちらは、荒川河口橋です。
巨大物体はあの辺りから、海へ沈んでいきました。
それからは、どこへ行ったのか、まだ生きているのか、一切が謎に包まれています」
 カメラがスタジオに戻った時と同じくして、高田は病院玄関の長いソファから立ち上がった。
 待ち人が自動ドアを潜ってやって来ていた。そちらへ向かって、高田はゆっくりと歩き出す。
 
 まだ股間に違和感があった。時折、強い喪失感に襲われることもあった。けれども、なんとかやっていくしかないと納得していた。
 「もう大丈夫なんですか?」
 「退院ってのはそういうことだよ」
 「あ、いえ」
 「なに、ちょっと小便が面倒になっただけだ」
 高田と鈴木は連れ合いだって、タクシー乗り場へ向かった。縦列を成すタクシーから先頭の車を選ぶと、それの後ろに乗り込んだ。
 自宅のマンションを告げた後、高田は座席に身を委ねた。その後で、気が付いて声を上げる。
 「そうだ、今日は俺んちで食べていかないか。久々に料理がしたい」
 「いいですね、もちろん行きますよ」
 高田が明るく努めるので、鈴木もそれに倣うことにした。二人は顔を綻ばせながら、向き合う。
 「よし、魚にしよう。サンマだ、サンマ」
 「えっ、でも高いんじゃ。今年は稀に見る不作だって」
 「何言ってんだお前、今じゃバカみたいに獲れるってやってたろ。病人より世間知らずか」
 高田は口を尖らせ、渋面を作る。そして、海に沈んだ自らの巨根を思った。
 「じゃ、スーパーに寄るぞ。運転手さん、あっ、いや、先に電気屋だ。前から気になってた事がある」
 
  昼に病院を出たのに、家に着いた頃は、もうすっかり夜だった。しかし、新しく付け替えた電灯が、部屋の天井の真ん中で力強く輝いていた。そのために、部屋は四隅までしっかり明るい。
 破れた扉も新しくなり、立て付けの悪かった前の扉よりも使い勝手がよかった。おびただしい血を浴びたマットレスや壁紙も取り換えられている。先の新しい電灯のせいもあり、モデルルームのように綺麗に見えた。
 小さなキッチンシンクに立った高田が材料を捌いてしまうと、テーブル近くに座る鈴木の側へ寄った。彼は鈴木の胸ポケットを指さして言った。
 「それ、一本くれ。吸ってみたい」
 「タバコですか? 嫌いじゃなかったでしたっけ」
 「まあな」
 高田は口にくわえたタバコに火をつけてもらう。肺に一杯煙を入れると、大きくせき込んだ。
 せき込むたびに口と鼻から細い煙が飛び出してくる。鈴木はそれを見て笑った。高田も笑った。何がおかしいのか、自分でも分からないのだが。

大巨根

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  • 小説
  • 短編
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